Sightsong

自縄自縛日記

チャプチェを作ろうとして気がついた。春雨は、緑豆だけでなく、ジャガイモやサツマイモでも作られている

2008-08-31 22:50:28 | 食べ物飲み物

土曜日、何気なくテレビ朝日の『二人の食卓』を見ていたら、勝野洋が韓国料理のチャプチェと海鮮チヂミを作っていた。両方とても旨そうにみえたので、さっそく作った。

チャプチェだが、番組ホームページのレシピ(>> リンク)では、太い春雨について「(日本製)」と書いてある。これは手に入れやすい日本製でいい、ということだろうか、それとも何か意味が。

しかし、東西線南行徳駅近くにある、中国や韓国の食材を売っている店に行ってみると、緑豆の春雨は日本風の細いものしかなかった。太いものは、ジャガイモやサツマイモの澱粉から作られている。それで、今回はサツマイモの春雨(中国製)を買った。これまで、同じ店でビーフンやフォーの麺(これは米粉で作られている)を買っていたが、同じ棚にあるこの事実を知らなかった。

なお、米粉による麺は、中国や台湾のビーフン、ヴェトナムのフォー、スリランカのアーッパ(いろいろあるがシャワーヘッドのようなところからにゅうっと押し出すもの)、カンボジアのクイティウなどいろいろある。太さや形が似たものの違いが何なのか、いまだにわからない。アジア食材店はワンダーランドである。はまると脱出できない場所は、本屋、レコード屋、アジア食材屋の3つだ、と思いついた。

番組のレシピにあるのは、牛肉、椎茸、人参、玉葱、絹さや、それから錦糸卵。調味はにんにく、醤油、はちみつ。適当に従い、適当に背いて作った。旨かった。あとで他のレシピを見たら(たとえば、「ニッコリア」 >> リンク)、茸が多く(しめじ、きくらげ)、絹さやではなくほうれん草を使っている。私はピーマンを使った。まあ何でもいいのだ。

海鮮チヂミのほうは、粉もんを焼くのが苦手なので、ツマにやってもらった。番組では、ジャガイモのすりおろしたものを搾って水分をきっていたが、ツマは勿体ないといって全部使った。

韓国に行きたいなあ。


マッツ・グスタフソンのエリントン集

2008-08-30 22:55:50 | アヴァンギャルド・ジャズ

かなりの変人にちがいないサックス奏者、マッツ・グスタフソンの新しいレコードが出ている。『Mats G plays Duke E』(QBICO EPSILON、2008年)というタイトルで、その名前の通りデューク・エリントン集だ。125枚限定生産と極めて少なく、つくりは意図的にか家庭内手工業的。ジャケットは白いボール紙の中心に写真を4隅でとめてあるだけ。タイトルや曲などは中に差し込まれた紙にしか書いていない。レコード盤自体は、片面だけだ。

演奏はグスタフソンのサックスソロと自身のエレクトロニクスによる音響でなされていて、5曲がおさめられている。愉快なので、3回続けて聴いてしまった。

「In A Sentimental Mood」、「Come Sunday」、「Sophisticated Lady」というあまりにも有名なスタンダードは、サックスの擦音と破裂音、息や共鳴によるノイズ、キーをかしゃかしゃと動かす音(油を注そうとは思わないのだろう)、タンポが穴にボフボフと当る音などとともに演奏されている。楽器を鳴らしきるという思想とは異なるが、これもサックスという楽器の特質であり、容易に聴く者の肉体的な感覚と結びつくもので気持ちがいい。そしてそれらの間のよくわからない2曲はノイジーだ。

世にエリントン集は多数あるとおもうが、たとえば「Sophisticated Lady」を演奏しているものでいえば、セロニアス・モンク『Plays Duke Ellington』(Riverside)や、渋谷毅『Essential Ellington』(クラウン)と比べてもそれぞれ全くといっていいほど異なる世界がある。しかし、あの悩ましいようなメロディを聴いていると、エリントンの曲は良いのだという当然の結論にいたる。

グスタフソンの擦音と破裂音を最初に聴いたのは、ベーシスト、バリー・ガイと組んだ『Frogging』(Maya、1997年)だった。歌舞伎町の「ナルシス」で聴かされて一発で気に入ってしまった。解説を読むと、どうもグスタフソンが生まれ育ったスウェーデンで、1992年になにやら実験的なセッションがあり、そこでバリー・ガイが参加して意気投合したようだ。ガイは1947年生まれ、グスタフソンは1964年生まれだから、このとき20代だったグスタフソンが、だいぶ年上で高名のガイを動かしたということなのだろうか。

後日聴いた、ミシャ・メンゲルベルグ(ピアノ)と組んだトリオ作『The Field Recordings 5』(X-OR、1997年)も面白かった(これも500枚限定と少ないものだと、今気がついた)。ソニー・ロリンズの演奏が印象的な「I've Told Every Little Star」を、マッツ流に演奏している。脇腹が痛くなる。

これまでグスタフソンの演奏を見たことがないが、9月には再来日する。都合があえば今度こそ足を運ぼうかとおもっている。


原爆詩集 八月

2008-08-29 23:59:43 | 中国・四国

編集者Sさん(>> リンク)たちによる渾身の詩集、『原爆詩集 八月』(合同出版、2008年)。吉永小百合が推薦文を寄せていて、また、ずっと続けている朗読で聴いたことがある詩もおさめられている(栗原貞子「生ましめん哉」など)。

