Sightsong

自縄自縛日記

ジョナス・メカス、イン・ビトウィーン

2024-01-20 10:25:15 | 小型映画

埼玉県立近代美術館の『イン・ビトウィーン』展。展覧会が目指すものは「個の身体を拠りどころとして思索を重ねる/重ねた作家たちの複数の声(ポリフォニー)を掬い出し、現代の鑑賞者とともに見直すこと」とある。

シュルレアリスト福沢一郎のもとで学んだ早瀬龍江の作品も興味深く観たのだけれど、自分の目当てはジョナス・メカス。30年ちかく前に六本木にあったシネ・ヴィヴァンで『リトアニアへの旅の追憶』を観たとき、人生が狂うくらい驚いた。それは鈍痛にも似ていて、まだ続いている。

今回の展示(16ミリからのブローアップした版画と写真)でも知識として驚くことはないけれど、感覚としては驚く。16ミリの濁りと滲み、それが彼岸と此岸との境界にある。2005年にメカスが来日したとき絵を描いてくれた。しまい込んでいないで飾ろうかな。

●参照
ジョナス・メカス(1) 『歩みつつ垣間見た美しい時の数々』
ジョナス・メカス(2) 『ウォールデン』と『サーカス・ノート』、書肆吉成の『アフンルパル通信』
ジョナス・メカス(3) 『I Had Nowhere to Go』その1
ジョナス・メカス(4) 『樹々の大砲』
ジョナス・メカス(5) 『営倉』
ジョナス・メカス(6) 『スリープレス・ナイツ・ストーリーズ 眠れぬ夜の物語』、写真展@ときの忘れもの
ジョナス・メカス(7) 『「いまだ失われざる楽園」、あるいは「ウーナ3歳の年」』
ジョナス・メカス(8) 『ファクトリーの時代』
ジョナス・メカス(9) 『富士山への道すがら、わたしが見たものは……』、小口詩子『メカス1991年夏』
ジョナス・メカス(10) 『ウォールデン』
アンディ・ウォーホルのファクトリー跡
チャールズ・ヘンリー・フォード『Johnny Minotaur』をアンソロジー・フィルム・アーカイヴズで観る
ジョルジュ・メリエスの短編集とアンソロジー・フィルム・アーカイヴズの知的スノッブ
鈴木志郎康『結局、極私的ラディカリズムなんだ』
アドルファス・メカス『ハレルヤ・ザ・ヒルズ』
JMシンガーズ『Jonas Song』


ジョナス・メカス(10) 『ウォールデン』

2016-11-24 09:21:21 | 小型映画

ジョナス・メカス『ウォールデン(Walden: Diaries, Notes and Sketches)』(1969年)を観る。

この映画は6本のリールから構成されているのだが、ずいぶん前にebayで入手したVHS版はなぜか5本目の途中までしか入っていなかった。従って、最後まで通して観るのははじめてだ。この2枚組DVDを何年も寝かせているうちに日本版も出てしまった。ただ、これにも日本語字幕が入っている。また、英仏2か国語での解説書が付いており、あとで思い出しながら追いかけてゆくことができる。

メカスの映画を観るたびに眼が歓び、わけもなくセンチメンタルになる。これはフィルムの明滅が身体のビートとシンクロし、また突き放されることを繰り返されるからに違いない。鈴木志郎康さんも、これを心臓の鼓動だとしているし(『結局、極私的ラディカリズムなんだ』)、メカス自身も映画の中でそう呟いている。観ていなかった6本目のリールにあった。

「That's what cinema is, single frames. Frames. Cinema is between the frames. Cinema is... Light... Movement... Sun... Light... Heart beating... Breathing... Light... Frames...」

この効果は偶然に得られたものではなく、明らかにメカスが技術的に工夫して狙ったスタイルによるものでもあった。金子遊さんによれば、16ミリのボレックスに付いているゼンマイ式の巻き上げハンドルを固定せず、回転状況を把握するためにあえてハンドルも回転させていたようだ。あの多重露光、ピンボケとブレ、露出過多へのゆらぎ、速度のゆらぎなどは、そういった肉体的な感覚によって得られていた。(『失われた記憶にふれる指』

映画では何も起こらない。ジョンとヨーコのベッドインがある(これも6本目にあった)。スタン・ブラッケージ、シャーリー・クラーク、弟のアドルファス・メカス、アンディ・ウォーホル、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドなども登場する。友達の結婚パーティにおいて「AND MUSIC PLAYED AND PLAYED」との文字が挿入され、明滅する光の中で踊る人たちの映像も素晴らしい。しかし本質的には何も起こらない。

「He must not then go in search of new things... He must not then go in search of new things that serve only to satisfy the appetite outwardly, although they are not able to satsfy it... and leave the spirit weak and empty, without interior virtue.」(1本目のリールより、十字架のヨハネ、16世紀)

