すいぶんと時間がかかってしまったが、ようやく読了。いつものように覚書として。
「将軍は四季を通じて思うままに鷹狩に興じ、大名たちは邸宅内に所狭しと珍鳥を集め、飼鳥する。巷では舶来の植物や鳥類の育て方を指南する書物が飛ぶように売れ、民衆は春は総出で花見に遊び、木戸銭を払っては〈奇獣〉の見世物小屋へと足を運ぶ労を惜しまない。それぞれの動機や興味は異なるもの、自然物を無条件におもしろがり、愛で、楽しむということが、‥江戸時代にはあらゆる階層の人々の生活の中にあった」
「江戸時代の博物学や植物図譜の輝きは「近代化」の三文字の上に、歴史の隅へと追いやられた。して自然科学研究の急速な発展は、最終的には江戸の科学=「博物学」を過去の遺物として貶め、「博物学」だけが持ち得る、多くの豊かな世界観を打ち消したのだった。この〈江戸時代博物学〉の否定は、そのまま〈江戸博物図譜〉の忘却へとつながり、そこに展開された科学と美術・芸術との、深く親密な連携の様相とその美しさを私たちは長い間しることもなく過ぎてしまった」
「ゴンクールが歌麿の花鳥に深い共感を得たり、クリストフル社の職人が真剣に日本の「禽鳥帖」を写し取ろうとした背景には〈博物学〉と、それを応用し成熟させる美術が、確かに根付いている社会が存在していた」
「18世紀以降、江戸の人々が熱狂的に西洋の博物書を手に入れ、模写しようとしたのかがわかる。それは繰返すまでもなく、西欧が「大博物学の時代」を迎えていたその時、極東の江戸の地もまた〈江戸博物学〉の爛熟の時代を迎えていた。〈博物学〉という、「共時的む文化の
中に生まれた〈博物図譜〉という絵画は自然界を理解する「視覚言語」として、給与得されるべきものとして存在」した」
「明治維新を境に、日本人は‥〈江戸博物学〉という一つの文化遺産を、歴史の中に置き去りにしてしまった。‥〈江戸博物学〉と〈江戸博物図譜〉は‥そのせいようからの光が当てられることによって、歴史的意味をいきいきと語り出す。江戸という時代の特異な〈過去の遺物〉ではなく、「自然と人間」あるいは「科学と芸術」という、時代や地域を超えて、美術において普遍的に追及されるべき重要なテーマを担い、私たちの前にそれを率直に提示している」
江戸時代中期以降の「博物学」的な絵画を、江戸時代のさまざまな文化・芸術・芸能にも言及しながら幅と奥行き深く論じている。
小野田直武の位置付けから狩野派、大名間の鳥を中心とした博物学の流行、鷹狩の文化史的位置付け、花鳥図の浮世絵版画などなど興味は尽きなかった。
私がとりわけ注目したのが、歌川広重の花鳥画。俳諧が添えられた作品は多数が図版として掲載されている。どれもが魅力的である。これは是非彩色された図版で、まとめて見たいものである。
昨日は夕方から楽しく宴会。帰宅したのは23時。雨が降るかもしれないというので小さな折畳傘をリュックに入れていったが、使わずに済んだ。
お蕎麦屋さんを借り切った宴会だったが、定休日にもかかわらず対応してくれたという。私も現役時代には何度かお昼に食べに入った懐かしい店である。お蕎麦はとても美味しい。しかし昨日はそのお蕎麦は出なかった。煮物など美味しいものがたくさん出てきた。蕎麦焼酎を割る蕎麦湯は、前の日に用意をしてくれていたようだ。
今度久しぶりに、お昼過ぎに寄ってみたい。
結局近くの店で6人で二次会、野毛まで出向いて三次会まで付き合ってしまった。
作っていった亡くなった方のミニアルバムと遺影はとりあえずは好評だったので、ホッとしている。
お蕎麦屋さんを借り切った宴会だったが、定休日にもかかわらず対応してくれたという。私も現役時代には何度かお昼に食べに入った懐かしい店である。お蕎麦はとても美味しい。しかし昨日はそのお蕎麦は出なかった。煮物など美味しいものがたくさん出てきた。蕎麦焼酎を割る蕎麦湯は、前の日に用意をしてくれていたようだ。
