Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

冬の月は寡黙である

2018年12月21日 23時13分46秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 今夜は十五夜、ただし満月は明日。残念ながら空一面の厚い雲で雲も星も見ることはできない。月の位置すらわからない。

★冬満月今なら姨捨山に行ける      小長井和子
★父の死後 けやきにあそぶ冬の月    田辺三耶子
★いいたきを黙してしばし冬の月     小林いさを


 冬の月は寡黙である。星空は饒舌だが、冬の月、それも満月ならば星空は月のあかりに沈黙してしまう。あたかも寡黙であることを強いられるようだ。月はそのような自分の振舞いに気がつくことはない。が、決して権力者ではない。人間世界からは遠いのである。沈黙を敷いているとは自覚していない。あくまでも善意の月である。そしてその善意ゆえに、冬の月あかりは人の心を痛みを与えずに通り抜ける。人は心を見透かされたと静かに思う。


 さて、本日の昼は昨晩の残りのおかずで食べた。神大の生協でカレーのランチを予定していたが、残りものを食べないと悪くなる、とのことであった。カレーのランチは来週に持ち越しとなった。

奥村泰宏・常盤とよ子写真展「戦後横浜に生きる」

2018年12月21日 20時42分41秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等




 MM線日本大通り駅傍にある横浜都市発展記念館で開催中の「奥村泰宏・常盤とよ子写真展 戦後横浜に生きる」を見に行った。
 会期は今月24日までである。写真家の奥村泰宏(1914-2005)と常盤とよ子(1928-)夫妻の資料約3000点が都市発展記念館に寄贈されたのを祈念してその一部が企画展として展示されている。
 奥村氏は進駐軍を取り巻く市民の風景、戦災・引揚・戦争孤児などをテーマとしている。また戦災者の救済から戦争孤児・「浮浪児」を収容したボーイズホームの設立運営に携わっている。妻でもある常盤氏は、赤線地帯や戦後たくましく働く女性たちを被写体にして横浜を切り取ってきた。
 私は1962年に横浜に来た。家は横浜駅から相鉄線で郊外に出たところで、接収も赤線地帯も進駐軍などの蚊っぽも目にする機会はほとんどなかった。しかしたまたま桜木町の駅前のビルで少年向けオーケストラの練習場があり、毎週土曜日の夜に桜木町に通った。そこで垣間見た世界は闇の中でどぶとアルコールと吐しゃ物の匂いに充ちていた。毎週土曜日は足早に「国電」に乗って横浜経由で相鉄線に急いで乗って帰宅したことだけは鮮明に覚えている。
 1964年中学生になり、横浜駅から山手駅まで通学し、帰路には時々伊勢佐木町の有隣堂経由で帰宅したが、その時はすでに「明るい伊勢佐木町」に変わっていた。ただし裏通りと夜はどのようになっていたかは知る由もなかった。
 しかし当時もボーイズホームの活動が継続していたことは知らなかった。私の少年時代の時間軸に合わせて、写真展示などを興味深く見ることが出来た。
 奥村氏はどちらかというとコントラストが強く、人の表情もきつめで何ものかを訴えている。常盤氏は室内の撮影でもコントラストはそれほど強くない。その分顔の表情が生き生きとしている。どちらも戦後の逞しい世相を生き生きと映しこんでいる。

      

本日の読了「日本画の歴史 現代篇」

2018年12月21日 13時21分05秒 | 読書
   

 本日読み終えたのは「日本画の歴史 現代篇 アヴァンギャルド、戦争画から21世紀の新潮流まで」(草薙奈津子、中公新書)。「日本画の歴史 近代編」と同時発売された。
 前巻で作品を見た画家は、明治初期の橋本雅邦、狩野芳崖、横山大観、下村寒山、菱田春草や平福百穂などで、他は名はよく聞くが、そして作品を見る機会はあるものの、あまり私には響いてこない画家や作品ばかりで、読み進めるのもちょっとつらかった。
 この巻では、私の感覚に響いてくる画家や作品が多く、読む速度も自然に早くなった。好みの画家、作品が取り上げてあると、指摘や評価が私のものと違っても、楽しいものである。

 いつものとおり「覚書風」に。
「マチスなどを学んでいるという意味で、小倉遊亀の作品は理知的というべきかもしれません。‥伝統的に日本美術院の作家に顕著なのが、絵画に精神性をもたせるということです。‥遊亀作品には高く、深く崇高な精神と同時に、優しく暖かみのある人間性が見られる‥。」

 どうも日本の美術評論では「崇高な精神性」とか「深い内面性」というと何かすべて言い切ったような気分になるのだろうか。私にはとても疑問である。この著作でいくつも教わったことはあるが、どこかでこの言葉で逃げてしまうところが散見されるのが残念であった。

「1943年5月、大観を会長に日本美術報告会が創立され、大観はますます絶大な力を発揮するようよなりました。戦争に協力しないと絵画制作に必要な絵具や紙・絹などの配給を受けられなくなるという‥。戦争とは、気がついた時には個人ではどうすることも出来なくなっている恐ろしいものなのです。そしてそれを後で後悔しても、もう遅すぎるのです。近代日本画の歴史はそんなことを教えてくれます。」

 日本画家の戦争画が構図・構成などでどのような地平を開いたのか、そこら辺の技法上の評価も同時に言及してほしかったと思うのは、この本の目的を超えてしまうのだろうか。

「日本画絵具を使っていなければ日本画とはいえない、という考えには納得できません。‥日本画と洋画の最大の違いは、二次元的表現を好むか、三次元的表現を好むかの違いではないかと思っています。ヨーロッパ絵画が奥へ奥へと深まっていくのに対し、日本画は横へ横へと広がっていくのです。つまり空間の違いなのです。」

 この意見にはとても好感が持てた。今度から是非ともこの視点で日本画を見ることにしたいと思う。道具(絵具、支持体、媒体である膠等々)に着目している限り、日本画という概念自体が消失してしまう。油彩画や西洋画との境界は無くなってしまう。しかしこういう指摘は傾聴に値するのではないか。

「自分たちの日本画を生み出そうと悪戦苦闘しますが、西洋絵画の束縛から完全に逃れることはできませんでした。何しろ日本の西洋化とは、明治時代に始まる近代という長い歴史に裏打ちされていたのです。しかしその束縛を受けながらも、次第にそこから解放され、かつもっと土俗的な方向へ向かった画家がいました。‥さらにその束縛から逃れられたばかりでなく、全く気にしない世代が誕生してきたのです。近代化という西洋化からの解放‥。近代以降連綿と続いてきた「日本画」から「日本の絵画」が誕生した、といってよいでしょう」

 なるほどと思う一方で、最後の結論まで言い切ってしまっていいの? という気持ちもある。私などの素人がこれから日本画をこの方面から楽しむのは悪くない。

 入門書のようでいて示唆に富む著作であったと思う。特に現代篇で取り上げた画家で興味をあらためて惹かれた堂本印象などの画家が幾人かいる。また高山辰雄・横山操・徳岡神泉・内田あぐり等々評価を高めたい画家もいる。荘司福のような好きな画家の評価がさらに高まった画家もいた。