●参照
ジョナス・メカス(1) 『歩みつつ垣間見た美しい時の数々』
ジョナス・メカス(2) 『ウォールデン』と『サーカス・ノート』、書肆吉成の『アフンルパル通信』
ジョナス・メカス(3) 『I Had Nowhere to Go』その1
ジョナス・メカス(4) 『樹々の大砲』
ジョナス・メカス(5) 『営倉』
ジョナス・メカス(6) 『スリープレス・ナイツ・ストーリーズ 眠れぬ夜の物語』、写真展@ときの忘れもの
ジョナス・メカス(7) 『「いまだ失われざる楽園」、あるいは「ウーナ3歳の年」』
ジョナス・メカス(8) 『ファクトリーの時代』
ジョナス・メカス(9) 『富士山への道すがら、わたしが見たものは……』、小口詩子『メカス1991年夏』
アンディ・ウォーホルのファクトリー跡
チャールズ・ヘンリー・フォード『Johnny Minotaur』をアンソロジー・フィルム・アーカイヴズで観る
ジョルジュ・メリエスの短編集とアンソロジー・フィルム・アーカイヴズの知的スノッブ
鈴木志郎康『結局、極私的ラディカリズムなんだ』


ジョナス・メカス(9) 『富士山への道すがら、わたしが見たものは……』、小口詩子『メカス1991年夏』

2015-12-27 19:45:08 | 小型映画

西荻窪のtoki/GALLERY分室に足を運び、久しぶりに、ジョナス・メカスのフィルムを観る。

『富士山への道すがら、わたしが見たものは……』(1996年)

1991年、メカスは日本を旅した。そのときにボレックスにより撮られたフッテージによる作品である。嬉しいことに16ミリでの上映。

聞き覚えのないドラマーによるガジェットのような音の中、セリフ無しで、旅の視線が映し出される。浅草、新宿(ニコンサロンからの眺望だろうか)、名古屋、帯広、長浜ラーメンの屋台、丸の内、靖国神社、富士山。ソ連が崩壊の直前に侵攻したリトアニアの様子を報じるテレビ。吉増剛造氏、木下哲夫氏。

この激しいフリッカーに人々は魅せられ、おそらくは死と生とを見出している。わたしもこのフィルムが完成した1996年に、六本木シネ・ヴィヴァンにおいて、『リトアニアの旅の追憶』の洗礼を受け、メカスのことが頭から離れなくなった。小さいギャラリーに集まった若い20人ほどの人たちにとってはどうなのだろう。

ところで、映像の中で誰かが使っていたライカ・ミニルックスが欲しくなってしまったりして。

小口詩子『メカス1991年夏 NY、帯広、山形、リトアニア』(1994年)

同じときに、メカスとかれを受け入れた人たちを記録した映像。これはDVDによる上映だった。

ボレックスを勝手知ったる道具として、ときには玩具のように扱うメカスの姿。帯広、丸の内、山の上ホテル、神保町(メカスがペンを物色するのは、あの文具屋かな)、どこかの河原での芋煮、神田藪蕎麦、秋葉原、吉増氏、木下氏、鈴木志郎康氏、アイヌのムックリ、靖国神社、リトアニア語を話す村田郁夫氏。『リトアニアへの旅の追憶』における、古いブルックリンを撮ったフッテージ。『楽園のこちらがわ』のラスト、雪が降るフッテージ。メカスの著作『I Had Nowhere to Go』(『メカスの難民日記』)。

まるでメカスを偶像かペットであるかのように扱う様には違和感を覚える。それはそれとして、フリッカーはなくとも、やはりメカスの存在自体が、存在のフリッカーを起こさせる。吉増剛造氏が、メカスに「なぜあなたの作品は揺れ動く(shaky)のか」と尋ねたところ、答えは「私の人生がshakyだから」であったという。吉増氏は、そのあとも、「shakyな人」と呟いていた。印象的な表現だった。

●参照
ジョナス・メカス(1) 『歩みつつ垣間見た美しい時の数々』
ジョナス・メカス(2) 『ウォルデン』と『サーカス・ノート』、書肆吉成の『アフンルパル通信』
ジョナス・メカス(3) 『I Had Nowhere to Go』その1
ジョナス・メカス(4) 『樹々の大砲』
ジョナス・メカス(5) 『営倉』
ジョナス・メカス(6) 『スリープレス・ナイツ・ストーリーズ 眠れぬ夜の物語』、写真展@ときの忘れもの
ジョナス・メカス(7) 『「いまだ失われざる楽園」、あるいは「ウーナ3歳の年」』
ジョナス・メカス(8) 『ファクトリーの時代』
アンディ・ウォーホルのファクトリー跡
チャールズ・ヘンリー・フォード『Johnny Minotaur』をアンソロジー・フィルム・アーカイヴズで観る
ジョルジュ・メリエスの短編集とアンソロジー・フィルム・アーカイヴズの知的スノッブ
鈴木志郎康『結局、極私的ラディカリズムなんだ』


暑中見舞いは8ミリで/かげひかりげんぞうにんげん8みり

2015-08-16 08:20:41 | 小型映画

(本人は謙遜して否定する)映像作家の安田哲さんが、高円寺の銭湯・小杉湯で、『暑中見舞いは8ミリで/かげひかりげんぞうにんげん8みり』(どちらがタイトルかよくわからない)という展示を行っているというので、中央線に乗って足を運んだ。

