Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

明日からは仕事を中心に‥

2018年12月04日 23時10分10秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 夜空を見ると雲の切れ目があり、星もいくつか見えたので傘を持参で3000歩ほどのウォーキングを目標に出かけた。500歩ほどのところで雨が降り始めてしまった。それでもすぐに弱くなったので往復3000歩歩いた。
 風が強めで気持ち悪いほど生暖かかった。ニュースで沖縄では30℃近かったと報じていた。雨は強く降る予想ではあったものの、弱い雨が断続的に降っただけ。今はもう雨の区域は横浜から遠く去ってしまった。

 本日の横浜は23.3℃で、明日は18℃の予報。5℃も低くなる。明後日以降さらに寒くなるらしい。明日は退職者会の新年号の編集作業を始めることにした。お昼前に、薬を薬局に取りに行くと約束した。
 今度の土曜日は団地の管理組合の会議なので、明後日にはその準備の資料作りをする必要がある。

薬の処方でごたごた

2018年12月04日 20時32分18秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日病院にて処方箋を貰い、本日薬局に行ってきた。帰宅後錠剤の数を数えたら、数が合わない。首を傾げながら、幾度も数え直した。それでもやはり合わない。何しろ49日分もあるので、混乱する。
 まだ薬局の営業時間が終わったばかりの時間だったので、電話をしてみたら対応してくれた。いろいろ話をするうちに、ようやく真相がわかってきた。薬局から市立病院へ問い合わせもした結果も踏まえると、まず、薬局での打ち込み間違いによる表記の間違い。次に、薬局での数の数え間違い。そして病院の医師の錯誤による処方箋自体の間違い。この三つが重なっていた。

 7週間49日分という長期の薬の処方であることと、一回に服用する量に端数があり錯誤が生じたようだ。明日昼前にもう一度薬局に行って薬を貰い直すことで話がついた。病院に処方箋を彩度貰いに行く必要はないことも分かり、ホッとした。薬局は平謝りであるが、薬局だけの責任でもない。
 支払った金額に変更が生ずるのか、そこはまだわからない。

 しかしワーファリンというのは、服用する量に間違いがあると影響の大きい薬である。気がついてよかった。窓口できちんと数を確認したり、処方戦と薬の量の点検をしたりしなくてはいけないというのは、なんだか変である。少ない数であるならば、一目で確認できるが、49日分はなかなかすぐには確認できるものでもない。まして高齢者などにそこまで確認すべきだとは言えない。窓口で貰った薬の数の確認まで患者の自己責任と云われると、これは困ったことである。
 家には前回貰った薬が本日分まで残っていたので、本日は問題なく服用した。

 さて、先ほど突然のようにやや強い雨が降り出した。時間雨量にして20ミリ程度の雨であったが、風が強まったこともあり、ずいぶん降ったように感じた。今も鎌倉市辺りに雨の区域があり、北東に向って進んでいる。もう一度降る気配である。
 夜のウォーキングが無理になるかもしれない。

「駒井哲郎」展から2

2018年12月04日 11時09分30秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 引続き埴谷雄高「闇のなかの黒い馬」から。私が大学に入って1年目の冬か2年目の冬にこの本が河出書房新社から発刊された。当時で数千円したと思う真っ黒の装幀の特異な本であった。当時仙台の一番丁にあった丸善で手に取って幾度か本文を読んだが、とても購入できる値段ではなかった。特装本ではなく、初版本だったかもしれない。それも真っ黒な装幀であった。
 実際には1975年に就職してから同社の文芸選書の1冊として発刊されたのを購入、初めで全編を通読した。



 その第4番目に「追跡の魔」という魅力的な一遍がある。文字通り主人公が「振り返る」場面が4回出てくる。戦前の治安維持法による豊多摩刑務所の中で、宇宙の果てにゆく夢想の装置を作り上げる。そのきっかけが建物の崩壊感覚によるものである。

「《一陣の風の動きだけでも、この建物は忽ち崩壊する……》と、私は夢の中で推測した。すると、その次の瞬間、私は不意と後ろを振り向いたのであつた。無人の建物のどの間近かな蔭からもこちらを窺つている誰かがいるような恐ろしいほど抗しがたい気配を感じたからであつた。」
「……私はまた背後をふりかえつた。蒼白い花火の傘を大きく拡げ上方から下方へかけて撒きつらされている眩ゆい銀河の帯の中央に白鳥の十字が、さながら出発点の明らかな標識のごとく、目にとまつただけで、この宇宙の暗い大海へ私を追いやつた先刻の「気配」は、やはり漆黒の闇に隙もなく重なつた漆黒の闇のように果てしもない日宇多伊那闇の何処かに沈んでいた。」


 この作品はその不安と恐怖に駆られて後ろを振り向く小説の中の主人公「私」である。
 図録に駒井哲郎の文章が掲載されている。

「この作品集を読んで、実に理論的に夢という手段を用いて、宇宙の涯の非在の世界に迫ってゆこうとする静かな迫力に圧倒されてしまって、しばらくの間はどうすることも出来なかった。しかし読んでゆくうちにいくらでも銅版画がつくれるような気がして来た。‥腐食銅版画の技法の予見される時間の推移と夢の時間の流れが、なんだか一つになってくるように思われるのだった。」(「闇のなかの黒い馬」特装本刊行にあたって、河出書房新社)

 そして埴谷雄高はこう記している。

「実際に見た夢ではなく、この宇宙で見るべき姿を扱ったこれらの作品に附すべき絵は、駒井さん以外にないと、私は始めから主張したのである。‥やがて画家の長い苦悩の描きこまれ数多い絵をまことに得難い遭遇の結実として、私は受けとったのである。そこにはまさに、具象的でしかも幻想的な絵が描かれていて、‥その壱枚一枚の絵を凝っと眺めていると、一本、一本、と、数百本に及ぶ線を或る句中の果ての決断と、或いは、自ら疑いながら緩っくりと引いた画家の精神の深い痕跡がまざまざと浮かび上がってくるのであった。」(「宇宙で見るべき夢の絵」)

 地下生活での緊張と、周囲の「目」に対する恐怖と不安、未決囚のはいる刑務所のたぶん独房の中での不安と恐怖の中での体験が凝縮された風貌が迫って来る。