Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

今年の長崎平和宣言

2017年08月09日 12時10分00秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
「(日本政府の)核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できない」

★長崎平和宣言「ノーモア ヒバクシャ」

  この言葉は、未来に向けて、世界中の誰も、永久に、核兵器による惨禍を体験することがないように、という被爆者の心からの願いを表したものです。その願いが、この夏、世界の多くの国々を動かし、一つの条約を生み出しました。
 核兵器を、使うことはもちろん、持つことも、配備することも禁止した「核兵器禁止条約」が、国連加盟国の6割を超える122か国の賛成で採択されたのです。それは、被爆者が長年積み重ねてきた努力がようやく形になった瞬間でした。
 私たちは「ヒバクシャ」の苦しみや努力にも言及したこの条約を「ヒロシマ・ナガサキ条約」と呼びたいと思います。そして、核兵器禁止条約を推進する国々や国連、NGOなどの、人道に反するものを世界からなくそうとする強い意志と勇気ある行動に深く感謝します。
 しかし、これはゴールではありません。今も世界には、15,000発近くの核兵器があります。核兵器を巡る国際情勢は緊張感を増しており、遠くない未来に核兵器が使われるのではないか、という強い不安が広がっています。しかも、核兵器を持つ国々は、この条約に反対しており、私たちが目指す「核兵器のない世界」にたどり着く道筋はまだ見えていません。ようやく生まれたこの条約をいかに活かし、歩みを進めることができるかが、今、人類に問われています。
 核兵器を持つ国々と核の傘の下にいる国々に訴えます。
 安全保障上、核兵器が必要だと言い続ける限り、核の脅威はなくなりません。核兵器によって国を守ろうとする政策を見直してください。核不拡散条約(NPT)は、すべての加盟国に核軍縮の義務を課しているはずです。その義務を果たしてください。世界が勇気ある決断を待っています。
 日本政府に訴えます。
 核兵器のない世界を目指してリーダーシップをとり、核兵器を持つ国々と持たない国々の橋渡し役を務めると明言しているにも関わらず、核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できません。唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への一日も早い参加を目指し、核の傘に依存する政策の見直しを進めてください。日本の参加を国際社会は待っています。
 また、二度と戦争をしてはならないと固く決意した日本国憲法の平和の理念と非核三原則の厳守を世界に発信し、核兵器のない世界に向けて前進する具体的方策の一つとして、今こそ「北東アジア非核兵器地帯」構想の検討を求めます。
 私たちは決して忘れません。1945年8月9日午前11時2分、今、私たちがいるこの丘の上空で原子爆弾がさく裂し、15万人もの人々が死傷した事実を。
 あの日、原爆の凄まじい熱線と爆風によって、長崎の街は一面の焼野原となりました。皮ふが垂れ下がりながらも、家族を探し、さ迷い歩く人々。黒焦げの子どもの傍らで、茫然と立ちすくむ母親。街のあちこちに地獄のような光景がありました。十分な治療も受けられずに、多くの人々が死んでいきました。そして72年経った今でも、放射線の障害が被爆者の体をむしばみ続けています。原爆は、いつも側にいた大切な家族や友だちの命を無差別に奪い去っただけでなく、生き残った人たちのその後の人生をも無惨に狂わせたのです。
 世界各国のリーダーの皆さん。被爆地を訪れてください。 遠い原子雲の上からの視点ではなく、原子雲の下で何が起きたのか、原爆が人間の尊厳をどれほど残酷に踏みにじったのか、あなたの目で見て、耳で聴いて、心で感じてください。もし自分の家族がそこにいたら、と考えてみてください。
 人はあまりにもつらく苦しい体験をしたとき、その記憶を封印し、語ろうとはしません。語るためには思い出さなければならないからです。それでも被爆者が、心と体の痛みに耐えながら体験を語ってくれるのは、人類の一員として、私たちの未来を守るために、懸命に伝えようと決意しているからです。
 世界中のすべての人に呼びかけます。最も怖いのは無関心なこと、そして忘れていくことです。戦争体験者や被爆者からの平和のバトンを途切れさせることなく未来へつないでいきましょう。
 今、長崎では平和首長会議の総会が開かれています。世界の7,400の都市が参加するこのネットワークには、戦争や内戦などつらい記憶を持つまちの代表も大勢参加しています。被爆者が私たちに示してくれたように、小さなまちの平和を願う思いも、力を合わせれば、そしてあきらめなければ、世界を動かす力になることを、ここ長崎から、平和首長会議の仲間たちとともに世界に発信します。そして、被爆者が声をからして訴え続けてきた「長崎を最後の被爆地に」という言葉が、人類共通の願いであり、意志であることを示します。
 被爆者の平均年齢は81歳を超えました。「被爆者がいる時代」の終わりが近づいています。日本政府には、被爆者のさらなる援護の充実と、被爆体験者の救済を求めます。
 福島の原発事故から6年が経ちました。長崎は放射能の脅威を経験したまちとして、福島の被災者に寄り添い、応援します。
 原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧げ、私たち長崎市民は、核兵器のない世界を願う世界の人々と連携して、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くし続けることをここに宣言します。
 2017年(平成29年)8月9日             長崎市長 田上富久