同じ「感動」するなら、このような悲惨極まる題材ではないほうがいい、と避けるひともいるだろう。しかしそれは間違いだ。悲惨極まる題材は、詩を詠んだ多くのひとたちにとって、選ばざるをえないすべてのものだった。すべてのものであるから、すべての感情と記憶を動員して、ことばにしている。ここでは、ことばはひとであり、ひとはことばである、ということが、全くレトリックでない。

だから、そのうち子どもに対しても、悲惨でショックを与えるはずのものだから読ませない、ではなく、感情の振れ幅をあたえるためにも読ませたいとおもう。

原爆の被害のなかで、子どもたちが亡くなったり、亡くなった母親を探したり、ままごとをしたりしている様子がそれぞれの詩で描きだされている。弱い者への憐憫というより、無差別虐殺という理不尽さが、子どもという存在を見たときに際立ってくるのではないか。

広島の原爆慰霊碑には「あやまちはくりかえしませんから」という文字がある。名越操「焼かれた眼」にはこうある。

「(略) 私の子どもまで/焼いてしまったのです/それなのに/私たちの/あやまちというのでしょうか/原爆は/アメリカが落したのです (略)」

碑のことばは結果的に問題を曖昧なままにし、そしてすべてが黙祷で浄化される面があるのだとおもう。黙祷はほんらい、亡くなったひとたちと想像力によって同一化をはかるプロセスのはずだ。そして祈るなら、現代の戦争被害者にもオーバーラップしていかなければならない。曖昧な抽象化は、いまの米国への軍事協力という真っ向から矛盾することを覆い隠しているわけだ。

Sさんのご家族が詩集におさめられた何編かを朗読し、Youtubeにアップしている(>> リンク)。新聞では、『毎日新聞』(>> リンク)が取り上げて紹介している。

ところで、伊東壮『新版1945年8月6日』(岩波ジュニア新書、1989年)は、原爆の開発・利用の経緯からチェルノブイリまでを、極めて的確に記述している。丸木位里が挿画を描いている。大人も意外によく知らなかったりするので、あわせて推薦したい。

●参考
青木亮『二重被爆』、東松照明『長崎曼荼羅』
『はだしのゲン』を見比べる
『ヒロシマナガサキ』 タカを括らないために
吉田敏浩氏の著作 『反空爆の思想』『民間人も「戦地」へ』
戦争被害と相容れない国際政治
土田ヒロミのニッポン(※『原爆詩集 八月』に、土田ヒロミの写真が多数ある)


エルヴィン・ジョーンズ(1)

2008-08-28 23:59:30 | アヴァンギャルド・ジャズ

名ドラマー、エルヴィン・ジョーンズが亡くなってから4年。当然新録音は出ないわけで、エルヴィンが話題になることも少なくなっている。昔のジャズ世代にとっては「コルトレーンのサイドマン」という面が大きいのだろうし、中上健次も『19歳のジェイコブ』でエルヴィンの音をそのような風景として扱っていた記憶がある。しかし、リーダー作も悪くないのだ(暑苦しいのも多いけど・・・)。

エルヴィン・ジョーンズは、晩年には、毎年のように新宿ピットインで演奏していたから、何度となく聴きに行った。はじめて目の当りにしたとき、最初の一音で目が覚めた感動をよく覚えている。楽しそうに唸りながら全身をゆっくりと動かしつつ、スティックは斧のようであり鞭のようだった。最後にエルヴィンを見たのは、たしかブルーノート東京にトミー・フラナガンとジョニー・グリフィンとの共演を聴きに行ったときだ。トミフラはエルヴィンのもっとも評価するピアニストのひとりだったが、エルヴィンはそこに聴きにきていたのだった。もうトミフラも、グリフィンも、エルヴィンも、鬼籍に入ってしまった。

もっとも聴かれているとおもわれるエルヴィンのアルバムは、リチャード・デイヴィスとの『ヘヴィ・サウンズ』(Impulse、1968年)だろう。ついこの間、歌舞伎町の「ナルシス」に寄ったらターンテーブルに載っていたので、また聴こうという気になった。最初に聴いたときは、フランク・フォスターの愚直ともおもえるサックスが好きになれなかったが、そんな偏狭な考えを捨てると、ベースとドラムスの重すぎる対決(魁皇、対、誰だろう)が快感だ。エルヴィンが珍しくギターを弾いた「Elvin's Guitar Blues」もリラックスしていて良い。

菊地雅章との『ホロー・アウト』(Philips、1972年)は、逆に重量がなくなる。張りつめた空気のなかで、先鋭な菊地がエルヴィンに煽られることなく絡み合っている感がある。ジーン・パーラのベースがスタイリッシュなのも気にいっている。ちょっと「銀界」は緊張感がありすぎて眠くなるのだが、フリーでの対決が素晴らしい「Apple」や、菊地の定番「Little Abi」なんかは何度聴いても格好良い。なんでも、録音の翌日に、リー・モーガンが射殺されたということだ。そのリー・モーガンが録音したばかりのルディ・ヴァン・ゲルダーのスタジオで、これも録音されている。


