Sightsong

自縄自縛日記

ジョージ・ミラー『マッドマックス 怒りのデス・ロード』

2015-10-03 00:08:19 | オーストラリア

評判が冗談のように高いこともあって観よう観ようと思っていた映画、ジョージ・ミラー『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(2015年)。ようやく機内で観た。ディテールが愉しいだけでなく実に味わい深く、帰り便でも再見してしまった。(実はシャーリーズ・セロンがわりと好きだったりして)

近未来の荒れ果てた世界。権力者は、水と燃料と戦闘集団(ウォー・ボーイズ)を抱えている。しかし、大隊長(セロン)は周到な準備のうえで裏切り、権力者のもとに幽閉されている女性たちとともに、まだあるかどうかもわからない「緑の土地」に向けて逃げる。

アクション映画としても出色の出来ではあるが、心を打たれてしまう描写が少なくない。

そのひとつは、権力装置たる「機能」を顕わに見せ、そこからの逃走を執拗に示したこと。主役の男は「輸血袋」と呼ばれ、他者の生存のためだけに生かされる。女たちは「性の相手」という機能と「生殖」という機能を負わされている(その機能を固定するために、なんと金属の「貞操帯」まで装着されている)。「ウォー・ボーイズ」は、洗脳によって自発的に命まで捧げるほどの隷属ぶり。火を噴くギターもただ権力に奉仕する。これは近未来の嘘物語ではなく、現代社会そのものではないのか。

特筆すべきことは、その逃走の果てにあるものは、逃走そのものだということだ。仮に、映画が男を英雄に仕立て上げて名もなき多くの者から喝采を浴びてしまったり、あるいは誰かとの恋愛によって結ばれるように仕上げたりしては、ハイ、別の権力構造の出来上がり、である。


デボラ・B・ローズ『生命の大地 アボリジニ文化とエコロジー』

2009-12-01 22:10:56 | オーストラリア

デボラ・バード・ローズ『生命の大地 アボリジニ文化とエコロジー』(平凡社、2003年)は、豪州政府の依頼により書かれたものである。このことは、既にアボリジニを先住民としてさまざまな権利を認めている政府のスタンスをあらわしているようだ。なお、翻訳は、故・保苅実が行っている。

ここでは、オーストラリアを収奪し続けた西欧と、アボリジニとの世界観の違いが示されている。それを象徴することばが、アボリジニのいう「カントリー」だ。ローズ曰く、「カントリー」は、人間や社会と分離された「景観(landscape)」とは対照的に位置づけられる。「カントリー」は、逆に、人間と結びついており、生物も、水系も、気象も、相互に依存しあうようなものとして広く理解されているという。そして、「カントリー」におけるすべてのものは意味を持つ。

登場する人物や事象が、ユニットとして独立していない以上、過去の出来事を現在語る「ヒストリー」は、異なるものにならざるを得ないことは、そこから想像できるところだ。

そうなると、西欧の狭い意味での人間中心主義は相対化されなければならない。象徴するような言葉として、「増殖儀礼(increase rituals)」またはバード流に「維持儀礼(maintenance rituals)」という儀式がある。ある特定の生物種を再生・増殖するのに行われるものだ。

この儀礼は、歌や踊り、ボディペインティングなどのパフォーマンスによって行われるようだ。背景には、すべてをすべてのまま活かし、「カントリー」を大切にしようという考えがある。翻訳の故・保苅実は、こういったアボリジニの行動は、人間と自然環境が互いを維持して、エコロジカルなつながり(それも、オーストラリアのエコシステムに適合した形で)についての倫理を構成するものだと指摘している。

人間活動の介入が自然環境にどのような影響を与えるか評価することが「環境アセスメント」だとすれば、そもそも、それが孕む人間と自然環境との関係のバランスを欠いていることになる。「増殖儀礼」という考え方はとても重要な要素を含んでいるのではないか。

●参照
支配のためでない、パラレルな歴史観 保苅実『ラディカル・オーラル・ヒストリー』


『オーストラリア』と『OOTTHEROONGOO』

2009-03-07 00:21:52 | オーストラリア

今週ずっと中国に居た。北京行きの飛行機では、『オーストラリア』(バズ・ラーマン、2008年)を観ることができた。吊り広告なんかでは大画面で云々と謳ってあるが、その対極にある極小画面である(笑)。学生のころ14型のテレビで『アラビアのロレンス』を観て、劇場でなければ意味がなさそうだと思った記憶があるが、これもそんなところだ。しかし、感動もの大作で感動させられることほど悔しいことはないので、これでいいのだ。

ニコール・キッドマンはオーストラリア出身で、昔、子役として登場した『BMXアドベンチャー』(1983年)というオーストラリア映画を観たことがある(たしか『ネバーエンディング・ストーリー』との2本立てだったような気が・・・)。あれももういちど確かめてみたい。当たり前だが、何しろ当時、ニコール・キッドマンだと意識していなかったから。

商売映画であり飽きずに3時間弱を楽しんだが、映画の匂いのようなものはこれぽっちもない。ご都合主義のお話は馬鹿馬鹿しいの一言だ。それでも見所はある。日本軍によるダーウィン空爆、戦中頃もまだ居た牛追いの様子、それからアボリジニの抑圧政策である。

オーストラリア政府は、アボリジニや混血の子どもを親から強制的に引き離し、白人のもとで育てるという信じ難い政策を1970年頃まで行っていた。この映画でも、子どもの存在を嗅ぎつけた警察官が来るたびに、風力により汲み上げた水のタンクに慌てて隠れるという設定になっている。なお、現ラッド首相は、就任早々の2008年2月、その政策に対する謝罪(ソーリー・スピーチ)を行っている。

映画では、苦労して生きてきたことを物語として紡いでいき、家族や人と人との結びつきにしていくことの大事さを説いていた。そのメッセージはともかく、家族から引き離されることによる大きな歪みが、新たな物語を生んでいるのだろうなと思い出したのが、ジュリー・ドーリング『OOTTHEROONGOO (YOUR COUNTRY)』(PICAでの展示、2008年)だ。

