なかなかいうことを聞かないパソコンをだましだまし使って、ようやく退職者会のニュースの9割を作った。途中でフリーズする画面と苦闘しながら、今までかかった。すっかり草臥れてしまった。これ以上は頭も体力も無理なので、明日、最後の仕上げ。
本日、心電図を取ったのち、医師から「前日に深酒をしなかったか?」と聞かれた。そのとおりだ、と答えると「それが血圧が一時的に高くなった原因」と断定された。確かにアルコールを摂取すると一時的に血管は拡張し、血圧が下がる。
しかしアルコールが切れると今度は血管が収縮し血圧が上がる。通常の適量ならば、それほどのことはないが、深酒をして長い間アルコールの影響が続くと、反動でかなり血圧はあがる。
それは知っていたことだが、医師からは強く「深酒厳禁」を言われてしまった。
残念ながら反論できずに、おとなしく引き下がった。
しかしアルコールが切れると今度は血管が収縮し血圧が上がる。通常の適量ならば、それほどのことはないが、深酒をして長い間アルコールの影響が続くと、反動でかなり血圧はあがる。
それは知っていたことだが、医師からは強く「深酒厳禁」を言われてしまった。
残念ながら反論できずに、おとなしく引き下がった。
本日はいつもの内科で降圧剤を処方してもらった。先日背中の鈍痛があり、血圧が高かったと伝えたら心電図を取ってくれた。異常はないとのこと、取りあえず一安心というところ。
その後は歩いて横浜駅まで行ったものの、横浜駅の西口の地下街はお盆休みで一斉休業。喫茶店でコーヒーを飲みながら読書タイムを確保しようとしたが、やむなく10分ほど歩いたところの別の喫茶店にたどり着いた。しかし読書タイムにはならず、そのままぐっすり寝てしまった。自分の寝息で目が覚めたら1時間ほど経過していた。
混んでいた喫茶店、周囲の人は呆れていたかもしれない。
帰りは神奈川大学のキャンパスまで足を伸ばし、生協でお盆前に注文していた「芸術新潮7月号」を受け取ってから帰宅。話を聞くとCDも割引で注文できるとのこと、今度利用してみることにした。
その後は歩いて横浜駅まで行ったものの、横浜駅の西口の地下街はお盆休みで一斉休業。喫茶店でコーヒーを飲みながら読書タイムを確保しようとしたが、やむなく10分ほど歩いたところの別の喫茶店にたどり着いた。しかし読書タイムにはならず、そのままぐっすり寝てしまった。自分の寝息で目が覚めたら1時間ほど経過していた。
混んでいた喫茶店、周囲の人は呆れていたかもしれない。
帰りは神奈川大学のキャンパスまで足を伸ばし、生協でお盆前に注文していた「芸術新潮7月号」を受け取ってから帰宅。話を聞くとCDも割引で注文できるとのこと、今度利用してみることにした。
作成中の退職者会ニュースの約45%が出来上がった。明日一日と水曜日の午後までに何とか仕上げなくてはいけない。ギリギリである。
毎回のこととはいえ、いつもギリギリでないと出来上がらない。現役時代の仕事のようでもある。
二日続けてかなり歩いたので本日は距離も時間も早さも少な目に歩いた。しかし暑さがもどり、汗の量はあまり変わらなかったかもしれない。
夜のウォーキングも少しだけ。夜空には久しぶりに雲があまりなかった。ところどころに星を見たものの、ちらっと見ただけで気にせず歩いた。
この我が家のパソコン、相変らず、画面の展開が遅くなったまま改善しない。しかも時々画面が固まってしまう。長時間使っていると次第に頻繁に固まってしまう。変な変換結果が勝手に確定してしまう。使いづらいこと甚だしい。友人から Microsoft Edge がおかしいというアドバイスがあるが、どうしたら元に戻るかはわからないという。
毎回のこととはいえ、いつもギリギリでないと出来上がらない。現役時代の仕事のようでもある。
二日続けてかなり歩いたので本日は距離も時間も早さも少な目に歩いた。しかし暑さがもどり、汗の量はあまり変わらなかったかもしれない。
夜のウォーキングも少しだけ。夜空には久しぶりに雲があまりなかった。ところどころに星を見たものの、ちらっと見ただけで気にせず歩いた。