横浜に高温注意情報

2017年08月09日 09時40分57秒 | 天気と自然災害
 昨晩台風5号の影響で出ていた波浪・強風注意報が解除したばかりだったが、今朝5時前に横浜市の防災メールが着信。「神奈川県に高音注意情報が発表」とあり、「横浜では8時から21時まで30℃以上になり、最高気温は36℃」との内容であった。
 さらに7時に「熱中症予防情報」が着信。「原則運動中止、予想最高気温36℃」となっていた。
 気象庁のデータを見ても横浜では8時には30.2℃となっており、13時間以上も30℃を超えるらしい。我が家もすでにクーラーのスイッチをオンにした。

 さて、我が家のセキセイインコは、朝がベッドから起きてくると「ギギギギッ」と強いだみ声を出す。早く籠をベランダに出せという催促である。ベランダに出すと「ヒヨヒヨ」とやさし気な声で鳴き始める。要求する時と、要求がかなった時の鳴き声の落差が大きい。これが妻に言わせると「カワイイ」らしいが、私に言わせると「わがままタイプ」で「気が強すぎる」ように思える。
 このセキセイインコは水浴びが好みである。いつものとおり、手ですくった水をかけてやる。この水浴びが好きなようで、水を用意して持って行くと上の止まり木にいそいそと登ってきて、早くかけて欲しいという仕草をする。ときどきは100円ショップで購入した象の形の小さなジョーロでかけてやるが、これはあまり好みではないらしい。手を水に浸して弾いてやるのが一番うれしいようだ。
 この後、籠についた水をふき取ろうとすると、ティッシュペーパーに噛みついてくる。綱引きのようにするのが楽しいようで、毎朝の日課である。ちぎれたティッシュペパーは飲み込まずすぐに捨てるので成り立つ遊びである。昨年急死した雄のセキセイインコはこの紙を食べてしまうので、この遊びは厳禁であった。
 ベランダに籠を出すときはエアコンの室外機の上に籠を置いている。室内でクーラーを使うときは籠は室内に入れる。室外機の音と振動と熱とで、鳥にはよくない環境となってしまう。室内に入れられるのはあまり嬉しくないようだが、文句は言わない。

横浜でも34℃超えの暑さ

2017年08月08日 21時30分40秒 | 天気と自然災害
 横浜では終日雨の予報は見事に外れた。朝から陽射しは強く、そして気温がぐんぐん上昇、雲もどんどん少なくなった。最高気温はとうとう15時半ころには34.3℃と今年最高気温となった。横浜はいつも東京やさいたま市よりは気温が低いのだが、本日はほとんど変わらなかった。

