Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

和泉式部の歌から

2016年07月21日 21時02分54秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 先日石垣りん詩集を読み、今週は茨木のり子詩集に目を通した。そういえば、女性の詩というのは普段あまり読むことがないような気がする。
 最近、その音の豊かさに再度認識を新たにしたチェロの曲を聴いても頭にすんなり入ってこないし、少々お疲れモードかと思い、気分転換が必要かと感じている。

 そんな想念と関係があるのか、ないのか、先ほどふっと今の本棚を覗いて、「和泉式部日記 和泉式部集」(新潮日本古典集成)を手に取った。特に何を読みたいと思ったわけではないのだが、時々はこのような古典に眼を通したくなることは昔からの習性である。相聞の歌というのは、相聞としてではなく鑑賞することもできる。それは自由でもあり読む人の勝手でもある。そして何の気なしに開いた頁から眼をとおしてみた。
 高校の古典の授業や入学試験での回答のように解釈する必要などさらさらない。世の中の風刺と社会状況に対する構えとして読んでもだれも咎められることはない。相聞歌だからこそそのような読み方もできるともいえる。

★惜しとおもふ 折りやありけん ありふれば いとかくばかり 憂かりける身を
★夕暮は さながら夢に なしはてて 闇てふことの なからましかば
★いづれをか 世になかれとは かおもふらん 忘るる人と 忘らるる身と
★世の中に あやしきことは いとふ身の あらじとおもふに 惜しきなりけり
★ものをのみ おもひしほどに はかなくて 浅茅が末に 世はなりにけり
★世の中は いかになりゆく ものとてか こころのどかに おとづれもせぬ
★たちのぼる けぶりにつけて おもふかな いつまたわれを 人のかく見む

ベートーベン「チェロ・ソナタ全曲」

2016年07月21日 16時07分54秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 昨日に続いて、ヨーヨー・マのチェロ、エマニュエル・アックスのピアノでベートーベンのチェロ・ソナタを聴いているのだが、どうも頭に入ってこない。
 幾度もこのCDは楽しく聴いているのに、今回は心地よく聴こえない。チェロの音色が自分の好みとは違うように思える。こんなはずではなかった、という感じがする。ソナタだけでなく、「魔笛」の主題による変奏曲も同様。
 多分、これは別の日にあらためて聞いた方が良さそうである。ということで、今回は感想は無しにして、CDの表紙だけを掲げることにした。
 頭の中が少しお疲れ気味かもしれない。

昨晩からの雨

2016年07月21日 09時03分03秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨晩の雨の区域は次第に広がり、深夜には神奈川県全体に雨の区域が拡がった。強い雨の区域は神奈川県西部に移り、真鶴・湯河原では大雨・洪水警報が出ている。次第に南西から北東に広がっている。風はほとんど感じられなくなった。横浜市内の雨は時間雨量5ミリ未満の静かな雨である。雨の強さ、風の強さ、風の方向等変化の激しい雨の日であった。

 朝目が覚めると雨が引き続き降っている。昨晩就寝時よりも強めである。レインアイよこはまの表示では10ミリ未満の雨となっている。

 策瓶聴き始めたベートーベンのチェロソナタ。ベートーベンの音楽というのは、どうも雨の夜にはどうも合わないような気がする。静かな雨でも、強い雨でも、似合わないと私の心の中では断定してしまっている。

 本日は10時から「源平盛衰記」の購読の講座。8回の内の7回目。

 天気予報では終日雨模様となっている。気温も昨日に比べかなり低くなるようだ。傘をさしながら出かけるのは面倒だが、寝ているわけにはいかない。

ベートーベン「チェロ・ソナタ#1~#5」

2016年07月20日 23時26分08秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 聴いている2枚組のCDはヨーヨー・マのチェロ、エマニュエル・アックスのピアノの演奏で、1981年から85年にかけての録音である。チェロソナタのほかに「「魔笛」の主題による7つの変奏曲」と同じく「12の変奏曲」が収められている。
 実はこのCDはずいぶん聴いていると思う。バッハやブラームスなどのチェロの響きとはずいぶん違うような気がする。単に作曲者が違うというのではなく、チェロという楽器の特質の捉え方の差が、こんなにも響きの違いに現われるのか、という感じがする。
 本日一枚目、第1番、第2番、第4番を聴き始めたばかり。感想は後日記してみたい。