ブラクストン、グレイヴス、パーカー『Beyond Quantum』

2008-08-27 23:59:57 | アヴァンギャルド・ジャズ

TZADIKから、アンソニー・ブラクストン(サックス)、ミルフォード・グレイヴス(パーカッション)、ウィリアム・パーカー(ベース)による『Beyond Quantum』が出た。思わず叫んでしまったほどの、信じられないヘビー級の組み合わせだ。何を考えているのか。

仕掛け人は、ビル・ラズウェルのようだ。そのラズウェルが、デレク・ベイリー(ベース)、トニー・ウィリアムス(ドラムス)と組んだ、アルカーナ『The Last Wave』(DIW)も文字通り衝撃的な組み合わせだったが(>> リンク)、このようなサプライズが好きなのだろうか。それともジョン・ゾーンのマニア性が動かしたものか。

非常に多作なブラクストンであるが、『アンソニー・ブラクストン・ディスコグラフィー』(イスクラ、創史社、1997年)をめくった限りでは、ウィリアム・パーカー、ミルフォード・グレイヴスのどちらとも共演した録音がなさそうだ。

帰り道に入手し、まだ1回聴いただけだが、それぞれの個性がそのまま出ているので、何だかデジャヴ感がある。グレイヴスの太鼓は、エド・ブラックウェルとはまた違うが祭祀的であり、鼓動のうねりが素晴らしい。その中を、どこを切っても同じような、微分的なブラクストンのソロが続く。どこを切っても同じとは、曲やフレーズのドラマ性を排除したものであり、比較できる音楽家をすぐに思いつかないという意味でも偉大だと言うことができる。また、微分的で、かつ見せかけの盛り上がりがないからといって、無機質でつまらないということにはならない―――むしろ印象は逆で、ブラクストンのソロはいつ聴いても賞賛にあたいする。

ブラクストン、とにかく来日してくれないだろうか。ヘンリー・スレッギル、ロスコー・ミッチェル、ノア・ハワード、ソニー・シモンズ、フランク・ロウ、挙げていけば切りがないが、演奏を目の当りにしたい音楽家のひとりだ。


ニキータ・ミハルコフ版『12人の怒れる男』

2008-08-26 23:59:49 | 北アジア・中央アジア

『黒い瞳』では憎めないマルチェロ・マストロヤンニを演出したのが印象深いニキータ・ミハルコフによって、シドニー・ルメット『12人の怒れる男』がリメイクされた。面白そうだというので、面白い中東集団で観に行った。

舞台はロシア。裁かれる少年はチェチェン人。オリジナルを換骨奪胎しながらも、ロシアやチェチェンにおける大きな矛盾をどんどんと提示してくる。2時間40分の長い映画だが、まったく飽きることがなかった。もっともルメット版も緊迫した展開の良い映画なのだが、これを観たあとでは、いまに至るまで幾度となく作られる「アメリカ正義物」の元祖として深みのないものにさえおもえてくる。(というより、米国社会の無意識が、自らの正義をあえて自らに証明し続けなければならないほどの強迫観念を呼び起こし続ける病根は何か、というところだ。) ルメット版では、長い審議を終えて「真実に到達した」ことのカタルシスが得られるわけだが、本作はそれでは終らない。

それにしても、陪審員12人の個性がきわだっている。どこまで真面目なのかわからない滑稽さもある。何といっても、「カフカス出身」の医者が、被告に不利な証言が不自然であることを言わんとして、ナイフを持って踊るシーンなどはもう一度観たいとおもう。

その医者が、少年の属性(チェチェン、貧困)に起因する偏見から自由になれない陪審員の発言に対し、「それではカフカス出身だからといって、○○も、セルゲイ・パラジャーノフも、ニコ・ピロスマニも、能無しだったというのか!」と怒ってみせる台詞がある。その○○というのがわからなかったのだが、映画のサイトを見たら書いてあった。ショタ・ルスタヴェリという12世紀の詩人のようだ。

ルスタヴェリや、生活に根差した絵を描いたピロスマニはともかく、芸術至上主義のようなパラジャーノフは、グルジアで自国の誇りのように考えられているのかどうか、誰かに教えてほしいところだ。というのも、以前ウクライナ人にパラジャーノフの話をしたら、あんたは上流社会だねと随分笑われてしまったことがあるからだ。

●参考 フィローノフ、マレーヴィチ、ピロスマニ 『青春のロシア・アヴァンギャルド』


最近の『THE BIG ISSUE』

2008-08-24 23:03:58 | 思想・文学

明朝8 月25 日7 時半、NHK総合「おはよう日本」で泡瀬干潟の特集があるらしい。

経緯 → 「またここでも公然の暴力が・・・泡瀬干潟が土で埋められる
署名 → http://www.shomei.tv/project-97.html(匿名可) ※もう819筆(2008/8/24 23:13現在)。

ホームレスの仕事としてあちこちで売っている『THE BIG ISSUE』、たまたま最近続けて路上で買って読んでいる。300円で、『AERA』とか『NEWSWEEK』よりもよっぽど面白い。

