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Sightsong

自縄自縛日記

テヘラン現代美術館、絨毯博物館、アザディ・タワー、ホメイニ廟

2016-09-03 12:36:08 | 中東・アフリカ

空いた時間にいくつか。

■ テヘラン現代美術館

「The March of the Sun」という砂漠をテーマにした企画展が開かれていた。数々の風紋を凝視していると、実に不思議なものだと思えてきてしかたがない(ほとんどの写真が誰の手によるものなのか、わからなかった)。

実は、2012年に竹橋の国立近代美術館において開催されたジャクソン・ポロック展にも貸し出された「インディアンレッドの地の壁画」を観たかったのだけれど、収蔵品はほとんど展示されていなかった(1年に3か月だけ観られるそうだ)。仕方がないので、収蔵品のポストカードを何枚も買った(ポロック、ロスコ、デクーニング、デュシャン、ベーコン、ジャコメッティ)。庭にはジャコメッティやマリーニの彫刻があった。また来よう。


誰の作品だろう、「Spring」


マルコ・グレゴリアン「Dry Land」


ポストカード

絨毯博物館

古いものから新しいものまで、実に見ごたえがある。カマル・タブリーズィー『風の絨毯』にも描かれているように、ペルシャ絨毯はものすごく手がかかる作品であり、そこには技術が凝縮されている。タブリーズで20世紀に作られた絨毯の四隅には、面白いことに、アダムとイブ(禁断の実に手を出す場面)、ノア(山で十戒の石を見つける場面)、アブラハム(息子のイサクを殺さんとする場面)、ダビデ(羊飼い)が描かれていた。

 

 

■ アザディ・タワー

脚が四方向に広がった形をしたタワーであり、下に展示室がある。入り口にはツァイスイコンの35mm映写機があって、中にはイランの各都市を配した近未来風な展示があった。もうひとつの展示室には、イラン・イスラム革命の写真が展示されていて、ホメイニ師帰還と市民による歓迎、パフラヴィー王朝の崩壊の様子などを観ることができた。

展望台からはイランの市街を見渡すことができて愉しい。



ツァイスイコンの35mm映写機「Ernemann VII B」


イランの各都市



イラン・イスラム革命


アザディ・タワーのコンセプトと眺望


建設中のモスク


鳩の足はなぜか毛が多い

■ ホメイニ廟

入り口で靴を預けて入ると、広い空間の真ん中にホメイニ師のご遺体が眠っている。モスクそのものというより、みんな気軽な雰囲気でリラックスしていて、記念写真なんかを撮ったり、子どもを遊ばせたり(従って、これも不敬ではない)。天井の意匠など見事である。

 


旨いテヘラン その3

2016-09-03 11:01:27 | 中東・アフリカ

イランは基本的に外食文化ではないという。それでもなかなか旨い店があって、きっと住んでもストレスはたまらないであろう。

■ アイスクリーム

高さが30 cmくらいはありそうなソフトクリームがよく売られていて、その器械には蜂が群がっている。それは今度の楽しみだとして、スーパーで袋のアイスを買って食べてみた。クリームは味わいに欠け、コーティングされているチョコはすぐに剥がれ落ちる。タイに「パルム」そっくりな「マグナム」というアイスがあるのだが、そういえば、それも食べながら歩いていると道にチョコがポロポロ落ちた。このあたりは日本技術に優位性があるものと勝手にみなすことにする。


誰だ君は


「Yogo」


「Prima」

■ 日本食

テヘランには「Kenzo」という日本料理店がある。また、「Monsoon」という日本食とアジア料理の系列店もある。どこでも「ホソマキ」や「フトマキ」があって、結構旨い。ただ、ちょっと値が張る。イランでは酒を飲めないからまだマシだ。


「Kenzo」の蟹のホソマキ


「Monsoon Lounge」の蟹とアボガドのホソマキ


「Monsoon」の海老天のホソマキ


「Monsoon」のビビンバ

■ ペルシャ料理

毎回来てしまう「Hani」はいつも賑わっている。L字型のコースを歩き、好きなものを取ってもらうシステムである。以前にケバブとサーモンを頼んで大変なことになったことがあって、今回はサーモンとフルーツゼリー。それでも食べ切れない。

テヘランは坂の街であり、北には山があってそれを越えるとカスピ海である。実は山の麓には素敵な飲食店街があって、葉っぱが降ってくるテーブルで肉にかぶりついていると本当に気持ちがいい。どこも家族連れですごく賑わっている。(ところで、イラン人女性はなぜああも美しい人ばかりなのだろう?)

