Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

溜息が出そうな土曜日

2017年08月05日 16時18分12秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 ようやく明日の会議のレジュメと参考資料・写真が出来上がった。あとは今晩打ち出して終了。印刷・製本は明日の10時の会議開始に間に合うようにコピーすればいいだけとなった。

 本日はこれから天気は下り坂という。夕方早めにウォーキングをしたいと思っていたが、もう16時過ぎてしまった。とはいっても雨が降りそうな気配はない。

 さて本日でとうとう66歳になってしまった。


「風仙図屏風」(曽我蕭白)

2017年08月05日 09時00分43秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 「ボストン美術館の至宝展」にて曽我蕭白の「風仙図屏風」を見た。すでに一度目にしており、印刷物でも何回か見る機会があった。
 辻惟雄の「奇想の系譜」では曽我蕭白は取り上げられているもののこの「風仙図屏風」は取り上げて論じてはいない。

 私はいつもこの作品を見るたびに違和感を覚える。たった一人で池に住む龍を退治して天の水門を開けて干ばつを救ったという中国の陳楠(ちんなん)を描いたとされるこの作品は、経世済民の実を失った当時の武士に対する痛烈な批判であるらしい。
 龍はの黒雲として描かれ風を巻き起こしている。そして陳楠の従者ないし同僚はその風を受けて、陳楠の後方でみっともなく倒れている。さらに作品の右端では2頭のウサギが何事もないようにのんびりと対話している。画面の左手の樹は龍の巻き起こす風で大きくゆがんでいる。あるいは空間そのものが歪んでしまうほどの強い霊力の龍である。風を巻き起こす龍を黒い渦で表現しているのはなかなかである。従者ないし同僚や、ウサギ、陳楠の後ろの風になびく樹の表現なども秀逸だと思う。

 だが、龍を退治する陳楠の描き方が何とも云えず滑稽すぎる。まず眼が向かって左、従者乃至同僚の方に剥けられている。こんなに強い霊力ないし暴風に対峙する場合は龍の方をにらみつけるのが普通の仕草であろう。また足2本が互いにとんでもない方向を向いている。実際にはあり得ない揃え方である。そして一番おかしいのは、風に対峙しているのに、膝は棒のようにまっすぐで、腰は前のめりである。これでは踏ん張っている姿勢ではない。膝を曲げ、腰を落として両足を軽く前後にずらして踏ん張らない限り、後ろで倒れている二人のように風で倒されてしまう。剣を持っても力が入っていない。振り下ろして空振りをしたような仕草にしか見えない。
 私はいつもこの滑稽な姿勢におおきな違和感を持つと同時にわらってしまう。曽我蕭白という画家の作品、私は「雲龍図」はとても好きである。その迫力には脱帽である。しかしこの風仙図の主人公陳楠だけはどうしても理解できないでいる。

ブラームス「ホルン三重奏曲、クラリネット三重奏」

2017年08月04日 20時40分58秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 昼食が終わった後、団地の管理組合の会議で使うレジュメづくりを始めたがあわせて2時間ほどで、疲れてしまった。ボーっとしたのち、横浜駅の有隣堂で宝島社の「アルチンボルドの世界」を購入。購入しようと思っていたアルチンボルドの特集号の芸術新潮7月号は既に置いてはおらず、8月号が並んでいた。

 横浜駅までの往復は、ともに少し遠回りして歩いた。本日の最高気温は28.5℃と30℃に届かなかったが、昨日に続いて湿気が多く、汗を大量にかいた。

 これからレジュメづくりをもうひと踏ん張りし、22時からは夜のウォーキングをする予定。



 本日聴いていた曲はブラームスのホルン三重奏曲とクラリネット三重奏曲。やはり私はブラームスを聴くとホッとする。

涼しい夏‥冷夏の予感

2017年08月04日 11時01分24秒 | 読書
 昨晩22時過ぎに夜のウォーキングに出かけたが霧雨が止んでおらず途中から少し雨模様となり、結局3千歩に達しなかったが中止。
 歩いている途中で蝉が一声鳴いていたりしたものの、ひどい湿気と22℃くらいの低い気温であった。団地の近くの庭からリンリンという秋の虫の声すら聞こえた。
 強い迷走台風5号に向かって北東から涼しい風が吹き込んでいるのであろうか。7月よりも8月が気温が低いという不思議な天気が続く。本日の予想最高気温は28℃。1950~1960年代初頭の頃の最高気温がこの程度ではなかったか、とふと感じた。題名は記憶には無いが、30℃を越えた温度計を写して暑さの表現としていたシーンを思い出した。
 35℃にすっかり慣れたこの列島、冷夏の声が聴こえそうである。
 本日はこれから団地の管理組合の会議のレジュメづくり。これで1日かかりそうである。