 最高気温を記録した時刻はちょうど横浜駅に向かって歩いていた頃である。道路沿いに建物の蔭のある西側を歩いて陽射しを避けて歩いた。日の当たる東側を歩いていたら熱中症になっていたかもしれない。横浜駅について駆け込むように地下街に入り、体を冷やした。

 明日はさらに気温が上がり、横浜の予想最高気温は36℃となっている。あすは家に籠っていた方が良いかもしれない。


もう滅茶苦茶、これで大臣とは‥

2017年08月08日 13時24分31秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 この人の問題発言は「答弁書の朗読」だけではない。この江崎鉄麿沖縄・北方相(二階派)、もう滅茶苦茶。
 「しっかり役所の原稿読む、立ち往生しないように答弁書を朗読」だけでなく「素人だからしかたがないよね」、さらにその上「大臣を忘れても、この選挙区のことは一切忘れることはありません」
 この動画ではいかにも「大臣やりたい病」そのもので浮かれ切ってハシャギまくっている。

 マスコミでは「答弁書の朗読」だけが取り上げられているが、もっと本質的な大臣不適任者でないのか。
 この動画を見て、北方領土に関係する人々、沖縄の人々はどう受け取るか、などという配慮などまるでない。しかもともにロシア・アメリカという交渉相手のある担当である。

 安倍総理に釣られる大臣はさらにことばも態度も軽く、そして配慮に欠け、公平公正でなければならない大臣が選挙区のことの方が大切と宣言してしまう。子はまさに親に似る、親以下でしかない。

「アルチンボルド展」(国立西洋美術館)

2017年08月08日 11時37分54秒 | 読書
 先日アルチンボルド展を見た。

   

 西洋美術館のHPでは以下のように記されている。
★ジュゼッペ・アルチンボルド(1526-1593年)は、16世紀後半にウィーンとプラハのハプスブルク家の宮廷で活躍した、イタリア・ミラノ生まれの画家です。自然科学に深い関心を示したマクシミリアン2世、稀代の芸術愛好家として知られるルドルフ2世という神聖ローマ皇帝たちに寵愛されたアルチンボルドは、歴史上でもひときわ異彩を放つ、宮廷の演出家でした。そんな「アルチンボルド」の名は何よりも、果物や野菜、魚や書物といったモティーフを思いがけないかたちで組み合わせた、寓意的な肖像画の数々によって広く記憶されています。奇想と知、驚異と論理とが分かちがたく交錯するそれらの絵画は、暗号のようにして豊かな絵解きを誘い、20世紀のシュルレアリスム以後のアーティストたちにも、大きな刺激を与えました。

 私はアルチンボルドの名を高めている寓意的な絵画にはあまり惹かれたことはなかった。それらの絵に込められた寓意については今回の展示で初めて知った。
 春・夏・秋・冬という《四季》に象徴させたのが「時間」であり、水・大気・火・大地という《四代元素》に象徴させたのが「世界という空間」であるということをはじめて知った。そしてそれらがそれぞれ対になるようにも構成されていたということも。
 世界を手に入れる、というヨーロッパ世界の貪欲で際限のない好奇心が地球全体を覆い始めることで、博物学的な秩序立てを発展させた。そこに位置づけられるアルチンボルドの写生帖の数々が私の興味をかき立ててくれた。
 そこには芸術としての絵画というよりも、物が存在する形態を取り巻く環境から捉え尽くすという欲求の虜になってしまった人間の執念を感じた。図鑑に描かれた対象物の総体で世界が理解できる、世界を手に入れることができるという誤解が、当時の人びとを突き動かすことが出来たと理解していいのだろうか。
 そのような博物学的な傾向は、18世紀の江戸時代の日本にも現出している。当然ヨーロッパの影響を受けてのことである。しかし物の本質を見極めたいという欲求とその表現の共通性には、何か人間の本質に触れる共通点があるのではないだろうか。
 今まだ読み止しの「江戸の花鳥画」(今橋理子、講談社学術文庫)を思い出しながら、会場を見て回った。