今度久しぶりに、お昼過ぎに寄ってみたい。
結局近くの店で6人で二次会、野毛まで出向いて三次会まで付き合ってしまった。
作っていった亡くなった方のミニアルバムと遺影はとりあえずは好評だったので、ホッとしている。
長雨の影響だろうか、私の住む団地でも蝉以外の虫の姿を見かけることが多くなったようだ。
先日はイラガの幼虫である毛虫を見つけた。わずか2センチほどの毛虫であるが、イラガはかなり毒性が強い。大量発生ではないが、5~6匹がいた。集団でいるのではないかと付近の樹木を丹念に探したが、さいわいなことに今のところたくさんついている樹木は見つからなかった。
このような毛虫がいると、チャドクガなどの発生も考えておかねばならない。
またいつもよりアシナガバチの巣も多いようだ。
イラガは私は初めて目にした。観察する分にはそれなりに愛嬌がある。動きも活発で見ていて楽しくなる。しかし触るとかなりの痛みが数日続くといわれる。チャドクガは現役時代に何度か毛を飛ばされて炎症をおこしたことがある。作業衣についていた毛を上から触ってかぶれたこともある。
最近の子どもは毛虫を見て、怖がって見ることもできない子も多いという。一方で見ているうちに手を差し伸べて触ってしまう子も多いらしい。虫に対する親和性が欠如している子どもがいる一方で、虫に対するそれなりの警戒感がない子も多いそうだ。毛虫に対する認識は両極端なのであろうか。
先日はイラガの幼虫である毛虫を見つけた。わずか2センチほどの毛虫であるが、イラガはかなり毒性が強い。大量発生ではないが、5~6匹がいた。集団でいるのではないかと付近の樹木を丹念に探したが、さいわいなことに今のところたくさんついている樹木は見つからなかった。
このような毛虫がいると、チャドクガなどの発生も考えておかねばならない。
またいつもよりアシナガバチの巣も多いようだ。
イラガは私は初めて目にした。観察する分にはそれなりに愛嬌がある。動きも活発で見ていて楽しくなる。しかし触るとかなりの痛みが数日続くといわれる。チャドクガは現役時代に何度か毛を飛ばされて炎症をおこしたことがある。作業衣についていた毛を上から触ってかぶれたこともある。
最近の子どもは毛虫を見て、怖がって見ることもできない子も多いという。一方で見ているうちに手を差し伸べて触ってしまう子も多いらしい。虫に対する親和性が欠如している子どもがいる一方で、虫に対するそれなりの警戒感がない子も多いそうだ。毛虫に対する認識は両極端なのであろうか。
朝から好天気であった。熱中症予防注意報、高温注意情報などのメールも届いた。最高気温31℃の予想も33℃まで予想値は高くなっている。しかし午後になって、文字通りに雲行きが怪しくなってきた。現在は空一面の雲で覆われている。時間当たり5~15ミリの雨が降る、というメールも来た。次第に湿度が高くなっているのがわかる。一方で光化学スモッグ注意報も発令されたばかり。
これから出かける予定。友人との暑気払いを兼ねて亡くなった方を偲ぶ集まりに参加する。
帰宅は遅くなりそう。
これから出かける予定。友人との暑気払いを兼ねて亡くなった方を偲ぶ集まりに参加する。
帰宅は遅くなりそう。
昨晩NHKのテレビ番組でショパンの「舟歌」を聴いた。演奏はアンヌ・ケフェレックという演奏者だったのだが、私のイメージとは随分違って聞こえた。旋律が低音に紛れて浮かび上がってこない。そしてとても激しい。目いっぱいにピアノを鳴らしている。
むろん私のイメージの舟歌が正しい、というのではない。私の「舟歌」、それもショパンのそれはより抒情的でなくてはいけない。確かにジョルジュサンドとの破局を間近にした時期の曲だから曲の後半には盛り上がりもある。だが、あんなにも大きな音で、激しく弾いては舟歌としての息の長い揺れる旋律、寂寥感に満ちたイメージは生きてこない。