純情書店街を抜けて庚申通りの途中。よく見ると歴史のありそうな銭湯である。入ると、なぜ銭湯にギャラリーがあるのかわかった。待合室の壁が展示スペースとなっているのだ(1月ごとの入れ替えで、大人気でしばらく予約で一杯だという)。すでに安田さんと、画家の壷井明さんがいた。

壁には、安田さん自身を含め、何人かが撮った8ミリの白黒フィルムをプリントしたものが貼ってある。もっとも、ライトボックスにフィルムを置いて一眼レフで撮ったものだという。そして安田さんが映写機を手で持って、そのいくつかを壁に映写している。現像は、8ミリ界では有名な大西健児さんであり、トライXをまとめてじゃぶじゃぶと処理しているためムラや傷が多い。もちろんそれは味わいに他ならない。わたしが江戸川の妙見島で撮ったものを映写してもらうと、戦前の浦安界隈にしか見えないのだった。壁には、その1シーンである「HOTEL LUNA」(特定目的ホテル)を撮った部分が貼られていた。

それにしても待合室。風呂あがりに涼む人たちだけでなく、中学生がたむろして漫画をひたすら読みふけっている。なんとフルーツ牛乳だけでなく、数々の「地サイダー」が売られている。せっかくなので200円の「姫路城サイダー」をいただいた。

安田さんは、「自分の靴に鏡を結わえて歩き、そこに写ったカメラを持つ自分の姿」を撮った奇っ怪なる映像を壁に映写している。中学生たちは、映写機を囲んでにやにやしてぼそぼそ喋る人たちをどう思っただろう。近所の方に連れられた小さな女の子は、「なんで回っているの? なんで光っているの? 大人の世界ってやつ? なにも写ってないじゃん!」と鋭いツッコミを入れてきた。

そんなわけで、安田さん、壷井さんと3人で「大将」という店で焼き鳥を食べ、高円寺の街を徘徊して帰った。

●参照
ツァイスイコンのMoviflexと値段が2倍のトライX
記憶の残滓
「FUKUSHIMAと壷井明 無主物」@Nuisance Galerie その3


「FUKUSHIMAと壷井明 無主物」@Nuisance Galerie その3

2015-07-05 09:11:47 | 小型映画

Nuisance Galerieにおける「FUKUSHIMAと壷井明 無主物」展。最終日(2015/7/5)は、栗原みえ『チェンマイ チェンライ ルアンパバーン』(2012年)という8ミリ映画の上映が行われた。企画した安田哲さんが8ミリ映写機にこだわっていたのだが、諸事情によりDVDプロジェクターが使用された。

映画は、栗原さんがタイのチェンマイとチェンライ、それから旅仲間のことばに心動かされてラオスのルアンパバーンに旅をするプロセスである。現地の人たちと仲良くなって、やたらクローズアップしたり遊んだり。8ミリの滲んだ映像と、揺れ動きと、栗原さんの脱力したようなナレーションがやたらと楽しい。いや~、旅はいいね。

ところが、帰国後、「3・11」を迎えて映画のトーンは一変し、緊迫感に満ちたものになる。外界を本能的に恐怖して閉じこもる栗原さんは、タイやラオスでの狂犬病などにも思いを馳せる。直視するとそれに囚われて逃れられなくなる「死」というものが、すべての共通項として浮上してくるわけである。安田さんがこの映画を最終日にもってきた理由かな。

終わった後、サンポーニャ奏者の青木大輔さんによるソロ。最初は真っ暗ななかで、そのあと、足元に蝋燭の火をいくつか灯して。暗闇と息遣いは8ミリ映画にも共通するものである。

●参照
「FUKUSHIMAと壷井明 無主物」@Nuisance Galerie(2015/6/6、丸木美術館・岡村幸宣さんとの対談)
「FUKUSHIMAと壷井明 無主物」@Nuisance Galerie その2(2015/6/13、浄土真宗本願寺派僧侶・大來尚順さんとの対談)
岡村幸宣『非核芸術案内』


ツァイスイコンのMoviflexと値段が2倍のトライX

2015-06-28 07:54:09 | 小型映画

映像作家(本人はなぜか強く否定する)の安田哲さんから、スーパー8のTri-Xで何でもいいから撮るようにと言われ、とりあえず江戸川区に浮かぶ妙見島まで散歩してきた。船の運転講習を行うところや一軒のラブホテル以外は、産業廃棄物の処理事業者や一般廃棄物の収集事業者、食品工場などが立地しており、あまり足を踏み入れることはない。

そんなわけで、使わないでしまっておいたTri-Xもあわせて2本回した。それにしても並べてみると仰天する。数年前の1,450円から、いまや2,780円。ほぼ倍である。しかもこれに現像料金が加わる。使う人がどんどんいなくなるのも仕方がない。ところで、まだ他に、低感度のモノクロフィルム・Plus-Xと、(当時)新タイプのEktachromeが残っている。どうすべきか。

