Sightsong

自縄自縛日記

ジョン・フィルビー『サウジ・アラビア王朝史』

2016-02-29 10:16:05 | 中東・アフリカ

たぶん7回目のサウジアラビア。忙しくて短期の滞在であり、時差ボケも解消されず、ひたすら体調を崩さぬように努めている。そんなわけで、特にフラフラするでもなく、部屋で、ジョン・フィルビー『サウジ・アラビア王朝史』(法政大学出版局、原著1955年)をななめ読み。

サウジアラビアはサウード家の国家であり、その祖先は15世紀にまで遡ることができる。かれはリヤド近郊のディライーヤ(現在世界遺産に登録されているが、補修中で観ることができない)に居を定めた。中世のアラビア半島の地図を見るとわかることだが、非常に多くの部族によって支配地域が分割されている。サウード家の者たちもその中で勃興してきた勢力であった。

王国の黎明期は18世紀の初頭。王は厳格なイスラームの教えであるワッハーブ信仰に帰依し、そのことが、国の性格を定めていくことになった。そして部族間の絶え間ない抗争があり、国が成長していく。

この歴史の中でもっとも強大な敵勢力はオスマン帝国であった。19世紀にいちどはオスマン帝国によって壊滅させられたサウジアラビアだが、20世紀初頭に復活し、ついにはアラビア半島のほぼ全域を勢力下に収める。逆に言えば、それまでは、アラビア半島西岸のヒジャーズ地方は「トルコのもの」であった。ヒジャーズにあるジェッダの旧市街には、トルコ様式の建築物がたくさんあるのだが、それも頷ける(2014年12月、ジェッダ(1) 旧市街)。メッカとメディナという2つの聖地を支配したことが、どれだけこの国にとって大きなことであったか。

ところで、アラビア半島南西に位置するイエメンは、山岳地帯でもあり、今にいたるまで部族の力が強い。オスマン帝国に支配されたり、南部のアデンを含む海岸域を英国におさえられたりもしているが、サウジアラビアとの関係においても、独自のポジションを保有し続けてきたように見える。知らなかったことだが、20世紀には、イエメンのイマーム・ヤヒヤ(こんなところに住んでいた!)はイタリアのムッソリーニ政権と親密になり、武器を購入したりもしている。そして今では、サウジアラビアによる空爆に苦しめられている。長い確執を見出すことができるわけである。


「Arab News」2016/2/28における、イランのイエメン介入に対する批判記事

●参照
保坂修司『サウジアラビア』
イリヤ・トロヤノフ『世界収集家』 リチャード・バートンの伝記小説
2012年11月、リヤドうろうろ
2012年11月、リヤドの朝
リヤドの国立博物館
リヤドのビルと鍵と扉
リヤドの夜景
2014年9月、アラビア砂漠
2014年12月、ジェッダ(1) 旧市街
2014年12月、ジェッダ(2) 木の歩道橋
リヤドのゴールド・スーク
リヤドの昼景
アラビア湾 a.k.a. ペルシャ湾
旨いサウジアラビア
旨いサウジアラビア その2


コリン・ウィルソン『宇宙ヴァンパイアー』

2016-02-27 17:10:18 | ヨーロッパ

吉祥寺のバサラブックスはなかなか愉快な古書店で、先日、コリン・ウィルソン『宇宙ヴァンパイアー』(新潮文庫、原著1976年)を300円で見つけた。トビー・フーパーの映画『スペース・バンパイア』の原作となった小説なのだが、迂闊にも、御大コリン・ウィルソンによるものだとは知らなかった。なお、映画の宣伝のため、カバーだけタイトルが変えられている。

