引続き埴谷雄高「闇のなかの黒い馬」から。私が大学に入って1年目の冬か2年目の冬にこの本が河出書房新社から発刊された。当時で数千円したと思う真っ黒の装幀の特異な本であった。当時仙台の一番丁にあった丸善で手に取って幾度か本文を読んだが、とても購入できる値段ではなかった。特装本ではなく、初版本だったかもしれない。それも真っ黒な装幀であった。
実際には1975年に就職してから同社の文芸選書の1冊として発刊されたのを購入、初めで全編を通読した。
その第4番目に「追跡の魔」という魅力的な一遍がある。文字通り主人公が「振り返る」場面が4回出てくる。戦前の治安維持法による豊多摩刑務所の中で、宇宙の果てにゆく夢想の装置を作り上げる。そのきっかけが建物の崩壊感覚によるものである。
「《一陣の風の動きだけでも、この建物は忽ち崩壊する……》と、私は夢の中で推測した。すると、その次の瞬間、私は不意と後ろを振り向いたのであつた。無人の建物のどの間近かな蔭からもこちらを窺つている誰かがいるような恐ろしいほど抗しがたい気配を感じたからであつた。」
「……私はまた背後をふりかえつた。蒼白い花火の傘を大きく拡げ上方から下方へかけて撒きつらされている眩ゆい銀河の帯の中央に白鳥の十字が、さながら出発点の明らかな標識のごとく、目にとまつただけで、この宇宙の暗い大海へ私を追いやつた先刻の「気配」は、やはり漆黒の闇に隙もなく重なつた漆黒の闇のように果てしもない日宇多伊那闇の何処かに沈んでいた。」
この作品はその不安と恐怖に駆られて後ろを振り向く小説の中の主人公「私」である。
図録に駒井哲郎の文章が掲載されている。
「この作品集を読んで、実に理論的に夢という手段を用いて、宇宙の涯の非在の世界に迫ってゆこうとする静かな迫力に圧倒されてしまって、しばらくの間はどうすることも出来なかった。しかし読んでゆくうちにいくらでも銅版画がつくれるような気がして来た。‥腐食銅版画の技法の予見される時間の推移と夢の時間の流れが、なんだか一つになってくるように思われるのだった。」(「闇のなかの黒い馬」特装本刊行にあたって、河出書房新社)
そして埴谷雄高はこう記している。
「実際に見た夢ではなく、この宇宙で見るべき姿を扱ったこれらの作品に附すべき絵は、駒井さん以外にないと、私は始めから主張したのである。‥やがて画家の長い苦悩の描きこまれ数多い絵をまことに得難い遭遇の結実として、私は受けとったのである。そこにはまさに、具象的でしかも幻想的な絵が描かれていて、‥その壱枚一枚の絵を凝っと眺めていると、一本、一本、と、数百本に及ぶ線を或る句中の果ての決断と、或いは、自ら疑いながら緩っくりと引いた画家の精神の深い痕跡がまざまざと浮かび上がってくるのであった。」(「宇宙で見るべき夢の絵」)
地下生活での緊張と、周囲の「目」に対する恐怖と不安、未決囚のはいる刑務所のたぶん独房の中での不安と恐怖の中での体験が凝縮された風貌が迫って来る。