Sightsong

自縄自縛日記

『喫茶茶会記 - profile 1 -』

2018-02-28 23:31:07 | アヴァンギャルド・ジャズ

『喫茶茶会記 - profile 1 -』(2017年、Transistor Press)を読む。

四谷三丁目の喫茶茶会記の店主は福地史人さん。美学を身にまとっているようなカッコいい人である。しかしその福地さんがほぼ同い年であるだけでなく、昔同じ会社にいたことが最近わかり、驚いてしまった。もっとも業態がかなり違ったのではあるけれど、すれ違っていたとしてもおかしくはない。

それはともかく、本書は、開店から10年を迎えた茶会記において表現を行う人たちや、関わりのある人たちが、自分自身のプロフィールらしきものを書いたものである。総勢60余名。スタイルもノリもやっていることもまちまちであり、それがいかにも茶会記。

ここで遭った人も、他で知っていた人もいる。知らない人もいる。それもこれも全部縁。足を運んでいれば、そのうちまた別の縁もできるかもしれない。場というものも縁というものも面白い。「profile 2」も楽しみである。


『ザ・閉店2 ―定食・洋食篇―』

2018-02-27 08:06:19 | 食べ物飲み物

『ザ・閉店2 ―定食・洋食篇―』(2017年)を読む。欲しいなと思っていたら新宿の模索舎にあった。文と写真はtwitterでもよく拝見する刈部山本さん。

すでに閉店した食堂が紹介してあり、下には、その代わりとして「ここで食え!」と現役の食堂。そのセットが1頁。ジャンルは定食屋などの食堂のみならず、町中華、大衆酒場、立ち食いそば、カレー、パン・喫茶。残念ながらジャンル的にすべてヒットする。

三原橋の半地下、シネパトス近くにあった「カレーコーナー三原」には結局入らなかった。神保町の「徳萬殿」には数回入ったのだが、普通の勤め人が半端ない大盛を平然と平らげているのを目撃して仰天した。7年以上離れていて、また近くの職場に戻ってきたら、すでに閉店していた。隣の「ふらいぱん」もその後閉店した。裏側(というか、すずらん通り側)の「キッチン南海」についても閉店という誤情報が流れて焦った。思い出はこのような人情食堂とともにある。

「アツアツのを頬張ると、やんわりと玉子とご飯の甘みがきて、焦げた香ばしさとネギのニガ甘さと合わさって、なんでもないこと極まれり! 量的にはそんなに多くないが、満足感がハンパない」とか、次々に読んでいるとやたら笑える。やっぱり「卵」より「玉子」だよなあ。「なんでもないこと極まれり」に真実がある。

で、昨日と今朝、神保町の「天丼いもや」と「とんかついもや」が3月末に閉店との報。これは誤報ではなさそうだ。悲しい。

とりあえず、「ここで食え!」をもとに食べログにいくつか登録した。


ヴィクトール・E・フランクル『夜と霧』

2018-02-27 00:31:40 | ヨーロッパ

ヴィクトール・E・フランクル『夜と霧』(みすず書房、原著1946年、1977年)を読む。

もちろん旧版(1946年)の邦訳(1956年)は読んだことがあったのだけれど、改訂された原著(1977年)にもとづく新訳(2002年)に接するのははじめてだ。今回旧版・新版と続けて読むことで、ずいぶん訳が現代的に柔らかくなっていることに気が付いた。ただし、それが良いとは限らない。ごつごつした文章のあちこちにぶつかりながら読むことにも意味がある。

それにしても、あまりにも怖ろしい体験記であり、思索の記録である。人はどこまでも残酷になりうる存在であり、それは立場によらないことが、体験をもとに記されている。人が試されるのは「いつか先」ではなく、「そのとき」であるのだ。そしてどのようであっても自分は自分であり、生きることの意味を「そのとき」に噛みしめられる者のみが、環境に従属することなく、人として生き延びることができた。

本書の中に、列車で収容所に運ばれる者が、自分の生まれ故郷を眺め、まるで自分が霊であるかのように思うというくだりがある。ヴィム・ヴェンダースが『ベルリン・天使の詩』を撮ったとき、つまり自分(たち)が自分(たち)の現実を生きるのだというテーマを物語にしたとき、『夜と霧』のことを意識していたのではなかったか、なんて妄想したりしている。

●参照
芝健介『ホロコースト』
飯田道子『ナチスと映画』
クロード・ランズマン『ショアー』
クロード・ランズマン『ソビブル、1943年10月14日午後4時』、『人生の引き渡し』
ジャン・ルノワール『自由への闘い』
アラン・レネ『夜と霧』
マーク・ハーマン『縞模様のパジャマの少年』
ニコラス・フンベルト『Wolfsgrub』
フランチェスコ・ロージ『遥かなる帰郷』
マルガレーテ・フォン・トロッタ『ハンナ・アーレント』
ジャック・ゴールド『脱走戦線』
マルティン・ハイデッガー他『30年代の危機と哲学』
徐京植『ディアスポラ紀行』
徐京植のフクシマ
プリーモ・レーヴィ『休戦』
高橋哲哉『記憶のエチカ』


クリヤ・マコト+納浩一+則竹裕之『Acoustic Weather Report』

2018-02-26 23:41:52 | アヴァンギャルド・ジャズ

クリヤ・マコト+納浩一+則竹裕之『Acoustic Weather Report』(Sony、2016年)を聴く。

Makoto Kuriya クリヤ・マコト (p)
Koichi Osamu 納浩一 (b)
Hiroyuki Noritake 則竹裕之 (ds)