ピアノというのは左右の手の音のバランスと、旋律の音を如何に浮き上がらせるのか、というのが大きな課題だと私は思っている。
私が持っているショパンの「舟歌」はアシュケナージの演奏による1976年の演奏しかない。本当はルービンシュタインならどのように演奏したのか、とても興味があるが、所持していない。
今朝になってこのアシュケナージの「舟歌」を聴いて、ホッとしている。
せっかくこのCDを出して来たので、ショパンの「ピアノ・ソナタ第1番、子守唄、3つのエコセーズ、華麗なる変奏曲」も合わせて再び聴いている。
少し涼しさを感じる朝にはいいCDだったようだ。
むろん私のイメージの舟歌が正しい、というのではない。私の「舟歌」、それもショパンのそれはより抒情的でなくてはいけない。確かにジョルジュサンドとの破局を間近にした時期の曲だから曲の後半には盛り上がりもある。だが、あんなにも大きな音で、激しく弾いては舟歌としての息の長い揺れる旋律、寂寥感に満ちたイメージは生きてこない。
ピアノというのは左右の手の音のバランスと、旋律の音を如何に浮き上がらせるのか、というのが大きな課題だと私は思っている。
私が持っているショパンの「舟歌」はアシュケナージの演奏による1976年の演奏しかない。本当はルービンシュタインならどのように演奏したのか、とても興味があるが、所持していない。
今朝になってこのアシュケナージの「舟歌」を聴いて、ホッとしている。
せっかくこのCDを出して来たので、ショパンの「ピアノ・ソナタ第1番、子守唄、3つのエコセーズ、華麗なる変奏曲」も合わせて再び聴いている。
少し涼しさを感じる朝にはいいCDだったようだ。
★吊革に手首まで入れ秋暑し 小路紫峡
★紙切って鋏おとろふ秋暑かな 片山由美子
吊革に手首までいれて吊革にぶら下がる仕草。この乗客は暑さにまいっているのだろう。吊革にぶら下がるさまは夏や残暑の候に限らず、冬でも新年でも春でも見かける。しかし湿気の多い暑さに耐え、何とか秋口まで我慢したものの、ぶり返しの暑さにまいってしまったのでろう。電車の中で立っているのだから、それなりに混雑している車内、それも夕方の帰り際とは思えない。朝の通勤時か、仕事中のようすだと思う。車内のクーラーはきっと効いていない。あるいはお盆の帰省、家族サービスで疲れてしまった勤め人と想像を広げられる。
長年使っていた鋏の切れ味のちょっとした変化に残暑の暑さを結びつけた。根拠はないが、どこかで納得してしまう。鋭利な切れ味の鋏も、暑さで刃がなまってしまった。冷たい光が刃には残されていない。それは多分鋏を使う人の疲れ、だるさの反映である。
★紙切って鋏おとろふ秋暑かな 片山由美子
吊革に手首までいれて吊革にぶら下がる仕草。この乗客は暑さにまいっているのだろう。吊革にぶら下がるさまは夏や残暑の候に限らず、冬でも新年でも春でも見かける。しかし湿気の多い暑さに耐え、何とか秋口まで我慢したものの、ぶり返しの暑さにまいってしまったのでろう。電車の中で立っているのだから、それなりに混雑している車内、それも夕方の帰り際とは思えない。朝の通勤時か、仕事中のようすだと思う。車内のクーラーはきっと効いていない。あるいはお盆の帰省、家族サービスで疲れてしまった勤め人と想像を広げられる。
長年使っていた鋏の切れ味のちょっとした変化に残暑の暑さを結びつけた。根拠はないが、どこかで納得してしまう。鋭利な切れ味の鋏も、暑さで刃がなまってしまった。冷たい光が刃には残されていない。それは多分鋏を使う人の疲れ、だるさの反映である。
天気予報どおりとても暑い陽射しであった。しかし実際のところ最高気温は昨日よりも0.2℃低かったとのことである。
このように高い気温の予報が外れるのはありがたい。予報どおり台風がきたり、悪天候となるのがありがたくないのと同じ心境である。悪影響の無い方に予報は外れてもらいたいものである。
