
昨日から読み始めた本が11月末に出版されたばかりの「受胎告知 絵画で見るマリア信仰」(高階秀爾、PHP新書)。
PHP新書はまず購入することも立ち読みすることもないのだが、この目立つ表紙に吸い寄せられた。著者が高階秀爾ということで二度ビックリ。確かすでに86歳を超えた方である。いくつかの著書を読んで勉強させてもらっている。
中公新書の「近代絵画史」、講談社の「バロックの光と闇」、岩波新書の「名画を見る眼」正・続など手に入りやすい。
読んでみると、今までの著書よりも読み易い。短い文章が並んでいる。読み易いからと読み飛ばすと大事なところを見落とす。
「観察力を磨く名画読解」を読み始める前に、読み終えたい。本日はリュックに詰め忘れて、喫茶店で読みそこなってしまった。
ミッションスクールに6年間通って新約聖書には眼をとおしたが、如何せん不信心・不信仰の極みの私である。マリアの処女懐胎も、キリストの復活も、さまざまな「奇跡」も受け入れずにきた。ましてアダムとイヴの原罪へのこだわりなど、興味などまるで湧かなかった。
本当は「原罪」意識の根拠とは何か、マリア信仰とは何か、社会学的な解明などこだわってもよかったのかもしれないが、卒業して以降はキリスト教徒は無縁な世界にいた。というよりも避けてきた。
西洋美術に足を踏み入れるとこのふたつは避けては通れない。今さらながらの勉強である。