オキーフ「グレーの上のカラー・リリー」

2017年08月03日 22時20分48秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 本日「ボストン美術館の至宝展」で見たジョージア・オキーフ(1887-1986)の「グレーの上のカラー・リリー」(1928)。オキーフの名は知っていたが、具体的な作品は記憶になかった。あるいはどこかの印刷物でこの絵を見たことはあったかもしれない。しかし実際の作品を見て、とてもドキリとした。
 水墨画のような背景に淡く着色した緑と白が静かに、控え目に浮き出ていた。41歳の作品だから中期の作品なのだろうか。具象画というよりもどこか抽象画のような感じもした。そして何よりも性的なこだわりを背後に秘めているような印象も受けた。
 背景はカーテンなのだろうか。カラーの茎ないし葉の緑が左側はグレーの布地に溶けてしまうように薄く消えていく。白い花の部分は周囲に対して融け込むようなことはなく、しっかりと存在感を示している。この緑色の周囲の空気や背景に融け込むようなイメージは何を象徴しているのだろうか。白い花を引き立てるためだけの処理とは思えない。
 もうひとつの気になったことは、水平・垂直の線がどこかで否定されて斜めに空間を構成している。それでいて白い花の部分は安定して自己主張している。不思議な空間構成である。
 またカーテン乃至布地と花弁と蘂には影が微かにある。しかし茎・葉には影がない。生殖器としての花とそれを囲む布地には存在感があるが、茎・葉には存在感が希薄であるという所から、私は性的なものを感じたのだろうか。
 この縦長の作品、とても気になり、そして惹かれた作品である。


「アルチンボルド展」&「ボストン美術館の至宝展」

2017年08月03日 18時31分28秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 本日は午前中は関内で用件を済ませた後、その足で上野の国立西洋美術館にで「アルチンボルト展を見に行った。会場で美術展の開催期限を見たら9月24日となっていた。慌てて持参した無料観覧券を見たらこの券の有効期限が8月5日ということであった。
 昨日の記事は会期を8月5日と記したがこれは間違いであった。私の記事を信じた方、ごめんなさい。

 チケット売り場や美術館のロビーはさほど混んではいなかった。会場内は頭越しでなくともかろうじて見ることのできる程度の混雑、しかし小学生と母親という組み合わせが多かった割には、静かに見ることが出来た。
 同時代の画家の作品やアルチンボルトの博物学的関心なども分かる展示あったと思う。感想は後日にしたい。
 図録は2900円ということで高めなので購入しなかった。芸術新潮の特集版を後日購入することにした。こちらは1500円代ということがわかった。

 開場を出てから東京都美術館で開催されている「ボストン美術館の至宝展」に出向いた。こちらは65歳以上1000円ということで割安感につられて入城。
 こちらもなかなか惹かれる作品がたくさん展示されていて、とても充実した時間を過ごすことが出来た。
 尾形乾山の角皿、英一蝶の涅槃図、蕭白の風仙図、飲中八仙図、司馬江漢の秋景芦雁図、蕪村の柳堤渡水・丘辺行楽図、フランス絵画ではミレー、カミーユ・ピサロ、そしてゴッホでは私の好きな郵便配達人ジョゼフ・ルーランが目についた。
 オキーフの「グレーの上のカラー・リリー」は初めて目にしたのだが、とても気に入った。オキーフという画家、少し作品を探ってみたいと感じた。
 この図録は購入した。これをめくりながら楽しむことが出来そうである。こちらも出来るだけ早めにアップしたいものである。

「横浜の西洋人社会と日本人」(横浜開港資料館)

