私はウルトラマン世代・・・といっても期間が長いが、生まれる前の『ウルトラマン』や『ウルトラセブン』も再放送で繰り返し観ているから、そう言ってもいいだろう。ウルトラマンのことしか考えていなかったこともあったから、だいぶ怪獣の名前を忘れた今でも刷り込まれたものがある。覚える機会が限られた『ゴジラ』や『ガメラ』のシリーズよりも、どうしても心の奥底に占める領域が広い。これはある程度同世代の田舎の子どもに共通しているに違いない。(根拠はないが。)
昨年、そのような私たちの心を衝く展覧会、『ウルトラマン伝説展』(岡本太郎美術館)と、『不滅のヒーロー・ウルトラマン展』(世田谷文学館)があった。こうなると、もう気持ちを掻き立てられてしかたがないのだ。
ガヴァドン、ガマクジラ、ジャミラ、テレスドン、シーボーズ、スカイドンを『ウルトラマン』に送り出し、さらに後の特撮シリーズやATGの映画などを手がけた実相寺昭雄による『ウルトラマン誕生』は、ウルトラマン誕生と活躍の背後にあった逸話や苦労話を集めたものである。そんなわけだから、全部面白い―――
○ジャミラの眼の光が消えるところ、人間味が発露する効果があったが、これはアクシデントだった。
○リアルな水の動きを撮るために、最低でも秒間96コマを使っていた。
○『セブン』の『第四惑星の悪夢』は、ゴダールの『アルファヴィル』のまねだった。
○『怪奇大作戦』の『呪いの壺』に寺が炎上するシーンがあるが、これは10分の1という大きな模型を使った。そのためクレームが続出し、熱のためカメラが壊れた。
○佐々木守(脚本)がスカイドンなどの命名を単純にした(空からドン)。しかし金城哲夫は実現しなかったものの何倍も怪獣の名前を持ち合わせていたはずだ。
○『ウルトラマン』のときは、35ミリをメインのミッチェルとサブのカメフレックス、16ミリをアクション用のアリフレックス2台。(豪華!)
○『ウルトラQ』、『セブン』、『怪奇大作戦』のオープニング画面の作り方
など、キリがない。少しでも少年時代に熱中した人なら、あっという間に読んでしまうと思う。
この本で繰り返し強調されているのは、溢れんばかりのロマンチシズム、それから人間くさい感情の怪獣への投影である。
「いろんな人たちが怪獣に夢を見た。
怪獣という邪魔者に、自分のさびしさを重ね合わせようとしたスタッフも多かった。
ステージにうき立つ塵の中で、血を通わせようと眠らない夜もあった。
そんな夜、ひと息つこうとステージから抜け出して、見上げた夜空の星は、近く、大きかった。
深呼吸をすると、体がいまにも浮いて、夜空へ吸いこまれそうだった。
ぼくたちは『ウルトラマン』をつくっていたのだが、ひょっとすると、もっと怪獣のほうを愛していたのじゃなかったか。
ウルトラマンはヒーローとして、たしかにすばらしい力をぼくたちにあたえてくれたが、つくり手のぼくたちが愛おしく思っていたのは、怪獣たちじゃなかったろうか。」(実相寺昭雄)
「怪獣というのは不恰好で、不器用で、大きな図体をもてあまして、結局最後には人間の社会から葬り去られてしまう。時代遅れで、いつも突然に、異次元の過去が現在に登場するイメエジなんです。その意味では、SF的未来から来る宇宙人とはだいぶちがう。怪獣には、原始怪獣が絶滅したように、時代についていけないもの、時代からとりのこされたもののやさしさや、見果てぬ夢があるんじゃないでしょうか。だから、ぼくは、生理的におぞましく、いやらしいかたちをつくることはできませんでした」(ウルトラマンや初期の怪獣デザインを手がけた成田亨の言葉)
特撮も人間くさかった。この本にも、「日本の特撮は伝統芸能」との言葉がある。
そして、『怪獣のあけぼの』でも、飯島敏宏(実相寺昭雄と同様に、ウルトラマン作品を何本も監督)も、人間らしく気持ちの入った特撮の素晴らしさを語っている。
『怪獣のあけぼの』は、成田亨や池谷仙克などの怪獣デザインを、ぬいぐるみという形に造りあげた高山良策を、追ったドキュメンタリーである。ここでも当時のスタッフや協力会社やオタクが登場してあまりにも色々なことを話すので、非常に楽しい。だから、個々の面白い点を挙げていくとキリがないのでやめておく。
ただ、とても納得させられたことは、高山良策の反体制精神、反骨心が、怪獣という形になって現れていたことだ。
高山良策は、日本のシュルレアリスムの第一人者・福沢一郎に師事し、同様に薫陶を受けた山下菊二と親交を結んだ。そして、池袋モンパルナスの仲間と行動を共にした。(モンパルナスはパリのそれと同様に、池袋という低湿地に形成され、下からの、民衆の力として意識された。)
あらためて言えば、シュルレアリスムは自由な発想を命題とするものであるから、おのずと体制とは相容れない。福沢一郎はそのため、「超現実主義に共産主義とのつながりを嗅ぎ取る官憲に過去の作品を理由にして拘束され」(1941年)、「みせしめとして国家権力の脅迫を受けた」。また山下菊二も、戦後民主主義における「社会的政治的弾圧」をテーマとし、小河内ダム建設、安保、三井三池、ヴェトナム戦争などの悉くに対し、絵による抗議を続けた画家だった。(『近代日本美術家列伝』神奈川県立近代美術館編、美術出版社)
そのような環境にあり思想を形成した高山良策は、やはり、怪獣に気持ちを込めていたのだった。その背後には、泥沼化するヴェトナム戦争に加担する為政者たちへの批判があった。
あらためて、『ウルトラマン』をはじめとする作品群には、多くの方々の熱意と、理想と、反骨精神が閉じ込められ溢れ出ていることが実感できるのだ。
高山良策の日記より
「巨大な怪獣たちは、この地球そのもののなかにも、その地球に棲む人間どもの心のなかにも。私たちのまわりにはいっぱい悪い怪獣が巣食っているような気がした。
(略)
権力者たちというのは、一番御しがたい巨大な怪獣であるような気がしてならない。」
実相寺昭雄『ウルトラマン誕生』(ちくま文庫)
『怪獣のあけぼの』(実相寺昭雄監修)より ペギラの眼には秘密があった!