Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

禁酒の継続ということ

2018年12月03日 23時17分51秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 肝臓の機能を示す数値があがってきている原因をあれこれ考えてみたが、よく分からないこともあり、詮索は断念。

 アルコールによる肝機能の低下がワーファリンの作用を増強してしまうらしい。しかし病院で貰った解説文書には、「禁アルコール」とは記載されておらず、「二日酔いなど体調を崩すようなことはしない」「アルコールを飲んでからワーファリンを飲む場合は6~7時間以上開ける」としている。飲んでも構わない量は、ビール大瓶1本、ウィスキー水割り2杯、酒1.5合までとなっている。この表現で問題は、夕食後ワーファリンを飲んだとして、いつ飲み始めたらよいのか、ということであったが、これは退院時に聞きそこなった。

 そして今の医師は、お酒を飲むこと自体に否定的なので、上記の質問自体が出来そうもない。かかりつけ医も同様に、お酒は肝臓の数値が基準値を超えている限り飲んではいけないといっている。

 ということで、やはり次の診察まで禁酒は続行、ということで妻とも合意となった。

禁酒はまだ続く‥

2018年12月03日 20時28分30秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は4週間ぶりの市立病院での診察と薬の処方のために病院を訪れた。これまでずっと午前中の予約であったが、年末で混んでいるためか、14時からの予約になった。
 朝から所用で団地内を歩き回り、予定より遅くになって家を出た。それでもタクシーで予約時間の20分前に受付、採血をした。ここまでは順調。ところが実際に診察まで2時間10分も待たされ、会計が済んだのが2時間40分後の16時20分。すっかり待ちくたびれてしまった。しかも3000円も請求され、薬局に行く時間もお金もなくなり、薬局は明日にすることにした。
 もっとショックだったのは、肝臓の機能が改善されていないとのこと。γGTPが100を超えていた。前回は67迄低下しており、本日で基準値以下となり、アルコールの解禁を認められるのかと、大いに期待していたのだが、無理だとのこと。原因はワーファリンかと聞いたところ、どんな薬でも出てくるもの、とあっさりと云われてしまった。
 ワーファリンの効果はかなり高く、聞き過ぎているようだとのことで、2割がた処方を減らされた。
 さらに次の診察は1月21日と7週間後。それまでまた禁酒が続くことになった。
 かなり落ち込んでいる。せめてもの救いは、次回ワーファリンの投与の中止か継続化の判断をしたいとのことであった。造影剤を投与したCT検査をするのかもしれない。

 ショックであったが、それでも横浜駅まで歩いて、書店・家電量販店、100円ショップを一巡してから地下鉄にて帰宅。何も購入せず、見て回っただけ。欲しいもの、読みたい書物は無限大にあるが‥。

 取りあえず1万3千歩。体力的には戻っているのだが‥。

「駒井哲郎」展から1

2018年12月03日 12時05分54秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 私はやはり基本は言葉に頼る人間である。言葉に頼りすぎる自分に気がついて、それから逃れるように美術館に通い出した、というのもあながち嘘ではない。
 今回の駒井哲郎展、「第5章 詩とイメージの競演」では詩人の大岡信や安藤次男、小説家の埴谷雄高、野間宏などの詩集や挿画、装幀などを通じた共作が展示されている。私はこのコーナーにすっかりはまってしまった。
 大岡信などの詩と駒井哲郎の作品は、挿画などではなく競作である。大岡信の詩「物語の朝と夜」がまず目に入る。



  物語の朝と夜

 だれかが呼んでいるので
 眠っていても歩んでいる

 夜明けのなぎさを
 こだまの中を
 きみの脳は漂っている睡眠の
 水草のうおを

 湖のうえ
 悔いの歩みはわずかに僕より遅い
 枯木の梢でひよどりに変質し
 唄は靄を突き抜け 天にまぎれ
 やがてゆっくりぼくを引きあげる

   

 大岡信の長編の詩「料理場-駒井哲郎に」はなかなか含蓄のある詩である。「敗れたものが歌う 勝利だけが信じられると/勝ったものが歌う 敗北だけが真実なのさと/戦いのあとは貪欲と睡眠の支配/‥」。
 敗者も商社も調理台の上でぐつぐつ眠る、という一見楽しく、深刻で、怖い詩であるが、このような作品がこの詩と並ぶと、詩のイメージがどんどん膨らむ。とくに雨が降ったような縦の暗い線が、詩のもどかしいイメージが増幅してくる。



 さらに私にとって埴谷雄高の「闇の中の黒い馬」の装幀は今でも忘れられない作品であった。学生には高価で購入できず、書店で立ち読みしながら駒井哲郎の作品のイメージを頼りに埴谷雄高の世界を覗いていたと思う。
 今は1975年に発行された河出書房新社の「闇の中の黒い馬」という廉価版を所有しているのみであるが、挿絵風に駒井哲郎の作品も掲載されている。この作品は版画集「九つの夢から」におさめられている。

 「闇‥‥‥。私は頑固な不眠症を殆んどじびょうのように飼つているので、どちらかといえば、深夜、闇につつまれた寝床のなかで凝つと息をひそめたまま言い知れぬ不快を噛みしめている時間がむしろ多いくらいである。手をのばして微かな不安の裡にまさぐつてみる前方も、想像し得るかぎりかけはなれた数十億光年彼方の宇宙の果てもまた同質の闇にどつぷりとつつまれているはずのこの眼前を凝つて果てしもなく眺めつづけていることは、私にとつて、いきなり猿臂をのばし、むずと掴んで締めあげたいほど忌まわしい痛憤の時間なのであるが、と同時に、それはそんな自分を噛みしめて何ものかを時分のなかに掘つてみる限りもなく抑えに抑えた時間、まあいつてみれば、一種《静寂な歯ぎしり》の時間なのでもある。」

 埴谷雄高流の手を伸ばした眼前の闇から、一挙に数十億光年まで飛躍し、その空間と時間軸が同一であるという不可思議な世界をどのようにイメージとして定着させたか、これは間に埴谷雄高の世界に陥ったものでないと分からないこだわりであろう。

 「‥‥‥私の黒馬は《ヴィーナスの帯》についにさしかかつた。この暗黒の帯のはずれに、小さな無数の光を散りばめた宝冠のように輝いている一つの旋回する環があつて、それを遠望した多気で目覚めるはがりである。それは車輪のかたちをしているけれども、ゆつくり回転しているため、平らな円盤の内容の矢は、ちようど、夏の夜、低い地上をくるくると廻つて走る鼠花火のように一方へかたむきのめつている。‥」という描写が私の脳裏を今でも離れない。
 この引用の直前に配置された駒井哲郎の作品は、じつは今回の展示とは少し違う。こちらの方が作品に則したイメージである。黒い馬の眼前には黒い丸い塊があり、「闇の中の黒い馬」の作品に則している。
 ただし単体の作品としては馬の眼前の暗黒の塊は重すぎると判断したのであろう。版画集「九つの夢から」のために改変したと思われる。