Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

メアリー・カサット展(横浜美術館)

2016年07月26日 23時11分27秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 本日は横浜美術館で「メアリ・カサット展」を見てきた。私は二度目、妻は初めて。雨は夕方に小雨になった程度で辛うじて傘無しで歩ける程度で済んだ。そのために思ったよりは人は多かったが、それでも広い会場、ゆとりをもって見ることが出来た。人気のある作品の前でも人に遮られることなく鑑賞できた。



 人物画が圧倒的に多い作品群の中で、本日目についたのはジャポニズムの影響がよくわかる作品群。チラシの裏面にある「沐浴する女性」(1890-91)。画家が46歳ころに作成したドライポイントとソフトグランド・エッチングによる作品。銅版画の技術については幾度説明を聞いてもよくわからないが、銅版画の作品である。たまたま本日の朝日新聞の夕刊に解説が掲載されていた。
 私は銅版画という版画によって日本の木版画に近い雰囲気、特に平面的な表現、描線による描写などを取り入れたのだと思う。そして壁と床の藍色に通じるような青と肌の色、洗面台の木の色、壺の肌色に近いクリーム色がかった白い色との対比、布地の褐色、など色彩の取り扱いも似せていると思った。しかし何よりも惹かれたのは、体の曲線と縦縞のスカート様の着物の曲線が一体的に描かれていることに好感を持った。
 何気ない曲線に囲まれた人体だが、上半身の淡い肩から腰の線にエロティシズムすら感じる人体の質感と、下半身のスカートの肌合いは実にリアリティがある。ただし、細部を細かく見ると臀部の着物のふくらみが上半身に比べ少し太すぎるとは思うが、作品そのもののマイナス評価ではないと思った。
 このような沐浴の構図などは浮世絵からの多大な影響を昇華しようとした結果であるとのこと。そういえば洗面台は遠近法からすれば少しずれてもいる。特に水平線が洗面台だけすべて並行であるが、建物の壁と床の間の線とは平行になっておらず、洗面台が壁にくっついているようでいて左側が少し手前に傾いている。こういうところも浮世絵の影響のひとつなのだろうか。木製の洗面台の量感を大きくし、人体の質感の対比を強調しようとしたように見えた。



 後先になったが、展示の概要は
1.画家としての出発
2.印象派との出会い
-1 風景の中の人物
-2 近代都市の女性たち
-3 身づくろいする女性たち
-4 家族と親しい人々
3.新しい表現、新しい女性
-1 ジャポニズム
-2 カサットが影響を受けた日本の美術品
-3 シカゴ万国博と新しい女性像
4.母と子、身近な人々
という配列になっている。
 今回の展示では、カサットを印象派に引き寄せたエドガー・ドガ4点、同時代の女性画家エヴァ・ゴンザレス1点、ベルト・モリゾ3点、マリー・ブラックモン1点、同時代の親交のあったカミーユ・ピサロ3点などの作品が並んでいる。またジャポニズムの影響を受けた喜多川歌麿4点、喜多川相説1点、葛飾北斎4点が並んでいる。これらの参考作品が全体112点の内に23点に及ぶ。特にドガ、ベルト・モリゾや歌麿の作品はそのどれもがカサットの作品との関係が窺える。モリゾの作品も興味を惹かれた。

おぞましい事件 2 NHKの取材態度に怒りを覚えた

2016年07月26日 20時42分30秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 相模原市の事件についてツィッターやテレビ報道を若干見た。民放のニュースは大体感情的なものが多いので普段からまずは見ない。とりあえずNHKを見た。
 まず施設の職員が駆け足で職場に向かうところにマイクを突き付けて付きつけて一緒に走りながら、「どんな連絡を受けたか」などと執拗に感想を求めている。慌てて出勤する職員に何というひどい取材の仕方であろうか。職員にとっては同僚や入所者の安全確認や、家族へのいち早く正確な情報提供と施設の安全な運営は至上命令である。1分、1秒でも早く駆けつけなくてはならない事態である。それを妨害しているとしか思えない取材態度と、それをなんの疑問もなく放映するNHKの姿勢に私は強い怒りを覚えた。
 これが問題にならないのはあまりひどいと思う。猛省を求めたい。些細なことと云われるのはとても心外である。この報道の在り方ひとつで私はやはり、NHKももはや信用ならないと判断できると思った。
 もうひとつ、NHKだったかそれからチャンネルを変えた民放だったが忘れたが、「犯人」とされる人間が小学校で教育実習をした時の生徒へのインタヴューが流されていた。「犯人」の年齢からすればこの女性は10代半ばであろう。このような未成年にこのような凄惨な事件の「犯人」像を求めるというのは、もはやマスコミ失格である。これについてはも強い違和感をもたざるをえなかった。

