本日、お店にたのんでいた伸し餅1枚が出来上がった。さっそく小さく切って保管。夕食はお米は炊かずに、この餅を私は3切れも食べてしまった。まだ柔らかいので私はそのまま少しだけ醤油をかけて海苔を巻いた。妻は焼いた方が好きとのことで軽く炙ってやはり醤油を垂らして食べていた。
餅だとつい食べ過ぎてしまい、あとでお腹が膨らんで苦しくなる。
★代々住みて隣保親しき餅の音 飯田蛇笏
昨日見つけた飯田蛇笏集成を見て餅つきの句を探したら一句だけあった。飯田蛇笏(1885-1962)は高浜虚子に師事、ホトトギス隆盛期の代表的作家。山梨に在住し、「雲母」主宰。
この句は、1950(S25)年の句を収める第七句集「雪峡」に掲載されている。この句のすぐ後ろには「この日鵬生戦死の思ひ出」との詞書で「日のみくら機影のわたる冬至かな」の句がある。「鵬生」は1944年にレイテ島にて戦死した長男聡一郎。次男数馬を早くに亡くし、三男も「外蒙古」で抑留され亡くなっている。俳人飯田龍太は四男。
この頃まだまだ二人の子どもを亡くした思いが生々しく切実な句となっており、胸打たれる。
餅だとつい食べ過ぎてしまい、あとでお腹が膨らんで苦しくなる。
★代々住みて隣保親しき餅の音 飯田蛇笏
昨日見つけた飯田蛇笏集成を見て餅つきの句を探したら一句だけあった。飯田蛇笏(1885-1962)は高浜虚子に師事、ホトトギス隆盛期の代表的作家。山梨に在住し、「雲母」主宰。
この句は、1950(S25)年の句を収める第七句集「雪峡」に掲載されている。この句のすぐ後ろには「この日鵬生戦死の思ひ出」との詞書で「日のみくら機影のわたる冬至かな」の句がある。「鵬生」は1944年にレイテ島にて戦死した長男聡一郎。次男数馬を早くに亡くし、三男も「外蒙古」で抑留され亡くなっている。俳人飯田龍太は四男。
この頃まだまだ二人の子どもを亡くした思いが生々しく切実な句となっており、胸打たれる。