突然の強い雨

2016年07月20日 21時20分20秒 | 山行・旅行・散策
 19時15分位から突然に強い雨が降り出した。雷注意報は17時ごろに発表となっていたが、こんなに強い雨が降るとは想像もしていなかった。また雷はなっていない。
 「レインアイよこはま」を見ると私の家の周囲では時間雨量80ミリ未満の表示となっている。降っているところは横浜市の中心部から北部にかけてのごく狭い範囲である。北からゆっくり雨の区域が南下しているが、20時現在どうも私の家の付近で停滞してしまっている。
 20時を過ぎたあたりからようやく小降りになり始めた。しかし三鷹市あたりからいくつかの雨の区域が南下しており、このまま雨が上がるようには思えない。しばらくはこの雨が続きそうである。
 さらに風が強くなってきた。樹々の梢を揺らし始めた。雨の音と、木の葉の音が微妙に混ざり合っている。気温は下がってきているようだ。

 昼間、蒸し暑かったが、講座が正午に終わった後、みなとみらいから関内駅まで歩き、年金の手続きを済ませた。再び関内駅から横浜駅まで歩き、家電量販店と本屋をまわってから再び家までウォーキング。約1万8千歩。汗はかいたもののすっきりとした気分にはならず、深夜に再度5千歩ほど歩こうとしていたがこの雨が続きそうなので断念。汗で湿った服を妻がもう洗濯を始めてしまった。たとえ雨が上がったとしても、また汗をかくようなことをしてはご機嫌を損ねかねない。
 スマホの歩数計はいくらやっても動かないので、使用を断念。別のアプリをインストールすることにした。このスマホの歩数計はもう4年は使っている。別途購入した歩数計と極めて近い数字を示してくれている。2万歩歩いても差が100歩ほどということもあった。差が多くても1万歩で500歩であったので、二つを併用していた。残念である。

茨木のり子の詩より

2016年07月20日 19時39分28秒 | 読書
 「茨木のり子詩集」から目についた作品をふたつ

  倚りかからず

もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある

倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ



  みずうみ

〈だいたいお母さんてものはさ
 しいん
 としたとこがなくちゃいけないんだ〉

名台詞を聴くものかな!

ふりかえとる
お下げとお河童と
二つのランドセルがゆれてゆく
落葉の道

お母さんだけとはかぎらない
人間は誰でも心の底に
しいん静かな湖を持つべきなのだ

田沢湖のように深く青い湖を
隠し持っているひとは
放すとわかる 二言 三言で

それこそ しんと落ちついて
容易に増えも減りもしない自分の湖
さらさらと他人の降りてはゆけない魔の湖

強要や学歴とはなんの関係もないらしい
人間の魅力とは
たぶんその湖のあたりから
発する霧だ

早くもそのことに
気づいたらしい
小さな
二人の
娘たち


明日は10時から講座

2016年07月19日 23時36分37秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 あすの講座は「知っておきたいルネッサンス美術の魅力」(講師:三沢恵子美術Academy&School講師)。入門編の講座であるはずだが、基本的なことを知らない私は幾度も聞かないと忘れてしまう。
 講師の方の講座は幾度も聴いているが、楽しい講座である。

 やはりいくら聞いても、覚えていることよりも忘れることの方が多い。基本的なことほど幾度も聞きたいものである。



歩数計が動いていない

2016年07月19日 21時51分57秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日の歩数を確認しようとしたら、スマホの歩数計がまったく動いていなかった。どのように設定し直しなどをしても動かない。時計の歩数計は明らかに違う数値を表示をするので信用していない。別途調達した歩数計と今回動いていない歩数計は2万歩歩いても100歩から150歩ほどしかちがわないので信用していた。
 アンインストールして再度インストールしても表示されない。困ったものである。明日またインストールし直してみることにした。

 本日は実にいい天気であった。曇りの予報だったが、曇り時々晴れくらいの実態だと感じた。正確な予報は難しい。明日以降どのような天気なのであろうか。


「茨木のり子詩集」(岩波文庫)を購入

2016年07月19日 06時27分00秒 | 読書
 1時前に、微かに雨が道路をわずかに濡らす程度にパラついた。強い雨が降るとのメールが着信したものの、レーダーの画像を見る限り、1ミリ程度の雨の区域が来た。500メートルも離れたところでは5ミリ程度の雨か降ったようだ。
 この微かな雨が通り過ぎる間、遠くで盛んに雷が鳴っていた。さいわい何事もなく雷の音は聞こえなくなった。
 朝の6時までの降水確率は40~50%位になっている。それ以降は曇となっていた。朝から出かけるので、雨は降らないで欲しいのだが‥。傘を持ち歩きたくない。