スタイリッシュでゴージャス。タイトルの通り、ウェザー・リポートの曲をアコースティックのピアノトリオで演奏するというコンセプトである。

クリヤさんはいつになっても溌剌としているし、納浩一のベースは空を翔けるように軽い(「A Remark You Made」のベースソロなんて気持ちいい)。そして白眉はやはり「Birdland」。レコ初ツアーに行けばよかった。


東京⇄沖縄 池袋モンパルナスとニシムイ美術村@板橋区立美術館

2018-02-25 21:27:29 | 沖縄

西高島平の板橋区立美術館に足を運んだ。「東京⇄沖縄 池袋モンパルナスとニシムイ美術村」展、初日である。

1920年代以降、落合や池袋といった安い「郊外」に若者が集まった。それは、同時期に堤康次郎らによってハイソな街として開発された「目白文化村」などとはもとより性質を異にするものだった(なお堤は戦後、西武線沿線の開発で成功する >> 原武史『レッドアローとスターハウス』)。とはいえ島津製作所の島津家などパトロンもいるにはいた。

20年代に、中村彜、佐伯祐三らが落合に住み始め、30年代には松本俊介も来た。さらに30年代には、落合から歩ける距離の池袋にもアーティストたちが集まり、「池袋モンパルナス」と呼ばれた。そこには、小熊秀雄、メキシコ帰りの北川民次、アメリカ帰りの野田英夫、長谷川利行、麻生三郎らがいた。この名前から容易に想像できるように、フォーヴィズムやシュルレアリスムといった海外の最先端の受容に大きな役割を果たしたコミュニティであったのだろう。かれらの芸術運動は戦時中には抑圧されるも、戦後また復活を遂げている。新しい運動の担い手が、高山良策や山下菊二らであり、その作品は社会批判的な色彩を帯びることとなった。

ここで、なぜ沖縄なのか。戦前の落合や池袋には、名渡山愛順、南風原朝光、山元恵一ら沖縄出身のアーティストがいて、戦後の沖縄においてその精神や運動を共有した。また山之口獏は池袋の「おもろ」を根城にして沖縄を発信し、沖縄を想い続けた。首里のニシムイ美術村では玉那覇正吉、安谷屋正義、大嶺政寛、安次嶺金正らも集まり独自性を拡張していった。

この動きは東京から沖縄への一方向ではない。戦前、戦後ともに、沖縄は藤田嗣治、山崎省三、丸木夫妻などの作品制作のインスピレーション源でもあり、それは沖縄と東京とを往還した者たちの手引きによってこそ成り立つものだった。

以上が、この展覧会のおおよそのアウトラインである。それを背景として作品を鑑賞すると、さまざまな発見がある。

佐伯祐三が落合を描くなんて場所を飛び越えていて興奮させられる。松本俊介の童話の挿絵のような、テンペラ画のような作品は、この場に位置付けるとさらに観る方の想像も広がってゆく。小熊秀雄のスケッチには実に味がある。藤田嗣治が描く沖縄は、一見そうであっても、オリエンタリズムなどを超えている。山元恵一のシュルレアリスム作品は、沖縄の太陽に照らされている。安次嶺金正の人いきれや倦怠感は素晴らしい。安谷屋正義のきりきりに削っていったかのような半具象・半抽象の作品を4点も観ることができた(以前に沖縄県立博物館・美術館で観て印象的だった「塔」も来ている)。大嶺政寛(大嶺政敏の兄)の「1950年西原」には打ち棄てられた米軍の戦車が描かれており、ごりっとした違和感を抱くも、実はそれは現在に直接つながっていることに気付かされる力がある。そして丸木夫妻の「沖縄戦の図」の一部。

会場では、沖縄県立博物館・美術館で2015年に開かれた「ニシムイ 太陽のキャンバス」展の図録も入手できる。さすがに沖縄の作品をもっと多く紹介しており、こちらもとても興味深い。

必見。

●参照
高良勉『魂振り』
「琉球絵画展」、「岡本太郎・東松照明 まなざしの向こう側」、「赤嶺正則 風景画小品展」
平和祈念資料館、「原爆と戦争展」、宜野湾市立博物館、佐喜真美術館、壺屋焼物博物館、ゆいレール展示館
佐喜眞道夫『アートで平和をつくる 沖縄・佐喜眞美術館の軌跡』
山之口貘のドキュメンタリー
沖縄・プリズム1872-2008


吉田隆一+石田幹雄『霞』

2018-02-25 20:37:10 | アヴァンギャルド・ジャズ

吉田隆一+石田幹雄『霞』(Sincerely Music、2009年)。入手した直後に姿を消してしまいガッカリしていたのだが、最近、棚の隅っこから救出された。ああよかった。

Ryuichi Yoshida 吉田隆一 (bs)
Mikio Ishida 石田幹雄 (p)

これはなに的というのだろうか。日本のジャズ的?吉田隆一的、石田幹雄的?