2017年08月03日 08時58分51秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 昨日最初に訪れたのが横浜開港資料館で開催している「横浜の西洋人社会と日本人-異文化へのとまどい」展。
 ネットでの解説では、
★幕末に開港した横浜には、イギリスをはじめとする西洋諸国からさまざまな人びとがやって来て、自分たちの社会を築いていきました。開港直後にやって来たのは外交官や宣教師、そして少数の商人でしたが、間もなく多くの商人とその家族が来浜するようになり、日本で最大の居留地社会が誕生しました。一方、日本人も近隣だけでなく全国から、この新しいまちに集まり、西洋人相手の商売を始めたり、また外国商館やその家庭で働いたりする者も出てきました。仕事や日々の暮らしの中で身近な存在となった日本人と、その文化を理解することは切実な問題となっていきましたが、簡単なことではありませんでした。
西洋人たちは、本国の家族や友人への手紙、滞在記・回想録のなかで横浜での暮らし振りやすばらしい日本の風景とともに、日本人の風俗習慣も伝えました。
本展示では、初公開となるドイツ商人の妻が残した貼込帳をはじめ、当館が所蔵・保管する西洋人のこのような記録をもとに、横浜居留地での彼らの生活と、生活を通して彼らが描いたさまざまな日本人像を紹介します。

と記されている。

 今回の展示では、日本人から見た外国人ではなく、日本に来ていた西洋人から見た日本人、という視点での展示であるとのこと。
 まずヘボン式ローマ字表記で有名なヘボンと妻クララの人となりが手紙から読み取れた。また風刺画家ピゴーがヘボンを揶揄していない絵などからもその人となりが推測できる点などの指摘がされていた。ヘボン塾の在りようなども初めて目にしたものがあり、興味深く見ることが出来た。
 次に目を止めたのはイギリスの会合還アーネスト・サトウの事績の紹介。東海道の旅の紹介はなかなか面白いものである。
 最後に、ドイツ人貿易商の夫人クララの「貼込帳」は今回の展示の目玉のひとつ。「開港のひろば137」の2~3ページに詳しいが、1882年に新婚で来日したクララがパーティーの招待状や晩餐会のメニュー、コンサートのプログラムなどを2冊に分けて綴じていた。
 鹿鳴館開館式夜会の招待状、憲法発布祝賀会招待状、それらの夜会の帰りに仕立てられた特別列車の乗車券など、興味深いだけでなく、さまざまな意匠のカード、席次表など現代でも新鮮なデザインに驚くと同時に、当時の人びとの付き合いの仕方と現在とのあまり違わない在りようが新鮮に感じた。
 日本人の見た西洋人とその下で働くアジアの人々、西洋人からみた日本の社会と日本人、どちらかというと混同したまま、曖昧に見過ごしていたが、それぞれの視点に分けて頭の中に整理しないといけないようだ。

   

   

昨日の地震

2017年08月03日 00時22分31秒 | 天気と自然災害
 昨日の二度の震度4の地震、友人の入るところが2回とも震度4を記録している。朝、地震お見舞いのメールをしたがどういうわけか届かずに戻ってきた。夜に再度ショートメールをして被害の無いことを確認した。

 茨城県の北部で深さ10キロと、南部で深さ50キロ。発震のメカニズムは違うようだ。しかし実際に体感するとちょっと不安になるかもしれない。特に情報が伝わりにくい深夜と早朝である。

 私は最初の地震は初期微動の段階で目が覚めた。寝入った直後であった。朝7時の地震は最初は気が付かずに一番揺れが大きくなってから眼が覚めたようで、すぐにおさまった。そしてすぐにまた寝入ってしまった。いつものとおり8時に起きた時は、二つの地震がひとつだったか、別の地震だったか記憶があいまいだった。後の地震はカーテンの外が明るかったことを思い出して、ようやく二つの地震だったと記憶を取り戻した。

明日は「アルチンボルト展」の予定

2017年08月02日 23時21分38秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は当初予定していた、ふたつの展覧会である歴史博物館は企画展「歴史×妖×芳年 “最後の浮世絵師”が描いた江戸文化」、開港資料館は「横浜の西洋人社会と日本人-異文化へのとまどい」展の外に、横浜ユーラシア文化館で開催されている「企画展 タイ・山の民を訪ねて1969~1974」も見学した。

 最初に日本大通にある開港資料館、次にユーラシア文化館、その後地下鉄のセンター北駅傍の横浜歴史博物館まで足を伸ばした。いづれも65歳異常は無料というありがたいもの。
 歴史博物館の感想は今晩中に仕上げて、明日の朝にアップしたいと考えている。