1969年生まれのジュリーの祖母モリーは、12歳のとき、妹ドットとともに親から引き離され、孤児院に入れられてしまう。モリーの母メアリーは抗ったものの抑えつけられどうにもならなかった。モリーは、他の9人の混血児たちと、21歳まで孤児院の洗い場で働かされた。その間、孤児院はモリーの出生地のことを恥じるように仕向けた。本来の出生やルーツに関するイデオロギーを自覚したのは、家族のなかではジュリーがはじめてだったという。そして、祖母が生まれた土地に旅し、映像作品としたのが、この『OOTTHEROONGOO (YOUR COUNTRY)』ということになる。この3スクリーンへの映写作品の素晴らしさは、何度思い出しても増幅される一方だ。日本のどこかの美術館かギャラリーでも呼んでほしい。

●参照
支配のためでない、パラレルな歴史観 保苅実『ラディカル・オーラル・ヒストリー』
オーストラリアのアート(5) パースでウングワレー、ドライスデイル、ボイド、それからジュリー・ドーリング(ジュリー・ドーリングのPICAでの展示)
キャンベラの散歩30年以上も座り込みを続けているアボリジニの「テント・エンバシー」


いのちと痕跡と振動 エミリー・ウングワレー展

2008-07-17 23:55:02 | オーストラリア

行こう行こうと思っている間に、終わるまであと2週間を切ってしまった。その間に、パースでもウングワレーの作品を3点観たり、2006年にブリジストン美術館で行われた『プリズム オーストラリア現代美術展』の図録を入手して、そこにおさめられた4点の印刷を観たりしているうちに、フラストレーションはたまる一方。さらに先日、編集者のHさんがウングワレー展のエコバッグを持っているのを目ざとく発見し、もう1回観に行くと聴いて、一刻も待てなくなった。ついに午前中半休をとって行ってきた。

『エミリー・ウングワレー展』(国立新美術館)は、彼女が1977年に制作しはじめたバティック、1988年から亡くなる1996年までの間に描いたカンヴァス画、さらに立体作品を、120点も展示している。もちろん、日本では過去最大級だ。

初期のバティックは、これまで自分が知っていた南アジアや東南アジアの工芸品とは異なり、随分粗く、微妙なトーンがある。仔細に観ると、インプロヴィゼーションによるところが大きいのは勿論だが、例えば一度染めて蝋を取ったあと、再度そこをなぞるように蝋を付着させ、染めのずれにより時間軸を導入したようにみえた。染めるときの布の折り皺に色がつくのはバティックの特徴だが、デザイン的ではないため、それがここでは生命を付加しているようにもおもえる。

そしてカンヴァスへのアクリル画。点描は微妙に色を変え、あるいは下の色を乾燥過程で見せるようになっている。点のひとつひとつが、木の実でもあり、潅木でもあり、土や水でもあり、卵でもあり、光そのものでもあり、いのちの噴出であるように感じられた。それらのいのちの群れと重なるようにある、横方向の動きの痕跡。それからすべての振動。三歩下がって見渡したときにわかる、うねりと偏在。

亡くなる直前の連作では、点描ではなく、刷くように塗っている。<ひかり、いのちの群れ>が、「私は眼だ」と言ったクロード・モネの晩年の作品群に比肩するものだとすれば、この最晩年の<動き>は、一緒に生きる者ではなく彼岸からこちらを観るような、ゲルハルト・リヒターの作品群にも比肩するものにおもえた。(もっとも、リヒターは呪われた彼岸かもしれないが・・・。)

休憩室では、ウングワレーが作品を制作している様子の映像が流されている。土のうえにカンヴァスを置き、座ったり眠ったりして制作に没頭している。世界から切り離されたアトリエではないわけである。ウングワレーは、バティック制作の前には儀式のためのボディ・ペインティングも行っていた。大地も人も、抽象化された存在ではないから、複製不可能な<かけがえのないもの>と言ってよいのだろう。その、<かけがえのなさ>を、ウングワレーは、晩年の8年間に数千点もの作品として残した。

保苅実『ラディカル・オーラル・ヒストリー』(御茶の水書房、2004年)によれば、アボリジニの世界観では、世界には「中心がない」。これは、<かけがえのなさ>に呼応するものではないか、と改めて作品を観ながらおもった。トートロジーに他ならないが、<そこ>は<そこ>、<これ>は<これ>でしかありえないということだ。

移動こそが世界維持の根幹であるということは、世界には「中心がない」ということでもある。人々がカントリーを巡って移動しなければならないのは、ドリーミングの聖地がカントリーのあちこちに拡散しているからである。世界全体を維持するための「中心的聖地」なるものは、存在しない。同様に、世界全体を「再充電」することが可能となる「中心的な儀式の場」も存在しない。

周知のとおり、ミルチャ・エリアーデは、世界の諸宗教における聖地の役割を「世界の中心」として重視しているが、これは必ずしも、アボリジニ諸社会にはあてはまらないのではないか。むしろ、それぞれの聖地がそれぞれの中心であると理解すべきであって、その意味では、アボリジニのカントリーには「世界の諸中心が無数にある」というほうがずっと適切である。

保苅実『ラディカル・オーラル・ヒストリー』(御茶の水書房、2004年)

●参考
支配のためでない、パラレルな歴史観 保苅実『ラディカル・オーラル・ヒストリー』
オーストラリアのアート(5) パースでウングワレー、ドライスデイル、ボイド、それからジュリー・ドーリング


パースの散歩

2008-07-06 22:38:24 | オーストラリア

パースは小さい街だ。中心部であれば歩いて用事がすませられる。ただ、スワン河岸の自然が残っているところまで行くのは、徒歩では難しい。スポーツ好きはここでもそうで、ジョギング、自転車、サッカーなどあちこちでエネルギーを発散している。

今回はなんとなく、ペンタックスLXパンケーキレンズの40mmF2.8を付けた。広角のつもりでいたほうが、相手との距離感をつかめて間抜けにならずに良いようだ。薄すぎてピントリングを指先で探してしまうことが何度もあった。デジタル40mm用のフジツボ型フードがぴったり。