本日の午後は労働組合の会館の退職者会のコーナーの整理整頓日。事務局の3人で片付けを行った。何年かぶりなので書類がそれなりに溜まってしまった。机の周りと戸棚をきれいにして広めのスペースを確保できた。パソコンとプリンターを購入して事務作業ができるようにしていきたい。
明日は夕方から退職者会のあるブロックの暑気払いにご招待を受けた。そのかわりといってはいけないかもしれないが、亡くなった方のミニアルバムを作成して持参することになった。参加人数分プラスαのミニアルバムはすでに出来上がった。アルバムといっても無くなった方が写っている写真を7枚ほど貼り付けてA5で6頁だけだが、それでも思い出にはなる。
このように高い気温の予報が外れるのはありがたい。予報どおり台風がきたり、悪天候となるのがありがたくないのと同じ心境である。悪影響の無い方に予報は外れてもらいたいものである。
本日の午後は労働組合の会館の退職者会のコーナーの整理整頓日。事務局の3人で片付けを行った。何年かぶりなので書類がそれなりに溜まってしまった。机の周りと戸棚をきれいにして広めのスペースを確保できた。パソコンとプリンターを購入して事務作業ができるようにしていきたい。
明日は夕方から退職者会のあるブロックの暑気払いにご招待を受けた。そのかわりといってはいけないかもしれないが、亡くなった方のミニアルバムを作成して持参することになった。参加人数分プラスαのミニアルバムはすでに出来上がった。アルバムといっても無くなった方が写っている写真を7枚ほど貼り付けてA5で6頁だけだが、それでも思い出にはなる。
横浜では昨日は34.8℃であった。本日は気温はさらに高くなるという予報が出ている。昨日1000円の理髪店に行った。あまりの暑さに思い切って短くしてもらった。左右と後ろは3ミリのバリカンで刈り上げるのはいつものことである。昨日は思い切って前と天辺もバリカンで借り上げてもらった。この部分は最大で10センチ近くあった。これを15ミリの長さに揃えてもらった。
前と天辺は髪はまばらで、生えているのもぼ白髪で髪は細い。しかしこの長さでは横に寝ないので、短く刈った芝生のようにまっすぐ上に飛び出ている。とても上品とはいえず、美しくもない。そして汗が一瞬でもとどまることなくそのまま顔にながれてくる。かえって暑いのだそうだ。だが、気分的にはとても涼しく感じる。
本当は全体を3ミリのバリカンで短くしてもいいのだが、それでは妻が嫌がる。嫌がっても短くしてしまえば、妻としてはどうしようもないのだが、そこまでは嫌われないように遠慮している。
不思議なもので耳のすぐ上から後頭部にかけての一帯は髪の勢いは良いそうで、そこだけは伸びるのも早い。髪の伸び方にも場所によって差があると理髪店で云われた。まだ1000円の理髪店がないころに職場の近くの店での指摘であった。
今回かなり短くしたのに、帰宅後も妻は何も言わない。髪を切ったことに気づいていないようだ。どうも私の髪の毛などまったく気にしてはいない、眼中にないように見える。
前と天辺は髪はまばらで、生えているのもぼ白髪で髪は細い。しかしこの長さでは横に寝ないので、短く刈った芝生のようにまっすぐ上に飛び出ている。とても上品とはいえず、美しくもない。そして汗が一瞬でもとどまることなくそのまま顔にながれてくる。かえって暑いのだそうだ。だが、気分的にはとても涼しく感じる。
本当は全体を3ミリのバリカンで短くしてもいいのだが、それでは妻が嫌がる。嫌がっても短くしてしまえば、妻としてはどうしようもないのだが、そこまでは嫌われないように遠慮している。
不思議なもので耳のすぐ上から後頭部にかけての一帯は髪の勢いは良いそうで、そこだけは伸びるのも早い。髪の伸び方にも場所によって差があると理髪店で云われた。まだ1000円の理髪店がないころに職場の近くの店での指摘であった。