 本日は気力・体力ともあまり自信はなかった。小雨がぱらつく中、3会場を回って次第に体力的には自信が戻ってきた。昨日は一日籠っていたので、本日は歩き回っていつもの調子が戻ったように感じている。3つの展示で頭が溢れてしまうのではないかとも思ったものの、展示内容を理解できるほどの知識もないので、却ってよかったかもしれない。

 実は西洋美術館のアルチンボルト展は8月5日までの会期である。本日は上野まで遠征する気力・体力に自信がなかったのだが、この分では明日行けそうである。せっかく無料の券をもらったので、混雑する会期末だが見学したい。


「タイ・山の民を訪ねて」(横浜ユーラシア文化館)

2017年08月02日 21時25分43秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 横浜ユーラシア文化館で開催されている「企画展 タイ・山の民を訪ねて1969~1974」を見学した。

 ホームページには次のように案内がされている。
★1960~70年代のタイの山岳地帯。そこで日本人研究者が出会ったのは、華やかな衣装をまとい伝統を守って暮らす人々でした。日本・タイ修好130周年を記念して開催するこのたびの企画展では、1969年から1974年にかけて上智大学西北タイ歴史・文化調査団が収集し南山大学人類学博物館が所蔵するタイの山岳民族の衣装や生活用具等と、同調査団団員だった江上波夫が個人で収集し当館が収蔵する関連資料を展示し、調査当時の写真や映像を交えて、日本の調査団の見た山の伝統的なくらしをお伝えします。また、山の民に魅せられた研究者たちの、現在に続くフィールドワークをあわせて紹介します。

 普段は情報に接する機会のない内容である。中国・ベトナム・カンボジア・ラオス・タイ・ミャンマーが占めているいわゆるインドシナ半島にひろく分布する諸民族。タイという国に生きる「山の民」の習俗である。
 展示は美しい着物の展示や、信仰する神々を描いたもの、民族の由来の手かがりとなる漢字の文書などが中心である。解説がないと私は「見る」だけでしかないが、それでもその着物の豊富な明るい色の着物の美しさ、道教の神々とそれらに加えられた民族の神々の表情や仕草の多様さには目を見張るものがある。
 また中国の南部から今の地に移動してきた時期が、19世紀と思ったよりも最近との表記もあり、認識を新たにした。中国史の情報からはかなり古くから移動があったように思っていた。

  時間が取れればギャラリートークにでも参加したいと思った。




「歴史×妖×芳年展」(横浜歴史博物館)

2017年08月02日 20時25分26秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日は午後から横浜歴史博物館で開催している「丹波コレクション世界Ⅱ 歴史×妖(あやかし)×芳年-“最後の浮世絵師”が描いた江戸文化」展を見てきた。
 夏休みで小・中学生などが騒いでいないか心配はしたが、静かに見ることが出来た。しかし逆にいうと折角の夏休み企画なのにこれほど人気がないのもさびしいものがある、といった方がいいのかもしれない。
 展示は
1.芳年とその作品
2.過去を描く
3.金太郎:指定の競演
4.同時代を描く
5.“妖”の世界
の五つコーナーからなっている。

 ホームページには以下のように記されている。
★昨年開催し、好評を得た「楽しい浮世絵ヒストリー」展に引き続き、神奈川県立歴史博物館所蔵「丹波コレクション」の作品とその魅力を、同館のご協力のもと紹介いたします。
 今回注目するのは月岡芳年(つきおかよしとし)。芳年は幕末から明治にかけて活躍した絵師で、“最後の浮世絵師”とも称されています。丹波恒夫氏も芳年について、明治時代の浮世絵師の中で最も優れた絵師の一人だと述べています。
 芳年はさまざまなジャンルの作品を手がけましたが、本展では、歴史的なできごとや伝説を題材とした作品と、芳年晩年の名作「新形三十六怪撰(しんけいさんじゅうろっかいせん)」全作品(36点および目録)を紹介します。あわせて、作品に込められた物語やさまざまな技法、芳年の生きた時代の歴史認識などを探ります。
 妖艶な美人画や血みどろ絵とは異なる、芳年作品の魅力をお楽しみください。