この我が家のパソコン、相変らず、画面の展開が遅くなったまま改善しない。しかも時々画面が固まってしまう。長時間使っていると次第に頻繁に固まってしまう。変な変換結果が勝手に確定してしまう。使いづらいこと甚だしい。友人から Microsoft Edge がおかしいというアドバイスがあるが、どうしたら元に戻るかはわからないという。
昨日ウォーキングの最中に横浜美術館の前を通ると、いつものように噴水で多くの子どもたちが遊んでいた。この水は消毒していません、と表示があるが、だからといって遊ぶのをやめる子はいないし、止める親もいない。
噴水の句は難しい、といわれる。
★噴水のしぶけり四方に風の街 石田波郷
★噴水の内側の水怠けをり 大牧 広
★崩るると見せて噴水立ち上がる 成井 侃
第1句、「風の街」というのがいい。このような爽やかな風景の一方で、今では大きな高層ビルの下に公園に噴水が設置されているところが多い。夏のビル風にあおられて噴水の水が霧のように舞っている。仕事で行き交う歩行者には迷惑施設でもある。ただし見学者である私のような者には、涼しさを呼び込むようで面白い。時々小さな虹もできる。ビル風を計算に入れないセンスの悪い噴水でも、そのマイナスイメージで楽しむことは出来る。
第2句と第3句、これはじっと執拗なくらい観察した句だな、と思う。ただし内側の水も丸いおおらかな光を発するという働きはしている。内側の水と外側に飛び散る水滴の光の違いをキチンと読みこんでいると感じた。「崩るる」と見せるのは外側、立ち上がるのは内側。
噴水の句は難しい、といわれる。
★噴水のしぶけり四方に風の街 石田波郷
★噴水の内側の水怠けをり 大牧 広
★崩るると見せて噴水立ち上がる 成井 侃
第1句、「風の街」というのがいい。このような爽やかな風景の一方で、今では大きな高層ビルの下に公園に噴水が設置されているところが多い。夏のビル風にあおられて噴水の水が霧のように舞っている。仕事で行き交う歩行者には迷惑施設でもある。ただし見学者である私のような者には、涼しさを呼び込むようで面白い。時々小さな虹もできる。ビル風を計算に入れないセンスの悪い噴水でも、そのマイナスイメージで楽しむことは出来る。
第2句と第3句、これはじっと執拗なくらい観察した句だな、と思う。ただし内側の水も丸いおおらかな光を発するという働きはしている。内側の水と外側に飛び散る水滴の光の違いをキチンと読みこんでいると感じた。「崩るる」と見せるのは外側、立ち上がるのは内側。
新聞の原稿作りをしているが、訃報から作り始めた。訃報を書くということは、気は進まない。しかも来月号には訃報がふたつ掲載される。退職者会の新聞なので、訃報が多いのはある意味ではやむを得ないことはわかっているが、私が新聞を編集し始めて前号に続いて訃報が掲載されるということ、しかもふたつというのは初めてである。
訃報を短い文章で過不足なく書くということはとても難しい。いかにその方をよく見ていなかったか、ということを自覚する過程でもある。
人は他人を見るとき、その人の顔の向こう側に自分なりに勝手に作り上げたイメージを貼り付かせてしまう。その時点で客観的事実についても間違いもあるし、前後の脈絡に関係なくたった一言から受けた印象を付加して作り上げたイメージも貼り付ける。
濃密な時間を共にすることがあれば少しずつそのイメージを改善していくこともできるが、たいていの場合は一度出来上がったイメージはなかなか作り替えることは難しい。上書き指定っても、付き合いが少し疎遠になっただけで、薄皮はすぐにはがれ、核になっているもとのイメージだけが記憶の底に横たわっている。あとから上書きされたイメージというのは余程強烈なインパクトがないと核の部分に接着しないという特性があると思う。
特にそのかたが歩んだ時間と私たちがその人をとおして体験した時間は違う。遺族や、特に親しかったかたとのこの体験の差はおおきい。ヘタな訃報を書くと短文とはいえ、異議申し立ても出てくる。「その程度の差は編集者の判断だ」と言い放つことは少なくとも訃報に関しては難しい。