今回かなり短くしたのに、帰宅後も妻は何も言わない。髪を切ったことに気づいていないようだ。どうも私の髪の毛などまったく気にしてはいない、眼中にないように見える。
中学2年の後半になったとき、国語の教師が面白いことを言ったのを覚えている。「読んでいいと思った文章は、是非書き写してみる、声に出して読んでみるということをしてみたらいい発見がある」というのだ。
その先生はたしか2学期の最後だったと思うが、クラス全員に課した作文のひとつを読んだ。その内容はもう忘れてしまったが、私の友人の作文であった。たかだか原稿用紙で2枚にも満たない作文の課題だった。しかし確かに中学2年の渡しにも過不足なくまとまった文章だったと記憶している。
その国語の教師は「私も最初この作文はいいと思ったが、どこがいいと具体的にすぐにはわからなかった。だから全部書き写してみた。次に声に出して朗読してみた。ようやく、この作文のいいところが具体的にわかった」といって、その個所、また接続詞の使い方のポイントを指摘していた。
私の文章が読まれなかったのは残念だった、という思い以上に私が毎日のように一緒に登下校している友人の文章であったことが、どこか誇らしかった。以来、教師の指摘した言い回しを真似してみたが、うまい作文には仕上がらなかったことも覚えている。
しかしそれ以来気に入った文章、気になった文はときどきメモ用紙に移したりすることをしていた。メモをキチンとノートにとって保管するなどということはしなかった。今でこそすっかりなくなったが、裏に印刷をしていない新聞の折込広告紙をまとめたメモに書き散らして、すぐに捨ててしまう。それでも書き移すという行為には違いない。
学生時代、就職して以降というのはそのような行為はすっかり忘れてしまい、「筆記する」ということから遠ざかったしまった。特にボールペンという力を入れないと書けない筆記具では指と手首に負担がかかって書くのがきらいになった。
キーボードを使うワープロというものが登場して以降、「書く」(というよりも「打つ」)ということが楽になった。ワープロを購入して自宅で使うようになって、時々書き写すことを再びするようになった。ただし打ち出すことはほとんどなく、当時のフロッピーディスクにためておいてそのままにしておいた。
多くの人は「「キーボードを打つ」と「書く」という行為は似て非なるものである」という。確かに漢字は書けなくなるし、脳の思考回路も違うのかもしれないが、それでも、いい文章の核となるところを再度追体験したりするのが簡単である。特にボールペンのように力を入れなくて済む。
中学生のころは鉛筆や万年筆という力をそれほど入れなくとも書きつづけられた筆記具が多かった。今では力を入れなくとも文章を綴ることのできるキーボード入力は、指に優しい。長時間仕事で打ち続けることとの苦痛とはちがう。
また、キーボードを打つ、ということは書くという行為よりは頭には入っていないのかもしれない。だが、他人の文章の秘密に触れ、その核心を追体験するという行為が楽にできるということは、とても楽しいことだとこの歳になって思えるようになった。
ただし、「声に出して朗読する」ということが未だに私は不得手である。人前でしゃべるとは労働組合の役員としてそれなりの鍛えられ方をしたが、文学作品や詩などを朗読するのは、なかなかうまくできない。
もうひとつ、書き写すことは出来ても、いい文章を自分で作るということはやはりまた違うことである、ということも理解した。いつまでたっても自分の文章はくどくて、判りにくい。うまくならない。このことは何とも致し方ない。情けない限りである。