 昨日は「花音朗読コンサート#12」で茨木のり子の詩の朗読を聞いた。茨木のり子の詩はこれまで読んでこなかったので、夕方有隣堂で岩波文庫の「茨木のり子詩集(谷川俊太郎選)」を購入した。756円。さっそく年譜に目を通した。明日は別の文庫本をリュックに入れてあるので、これを読む予定はない。いつ読むかが問題である。
 妻は、死後に刊行された「歳月」から朗読の在った7編は印象に残ったようだ。

港の見える丘公園から元町・中華街へ

2016年07月18日 23時09分44秒 | 山行・旅行・散策
               

 県立神奈川近代文学館の「花音朗読コンサート#12」の終了後、港の見える丘公園の花壇を散策。百合の花が満開の見頃であった。丘を下り、元町を散歩して中華街まで歩いた。中華街の入口にある四五六飯店別館で早目の夕食を食べた。



 1500円のセットを2人前注文したが、二人ではとても食べきれなかった。二人共食べる量が減ったと思われるが、出される量ももともと多かった。ひとり分から提供してもらえたので、簡単な点心をひとつとこのセット一人分でも十分だったかもしれない。また私は生ビールの次にウィスキーのハイボールを注文したが、とてもアルコール度が高く、お得であったがそれだけですっかり酔ってしまった。
 膨れてしまったお腹を抱え、千鳥足でやっと関内まで歩いた。途中横浜駅で買い物につきあい帰宅。

 初めてスマホのカメラ用の接写レンズを使ってみた。×10というタイプしかなかったのでかなり近づかないとピントが合わない不便さがあるが、それなりに使えるようである。もう少し距離を取って写せるレンズの方がありがたい。×3~×5位がありがたいのだが‥。


花音朗読コンサート#12

2016年07月18日 20時24分59秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 本日は県立神奈川近代文学館で行われた「花音朗読コンサート#12 茨木のり子 生誕90年・没後10年記念~ひとりの女流詩人が残したもの~」に参加した。
 茨木のり子の詩は初めての体験である。生前に刊行された8つの詩集からそれぞれひとつずつ計8つの詩の朗読が前半。休憩後茨木のり子が戦後すぐに作った童話「貝の子プチキュー」の朗読、そして没後に刊行された「歳月」から7つの作品の朗読が行われた。
 各詩の朗読の合間にはピアノの演奏が挟まり、楽しく、また十分に作品を味わいながら鑑賞することが出来たと思う。

 わたしが一番きれいだったとき  (「見えない配達夫」より)

わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 街で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しかしらなくて
きれいな眼差だけを残し皆発っていった

わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った

わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた

わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった

だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように
              ね

 自分の感受性くらい     (「自分の感受性くらい」から)

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにするな
なにもかも下手だってはわたくし

初心消えかかるのを
暮しのせいにするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいなはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ



 優しい言葉がつながり、取り立てて注釈などいらない詩である。畳みかけるように連なることばはしかし作者自身に突き刺さるように、強さがある。自分に厳しい詩人の在り様が十分に伝わってきた。
 これを機に茨木のり子の詩に少し触れてみようかと思った。

フォーレ「小品集、前奏曲集、ヴァルス・カプリス」

2016年07月18日 10時14分51秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 ジャン・ユボーのピアノによるフォーレのピアノ作品全集の4枚目を聴いている。これまで漫然と2~3回だけ聴いてそのまま聴くことのなかった4枚目だが、本日はこれを聴いている。収録されている曲は「小品集全8曲 作品84」、「前奏曲集全9曲 作品103」、「ヴァルス・カプリス全4曲 作品30~62」、「マズルカ 作品32」。いづれもなかなかいい作品だと感じた。
 小品集は第8曲目が夜想曲第8番と同じ曲ということである。統一性を追求した曲集というよりは、異なる時期に作られたものを集めた曲集であるらしい。
 前奏曲集は解説書によれば、ドビュッシーの「前奏曲集第2巻」と同時期に作られたが、和声も語法もまったく別物、ということらしい。第2から第4までの3曲は舟歌の書法・様式ということである。また配列にも配慮があり、ひとつのまとまった作品としてとらえることが出来るそうである。確かにひとつひとつの曲が変化に富んで、さまざまなピアノの表情を見せてくれる。
 ヴァルス・カプリスとは不思議な名である。ワルツでかつ同時に奇想曲ということらしい。確かにショパンやウィーン風のワルツとはまったく趣きを異にする。ワルツというよりは奇想曲=カプリスである。解説では前2曲と後半2曲では趣も構成も違いがあるとのこと。作曲の時期もフォーレの作品時期の第1期と第2期に分かれている。