 私の思いは、まず「犯人」とされる人間が、勤め始めてやめるまでの間の意識の変化と、なぜのこのような意識を醸成させてしまったのか、ということの解明がもっとも大切だということである。
 私からするとそれ以外のアプローチは意味をなさないのではないのか、ということである。労働対象との関係の構築、おなじ職場での同僚や上司との関係の作り方、体外的に問題が生じ始めた原因、「病」なら病に至った経過と治療、この検証抜きに何を語っても先へは進まないはずだ。これを抜きにしては、たとえ予防を求めても予防は出来ない。
 警察やマスコミはすぐに「動機の解明」とか「生い立ち」に注目する。そこには事件の真相も解明もないと考えた方がいいのではないか。報道では「障害者なんていなくなればいい」といったということになっているが、なにゆえにそのような認識になったのか、ここが肝心である。
 最近ヘイトスピーチや政治家のひどい発言には、この手の発言がごろごろしている。発言から「犯行」に至る過程について、人間の心の闇に迫る、ということはどういうことなのだろうか。暗い出口の無い気分にさせられる。

 幾度でもいいたい。もしも「犯人」の「病い」を理由にしてしまっては、解決にはつながらない。もし「病い」ならば病に至った道行きの究明を怠ってはいけない。

おぞましい事件

2016年07月26日 11時53分44秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日の午前中の作業予定は終了。今年の夏はなかなか熱くならない。
 蝉の鳴き声は例年のように賑やかであるが、この涼しさではなんとなく寂しげに聴こえるのは、いつもと違う夏の陽気という思いのためであろうか。
 本日も厚い雲に覆われている。午後からの降水確率は30%に低下した。

 朝からおぞましい事件が報道されている。
 今朝の相模原市内の「津久井やまゆり園」での殺傷事件、相模原消防署の発表では19名が亡くなったという。負傷も26名という。極めてショッキングなニュースである。
 警察発表しか判断するものがないが、ひとりの人間による刃物での殺傷という。数本の刃物を持って自首という報道であるが、刃物で45名の人間を殺傷できるのであろうか、と耳と目を疑った。その現場と状況が到底想定できない。刃物も実行者も大量の血にまみれたはずである。どうしてそのようなことが可能だったのか。それが最初に頭の中で渦巻いた。

 今の時点で軽々には云えないのは承知しているが、もしも報道されているように「「障害者なんていなくなればいい」と言っているととしたら、さらにとても嫌な気分になる。いわゆる弱者や社会的な保護を受けている人に対する嫌悪が根底にあり、それが噴出したものであるならば、いわゆるヘイトスピーチと何ら変わるところがない。例えば自らの処遇や働く労働条件の不満、自らの社会的な不満の原因を、「社会的弱者」や根拠のない「民族性」に求めるというのは、まさに社会の在り方そのものの否定と崩壊を意味しないか。
 他者への憎悪は限りなく、広がっていくことの恐ろしさ、おぞましさにたじろいでしまう。ヘイトスピーチと繋がっていることを恥とも思わない政治がますますのさばるのか。
 具体的に血が流され、人が亡くなるという今回の事件が、あのヘイトスピーチで特定の人々を「殺せ」と絶叫することを「表現の自由」と主張する人々と、私には二重写しに見える。

明日の予定

2016年07月25日 23時22分21秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日の作業は終了。明日の午前中は本日の幹事会の内容、退職者会ニュースなどを退職者会のホームページにアップする作業を行う予定。
 明日の午後は天気はあまりよくないとの予報である。午後から雨の確立が60%となっている。出歩くのは億劫であるが、横浜美術館に開催している、「メアリー・カサット展」を再訪したいと考えている。夏休みに入ったので混雑していれば、どうするか、まだ考えていない。
 カサット展の感想もそろそろ考えたいが、まだ頭の中が本調子ではないように思う。少しずつゆっくりと回復したいもの。
 といっても具体的にどこがどうなっているのか、というのではなく、何となく一つのことに集中できていないというだけである。
 思考のパターンが何となく以前と同じになったと感ずれば、それで回復である。