なかばB級映画に接するつもりで読み始めたようなものだが、途中からどんどん面白くなってきて、サウジアラビアに着く直前に読了した。

近未来。地球の近くで、長いこと放棄されていたと思しき巨大な宇宙船が発見される。なかには人間の形をした死体があった。そのうち3体だけを地球に持ち帰ったのだが、これは宇宙人の陰謀だった。かれらはヴァンパイアであり、人間の生命エネルギーを吸収して生き続けようとしていたのだった。宇宙飛行士とヴァンパイア学者が協力して、誰かの身体に侵入したヴァンパイアを追い詰めていく。かれらは、神からサディスト的な犯罪者に堕ちてしまった存在だった。

生命エネルギーはヴァンパイアならずとも人の間を行き来するものであり、そこには性が介在しており、エネルギー保存則が成り立っているという設定が実に面白い。このヴィジョンによれば、人はそれで長生きできるばかりか、時間さえも逆行できる。

ヨーロッパにおけるヴァンパイア伝説を発展させたウィルソンの腕前は、さすがである。ヴァンパイアの息吹が場所によらず人に対してあらわれるという設定は、まるで生霊のようだ。しかもそれが宇宙の大いなる意思につながっていくという力技。

ところで、フーパーの映画については、裸の宇宙人の女が、誘惑された男から生命エネルギーを吸い取る激しい場面しか覚えていない。帰国したらすぐに観なければ・・・。


橋本照嵩『琵琶法師 野の風景』

2016-02-26 00:34:11 | 東北・中部

ツァイト・フォト・サロンで、橋本照嵩『琵琶法師 野の風景』を観る。

70年代後半に撮られた、東北の蛇売りのお婆さん、熊本の琵琶法師。いまからみると際立った商売人や芸人だけでなく、そこに居るひと。藪や草叢の写真と同様に、否定しようもなくそこに居た存在である。それが焼き付けられたイコンとなって残っていることの何て不思議なことか。

橋本さんが在廊しておられたので、少し話をした。多くはニコンFに24mmの広角レンズで撮られていること。Tri-Xを使い、ISO400または場所によって増感していたこと。当時のバライタ紙(3号や4号を使用)は銀が多かったのか、薄かったこと。フィルターワークだけで、現在の多階調バライタ紙が持つ能力を引き出しおおせているか疑問だということ。いまはデジタルを使っているということ。木村伊兵衛のネガは向こう側が見えるほど薄かったということ。

今回の写真展に合わせて出された写真集『叢』を購入し、署名いただいた。これを紐解くと、まさに、あるがままの叢のように、「どうしようもなく存在している」ということが、そのまま謎として提示されているように思える。

●参照
橋本照嵩『瞽女』


メイシー・グレイ『The Way』

2016-02-25 07:36:26 | ポップス

メイシー・グレイ『The Way』(Happy Mel Boopy、2014年)を聴く。

ちょうどメイシーが来日してBillboardでライヴをやるというので、チラシを切り抜いて机の前に置いておいたのだが、やはり忙しくて諦めた。悔し紛れにこれを繰り返し聴いているのだが、やはりいい。ジャケットが地味すぎて勿体ない。

メイシーの超ハスキーで押し出しの強い声は同時に可愛いものでもあって、それによる最強のラヴソング。「First Time」で、「I've never felt this way... It's the first time, first time, for me... Give me love, give me love」なんて歌われて悶えてしまう。最後の「Life」では歓ぶ力を総動員したように、「Life! Is! Beautiful!」と絞り出し叫ぶ。ライヴもこれで締めくくったのかな。

●参照
デイヴィッド・マレイ・ビッグ・バンド featuring メイシー・グレイ@ブルーノート東京(2013年)
デイヴィッド・マレイ『Be My Monster Love』(2012年)
スティーヴィー・ワンダーとメイシー・グレイの『Talking Book』(1972年、2012年)


ジェレミー・ペルト『#Jiveculture』

2016-02-23 07:42:26 | アヴァンギャルド・ジャズ

ジェレミー・ペルト『#Jiveculture』(HighNote、2015年)を聴く。

Jeremy Pelt (tp)
Ron Carter (b)
Billy Drummond (ds)
Danny Grissett (p, Fender Rhodes)
Lisette Santiago (perc) (track 6 only)