 確かに、動きがあり、躍動感たっぷりの劇的場面がこれでもか、と続く世界は、見る者を引き込む力がある。構図にも彩色にも細心の工夫が凝らされていると感じる。
 しかし私は月岡芳年のこの凝った画面にはあまり惹かれることはない。特に今回展示されているような「新形三十六怪撰」や時事ネタ・歴史ネタなどは好まない。今回の展示でいえば、「藤下鯉魚図(とうかりぎょず)」にとても惹かれた。残念ながらポストカードは販売しておらず、図録の購入も断念したので、スキャナーで画像として取り込めない。
 池の中の鯉をまじかで、鯉が重なり合うように描いた「藤下鯉魚図」は、奇を衒わない静かな世界を感じた。是非もう一度見に行きたいものである。
 65歳以上は無料ということで、ありがたかった。

本日の過ごしかた(歴博&開港資料館)

2017年08月02日 10時25分17秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 横浜は大雨注意報は今も解除されていない。嵐の後の晴天、とはいかずにどんよりとした曇り空。涼しいくらいの気温である。外の気温は24℃以下であるらしい。涼しいというよりも風が当たると肌寒ささえ感じる。湿度は80%ととても高い。
 本日は半袖のTシャツでも厚手のものを着た。いつもはランニングシャツ1枚で過ごしているのだが、その上に着てみた。

 雨は降っても弱い雨であるらしい。どのように本日を過ごすか、これからじっくりと考える。
 行きたい美術展はいくつかあるが、本日の体力・気力の状態を考えると遠出は避けたい。出かけても無料では入場できないし、交通費もかかる。こういう時は横浜開港資料館や横浜市歴史博物館に出向くのが、今までのパターンである。

 歴史博物館は企画展「歴史×妖×芳年 “最後の浮世絵師”が描いた江戸文化」、開港資料館は「横浜の西洋人社会と日本人-異文化へのとまどい」展を開催している。開港資料館は65歳以上は無料、歴史博物館も確かかなり割引になるはずである。



横浜市域の避難勧告は解除

2017年08月01日 21時40分48秒 | 天気と自然災害
 現在土砂災害警戒情報にともなう避難勧告はすべて解除された。
 注意報はすべて解除であるが、大雨(土砂災害)警報は継続している。レインアイよこはまで見ると現在三多摩地域で降っている弱い雨の区域が次第に南下してい。しかし5ミリ未満の雨の区域となっており、それほどの強い雨はない模様。

 私の住んでいる区域ではいったん雨が上がった。近くのドラッグストアに明日の朝食用の食材を購入してきた。しかし先ほどまたほんの少しだが、降り始めている。明日は曇の予報で最高気温が27℃と低い。いつの間にか夏がどこかに行ってしまった感じだ。

雨はおさまる方向に‥

2017年08月01日 18時54分00秒 | 天気と自然災害
 横浜市域の強い雨の区域は次第に南下して今は千葉県の房総半島の南部に移っているようだ。雨は横浜市域の中では強いところでも時間雨量20ミリ未満の標示となっている。雷鳴も今は聞こえなくなった。歌仙の水位も15時過ぎに境川水系などで避難判断水位を超えたところがいくつかあるものの、今はすべて氾濫注意水位以下となっている。
 しかし横浜市でも瀬谷区の一部で床下浸水の被害が出ている。
 ひどい雨も雷の区域も一応は通り過ぎたようにも思う。しかし大雨・洪水警報は解除にはなっていない。土砂災害警戒情報も避難準備・高齢者等避難開始情報も解除になっていない。

「ベルギー奇想の系譜」展から -2-

2017年08月01日 16時18分59秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 展示はルーベンスの版画の次は急に19世紀に飛ぶ。ベルギーは1830年に近代国家としての独立を果たす。フランスの象徴主義の影響下、「中世からルネサンスにかけて北方美術が好んで取り上げたきた骸骨たちの舞台の近代的な再生」(図録解説)が行われたと記されている。



 この作品は「舞踏会の死神」(フェリアン・ロッブス、1865-75)。ちょうど日本では江戸幕府が解体し明治の時代が始まったころである。カトリックの多数派の国ベルギーではキリスト教的な制約を超えた市民的自由が希求される中で、ボスやブリューゲル的な世界が注目を浴びたということなのだろうか。あまり単純化はしたくはないが‥。この作品の白い着物はカトリックの司祭がミサで着る服らしい。それを骸骨が着用して舞踏会に現われたという想定らしい。下に出た細い足が妙に艶めかしい。教会の権威に対する揶揄といえそうだ。ロップスの作品は11点ほどある。絵画としての評価はさまざまであろうが、とても強烈な風刺画である。