吉田さんのバリサクは、重たくでかい拳をもってカンフーの闘いのようにばしんばしんと突きまくる。音の先っぽのエッジがとても立っている。一方の石田さんも強靭さでは負けるわけもなく、新たな数列を確信をもっているかのように編み出し即座にぶつけてくる。まるで北斗神拳のケンシロウと北斗琉拳のハンの勝負のようだ。かれらは千手観音のように高速の突きを互いに繰り広げ、殺し合いのくせに愉し気なのだった。これは殺し合いではないが。

●吉田隆一
藤井郷子オーケストラ東京@新宿ピットイン(2018年)
MoGoToYoYo@新宿ピットイン(2017年)
秘宝感とblacksheep@新宿ピットイン(2012年)
『blacksheep 2』(2011年)

●石田幹雄
齋藤徹 plays JAZZ@横濱エアジン(JazzTokyo)(2017年)
後藤篤『Free Size』(2016年)
松風鉱一カルテット+石田幹雄@新宿ピットイン(2016年)
田村夏樹+3人のピアニスト@なってるハウス(2016年)
松風鉱一カルテット+石田幹雄@新宿ピットイン(2015年)
5年ぶりの松風鉱一トリオ@Lindenbaum(2013年)
纐纈雅代 Band of Eden @新宿ピットイン(2013年)

松風鉱一カルテット@新宿ピットイン(2012年)
寺田町の映像『風が吹いてて光があって』(2011-12年)
石田幹雄トリオ『ターキッシュ・マンボ』(2008年)


ウルリケ・レンツ+ヨシュア・ヴァイツェル『#FLUTESHAMISEN』

2018-02-25 19:51:05 | アヴァンギャルド・ジャズ

ウルリケ・レンツ+ヨシュア・ヴァイツェル『#FLUTESHAMISEN』(2016年、Factorvac)を聴く。

Ulrike Lentz (piccolo, fl, fl with glissando headjoint, alto fl, flutetubes)
Joshua Weitzel (chuzao shamisen)

タイトルの通り、フルートと三味線。ふたりともドイツ人である。

ヨシュア・ヴァイツェルは日本で働いていたこともあり、日本語も堪能である。かれが三味線を日本の伝統音楽として学んだのかどうかわからないのだが(ギターも弾く)、それはどちらでもよい。これを聴くと、独自文脈でのインプロとして、三味線にもさまざまな表現があるのだなと驚かされる。掻き鳴らしも、細い弦を強く張ったことによる独特の振動音も、音をそこから外部につまみ出すような手法も。

その多彩さはウルリケ・レンツのフルートについても言うことができる。もとより音波が安定しない楽器だが、そのことを活用したゆらぎが効果的で、尺八を思わせもする。唇付近の音を増幅させる時間も、管全体の風のような共鳴を際立たせる時間もある。

このふたりによる即興が2曲。面白く興味深い。ヨシュアさんは今年の7月にも来日するそうであり、ぜひいろいろ手法や考えについて訊いてみたい。

●ヨシュア・ヴァイツェル
二コラ・ハイン+ヨシュア・ヴァイツェル+アルフレート・23・ハルト+竹下勇馬@Bar Isshee
(2017年)
大城真+永井千恵、アルフレート・23・ハルト、二コラ・ハイン+ヨシュア・ヴァイツェル+中村としまる@Ftarri
(2017年)


ヴィム・ヴェンダース『ベルリン・天使の詩』

2018-02-25 09:11:00 | ヨーロッパ

ヴィム・ヴェンダース『ベルリン・天使の詩』(1987年)を観る。もう学生の頃以来だからゆうに20年以上ぶりの鑑賞である(DVDを買った)。

歴史が始まってからずっと人間を観察し、静かに守ってきた天使たち。そのひとりダミエル(ブルーノ・ガンツ)が、自分の身体で実感できる世界や、自分の作る歴史をもとめて、人間になる。きっかけのひとつは、サーカスの踊り子マリオン(ソルヴェーグ・ドマルタン)の存在でもあった。

何しろ、ベルリンの壁があった28年間の末期に撮られたフィルムである。革命が起きて市民により壁が壊されるのは、このわずか後なのだ。それに向かう予感や予兆があったのだろうか、それともあくまで希望だったか。

大事な場所はポツダム広場。壁があるために荒れ地となっており、かつての繁栄を知る歌い手が歩いてきて、その変わりように絶望している。ダミエルは自分自身の時代を作ると決意する。そして人間になって再会するマリオンは、ダミエルに対し、主体として私・あなたよりも「広場」(platz)を何度も口にする。すなわち、映画は個人の物語を超えて、新たな社会の胎動と人間のつながりに向けた大きな物語として提示されていたように思えてならない。

先日ポツダム広場を訪れたところ、壁の一部がモニュメントとして残されて開発されており、この映画の雰囲気などまるで感じられない場所となっていた。その何日かあと、壁がなくなってからの時間が、壁が存在していた時間を超えてしまった。

●参照
ヴィム・ヴェンダース『パレルモ・シューティング』
ヴィム・ヴェンダース『ランド・オブ・プレンティ』、『アメリカ、家族のいる風景』
ヴィム・ヴェンダース『ミリオンダラー・ホテル』


サイモン・ナバトフ+マックス・ジョンソン+マイケル・サリン『Free Reservoir』

2018-02-23 08:01:48 | アヴァンギャルド・ジャズ

サイモン・ナバトフ+マックス・ジョンソン+マイケル・サリン『Free Reservoir』(Leo Records、2016年)を聴く。

Simon Nabatov (p)
Max Johnson (b)
Michael Sarin (ds)