拍子抜けしてしまうほど普通のフォーマット、しかも御大ロン・カーターを迎えるなんて、かつてのSomethin' Elseなどの商業路線を思い出さざるを得ない。実際に、ロン・カーターがユルユルの弦でべよーんべよーんと変な音を撒いていることも同じような。ペルトは何がやりたかったのだろう・・・?(カーターが参加してなんとも言えない作品になった、ゴンサロ・ルバルカバ『Diz』なんかを思い出したりして。)

それはそれとして、堂々とした体躯から放たれるからこその、艶やかでどっしりしたペルトの音はとても良い。まるで勢いだけで叩くことを拒否するかのように呻吟しながら、リズムをさまざまに変えていく、ビリー・ドラモンドも好きである。

●参照
ジェレミー・ペルト『Tales, Musings and other Reveries』(2014年)
ジェレミー・ペルト@SMOKE(2014年)
ジェレミー・ペルト『Men of Honor』(2009年)
ジャズ・インコーポレイテッド『Live at Smalls』(2010年)(ペルト参加)
ルイ・ヘイズ『Dreamin' of Cannonball』(2001年)(ペルト参加)


赤星十四三『アイスバー・ガール』

2016-02-23 00:16:25 | 沖縄

赤星十四三『アイスバー・ガール』(沖縄タイムス社、原著2004年)を読む。

沖縄に住む「美咲」は、大学受験に失敗したばかりの浪人生。彼女はまだ飛行機に乗ったことがない。誰もが憧れ、本人も馴染む島から、なぜわざわざ飛行機に乗って、外の都会に行くのか。それは説明できない衝動のためであり、目の濁りのためでもあった。

わたしも田舎の出で、都会の猥雑な底なし沼にどうしようもなく憧れて、もう戻れなくなったニゴリ目者であるから、まあ登場人物たちに共感はできる。共感できないのは、自分の田舎がひどく居心地の悪いところだったことで、これはわたしだけではないはずだし、沖縄であってもそれは同じようなものだと半ば確信しているのだが、さてどうだろう。(つまり言うまでもないことだが、人の田舎は好きだということである。)

それにしても、飛行機を外界とつなぐ象徴として描き、さらに、都市伝説のウサン臭さと、『銀河鉄道の夜』のうっとりするような夢とをミックスするなんて、面白い。


ジェン・シュー『Sounds and Cries of the World』

2016-02-21 22:23:54 | アヴァンギャルド・ジャズ

ジェン・シュー『Sounds and Cries of the World』(Pi Recordings、2014年)を聴く。

Jen Shyu (vo, p, gat kim, gayageum, ggwaenggwari, kemanak)
Ambrose Akinmusire (tp)
Mat Maneri (viola)
Thomas Morgan (b)
Dan Weiss (ds)

「JazzTokyo」における蓮見令麻さんのコラム(>> リンク)によれば、ジェン・シューは、インドネシアや韓国などのアジア各国において伝統音楽を吸収してきた存在なのだという。本盤でも、台湾、韓国、日本の楽器を使っている。ただ、サウンドの雰囲気がシンプルにどこの地域ということはない。シューという個人の中で消化し、昇華した世界である。

一聴して頼りなく感じられた。しかし、繰り返し聴いていくうちに、裏声とともにうねうねと広い音域を旅するシューの声に惹かれてゆく。

アンブローズ・アキンムシーレのトランペットが、ミディアムな領域でクリアに立っている。トーマス・モーガンの残響感のあるベースと、耳を掌で触るようなマット・マネリのヴィオラ。柔軟にリズムを組み立てるダン・ワイス。かれらの発する音が、蛇のように旅をするシューの声に寄り添っていくようである。