■ カフェ飯

ハンバーガーやピザ。ジャガイモの上にチーズとハムを載せた料理。見たまんまの味である。


「Alvand Pizza」のハンバーガー


見たまんま


話し好き

■ イタリアン

街にはイタリア料理店も結構あって、これも結構いける。量が多くて途中から飽きてしまうのが難点。
「Bella Monica」のラザニア


読めない店の野菜ペンネ

■ ドリンク

フレッシュジュースは旨いのだが、独自のドリンクはあまり口に合わない。イランの仕事仲間が「あれは日本人は嫌いだろう」と言っていた、牛乳に塩が投入されたドリンクなんてその最たるものだ。しかし、好きになるまで飲むつもりである。


牛乳と塩のドリンク

■ ざくろ

イランはざくろの原産地である。今回は旬の時期が訪れる前なので、果物屋にもほとんど並んでいなかった。ひとつ買って宿の部屋で食べたが、やはりまだまだ。

●参照
旨いテヘラン
旨いテヘラン その2


高橋和夫『中東から世界が崩れる』

2016-08-25 07:43:35 | 中東・アフリカ

高橋和夫『中東から世界が崩れる イランの復活、サウジアラビアの変貌』(NHK出版新書、2016年)を読む。

サウジアラビア王室の世代交代とムハンマド・ビン・サルマン副皇太子の登場、イランの国際舞台への復帰、サウジとイランとの確執、トルコにとってのクルド人(国内、シリア北部、イラク北部)の位置づけなど、最新の情勢までを手際よく解説してある。

「べらんめえ調」とも思えるような歯切れのよさゆえ解りやすくはある。その一方で、サウジアラビアやその他の湾岸諸国を「国もどき」とばっさりと言い切っていることには違和感がある。歴史があり強固な国民統合があるように見えるネイションに大きな価値を置きすぎているのではないかと思えるわけである。これもイランへの肩入れによるものか。

●参照
鵜塚健『イランの野望』
桜井啓子編『イスラーム圏で働く』、岩崎葉子『「個人主義」大国イラン』
アレズ・ファクレジャハニ『一家族三世代の女性から見たイラン・イスラム共和国』
ジョン・フィルビー『サウジ・アラビア王朝史』
保坂修司『サウジアラビア』
中東の今と日本 私たちに何ができるか
酒井啓子『<中東>の考え方』
酒井啓子『イラクは食べる』


J・M・クッツェー『イエスの幼子時代』

2016-07-31 09:10:18 | 中東・アフリカ

J・M・クッツェー『イエスの幼子時代』(早川書房、原著2013年)を読む。

2013年に読んだ原著の内容を確認するための再読である。もっとも、訳者の鴻巣友季子氏があとがきで触れているように、スペイン語を母語としない登場人物たちがスペイン語で語り、その想定のもとにクッツェーが英語で物語を語っているのであるから、日本語による本書は異本のひとつだと言えなくもない。

あらすじはここに書いた通りだが(J・M・クッツェー『The Childhood of Jesus』)、受けた印象は少し違う。以前は、イエスを巡る物語をもとにした寓話なのだが、哲学的対話はいかにも浅く、突拍子もない展開によってのみ読ませる小説なのかととらえていた。ところが、再読によって別の印象が強くなってきた。すなわち、深みのない考察も、脈絡のない展開も、クッツェーの意図したものではないかというわけである。

人間的な欲を恥のようにとらえ、善意が支配しているが、よりよいヴィジョンを夢想もしない管理社会。そこに突破者として現れた少年の物語に、ハナから論理的な積み上げがあろうわけもないのだ。