サイモン・ナバトフのピアノからは、どうしてもジャキ・バイアードを想起させられる。コード進行に沿ったアドリブ展開の先にあるものではなく、奇妙な装飾音が装飾から主役に、奇妙な和音が和音から主役にずっと躍り出ており、すべてを並列に提示している。そのためスタイルも歴史上の位置も越えている。こういうものに接すると、「ジャズの正史」がどうのと言うことが実にバカバカしいものに感じられる。

ナバトフとマイケル・サリンとは30年来の付き合いだというが、マックス・ジョンソンは若くそうではない。しかしこのジョンソンのベースが実に柔軟に、ナバトフの千の手に絡んでいく。やはり凄腕。

●サイモン・ナバトフ
サイモン・ナバトフ@新宿ピットイン(2017年)
サイモン・ナバトフ+トム・レイニー『Steady Now』
(2005年)

●マックス・ジョンソン
ヨニ・クレッツマー『Five』、+アジェミアン+シェイ『Until Your Throat Is Dry』(JazzTokyo)
(2015、16年)
クリス・ピッツィオコス『Gordian Twine』(2015年)
マックス・ジョンソン『In the West』(JazzTokyo)(2014年)
マックス・ジョンソン『Something Familier』(2014年)

●マイケル・サリン
マーク・ドレッサー『Unveil』、『Nourishments』(2003-04年、2013年)
ブリガン・クラウス『Good Kitty』、『Descending to End』(1996、99年)


ジェームス・イルゲンフリッツ『Origami Cosmos』

2018-02-22 23:40:06 | アヴァンギャルド・ジャズ

ジェームス・イルゲンフリッツ『Origami Cosmos』(Infrequent Seams、2016年)を聴く。

James Ilgenfritz (b)

コントラバスソロであり、マサオカ・ミヤやエリオット・シャープなどの曲を演奏している。

一聴しただけでかなり個性的な人だとわかる。印象としては、まるで弦が中心に屹立し、その振動を力技で、しかも綺麗に、増幅している。幅広い周波数の取り込みや、胴のきしみなどは逆にあまりない。それもひとつの方向性として、強靭さがあってこそ成り立っているのであり、ちょっと聴き惚れてしまう。

やはりコントラバスソロでのアンソニー・ブラクストン曲集を出したり、ジョシュ・シントンやジェレマイア・サイマーマンやルーカス・リゲティと組んだりと、その意味でもかなり癖がある人のようである。発見である。


齋藤徹+喜多直毅+外山明@cooljojo

2018-02-18 21:37:42 | アヴァンギャルド・ジャズ

本八幡のcooljojoにおいて、齋藤徹、喜多直毅、外山明という驚いてしまうトリオ(2018/2/17)。

Tetsu Saitoh 齋藤徹 (b)
Naoki Kita 喜多直毅 (vln)
Akira Sotoyama 外山明 (ds)

齋藤・喜多両氏は多くの共演を重ねていることからも、やはりサプライズは外山明さんの参加である。注目の大きさゆえだろう、かなり多くのオーディエンスが集まった。というのも、外山さんのフィールドはジャズという印象が強いからだが、そのジャズでももとより規格外の存在だった(すべて腰から下に設置してあるドラムセットも実にユニークだ)。長いこと参加している松風鉱一さんのカルテットについても、松風さんは、「最初の演奏でもう解散だと思った」と笑いながら話していた、それほどなのだった。

とは言っても、昨年には大上流一、徳永将豪というどインプロのプレイヤーたちと共演もしている。そしてこの日わかったことは、外山明のプレイはどの文脈でも外山明ということだった。そういえば、昨年NYでヴォイスパフォーマーの山崎阿弥さんが、地下鉄の中でずっと、如何に外山さんの音が普通から逸脱しているかという「外山愛」を語り続けたこともあった。

ファーストセット。静かに音楽に入ってくる喜多・齋藤のふたり。外山さんは最初はバスドラとシンバルでその中に身を入れる。いきなり何かをじゃーんと作り上げてはならないのだ。テツさんは触るか触らないかといった弦へのアプローチを見せる。やがて各人の音は多彩化していき、また相互に触発されて次の音を出すのだが、それは追従という言葉とかけ離れている。勝手に独立して動いているわけでもない。このあたりが、三者三様のすぐれたインプロの面白さである。

喜多さんはロングトーンでスピードを求め、テツさんはエネルギーレベルを上げ、外山さんはドラムの端と中とで見事な対照を示した。潮目が変わり、大きなうねりが創出されてくる。テツさんと喜多さんが弓を振り風切り音を出すと、外山さんは悪乗り風に腕を振り息で風音を作った。弦ふたりのきしみと、シンバルの金属音。テツさんは驚くほど力強く指弾きでドライヴし、外山さんはようやくジャズドラム的なパルスを発した。ここで喜多さんがアジア的な旋律に持ち込み、そして、全員が浮力を求めた。外山さんはその浮力にバスドラを使って貢献した。また何度目か、潮目が変わり、テツさんが物語的な旋律、外山さんがスピード、喜多さんが琴のような音を、触発の連鎖により発した。触発というより常に移動する憑依かもしれない。喜多さんは最後に時間の流れの中心にあった。

セカンドセット。まずは外山さんが、スティックの指による摩擦を叩きへと変換する。喜多さんのかそけき音、テツさんの存在感のある音、この弦ふたりのサウンドが、ファーストセットに続き、アジア的なものへと接近するように聴こえた。やがてテツさんがハミングするように歌った。ここで見せた、外山さんの複雑なリズムは見事だった。喜多さんが周波数を連続的に変えてゆくのだが、サウンドはまたアジアへ、ムード歌謡にまで触手を伸ばした。