   

      

蝉の断末魔

2017年08月08日 10時30分54秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨晩そろそろ寝ようかというときになって、急にパソコンの後ろ当りから「ギリギリ」と連続した音がし始めた。あまりに大きな音で、しかも機械的に異常な音のように聴こえたので、慌てて編集していた文書を上書き更新してからパソコンをシャットダウンした。しかしパソコンの後ろから聞こえる音は止まない。しばらくパソコンの周辺機器を点検したり、後ろにある押し入れの中をのぞいたり、CDの再生装置をいじってみたりしたが音の原因がわからなかった。その間も「ギリギリ」いう機械的な音がけたたましく連続していた。
 部屋を出て玄関に来た時にようやくそれが鉄の玄関扉の外に止まっているらしい蝉の声だと気が付いた。確かめるために玄関の外に出てみると確かに蝉が一匹止まっている。しかし滑り落ちるようにして飛んでは壁に止まったり、下に落ちたりしながら大きな音を出す。
 野球帽で捉えて階段室から外に出そうとしたが、その度におおきな音を出して飛び回り、つかまらない。すでに方向感覚を喪失しているような飛び方で天井に止まったり床に落ちたりして挙句にすぐに戻ってくる。生の最後の一瞬らしいのであまり追い掛け回すのはしのびないと思ったのだが、あまりにうるさく、眠れない。3度ほど追ったところで手の届かない高いところにある電気メーターの上に止まって静かになってくれた。



 今朝玄関扉を開けると、床に蝉があおむけになっていた。手に取ると微かに6本の足を動かす。まだ生きているが、翅は動かないし、鳴く力はもうすでにない。とてもいとおしく感じて、階段室の横に植わっている樹木の枝のくぼみに置いてみた。
 すくなくとも精一杯の生き方をしたとほめてやりたくなった。写真を撮ってみた。この写真の姿からはクマゼミのような気がする。しかし昼間聞こえるのはミンミンゼミの声である。クマゼミとミンミンゼミは同時には鳴かないし、すみわけをする。すると昼間聞いている蝉はクマゼミなのだろうか。自信がなくなってしまった。


※このブログを見た友人からツィッターで「これはミンミンゼミ」と指摘があった。頭の色の青いのがミンミンゼミ、緑がクマゼミと小さいころ教わった記憶があった。でもかなりあいまい。友人の指摘に従って、安心することにした。

迷走台風5号の影響

2017年08月08日 00時37分12秒 | 天気と自然災害
   

 台風5号の影響は西日本では被害も出ているし、山梨県でも影響が出ている。しかし横浜では迷走台風5号の影響は今のところ感じられない。雨も止んでしまったし、風も今は夕方よりもおさまっている。蝉も鳴かず静かな夜である。
 神奈川県の西部や埼玉県や東京都では竜巻注意情報が出ているようだが、横浜市域ではそのような気配はないようだ。どこか拍子抜けの気分である。
 台風がこれから東に進んでくるにしたがい影響が出てくる可能性は高い。まだまだ油断はできない。
 先ほど雨が降っていないので、団地の中を一周してきた。風もなく樹木などの枝が落ちていることもなく、ホッとしている。
 明日腫れたら横浜駅に出かけようと思っていたら、明日は一日雨の予防になっていた。台風が去ってもすっきりとした天気にはならないらしい。

 さて、季節は本日が立秋とのこと。天候不順でオロオロしている間にいつの間にか立秋となってしまった。


本日のお酒「ふじの井酒造の純米吟醸酒 純」

2017年08月07日 21時24分18秒 | 料理関連&お酒


 昨日娘に誕生祝として吟醸酒を貰ったので、スーパーではその肴にしようと、フグの一夜干し4尾500円を購入。これにキャベツのざく切りに塩昆布とゴマ油をまぶしたものを添えて、18時過ぎから飲み始めた。
 妻はフグは初めて食べるという。ふーんと一声だけで、あまり嬉しそうな感想はなかった。
 お酒は、娘が出張先で購入したという。新潟県新発田市の蔵のあまり酒屋さんには出回らないお酒という触れ込みであったという。
 それほどの辛口ではなく、旨みを感じることが出来た。フグなどの白身の魚よりは、肉類や少々塩気などの味の強い肴の方が良かったかもしれない。肴の塩焼き、塩辛、あるいは肉類が適していたように感じた。残りはそのようなものを用意してみることにした。