パース 1 パレスチナ Pentax LX、M40mmF2.8、Kodak TRI-X、オリエンタル・ニューシーガルVC-RPII、3号フィルタ


パース 2 スワン川 Pentax LX、M40mmF2.8、Kodak TRI-X、オリエンタル・ニューシーガルVC-RPII、3号フィルタ


パース 3 サッカー Pentax LX、M40mmF2.8、Kodak TRI-X、オリエンタル・ニューシーガルVC-RPII、3号フィルタ


パース 4 バス停 Pentax LX、M40mmF2.8、Kodak TRI-X、オリエンタル・ニューシーガルVC-RPII、3号フィルタ


パース 5 自転車 Pentax LX、M40mmF2.8、Kodak TRI-X、オリエンタル・ニューシーガルVC-RPII、3号フィルタ


パース 6 釣り人 Pentax LX、M40mmF2.8、Kodak TRI-X、オリエンタル・ニューシーガルVC-RPII、3号フィルタ


パース 7 古本屋 Pentax LX、M40mmF2.8、Kodak TRI-X、オリエンタル・ニューシーガルVC-RPII、3号フィルタ


パース 8 教会 Pentax LX、M40mmF2.8、Kodak TRI-X、オリエンタル・ニューシーガルVC-RPII、3号フィルタ


パース 9 ヴェンダース風 Pentax LX、M40mmF2.8、Kodak TRI-X、オリエンタル・ニューシーガルVC-RPII、3号フィルタ


パース 10 ぞろぞろ歩き Pentax LX、M40mmF2.8、Kodak TRI-X、オリエンタル・ニューシーガルVC-RPII、3号フィルタ


パース 11 映画館 Pentax LX、M40mmF2.8、Kodak TRI-X、オリエンタル・ニューシーガルVC-RPII、3号フィルタ


パース 12 夕暮れ Pentax LX、M40mmF2.8、Kodak TRI-X、オリエンタル・ニューシーガルVC-RPII、3号フィルタ


パース 13 帰宅 Pentax LX、M40mmF2.8、Kodak TRI-X、オリエンタル・ニューシーガルVC-RPII、3号フィルタ


支配のためでない、パラレルな歴史観 保苅実『ラディカル・オーラル・ヒストリー』

2008-07-05 10:55:24 | オーストラリア

歴史は「史実」のみの集合体なのか。「史実」の集合体が、地球という拡がりと千年単位の時間を再現するものでありえない以上、歴史だとおもっているものは何らかのコンテキストに沿ったものでしかないのではないか。それは容易に支配のための道具になってきたのではないか。歴史修正主義はどう位置づけられるのか。あたかも歴史の大きな幹として選択されたもの以外は、それに従属するものとして切り捨てられてきたのではないか。コミュニティや体験者の声、または意識は、耳という機能がない社会においては「史実」に沿わない情報として扱われてきたのではないのか。「ローカル」は「グローバル」に従属する関係だと暗黙に考えられていないか。

保苅実『ラディカル・オーラル・ヒストリー』(御茶の水書房、2004年)は、そのような問いにいくつもの示唆を与えてくれるものだった。

著者は、オーストラリア北部準州(NT)のアボリジニと「共有した歴史」をもとに、「これまでの歴史」に当てはめるのではなく、「実践する歴史」、「パラレルに存在する歴史」の意義を問うていく。実際、ここで語り継がれている「歴史」は、たとえば「キャプテン・クックがNTでアボリジニたちを虐殺した」というものであり、これは明らかに「史実」に反するものだ。しかし、著者は、それをもって、「大きな歴史」に従属する、「間違っているが信じられている神話」として横に置くことは誤りだと問題提起する。実際のコミュニティではそのように語り継がれており、そして長い受苦の歴史的文脈からみれば、また彼らの世界観からみれば、「間違い」ではないというわけだ。もちろん、従来の「歴史」自体のあり方を変えようというのではなく、このような「歴史」もあるべきだという考え方である。「歴史」は誰のためのものなのか、ということか。

人類学者デボラ・ローズは、キャプテン・クックが個人的にビクトリア・リバー流域に現れたという史実がないとはいえ、この歴史物語は正確に植民地化の不道徳性についての理解をこの地域にもたらしていると主張する。白人の法は、人の土地に出かけていって、そこの住民を殺害し、土地を盗み取るという、完全に不道徳な行為を正当化するのである。」(112頁)

オーストラリアのアボリジニ社会は非常に多くの異なるコミュニティから成るものの、モノと情報のネットワークは相当に出来上がっていた。とは言え、一見相互に矛盾する複数の歴史物語りが共奏しているという。著者は、このような歴史のあり方を、ハイブリッド的なものとして考え、何かの知識体系に基づいて「間違っている」と即断することはできないと説く。ここで引用されるのは、たとえばスピヴァクによる「自ら学び知った特権をわざと忘れ去ってみる=ときほぐす」という考えであり、そうでなくては、いずれ、支配の道具としての一元的な歴史に収斂されてしまうということだろう。

それでは、「誰かが信じていれば、それが都合のいいものであっても、デマであっても、それは歴史なのか。何でもあり、ではないのか」という疑問は当然浮かんでくる。歴史修正主義者たちが考える、独自の「歴史」も、存在を同程度に許容すべき「歴史」ではないのか、ということでもある。これに対して、著者は、テッサ・モーリス=スズキの考えを引用し、「歴史への真摯さ」を重視すべきだとする。

モーリス=スズキは、歴史的真実は一般に歴史家が接近して記述することが可能な「外的な」客観的存在であると想定されているが、これは錯覚であると主張する。ただし、こうした錯覚が生まれるのは、歴史的真実が存在しないからではなく、歴史的真実が無尽蔵にあるからなのである。その一方で、歴史への真摯さは、歴史を探索する主体と探索される客体との関係性のうちにある。つまりここでは、歴史家が無尽蔵な歴史的真実に向かうさいのプロセスに重点がシフトしているのであり、必然的に過去に接近しようとしている歴史家自身のポジション、歴史家がもっている偏見に最大の注意を払う必要が生まれる。」(230頁)

勿論、矛盾やあやうい点はそこかしこに残るかもしれない。しかし、被差別、南京大虐殺、アウシュビッツ、沖縄戦、アイヌ征服史、従軍慰安婦、公害病、米軍による市民への無差別攻撃、そしてここでのアボリジニ征服史など、理不尽に抑圧された受苦へのまなざしが、いまだ正当なものでなく、いつでも「危険な歴史」に呑み込まれてしまう可能性があるいま、「聴くこと」を前提とした、「従属関係ではなく共奏関係にある無数の歴史」を受けとめることがとても重要ではないかとおもえる。