潮目が変わり、外山さんが奇妙なリズムで主導し、ときにふたりを煽る。テツさんはコントラバスを横たえた。しばらくするうちに、なぜだろう、リズムと弦の擦りとの主客逆転があって、耳の方向が変わっていった。

また誰が主導するでもなく別の時間が来て、弦のふたりは葬送を思わせる和音を奏で始めた。ドラムスはしばし沈黙した。その和音が飽和したのか、外山さんが再び介入した。弦による長い長いもの、ドラムスによる短く断続的なもの、その対照。最後は、テツさんがコントラバスを愛おしむようにやさしく撫でた。もしかすると、直前にコントラバスに亀裂を入れて修繕したことに起因する振る舞いなのかもしれなかったが、無粋かと思い、そのことを訊くことはやめた。

Fuji X-E2、XF35mmF1.4、XF60mmF2.4

●齋藤徹
かみむら泰一+齋藤徹@本八幡cooljojo(2018年)
齋藤徹+喜多直毅+皆藤千香子@アトリエ第Q藝術(2018年)
2017年ベスト(JazzTokyo)
即興パフォーマンス in いずるば 『今 ここ わたし 2017 ドイツ×日本』(2017年)
『小林裕児と森』ライヴペインティング@日本橋三越(2017年)
ロジャー・ターナー+喜多直毅+齋藤徹@横濱エアジン(JazzTokyo)(2017年)
長沢哲+齋藤徹@東北沢OTOOTO(2017年)
翠川敬基+齋藤徹+喜多直毅@in F(2017年)
齋藤徹ワークショップ特別ゲスト編 vol.1 ミシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+佐草夏美@いずるば(2017年)
齋藤徹+喜多直毅@巣鴨レソノサウンド(2017年)
齋藤徹@バーバー富士(2017年)
齋藤徹+今井和雄@稲毛Candy(2017年)
齋藤徹 plays JAZZ@横濱エアジン(JazzTokyo)(2017年)
齋藤徹ワークショップ「寄港」第ゼロ回@いずるば(2017年)
りら@七針(2017年)
広瀬淳二+今井和雄+齋藤徹+ジャック・ディミエール@Ftarri(2016年)
齋藤徹『TRAVESSIA』(2016年)
齋藤徹の世界・還暦記念コントラバスリサイタル@永福町ソノリウム(2016年)
かみむら泰一+齋藤徹@キッド・アイラック・アート・ホール(2016年)
齋藤徹+かみむら泰一、+喜多直毅、+矢萩竜太郎(JazzTokyo)(2015-16年)
齋藤徹・バッハ無伴奏チェロ組曲@横濱エアジン(2016年)
うたをさがして@ギャラリー悠玄(2015年) 
齋藤徹+類家心平@sound cafe dzumi(2015年)
齋藤徹+喜多直毅+黒田京子@横濱エアジン(2015年)
映像『ユーラシアンエコーズII』(2013年)
ユーラシアンエコーズ第2章(2013年)
バール・フィリップス+Bass Ensemble GEN311『Live at Space Who』(2012年)
ミシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+齋藤徹@ポレポレ坐(2011年)
齋藤徹による「bass ensemble "弦" gamma/ut」(2011年)
『うたをさがして live at Pole Pole za』(2011年)
齋藤徹『Contrabass Solo at ORT』(2010年)
齋藤徹+今井和雄『ORBIT ZERO』(2009年)
齋藤徹、2009年5月、東中野(2009年)
ミシェル・ドネダと齋藤徹、ペンタックス43mm(2007年)
齋藤徹+今井和雄+ミシェル・ドネダ『Orbit 1』(2006年)
明田川荘之+齋藤徹『LIFE TIME』(2005年)
ミシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+齋藤徹+今井和雄+沢井一恵『Une Chance Pour L'Ombre』(2003年)
往来トリオの2作品、『往来』と『雲は行く』(1999、2000年)
齋藤徹+ミシェル・ドネダ+チョン・チュルギ+坪井紀子+ザイ・クーニン『ペイガン・ヒム』(1999年)
齋藤徹+ミシェル・ドネダ『交感』(1999年)
久高島で記録された嘉手苅林昌『沖縄の魂の行方』、池澤夏樹『眠る女』、齋藤徹『パナリ』(1996年)
ミシェル・ドネダ+アラン・ジュール+齋藤徹『M'UOAZ』(1995年)
ユーラシアン・エコーズ、金石出(1993、1994年)
ジョゼフ・ジャーマン 

