沖縄県東村高江では、米軍の「北部訓練場」に新しいヘリパッド6基が建設されようとしている。オスプレイも離着陸する。
その危険性・不当性を訴えてずっと反対運動を続けている伊佐真次さんと、高江の取材をしている写真家の森住卓さんが講演をされるというので、千駄ヶ谷区民会館まで足を運んだ(2015/7/18)。会場には約130人が集まり、かなりの熱気だった。
講演前には、主催側の布施祐仁さん、高江を舞台に『標的の村』を撮った三上智恵さんの挨拶があった。また、WWFの花輪伸一さんも会場にいらしていた。
※文責は当方にあります
■ 伊佐真次さん(ヘリパッドいらない住民の会)
○2014年9月、3回目の挑戦で、ついに東村議会の議員に当選した(合計8名)。人口約1,900人の村は多くがお互いを見知っていて、地縁・血縁でつながっている。従って、従来は表で選挙活動を行う慣習もないのだが、自分だけ宣伝カーを出して運動した。沖縄市泡瀬から移住してきて村に親戚もない自分にとって、挑戦だった。面白かった。
○やんばるの森には、珍しく貴重な動植物が多い。イタジイはもこもこして「ブロッコリーの森」とも呼ばれる。ヤンバルクイナ(天然記念物)が約1,200-1,300羽生きているのに対し、ノグチゲラ(特別天然記念物)はわずか400羽程度。新川川沿いにいる小さい蝶・リュウキュウウラボシシジミ。リュウキュウヤマガメ。リュウキュウハグロトンボは飛び立つときにきらりと光る。昔は沖縄の中部にもいたキノボリトカゲ。ゲットウ。イシカワガエル。ヒメハブは旨いらしいがまだ食べたことがない。
○沖縄には、米軍基地そのものだけでなく、訓練空域・水域や射爆撃場が多い(>> リンク)。訓練が始まると漁ができなくなる。
○北部訓練場は那覇市の2倍の面積を持つ。その半分(主に国頭村側)を返還し、その中にあるヘリパッド7基を無くす代わりに、新たに高江に6基を作ろうという計画が、1996年の日米のSACO合意に含まれている。また、安波訓練場を返還する代わりに、上陸作戦を訓練するための訓練水域を設置することも含まれている。実質的に基地機能の強化である。
○北部訓練場のゲートは2つであり、それ以外は森林の中ゆえフェンスもなく、出入可能。米兵も出てくることがある。
○北部訓練場のなかでは、米兵がサバイバル訓練をしている。泥水もくぐる。そのために(動物の糞尿)、2014年11月には米兵90人がレプトスピラ症に感染した。
○低空飛行するヘリは騒音がひどく、危険。電柱の先には目立つようサインボールが付けてある。ヘリCH-46がオスプレイに代替されていく。
○反対するメンバーに対し、沖縄防衛局は、通行妨害の禁止を求めて訴えた。SLAPP裁判(公共の場で権利を主張する者に対する、圧倒的な権力を有する側による恫喝的手法)と言われる。最初は7歳の少女まで対象に含まれていた。裁判の過程で、特別な理由なく、仮処分の対象は伊佐さんひとりに絞られた。そして最高裁では上告棄却により敗訴。
○ヘリパッドは、森林を伐採して直径75mの更地を造成して作られる。アクセス道路などの影響も無視できない。亜熱帯林は、そのように温度・湿度、日光、風などの断絶が生じると、そこから乾燥して枯れていく。また、オスプレイは着陸のときに激しい熱を地上に吹き付けることが知られているが、このように芝生や森林があって山火事の危険があるのではないか。
○ハワイではオスプレイが墜落し2名が亡くなった(2015/5/17)。その原因究明なく、その翌日には沖縄の上空を飛んでいた。また、計画段階では住宅地の上を飛ぶことはないとされていたが、普通に飛行しているのが実態である。防衛省に抗議しても、「米軍に伝えます」という返事のみであり、まったく効果がない。今後、横田基地など「本土」ではどうなるだろう。
○軍用車や兵隊が公道に出てくる実態。沖縄戦の体験者はそれをみただけで恐怖で動けなくなる。
○基地の返還にともない、基地に依存するよりもはるかに大きな経済効果が生まれた事例は多い。
■ 森住卓さん(フォトジャーナリスト)
○辺野古のことは少しずつ取り上げられていたものの、高江は、東京のメディアにまったく無視されていた。
○反対する住民には、他から移住してきた人が多い。軍用地料に依存せず自立した暮らしをしている人たちだとも言うことができる。
○多くの貴重な動植物。(森住さんが撮った見事な写真群)
○伊佐さんのお父さん(85歳)は、沖縄戦で生き残ったことの心の傷をベースに反対をしている。そのお父さん(伊佐さんのお祖父さん)は、那覇の大空襲(1944/10/10)の前日、泡瀬において、突然警察に捕らえられ連行され、戻ってこなかった。おそらくは、反戦活動をしていたからではないか。
○泡瀬は山原船が来て、北部の材木をそこに集積する場所でもあった。そのため、高江の人ともつながりがあった。そのことが移住にもつながった。
○伊佐さんのお父さんの腕には、「土」という彫物がある。友人たちと、海軍少年志願兵になろうとして彫ったものだ。死ぬときは海より土の上で死にたいとの意味だった。ところが、伊佐さんだけトラホームの疑いがあるとして徴用されなかった。仲間は全員亡くなった。また、「対馬丸」に乗って疎開するはずだったが、その数日前、家族と一緒に死ぬのだと言って乗船を拒否した。そのように「生き残った」ことが、心の傷になっている。
●参照
三上智恵『標的の村』映画版(2012年)(伊佐さん登場)
三上智恵『標的の村』テレビ版(2012年)(伊佐さん登場)
エンリコ・パレンティ+トーマス・ファツィ『誰も知らない基地のこと』(2010年)(伊佐さん登場)
2010年8月、高江
やんばる奥間川(2010年)
やんばるのムカデ、トンボ、ナメクジ、トカゲ(2010年)
沖縄・高江へのヘリパッド建設反対!緊急集会(2010年)
やんばるのコーヒー(2008年)
ヘリパッドいらない東京集会(2008年)
東村高江のことを考えていよう(2007年)
やんばるのヘリパッド建設強行に対する抗議(2007年)
「やんばるの森を守ろう!米軍ヘリパッド建設を止めよう!!」集会(2007年)
ブロッコリーの森のなか(2007年)
高江・辺野古訪問記(1) 高江(2007年)(伊佐さんとのお話)