そうなのだ、人は他人をほとんど理解していないのだ。人は孤独に、自分の時間を抱きしめて死んでいく。その人の体験した時間はその人のものでしかない。そしてその人の死とともにその体験した時間は消滅する。当たり前といえば当たり前のことだあるが‥。
訃報を短い文章で過不足なく書くということはとても難しい。いかにその方をよく見ていなかったか、ということを自覚する過程でもある。
人は他人を見るとき、その人の顔の向こう側に自分なりに勝手に作り上げたイメージを貼り付かせてしまう。その時点で客観的事実についても間違いもあるし、前後の脈絡に関係なくたった一言から受けた印象を付加して作り上げたイメージも貼り付ける。
濃密な時間を共にすることがあれば少しずつそのイメージを改善していくこともできるが、たいていの場合は一度出来上がったイメージはなかなか作り替えることは難しい。上書き指定っても、付き合いが少し疎遠になっただけで、薄皮はすぐにはがれ、核になっているもとのイメージだけが記憶の底に横たわっている。あとから上書きされたイメージというのは余程強烈なインパクトがないと核の部分に接着しないという特性があると思う。
特にそのかたが歩んだ時間と私たちがその人をとおして体験した時間は違う。遺族や、特に親しかったかたとのこの体験の差はおおきい。ヘタな訃報を書くと短文とはいえ、異議申し立ても出てくる。「その程度の差は編集者の判断だ」と言い放つことは少なくとも訃報に関しては難しい。
そうなのだ、人は他人をほとんど理解していないのだ。人は孤独に、自分の時間を抱きしめて死んでいく。その人の体験した時間はその人のものでしかない。そしてその人の死とともにその体験した時間は消滅する。当たり前といえば当たり前のことだあるが‥。
昨晩は会議からもどったら何故か背中の肩甲骨の間の背骨のあたりが痛い。いつものとおり妻に頼んで背中を強く推してもらって少しは楽になった。この症状は血圧が上がると出るようだ。念のため血圧計を出してきて計測すると、何回はかっても168-98前後で推移する。とても高い数値である。やはりということで、降圧剤を1錠服用。いつも寝る前に服用するように指示をされているが、血圧が高くなったらその都度服用するように、とも言われている。何年かぶりの高い数値であった。
服用して1時間ほどで135-88という程度に下がり、背中の痛みも消えた。いつも不気味なのがこの背中の鈍痛である。複数の内科医に聴いたが、いつも高血圧とこの背中の痛みの関係はわからないらしい。一応上が135となったので、温い風呂に短めに入って、もう1錠降圧剤を服用して就寝。朝は130-83で安定。
50代始めに鼻血が止まらなかったことがあるが、その時も血圧が高くなっていた。確か最高血圧が170を超えていたと思う。背中の痛みを自覚するようになったのはその頃である。
本日もウォーキングから帰って測定しても123-78と低めで安定していた。薬はあと1週間分あるが今週中にいつもの医師に相談することにした。
20代後半から40代半ばまでは110-70と低めの血圧で推移していたのだが、50代になって急に高血圧といわれるようになった。1日1錠で安定しているのだが、ときどきこのような高い数値になり、肩甲骨の間の背骨のあたりの鈍痛が気になる。年に数回あった症状もここ数年は起きていなかった。
服用して1時間ほどで135-88という程度に下がり、背中の痛みも消えた。いつも不気味なのがこの背中の鈍痛である。複数の内科医に聴いたが、いつも高血圧とこの背中の痛みの関係はわからないらしい。一応上が135となったので、温い風呂に短めに入って、もう1錠降圧剤を服用して就寝。朝は130-83で安定。
50代始めに鼻血が止まらなかったことがあるが、その時も血圧が高くなっていた。確か最高血圧が170を超えていたと思う。背中の痛みを自覚するようになったのはその頃である。
本日もウォーキングから帰って測定しても123-78と低めで安定していた。薬はあと1週間分あるが今週中にいつもの医師に相談することにした。
20代後半から40代半ばまでは110-70と低めの血圧で推移していたのだが、50代になって急に高血圧といわれるようになった。1日1錠で安定しているのだが、ときどきこのような高い数値になり、肩甲骨の間の背骨のあたりの鈍痛が気になる。年に数回あった症状もここ数年は起きていなかった。