98号(2008.7.1)の特集は「2008年、「島宇宙」の旅」朝崎郁恵の記事がいい。島唄を他の楽器と合わせることについて、「考えてみれば、島唄に三味線を合わせるようになったのも、せいぜい100年くらい前からのことなんですよね。その前は手拍子しかなかった。長い長い島唄の歴史を考えれば、ほかの楽器でも大丈夫だと確信したんです」と70を超える唄者が語っている。また、対馬、琉球が中国や東南アジアの交易ネットワークで果たした役割に関する記事があって、ちょっとこのあたりを追ってみたくなる。

99号(2008.7.15)の特集は「まるごと「地球温暖化」」。自分の飯の種と変に近いと、素直に読めないのが悲しい。ただ、中国山西省でのポプラ植林がいびつになっている実態が紹介してあるのが興味深い。砂漠化防止、水不足と「緑化のロマン」をあわせて考える際の参考になった。

100号(2008.8.1)の特集は「戦争は克服できる」。憲法9条が米国に必要だと語るアン・ライト、天木直人、きくちゆみの記事がある。また、雨宮処凛が、いまポレポレ東中野で上映している『アメリカばんざい』をすすめている。

知らなかったことは、「個人通報制度」。人権侵害を受けた個人が最高裁まで争っても救われない場合、こんどは国際的に訴えることができるとする制度だが、米国や日本は制度を受諾していないので使えない。政権の意向に沿い続けている最高裁が、国際的な視線にさらされるものとして価値があるかもしれないと紹介されている。

最新101号(2008.8.15)の特集は「ファーストピープル 先住民族たちのいま」。7月に北海道で行われた「先住民族サミット」の参加者の声を紹介している。

 

 

 

ところで、英国で1991年に創刊された『THE BIG ISSUE』だが、個々に製作・販売されている国はさほど多くない(英国、オーストラリア、アイルランド、南アフリカ、ナミビア、ケニア、日本)。

オーストラリアでも、先日、路上で売っていたので1冊求めた。5ドルだから日本の2倍程度だ。版形はほぼ同じで頁数は若干多い。この、303号(2008.5.6-19)の特集は「THE BIG SLEEP」、といってもチャンドラーではなく、不眠症や無呼吸症についての記事だった。それよりも興味を引いたのは、Bruce Mutardというメルボルン在住の漫画家による『The Sacrifice』という作品の紹介だ。アート・スピーゲルマンの『マウス』とも対比されるような、第2次世界大戦の物語だという。大所からの歴史物語などでなく、現代とのアナロジイも交え、そこに居る個人の目線で描かれたもののようだ。『マウス』は、私は大人になってから読んだが、それでも夜寝るときに怖かった。これはそのうち調べてみようとおもう。

saikinnno

ウカマウ集団の映画(3) ホルヘ・サンヒネス『地下の民』

2008-08-24 02:23:57 | 中南米

ホルヘ・サンヒネスの映画は、『地下の民』(1989年)だけヴィデオを持っている。面白いのだが、観ようとするたびに間もなく睡魔に襲われるのは、確かに、タルコフスキーやパラジャーノフやアンゲロプロスの作品にも共通するところがあるかもしれない。映画館で観れば、決して寝たりはしないのだが。

村から首都ラパスに出て、差別をおそれるあまり出自を隠してきた男セバスチャンが、一度は村に戻る。そこで彼は、村長にまでなってしまう。しかし、米国とそれに追従する軍事政権が村を支配するために見せてきた餌に食いつき、結果として村を追われる。しばらく経ち、アイデンティティを取り戻すため、セバスチャンは、殺されるかもしれない村に決意して戻り、仮面をつけて自ら死ぬまで踊り続ける。

それまでの作品と同様に、米国や軍事権力という「第一の敵」へのあまりにもあからさまな批判を剥き出しにしながらも、小さな民族集団、抵抗するひとびとへのまなざしを、作品として昇華させている。

ところで、先日あったサンヒネス作品の上映会の際に、『地下の民』のパンフがあったので買っておいた。あらためて、白人であるサンヒネスの持続力に驚かされる。ボリビアで活動していた1971年、軍事クーデターにより、アジェンデ政権下のチリに亡命。1973年、ピノチェトによる軍事クーデターに伴いサンヒネスへの逮捕状が出て、徒歩でアンデスを越えペルーに亡命。1975年、ペルーの右傾化によりエクアドルに移動。1978年、ボリビアの民主化運動に伴い帰国。1980年、ボリビアでの軍事クーデターに伴いサンヒネスへの銃殺命令が出て逃避。1982年、ボリビアの文民政権成立により再帰国。

現在、先住民出身のモラレス政権は、自分たちの権利を取り戻すべくエネルギーや鉱物の国有化を進めている。サンヒネスが現政権をどのように評価しているか、気になるところだ。

●参考 モラレスによる『先住民たちの革命』


中央線ジャズ

2008-08-23 19:48:45 | アヴァンギャルド・ジャズ

『中央線ジャズ決定版101』(監修・明田川荘之、音楽出版社、2008年)という本が出ているのは知っていたが、この手のガイドブックはもう要らないとおもっていたので、敢えて気がつかない振りをしていた。本屋でつい手にとってみた。もう終わりだ。

学生時代、それなりに「中央線な人」であったので、自分には、矢野顕子のうたう「中央線」は爽やか過ぎて「違う」のだ。やはり、無駄かもしれないものを発散しつづける毎日、でなくては。