モーツアルト「ピアノ協奏曲第15番、第16番」

2016年07月25日 22時24分56秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
      

 モーツアルトのピアノ協奏曲のうち第14番から第19番までの6曲はひとかたまりとして扱われ。1784~85年にかけて作られている。その中でも第15番と第16番は1784年3月に一週間の間を開けて作られている。しかもこれまでや同時代のピアノ協奏曲の枠組みを大きく変えるような内容となっているといわれる。
 表現上の飛躍などについては解説に概略が記されている。私の聞いた限りでも、この第15番の華麗な響き、パアノの駒かいパッセージ、強弱がより明確になり、メリハリが鮮明な曲となっていると思う。
 オーケストラの編成にも工夫というか、これまでとは飛躍があり、管楽器ではオーボエ、ファゴット、ホルンばかりであったものが、フルート(共に)やトランペット(第16番)、ティンパニー(第16番)を使用している。
 私はこの第15番、第16番によってピアノ協奏曲の新しい時代の幕開けと理解している。確かにこの2曲は聞いていて心地よい。ベートーベンのピアノ協奏曲に繋がる曲のように感じる。
 第15番の第一楽章の出だしのオーケストラの直後に出てくるピアノのパッセージが殊に気に入っている。

会議のあとは暑気払い

2016年07月25日 20時13分03秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 幹事会でほぼ9月中旬までの日程が決まり、私のスケジュール帳にも記入が終了。夏休みでもあり、あまり日程は入らなくて助かった。また他のスケジュールと重ならなかった。
 幹事会の終了後、1300名分の郵送用の袋詰めの作業が終わってから、有志で暑気払いという名の飲み会を2時間ほど。今回はワンコインではなく、組合の快感の傍の安い店でひとり2000円ほどで行った。14名程が参加した。
 幹事の一人が畑で栽培したキュウリとミニトマトを持参したので、店に持ち込増せてもらった。新鮮なキュウリとミニトマトはいいつまみになる。

 これから退職者会の私の属するブロックの会計処理をしてから、早めに就寝予定。

明日からは‥

2016年07月24日 22時14分02秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は休養日。落ち着きのない日常から少しは回復しているであろうか。朝の内、中桐雅夫の詩から受けた印象を、頓珍漢を承知で多分誤読もあるかもしれないと思いつつ、綴ったのち、早くも昼寝。
 午後からは荷物持ちとして買い物につきあい、往復約7000歩ほど。8キロ程の買い物袋を持たされた。野菜ジュースとヨーグルトと果物など水気の多いものを中心に運ばされた。車がない分、人力での運搬が我が家の習いである。

 横浜市域の最高気温は27.7℃であったらしい。朝から曇り空、例年よりもかなり遅い梅雨明けになりそうである。そろそろ夏に行く山の確定をしておきたいもの。昨晩、鈴鹿山脈の登山地図を眺めていたが、昨晩の気分ではもう少し別のところも検討してみたい。
 同時に明日からはこれまで読んでいた読書の継続を再開してみたい。疲れだ私の頭に文章が入って来るであろうか。

 明日は昼から退職者会の幹事会。

茨木のり子「歳月」

2016年07月24日 19時28分33秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
  歳 月

真実を見極めるのに
二十五ねんという歳月は短かったでしょうか
九十歳のあなたを想定してみる
八十歳の私を想定してみる
どちらかがぼけて
どちらかが疲れはて
あるいは二人ともそうなって
わけもわからず憎みあっている姿が
ちらっとよぎる
あるいはまた
ふんわりとした翁と媼となって
もう行きましょう と
互いに首を絞めようとして
その力さえなく尻餅なんかついている姿
けれど
歳月だけではないでしょう
たった一日っきりの
稲妻のような真実を
抱きしめて生き抜いている人もいますもの