著者は既に鬼籍に入っている。もしご存命なら、私と同い年のはずだ。本書の出版に携わった編集者の方に聞いたところ、故・保苅氏の英語論文をもとにした本の出版や、故・保苅氏についての番組の制作がオーストラリアで進んでいるようだ。いま東京で行われているエミリー・ウングワレー展もそれと無関係ではないとのことだ。


オーストラリアのアート(5) パースでウングワレー、ドライスデイル、ボイド、ジュリー・ドーリング

2008-07-02 08:53:02 | オーストラリア

「福田ビジョン」関連で、毎日新聞社『エコノミスト』誌(2008/7/8号:6/30発売)に小文を寄稿しました。(>> リンク

仕事で、パースを数日間再訪した。カンタス航空の直行便は、国際線にしていまどき個人用のスクリーンがないおんぼろ機、おかげで睡眠をとることができた。

便の関係で日曜日の朝に着いてしまい、西オーストラリア美術館(Art Galery of Western Australia)、西オーストラリア博物館(Western Australia Museum)、パース現代美術館(PICA:Perth Institute of Contemporary Arts)を梯子した。

西オーストラリア美術館は作品数が多く、かなり見ごたえがある。キュビストであったグレイス・クロウリーや、デザイン的な抽象画のフランク・ヒンダーの小企画を組んでいたが、ほとんどこちらの感性に触れない。それよりも、先日キャンベラとシドニーで観た、アーサー・ボイドラッセル・ドライスデイルの数点ずつ展示してあった作品が良かった。

ボイドの作品は、ここでも終末世界的。川の上に森林が描いてある作品では、ユーカリの木々の幹がぎらぎらと白く、その中に何羽もの烏がいる。また、兎の巣を描いた作品でも、他の画家の手になったならば牧歌的であったに違いない世界が、そこかしこに地霊がいるような怖いものと化していた。

ドライスデイルは、一貫して、赤く黄色い大地のうえの生命を描いている。ここで観たのは、『門番の妻』、それから題名は忘れたが、男達が蜥蜴を捕まえてぶらぶらさせている絵だ。荒涼とした中に、粉を吹いたような家や、電信柱や、杭や、塀なんかがある。そこにいる人々は蜥蜴と同じように生命に他ならない説得力がある。


『門番の妻』

嬉しかったのは、エミリー・ウングワレーの作品を3点見つけたことだ。黒い大地に白い脈、ヤムイモでもあるようだ(『アーラタイト・ドリーミング』)。またしばらく凝視してしまう、野草の小さな痕跡を集めた『夏に野草を乾かす』。まだウングワレーの東京での展覧会を観ていないが楽しみだ。


『夏に野草を乾かす』

ボイドの作品集が欲しいと思い、ミュージアムショップや街の本屋何軒かで探したが、分厚い伝記しか見つからない。そのかわり、「エリザベス・ブックショップ」という古本屋で、ドライスデイルの古い画集を見つけて入手した。11ドル。シドニーで観た『ソファーラ』も収録されていた。

西オーストラリア博物館では、「Just Add Water」という企画展をやっていた。いかに水の確保に苦しんでいたのか、そしてダムの設置によって水の有無がゼロか1かになって植生が変わってしまったことが示されていた。

パース現代美術館では、3つの企画をまとめていた。1階の「An Ever Expanding Universe」は、こちらの感度が悪いのか、まったく面白くない。当然感想もない。2階の映像コーナーでは、何本もの映像作品が流されていた。適当に座って観ていたが、『Reborn from Outer Space』だったか、タイトルはエド・ウッドの『Plan 9 from Outer Space』を思い出させるもので、中身もやはりどうしようもないオバカ映画。他には船で曳航しながら、ときどき女性が吸血鬼のように葉をむき出すだけの作品とか、気分の余裕がないこともあり途中でやめた。なにをかなしんで、私は異国の地でこんな時間の無駄遣いをしているのか。まだまだ沢山作品があった。

思いがけず最高に良かったのが、同じ2階で上映していた、ジュリー・ドーリングによる『OOTTHEROONGOO(Your Country)』だった。ジュリーの姉妹の解説によると、アボリジニとしての自分のルーツを見に行く旅を記録した素材から成るもののようだ。祖母が、当時の政府の同化政策により、無理やりに両親から引き離されて白人家庭に育ったという。大地、潅木、樹木、道、空、宇宙(本人が撮ったのではないだろうけど)といったものの写真、それからジュリー本人がこちらを見て表情を変え続ける映像が、入れ替わり立ちかわり、3つのスクリーンに映し出される。ジュリーが涙ぐんだり愛嬌ある顔をしたりと、「人の顔」の良さを感じさせるものになっていて、しかも相当センチメンタルで、私はこういうのにかなり弱い。2日後、また観に訪れてしまった。

展覧会歴には、2006年に東京のブリジストン美術館で「プリズム―オーストラリアの現代美術」という展示をやったとある。調べてみると、ジュリー・ドーリングフィオナ・ホールを含めた35人が紹介されている。全然気付いていなかった。今度図録を探してみようとおもう。(>> リンク


シドニーの散歩

2008-06-17 23:29:12 | オーストラリア

シドニーはマーケット、芸人、シンボル、すべてがあって大都会である。物価が矢鱈と高い。何も言うことはない。

そして早朝や昼休み、ランニングにとりつかれているような人たちが多い。直接話した人たちは皆、とんでもない、真似できない、と口を揃えた。


オペラハウスの腹筋 Leica M3、Summicron 50mmF2、Kodak TMAX-100、オリエンタル・ニューシーガルVC-RPII


早朝 Leica M3、Summicron 50mmF2、Kodak TMAX-100、オリエンタル・ニューシーガルVC-RPII


早朝 Leica M3、Summicron 50mmF2、Kodak TMAX-100、オリエンタル・ニューシーガルVC-RPII


早朝 Leica M3、Summicron 50mmF2、Kodak TMAX-100、オリエンタル・ニューシーガルVC-RPII


親子 Leica M3、Summicron 50mmF2、Kodak TMAX-100、オリエンタル・ニューシーガルVC-RPII


アボリジニの話 Leica M3、Summicron 50mmF2、Kodak TMAX-100、オリエンタル・ニューシーガルVC-RPII


芸人 Leica M3、Summicron 50mmF2、Kodak TMAX-100、オリエンタル・ニューシーガルVC-RPII


芸人 Leica M3、Summicron 50mmF2、Kodak TMAX-100、オリエンタル・ニューシーガルVC-RPII


似顔絵描き Leica M3、Summicron 50mmF2、Kodak TMAX-100、オリエンタル・ニューシーガルVC-RPII


市場 Leica M3、Summicron 50mmF2、Kodak TMAX-100、オリエンタル・ニューシーガルVC-RPII


キャンベラの散歩

2008-06-15 23:59:11 | オーストラリア

キャンベラは、1920年代にコンペにより設計が決まり構築された都市であり、歴史は長くない。整然としていて、あまり面白みはない。観光であるなら、あまり訪れることはないところだろう。