それでも、「中央線ジャズ」という名前はあまりにも曖昧でいい加減すぎてよくわからない。それがいいのだ、という結論になること必至だが、なぜ、名古屋で録音された森山威男『Live at LOVELY』(DIW、1991年)が言い訳もなく入っているのだ。結局こういうことだ。ひとの数だけ中央線ジャズはあるのだ。

実は中央線ジャズなどというものはない。あるのは辺りの風景と同じように落ち着いたジャズだけである。ジャズを聴くということがブルーノートやスイートベイジルに行くことと思っている人には関係ない世界だ。そしてそういうことを意識したとき、はじめて中央線ジャズという観念が生まれる。」(渋谷毅、まえがき)

だから僕の神様とするパウエルもドルフィーもブラームスもシューリヒトも高柳昌行も鈴木勲も、どれも良心のあるイイ音楽だから”中央線ジャズ”なのだ!」(明田川荘之、あとがき)

限りなく境界線が10Bの鉛筆だとしても、たとえば明田川荘之が中央線ジャズであることに異論を唱える人は少ないだろう。なにしろ「アケタの店」である。きょうは土曜日、大概は疲れがどっと出るので、まったりとして本書を読みながら、明田川荘之のCDを聴いた。

ソロ『ニアネス・オブ・ユー』(アケタズ・ディスク、1993年)は、最初はとっつきにくい癖が前面に出ている。トリオ『室蘭・アサイ・センチメンタル』(アケタズ・ディスク、1997年)は、叙情性としかいいようのない世界がたまらない。この叙情性、ピアノよりもオカリナによるところが大きくて、「I Fall In Love Too Easily」のイントロなど非常に侘しくて寂しい。いつだったか、アケタの店の深夜の部で明田川さんの演奏を聴いたあと、始発まで時間があるので、明田川さんと雑談をした・・・何しろ客は4人だったから。明田川さんが、「オカリナは長く演奏すると飽きられる。37分が限界だ。」と真面目に言っていたのが妙に記憶に残っている(37分って何?)。

最近のものといえば、多くのジャズメンが参加した4枚組、オドゥン『×三星大洋 夏ノ日ニ獏ハ浜辺デ夢ヲ見ル・・・』(Off Note、1999年)で演奏した「Airegin Rhapsody」や、ソロ「I Love You」もとても良い。三上寛とオカリナで共演した『大勘定』(アケタズ・ディスク、2001年)は「婆娑羅」や「孝と北魚沼の旅情」など叙情と迫力がまじりあって凄い。

『中央線ジャズ決定版101』にはそういうものが101枚、思いいれたっぷりに紹介されている。聴いたことがあるのもないのもあるが、何だかこちらまで胸がしめつけられるような気がしてくる(笑)。


稲荷町、御徒町

2008-08-23 10:22:23 | 関東

昨晩、高田馬場のトルコ料理DENIZで、編集者のHさんたち4人とゴハンを食べた。安くて旨かった。

鞄を物色に、先日、細野帆布の店舗に行った。以前は渋谷から青山に到る坂の途中にあったが、いまは移転して台東にある。古いペンタックスの修理のため、稲荷町の長谷川工作所にはよく行ったが、稲荷町駅から逆方向に歩くのはあまりない。仏具屋、町工場、釣具屋、定食屋なんかがいくつもあって楽しい。

駅の近くには、同潤会の上野下アパートが現存している。1929年築というから、もう80年になろうとしている。関東大震災からの復興を目的に設置された同潤会アパートだが、有名な青山アパートが取り壊されるなどあって、いまではこの上野下と三ノ輪のふたつのみ残っている。

長谷川工作所でオーバーホールしてもらったペンタックスMXに、M40mmF2.8を付けて歩いた。このパンケーキレンズは、カラーだと意外に重厚な色が出るみたいだ。ちょっと後ボケが汚いが、自分にとっては欠点ではない。


ガチャガチャ Pentax MX、M40mmF2.8、Kodak E100G、ダイレクトプリント


清掃 Pentax MX、M40mmF2.8、Kodak E100G、ダイレクトプリント


同潤会上野下アパート Pentax MX、M40mmF2.8、Kodak E100G、ダイレクトプリント


看板跡 Pentax MX、M40mmF2.8、Kodak E100G、ダイレクトプリント


科学映像館の『石垣島川平のマユンガナシ』、『ビール誕生』

2008-08-21 23:59:43 | 沖縄

科学映像館で配信している『石垣島川平のマユンガナシ』(伝統文化財記録保存会・下中記念財団、1982年)(>> リンク)を観た。

全く予備知識がないのだが、農耕暦の区切りである旧暦9月の節祭(セチ)に行われる祭祀であり、来訪神=海の神であるマユンガナシをそれぞれの家で招き入れる形式を取っている。マユンガナシになることができるのは、戌年生まれの者のみであり、クバ笠とミノに身を包んでいる。家々でもてなされているときのマユンガナシは、「ンー!」という声しか発しない。

神事のひとつひとつや小道具や役割に付された名前があまりにも多く、よくわからない。もっとも、第三者がすぐにわからないのは当然だろう。

しかし、その第三者が面白いとおもうのは、<土足で入り込む>ことを意味しない。このあたりは、この作品のような完成度の高いドキュと、テレビの再生産可能で想像しなくても他のものと比較可能なユニットにすぎない提示とを比較すればわかることだ。