カメラは、ツァイスイコン・Moviflex GS8。6mmからの広角(広い)、最短撮影距離1m(短い)となかなかのハイスペックである。適当に妙見島の猫を撮っていたら、2本目の途中で異音を生じはじめた。慌てて電池を取り出し、5秒後に戻したら回復した。ちゃんと撮れているのだろうか。

希望は、スーパー8のデジタルカートリッジを早く開発までこぎつけてもらうことなのだが、なかなか進んでいない模様(2014/3/1に更新)。
http://hayesurban.com/current-projects/2012/3/14/digital-super-8.html


アンディ・ウォーホル『Empire』、『Mario Banana』、『Vinyl』

2014-07-13 11:20:13 | 小型映画

ニューヨークのブルックリンでは週末ごとに蚤の市が開かれている。曜日によっていくつかあるようで、先日、ウィリアムスバーグでの市に行ってきた。

会場には奇妙なものも楽しいものもあったのだが、足が止まったのはDVD屋。明らかに正規盤でないジャズの映像とか、バービー人形を使ったカーペンターズの映画『Superstar』(汚いVHSしか持っていないし、買えばよかった)とか、いろいろあった。その中に、アンディ・ウォーホルのDVDを2枚見つけて入手。すべて一律15ドルだった。

記念写真を撮っていると、店のオヤジがわざわざヘンな顔(笑)

■ 『Empire』(1964年)

もっとも有名なウォーホルの映画だろう。オリジナルは8時間5分もあるが、これは1時間の短縮版。とは言っても本質的には一緒であり、無音で、エンパイア・ステートビルの上部をずっと撮影しているだけの映像である。ウォーホルと、ジョナス・メカスが撮影したらしい。

じっと凝視していても寝落ちするだけなので、さっき、トニー・マラビーの音楽を聴きながら(現在のニューヨークなのでいいだろう)、1時間の苦行に耐えた。あほらしい、とか言ってまた観てしまったりして。

■ 『Mario Banana』(1964年)

3分ほどの2種類の映像があり、モノクロ版とカラー版。女装したマリオ・モンテスが、カメラに妖しい視線をよこしながら、バナナを舐めたり食ったりするだけの映像である。あほらしいとかエロいとかいう以前にヤバい。どうでもいい。

■ 『Vinyl』(1965年)

『時計じかけのオレンジ』をゆるく原作とした1時間映画。これにはセリフが入っているが、あえて棒読みにしたようで、どうでもいいことばかり叫んでいる。

主人公(?)のジェラルド・マランガは、突然、仲間うちから拷問を受ける。当時のファッション・アイコンであったイーディ・セジウィックは、横でぼんやりして、タバコを吸ったり、踊ったり。別に残酷なものでもないのだが、まあ、これもどうでもいいね。

撮影された「ファクトリー」は、いまでは公園になっているジョナス・メカスにも、跡地を訪ねて懐かしがる『ファクトリーの時代』という作品があった。

●参照
アンディ・ウォーホルのファクトリー跡
ジョナス・メカス(8) 『ファクトリーの時代』


ジョナス・メカス(8) 『ファクトリーの時代』

2012-12-07 23:58:53 | 小型映画

ギャラリー「ときの忘れもの」にて、『ファクトリーの時代』(1999年)を観る。

手持ちのぐらぐら揺れるヴィデオカメラで、メカス自らの呟きとともに、周囲を、呟く自分の顔を、撮る。このスタイルは、近作の『グリーンポイントからの手紙』(2004年)でも、『スリープレス・ナイツ・ストーリーズ 眠れぬ夜の物語』(2011年)でも、同じだ。

かつての16mmのボレックスがヴィデオカメラに替わっただけではない。勿論、ぐらぐら揺れるカメラ、露出の過不足、ピンボケなどは昔も今も同じである。しかし、決定的な何かの違いがある。フィルムによる多くのフッテージを寝かせ、小間切れにして編集し、呟きをかぶせるというスタイルが、同録で長めのフッテージをつなげるというスタイルに替わったことが、映像のアウラも異なったものにしてしまっていると思える。精神の自由さはますます増しているようにも思える。

ファクトリー」とは、1964年頃からの、アンディ・ウォーホルが中心となった活動場所だった。この映画は、ファクトリーについてメカスたちが思いだし、語るものとなっている。それに耳を傾けていると、いかに自由で、過激で、人間的な活動であったのかということがわかってくる。なかでもメカスが強調するのは、さまざまな人の間をつなぎあわせたバーバラ・ルービンという女性の存在だった。