●参照
アンブローズ・アキンムシーレ『The Imagined Savior is Far Easier to Paint』(2014年)
アンブローズ・アキンムシーレ『Prelude』(2008年)
トム・ハレル@Village Vanguard(2015年)(アキンムシーレ参加)
タールベイビー『Ballad of Sam Langford』(2013年)(アキンムシーレ参加)
デイナ・スティーブンス『That Nepenthetic Place』(2010年)(アキンムシーレ参加) 
ミシェル・ポルタル『Bailador』(2010年)(アキンムシーレ参加)
ヴィジェイ・アイヤー『In What Language?』(2003年)(アキンムシーレ参加) 
イングリッド・ラブロック、メアリー・ハルヴァーソン、クリス・デイヴィス、マット・マネリ @The Stone(2014年)
クレイグ・テイボーン『Chants』(2013年)(モーガン参加)
ポール・モチアン『The Windmills of Your Mind』(2010年)(モーガン参加)
菊地雅章『Masabumi Kikuchi / Ben Street / Thomas Morgan / Kresten Osgood』(2008年)
マット・ミッチェル『Vista Accumulation』(2015年)(ワイス参加)
フローリアン・ウェーバー『Criss Cross』(2014年)(ワイス参加)
エディ・ヘンダーソン『Collective Portrait』(2014年)(ワイス参加)


新崎盛暉『日本にとって沖縄とは何か』

2016-02-21 20:37:27 | 沖縄

新崎盛暉『日本にとって沖縄とは何か』(岩波新書、2016年)を読む。

太平洋戦争において「本土」攻撃を遅らせるための「捨て石」としてのみ使われ、戦後はやはり「本土」防衛のためにアメリカに差し出された「周縁の地」が、沖縄である。

本書を通読すると、さらに、沖縄が日米安保強化のために戦後一貫して利用されてきたことがわかる。米軍基地は単に存続させられているだけではない。

日本への施政権返還前には、「本土」の基地反対運動をかわす手段として、基地が沖縄に移転されていった。1952年には8:1であったが、「本土」の基地が1/4に減り沖縄の基地が2倍となって、1960年には1:1となった。1960年の安保改定によって、核の持ち込みや日本からの戦闘行動などが「事前協議」の対象となったが、これは今に至るもいちども行われていない。沖縄には多数の核が置かれていた。また、在日米軍から沖縄への移動は戦闘行動ではなく、また沖縄からベトナムへの出撃は安保条約の対象ではないという詭弁が展開された。

施政権返還の際にも、第二の基地しわ寄せがあった。米軍の再編統合により「本土」の基地は1/3となり、沖縄の基地はほとんど減らなかった。そして今、辺野古の新基地を作るために、「普天間の危険性除去」がうたわれている。著者は、これを「恫喝」と表現する。

以上のようなことが可視化されたところで、そのことは隠されようともせず、沖縄は、政治的にその位置にとどめおかれている。したがって、本書のオビにある「これはあなた自身の問題である」とは、もはや言うまでもないほど自明なことなのであって、これを「気付き」のことばとして放っていること自体が欺瞞の域に入ってきたのだと言うことができる。沖縄は「あなた」の「気付き」のために存在するわけではないからである。

●参照
新崎盛暉『沖縄現代史』、シンポジウム『アジアの中で沖縄現代史を問い直す』
櫻澤誠『沖縄現代史』
由井晶子『沖縄 アリは象に挑む』
ガバン・マコーマック+乗松聡子『沖縄の<怒>』
いま、沖縄「問題」を考える ~ 『沖縄の<怒>』刊行記念シンポ
林博史『暴力と差別としての米軍基地』
豊下楢彦『昭和天皇・マッカーサー会見』
琉球新報『普天間移設 日米の深層』
琉球新報『ひずみの構造―基地と沖縄経済』
沖縄タイムス中部支社編集部『基地で働く』
前泊博盛『沖縄と米軍基地』
屋良朝博『砂上の同盟 米軍再編が明かすウソ』
渡辺豪『「アメとムチ」の構図』
渡辺豪『国策のまちおこし 嘉手納からの報告』
高野孟『沖縄に海兵隊はいらない!』
高橋哲哉『沖縄の米軍基地 「県外移設」を考える』
高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』
前田哲男『フクシマと沖縄』
宮城康博・屋良朝博『普天間を封鎖した4日間』
エンリコ・パレンティ+トーマス・ファツィ『誰も知らない基地のこと』
押しつけられた常識を覆す
来間泰男『沖縄の米軍基地と軍用地料』
佐喜眞美術館の屋上からまた普天間基地を視る
『世界』の「普天間移設問題の真実」特集
大田昌秀『こんな沖縄に誰がした 普天間移設問題―最善・最短の解決策』
浦島悦子『名護の選択』
浦島悦子『島の未来へ』