―――と思って、空いた時間にうろうろしていたのだが、旧国会議事堂前の広場に、妙な小屋があった。アボリジニの「テント・エンバシー」であり、主権を謳っている。また、シドニーの再開発圧力がある地区、アボリジニの多いレッドファーン地区を守れとのスローガンが掲げてある。中を覗いたが不在だった。

帰国してから調べてみると、ここに30年以上も座り込みを続けているようだ。また、現・ラッド政権に交代してから、アボリジニに対する「ソーリー・スピーチ」が行われた際には、この小屋の周辺に多くのアボリジニや支援者が集まっている。知っていたなら、シドニーでレッドファーン地区にも足をのばしたかもしれず、勉強不足を悔やんだ。


テント・エンバシー Leica M3、Summicron 50mmF2、Kodak TMAX-100、オリエンタル・ニューシーガルVC-RPII

都市の中心にある公園も人工的だが、自然が多く気持ちがいい。故・大平首相が贈ったという桜の木があった。大きな池からは、日中、巨大な噴水が水を噴き上げている。写真におさめようと橋の上から見ていると、隣にも似たような人がいる。よくみると、ライカIIIaとベッサRを使っていた。「おお、M3か」「IIIaか」と、ライカ好き同士の短い会話、これだけで少し幸せになるのだった。マックス・デュペインの写真を真似して橋の写真を撮ったが、まったくつまらないものになったのでプリントすらしなかった。


公園の鳥 Leica M3、Summicron 50mmF2、Kodak TMAX-100、オリエンタル・ニューシーガルVC-RPII


楓 Leica M3、Summicron 50mmF2、Kodak TMAX-100、オリエンタル・ニューシーガルVC-RPII


ユーカリの剥げた樹皮 Leica M3、Summicron 50mmF2、Kodak TMAX-100、オリエンタル・ニューシーガルVC-RPII


ライカ男 Leica M3、Summicron 50mmF2、Kodak TMAX-100、オリエンタル・ニューシーガルVC-RPII


池のカップル Leica M3、Summicron 50mmF2、Kodak TMAX-100、オリエンタル・ニューシーガルVC-RPII


噴水 Leica M3、Summicron 50mmF2、Kodak TMAX-100、オリエンタル・ニューシーガルVC-RPII


ボード Leica M3、Summicron 50mmF2、Kodak TMAX-100、オリエンタル・ニューシーガルVC-RPII


ピナクルズの奇岩群

2008-06-14 21:54:04 | オーストラリア

5月、オーストラリアにはカンタス航空で飛んだ。直行の便数が少ないので、到着早々時間が空いてしまった。同行者に誘われ、自分にしては珍しく、バスツアーなんぞに参加した。目的地は、パースから北に数百キロ離れたピナクルズ(Pinnacles)である。英国、ドイツ、ニュージーランド、香港などさまざまな人がバスに同乗した。

ピナクルズの売りは、延々と広がる奇岩だ。数メートルくらいの高さで、風雨の侵食によって残された石灰岩である。説明を聴いて驚いた。残された奇岩の上には、かつて潅木があり、根を張っていた。それで、潅木がないところがどんどん削られていったようなのだ。そのため、岩をよくみると、潅木の化石らしきものがあったり、今では隣の潅木と同居していたりする。

奇岩にもさまざまな形があり、観光向けか、「カンガルー」、「ゲイシャ」、「イーグル」などの名前が付けられているものがあった。曇ってはいたが天候はころころ変わり、陽射しが強いため、光の当たり方によって岩の表情も変わる。

帰りには、砂丘で、いい大人がサンド・ボーディングをして遊んだ。自分も2回くらい滑ったが、尻をしたたかに打ってどうでもよくなりやめた。まわりのおじさんたちも皆そうだった。最後まで嬉々として遊んでいたのは、年齢によらず、女性だった。


風車 Leica M3、Summicron 50mmF2、Kodak E100G、ダイレクトプリント


バンクシア Leica M3、Summicron 50mmF2、Kodak E100G、ダイレクトプリント


奇岩 Leica M3、Summicron 50mmF2、Kodak E100G、ダイレクトプリント


奇岩 Leica M3、Summicron 50mmF2、Kodak E100G、ダイレクトプリント


奇岩 Leica M3、Summicron 50mmF2、Kodak E100G、ダイレクトプリント


奇岩 Leica M3、Summicron 50mmF2、Kodak TMAX-100、オリエンタル・ニューシーガルVC-RPII


奇岩(イーグル) Leica M3、Summicron 50mmF2、Kodak TMAX-100、オリエンタル・ニューシーガルVC-RPII


休憩 Leica M3、Summicron 50mmF2、Kodak TMAX-100、オリエンタル・ニューシーガルVC-RPII


休憩 Leica M3、Summicron 50mmF2、Kodak TMAX-100、オリエンタル・ニューシーガルVC-RPII


サンドボーディング Leica M3、Summicron 50mmF2、Kodak TMAX-100、オリエンタル・ニューシーガルVC-RPII


バス Leica M3、Summicron 50mmF2、Kodak TMAX-100、オリエンタル・ニューシーガルVC-RPII (上部を焼き込み)


パース駅 Leica M3、Summicron 50mmF2、Kodak TMAX-100、オリエンタル・ニューシーガルVC-RPII

●参考 本部半島のカンヒザクラ(寒緋桜)と熱帯カルスト


樹木からコースターとカメラのグリップ

2008-05-20 23:28:42 | オーストラリア

パースの書店で、矢も盾もたまらず『A GUIDE TO PLANTS OF INLAND AUSTRALIA』(Philip Moore、New Holland Publishers、2005年)という本を買った。(ところで、出版社の名前は、17世紀にオランダ東インド会社が航海士エイベル・タスマンに南方を調査させ、その後、オーストラリアの西側を「ニュー・ホランド」と呼び始めたことに由来するのだろうか。だとすると凄い名前だ。なお、タスマンの名前はタスマニア島に残っている。)