ただの思い出話ではない。過去であれ現在であれ、外に開かれたメカスの精神が、映像の魅力を生んでいる。

今月末に、メカスは90歳になる。ギャラリーがメカスに送るというメッセージカードに、自分も署名を書き入れた。

●参照
ジョナス・メカス(1) 『歩みつつ垣間見た美しい時の数々』
ジョナス・メカス(2) 『ウォルデン』と『サーカス・ノート』、書肆吉成の『アフンルパル通信』
ジョナス・メカス(3) 『I Had Nowhere to Go』その1(『メカスの難民日記』)
ジョナス・メカス(4) 『樹々の大砲』
ジョナス・メカス(5) 『営倉』
ジョナス・メカス(6) 『スリープレス・ナイツ・ストーリーズ 眠れぬ夜の物語』、写真展@ときの忘れもの
ジョナス・メカス(7) 『「いまだ失われざる楽園」、あるいは「ウーナ3歳の年」』


ジョナス・メカス(7) 『「いまだ失われざる楽園」、あるいは「ウーナ3歳の年」』

2012-05-27 21:54:52 | 小型映画

青山のブティックの2階が「テアトルタートル」と称し、定期的に映画の上映を行っている。ギャラリー「ときの忘れもの」の案内で、ここで、ジョナス・メカス『「いまだ失われざる楽園」、あるいは「ウーナ3歳の年」』(1977年)の上映があると知り、直前に予約を入れて足を運んだ。定員20人の20番目だった。

行ってみるとバーのような狭い空間に、16ミリの映写機が置いてある。これは嬉しい。

『リトアニアへの旅の追憶』(1971-72年)では、女性の脚を見つめているうちは結婚なんてできないと言われた、と呟いていたメカスだったが、その後、50歳を超えてホリスという女性と結婚し、長女ウーナが生まれている。この映画は、ウーナが3歳を迎えたころの様々なフッテージからなる集合体であり、メカスの典型的な映画作りのスタイルだ。

約90分の間(もっとも、リールを2回取り変えるのだが)、何度となく、「Life goes on」、「These are the fragments」という活字のボードが示される(ドイツ語のウムラウトだけは手書きなのが愛嬌)。その通り、あらためて言うまでもなく、すべてはフラグメントであり、そんなことを言っている間にも人生は進んでいく。

カメラは揺れ動き、瞬き、視線を彷徨わせる。その先には、ホリスや、ウーナや、皆で再訪したリトアニアでのお母さんや、親戚たちや、ペーター・クーベルカなど友人たちがいる。メカスのフィルムを何度観ても、自分の人生となぜか重ねあわせてしまうメカス体験があるのはなぜだろう。それは、メカスのフィルムが徹底的に個人的なものであるからだと思える。

メカスは映画の冒頭で、確か、ウーナにこのように語りかける。「Oona, be idealistic... not be practical.」と。なんていい言葉だろう。

映画は、雪のニューヨークで、ニコラス・レイの死を知ることで締めくくられる。もちろん、このことと映画とは関係がない。それゆえにこの映画が独自なものとして成立している。

ところで、リトアニアでは、ミカロユス・チュルリョーニスの生家を訪れる短い場面があった。『リトアニアでの旅の追憶』での印象深いピアノ曲を作曲した音楽家であり、また、ユニークな画家でもあった。思い出すと何か聴きたくなってきた。

●参照
ジョナス・メカス(1) 『歩みつつ垣間見た美しい時の数々』
ジョナス・メカス(2) 『ウォルデン』と『サーカス・ノート』、書肆吉成の『アフンルパル通信』
ジョナス・メカス(3) 『I Had Nowhere to Go』その1(『メカスの難民日記』)
ジョナス・メカス(4) 『樹々の大砲』
ジョナス・メカス(5) 『営倉』
ジョナス・メカス(6) 『スリープレス・ナイツ・ストーリーズ 眠れぬ夜の物語』、写真展@ときの忘れもの


ジョナス・メカス(6) 『スリープレス・ナイツ・ストーリーズ 眠れぬ夜の物語』、写真展@ときの忘れもの

2012-02-12 08:37:49 | 小型映画

ジョナス・メカスの新作『スリープレス・ナイツ・ストーリーズ 眠れぬ夜の物語』(2011年)を観るために、恵比寿写真美術館に駆け付けた。アジア初上映である。メカスの映画の上映に足を運ぶのは、2006年に『グリーンポイントからの手紙』(2004年)を観て以来だ。もはや16mmのボレックスなどではなく、デジタルヴィデオを用いて撮られている。おそらくは『歩みつつ垣間見た美しい時の数々』(2000年)あたりが、メカスのフィルム時代の掉尾を飾った作品ということになるのだろう。

今回の上映にあわせてメカス自身が来日することはなかったが(最近ツイッターで、2005年に来日した際のレセプションにおいて私がメカスに話したことを覚えておられる方を発見して仰天した)、その代わり、アンソロジー・フィルム・アーカイヴズの方2人による上映前の挨拶があった。曰く、何十年も活動しているメカスだが、園作品には難民として苦労した経験が底流として横たわっている。これは『千夜一夜物語』をモチーフにしたもので、輪廻転生や動物との話といったエピソードが入っている。2007年にウェブ上で毎日何かを記録したプロジェクト『365 days project』が成功した翌年、それでは千夜に拡げようとして始めたものだ。メカスならば上映前にコメントを言うことはないだろうね、と。(ところで、彼らの英語は平易なものだったにも関わらず、『千夜一夜物語』の基本的な知識がない方が通訳を務めていて難儀をしていた。これは少なからず失礼だ。)