松田良孝『インターフォン』

2016-02-20 08:58:58 | 沖縄

松田良孝『インターフォン』(沖縄タイムス社、2015年)を読む。

那覇の空気に包まれて、那覇の坂道を歩いているような雰囲気を持った物語。

魯班尺というものがあるらしい。台湾の巻き尺であり、数字の列と平行に、二次熟語が書かれている。赤い文字は「納福」などおめでたい言葉、黒い文字は「劫罪」など恐ろしい言葉。

台湾から与那国島に渡ってきた「おばあ」は、自宅の玄関で、必ず入ろうとする人の身長を魯班尺で測る。赤ならOK、黒では立ち入り禁止かというとそうでもなくて、赤まで身体を丸めればOK。身に染みこんだルーツ的なものにこだわるようでいて柔軟でもある。与那国人の「ケイちゃん」、台湾から来た「おばあ」、祖母が「おばあ」と同様に台湾出身の与那国人「ユミちゃん」たちは、那覇において、そのような、譲れないところと譲ってもよいところとの間を往還する。その中に、時折、「日本語」という日本語が違和感をもって入ってくる面白さもある。

●参照
松田良孝『台湾疎開 「琉球難民」の1年11カ月』


リチャード・ボネ+トニー・マラビー+アントニン・レイヨン+トム・レイニー『Warrior』

2016-02-18 23:54:13 | アヴァンギャルド・ジャズ

デモクラTVに出て1時間ほど環境の話をしてまいりました。

リチャード・ボネ+トニー・マラビー+アントニン・レイヨン+トム・レイニー『Warrior』(Marge、2013年)を聴く。

Richard Bonnet (g)
Tony Malaby (ts, ss)
Antonin Rayon (Hammond organ)
Tom Rainey (ds)

トム・レイニーの、マキビシを軽快にまき散らしたようなドラムス。ここに、アントニン・レイヨンのオルガンがピロピロビャーと入り、リチャード・ボネのギターが不安を掻き立て、そして、現代最強のサックス奏者トニー・マラビーが、乾いた肉汁のような味のエキスを惜しみなく噴出させている。

こんなグルーヴィーな盤が、新宿ディスクユニオンの千円のアウトレット棚に刺さっていた。

●トニー・マラビー
アイヴィン・オプスヴィーク Overseas@Seeds(2015年)
ジェシ・スタッケン『Helleborus』(2014年)
クリス・ライトキャップ『Epicenter』(2013年)
トニー・マラビー『Scorpion Eater』、ユメール+キューン+マラビー『Full Contact』(2013、08年)
トニー・マラビー『Adobe』、『Somos Agua』(2003、13年)
アイヴィン・オプスヴィーク『Overseas IV』(2011年)
ポール・モチアンのトリオ(2009年)
ダニエル・ユメール+トニー・マラビー+ブルーノ・シュヴィヨン『pas de dense』(2009年)
トニー・マラビー『Paloma Recio』(2008年)
アイヴィン・オプスヴィーク『Overseas III』(2007年)
クリス・デイヴィス『Rye Eclipse』(2007年)