 詩集「歳月」は作者の亡くなった2006年の翌年に刊行されている。1975年に亡くなった夫の死後に書き溜めたと思われる相聞歌である。この詩は詩集「歳月」の最後に掲げられた詩。「花音朗読コンサート#12」でも最後に朗読が行われた。妻はこの詩がいたく印象に残ったようだ。
 私が定年を迎えて、妻と家での食事の機会が増え、夕食後の会話の時間が増えるにしたがって、この詩に登場するような会話の機会が増えている。おそらく他の家庭でも同じような会話は、程度の差はあれ、また内容に差はあれ、存在することは確かだと思われる。特に子どもが独立して別の場所で家族を構成している場合は間違いなく、このような会話は存在しているはずだ。
 この種の会話はいつも同じような道筋や通過点を経て、同じような結末で終わり、その都度の進展はない。お互いの老いを確認し、現時点での結論に至らない着地点をお互いに再確認して会話は終わる。いつも同じ話を繰り返し、未解決なことが明日以降も続く生活の出発点でもある。それは自らの人生の現時点の追認でもある。
 傍から見れば滑稽なようでいて、本人たちはそのときは滑稽とは思っていない。しかし時々そのような会話自体を、滑稽なものとして笑い飛ばすこともまた必要である。それは片方が先にこの世からいなくなっている場合も続いている。それが当然のことのように。夫婦というものはそのようなものであるらしい、ということを了解したのは、つい最近のことである。


中桐雅夫「一九四五年秋Ⅱ」‥感想

2016年07月24日 12時15分00秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 昨晩取り上げた中桐雅夫の詩「一九四五年秋Ⅱ」について補足すると、私は「確信と、希望」‥私は、不安と、怖れ、生きていることへの嫌悪を嗅ぎ取った。多分それは私の思い込みがそちらに偏っている証左かもしれないとおもいながらも‥。
 第一連の「みにくい無数の虫」、「あかく錆びた草」は、第二連のよろよろと歩きつづけるひとびとの喩えだと思うが、乾いた風と日に照らされた、嵐の前の静寂と混沌を感じた。
 8月15日を経て、9月に降伏文書調印、アジア各地の日本軍の降伏、マッカーサーの東京進駐と戦後処理が開始され、息をひそめてその動静を多くの人は見つめていた。一方で日々の暮らしの窮迫は進み、生きるための格闘と混乱が噴出してくる直前の東京の景色、景観だと思う。
 最後の一行「絶望の天に向かって、ゆるやかに投身する。」が私にはわからなかった。それは詩人がどのように何に、絶望したのか、その絶望がどのような根拠での絶望か、判らなかったからであり、そして今でもわからないところがある。
 1919(T8)年生まれの詩人は、徴兵忌避の目的に日大に入り、新聞社の政治部記者になるものの、結局1942年23歳で応召させられ、戦後「荒地」の同人となっている。
 その思想については私が勉強していないのがいけないのだが、不明のまま、あの一行のことは放置し続けている。
 私は、あの戦争に邁進した国家や軍部に対する幻想や思い入れからは遠い人であったとは思う。同時に1945年の秋の時点で、政治家や思想家やマスコミの変わり身の早さ、自己保身の「みごとさ」をまだ体験していないような気もする。
 人々の生活を巡る混乱とたくましさとをつぶさに観察をしているわけではない。応召してどこに配属されたかは分からないが、軍隊内部の人間の在り様におおきな絶望の根拠があるのだうろか。市井の人々のわずかな在り様に戦後の混乱を見通したのだろうか。
 1951年生まれの私にはまだまだ分からないことばかりである。

 2014年3月に私は「中桐雅夫という詩人は死を誠実に見つめ続けて表現した人ではないか。ポツダム宣言受諾・無条件降伏という事実によって1945年に敗戦を迎えたという、時代を真正面から体験してそこにこだわりながら詩という営為を続けてきた詩人である。死についての感覚はとても暗く、そして切実な体験なのであろう。この自分が抱え込んだ死のイメージにこだわる姿勢、死を引きずることをやめることができない、ある意味ストイックな生き方にたじろぎながら、私はどこかでこのような世界を絶えず反芻しながら生きてきたように思う。そんな原点に近い像が、この詩から得られたといえる。私の出発点だったのかもしれない」と記した。
 中桐雅夫の詩に色濃くにじむ「死」のイメージと、「絶望」のイメードとがどこで繋がるのか、その「絶望」がどのようなものか、多分それは中桐雅夫を理解することだけではなく、私なりの戦後の像の作り上げになるのだと思う。