デジタルヴィデオだからといって、メカスのスタイルはまったく変わらない(もっとも、ボレックスの故障によるフリッカーなどはないが)。手持ちで気の向くままに撮影し、そのフッテージの集積から作品へと抽出する。幕間の、紙に印刷されたタイトルやメッセージも健在である。ずっと観ていると、酔ってしまう。昔、リバイバル上映ではじめて『リトアニアへの旅の追憶』(1971-72年)を観たときの衝撃=メカス体験も、この「酔い」だった。

映画は、確かに『千夜一夜物語』を思わせる雰囲気ではじまる。マリーナ・アブラモヴィッチが恋人と別れてどん底だと毒づき続ける顔の超アップ、そして、さらに悲惨な話がある、として、突然落馬して血だらけになった女性の紹介へと進む。しかしその後は、メカスの心臓の鼓動のようにさまざまな時空間があらわれる。

オノ・ヨーコと踊るメカス。以前に住んだグリーンポイントは、歴史上誰も住んだことがない場所ゆえ有頂天になったのだが、実はひどい土壌汚染があることが発覚して去ったのだとのメカス自身の話(『グリーンポイントからの手紙』では、そこで大はしゃぎし、若者がノラ・ジョーンズを聴きながら可愛いなあ、結婚したいなあと叫んでいた)。魂と肉体の関係についていかにも熱く主張する人たち。アル中とヤク中の男の話。リスボンの大樹を象のようだ馬のたてがみのようだと撫でる男たち。ある男が十代の女性と結婚し、子どもをつくり、可愛がる様子(「その1年後」というキャプションが出ると観客席から笑いが起きる)。トカゲを撮りながらリトアニアの森のことを語るメカスの声。マリー・メンケンの小さくささやかな映画の素晴らしさについて語るメカス。ピラネージの画集を観て感嘆する人たち。「ヴィリニュス・ジャズ・フェスティヴァル」のTシャツ(欲しい!)を着ている息子セバスチャン・メカス。酔っぱらいながらナポリの歌を聴いて難癖をつけ続ける人たち。ジョルダーノ・ブルーノにゆかりのある地で作られたワインを開けるメカスたち。

そして最後は、メカスが幼少時に寝そべり、歩き回り、自分だけの道を見つけたリトアニアの森に思いを馳せる。希望と、もう戻れないのだという哀しさが同居する。しかし、千夜一夜の息遣いやフラグメンツこそが、メカスにとっても、それを観るこちらにとっても、ざわざわとした森ではなかったか。

映画を観る前に、外苑前の「ときの忘れもの」に立ち寄り、『ジョナス・メカス写真展』を観た。ここも7年前のメカス来日以来だが、道を覚えていた。以前からの、16mmフィルムの数コマをブローアップしたプリント群であり、今回展示の多くは新作である。やはり、滲みや粒子や色の飽和や動きのブレが、森のような世界での記憶の痕跡と化しているのだった。

●参照
ジョナス・メカス(1) 『歩みつつ垣間見た美しい時の数々』
ジョナス・メカス(2) 『ウォルデン』と『サーカス・ノート』、書肆吉成の『アフンルパル通信』
ジョナス・メカス(3) 『I Had Nowhere to Go』その1(『メカスの難民日記』)
ジョナス・メカス(4) 『樹々の大砲』
ジョナス・メカス(5) 『営倉』
『NYタイムス』によるレビュー


鈴木志郎康『結局、極私的ラディカリズムなんだ』

2012-02-08 23:48:09 | 小型映画

鈴木志郎康『結局、極私的ラディカリズムなんだ』(書肆山田、2011年)を読む。極めて私的な、極私的な、映画作家によるエッセイ集である。

個人映画は、その立ち上がりや存在の場を含めてのものである、という。そして詩は、ことばを受けとめるものではなく、ことばの立ち上がりに能動的に自らを重ね合わせようとすることだ、という。そうでなければ、制度にのらないことばを作りだし、発し、発せられたあとのことばの変貌にたじろぎ、変ってしまったことばを受けとめる者、すなわち個人、の営為からは離れていってしまう。従って、そのような個人は、制度や権威とは正反対に位置する。

ジョナス・メカス『リトアニアへの旅の追憶』において、母親と水とが存在の源として並列に存在しているとの見方。『ウォールデン』におけるメカスのカメラワークを心臓の鼓動だとすること。木村伊兵衛の写真における、人や動物との交感。つげ義春の、外部からの絶えざる逃亡。刺戟的な論考が多い。

私の持っている『ウォールデン』は、6本のリールのうち5本強しか入っていない。しかしこれによると、6本目の冒頭のところに印象的な場面があるという。やはり最後まで観なければ・・・。