●喜多直毅
齋藤徹+喜多直毅+皆藤千香子@アトリエ第Q藝術(2018年)
ロジャー・ターナー+喜多直毅+齋藤徹@横濱エアジン(JazzTokyo)(2017年)
翠川敬基+齋藤徹+喜多直毅@in F(2017年)
喜多直毅+マクイーン時田深山@松本弦楽器(2017年)
黒田京子+喜多直毅@中野Sweet Rain(2017年)
齋藤徹+喜多直毅@巣鴨レソノサウンド(2017年)
喜多直毅クアルテット@求道会館(2017年)
ハインツ・ガイザー+ゲリーノ・マッツォーラ+喜多直毅@渋谷公園通りクラシックス(2017年)
喜多直毅クアルテット@幡ヶ谷アスピアホール(JazzTokyo)(2017年)
喜多直毅・西嶋徹デュオ@代々木・松本弦楽器(2017年)
喜多直毅+田中信正『Contigo en La Distancia』(2016年)
喜多直毅 Violin Monologue @代々木・松本弦楽器(2016年)
喜多直毅+黒田京子@雑司が谷エル・チョクロ(2016年)
齋藤徹+かみむら泰一、+喜多直毅、+矢萩竜太郎(JazzTokyo)(2015-16年)
うたをさがして@ギャラリー悠玄(2015年)
http://www.jazztokyo.com/best_cd_2015a/best_live_2015_local_06.html(「JazzTokyo」での2015年ベスト)
齋藤徹+喜多直毅+黒田京子@横濱エアジン(2015年)
喜多直毅+黒田京子『愛の讃歌』(2014年)
映像『ユーラシアンエコーズII』(2013年)
ユーラシアンエコーズ第2章(2013年)
寺田町の映像『風が吹いてて光があって』(2011-12年)
『うたをさがして live at Pole Pole za』(2011年)

●外山明
Shield Reflection@Ftarri(2017年)
渋谷毅オーケストラ@新宿ピットイン(2017年)
渋谷毅オーケストラ@新宿ピットイン(2016年その3)
渋谷毅オーケストラ@新宿ピットイン(2016年その2)
渋谷毅オーケストラ@新宿ピットイン(2016年その1)
松風鉱一カルテット+石田幹雄@新宿ピットイン(2016年)
渋谷毅+市野元彦+外山明『Childhood』(2015年)
松風鉱一カルテット+石田幹雄@新宿ピットイン(2015年)
纐纈雅代『Band of Eden』(2015年)
渋谷毅エッセンシャル・エリントン@新宿ピットイン(2015年)
渋谷毅オーケストラ@新宿ピットイン(2014年)
纐纈雅代 Band of Eden @新宿ピットイン(2013年)
松風鉱一カルテット@新宿ピットイン(2012年)
渋谷毅オーケストラ@新宿ピットイン(2011年)
松風鉱一カルテット、ズミクロン50mm/f2(2007年)
原みどりとワンダー5『恋☆さざなみ慕情』(2006年)


『けーし風』読者の集い(34) 正念場を迎えるために

2018-02-18 20:00:14 | 沖縄

『けーし風』第97号(2018.1、新沖縄フォーラム刊行会議)の読者会に参加した(2018/2/10、秋葉原/御茶ノ水レンタルスペース会議室)。参加者は6人。

以下のような話題。

●村岡敬明さん(明治大学研究・知財戦略機構研究推進員)(参加者)による、読谷村の戦後写真のデジタルアーカイブ化運動。10月公開に向けて資金をクラウドファンディングで集めている。>> リンク
●APALA(アジア太平洋系米国人労働者連盟)のアメリカにおける大会(2017/8)。ここにオール沖縄など34名が参加し、沖縄の米軍基地拡張への反対、APALAの所属組合への働きかけ、米国議会への働きかけが採択された。ロビー活動など具体的なアクションはこれから。
●上原成信さん(沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック)が2017年10月に亡くなったこと。何年か前まで、いつもこの読者会に来ておられた。私も報道でご逝去を知った。ご冥福を。>> 上原成信・編著『那覇軍港に沈んだふるさと』
●山城博治さんの那覇地方裁における判決は2018/3/14。本誌には、一方的で強引な裁判であることが書かれている。
●産経新聞と八重山日報のフェイクニュース。この2紙は一応の謝罪文を掲載したが、東京MXテレビは両論併記の検証番組を放送しただけで、社として謝罪はしていない。
●名護市長選。残念ながら稲嶺市長が敗れた。当選した渡具知氏が基地推進を謳っていたわけではない。稲嶺優勢が伝えられていたにも関わらず、組織的な期日前投票と公明票によって結果が変わった。稲嶺市長は政府予算に頼らない財政健全化を行ったにもかかわらず、そのせいでオカネが入ってこないとする間違ったネガティブキャンペーンが行われた(それとは関係ないのに、名護のシャッター通りの映像が利用されたりもした)。舛添前都知事も、市民が経済を選んだと誤ったツイッターを発した。
●辺野古を争点のひとつにした選挙はこれで6回目。なぜこうも迫られなければならないか。
●名護市民の反応として、どうせ基地ができてしまうのなら取るものを取ろうという、どこでも見られる現実立脚主義があるのではないか。
●オール沖縄の行き詰まりはどうか。次回の県知事選で翁長知事はあやういのではないか。稲嶺市長が出馬する可能性はないか。
●名護市許田の宿が安い(2000円くらい)。
●ピーター・ガルビン氏(生物多様性センター)が、動物愛護は個人のもの、軍事はそうでないもの、それゆえ辺野古のジュゴン問題が難しいといった旨の発言をしていることへの違和感。環境NGOは政治との関わりを持っているものである。
●読谷村の若者がチビチリガマを荒らした事件。1回目は知花昌吉氏が日の丸に火を付けたあと、2回目が5年ほど前にあって、今回は3回目とのこと。沖縄の平和教育の退行ゆえではないかとの危機感があるようだ。金城実氏らが関わって更生プログラムを実現したことは沖縄ならではか。
●辺野古での大型特殊船ポセイドンによるボウリング調査は、活断層の存在が疑われるあたりを中心に行われている可能性。ここが活断層でないとの閣議決定は、防衛省がそれを示す公式資料がないとしたことによるものだが、実は、少なくとも4冊はあった。これで活断層なら詰み、あるいは、深部まで杭を打つことによってコストがかなり高いものとなる。それを誰が負担するのか。
●SACO合意における普天間返還の条件として、代替施設を県内に1箇所、県外に12箇所設置することが含まれている。稲田元防衛相が返還できない可能性を言ってしまったのは、仮に辺野古ができたとしてもアメリカが普天間を返還しない可能性についてであった。これを背景として、日本全国の民間空港でジェットが離発着できる軍民共用化が進んでいるのではないか。それは植民地そのものではないか。
●ふたたび出てきた徴兵制の話。あるいは経済的徴兵制。