今年初めてのセミの声

2016年07月17日 21時24分00秒 | 天気と自然災害
 本日は私の住む団地で初めてセミが鳴いた。今まで聴き洩らしていたのかもしれないので、私の耳に入ったのが初めて、という風にしておこう。多分ニイニイゼミだと思うが、私はどうも蝉の鳴き声の判別が苦手である。ミンミンゼミとツクツクボウシは分るのだが‥。

 私の団地は大きな樹木が多いため、周囲に比べて春はウグイス、夏は蝉、秋は虫の声がとても目立つ。嬉しい限りである。
 蝉が季節を察知する能力は、かなり正確であるといわれる。梅雨明けと同時に鳴き始める蝉が、圧倒的に多数であることは経験的にも知っている。この蝉はもう梅雨明けと判断したのだろうか。残念ながら天気予報はこれから1週間はぐずつくとなっている。

 さて、蝉と天気予報とどちらに軍配が上がるであろうか。

横浜でも震度4

2016年07月17日 18時16分48秒 | 天気と自然災害
 昨夜22時過ぎの秋田県八幡平付近の地震は深さが10キロ未満ということで、火山との関係を一瞬疑ったが、それは杞憂であった可能性が高かったようだ。
 そんなことが頭に残っているうちに、本日の昼過ぎ13時28分に茨城県南部付近で震度4の地震が発生した。横浜の私の住んでいる地域も飛び地のように深度4が表示された。
 出かけようとする直前で、椅子に座ってボーッとしていたら、妻が「地震」といった。鈍い私はその縦揺れには気がつかず、数秒後の横揺れから地震であると感知した。
 それほどの揺れには思えず、震度3の表示位かということと、揺れの鋭さを感じなかったのでいつものとおり茨城県南部あたりか、反対の伊豆半島ないし最近多い八丈島近辺を想定した。しかし八丈島や伊豆半島ならば震源の深さは浅い可能性があり、横揺れがそれなりに持続したことと大きかったことから、浅い地震とは違うように感じた。
 出かけるのを遅らせてテレビ画面とスマホの情報メールを待っていたら茨城県南部で深さ40キロと表示された。一応想像が当たっていた。この場所は地震の巣であり、繰り返し深度5強くらいの地震が発生している。大きな揺れとならなければありがたいのだが。
 しかし震源にここより近い東京や川崎が震度3、さらに横浜市域全体も震度3以下で私の住む場所だけ深度4というのに驚いた。そしてそれほどの揺れとは思わなかった。
⇒【http://www.jma.go.jp/jp/quake/20160717132843395-171324.html


伊藤若冲「花鳥蔬菜図押絵貼屏風」

2016年07月17日 11時03分14秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


今回も「若冲と蕪村」展の図録から。昨日取り上げた「蔬菜図押絵貼屏風」よりは36年も早い1760年、45歳の同じく水墨画作品。高さ138センチ余、巾50センチであるから幅は広いが高さが低い。
 つい二つを比べてしまうが、大きな違いは晩年の作が蔬菜だけなのにこれは花鳥が描かれている。描かれているのは、右双の右から白梅、松と小禽、藤と鶏、柳と叭々鳥、竹と鶴、南瓜、左双の右から蓮、秋海棠、菊、鴛鴦、水仙、柏の木と鷹、となっている。
 晩年の策が仏画に近い性格なのに対して、これは古来からの水墨画の題材を描いている。晩年の大胆な題材ではない。黄檗僧の鶴亭の影響を受けた作品とのことである。
梅や松、鷹などは強い筆使いであるが、晩年の作品のように対象をひとつに絞って、それだけを描くのではないので、両者を比較すれば散漫に見える。
 ただし構図や配置の仕方、余白の在り方が私の好みである。鶴亭の作品も展示されていたが、大胆に画面いっぱいに描かれていて少し窮屈に感じた。