本日で終了した駒井哲郎展、遅くなってしまったが、印象に残った戦後の彩色のある作品をいくつか。
まず「星座」という作品群。1971年の「星座Ⅰ」「星座Ⅱ」「星座Ⅲ」という3枚組の作品がある。これは数年前に東京都現代美術館で見ることが出来た。現代美術館の所蔵品である。
その時にどこかで書かれていたらしいのだが、同じ「星座」という作品があることを知った。いつかまとめて見たいと思っていたのだが、どうも今回展示されている1968年に完成したらしい「星座」(石洞美術館蔵)がそれにあたるらしい。
1968年と1971年とを比べると、後者の方が丸い形態が中心に変っている。作者の「宇宙」に対する「像」の変化である。同時に世の中の宇宙に対する「像」も確かに変化していたように私は感じている。私自身の「宇宙の像」も変化していた。
作者にとって「星座」とは「宇宙」の意味なのである。例えば「星座Ⅱ」は星、しかもかに星雲のイメージである。星の一生の最後の超新星爆発後の残骸の輝きである。中心に残るのはブラックホールである。
その宇宙の像は、米ソのロケットというものによる開発戦争という側面ではなく、ビッグバンであったり、膨張する宇宙であったり、ブラックホールなどの存在や、銀河系の形態やや銀河群というものの存在に関する知見の深化にともなうイメージの転換だったと思う。
宇宙が突拍子もない不思議なものから、どこかイメージを作ることが可能なものとして身近になってきたことの反映なのであろうか。
現在もまだまだ「宇宙の像」は更新をされているが、1960年代から1970年代にかけての方が、その変化は大きかったかもしれない。あくまでの私個人のイメージの変化に沿った思い出しかないが‥。
私の脳内では「星座Ⅲ」のイメージが渦巻いている。
そして思い出したが、当時購入することも読むこともなかったが、「新潮」という月刊誌があった。今もあるようでいろいろと物議をかもしている。当時書店に並んだこの「新潮」の表紙に時々目を奪われていたことを覚えている。展示では1972年の1、2、3、10月号の原画があった。一つ一つの記憶はないが、こんなイメージの月刊誌があった記憶がちゃんとよみがえってきた。どこか「輝いていた」雑誌で会ったと記憶している。
当時は駒井哲郎の名も知らず、版画ということもほとんど理解していなかった。ずいぶん派手な雑誌だと思っていた程度である。ただあまり明るい世界は私の周りでは縁がなかった。
今回あらためてこれら世田谷美術館蔵の作品を見て、3月号に香月泰男のシベリアシリーズの中にある「青の太陽」(1969)を思い浮かべた。駒井哲郎の作品の下の緑の造形が、うつむく人間の群れに見えてきた。どこか鎮魂歌として共通点を感じて、大いに惹かれた。