突破者としての歩みと集団化をはじめた登場人物たちが、このあとどのように規範に背き、社会を揺るがしていくのか。本書の続編『The Schooldays of Jesus(イエスの学校時代)』が2016年秋に出されるのだという。確かにこの物語は、本書だけで終わるべきものではなかった。

●参照
J・M・クッツェー『The Childhood of Jesus』(2013年)
ポール・オースター+J・M・クッツェー『Here and Now: Letters (2008-2011)』(2013年)


レニ・リーフェンシュタール『ヌバ』

2016-07-14 07:25:50 | 中東・アフリカ

レニ・リーフェンシュタール『ヌバ』(新潮文庫、原著1982年)を読む。

レニ・リーフェンシュタールは、『オリンピア』(『民族の祭典』『美の祭典』)を撮り、ナチスのプロパガンダとなるものを提供したとしてずっと批判の対象であり続けた。それらのフィルムは、確かに観る者を大きな錯覚に導く力を持っているものであり、いかにレニが直接的に何も手を下すどころかナチの政策に同調もしていないと言ったところで、凶悪な権力の下でうまく生きてきたという批判は免れ得ない。

それはそれとして、『ヌバ』の文章は実に活き活きとしている。1960年代、スーダンに住むヌバ族の存在に気付いたレニは、たいへんな労苦とともに、かれらの居住域へと入っていった。現地の政府筋さえ、もうみんな文明化していてそのような人はいないと助言した。そのような、視えない存在であった。そして、逆にかれらも視たことがない「白人」として歓迎された。

このときレニは60代。信じられないパワーである。文庫に先立ちパルコ出版から出された大判の写真文集には、さらに虫明亜呂無の良いレニ評伝が含まれているが、それを読んでも、若いときから超人的に己の興味のみに従い表現を行ってきた人なのだなと実感する。しかし、それは犯罪的な純真さでもあったのだろうね。

それにしても素晴らしい写真群である。針で自分の身体をデコレートし、ときに白い灰を塗りたくり、至上の活動としてレスリングを行うヌバ族の姿がなまなましくとらえられている。レニは「白人」の客人として大事にもてなされるアウトサイダーでもあり、またかれらに良い笑顔を向けられるほど溶け込んだ存在でもあった。

パルコ出版の写真文集の口絵には、ヌバ族の男にカメラバッグを持たせ付き従わせて、カメラを下げて歩くレニの写真が収められている。どうもライカが初めて作った一眼レフである、初代ライカフレックス(ブラック)に見えるのだがどうだろう。


鵜塚健『イランの野望』

2016-06-09 06:47:39 | 中東・アフリカ

鵜塚健『イランの野望 浮上する「シーア派大国」』(集英社新書、2016年)を読む。記者のDさんにも推薦されていた本。

イランの核開発問題に関する合意により、経済制裁が部分的に解除された。本書は、もとよりイランをめぐる国際的な枠組みが不公平極まりないものであり、アメリカを中心とした国によるイランの扱いには批判されてしかるべきものがあったことを、明確に述べている。もちろんそこには歴史の積み重ねというものがあって、イラン・イスラム革命によって親米のパフラヴィー朝が倒れたこと、イラン・イラク戦争においてアメリカがイラクに肩入れし化学兵器の使用を許してしまったこと、イランのシリアへの支援、サウジアラビアとの確執など、最近のことだけをとってみても、非常に複雑であることがわかる。

著者は、イランの反米を卵の殻に例えている。しかし卵の中身には欧米への憧れや親しみという黄身が入っているのであって、黄身の肥大によって殻にひびが入ることさえもあるのだという。バフマン・ゴバディ『ペルシャ猫を誰も知らない』(2009年)はまさにその動きをとらえたドキュメンタリーだった。(テヘラン市内にはマクドナルドそっくりの「マシュドナルド」や、本物そっくりのKFCがあるということは知らなかった・・・。)

テヘランを歩いてみると実感できることだが、驚くほど豊かで、長い経済制裁を受けていた国という印象は希薄である。それは基本的には自国で何でも作ることができるためでもあるし、制裁の影響がイラン南部の貧困なほうにこそ出ているためでもある。また一方では、性能の良い技術を外部から導入できず、老朽化したもの(たとえば飛行機)を更新できないことによる悪影響もある。そして、核問題合意の直後から、欧州勢のイラン詣でがはじまった。