●参照
鈴木志郎康『隠喩の手』
鈴木志郎康『日没の印象』
ジョナス・メカス(1) 『歩みつつ垣間見た美しい時の数々』
ジョナス・メカス(2) 『ウォルデン』と『サーカス・ノート』、書肆吉成の『アフンルパル通信』
ジョナス・メカス(3) 『I Had Nowhere to Go』その1(『メカスの難民日記』)
ジョナス・メカス(4) 『樹々の大砲』
ジョナス・メカス(5) 『営倉』


鈴木志郎康『隠喩の手』

2011-08-25 08:20:42 | 小型映画

鈴木志郎康の16ミリによる小品、『隠喩の手』(1990年)を観る。

タイトル画面。「暗喩の手」、「隠喩の手」。「暗」、「隠」。「ア・イ」。「ア・イ・ウ・エ・オ」。ごちゃごちゃした仕事机、キース・ジャレットのアメリカン・カルテットがBGMに流れる。ドアの覗き穴から外を視たのだろう、円周魚眼のように住宅と空が見える。彼の写真集『眉宇の半球』にも共通する、自らを閉じ込めるのか、世界を自らに閉じ込めるのか、回帰的世界である。

そして彼は自らの手を凝視する。手は不思議なものだ、しかし手を見てはいけない、と。それはそうだ。誰だって自分の手を見れば見るほど、この奇妙な生命体が何やらわからなくなってくる。そしてすべての手は異なっている。ちょうど、三木富雄が耳に憑りつかれて、巨大な耳を作り続けたように。

原稿用紙に詩を書きつける手仕事。コダクローム40の箱を開け、ダブル8のカメラに装填する手仕事。スムーズにはできない小さなもの、息遣いまで収録されている。そして現像されたフィルムは、片側のパーフォレーションにかなりの面積を占有され、冗談のように小さな画面が残っている。

8ミリでも、ここがダブル8とスーパー8/シングル8との大きな違いだ。スーパー8/シングル8はもともと片側にパーフォレーションがあり、片道通行である。画面面積もダブル8よりやや広い。ダブル8は16ミリ幅があり、半分ずつ往復撮影して現像時に半分に切断される。いかにも効率が悪いが、変ったカメラが多く、いつかは使ってみたいと思い続けていた。そのうちに、スーパー8ともどもコダクロームが消滅してしまった。

この映画は16ミリのボレックス(ジョナス・メカス!)で撮られているが、鈴木志郎康の作品を観るたびに、8ミリという小型世界への愛情を見せつけられる。そのたびに思い出すのは8ミリに向けられた吉増剛造の言葉。

脈動を感じます。それはたぶん8ミリのもっているにごり、にじみから来るのでしょう」(『8ミリ映画制作マニュアル2001』、ムエン通信)

>> 『隠喩の手』
>> 『隠喩の手』解説

●参照
鈴木志郎康『日没の印象』


J.J.エイブラムス『SUPER 8』

2011-06-29 00:54:13 | 小型映画

J.J.エイブラムス『SUPER 8』(2011年)をレイトショーで観る。スーパー8ユーザーとしては見逃すわけにいかない。

典型的なスピルバーグ映画、『E.T.』だの『未知との遭遇』だのといった作品と重なる既視感ありまくり、だ。その意味で面白いのだが、絶対に傑作ではない。既視感があるから衝撃もないし感動など決してしない(感動したらしたで、悔しいものだが)。

やはり愉快なのはディテールである。スーパー8カメラを使って怪奇映画(「ロメロ化学」という会社を登場させていて笑ってしまう)を撮っている少年少女たち。映画監督を気取る少年は、『SUPER 8 FILMAKER』誌を愛読している。ちょうどテレビからスリーマイル島の事故の報道が聞こえてくる1979年、時代は同録のサウンドカメラであり、カートリッジも当然サウンドフィルムである。じろじろ見ると、大事故で壊れるまで使っていたカメラがオイミッヒ(Eumig)、その後主人公の父親から無断で借りたカメラがコダック。オイミッヒは横に「MAKRO SOUND」と書いてあった。

帰宅して、ユルゲン・ロッサウ『Movie Cameras』という重たい本で調べた。オイミッヒは「MAKRO SOUND 44XL」「64XL」「65XL」「66XL」のいずれか、ダサい形のコダックは、主人公の幼少時を撮ったカメラであり1979年より遡ることも考慮して「Ektasound 130XL」「140XL」のいずれか。フィルムの考証さえ出鱈目だった『8mm』という映画に比べれば、まったくしっかりしている。

●参照
山下清展(山下清の使った8ミリカメラはベルハウエル)
シネカメラ憧憬
シネカメラ憧憬(2)
シネカメラ憧憬(3)


ジョナス・メカス(5) 『営倉』

2011-06-26 10:54:33 | 小型映画

ジョナス・メカス『営倉(The Brig)』(1964年)を観る。メカスはリヴィング・シアターで行われた同名の演劇を観に行き、これをフィルム化することを突如思いつく。最終日であったから、メカスとこのアイデアに同意した演劇の俳優たちが翌日夜の閉鎖された劇場に入り込み、セットを俳優たちが作りなおし、同時録音の16mmカメラでいつもの公演を撮る、という方法であった(後日、メカスは映画組合に大目玉をくらったという)。従って、劇映画とも違うし、ドキュメンタリーとも違う。メカスの異色作である。

