Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

伸し餅

2018年12月28日 22時17分55秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 本日、お店にたのんでいた伸し餅1枚が出来上がった。さっそく小さく切って保管。夕食はお米は炊かずに、この餅を私は3切れも食べてしまった。まだ柔らかいので私はそのまま少しだけ醤油をかけて海苔を巻いた。妻は焼いた方が好きとのことで軽く炙ってやはり醤油を垂らして食べていた。
 餅だとつい食べ過ぎてしまい、あとでお腹が膨らんで苦しくなる。

★代々住みて隣保親しき餅の音       飯田蛇笏

 昨日見つけた飯田蛇笏集成を見て餅つきの句を探したら一句だけあった。飯田蛇笏(1885-1962)は高浜虚子に師事、ホトトギス隆盛期の代表的作家。山梨に在住し、「雲母」主宰。
 この句は、1950(S25)年の句を収める第七句集「雪峡」に掲載されている。この句のすぐ後ろには「この日鵬生戦死の思ひ出」との詞書で「日のみくら機影のわたる冬至かな」の句がある。「鵬生」は1944年にレイテ島にて戦死した長男聡一郎。次男数馬を早くに亡くし、三男も「外蒙古」で抑留され亡くなっている。俳人飯田龍太は四男。
 この頃まだまだ二人の子どもを亡くした思いが生々しく切実な句となっており、胸打たれる。


部屋の大掃除

2018年12月28日 20時41分40秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 部屋の片づけは15時半までかかってしまった。どうしても本棚に入りきらない書類があり、やむなく退職後に訪れた旅行の記録のファイルは廃棄することにした。また受講した講座の一部の資料も廃棄。

 美術館・博物館、読書関係の書類、受講した講座の大半の資料、退職者会関係の資料はそのまま保管。いづれ保管場所を他に移し替えなくてはいけないが、取りあえずはそのまま。
 これで増えた資料や美術展の図録なども収納できた。

 一応片付いて16時に家を出て、横浜駅までコーヒータイムと称して「逃亡」。妻に言わせるとまだまだ片付けがなっていない、甘い、とのことであるが、疲れてこれ以上は無理。



 団地の近くの学校の花壇のユキヤナギはまだ咲いていた。先日は古いデジカメでピンボケ、今回はスマホでもピンボケ、かろうじてこの1枚比較的よく撮れていた。咲いている花はもう少し多かったが、花の点き方は散漫なので撮影は難しい。
 帰宅時は風が強まり、冷たい風に頭を下に震えながら歩いてきた。夜のウォーキングが思いやられる。


 【追加】実は、片付けている最中に高いところから重い本が3冊ほど落下、床に落ちる前にキーボードの上でバウンドした。そのためにテンキーボードの「1」がおかしくなってしまった。いったん押すと元に戻らず沈んだまま。その間にも「1」が押し続けられてしまう。これはキーボードを買い直さないといけない事態になったかもしれない。


飯田蛇笏集成

2018年12月28日 13時36分02秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 本日がゴミ回収の最終日ということで、前々から部屋の片づけを本日までに完了することを申し渡されていた。一昨日に再確認され、本日まで引き伸ばしてきた。
 朝から取りあえず机の上にある書類やチラシ類を整理。大半は紙ごみとしてまとめた。あとは本の整理その他が残っている。ノンビリ読書タイムとしたかったのだが、本日は夕方までこの片付け作業に追われる。なんといっても本棚に収まり切れない本、収納するためには捨てる本を選ばないといけない。これに時間はまだかかる。

 どこの棚を整理するか、どの本を捨てるか、考えるのが面倒でもあり、どこか楽しみでもあり、複雑な気分。

 居間にある本棚を前に多少途方に暮れていたら、扉のある棚の奥に飯田蛇笏集成全7巻を見つけた。1994年に第1巻が刊行されている。今から24年前に購入している。なぜ購入したのかも不明。ただ昔から飯田蛇笏はとても気になる俳人であった。1冊が3パーセントの税込みで4600円。いくら何でも本棚の奥にしまいこんでいるのはもったいない。
 俳句は第1巻から第3巻まで。来年一年手元において読みたい。

★雪山をゆく日とどまるすべもなし    飯田蛇笏