 ウィリアム・ドグーヴ・ド・ヌンク(1867-1935)の「運河」(1894)。運河の手前の岸に等間隔で並ぶ7本の樹と画面の右三分の二に描かれた浮かび上がる煉瓦の建物と左側の名にもない空間が印象的である。縦42センチ余、横122センチ余という大胆な構図で、そして草を表現する緑と運河の深い青、レンガ色、黒い樹木という配置にも魅せられた。煉瓦の建物の窓ガラスは割れて、灯りもなく廃墟である。
 「人間的なものの欠如」「当時の社会事情の反映」「時代を超えた神秘的な悲しい雰囲気」と解説に記されている。私は当時の工業化の非人間的な労働と資本の競争の残酷な結果を、醒めた諦念で見つめた作品に思えた。一見非現実的に見える風景が、現実のものであるというアイロニーを感じてはいけないのだろうか。私はこのような作品が実に背後には人間的な感情に裏打ちされた作品に思える。



 ヴァレリウス・ド・サードレール(1867-1941)の「フランドルの雪」(1928)。これは高低差はないが、ブリューゲルの「雪中の狩人」(1565)を思い起こさせる作品である。ブリューゲルの作品から人間をはじめ動く動物をすべて取り去った時の静寂の世界である。しかし人の住む家は丹念に描かれている。印象的なのは沈む夕日である。朝日とは思えない。どんよりと暗く沈んだ空が画面善意の6割以上を占めている。
 これがベルギーの冬の空なのだろうか。太陽の下には村の家々ではなく街の混みあった家並みのような描写がある。そこも静まりかえっている。他の作品が展示されていないので、よく分からないが、このような風景画にとても惹かれる。この静寂に画家がこだわったものは何なのだろうか。気になる。



 ジェームス・アンソール(1860-1940)の「キリストのブリュッセル入城 1889年マルディ・グラの日」(1898)。不思議な色彩感覚と人物造形のアンソールの水彩画。
 画面の真ん中に、キリストのエルサレム入城になぞらえてキリストの格好をしたアンソールが描かれている。しかし画面手前の人びとの視線はキリストなど見ていない。仮面をかぶっている。マルディ・グラとは謝肉祭の最終日の祭りが催される日。キリストの栄光と同じく、アンソール自身はブリュッセルに迎えられたものの実際は無視と無理解という扱いを迎える。
 しかしこのように自己顕示が強い人というのはとても付き合うのは苦労をする。アンソールという人、なかなか難しい人であったようだ。の人の作品もブリューゲルに似て中心性の希薄な作品が多いようだ。



 ポール・デルヴォー(1897-1994)の「女性と骸骨」(1949)。この作品は初めて目にした。インクと水彩の作品。背景の壁が着色され、主題である女性と骸骨は淡彩である。
 艶めかしい裸体の女性像が頻出する作品群の中で、着衣の、それも着飾ったような女性像は珍しい。座ってはいないが骸骨の手も女性像と同じような手の仕草である。悩みは同じなのであろうか。
 人間を透写してもその思考の内部は見通せない。悩みなど空虚なのかもしれない。あるいは死の前にはすべて無効という諦念なのだろうか。骸骨と女性にはなんの接点も関係もなさそうである。しかし何かを考えているということは共通している。



 ルネ・マグリット(1898-1967)の「夢」(1945)。昨年のルネ・マグリット展でも展示されていたと思う。宇都宮美術館所蔵作品である。マグリットの作品には影がこのように同じ向きのものがある。鏡像もこのように描いたものが確か存在したように記憶しているが確かなことはわからない。
 実は私は小学生の時、鏡像はどうして左右対称なのか不思議でしようがなかった。どうしてこの絵のように映らないのか。左右が見た目と変わらない方が自然ではないか、とずいぶん悩んだことがある。そんなことを思い出させてくれる作品である。

 デルヴォーやマグリットの作品がボスやブリューゲルの作品や思想とどのように換券するのか、交わるところがあるのか、私にはよくわからないまま、展示室を後にした。共通点に「死の匂い」がある、「メメント・モリ」の警告がある、とのことであるらしい。しかしそれだけならばすべての絵画がどこかでつうじているという、一般化でしかない。ここまで現代へ引っ張ってくると、もうわからなくなるばかりであった。