歴史を踏まえて現在のイランを俯瞰するための良書。

●参照
桜井啓子編『イスラーム圏で働く』、岩崎葉子『「個人主義」大国イラン』
2016年2月、テヘラン
2015年12月、テヘラン
イランの空
スーパーマーケットのダレイオス1世
テヘランの軍事博物館と緑の宮殿
旨いテヘラン
旨いテヘラン その2


旨いサウジアラビア その4

2016-03-01 06:30:41 | 中東・アフリカ

リヤド。あまり動き回るでもなし、結局同じようなものばかり食べている。

■ Samurai

といいつつ、ファイサリアのフードコート内にある謎の日本料理は試してみたかった。「Samurai」の横に、なぜか「鎧」という漢字が書かれている。メニューには寿司なんかもあるがちょっとその勇気はない。「ヤサイ・イタミ」なるものもある。傷んでどうすんだ。

迷った挙句、「フライ・シュリンプ」を頼んだ。45リヤル(約1300円)だからそれなりに高い。しかし、量は値段以上に多い。立派な海老フライが5本に、人参のかき揚げ、焼きそば。まあまあイケる味なのだが、さすがに多すぎて残した。

■ スターバックス

以前は外にあった店舗が、ファイサリアの中に移転していた。「モカ」というメニューが宣伝してあって、空爆している国の地名をそんなに無邪気に出してどんなものかと思ってしまう。どこでも同じだが、カウンターは単身用と、女性が頼めるファミリー用とに分けられている(中の人が目の前で移動するだけ)。ドリップのトールサイズが11リヤル(300円強)だから、味も値段も似たようなものである。

■ Abu Kamal

以前に野菜の中から焦げたカメムシが出てきたところだが、旨い証拠だとして許すことにする。定番は、そぎ落とした肉やヨーグルトをピタパンで包んだシュワルマ。最近、お茶の水にレバノン料理の店が出来たらしいのだが、そこでも食べられるだろうか。

■ Dayen

結局時間がないとフードコートに戻ってしまう。店の名前を何と読むのかわからないが、部分的にケンタッキー・フライド・チキンを模したような店。チキンナゲットを、大蒜入りヨーグルトソースで食べた。見たまんまの味。

●参照
旨いサウジアラビア
旨いサウジアラビア その2
旨いサウジアラビア その3


ジョン・フィルビー『サウジ・アラビア王朝史』

2016-02-29 10:16:05 | 中東・アフリカ

たぶん7回目のサウジアラビア。忙しくて短期の滞在であり、時差ボケも解消されず、ひたすら体調を崩さぬように努めている。そんなわけで、特にフラフラするでもなく、部屋で、ジョン・フィルビー『サウジ・アラビア王朝史』(法政大学出版局、原著1955年)をななめ読み。

サウジアラビアはサウード家の国家であり、その祖先は15世紀にまで遡ることができる。かれはリヤド近郊のディライーヤ(現在世界遺産に登録されているが、補修中で観ることができない)に居を定めた。中世のアラビア半島の地図を見るとわかることだが、非常に多くの部族によって支配地域が分割されている。サウード家の者たちもその中で勃興してきた勢力であった。

王国の黎明期は18世紀の初頭。王は厳格なイスラームの教えであるワッハーブ信仰に帰依し、そのことが、国の性格を定めていくことになった。そして部族間の絶え間ない抗争があり、国が成長していく。

この歴史の中でもっとも強大な敵勢力はオスマン帝国であった。19世紀にいちどはオスマン帝国によって壊滅させられたサウジアラビアだが、20世紀初頭に復活し、ついにはアラビア半島のほぼ全域を勢力下に収める。逆に言えば、それまでは、アラビア半島西岸のヒジャーズ地方は「トルコのもの」であった。ヒジャーズにあるジェッダの旧市街には、トルコ様式の建築物がたくさんあるのだが、それも頷ける(2014年12月、ジェッダ(1) 旧市街)。メッカとメディナという2つの聖地を支配したことが、どれだけこの国にとって大きなことであったか。