「これがほんものの営倉だったらどうだろう。米軍海兵隊の許可をとってどこかの営倉に入り込み、そこで行われていることを映画に撮るとしたら。人の目に、どんな記録を見せられるというのか! その時演じられていた「営倉」のありさまは、私にとってはほんものの営倉だった。」
(『メカスの映画日記』フィルムアート社)


『営倉』上映用16mmフィルムレンタルのチラシ

営倉は懲罰房、米軍海兵隊で営倉に入れられている下っ端たちは、教官に熾烈な訓練とシゴキを受ける。教官たちは絶対的な存在であり、棍棒で気の向くまま囚人たちを殴る。囚人は逆らってはならず、「Yes, Sir!」と叫んではロボットのように起床し、着替え、掃除し、走り、腕立て伏せをし、何やら復唱する。何度観ても、何を言っているのかよくわからない。ただひたすらに、叫び声と、規則的に動かす足踏みのだっだっだっという音が耳に残る。

海兵隊のシゴキを描いた映画としては、スタンリー・キューブリック『フルメタル・ジャケット』(1987年)があったが、情けのかけらもない描写と裏腹の美しい映像とドラマはあくまで劇映画だった。1日で撮られ、既に演劇を観てしまっているという予定調和を避けるために弟のアドルファス・メカスに残酷に編集させたという『営倉』の生の存在感とは、根本的に異なっている。

『営倉』の上映用16mmフィルム貸出のチラシが挟み込まれた『newsreel catalogue no.4 / March 1969』(Newsreel Features)という機関誌を持っている。ロバート・クレイマー『The Edge』なんかのチラシも入っていたりする。何よりも興味深いのは、表紙にフィデル・カストロの写真があるように、キューバやヴェトナムのニュースフィルムを貸し出す組織であったことだ。米国のインディペンデント映画は大きな政治への抵抗という文脈にも位置していた。

●参照
ジョナス・メカス(1) 『歩みつつ垣間見た美しい時の数々』
ジョナス・メカス(2) 『ウォルデン』と『サーカス・ノート』、書肆吉成の『アフンルパル通信』
ジョナス・メカス(3) 『I Had Nowhere to Go』その1(『メカスの難民日記』)
ジョナス・メカス(4) 『樹々の大砲』


ジョナス・メカス(4) 『樹々の大砲』

2011-06-25 13:44:22 | 小型映画

ジョナス・メカスの最初の作品、『樹々の大砲(Guns of the Trees)』(1962年)を観る。メカス自身も、シナリオのある「映画」はこの1作だけだと述べており(のちの『営倉(The Brig)』は演劇に介入した映像)、その点でも、メカスの日記映画のスタイルはまだ確立されてはいない。それでも、何度も挿入される白い画面や、音と映像との断絶など、メカスなのだなと感じさせてくれる場面はそこかしこに散りばめられている。

自殺した若い白人女性。生前、人生の意味や苦しさ、醜さといった絶望が、彼女の口から繰り返し語られていた。恋人の男はとどめる術を知らず、なぜ自殺したのかと嘆きながら彷徨い歩く。彼女に人生を前向きに見つめようと助言していた黒人女性とその恋人は、性の悦びを含め、人生を謳歌する。この対照的な二組のカップルの姿が、揶揄や皮肉をまったく抜きにして、メカスにより眼の前に放り出されている。

彼女の絶望は、キューバへの圧力やたび重なる核実験など、矛盾と不義だらけの米国社会にも関連していた。その映像は、やはりストーリーとして構築されてはいない。しかし、メカスのこの映画活動は不穏なものとして睨まれたようだ。1961年12月(完成以前の版があったということだろうか?)、『樹々の大砲』を上映してから2日後の早朝、FBIからメカスに電話が入り、まもなく「キャロル・リードの映画から抜け出してきたような顔に黒い帽子。それにレインコート」の男が脅迫にやってくる。メカスは怯えながら言う。「実は、私は手先になる人間が嫌いなのです。どんな機関の手先でも」。メカスらしい、素晴らしい言葉だ。(『メカスの映画日記』フィルムアート社)

悦びのカップルの男を演じたベン・カラザーズは、見覚えがある。調べると、やはり、本作の前にジョン・カサヴェテス『アメリカの影』(1959年)にも出演している。メカスは『アメリカの影』のオリジナル版を高く評価し、「改良」版を手厳しく批判しているが、これはどういうことなのかよくわからない。いずれにしても、メカスがこのインディペンデント劇映画を撮りつづけていたなら、カサヴェテスになっていたのだろうか。

●参照
ジョナス・メカス(1) 『歩みつつ垣間見た美しい時の数々』
ジョナス・メカス(2) 『ウォルデン』と『サーカス・ノート』、書肆吉成の『アフンルパル通信』
ジョナス・メカス(3) 『I Had Nowhere to Go』その1(『メカスの難民日記』)