情報
●「東京⇆沖縄池袋モンパルナスとニシムイ美術村」板橋区立美術館、2018/2/24-4/15 >> リンク
●真鍋和子さん(児童文学作家)による講演「沖縄と子どもの貧困を考える」2018/3/27、ブックハウスカフェ >> リンク (※真鍋さんも以前にこの読者会によくいらしていた)
●澤地久枝さん講演「満州の引き揚げ体験を語り継ぐ」2018/3/17、wam/女たちの戦争と平和資料館
●郷原信郎さん講演「美濃加茂市長事件は終わったのか」(アジア記者クラブ)2018/2/28、明治大学研究棟4階・第1会議室
●安孫子亘『「知事抹殺」の真実』2018/3/3、浦安市民プラザWave101中ホール
●「世界」2018年3月号・特集「辺野古新基地はつくれない」(岩波書店)
●「越境広場」4号・特集「目取真俊」
●佐古忠彦『「米軍が恐れた不屈の男」瀬長亀次郎の生涯』(講談社)
●明田川融『日米地位協定』(みすず書房)
●古関彰一、豊下楢彦『沖縄・憲法なき戦後』(みすず書房)
●鳩山友紀夫、大田昌秀、松島泰勝、木村朗『沖縄謀反』(かもがわ出版)
新城郁夫・鹿野政直『対談 沖縄を生きるということ』(岩波書店)
崎山多美『クジャ幻視行』(花書院)

●参照
『けーし風』 


アクセル・ドゥナー+村山政二朗@Ftarri

2018-02-13 01:24:32 | アヴァンギャルド・ジャズ

水道橋のFtarriにおいて、アクセル・ドゥナー、村山政二朗デュオ(2018/2/12)。

Axel Dörner (tp)
村山政二朗 (voice)

時間前に着いて、近くのニューヨーカーズカフェで時間をつぶしていたら、気が付いたら、隣にこのふたりと二コラ・ハインが座っていた。ちょうど先週ベルリンのauslandでドゥナーさんと話したばかりでもあり、とりあえず握手。ハインさんは2/15のスーパーデラックスに出演するために来日したのであり、この日はオーディエンス。15日のあとは韓国でアルフレート・23・ハルトやドイツ・韓国のヴィデオアーティストと共演し、さらにマレーシアにも行くと話していた。

ライヴは20分の演奏を2本。ふたりとも、驚くほど静かな中で音を蒸留するかのように出してくる。絞り出すという肉体の傷め付けによるものではなく、震わせるという機能を拡張し、そのマージナルな部分を身体の外に持ち出すプロセスのように感じた。したがって、これ見よがしなものも、マッチョなものもない。そうではなく、振る舞いや動きが認識の部品となり、それぞれが、固有の音と関連付けられた。

Fuji X-E2、Xf35mmF1.4

●アクセル・ドゥナー
PIP、アクセル・ドゥナー+アンドレアス・ロイサム@ausland(2018年)
「失望」の『Vier Halbe』(2012年)
アクセル・ドゥナー+オッキュン・リー+アキム・カウフマン『Precipitates』(2011、-13年)
アレクサンダー・フォン・シュリッペンバッハ『ライヴ・イン・ベルリン』(2008年)
アクセル・ドゥナー + 今井和雄 + 井野信義 + 田中徳崇 『rostbestandige Zeit』(2008年)
『失望』の新作(2006年) 


藤井郷子オーケストラ東京@新宿ピットイン

2018-02-13 00:12:44 | アヴァンギャルド・ジャズ

新宿ピットイン昼の部(2018/2/12)。やっぱりかなり人が入った。

早坂紗知、泉邦宏、松本健一、藤原大輔 (sax)
吉田隆一 (bs)
田村夏樹、福本佳仁、渡辺隆雄、城谷雄策 (tp)
はぐれ雲永松、高橋保行、古池寿浩 (tb)
藤井郷子 (conductor)
永田利樹 (b)
堀越彰 (ds)

ファーストセットは、オーケストラ東京の『Peace』からの選曲。藤原大輔のロジカルでふくよかな音色、松本健一の確信犯的なふん詰まり、集団のなかでも余裕で浮かび上がる泉邦宏のわけわかんなさ、においが立ち込めるような永田利樹のベース、早坂紗知の勢いとファナティックさ、吉田隆一の音の幅広さ、堀越彰のはじけぶりなど、個人技の面白さ満載。それと同様に、リーダー藤井郷子により自在にホーンをコントロールするアレンジと指揮の面白さがあった。