●トム・レイニー
イングリッド・ラブロック UBATUBA@Cornelia Street Cafe(2015年)
イングリッド・ラブロック『ubatuba』(2014年)
イングリッド・ラブロック、メアリー・ハルヴァーソン、クリス・デイヴィス、マット・マネリ @The Stone(2014年)
イングリッド・ラブロック(Anti-House)『Roulette of the Cradle』(2014年)
トム・レイニー『Hotel Grief』(2013年)
トム・レイニー『Obbligato』(2013年)
イングリッド・ラブロック(Anti-House)『Strong Place』(2012年)
クリス・デイヴィス『Rye Eclipse』、『Capricorn Climber』(2007、2012年)
イングリッド・ラブロック『Zurich Concert』(2011年)
ティム・バーン『Electric and Acoustic Hard Cell Live』(2004年)


姜泰煥+美妍+朴在千『Improvised Memories』

2016-02-17 22:55:54 | アヴァンギャルド・ジャズ

姜泰煥+美妍+朴在千『Improvised Memories』(Polyphone、2002年)を聴く。

Kang Taehwan 姜泰煥(カン・テファン)(as)
Miyeon 美妍(ミヨン)(p)
Park Jechun 朴在千(パク・チェチュン)(perc)

鳥の飛跡のような、爬虫類の這痕のような、電子の飛跡でもあるような、姜泰煥のアルトサックス。しかもそれらが見え隠れし、縒り合されたマルチフォニックは、他の誰とも異なっている。いつ聴いても慄いてしまうのである。

●参照
映像『ユーラシアンエコーズII』(2013年)
ユーラシアンエコーズ第2章(2013年)
姜泰煥・高橋悠治・田中泯(2008年)
姜泰煥・高橋悠治・田中泯(2)(2008年)


モスクワ・コンポーザーズ・オーケストラ feat. サインホ『Portrait of an Idealist』

2016-02-16 22:51:37 | アヴァンギャルド・ジャズ

サインホ・ナムチラックをフィーチャーしたモスクワ・コンポーザーズ・オーケストラ『Portrait of an Idealist』(Leo Records、2007年)を聴く。

Sainkho Namchylak (voice)
Vladimir Miller (p)
Vladimir Makarov (cello)
Aleks Kolkovsky (vln)
Vladimir Volkov (b)
Alexander Alexandrov (bassoon)
Yuri Parfyonov (tp)
Sergey Letov (sax, bcl, fl)
Vladimir Tarasov (ds)

これより後のサインホ・ナムチラック『TERRA』においてもはっきりとわかることだが、サインホのヴォイスには、一聴して耳を覆わないと危険だと思ってしまうような恐怖感はすでにない。円熟してエッジが丸くなり、随分と聴きやすい声になっている。

それは衰えたということではないのだろう。冷たい肌で突然触られるような感覚もある。語り部のような声が鼓膜をいつの間にかふるわせていることもある。ホーメイを唸りはじめ、背後でウラジーミル・タラソフのブラッシュワークが入ってくる見事な時間もある。そして最後の曲では、歯を剥き出した獣と化す。

この盤は、ソ連崩壊後の苦しい時期に、あくまでも理想主義者として、ロシアのジャズを鼓舞し続けた、ニコライ・ドミトリーエフに捧げられたものだという。歴史と文化と有象無象を取り込んでいった底知れぬ面白さのようなものは、やはりあって、演劇的であったり、祝祭的であったり、ロシアの民謡的であったり、ジャズ的でもあったりする。ウラジーミル・ミラーのピアノも、セルゲイ・レートフのサックスやバスクラも、そんな猥雑さの中で浮かび上がっては闇の中に姿を消していく。