雨が降り出す前に‥

2017年08月07日 19時41分34秒 | 天気と自然災害


 一時間ほど前から横浜でも雨が降り始めた。レインアイよこはまの画面を見ると、南から北に雨の区域が移動している。そして雨の区域は小さなブロックに分かれていて、いかにも台風5号の外縁部の雨の様相をしている。神奈川県西部が時間雨量80ミリを超える地域もあ。この地域の雨の区域はさらに北側の山梨県まで伸びて大月市などに猛烈な雨や、竜巻などの被害を貰たしているらしい。

 大雨・強風・雷・波浪注意報はそのまま継続している。

 本日は一日家に籠っているつもりであったが、昼過ぎに買い物に付き合わされた。歩いて35分ほどかかる駅まで買い物のお供で往復歩いてきた。どうせなら、ということで、その近くのスーパーを3件ほどもハシゴ、帰りはリュック一杯の荷物を背負わされた。
 のんびりと小幅な歩きだったが、それでも1万3千歩ほどを歩かされた。妻もつかれたようで、帰りにコンビニのイートインコーナーでソフトクリーム、私はヨーグルトでお付き合いをさせられた。

夕方からは荒れ模様の天気予報

2017年08月07日 10時57分19秒 | 読書
 本日は休養日。休肝日とできるかどうかは疑わしい。
 横浜市域では現在は晴れ、夏の大きな白い雲がどんと座っている。そして雲の量は50%と曇か晴か微妙なところ。陽ざしはとても強い。最高気温の予報が33℃とようやく8月のいつもの酷暑の様相である。しかし今年はこの天気もすぐには崩れてしまう傾向にあるようだ。本日も午後から激しい雷雨の予報が出ている。すでに雷注意報が出ている。
 西隣の静岡県伊豆地方北部にはもう大雨(浸水害)警報、強風・雷注意報が出ている。


 本日はウォーキングも難しそう。できれば横浜駅まで出かけて、のんびりと喫茶店にでも入ってボーっとしたいと考えていたが、難しいかもしれない。
 実は先日私の住む区にある市立図書館に出かけたら、私と同年齢くらいの方が、図書館を出たところのロビーで缶コーヒーを飲みながら、コンビニで買ったと思われる小さなケーキを食べていた。借りたばかりの本を手にしていた。私も真似をしたくなった。図書館の中のロビーにこだわる必要もなく、10分歩くと、安い喫茶店もある。だが、激しい雷雨が予想されるのでそのようなことをする気力は湧いてこない。図書館まで歩いて30分近くかかる。直通のバスがないのが悲しい。

 とりとめもなく綴っていたら、出ていた雷注意報にさらに大雨・強風・波浪注意報が加わった。ただし時間雨量30ミリを超える強い雨の予想は18時以降であるらしい。



 台風5号は列島を太平洋岸に進み、紀伊半島に上陸し、新潟方面に抜けるコースが想定されている。被害がないといいのだが‥。

あまりに軽いことば

2017年08月06日 16時13分49秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日の広島の平和記念式典で安倍首相は、「核兵器禁止条約」には触れず、批判が相次いでいる。あいさつの中で安倍首相は「真に「核兵器のない世界」を実現するためには、核兵器国と非核兵器国双方の参画が必要です。我が国は、非核三原則を堅持し、双方に働きかけを行うことを通じて、国際社会を主導していく決意です」と述べた。