セカンドセットは新曲ばかり。うって変わって、藤井さんは大きく八の字を描いたり、腕をジグザグに動かしたり、手をひらひらさせたり。それはご本人の説明によれば、ブッチ・モリスのコンダクションを意識したものであり、演奏者はほぼ初見でサインに応じてインスピレーションによる演奏を行う。その自由さの分だけ、楽しさが溢れ出るような雰囲気となった。藤井さんは、「野放しの野獣が飼い馴らされないのが楽しい」と言った。

ここでも個人技は当然のように炸裂。早坂さんは周囲の空気にピキピキと亀裂を入れるような強度で吹き、アルトとソプラノの2本吹き。吉田さんは悪乗りのように爆裂、マシンガン。泉さんがそれに脱力する声を合わせた。

田村さん指揮の曲は傑作で、両腕や指で無茶振りするように演奏者を指名し、また次の曲ではそれぞれに声で表現させた(爆笑)。

驚くほどアナーキーで魅力要素だらけのオーケストラ。次は8月の初めにどこかで演奏して、8月14日に江古田のBuddyでレコーディングライヴを行うそうである。

ちなみにわたしが藤井さんのオーケストラを前回観たのは(調べてみると)2000年10月29日のことで、諸事情あってトラで師匠の松風鉱一さんが入り、誘われてNHKでの収録を観に行ったのだった。随分前だな~。

メンバーは以下らしい(半分くらいしか覚えていない)。永松賀津彦さんはいつ「はぐれ雲永松」になったのだろう。

藤井郷子 (p)、立花泰彦 (b)、植村昌弘 (ds)、田村夏樹、竹田恒夫、福本佳仁、渡辺隆雄 (tp)、永松賀津彦、東哲也、宮内岳太郎 (tb)、松風鉱一、泉邦宏 (as)、片山広明、松本健一 (ts)、吉田隆一 (bs)

●藤井郷子
晩夏のマタンゴクインテット@渋谷公園通りクラシックス(2017年)
This Is It! @なってるハウス(2017年)
田村夏樹+3人のピアニスト@なってるハウス(2016年)
藤井郷子『Kitsune-Bi』、『Bell The Cat!』(1998、2001年)


酒井俊+会田桃子+熊坂路得子@Sweet Rain

2018-02-12 11:20:32 | アヴァンギャルド・ジャズ

中野のSweet Rainに、酒井俊さんを観に行った(2018/2/11)。

Shun Sakai 酒井俊 (vo)
Momoko Aida 会田桃子 (vln)
Rutsuko Kumasaka 熊坂路得子 (accordeon)

最初は会田さんのやや乾いた音のヴァイオリンから、「My Funny Valentine」。メロディをヴァイオリンと少しずらした熊坂さんのアコーディオンが続き、しばし経って、酒井さんが入る。この、唯一無二の雰囲気。「ひとりぼっちのラブレター」では伴奏のふたりがつまむような音を出したかと思えば、猥雑でもある大きなうねりのアコーディオンの中にヴァイオリンが入り、ちょっとした快感を覚える。続いて「四丁目の犬」。「俊さん、ベトナムにコンビニはあるのか?」からはじまる語りにあわせて、熊坂さんはまるで風が吹いているような音、会田さんは合いの手、絶妙。ふたりの伴奏者は次第にノリノリになっていった。「Cheek to Chhek」では俊さんの歌からはじまり、やがてふたりが調子はずれの音からコードにのせてゆく。るつこさんのダッシュがみごと。ちあきなおみが歌った「紅い花」を経て、「Dream a Little Dream of Me」では、まるで遠くで聴こえるかのようなサウンドの中で、俊さんのハスキーな声が映えた。そしてファーストセットの最後は「ナーダム」(林栄一)。伴奏者がゆっくりと空気を取り込むようにはじめ、やがて、勢いも情もある歌。終盤でるつこさんの狂気とも思えるノリがあって、収束するかと思いきや、俊さんのスキャットからの展開。もちろんナーダムはモンゴルの祭りなのだけれど、俊さんは、別の風景を重ね合わせてもいたのだった(書いていいのかわからないので参照→)。

セカンドセットは、「酒と泪と男と女」から。こういう歌も酒井俊世界になってしまう。2曲目はなんだったか、そして3曲目はふたたび林栄一の「回想」。ちょうど休憩時間に外で俊さんと話していたことを、俊さんがステージで語り始めるものだから面白くなってしまった。会田さんの流麗なヴァイオリンも、るつこさんが髪を振り乱して盛り上げたアコーディオンも良い。そしてなんと、友川かずきが作詞作曲しちあきなおみが歌った「夜を急ぐ人」。「Starry Starry Night」やなんかを歌ったあとに、るつこさんフィーチャーで「お菓子と娘」(あとで調べると、西條八十の作詞!)、情感たっぷりの会田さんのヴァイオリンをフィーチャーした「Nearness of You」。アンコールは「真夜中のギター」。途中でつっかえる感じのある歌声が気持ちいい。

それにしても良い時間だった。ひょっとすると酒井さんは伴奏者との音のバランスを気にしていたのかもしれないけれど、客席からは、そのくらいカオティックなほうが場が猥雑に盛り上がって嬉しいものだった。

●酒井俊
酒井俊+永武幹子+柵木雄斗(律動画面)@神保町試聴室
(2017年)

●熊坂路得子
うたものシスターズ with ダンディーズ『Live at 音や金時』(2017年)
TUMO featuring 熊坂路得子@Bar Isshee(2017年)
『小林裕児と森』ライヴペインティング@日本橋三越(2017年)