●参照
サインホ・ナムチラック『TERRA』(2010年)
「KAIBUTSU LIVEs!」をエルマリート90mmで撮る(2)(2010年)(セルゲイ・レートフ)
サインホ・ナムチラックの映像(2008年)
現代ジャズ文化研究会 セルゲイ・レートフ(2008年)
ロシア・ジャズ再考―セルゲイ・クリョーヒン特集(2007年)
セルゲイ・クリョーヒンの映画『クリョーヒン』(2004年)(セルゲイ・レートフらも出演)
テレビドラマ版『クライマーズ・ハイ』(2003年)(大友良英+サインホ)


テリ・リン・キャリントン『The Mosaic Project: Love and Soul』

2016-02-16 07:22:33 | アヴァンギャルド・ジャズ

テリ・リン・キャリントン『The Mosaic Project: Love and Soul』(Concord Records、2015年)を聴く。

Terri Lyne Carrington (ds, etc.)
and Many femail musicians
vocalists: Natalie Cole, Chaka Khan, Oleta Adams, Jaguar Wright, Valerie Simpson, Nancy Wilson, Chante Moore, Lalah Hathaway, Paula Cole, Ledisi, Lizz Wright

女性ミュージシャンばかりを集めた豪華なセッション集。各曲でフィーチャーされるヴォーカリストたちは、数人を除き、ほとんどソウル/R&Bのフィールドの面々である。そちらはあまり知らないので、はじめて耳にする何人もの歌声。とても新鮮で面白い。

1曲目、ナタリー・コールの歌う「Come Sunday」におけるテリ・リンの疾走するドラムスにいきなりやられる。ナタリーはこの後ほどなくして亡くなったのだが、それを感じさせない深みのある声である。

獣性さえ感じさせるジャグアー・ライトの声。喉を絞り、揺れ動き、ぶち切れる。低音が伸びるレイラ・ハサウェイの声も魅力的(昨年末に来日したときに聴きに行きたかったのだが、クリスマスで恋人がどうのと宣伝されていて嫌になってしまった)。

ベースにおおっ誰だと思うとミシェル・ンデゲオチェロ(2曲に参加)、やはり彼女のアウラは特別。ティア・フラーのアルトサックスも気持ちよく浮かび上がってきている。

2014年に、NYのThe Stoneにおいて、テリ・リンが、ジェリ・アレン、イングリッド・ジェンセン、リンダ・オー、カーメン・ランディと行ったセッションを観た。この盤には、そのときの面々も参加している(カーメン以外)。ジェリ・アレンもテリ・リンも、女性ミュージシャンで結集することにあえてこだわっているようである。

●参照
ジェリ・アレン、テリ・リン・キャリントン、イングリッド・ジェンセン、カーメン・ランディ@The Stone(2014年)
デューク・エリントンとテリ・リン・キャリントンの『Money Jungle』(1962、2013年)


2016年2月、ドバイ・モール

2016-02-14 22:21:23 | 中東・アフリカ

ドバイは人工的なビルばかりで、道もだだっ広く、何が楽しいのかわからないのだが、とりあえず世界一がある。世界一の高さ(828m)を誇る高層ビルのブルジュ・ハリファ。世界最大のショッピング・モールであるドバイ・モール。なお、ドバイ・モールの中では酒を飲むことができず、隣のホテル内にある飲食店ならばOK(外国人が泊まるホテルゆえ許可されている)。

夕食を食べにドバイ・モールを抜けて歩いた。やはり何が楽しいのか全然わからない。しかも、あまりの広さに出口がわからなくなった。

Minolta TC-1, Rokkor 28mmF3.5, Fuji 400H


2016年2月、テヘラン

2016-02-14 22:01:48 | 中東・アフリカ

すっかり好きになってしまった街、テヘラン。これでカードがもっと使えて、ネット規制が緩和されて、映画人が自由を取り戻して、交通渋滞がなくなれば・・・。

Minolta TC-1, Rokkor 28mmF3.5, Fuji 400H

●参照
2015年12月、テヘラン
イランの空
スーパーマーケットのダレイオス1世
テヘランの軍事博物館と緑の宮殿
旨いテヘラン
旨いテヘラン その2