今夜も横浜市内で一部地域で雨が降っている。ただし昨晩程のひどい雷雨ではなく、弱い雨である。昼間も厚い雲が空を覆い、湿度も高い鬱陶しい天気であった。
午前中はニュースの作成を少し始めた。まだ軌道にはなっていないが、23日の水曜日までには最初の稿を印刷所送信することになっている。
しかしまだ一部原稿が届いていない。何とか早く送ってきてほしいのだが‥。
昨日に続いて午後はウォーキング。かなりの汗をかいた。湿度が高いと熱中症のような症状になり易い。現に昨日も本日も折り返し地点では汗が止まらなくなり、イートインコーナーでスポーツドリンクと梅干で一服して、体調を整えた。
その店のあるみなとみらい地区は家族連れで賑わっていた。いつものことながら小さな子どもにとっては南みらい地区のメイン通りの広い歩道空間と横浜美術館前の噴水がお目当てのようである。
特に買い物や見るものもなく、ひたすら歩いて戻ってきた。汗だくの姿で横浜駅の自由通路を歩くのは恥ずかしかったが、気にせず突っ切ってきた。途中で書店に寄ったが、きっと汗臭い匂いをまき散らしていたに違いない。
午前中はニュースの作成を少し始めた。まだ軌道にはなっていないが、23日の水曜日までには最初の稿を印刷所送信することになっている。
しかしまだ一部原稿が届いていない。何とか早く送ってきてほしいのだが‥。
昨日に続いて午後はウォーキング。かなりの汗をかいた。湿度が高いと熱中症のような症状になり易い。現に昨日も本日も折り返し地点では汗が止まらなくなり、イートインコーナーでスポーツドリンクと梅干で一服して、体調を整えた。
その店のあるみなとみらい地区は家族連れで賑わっていた。いつものことながら小さな子どもにとっては南みらい地区のメイン通りの広い歩道空間と横浜美術館前の噴水がお目当てのようである。
特に買い物や見るものもなく、ひたすら歩いて戻ってきた。汗だくの姿で横浜駅の自由通路を歩くのは恥ずかしかったが、気にせず突っ切ってきた。途中で書店に寄ったが、きっと汗臭い匂いをまき散らしていたに違いない。
昨晩の雷雨はすさまじかった。今朝7時過ぎにようやく最後まで残っていた大雨注意報が解除となった。
加藤楸邨の雷や稲妻の句からいくつか。
★稲妻のきらめく畔に稲負へり (「寒雷」の「古利根抄」(1931-34))
★遠雷やみなものおもふ石仏 (「沙漠の鶴」の「大同の石仏」(1944))
★稲妻の降りそそぐ蟇うごきだす (「野哭」の「野哭抄」(1946~1947))
第1句、だいぶ近くで稲妻がきらめいたのであろう。暗くなった空のきらめいた稲妻に照らされた人は、稲の束を重い足取りで背負っているのであろうか。稲妻がきらめいているといえども刈った稲を運びきらなければならない。切羽詰まった生活の厳しい状況が映し出される。
第2句、戦争末期、土屋文明などと大本営報道部嘱託として中国に出向かされた時の句集が「沙漠の鶴」。以降も加藤楸邨はシルクロード紀行で日本と異質の気候風土の中で俳句に挑戦する。それが成功したか否か、私はわからないが、これらの紀行の作品ではあまり惹かれるものは今のところない。
しかしこの「大同の石仏」の一群は惹かれるものがある。「疲れきてすがる晩夏の仏かな」「涼しさの乳露なる女体仏」「み仏に燕(つばくろ)に戦(いくさ)いつやまむ」などの句が並ぶ。
遠雷に少し怯えながら、短い時間で石仏群を見たのであろうか。それでも石仏の表情はそれぞれに違い、何かを思っている。瞑想している。日本では小さな五百羅漢などが彫られているが、おそらく乾燥した大地の巨大な仏像なのではないか。広大な広さの中の個性的な顔が並ぶ光景を思い浮かべる。そして何を思っているのか。個の救済の瞑想なのか、「戦いつやまむ」という思いなのか。ひょっとしたら現代のように爆破されてしまう運命の仏たちだったかもしれない。
第3句、こちらはいかにも多雨な気候の世界。水をかけられ蘇生したような気分になる。稲妻の光った刹那そこに視線が集中して、一瞬でこの蟇は世界の中心に座る。雨の水を意識した蟇の生命があらたな動きで証明されるかのように足を動かす。