オーストラリアの専門家に聞くと、ユーカリは、主要なものだけでざっと200種類はあるという。この本にも、Eucalyptusの項に50種くらい掲載されている。またアカシアは90種類くらいも掲載されている。郊外で見る潅木にもユニークなものが多くある。

シドニーのロックス地域で週末に開かれる屋外マーケットでは、自宅用に、バンクシアの実から作られたコースターを手に入れた。これが面白くて、実が輪切りになっており、ずれないように心棒が通っている。そのコースターは6枚ある。実用的かどうかは少し微妙だ。

正確には「Banksia Grandis」を使っているようで、売り場にもその写真が貼ってあった。残念ながらこの本には掲載されていないが、西海岸の他のバンクシアが似ている。

ところで、私は以前から、カメラに、オーストラリアのアカシアから作られたハンドメイドのグリップを付けている。オーストラリア人が、このペンタックスLXというカメラのマニアで、ネット上で売りに出していたものだ。やはりプラスチックと違って、握り心地がとても良い。

正確には「Acacia Cambagei」といい、本書には通称ギッジーというのだと書いてあった。ニューサウスウェールズ州とクインズランド州に分布していて、雨の時期や花が咲く頃には天然ガスのようなひどい臭いがするとある。もちろん、グリップからはそんな臭いはしない。

この作り手は、もう割に合わないので作らないということだった。いま考えれば、機会があるうちにもう1個くらい確保しておくべきだった。


オーストラリアのアート(4) アボリジナルアート、フィオナ・ホール、グリーソン、ドライスデイル、ボイド

2008-05-19 08:55:10 | オーストラリア

シドニーでは、もう仕事が終って休日、乗り継ぎの関係で1日ゆっくりと使うことができた。

●現代美術館(Museum of Contemporary Art)

3階では、『彼らは瞑想している』と題された、おもに北部準州(NT)のアボリジニたちによる、1960年代以降の樹皮アートが展示されていた。モチーフ、人、カンガルー、エミュー、蛇、鰐、ディジェリドゥ(楽器)、魚など様々だ。面白いのは、それぞれ模様を大き目の格子で区切ったり、内臓を模様として描いたりといった共通点が見られることだ。樹皮の上に、白や茶や黒の色が付けられている。

なかでも、指導者的な立場であったイラワラ(Yirawala)の作品がフィーチャーされていた。実際に、カンガルーを狩る人の絵など、他の作品よりも動きの表現が豊かで、また手形を隙間にスプレーで付けるなど余裕が感じられた。

会場の一角には、映像コーナーが設けられていて、60年代の記録映像を観ることができた。祭祀の様子なのだが、大勢が木と木を1秒に1回くらい叩き続け、そのテンポでステップを踏みつつ踊っている。観ていたら、疲れていたこともあって、居眠りをしてしまった。


イラワラの作品(1970年)(一部分)


イラワラの作品(1976年) ポストカードより

階下では、フィオナ・ホールによる『力の場』と題した展示を行っていた。キャンベラの国立美術館でも観たのだが、缶などから生えた植物を模した金属のデリケートな彫刻のシリーズが最も有名なもののようだ。ここでの展示を観ると、それが精巧なミニチュアの面白さのために植物を題材にしているのではなく、壊れやすく多様な自然を大事に考えていることがよくわかる。特に、新聞紙を使って自然を模した作品や、紙幣の上にさまざまな植物の葉のドローイングを配したシリーズなど、世界への愛情さえ感じられる。エロチックだったりもするのだが、それも、いのちという文脈でみえてきた。


アルミのサーディン缶にジャイアントケルプを配した作品(2007年)

●ニューサウスウェールズ州立美術館(Art Gallery of New South Wales)

とても大規模な美術館であるから、地下3階の現代アボリジナルアートと、1階の20世紀オーストラリア美術に絞って観た。

現代アボリジナルアートについては、『Living Black』と題されていた。


子供向けに頒布しているパンフ

上述の樹皮アートとは異なり、平面上に描かれるアボリジナルアートは、多くのドットとその集合によるうねりを用いて、洞窟、沼、川、食べ物などの世界を表現する共通点がある。しかし、かろうじてそのような分類に入る作品でも個性がそれぞれ異なり、また、当然、類型からはみ出す拡がりがある。

例えば、
ヤクルティ・ナパンガティ(Yukultji Napangati) 黄色とオレンジのドットによるうねり。
ワラングラ・ナパナンガ(Walangkura Napanangka) 黒地に赤・白・黄の浮き出たドットによるうねり。他の作品では線も効果的に使っているようだ(→ リンク
ロゼッラ・ナモク(Rosella Namok) 黒地に縦何本もの薄い茶色のグラデーション。川をあらわしている。他の作品でも縦線を使っている(→ リンク
ルーシー・ユケンバリ・ナパナンガ(Lucy Yukenbarri Napanangka) 白、黄、赤、紅などのドットによる色分け。食べ物をあらわしている。
ローナ・ナパナンガ(Lorna Napanangka) 黒地に赤ドットのクラスター群。ゆるいうねり。

こういった若手よりも何回りも上の、エミリー・ウングワレー(Emily Kngwarreye)の作品展が、今月から国立新美術館で開催される。いまからとても楽しみだ。残念ながら、この美術館では展示していなかったが、アボリジニの芸術家たちのなかでもとりわけ評価されているようだ。(→ リンク

1階には、20世紀オーストラリア美術の広いコーナーがある。先述の国立美術館で観た、ジェームス・グリーセンやアルバート・タッカー、シドニー・ノーランはもちろんだが、アーサー・ボイドによる終末的、カタストロフィー的な作品が多数展示されていて、これにも興奮した。


アーサー・ボイド(1966-68年) ポストカードより

また、ラッセル・ドライスデイルによる、エッジのくっきりしたアボリジニの絵やゴールドラッシュ跡のゴーストタウンの絵なども素晴らしいとおもった。


ラッセル・ドライスデイル(1947年) ポストカードより


オーストラリアのアート(3) グリーソンらのシュルレアリスム、ノーラン、デュペイン

2008-05-19 08:00:00 | オーストラリア

●オーストラリア国立美術館(National Gallery of Australia)