その先生はたしか2学期の最後だったと思うが、クラス全員に課した作文のひとつを読んだ。その内容はもう忘れてしまったが、私の友人の作文であった。たかだか原稿用紙で2枚にも満たない作文の課題だった。しかし確かに中学2年の渡しにも過不足なくまとまった文章だったと記憶している。
その国語の教師は「私も最初この作文はいいと思ったが、どこがいいと具体的にすぐにはわからなかった。だから全部書き写してみた。次に声に出して朗読してみた。ようやく、この作文のいいところが具体的にわかった」といって、その個所、また接続詞の使い方のポイントを指摘していた。
私の文章が読まれなかったのは残念だった、という思い以上に私が毎日のように一緒に登下校している友人の文章であったことが、どこか誇らしかった。以来、教師の指摘した言い回しを真似してみたが、うまい作文には仕上がらなかったことも覚えている。
しかしそれ以来気に入った文章、気になった文はときどきメモ用紙に移したりすることをしていた。メモをキチンとノートにとって保管するなどということはしなかった。今でこそすっかりなくなったが、裏に印刷をしていない新聞の折込広告紙をまとめたメモに書き散らして、すぐに捨ててしまう。それでも書き移すという行為には違いない。
学生時代、就職して以降というのはそのような行為はすっかり忘れてしまい、「筆記する」ということから遠ざかったしまった。特にボールペンという力を入れないと書けない筆記具では指と手首に負担がかかって書くのがきらいになった。
キーボードを使うワープロというものが登場して以降、「書く」(というよりも「打つ」)ということが楽になった。ワープロを購入して自宅で使うようになって、時々書き写すことを再びするようになった。ただし打ち出すことはほとんどなく、当時のフロッピーディスクにためておいてそのままにしておいた。
多くの人は「「キーボードを打つ」と「書く」という行為は似て非なるものである」という。確かに漢字は書けなくなるし、脳の思考回路も違うのかもしれないが、それでも、いい文章の核となるところを再度追体験したりするのが簡単である。特にボールペンのように力を入れなくて済む。
中学生のころは鉛筆や万年筆という力をそれほど入れなくとも書きつづけられた筆記具が多かった。今では力を入れなくとも文章を綴ることのできるキーボード入力は、指に優しい。長時間仕事で打ち続けることとの苦痛とはちがう。
また、キーボードを打つ、ということは書くという行為よりは頭には入っていないのかもしれない。だが、他人の文章の秘密に触れ、その核心を追体験するという行為が楽にできるということは、とても楽しいことだとこの歳になって思えるようになった。
ただし、「声に出して朗読する」ということが未だに私は不得手である。人前でしゃべるとは労働組合の役員としてそれなりの鍛えられ方をしたが、文学作品や詩などを朗読するのは、なかなかうまくできない。
もうひとつ、書き写すことは出来ても、いい文章を自分で作るということはやはりまた違うことである、ということも理解した。いつまでたっても自分の文章はくどくて、判りにくい。うまくならない。このことは何とも致し方ない。情けない限りである。
「日本語の豊かな使い手になるために」(大岡信)より。
いつものとおり、備忘録として‥。
「声をとおさなければ、どんな思想も生きてこないと煎っていいくらいに、声というものは思想を肉体化するうえで重要性をもっている。‥昔、万葉集にあるような歌がうたわれていた時代のことばが、千年以上たったいまも、ぼくらの心を動かす力をもっています。それらは、文字として書かれたものではなく、肉声をとおして歌いつがれてきたものです。それがある時期に筆記された。」