中桐雅夫「一九四五年秋Ⅱ」

2016年07月23日 23時30分57秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 そういえばこんな詩を以前読んだことがあった。1945年秋、敗戦間もない焼け野原の東京を詠んだ詩である。1990年頃作品社の「東京詩集Ⅲ」で初めて目にした。とても平明な詩で、あまり印象には残らなかったが、どういうわけか頭の中に残っていて、忘れられない何かがあるように感じている。今でもとうしてこのような詩が、頭の片隅に残っているのかわからない。でも魅力的な詩である。
 しかしいまから思えば、敗戦という時間の止まったままの東京の、これから貧しくとも逞しくも、そして悲惨と絶望と、山師的世界も含めた混沌が胎動を始める直前の何かが感じ取れる詩である。


  一九四五年秋Ⅱ    中桐雅夫

夕焼けのなかの、
一枚の紙幣のような黒い青空
その麓まで、
あかく錆びた草が一面に繁茂し、
互いに絡みあって、風に身をよじらせている。
みにくい無数のちいさい穴を掘って、必死にかくれようとしている、
だが、風はなにものをも見逃しはしない。

見よ、この巨大な荒地を、
誰ひとり憩もうともせず、
ただ歩つづけているひとびとを、
たちどまると、そのまま息絶えるように思えて、
なえた足をひきずりながら、
乾いた唇をなめずりながら、
目的もなく、
ただ歩きつづけているひとびとの群れを。

聞け、吹きつのっている風の音を、
一九四五年秋の一日、
東京麹町区内幸町一丁目、
勧業銀行ビルの四ッ角に、
いま吹きつのっている風の音を、
それは、まるで世界の中心から発したもののように、
激し、激して、ついに俺を涙ぐませるのだ。

俺は、絶望の天に向かって、ゆるやかに投身する。

                  (「中桐雅夫詩集」 一九六四)


古代史セミナー9月講座申込み

2016年07月23日 19時53分19秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 昨日今年度の9月からはじまる「古代史セミナー9月講座」の案内ハガキが届いた。
 今回の講座は6回連続で、「邪馬台国の時代の新研究」ということになっている。
 テーマを見ると、倭国と邪馬台国の関係、特に倭国=邪馬台国としていないところも気に入っている。また考古学の視点、中国と倭国との関係、列島の東部と邪馬台国との関係などの視点が面白い。
 近年どのように邪馬台国が取り上げられているのか、勉強してみたい。
 早速申込みの往復はがきを作成し、明日1番で投函することにした。

 特にこのごろは、政治的に大和王権が語ら語られ、近年の学術的成果が否定されたり、政治的にゆがめらたり、政治的思い込みに現実を強引に当てはめようとするあまりに情けない時代となっている。
 科学的なことが非科学的な思い込みと論理で否定され、マスコミのいい加減な取り上げでもてはやされるというのは、政治や歴史だけではなく、地震の予知についてもトンでも「学説」が横行する時代である。


 この講座からは話は飛躍するが、政治は私たちの生活の上に君臨してはいけないものである。芸術や学問の上位に位置するものではない。私は政治家というものは、ごく普通の市民の生活思想や芸術や学問に謙虚でなければならないものだと思っている。支配-被支配という構造をどのように乗り越えるのか、近代国家の歴史の先にこのような政治の構造を見据える新しい政治理念が求められている。それは100%、誠実な政治理念からしか生まれない。人を支配し、力による支配しか構想できない政治家からは次のあらたな政治理念は生まれない。それは断言できると思う。
 自分の理想から現実の政治を常に検証することから始めたいものである。