ところで、アラビア半島南西に位置するイエメンは、山岳地帯でもあり、今にいたるまで部族の力が強い。オスマン帝国に支配されたり、南部のアデンを含む海岸域を英国におさえられたりもしているが、サウジアラビアとの関係においても、独自のポジションを保有し続けてきたように見える。知らなかったことだが、20世紀には、イエメンのイマーム・ヤヒヤ(こんなところに住んでいた!)はイタリアのムッソリーニ政権と親密になり、武器を購入したりもしている。そして今では、サウジアラビアによる空爆に苦しめられている。長い確執を見出すことができるわけである。


「Arab News」2016/2/28における、イランのイエメン介入に対する批判記事

●参照
保坂修司『サウジアラビア』
イリヤ・トロヤノフ『世界収集家』 リチャード・バートンの伝記小説
2012年11月、リヤドうろうろ
2012年11月、リヤドの朝
リヤドの国立博物館
リヤドのビルと鍵と扉
リヤドの夜景
2014年9月、アラビア砂漠
2014年12月、ジェッダ(1) 旧市街
2014年12月、ジェッダ(2) 木の歩道橋
リヤドのゴールド・スーク
リヤドの昼景
アラビア湾 a.k.a. ペルシャ湾
旨いサウジアラビア
旨いサウジアラビア その2


2016年2月、ドバイ・モール

2016-02-14 22:21:23 | 中東・アフリカ

ドバイは人工的なビルばかりで、道もだだっ広く、何が楽しいのかわからないのだが、とりあえず世界一がある。世界一の高さ(828m)を誇る高層ビルのブルジュ・ハリファ。世界最大のショッピング・モールであるドバイ・モール。なお、ドバイ・モールの中では酒を飲むことができず、隣のホテル内にある飲食店ならばOK(外国人が泊まるホテルゆえ許可されている)。

夕食を食べにドバイ・モールを抜けて歩いた。やはり何が楽しいのか全然わからない。しかも、あまりの広さに出口がわからなくなった。

Minolta TC-1, Rokkor 28mmF3.5, Fuji 400H


2016年2月、テヘラン

2016-02-14 22:01:48 | 中東・アフリカ

すっかり好きになってしまった街、テヘラン。これでカードがもっと使えて、ネット規制が緩和されて、映画人が自由を取り戻して、交通渋滞がなくなれば・・・。

Minolta TC-1, Rokkor 28mmF3.5, Fuji 400H

●参照
2015年12月、テヘラン
イランの空
スーパーマーケットのダレイオス1世
テヘランの軍事博物館と緑の宮殿
旨いテヘラン
旨いテヘラン その2


テヘランの軍事博物館と緑の宮殿

2016-02-13 15:33:43 | 中東・アフリカ

テヘランは北の山に向かって発達していった街で、山を越えればカスピ海がある。街の北側の麓には、かつてパフラヴィー朝の離宮があった。今は、サアダーバード文化・歴史コンプレックスとして、古い宮殿が保存され、またさまざまな博物館が置かれている。試しに、軍事博物館と緑の宮殿を覗いてみた。何しろ緑あふれるだだっ広い敷地であり、それだけでお腹一杯。

■ 軍事博物館

外には新旧の対空砲、戦車、戦闘機、ヘリなどが並んでいる。アメリカの戦闘機F-86があるのは、パフラヴィー時代ゆえだろうか。そして驚いたことに、イラン・イラク戦争で撃墜されたイラク機が展示してあった。

中にはアケメネス朝時代から現代までの刀、鎧、銃器などが所せましと並んでいる。別に軍事モノが好きなわけでもなんでもないのだが、次々に凝視していると、兵器へのフェティシズムを作品に結実させた松本零士に共感してしまう自分を発見。撮影禁止でカタログもないのが残念。