 ところが共同通信では安倍首相は6日に「非核三原則の法制化不要」と述べたという。この記事が正しいとして、この安倍という政治家は、何のために広島に行ったのか、私には理解できない。また自らが述べた「我が国は、非核三原則を堅持し、双方に働きかけを行うことを通じて、国際社会を主導していく決意です」ということばの意味を知ってあいさつしたのかはなはだ疑問であるとしか言えない。

 そして私はこのあいさつ文そのものに違和感を持っている。「国際社会を主導していく」ということばに違和感を持つ。自らが指導者然として高所からのものいいである。どこの国の政権トップであっても、それは日本という国家と同列の主権を持つ。この人の頭の中には常に指導と非指導、主導と追随者、導くものと導かれるもの、とが存在するらしい。少なくとも国際社会や国家間の関係の中で「主導」しようなどという姿勢は反発を招くだけである。
 国際社会の中で、「戦争の惨禍を繰り返さないために、そして被ばく国の立場として、率先して「隔世のない世界」に向けて努力したい」といえないのか。その提起の裏付けとして「非核三原則の法制化」や「各兵器禁止条約の批准」を言えないのか。
 この人のことばはあまりに軽い。戦争の惨禍を招いた国の政治家として、そして惨禍を受けた人々の思いを受け止める政治家として、重みのあることばが求められる。この人は自分が述べたことばに責任を持つという社会人としての基本的な倫理観が欠如していることは、政権発足後の今日までの国会答弁や、選挙演説を聞く限り、明白ではないだろうか。
 政治にことばの重みを取り戻したいものである。

広島平和式典での「平和への誓い」

2017年08月06日 14時12分57秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
ことばを尽くしても語り尽くすことのできない原爆。
毎年・毎年多くの貴重で心をうつことばが紡ぎ出される。
しかし惨禍を受けた人々のひとことに比べて、日本政府の言葉ほど空虚なことばはないというのが、悲しい。
惨禍をひき起こした政治に携わる人々のことばが、惨禍を蒙った人々のひとことに響き合う時代は来ることはないのかもしれない、という絶望感に苛まれる。
その絶望感が戦後72年の日本の政治をますます堕落させているとも感じる。
せめて惨禍を蒙った人々のことばを受け止めることのできる自分でありたいと思う。


 広島市の「平和祈念式典」が開かれ、「平和への誓い」を読み上げられた。「平和への誓い」の全文は以下の通り。第3連が大きなポイントの文章であろう。

平和への誓い

原子爆弾が投下される前の広島には、美しい自然がありました。
大好きな人の優しい笑顔、温もりがありました。
一緒に創るはずだった未来がありました。
広島には、当たり前の日常があったのです。

昭和20年(1945年)、8月6日午前8時15分、広島の街は焼け野原となりました。
広島の町を失ったのです。
多くの命、多くの夢を、失ったのです。

当時、小学生だった語り部の方は、「亡くなった母と姉を見ても涙が出なかった」と語ります。感情までも奪われた人がいたのです。

大切なものを奪われ、心の中に深い傷を負った広島の人々。しかし今、広島は、人々の笑顔が自然にあふれる街になりました。草や木であふれ、緑いっぱいの街になりました。
平和都市として、世界中の人に感心を持たれる街となりました。

あのまま人々が諦めてしまっていたら、復興への強い思いや願いを捨てていたら、苦しい中、必死で生きてきた人々がいなければ、今の広島はありません。

平和を考える場所、広島。
平和を誓う場所、広島。
未来を考えるスタートの場所、広島。

未来の人に、戦争の体験は不要です。しかし、戦争の事実を正しく学ぶことは必要です。

一人ひとりの命の重みを知ること、互いを認めあうこと、まっすぐ世界の人々に届く言葉で、あきらめず、粘り強く伝えていきます。

広島の子供の私たちが勇気を出し、心と心をつなぐ架け橋を築いていきます。

平成29年(2017年)8月6日

こども代表
広島市立大芝小学校6年 竹舛直柔
広島市立中筋小学校6年 福永希実

2017年広島市平和宣言

2017年08月06日 09時10分34秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
★「政府は、核兵器禁止条約の締結促進を」 平和宣言全文