本日の講座「沖縄を知る-「化外の民」と「越境広場」」

2016年07月23日 17時37分43秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 本日の講座は、西谷修立教大学特任教授による「「化外の民」と「越境広場」」。
 話の内容は緊迫している高江ヘリパット建設工事の話など現在の状況が主なものになってしまった。政府の強引なやり方など現地の緊迫は十分わかるのだが、表題の「「化外の民」と「越境広場」」に話が届かないうちに時間が来てしまったことは残念である。現地の状況はマスコミもまともに報じない中で、人はツィッターやネット情報でわかっている人もかなりいるし、聴講した多くの方は状況が分っているので、もう少し「沖縄」と「日本」を対象化した講義を私は期待していたのだが。これについては残念だったような気がする。
 内容は第1回目の目取真俊氏の話とほとんど変わらなかったと思う。
 参考文献では私も知らなかったものがあり、これは良かった。
 しかしこのシリーズ、受講する方が多い。やはり現在の状況に強い関心と危機感を持っておられる方が多いのであろう。



明日の講座は「沖縄を知る」第4回目

2016年07月22日 23時39分06秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日は昼間横浜駅までの往復で9500歩。22時半から45分のウォーキングで6500歩。昼間は時間換算で7000歩ほど、夜は8500歩ほどのスピードであった。1日2万歩近く歩きたいが、最近2年ほどはとても波がある。



 明日は13時から講座。連続講座「沖縄を知る-歴史・文化・社会」の4回目。「化外の民と越境広場」という題で、講師は西谷修立教大学特任教授。連続講座の題と今回の題からするとどのような切り口になるのであろうか。題名からするととても惹かれる。

 本日は雨は降らなかったのは助かったが、しかし涼しかった。昼間横浜駅まで歩いた時は、はじめ半袖で寒く感じた。明日は曇りで雨は降らないようだ。最高気温は28℃とかなり蒸し暑いとの予想。


期待したい「レンブラント リ・クリエイト展」

2016年07月22日 21時02分32秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 横浜のそごう美術館で「院展」を見た時にチラシを貰った。7月30日(土)~9月4日(日)までの会期で、「オランダ レンブラント・リサーチ・プロジェクト公認「レンブラント リ・クリエイト展」が開催されるとのことである。来週の土曜からはじまる。

 案内で歯、「レンブラント研究の第一人者であるレンブラント・リサーチ・プロジェクト委員長エルンスト・ファン・デ・ウェテリンク教授の監修により、レンブラントが描いた当時の作品の色調やサイズを徹底的に検証。経年劣化で変色する以前のオリジナル色を取り戻すだけでなく、盗難で行方不明になった作品や損傷を受けた作品、《夜警》をはじめ一部が切断されてしまった作品を、最新のデジタル技術で17世紀の姿へと複製画で忠実に再現した『レンブラント リ・クリエイト展 2016』。世界中に散らばる349点のレンブラント作品から自画像全41点を含む、厳選された約200点がそごう美術館に集結します。」と記されている。
 「夜警」は完成当時よりも上部と左が切り取られており、今より横長で描かれている人も3人多いそうである。自画像についても「全41点の自画像を通して、その表情から人生の“光と影”にも注目してください」とチラシの裏面に書かれている。
 見ごたえのある展示と期待したい。