どこか戦後の世界の胎動を彷彿とさせるものも感じた。
加藤楸邨の雷や稲妻の句からいくつか。
★稲妻のきらめく畔に稲負へり (「寒雷」の「古利根抄」(1931-34))
★遠雷やみなものおもふ石仏 (「沙漠の鶴」の「大同の石仏」(1944))
★稲妻の降りそそぐ蟇うごきだす (「野哭」の「野哭抄」(1946~1947))
第1句、だいぶ近くで稲妻がきらめいたのであろう。暗くなった空のきらめいた稲妻に照らされた人は、稲の束を重い足取りで背負っているのであろうか。稲妻がきらめいているといえども刈った稲を運びきらなければならない。切羽詰まった生活の厳しい状況が映し出される。
第2句、戦争末期、土屋文明などと大本営報道部嘱託として中国に出向かされた時の句集が「沙漠の鶴」。以降も加藤楸邨はシルクロード紀行で日本と異質の気候風土の中で俳句に挑戦する。それが成功したか否か、私はわからないが、これらの紀行の作品ではあまり惹かれるものは今のところない。
しかしこの「大同の石仏」の一群は惹かれるものがある。「疲れきてすがる晩夏の仏かな」「涼しさの乳露なる女体仏」「み仏に燕(つばくろ)に戦(いくさ)いつやまむ」などの句が並ぶ。
遠雷に少し怯えながら、短い時間で石仏群を見たのであろうか。それでも石仏の表情はそれぞれに違い、何かを思っている。瞑想している。日本では小さな五百羅漢などが彫られているが、おそらく乾燥した大地の巨大な仏像なのではないか。広大な広さの中の個性的な顔が並ぶ光景を思い浮かべる。そして何を思っているのか。個の救済の瞑想なのか、「戦いつやまむ」という思いなのか。ひょっとしたら現代のように爆破されてしまう運命の仏たちだったかもしれない。
第3句、こちらはいかにも多雨な気候の世界。水をかけられ蘇生したような気分になる。稲妻の光った刹那そこに視線が集中して、一瞬でこの蟇は世界の中心に座る。雨の水を意識した蟇の生命があらたな動きで証明されるかのように足を動かす。
どこか戦後の世界の胎動を彷彿とさせるものも感じた。
レインアイよこはまで見る限り、一時は私の住んでいる地域にも時間換算雨量で80ミリを超える雨が降ったようだ。洪水警報も未だ発令されたままである。
雷もすごかった。これほどの雷は久しぶりであった。ひっきりなしに雷鳴と雷光が続いた。団地の会議の途中も一時的に室内灯が消えるなどの影響も出た。家のパソコンの電源を入れたまま出かけたので心配であったが、さいわい無事であった。
現在横浜市内では強い雨の個所はなく、降っているところも北部と南部の一部の地域だけとなった。
多摩川の河川敷では落雷でけが人が出たようだ。
しかし雷というのは、被害のことを考えないと、爽快でもある。安全な建物の中でじっとしていると、光と音があれだけの大きさ、明るさに感動すら覚える。こちらの持っている力を超える力を見せつけられ、完全に圧倒されて無防備になる。身構えることを忘れてしまう。
★夜の雲のみづみづしさや雷のあと 原石鼎
★はたた神七浦かけて響(とよ)みけり 日野草城
雷もすごかった。これほどの雷は久しぶりであった。ひっきりなしに雷鳴と雷光が続いた。団地の会議の途中も一時的に室内灯が消えるなどの影響も出た。家のパソコンの電源を入れたまま出かけたので心配であったが、さいわい無事であった。
現在横浜市内では強い雨の個所はなく、降っているところも北部と南部の一部の地域だけとなった。
多摩川の河川敷では落雷でけが人が出たようだ。
しかし雷というのは、被害のことを考えないと、爽快でもある。安全な建物の中でじっとしていると、光と音があれだけの大きさ、明るさに感動すら覚える。こちらの持っている力を超える力を見せつけられ、完全に圧倒されて無防備になる。身構えることを忘れてしまう。
★夜の雲のみづみづしさや雷のあと 原石鼎
★はたた神七浦かけて響(とよ)みけり 日野草城
神奈川県内全域に竜巻注意情報が出ており、横浜市内には大雨警報と洪水・雷注意報が発令されている。レインアイよこはまを見ると23区内から川崎にかけて80ミリ以上の極めて強い雨の区域があり、南下している。横浜市内では鶴見区に一部かかっている。