キャンベラの国立美術館では、『オーストラリアのシュルレアリスム』と題して、おもに1930年代、40年代あたりの作品が集められていた。解説によると、ヨーロッパにおけるブルトンやフロイトらの動きに起因する精神分析的な作品ではなく、マグリットやダリなどのイマジナリーな側面が、オーストラリアにおいては強く影響していたようだ(もっとも、ダリには両方の側面があるのだろう)。そして、オーストラリアでも、自国のシュルレアリスムの歴史は最近までほとんど認識されていなかったという。


図録の表紙と裏表紙(ともにジェームス・グリーソンの作品)

展示作品のなかでもっとも鮮烈だったのが、ジェームス・グリーソンによる悪夢の世界だ。この細密さは真っ先にダリを思い出させるが、脈打つようなマチエールはエルンスト的でもある。もちろん、世界はグリーソン独自のものだ。

クリフォード・バイリスアルバート・タッカーらのユニークな作品もいい。また、写真家マックス・デュペインによる、「無関係なものを無意識的に組み合わせる」というシュルレアリスムの典型的な作品群も悪くない。

○『オーストラリアのシュルレアリスム』展の解説(グリーソン、デュペイン、ボイドなどの作品群を「Selected Works」で観ることができる) → リンク
○グリーソンの作品群(今回の展示外)① → リンク
○グリーソンの作品群(今回の展示外)② → リンク
○バイリスの作品群(今回の展示外) → リンク

別室では、シドニー・ノーランによる『ネッド・ケリー』のシリーズがまとめられていた。ネッド・ケリーはオーストラリアの19世紀のアウトローであり、いわば大衆的ヒーローである。とても人気があり、先述の国立フィルム・音響アーカイヴでも、最近映画化された際のマスクや衣装なんかの小道具を展示していた(その前は、ミック・ジャガーがケリーを演じたこともあるそうだ)。市場でもオーナメントの類になっている。

たまたま子どもたちの社会見学に鉢合わせして、学芸員が解説するのを聞くともなく聞いていた。学芸員が「ネッド・ケリーは体制に立ち向かった人のiconなのです。iconって何だかわかりますか。」と尋ねたところ、子どものひとりが「symbolのようなものだね」と答え、完璧な回答だと褒められていた(笑)。実際、ジャン・コクトー『オルフェ』の劇のデザインなど、グラフィックな面でも活躍したノーランによるケリーのマスクは、違和感をあえて感じさせるようなセンスのものであり、ケリーの活躍から逮捕までを続けて観ると絵物語のような効果があった。


シドニー・ノーランによる『ネッド・ケリー』シリーズの1枚

●オーストラリア国立アーカイヴ(National Archives of Australia)

シュルレアリスムの流れにも位置づけられていたマックス・デュペインだが、ここでは、依頼仕事の成果をまとめて展示していた。二眼レフ、ローライコード(これも展示してあった)で撮影された自然光に溢れた作品は、あまりにも強い陽光によってハレーション気味であり、優しく、悪くない。

しかし、企業からの依頼による工場や労働風景の作品は、当然だが固定したイメージをあえて見せるだけのものであり、たいして面白くもなかった。このあたりの作品群はスナップではないから、依頼仕事らしく大判カメラで撮影されている。室内では、デュペインの撮影風景や白黒プリントの様子がヴィデオで流されていた。暗箱はサンダーソンとか言っていただろうか、レンズはツァイスのテッサーだった。そして引き伸ばし用のレンズはシュナイダーのコンポノン180mmF5.6。


オーストラリアのアート(2) キャンベラの国立フィルム・音響アーカイヴ

2008-05-18 23:59:58 | オーストラリア

キャンベラには国立アーカイヴが2つある。ホテルのフロントで嘘を教えられて、行くつもりでなかったのに、この国立フィルム・音響アーカイヴ(National Film & Sound Archive)を訪れた。

映画・映像と音の記録を収集管理している施設であり、常設展示室があった。そんなに広くもないのだが、それぞれのブースで流されている映像を全部観ていたら時間がいくらあっても足りない。それで、いくつか興味深いものを集中して観た。客はほとんど居なかった。


パンフが何種類もあり、ネッド・ケリーの物語(左)やアボリジニの記録(中)など独自性を出している

●『ココダ・フロント・ライン』

第2次世界大戦時、ニューギニアのココダにおけるオーストラリア軍と日本軍との戦闘のドキュ(ダミアン・パラー、1942年)。アカデミー賞を受賞していて、オスカー像も飾ってあった。短いので全編を観た。おそらく当時にしてみれば生々しすぎる最前線の映像であり、日本軍の手ごわさを語っているあたり、情報隠蔽を主としていた日本の様子との違いを感じさせる。オーストラリア軍はニューギニア現地の住民を使っていて、「彼らの皮膚は黒いが、いまや白人だ」と、白豪主義そのもののようなナレーションを挿入していることも、紛れもなく時代的だとおもった。

●ポール・コックス(Paul Cox)の映画

まったく知らなかった映画監督だが、2006年の「Ken G Hall Award」という賞を受けたとかで、過去の監督作のフッテージが経年的に流されていた。何も考えず観ていると、一度沈んだような渋い映像と、思索的であったりエキセントリックであったりする雰囲気に、かなり惹かれるものがあった。

帰国して調べてみると、多作で多様、低コストで撮ることが多く、また製作面にのみ注力されるオーストラリアの映画界にあって異色な、作家性のあるひとらしい。また、本人の好きな映画監督は、ルイス・ブニュエルと、グルジアのセルゲイ・パラジャーノフだという(Philip Tyndall、2000年 → リンク)。

また、日本ではあまり公開されていない。老人の介護を描いた『ある老女の物語(A Woman's Tale)』(1991年)や、老いてから恋愛する『もういちど(Innocence)』(2000年)の評価が高いようだ。実際に、アーカイヴで観たこれらのフッテージは印象的だった。前者は、青い塗り壁の前に登場する老女の姿。後者は、恋愛相手の昔の姿(おそらくスーパー8)を鏡を用いて挿入する切ないシーン。