 6日午前に広島市で開かれた平和記念式典で、松井一実市長が読み上げた「平和宣言」の全文は次の通り。

 皆さん、72年前の今日、8月6日8時15分、広島の空に「絶対悪」が放たれ、立ち昇ったきのこ雲の下で何が起こったかを思い浮かべてみませんか。鋭い閃光(せんこう)がピカーッと走り、凄(すさ)まじい放射線と熱線。ドーンという地響きと爆風。真っ暗闇の後に現れた景色のそこかしこには、男女の区別もつかないほど黒く焼け焦げて散らばる多数の屍(しかばね)。その間をぬって、髪は縮れ真っ黒い顔をした人々が、焼けただれ裸同然で剝(は)がれた皮膚を垂らし、燃え広がる炎の中を水を求めてさまよう。目の前の川は死体で覆われ、河原は火傷(やけど)した半裸の人で足の踏み場もない。正に地獄です。「絶対悪」である原子爆弾は、きのこ雲の下で罪のない多くの人々に惨(むご)たらしい死をもたらしただけでなく、放射線障害や健康不安など心身に深い傷を残し、社会的な差別や偏見を生じさせ、辛うじて生き延びた人々の人生をも大きく歪(ゆが)めてしまいました。

 このような地獄は、決して過去のものではありません。核兵器が存在し、その使用を仄(ほの)めかす為政者がいる限り、いつ何時、遭遇するかもしれないものであり、惨(むご)たらしい目に遭うのは、あなたかもしれません。

 それ故、皆さんには是非(ぜひ)とも、被爆者の声を聞いてもらいたいと思います。15歳だった被爆者は、「地獄図の中で亡くなっていった知人、友人のことを偲(しの)ぶと、今でも耐えられない気持ちになります」と言います。そして、「一人一人が生かされていることの有難(ありがた)さを感じ、慈愛の心、尊敬の念を抱いて周りに接していくことが世界平和実現への一歩ではないでしょうか」と私たちに問い掛けます。

 また、17歳だった被爆者は、「地球が破滅しないよう、核保有国の指導者たちは、核抑止という概念にとらわれず、一刻も早く原水爆を廃絶し、後世の人たちにかけがえのない地球を残すよう誠心誠意努力してほしい」と語っています。

 皆さん、このような被爆者の体験に根差した「良心」への問い掛けと為政者に対する「誠実」な対応への要請を我々のものとし、世界の人々に広げ、そして次の世代に受け渡していこうではありませんか。

 為政者の皆さんには、特に、互いに相違点を認め合い、その相違点を克服するための努力を「誠実」に行っていただきたい。また、そのためには、核兵器の非人道性についての認識を深めた上で、自国のことのみに専念して他国を無視することなく、共に生きるための世界をつくる責務があるということを自覚しておくことが重要です。

 市民社会は、既に核兵器というものが自国の安全保障にとって何の役にも立たないということを知り尽くし、核を管理することの危うさに気付いてもいます。核兵器の使用は、一発の威力が72年前の数千倍にもなった今、敵対国のみならず自国をも含む全世界の人々を地獄へと突き落とす行為であり、人類として決して許されない行為です。そのような核兵器を保有することは、人類全体に危険を及ぼすための巨額な費用投入にすぎないと言って差し支えありません。

 今や世界中からの訪問者が年間170万人を超える平和記念公園ですが、これからもできるだけ多くの人々が訪れ、被爆の実相を見て、被爆者の証言を聴いていただきたい。そして、きのこ雲の下で何が起こったかを知り、被爆者の核兵器廃絶への願いを受け止めた上で、世界中に「共感」の輪を広げていただきたい。特に、若い人たちには、広島を訪れ、非核大使として友情の輪を広げていただきたい。広島は、世界の人々がそのための交流をし、行動を始める場であり続けます。