中原中也「干物」

2016年07月22日 12時08分32秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 ここ数日、気持ちが退行していることを自覚するようになった。少し意識の上で慌ただしかったのだろうか。たいしたことは何も考えていなかったようには記憶している。ただ普段通りに呼吸していただけだと思う。あるいはそれがいけなかったか。何も考えず、自分との対話を怠ったためなのだろうか。
 自分の意識の中で、何が「退行している」というふうに感じたのか。いくつかのことがある。
 まず、チェロの豊かな音色を聴きたくなってベートーベンのチェロソナタのCDをひっぱり出してきたが、これがうまく聞き取れない。私の期待したチェロの音で無いように感じてがっかりしたし、耳に入ってこない。もっともベートーベンという作曲家を選んだこと自体がチェロの音を楽しむ、という点からは不向きなのである。朗々と響き渡るこの楽器の音色に身を浸すためには他の作曲家の曲を選ばなくてはいけない。そんな選択の失敗をした上に、その曲に期待をかけて聴いたのがさらに気分を落ち込ませた。
 その前に、茨木のり子の詩集を購入して読んだ。これは特に私の意識が「退行している」というふうに思ったり、そのきっかけになったとはとても思えない。問題はその後から起きた。
 なんとなく戦後の詩を読んでみたいと思いながら本棚を覗いていたら昨日取り上げた和泉式部集が目に入った。何気なく開いた頁からいくつかの作品を抜き出してみたが、わずか10首に目を通しただけで、もう気分がそこから離れてしまう。根気がないといえばそれだけの話かもしれないが、執着心がまるで湧いてこない。いくつかをまとめて、今の気分に沿って私なりに何を読みこんだか、まとめようとする気分がどこか遠くへ飛び去ったように感じた。開いた頁から次の頁へ移ろうとする意欲ない。
 これは変だ、と少し慌てた。
 そういえば、横浜駅にある広い有隣堂の書籍売り場ではいつもゆっくりとぶらついて、本の表紙の洪水に身を浸しているのが好きである。その行為に最近ゆとりがない、と思い当たった。ここの文庫本ので一冊ぱらっとめくり、料理本のコーナーまで足を伸ばし目次だけを見て立ち去る。書店を離れて周囲を一周してからこんどは海外旅行の本のコーナーで手に取ってページも開かずに元に戻す。こんなことを短時間で繰り返している自分を思い出した。
 本日も、自宅の本棚の前に立って右往左往している。落ち着きがない。そんな自分を呆れてみている自分がいる。
 そうこうしているうちに、作品社という出版社が1987年ころに出版した「東京詩集」Ⅰ~Ⅲが目についた。1860年から1986年まで3巻に分けて、鮎川信夫、北村太郎、吉本隆明が「東京」を読みこんだ詩を網羅し、「東京」の経て来た時代を浮かび上がらせようというものである。明治維新、関東大震災、敗戦をそれぞれの画期として整理している。
 1923年から1945年までのⅡの中に、中原中也の詩が掲載されていた。

  干物

秋の日は、干物の匂ひがするよ

外部の舗道しろじろ、うちつづき、
千駄ヶ谷 森の梢のちろちろと
空を透かせて、われわれを
視守る 如し。

秋の日は、干物の匂ひがするよ

干物の、匂ひを嗅いで、うとうと
秋蝉の鳴く声聞いて、われ睡る
人の世の、もの事すべて患(わづ)らはし
匂いを嗅いで睡ります、ひとびとよ、

秋の日は、干物の匂ひがするよ
    (未完詩編、1930)


 この詩に、私の「退行」する意識と重なるように思えた。視覚、嗅覚、味覚、聴覚の微妙な変化に、自分の意識の変化や、意識の現在を見ることが、人間の特質かもしれない。さらに飛躍して社会の変化の兆しや社会の現在をも感じ取ってしまうという、錯覚に近いことまでする。これは人間の特質というよりも本質ともいえる。
 ここで中也は「干物の匂い」を懐かしく慣れ親しんできたものとして感受している。
 「匂い」は、「人の世の、もの事すべて患らはし」と感じて「うとうとと睡」る行為に繋がる契機となっている。睡っている空間には「秋蝉の鳴く声」がやさしく充満している。
 下町の住宅地の真ん中ならばいざしらず、外苑の舗道、千駄木の森の秋の日ざしに干物の匂いをかぎ分けるというのはかなり鋭敏な嗅覚である。あるいは微かな匂いは、現実ではなくとも感覚として匂った気分になる。病とは言えずともよくある幻覚の一種とも考えられる。喧騒を離れた都会の一隅に生活の匂いを引きづる意識を、分析したくなる衝動を感じるのはこの詩に対する誤解なのだろうか。

 私は、いわゆる腐臭以外の匂いにはとても鈍感なので、匂いがこのように何かの意識の変化の象徴になるということはない。しかし、視覚・聴覚というのは「なるほど」と思うことはある。若干の味覚もひょっとしたらあり得ると思う。私の場合は味を感じなくなるということで、精神状態の変化を感得しているかもしれない。

 慣れ親しんだ感覚に身を浸して、退行する意識の回復への道行をはかる、というのは本能に近い行為であるかもしれない。退行する意識の回復には論理的分析や、外部からのカンフル剤は効果がない。それは毒にも近いものである。「病」へと進展させてしまうものでもあると思う。
 自然の発するさまざまな音や、聴き慣れた音楽。自然のもつ色彩や景色・景観や、親しんだ美術等々に身を浸す行為は、意識の回復のための無意識の選択であろう。

 さて、今回の私の退行する意識には、何が相応しいのだろうか。