15時半にウォーキングに出かけた時は腫れて、暑い陽射しに心配したが、30分ほど前から厚い黒い雲が空を覆い、雷鳴が鳴り始めた。私の住んでいるところはまだ降り始めてはいないが、今にも降り出しそうである。
夜からは団地の管理組合の会議。本日も22時までには終わりたいものである。
明日からは今度は退職者会のニュース作りに精を出さなくてはいけない。
15時半にウォーキングに出かけた時は腫れて、暑い陽射しに心配したが、30分ほど前から厚い黒い雲が空を覆い、雷鳴が鳴り始めた。私の住んでいるところはまだ降り始めてはいないが、今にも降り出しそうである。
夜からは団地の管理組合の会議。本日も22時までには終わりたいものである。
明日からは今度は退職者会のニュース作りに精を出さなくてはいけない。
大岡信の「日本語の豊かな使い手になるために」に次のような一文がある。
「ことばが形をとって現れ出る瞬間には、それらはことばになっていない気分とか意欲とかの大群に取りまかれている。あることばはそういうものをぐうっと押しのけて、飛び出してきたわけです。けっして、ことばだけがすんなりと存在していたわけではない。‥ことばが何かを押しのけて飛び出してたということを、いかに実感として伝えるかということがテーマになっていくるのではないでしょうか。‥ことばが何かを押しのけて出てくる、その瞬間には必ず、緊張と解放の合わさった快感があったはずだし、ある満足感があったはずですね。その快感がことばを生み出す喜びに変わっていく。開放感が、想像する喜びにかわっていく。」
私にはとてもよくわかることばである。読むことと話すこと、あるいは書くということとの間には実におおきな溝がある。溝というよりも、越えがたい深い断崖絶壁のこちらと向こうのような開きがある。しかしある瞬間にこれがふと超えられてしまうことがある。この瞬間の感覚は何ともいいようがなかった。空中浮揚の会館と共に、いつ断崖の下に急降下して、底にたたきつけられるかもしれないという恐怖も同時に味わうこともあった。
むかし中学・高校と「作文」と称した自己表出を強いられたとき、自我の成長に伴って、ふと何かがはじけるように気に入った文章が書けることがあった。小難しい言葉をこねくり回していた中に、自分のことばの端っこを掴んだような気になることがあった。
それを自覚していなかったと思う。今から思うとそんな瞬間は確かに在った。学生時代になって、既存の概念のことばを繰り返し使う自分に出くわした時に、発語する自分に強烈な違和感を抱いた。それ以来、ことばを発することがとても怖くなった。
それが次第にほどけてきて、ようやく今の自分になったような気がする。
「ことばが形をとって現れ出る瞬間には、それらはことばになっていない気分とか意欲とかの大群に取りまかれている。あることばはそういうものをぐうっと押しのけて、飛び出してきたわけです。けっして、ことばだけがすんなりと存在していたわけではない。‥ことばが何かを押しのけて飛び出してたということを、いかに実感として伝えるかということがテーマになっていくるのではないでしょうか。‥ことばが何かを押しのけて出てくる、その瞬間には必ず、緊張と解放の合わさった快感があったはずだし、ある満足感があったはずですね。その快感がことばを生み出す喜びに変わっていく。開放感が、想像する喜びにかわっていく。」
私にはとてもよくわかることばである。読むことと話すこと、あるいは書くということとの間には実におおきな溝がある。溝というよりも、越えがたい深い断崖絶壁のこちらと向こうのような開きがある。しかしある瞬間にこれがふと超えられてしまうことがある。この瞬間の感覚は何ともいいようがなかった。空中浮揚の会館と共に、いつ断崖の下に急降下して、底にたたきつけられるかもしれないという恐怖も同時に味わうこともあった。
むかし中学・高校と「作文」と称した自己表出を強いられたとき、自我の成長に伴って、ふと何かがはじけるように気に入った文章が書けることがあった。小難しい言葉をこねくり回していた中に、自分のことばの端っこを掴んだような気になることがあった。