マユンガナシから人間に戻るときには、暗闇で、関係者のみが関与すると決められているという。沖縄の御嶽やこのような祭祀に限らず、自分の故郷を思い出して感じることは、社会には<視線の届かない領域>が必要だということだ。私たちには、暗闇と森が必要だ。

それにしても、デジタル化とネットワークの限界があるとはいえ、フィルムにより製作された作品がデジタルであっても<フィルム臭さ>を残していることはとても嬉しい。

ところで、この『石垣島川平のマユンガナシ』や、沖縄久高島のイザイホー(第一部、第二部)』(伝統文化財記録保存会・下中記念財団、1979年)(>> リンク)は、今度の9月、10月に開催される「'08 沖縄ドキュメンタリー映画祭」(>> リンク)でも上映される。貴重な映像を配信していることの証だろう。

祭祀の映像を観ている間は我慢していたので、ついでに『ビール誕生』(日本麦洒株式会社、1954年)(>> リンク)を、自家製のビール(もどき、と一応)を飲みながら観た。解説ぶりや映像の作り方は明らかに産業映画である。麦から麦芽が育っていく高速度撮影や、ホップの収穫などの映像は楽しい。15分と短く、自宅で酒を飲みながら観ると、酒が旨くなること請け合いである。


自家製のビール(もどき、一応)


奇妙な翼竜、なくなる水上バスの航路

2008-08-20 21:42:37 | もろもろ

息子を連れて、お台場の日本科学未来館に、『世界最大の翼竜展』(>> リンク)を観に行った。新橋から乗ったゆりかもめは激しく混んでいて、何だろうとおもったら、みんなフジテレビの冒険王というイベントに吸い込まれていった。

今年春の『恐竜大陸』(幕張メッセ)など、恐竜の展示があるたびに何故か出かけ、そのたびに疲弊している。しかしだんだん面白くなってきて、骨格を見ると、これが襲ってきたらどうしようという自然な想像込みで鑑賞できるようになってきた(笑)。今回も足を運んだ甲斐があった。いままでプテラノドンの名前しか覚えていなかったが、翼を拡げると10mにもなる世界最大の翼竜、ケツァルコアトルスの姿はただ吃驚だ。

翼竜は爬虫類ではあるが恐竜ではない。敢えてまじまじと見ると、恐竜と同様に、ありえない異形ぶりだ。はじめて知ったことだが、翼を途中から張るのは、4本目の指が異常に長く発達したものである。残りの3指は、翼の真ん中あたりに小さくある。そして頭がアンバランスに大きく、簡単には離陸できなかったし、2足では無理なので翼を器用に畳んで(皮膜は筋肉繊維も神経も走っているので動かすことができる)、4足でユーモラスに歩いていたらしい。

会場では、翼竜が飛ぶ様子のCG映像が流されている。これはBBCの番組『ウォーキング with ダイナソー』からの抜粋のようだ。ここまで面白いと、素直に楽しむことができる。『Pen』2008/5/15号によると、番組の仕掛け人2人は既にそれぞれ独立している。どうもBS朝日の『BBC地球伝説』という番組枠で再放送しているようである。今後観るチャンスはあるだろうか。(>> リンク

そのままゆりかもめで帰ってもいいのだが、水上バスに乗ることにする。以前に、浅草から日の出桟橋まで隅田川を下る「隅田川ライン」には乗ったことがあるのだが、「日本科学未来館」となりの「船の科学館」の横から出発する「船の科学館・しながわ水族館ライン」がこの9月29日になくなってしまうのだ。片道、大人400円、子ども200円と安く、乗っておいても損はない。

『東京人』2008年8月号(特集・どっぷり、東京湾)では、久住昌之がこのあたりをゆるゆると散歩している。それによると、お台場とは流行の場所に過ぎないのかとおもったがさにあらず、江戸時代後期に黒船を迎え撃つための海上砲台として造られたところだった。


備忘録

2008-08-20 02:24:56 | もろもろ

●泡瀬干潟
無意味な開発による環境破壊のひとつの典型。
経緯 → 「またここでも公然の暴力が・・・泡瀬干潟が土で埋められる
署名 → http://www.shomei.tv/project-97.html(匿名可)

●バックアタック
『サインはV』の実写映画(1970年)を観た。岡田可愛による「稲妻落とし」というサーブや、范文雀とのコンビが空中を舞う「X攻撃」に大爆笑。この頃、バックアタックという攻撃パターンはなかったのだろうか、という素朴な疑問。

●カメラ偏愛
浦安で声をかけられたジョン・サイパルさんのサイトに、「tokyo camera style」(>> リンク)という新しいコーナーができている。私のライカM4もあった(笑)。(>> リンク
ひとのカメラが気になるのは、カメラ好きにとってよくわかる欲望に違いない。アーサー・エルゴートの『Camera Crazy』(Steidl、2004年)という奇書もある(>> リンク)。しかし、ここまで見知らぬ人に声をかけてカメラを記録しようとする試みは珍しいのではないか。面白いので定期的にウォッチする。