「ぼくたちは漢字かなまじり文に翻訳されたものを活字印刷で読んでいるわけですから、当時の人びととは違うものを見ているわけですが、原作がもっていた力強さ、美しさ、論理性‥‥などといった言語の本質はすべて伝わってきます。‥とすると、万葉集の歌の基本とは、五七五七七というリズムをもったことばである。けっして万葉仮名という文字ではなかった。そのことが学問研究が進むにつれて、‥忘れられがちになってきたように思います。」
いつものとおり、備忘録として‥。
「声をとおさなければ、どんな思想も生きてこないと煎っていいくらいに、声というものは思想を肉体化するうえで重要性をもっている。‥昔、万葉集にあるような歌がうたわれていた時代のことばが、千年以上たったいまも、ぼくらの心を動かす力をもっています。それらは、文字として書かれたものではなく、肉声をとおして歌いつがれてきたものです。それがある時期に筆記された。」
「ぼくたちは漢字かなまじり文に翻訳されたものを活字印刷で読んでいるわけですから、当時の人びととは違うものを見ているわけですが、原作がもっていた力強さ、美しさ、論理性‥‥などといった言語の本質はすべて伝わってきます。‥とすると、万葉集の歌の基本とは、五七五七七というリズムをもったことばである。けっして万葉仮名という文字ではなかった。そのことが学問研究が進むにつれて、‥忘れられがちになってきたように思います。」
本日の午後は光化学スモッグ注意報も出ていた。確かに外はモワッとするような気温で8月では今年初めての気温のように思えた。光化学スモッグ注意報は17時前には解除になったので、再び横浜から歩いて帰ってきた。
あまりの暑さのため、ウォーキングは予定の三分の二ほどで中止。早々に家で冷たいウーロン茶で一服。
霍乱(かくらん)とは今の熱中症をさす言葉。江戸時代の夏に熱中症やいわゆる暑気あたりで激しい下痢や吐き気などの急性の病気をいった。「鬼の霍乱」ということばは、いつもは健康で丈夫な人がめずらしく病気になることをいう。
★霍乱に町医ひた待つ草家かな 杉田久女
★霍乱のひととき雲を追ふ目あり 和田暖泡
第2句、熱中症で斃れた人の虚ろな目に夏の雲が映っているのであろうか。その眼が一瞬だが本人の意思に関係なく動いていた。これは重症だったかもしれないが、今は落ち着いたのであろう。心配して覗き込む視線が真剣である。
あまりの暑さのため、ウォーキングは予定の三分の二ほどで中止。早々に家で冷たいウーロン茶で一服。
霍乱(かくらん)とは今の熱中症をさす言葉。江戸時代の夏に熱中症やいわゆる暑気あたりで激しい下痢や吐き気などの急性の病気をいった。「鬼の霍乱」ということばは、いつもは健康で丈夫な人がめずらしく病気になることをいう。
★霍乱に町医ひた待つ草家かな 杉田久女
★霍乱のひととき雲を追ふ目あり 和田暖泡
第2句、熱中症で斃れた人の虚ろな目に夏の雲が映っているのであろうか。その眼が一瞬だが本人の意思に関係なく動いていた。これは重症だったかもしれないが、今は落ち着いたのであろう。心配して覗き込む視線が真剣である。
ようやく退職者会ニュースの原稿が出来上がった。これから他の役員に送信してから、夕方までに印刷所へ持ち込み(送信)予定。
本日のパソコンはご機嫌が若干よろしいようで、今のところフリーズしたり、変換が止まったり、勝手に指定していない候補に確定してしまったりという不具合は起きていない。
せめて昨日の頻繁なフリーズは止めて欲しかった。
本日、神奈川県内には「高音注意情報」が出ているとメールが来た。今週は気温が高い日が続くとのこと。夏休み最後に、夏休みらしい気温になった。
本日のパソコンはご機嫌が若干よろしいようで、今のところフリーズしたり、変換が止まったり、勝手に指定していない候補に確定してしまったりという不具合は起きていない。
せめて昨日の頻繁なフリーズは止めて欲しかった。
本日、神奈川県内には「高音注意情報」が出ているとメールが来た。今週は気温が高い日が続くとのこと。夏休み最後に、夏休みらしい気温になった。