それを自覚していなかったと思う。今から思うとそんな瞬間は確かに在った。学生時代になって、既存の概念のことばを繰り返し使う自分に出くわした時に、発語する自分に強烈な違和感を抱いた。それ以来、ことばを発することがとても怖くなった。
それが次第にほどけてきて、ようやく今の自分になったような気がする。
一昨日の葬儀に参列したが、亡くなった方の写真を幾枚が印刷している。最近は退職者会の先輩と荒廃が続けて亡くなった。
寂しい思いもあるが、会の性格上やむを得ない感がないではない。
人を送る、ということは自分の生きざまを振り返ることでもある、ということを痛切に感じている。人の死は、自分を見つめ直す機会である。そのための葬儀でもあるし、そういうことを気付かせてくれる先輩というのはありがたいと思う。
私はいい友も大切だが、いい先輩を持ちたいとこの歳になっても思う。
寂しい思いもあるが、会の性格上やむを得ない感がないではない。
人を送る、ということは自分の生きざまを振り返ることでもある、ということを痛切に感じている。人の死は、自分を見つめ直す機会である。そのための葬儀でもあるし、そういうことを気付かせてくれる先輩というのはありがたいと思う。
私はいい友も大切だが、いい先輩を持ちたいとこの歳になっても思う。
本日は退職者会の役員会の後はいつものとおり、近くの安い店で暑気払いという名の飲み会。皆つい長く居座ってしまいとうとう9時過ぎにようやく清算をして引き上げた。その間4時間半あまり。それでも会計は一人3000円以内で済んだ。
今月は幹事会は休会なので、少人数の役員会。といっても10数人。夜はさいわい雨が降らなかったので、早めに切り上げたらかなり歩けたのだが、酔っぱらってしまって、本日はトータルで1万4千歩で終わってしまった。
明日の夜は団地の管理組合の会議。それまでに資料の最終チェックを終えて、印刷をしなくてはいけない。それほどの時間はかからずに終るはずなのだが‥。
しかし8月に入っての天候不順、日照不足の影響がまずは野菜の値段に現われた。本日の飲み会でも、小さな孫がいる仲間は孫のストレスが溜まっているので大変だと行異口同音に嘆いていた。海も山もプールも、野球やサッカーの観戦も取りやめているらしい。地域の経済にも大きな影響があるようだ。
来週少しは天候は回復するのであろうか。今月の28日からは新学期が始まるとの話も出ていた。
今月は幹事会は休会なので、少人数の役員会。といっても10数人。夜はさいわい雨が降らなかったので、早めに切り上げたらかなり歩けたのだが、酔っぱらってしまって、本日はトータルで1万4千歩で終わってしまった。
明日の夜は団地の管理組合の会議。それまでに資料の最終チェックを終えて、印刷をしなくてはいけない。それほどの時間はかからずに終るはずなのだが‥。
しかし8月に入っての天候不順、日照不足の影響がまずは野菜の値段に現われた。本日の飲み会でも、小さな孫がいる仲間は孫のストレスが溜まっているので大変だと行異口同音に嘆いていた。海も山もプールも、野球やサッカーの観戦も取りやめているらしい。地域の経済にも大きな影響があるようだ。
来週少しは天候は回復するのであろうか。今月の28日からは新学期が始まるとの話も出ていた。
★夏草や汽罐車の車輪来て止る 山口誓子
★夏草や墓は母国の文字を彫る 野見山朱鳥
第1句、あまりに有名で、中学・高校の教科書にも採用されていた。現在はどうなのであろうか。緑の夏草、暑いレール、強い夏の陽ざし、黒く圧倒的に量感の汽罐車と大きな鉄臨、そして吐き出される蒸気、大きさに似合わずぴたりと予定の位置に止るスムーズな動き、ブレーキの音、汽笛、運転者の指差し呼称、これらが一体のものとして読者に迫って来る。
第2句、「墓は母国の‥」の句を読んで、最初の印象は今から50年前の山手や根岸の外国人墓地である。今はきれいに整備されているが、横浜にある山手の外国人墓地や、根岸の外国人墓地は私が中学生・高校生の頃は放置されていたものが多数ある。特に根岸の外国人墓地は鉄の重い門が固く閉じられ、中に入れず敷地自体も放置されていた。