●スリランカ
『特別展スリランカ 輝く島の美に出会う』(東京国立博物館、2008/9/17-11/30) >> リンク
『スリランカフェスティバル2008』(代々木公園、2008/9/13-14) >> リンク

●映画
藤本幸久 『Marines Go Home - 辺野古・梅香里・矢臼別』 @ポレポレ東中野 7/26- >>リンク >> あっ終っていた。
沖縄、北海道、韓国をリンクする試み。
ニキータ・ミハルコフ 『12人の怒れる男』 8/23- >>リンク >>感想
『黒い瞳』が好きなミハルコフによるリメイク。裁かれる対象がチェチェンの少年という設定になっている。
フランシス・フォード・コッポラ 『コッポラの胡蝶の夢』 8/30- >>リンク
原作がミルチャ・エリアーデ『Youth without youth』。コッポラも久しぶりの新作。最悪な邦題のためにコケるのが心配。

●沖縄
2008沖縄ドキュメンタリー映画祭 9/20, 21, 23, 10/4, 5, 11, 12, 18 >> リンク
久高島の知らないドキュなど、かなり魅力的。
山口剛史『沖縄戦の史実歪曲を斬る』 9/26 @文京区民センター
沖縄戦首都圏の会による連続講座。
『沖縄・プリズム 1872-2008』 10/31-12/21 @国立近代美術館 >> リンク
どんなものになるのだろう。

●フリオ・コルタサル
『悪魔の涎』などが印象的だったアルゼンチンの作家。スペイン国営セルバンテス文化センター東京で、「フリオ・コルタサルの終わりなき旅」という展示をやっている(-9/3、>> リンク)。あわせて関連する映画の上映がある(8/23-9/3、>> リンク)。アントニオーニの『欲望』はいいとして、ブニュエルの『皆殺しの天使』は観ていないし、そもそもコルタサルと関係があったとは知らなかった。

●音楽
ICPオーケストラ @西麻布スーパーデラックス 9/15, 16 など >>リンク
再来日。トーマス・ヘベラーなどメンバー個別のセッションもあるようだ。ミシャ・メンゲルベルグやトリスタン・ホンジンガーをオケ以外でも観たい。9月はペーター・ブロッツマンやマッツ・グスタフソンも来る。


沖縄戦に関するドキュメンタリー3本 『兵士たちの戦争』、『未決・沖縄戦』、『証言 集団自決』

2008-08-19 14:22:29 | 沖縄

最近の沖縄戦に関するドキュメンタリー3本をまとめて観た。NHK山形放送局が製作しNHK Hiで放送された『証言記録・兵士たちの戦争 沖縄 住民を巻き込んだ悲劇の戦場~山形県・歩兵第32連隊~』(2008年4月放送、何度か再放送)、じんぶん企画『未決・沖縄戦』(輿石正、DVD)、NNNドキュメント'08の枠でよみうりテレビが製作した『シリーズ・戦争の記憶(1) 証言 集団自決 語り継ぐ沖縄戦』(2008年8月17日)である。

『証言記録・兵士たちの戦争 沖縄 住民を巻き込んだ悲劇の戦場~山形県・歩兵第32連隊~』(>> リンク)では、主に山形県出身者で編成された「陸軍歩兵第32連隊」の生き残りの方々が証言する。この、山形県の霞城公園に本部跡の碑がある連隊は、満州事変でも活躍した精鋭部隊だったようだ。とはいえ、沖縄戦に投入されたときには戦局は危機的だった。早くも沖縄に赴く前、兵士たちは、「15文字以内で遺書を書いておけ」と命令されたり、みんな死ぬのだから遺体が識別される必要がないという意味で真鍮の「認識票」を取り上げられたり、という状況だったという。

証言からは、如何にこの戦争が無意味なものであったかがわかってくる。勝ち目がないから無意味というのではなく、軍のあり方を問う贖罪的なことばが発せられる。ある壕を任された元兵士は、残りの玄米が足りず、「任務を果たすには仕方ない」ため、住民を外に追い出したのだ、と告白する。ここには、自己目的化する軍という物の本質があるようだ。実際に、沖縄守備軍が各軍に配った『命令録』(1945年3月29日)には、「沖縄語ヲ以テ談話シアル者ハ間諜トミナシ処分ス」とあったことが示される。

そして、牛島中将が自決し、軍の規律が崩壊してなお、32連隊に最後の命令が下される。「最後ノ一兵ニ至ル迄敵ニ出血ヲ強要ス」というものだ。この頃、32連隊には、沖縄北部のやんばるに援軍が残っているという噂が流れた。そして「国頭突破」という作戦により、(敵の中、そんな遠くまで行けるわけがないのに)何十人もが出て行き、ことごとく戦死したということだ。

『未決・沖縄戦』(輿石正、じんぶん企画、2008)(>> リンク)は、そのやんばるでの戦争を、戦闘と同一視することでは見えにくいものだとし、「誰かによって隠されようとする、一見小さなもの」を探し出そうとしている。

陸軍第32軍のうち、国頭支隊(宇土部隊)は本部、名護、伊江島にわけて配置された。中心が本部から名護(多野岳)に撤退したため、飛行場死守という任務を負った伊江島は、米軍攻撃に晒されることになる。