第一次大戦時のソ連製対空砲


アメリカ製F-86




イラン・イラク戦争で撃墜されたイラク機


英国製の戦車


イラン製の対空砲

■ 緑の宮殿

パフラヴィー朝初代皇帝レザー・シャーが使った宮殿。中は途轍もなく絢爛豪華である。もっとも圧倒されるものは、無数の鏡を張り巡らせた「鏡の間」。こんなところで寝起きしていたらおかしくなってしまいそうだ。それはまあ、倒されるよなあ。

Nikon P7800

●参照
2015年12月、テヘラン
イランの空
スーパーマーケットのダレイオス1世
旨いテヘラン
旨いテヘラン その2


旨いテヘラン その2

2016-02-11 13:30:04 | 中東・アフリカ

昨年末に続いてふたたびテヘラン。日本在住の友人の弟さんにもお会いしたりして、とても親近感を覚える街なのだった。食べ物も量が多すぎるが旨い。

■ HANI(ペルシャ料理)

大評判のペルシャ料理にまた来た。前回は主メニューをふたつ取って撃沈したので、おさえめに牛肉のケバブとスープ。ご飯は盛らなかった。・・・・だが、やはり多かった。創業者の女性が近くに座ってあれこれと指示していた。

■ ざくろ

Palladiumという綺麗なショッピングモールが出来ていて、中は東南アジアやサウジアラビアと同じくブランドショップ満載。ほとんどイランに来た気にはならない。地下のスーパーマーケットで、ざくろをふたつ買って、ホテルの部屋で割って食べた。

■ iON(ペルシャ料理)

店の名前をそう読むのか、実はわからない。Paladiumにはフードコートには富裕層が来ているのか、それなりに高い。ケバブを焼きトマトやピクルスや生野菜と一緒にナンに巻いて食べる。

■ Alvand Pizza(ファーストフード)

時間がなくてまた来てしまった。光が射し込むいい雰囲気の店内で、ハンバーガーとコーラ。

■ サフラン味のアイス

これはイランならではだろう、サフラン味。

iphone 6s

●参照
旨いテヘラン


イリヤ・トロヤノフ『世界収集家』 リチャード・バートンの伝記小説

2016-01-10 08:41:38 | 中東・アフリカ

イリヤ・トロヤノフ『世界収集家』(早川書房、原著2006年)を読む。19世紀の冒険家、リチャード・フランシス・バートンの伝記小説である。

冒険家は多かれ少なかれ変人なのだろうが、バートンもまた超の付くほどの変人であった。奇人といっても怪人といっても巨人といってもよい。

イングランドに生まれ、オックスフォード大学で退屈をアラビア語の学習で紛らわすが、奔放に過ぎたため停学。東インド会社軍の募集に応じてボンベイ(現・ムンバイ)に赴き、誰もが身分の差を前提とする時代にあって、現地に溶け込み、ヒンディー語、ペルシャ語、アラビア語など多くの言語を習得する。それは辞書も何もない時代においてであって、場合によっては英国人と見破られずに最下層の社会にも入っていった。英国の軍や官吏はバートンの行動を奇怪・不快にとらえ、他国のスパイではないかという疑いさえもかけた。

英国に戻り、王立地理学協会の援助を得て、カイロでの滞在を経てメディナとメッカへの巡礼を果たす。もちろん偽装のうえであり、かれはペルシャ人の修道僧に扮した。記録魔ゆえの行動が勘繰られることはあっても、風体やことばから正体がばれることはなかった。この冒険をもとにした著書(1875年)はヨーロッパで大評判を呼んだ。

このあとにも、ナイル川の源流を求めキャラバンを率いて東アフリカを旅するなど、多くの冒険を行っている。そして、1885-88年に、『千夜一夜物語』を翻訳出版している。これは自分の創作も加えたものであり、バートン版として有名である。ホルヘ・ルイス・ボルヘス『七つの夜』(みすず書房)によれば、これは「人類学的でみだらな翻訳」であり、「部分的には14世紀に属する奇妙な英語で書かれ」ており、「古語や新造語に満ち」ているという。毀誉褒貶の激しいバートン版であるが、知識と好奇心の深い沼のようなバートンでなければものすことができなかった書なのであろう。ピエル・パオロ・パゾリーニ『アラビアンナイト』がどの版をもとにしたのか知らないのだが、いくつかの逸話はバートン版にも見出すことができた。おかしな沼がおかしな沼に魅せられても不思議はない。(なお、わたしは一揃い持っているが途中でくらくらして読み通していない。ボルヘスも読み通せないと書いている。)