 その広島が会長都市となって世界の7400を超える都市で構成する平和首長会議は、市民社会において世界中の為政者が、核兵器廃絶に向け、「良心」に基づき国家の枠を超えた「誠実」な対応を行えるような環境づくりを後押ししていきます。

 今年7月、国連では、核保有国や核の傘の下にある国々を除く122カ国の賛同を得て、核兵器禁止条約を採択し、核兵器廃絶に向かう明確な決意が示されました。こうした中、各国政府は、「核兵器のない世界」に向けた取り組みを更に前進させなければなりません。

 特に、日本政府には、「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う」と明記している日本国憲法が掲げる平和主義を体現するためにも、核兵器禁止条約の締結促進を目指して核保有国と非核保有国との橋渡しに本気で取り組んでいただきたい。また、平均年齢が81歳を超えた被爆者をはじめ、放射線の影響により心身に苦しみを抱える多くの人々に寄り添い、その支援策を一層充実するとともに、「黒い雨降雨地域」を拡大するよう強く求めます。

 私たちは、原爆犠牲者の御霊(みたま)に心からの哀悼の誠を捧げ、世界の人々と共に、「絶対悪」である核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現に向けて力を尽くすことを誓います。

夕陽を浴びて汗だく

2017年08月05日 23時47分36秒 | 山行・旅行・散策
 16時半過ぎにウォーキングに出かけた。3日間で5万5千歩程と、それなりにハードに歩いたし、本日は久しぶりに強い陽射しと30℃を超えていたので、本日はゆっくりと歩いた。昨年膝を痛める直前まで歩いていた新横浜駅までの往復2万歩近くのコースを途中で引き返してみた。8か月ぶりのコースである。往復で約1万2千歩。2時間近くかけて歩いた。実質時間当たり6千歩とゆっくりの歩き方。しかし途中まで夕日が厳しくあたり、かなり汗をかいて疲れた。
 脱水症状になってはいけないので、途中のコンビニでスポーツドリンクを飲んで15分ほど休んだ。これでかなり回復。
 久しぶりに公園では頭から水を被ってさっはりとした。

 夜は近くのコンビニまでアイスキャンディーと明日の朝食用の牛乳とヨーグルトを購入。結局本日は1万5千歩。明日も晴れるようなので、このくらい歩いてみたい。明後日は雨の予報、ウォーキングは中止をして、足を休めたい。

「ボストン美術館の至宝展」

2017年08月05日 22時01分17秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 「ボストン美術館の至宝展」は当初はあまり関心がなかった。しかし私のブログにリンクの貼ってある「時には本の話でも・・・」の管理人である「葦原の山姥」様の勧めもあって、上野に行った折りは是非見学しようと思い直した。
 チラシにおおきく取り上げているゴッホの「郵便配達人ジョセフ・ルーラン」(1988)と「子守唄、ゆりかごを揺らすオーギュスティーヌ・ルーラン夫人」には目を見張った。実際に見ることはなかったが、様々な解説書に取り上げている作品で私も気に入っていた。特に「郵便配達人‥」は私のお気に入りの一枚でもある。しかしやはり実際に目にするととても親近感が湧くものらしい。
 色彩の研究に没頭していたゴッホならでは作品だと思う。詳しくはいづれ別記事で。他にはオキーフや蕭白、英一蝶、コロー、ミレー、モネなど充分に堪能できたと思う。北宋の徽宗の「五色鸚鵡図巻」も感銘を受けた。鸚鵡の図もいいが、書が気に入った。アメリカのオールストンという画家の「月光」(1819)という作品にも惹かれた。いづれもおいおい取り上げてみたい。
 展示構成は
1.古代エジプト美術
2.中国美術
3.日本美術
4.フランス絵画
5.アメリカ絵画
6.版画・写真
7.現代美術
となっている。

 私にとっては至福の時間を過ごすことが出来た。