『Cactus』(1986年)の幻想的な映像は、麻薬としてのサボテンをとりあげたものだろうか。またゴッホを描いた『Vincent』(1987年)は、D.D.ダンカンがコダックのネガカラーで撮った写真集『ひまわり』を思い出させる、まっ黄色なひまわりの鮮やかさだった。

かなり観てみたい。まずはレンタル店で探してみようかとおもう。

○「NY Times」によるフィルモグラフィー(いくつか予告編がある) → リンク
○『ある老女の物語』予告編 → リンク

このアーカイヴには映画館も併設されていて、たとえば5月のプログラムは『黒い罠』、『アメリカの夜』、『アルフィー』、『イタリア旅行』などとてもいい感じ。近くにあったら通ってしまいそうだ。しかし、この日の夜はトビー・フーパーの『悪魔のいけにえ』。高校生のころ友だちにヴィデオを借りて、しばらく思い出しては畏怖していた記憶がある(怖い映画は苦手なのだ)。何で外国に来て、血生臭い映画など観なければならないのかと思い、さっさとホテルで寝た。


オーストラリアのアート(1) パースの西オーストラリア博物館、現代美術館、侯孝賢の新作

2008-05-18 16:38:36 | オーストラリア

オーストラリアに、仕事で1週間あまり行ってきた。「today」=「トゥダイ」はもとより、「may」=「マイ」、「paper」=「パイパー」など、独自の発音に一瞬ためらう。もっとも、昔、英国を初めて訪れたとき、ああ、自分が教わっていたのは米語だったのだと思い知ったときほどのインパクトはなかったが。

カンタス機のなかで、侯孝賢(ホウ・シャオシェン)の新作『Voyage du ballon rouge(赤い風船の旅)』(2007年)を観ることができたのは嬉しかった。深夜便で、ビールを飲んで、英語字幕が霞んでいて、要は少しうとうとしながら観たのだが、確信犯的にゆったりとしたリズム、フィルム内のフィルム(ジュリエット・ビノシュの息子を世話する若いSong Fengとう女性が、赤い風船を巡る映画を撮っている)のもたらす夢のような効果など、とても印象的だった。上映される際にはまた観ようと思う。

○『Voyage du ballon rouge(赤い風船の旅)』の予告編 → リンク

パース、メルボルン、キャンベラ、シドニーと、西から東への強行軍。それでも暇を見つけては、いろいろ覗いてきた。自然や街やライヴ(シンディ・ブラックマンを聴いた)の写真はおいおいアップするとして、美術館・博物館は、こんなところを訪れた。

○パース 西オーストラリア博物館、パース現代美術館(PICA)
○キャンベラ オーストラリア国立美術館、国立フィルム・音響アーカイヴ、オーストラリア国立アーカイヴ、首都計画展示館
○シドニー 現代美術館(MCA)、ニューサウスウェールズ州立美術館
(これだけみると遊びに行っているようだが、もちろん誤解である。)

まず、パースの美術館・博物館を紹介したい。

●西オーストラリア博物館

恐竜やコアラやウォンバットなどの骨格、マングローブ類、数多い珊瑚や海綿や蟹(『美味しんぼ』で紹介されたマッド・クラブもある)など、駆け足では全部を観ることができなかった。それでも、今回西海岸で実際の姿に触れることのできなかったストロマトライトの34.7億年前の化石を観たことが最大の収穫。1980年代に放送されたNHKスペシャル『地球大紀行』で初めてその存在を知ってから、憧れていたのだ。

また、特別展として、西オーストラリアで最も古い歴史を持つというアボリジニ、「Katta Djinoong」の展示が充実していた。19世紀末頃の、樹皮を用いて作られた盾、ブーメラン、投げ棒、皿などや、現代のアボリジナルアート、さらには英国による支配・虐殺の歴史などがテーマ別にまとめられている。

興味深いのは、1960年代ころまで、白人への同化政策として、アボリジニの赤ん坊を白人が引き取って育てるということが行われていたということだ。親から引き離されたことによる精神的な傷がもたらした影響やルーツ探しに関して、ヴィデオで、大人になったその子どもが語っていた。

また、子どもの生活力教育として、「大人が使う道具を小さくしたものを与える」という面白い習慣が紹介されていた。ブーメランも、押し車も、使えるものが小さく作られている。

○会場の雰囲気 → リンク

●パース現代美術館(PRCA)

HATCHED」という、若いアーティストの公募による発表の場のようだ。美術館というか、3階まであるちょっとしたギャラリーという感じだ。西オーストラリア博物館の隣、ユーカリの大きな樹のもとに入口がある。公立の美術館・博物館はだいたい夕方5時には閉まってしまうが、こちらは6時までなので飛び込むことができた。

ちょっとたかを括って言えば、国によらず、若者の現代美術なんて玉石混交であり、ずぶずぶと肥大した自意識と止め処もない暴力的なものにうんざりさせられる。これもそうだ。深みのないコンセプチュアルアート、どこかで見たようなもの、垂れ流し。それでも声を立てて笑ってしまうような良いものがあった。

ダグラス・ハスレム『小さなダンサーと音楽猫』。自分の祖父母をイメージして歯磨きなんかから作られたという、文字通り「tiny」な作品。2作品だけあったが、シリーズになればさぞ楽しいだろう。

ヘイディ・ケンヨン『あなたの考えうる全ては真実だ』。アボカドの葉を切り絵風に刻んで作られた何葉もの作品群で、これも「tiny」な感じだ。ヴァルネラブルというか、フラジャイルというか、物理的な弱さと存在の強さのバランスが気持ちいい。

ミーガン・スプラグ『肩をすくめたアトラス』。ぱっと見にはわからないが、同じ型から作られたこの4,000体ものプラスチック人形は、首も背中も丸めてうずくまって座っている。集団の象徴、1人1人がそれぞれ世界の重みを肩に負っているというコンセプトのようだ。ということは、コレクティヴでありなから個の象徴ということにもなる。おもわず笑ってしまった。こんなうな垂れた体育座りが一杯いると、ちょっと腹がむず痒くなってくる。

会場でアンケートに答えると、クランプラーのバッグが抽選で当るということだった(当然書いた)。そういえば、クランプラーはオーストラリアの自転車乗りが開発したものだった。

○「HATCHED 08」 → リンク