この小説を書いたイリヤ・トロヤノフもまた随分な変人であるようだ。訳者あとがきによれば、ブルガリアに生まれ、両親の政治亡命でドイツに移住。幼少時からアフリカを「発見」したバートンに興味を抱き、この小説を書くため、30代になってムンバイに移住。バートンにならってヒンディー語を学び、現地を放浪。さらに、バートンと同じ速度で歩かなければならないという信念から、アフリカ東海岸におけるバートンの踏破ルートを3か月歩き続けた。そして、次に、メディナとメッカ巡礼の旅に出た。まさにバートンに憑依された人生である。700頁弱もある分厚い小説だが、ここまで書かなければ元はとれまい。

小説のインド編においては、バートンの語りと、召使の回想とが交互に挿入される。すでにこの時点で『カーマ・スートラ』的にエロエロである。アラビア編でも、バートンの回想と、オスマントルコ総督らの猜疑心に満ちた追求とが交互に語られる。最後の東アフリカ編では、やはり、バートンと、別の英国人探検家ジョン・ハニング・スピークと、インド人の道案内との語りがぐちゃぐちゃに混交する。どこまでバートンの実際の姿なのかわからないとは言え、底無しのパラノイア的な人物であったことは痛いほど伝わってきた。

史実という面からバートンを見るには、R.H.キールナン『秘境アラビア探検史』(法政大学出版局)が良書である。バートンについては下巻に記述がある。もっとも同書もひとつの章だけでバートンを語ることはできず、東アフリカでのスピークとの手柄争いについては端折っている。

なお、『世界収集家』において、イエメンの噛む葉っぱのことを「チャット」と書いているがこれは適切ではなく、ふつうは「カート」と呼ぶ(カート、イエメン、オリエンタリズム)。キールナン本によれば、イエメンを旅したデンマーク人カールステン・ニーブールの探検隊の者がはじめて分類した(発見した)植物であったようだ。ニーブールの探検旅行については、キールナン本の上巻においてひとつの章が割かれており、また、これを小説にしたトーキル・ハンセン『幸福のアラビア探検記』(六興出版)がおすすめである。

バートンは、メッカ巡礼時にエチオピアから紅海を渡りイエメンのアデンを経たわけだが、そのルートと、カートの両方に魅せられて旅をした変人もいる。ケヴィン・ラシュビー(Kevin Rushby)『Eating the Flowers of Paradise』(St. Martin's Press、1999年)がその記録であり、当時面白く読んだ。ウィリアム・バロウズ『麻薬書簡』やオルダス・ハクスリー『知覚の扉』と並ぶドラッグ関係の奇書ではないかと思うがどうか。

 


モフセン・マフマルバフ『独裁者と小さな孫』

2016-01-01 23:13:56 | 中東・アフリカ

新宿武蔵野館にて、モフセン・マフマルバフ『独裁者と小さな孫』(2014年)を観る。

どこかの国。独裁政治の終焉など夢にも想像しない大統領の老人と、我儘な一族。かれらは突然の民主革命でその地位を奪われる。妻や娘を外国に逃亡させるが、大統領と、かれになつく孫だけは国に残る。甘い見通しだった。ふたりは身をやつし、逃亡を続ける。耳に入ってくる声は、大統領への憎しみばかり。それすら知らないで、のうのうと権力の座にあったのだった。やがて反乱兵たちに見つかり、最期が訪れる。だが、暴力を持って報復することは誤りだと叫ぶ男が割って入り、ではどうすればよいのかと問われ、男が発した答えとは。

寓話的な政治物語である。暴力の連鎖を断つために、どのような倫理を引き出し、現実的な解を見出すか。マフマルバフにより最後に提示される解はあまりにも曖昧だが、だからこそ示唆的で、こちらの思索を促してやまないものではないか。

●参照
モフセン・マフマルバフ『カンダハール』(2001年)
モフセン・マフマルバフ『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』(2001年)