兵士は3,500~4,000人を数えたが、その「戦争と戦闘を異ならしめるもの」として、住民、朝鮮人軍夫、朝鮮人慰安婦(「朝鮮ピー」)がいた。また、非戦闘員の国士隊、大政翼賛政治の中心たる在郷軍人、警察官、部落会・町内会を通じて設置された隣組といった存在により、戦時のネットワーク化が隅々まで張り巡らされたのだという。そのために、証言する住民の方々は、いまだ軍人勅諭や「宇土部隊の歌」が口から出てくる。

ここでも、軍隊の「見える骨」がいくつも示される。第32軍の『司令官訓示』(1944年8月31日)には、現地での自活のため、「一木一草と雖も之を戦力化すへし」「防諜に厳に注意すへし」とある。第32軍極秘文書の『報道防諜宣伝等に関する県民指導要綱』(1944年11月18日)には「軍官民共生共死」とある。『国土決戦教令』(1945年4月20日)には「己ガ生命ノ長キヲ希ハンヨリハ 皇国ノ戦勝ヲ祈念シアルヲ信ジ」とある。『具志川村警備団連絡書類』(1945年6月15日)には「之(ビラ)ヲ拾得私有シ居ル者ハ敵側「スパイ」ト見做シ銃殺ス」とある。

ドキュメント後半は「見えない骨」、多くの方々の生の声を集めていて迫真性がある。「集団自決」のこと(もっとも、石原昌家氏はここでも、「強制集団死」と矛盾するこのことばを使うべきでないと主張している)、朝鮮人従軍慰安婦のこと、「援護法」の適用の経緯などが次々と述べられていく。決して聴きやすくも理解しやすくもないが、それはきっと体験談としての前提なのであり、貴重な記録なのだろう。当然、これを見る私たちには、「一見小さなもの」を、「大きな動き」の文脈で読み取っていく努力が必要とされる。「大きな動き」は、ここでは、極めて正当に「捏造」と表現される。

『シリーズ・戦争の記憶(1) 証言 集団自決 語り継ぐ沖縄戦』(>> リンク)は、主に座間味島・渡嘉敷島の「集団自決」について、生き残った方々の声を集めている。体験者は、毎日現場の夢を見るのですよ、と語る。『兵士たちの戦争』において、元兵士たちが「言うと頭がおかしくなってしまう」と語るのと呼応する、想像力のキャパを超えてしまう世界という重さだ。

それにしても、日本テレビ深夜の『NNNドキュメント'08』のシリーズ(>> リンク)は良い作品がある。岩国基地周辺のことを描いた『基地の町に生きて 米軍再編とイワクニの選択』(2008年6月、山口放送製作)も、高江のヘリパッド問題を描いた『音の記憶Ⅱ ヤンバルの森と米軍基地』(2008年1月、日本テレビ製作)も印象に残っている。アーカイブ化してネット配信などしてもらえないだろうか。


スリランカの歌手、Milton Mallawarachchi ・・・ ミルトン・マルラウアーラッチ?

2008-08-18 16:54:03 | 南アジア

ささやかな夏休みを取っているが、夏ばてなのか体調が悪く、息子の宿題をみたりして、全く何ということもない。だらだらして棚から取り出したのは、1997年にスリランカで居候したときにプレゼントされたCDだ。歌手はMilton Mallawarachchiというが、まず発音がわからない。

ミルトン・マッラワラチチ?マラワラシシ?シシは獅子だからスリランカっぽいなと低次元なことしか疲れた頭に浮かばない。Googleで似たような名前を検索したら、同じスペルでマルラウアーラッチさんというひとがいた。シンハラ語もタミル語もさっぱりなので、アルバムのタイトルも不明。

Wikipediaで調べると、このミルトン・マルラウアーラッチ(ということにする。誰か教えて欲しい)は1998年に亡くなったそうだ。甘い雰囲気から言って、ロマンチックな唄なんだろうなとおもう。キーボードなんかも入ったサウンドはかなりゆるく、ヴィヴラートと相まって結構力がぬける。これはバイラなのか?夏ばて時にはいいかもしれない。

YouTubeで検索したら、いくつもあった。当然ながら、インドやスリランカのテレビで嫌というほど見ることができる、しょうもない映像にかぶせてある。下には、「これらの唄は不滅だ!」とか「若い頃を思いだす」などのコメントがある。これらのセンチメンタルなコメントを書き込むのは、たとえばわが身で想像するに、学生のころに(本当は)行きたくもないのに飲むたびに行ったカラオケの画像が、CD何枚セットとかのテレビショッピングで流れると、ついずっと見続けてしまうような気分と共通するのだろうか(勝手な想像)。

●YouTubeのクリップ集
○『Sinahawa Atharin』 飲んだくれ男や憧れの女性が登場。
○『Dasa ridenawa』 バイク乗りの男が待っているが、気紛れな女性はカメラマンの甘言に乗ってなかなか到着しない。
○『Me mai gaha yata』 仲の良かった甘美な記憶。カラオケのつなぎがかなり大げさ。

●スリランカ関連の備忘録(なかなかスリランカに行けないので・・・)
○『特別展スリランカ 輝く島の美に出会う』(東京国立博物館、2008/9/17-11/30) >> リンク
○『スリランカフェスティバル2008』(代々木公園、2008/9/13-14) >> リンク