山手の墓地は道路沿いに墓石を覗くことが出来た。読める範囲では英語やフランス語が主であったようだ。ドイツ語の墓銘碑もあったと思われるが、当時の私には判読できなかった。そして日本人が入れないように柵をした駐留軍の軍属の広い芝生の白い平屋の住宅地域と同じように、わたしたちを頑なに拒む外国人墓地は、夏草が伸び放題であった。軍属の住居は芝生がいつもきれいに刈り込んであるのとは対照的であった。しかし私たちを拒んでいることは同じ。亡くなっても頑なに私たちを拒む姿勢が、伸び放題の夏草と、彼等の母国語の墓銘碑に象徴されているように当時は感じていた。反米闘争華やかりしころでもあった。
しかし今思うと、外国人墓地に眠る人々は、日本人を頑なに拒んでいたわけではなさそうである。遠い極東の果ての地で、彼等はひょっとしたら彼等自身の母国からは売れ入れてもらえない何らかの事情があったのかもしれない。母国喪失者であったかもしれないと重いようになった。
翻って日本語を母国語とする人々もやはり、南米などへの移住者として日本から追われるように出国していった方も多い。彼等は墓銘碑はどのようにしたのだろうか。日本国内では欧化政策でアルファベットでの墓銘碑は日本人の石工でも作れたであろう。だが日本語を母国語とする人々は現地では漢字・かなを彫ってくれる石工はほとんどのぞむべくもなかったように思える。母国語で記したい人も断念したかもしれない。いや、それ以上に日本への違和=日本語の拒絶とという選択をした人も多いのではないか。
第2句には、明治以降の日本の近代化とそこに暮らした人々、そして日本の近代化から放逐された人々の存在など、さまざまな歴史を連想する句である。
★夏草や墓は母国の文字を彫る 野見山朱鳥
第1句、あまりに有名で、中学・高校の教科書にも採用されていた。現在はどうなのであろうか。緑の夏草、暑いレール、強い夏の陽ざし、黒く圧倒的に量感の汽罐車と大きな鉄臨、そして吐き出される蒸気、大きさに似合わずぴたりと予定の位置に止るスムーズな動き、ブレーキの音、汽笛、運転者の指差し呼称、これらが一体のものとして読者に迫って来る。
第2句、「墓は母国の‥」の句を読んで、最初の印象は今から50年前の山手や根岸の外国人墓地である。今はきれいに整備されているが、横浜にある山手の外国人墓地や、根岸の外国人墓地は私が中学生・高校生の頃は放置されていたものが多数ある。特に根岸の外国人墓地は鉄の重い門が固く閉じられ、中に入れず敷地自体も放置されていた。
山手の墓地は道路沿いに墓石を覗くことが出来た。読める範囲では英語やフランス語が主であったようだ。ドイツ語の墓銘碑もあったと思われるが、当時の私には判読できなかった。そして日本人が入れないように柵をした駐留軍の軍属の広い芝生の白い平屋の住宅地域と同じように、わたしたちを頑なに拒む外国人墓地は、夏草が伸び放題であった。軍属の住居は芝生がいつもきれいに刈り込んであるのとは対照的であった。しかし私たちを拒んでいることは同じ。亡くなっても頑なに私たちを拒む姿勢が、伸び放題の夏草と、彼等の母国語の墓銘碑に象徴されているように当時は感じていた。反米闘争華やかりしころでもあった。
しかし今思うと、外国人墓地に眠る人々は、日本人を頑なに拒んでいたわけではなさそうである。遠い極東の果ての地で、彼等はひょっとしたら彼等自身の母国からは売れ入れてもらえない何らかの事情があったのかもしれない。母国喪失者であったかもしれないと重いようになった。
翻って日本語を母国語とする人々もやはり、南米などへの移住者として日本から追われるように出国していった方も多い。彼等は墓銘碑はどのようにしたのだろうか。日本国内では欧化政策でアルファベットでの墓銘碑は日本人の石工でも作れたであろう。だが日本語を母国語とする人々は現地では漢字・かなを彫ってくれる石工はほとんどのぞむべくもなかったように思える。母国語で記したい人も断念したかもしれない。いや、それ以上に日本への違和=日本語の拒絶とという選択をした人も多いのではないか。
第2句には、明治以降の日本の近代化とそこに暮らした人々、そして日本の近代化から放逐された人々の存在など、さまざまな歴史を連想する句である。