Sightsong

自縄自縛日記

趙景達『近代朝鮮と日本』

2014-07-30 07:15:43 | 韓国・朝鮮

趙景達『近代朝鮮と日本』(岩波新書、2012年)を読む。

朝鮮王朝(李氏朝鮮、1392年~)の末期から、日本による韓国併合(1910年)までを描く近代日朝関係史である。

言うまでもなく、韓国併合は日本による朝鮮侵略であり、当時ナショナリズムの高揚とともに形成された「日本が劣る国を保護してやる」といった言説は欺瞞そのものであった。侵略正当化のための言説が、明治以降血統という文脈で如何に変貌していったかについては、小熊英二『単一民族神話の起源』に詳しいが、本書においても、日本の朝鮮蔑視は根が深いことがわかる。

朝鮮通信使は、室町からはじまり、江戸末期にはすでに相手を一段低い存在とみなして対馬止まりとしていた。そして、約100年ぶりに朝鮮使節が東京(江戸)にまで来た1876年には、もはや、傲慢な優越意識が、朝鮮に対する侮蔑感を増幅してしまっていた。征韓論は、そのような上と下の意識のなかで醸成され、政治的に利用されていった。

もちろん、「やむを得なかったのだ」という議論として、ロシアや欧米という列強の脅威への対抗は無視できない。しかし、江華島事件(1875年)、東学農民軍の弾圧(1894年~)、日清戦争(1894年)・日露戦争(1904年)による朝鮮支配の強化、閔妃殺害(1895年)など、数十年の間に、単にパワー・ポリティクスというだけでは許されざる侵略行為を続けたのだった。そのことは、いまだ、日本人の意識のなかで顕在化しているとは言えない。

いっぽう、朝鮮においても、大院君、閔妃、高宗を含め、多くの為政者たちによる権力闘争や、外圧への対応の模索がなされていた。本書によれば、儒教的な政治支配のあり方が、近代となじまなかった側面は否めないようだ。しかし、やはりそれは、日本や他国による朝鮮侵略を正当化する理由にはならない。

●参照
井上勝生『明治日本の植民地支配』
中塚明・井上勝生・朴孟洙『東学農民戦争と日本』
小熊英二『単一民族神話の起源』
60年目の「沖縄デー」に植民地支配と日米安保を問う
尹健次『民族幻想の蹉跌』
小森陽一『ポストコロニアル』


ルイ・ヘイズ『Return of the Jazz Communicators』

2014-07-29 07:36:46 | アヴァンギャルド・ジャズ

ルイ・ヘイズ『Return of the Jazz Communicators』(Smoke Sessions、2013年)を聴く。ニューヨークの「Smoke」で演奏されたライヴ録音の1枚。

Abraham Burton (ts)
Steve Nelson (vib)
David Bryant (p)
Dezron Douglas (b)
Louis Hayes (ds) 

大ヴェテランであるルイ・ヘイズにとって、「Jazz Communicators」は、かつて60年代後半に結成したグループ名であり、ジョー・ヘンダーソン、フレディ・ハバード、ケニー・バロンらが仲間だった。その録音はまったく残されていないという。したがって、幻のグループの再結成ということになる。もし時代がかれらに追い風だったなら、ジャズ・コミュニケイターズは、ジャズ・メッセンジャーズやジャズ・クルセイダーズのように有名になり、称えられていたかもしれない。

エイブラハム・バートンは、ずいぶん以前にアルトサックスを吹いていたときには、強引なだけでアイデアのないソロを取る人だなという印象を持っていた。しかし、ここでは、澱みなく気持ちの良いテナーを吹いている。

それでも重力で下に沈んでしまいそうな音楽に鮮やかさを付け加え、上にまたひっぱりあげているのは、スティーヴ・ネルソンのヴァイブであり、決定的にヘイズのドラムスなのだと思う。ヘイズのプレイからいつも感じるのは風圧であり、ここでも、周りに竜巻を起しまくっているのは嬉しい限り。 

●参照
マルグリュー・ミラー逝去、チャーネット・モフェット『Acoustic Trio』を聴く
スピーカーのケーブルを新調した(ルイ・ヘイズ『The Real Thing』) 


『けーし風』読者の集い(24) 子どもたちのいまと〈教育>

2014-07-27 07:59:00 | 沖縄

『けーし風』第83号(2014.6、新沖縄フォーラム刊行会議)の読者会に参加した(2014/7/26、九段上集会室)。参加者は11人。

以下のような話題。

○沖縄での地域や教育の変貌は、「本土」よりも急速であったため、歪が大きい。

○那覇では、都会ゆえの人口減少(ドーナツ化現象)と地域のありように関する象徴的な出来事として、久茂地の公民館解体と、小学校統廃合があった。
久茂地公民館は、屋良朝苗(琉球政府行政主席、沖縄県初代知事)が建設に尽力したものであり、歴史的な意義があった。解体せずに、子どもたちの集う場所にできないかという運動もあったが、実現せず、最終的には、那覇市が「人間の鎖」により反対する市民を排除して解体がなされた。(あとで調べてみて思い出した。久茂地川沿いに建っていて、上にプラネタリウムもあるというので吃驚した記憶があった。)
久茂地小学校と前島小学校が統合し、那覇小学校となった。単純な効率化だけにとどまらず、小学校単位で出来ている自治会で教育をみていくというあり方が、揺るがされていると解釈される。
○このふたつの強行は、翁長那覇市長の意向によりなされた。なお、翁長市長は2014年11月の沖縄県知事選に出馬予定。

○地域のあり方や教育のあり方については、「本土」からの輸入という側面が小さくない。これは、移住者とともに入ってくる。
○昔ながらの栽培や流通によって得られる野菜の味は、本当にいいものである(沖縄では農薬の空中散布がない)。一方では、本島でもコンビニがどんどん入ってきている。

学校教育法の改正により、大学教育のトップダウン化が進められている。これにより、上の意に沿わない者の存在や声は許されにくくなっていく。

○次の沖縄県知事選(2014年11月)。仲井真(現職)、翁長(那覇市長)、下地の3名が出馬の意向。
○革新は翁長市長を推す形だが、辺野古への厳しいスタンスをどの程度反映できるのか。曖昧なものであれば、阻止は難しくなるだろう。かつて、社会党が都度理由を付けながら保守にすり寄っていき崩壊したことも思い出される。
○そこでキーワードとなっている「オール沖縄」とは何か。本来は、翁長市長が、イデオロギーからアイデンティティへと立脚点を移すことを示すために使い始めたことばである。良いように言えば、矛盾をはらみながらも沖縄の大きな力をひとつにし、新基地を許さないためのことば(戦後の「島ぐるみ闘争」)。悪いように言えば、矛盾を曖昧に包摂し、反対の力を無化してしまうことばとなる。
○立憲主義により沖縄の建白書を実現することを目指す「島ぐるみ会議」(2014/7/27)の成果が注目される。

終了後に、久しぶりに飯田橋の「島」で飲み会。

●参照
これまでの『けーし風』読者の集い


木村毅『モンゴルの民主革命 ―1990年春―』

2014-07-26 06:06:25 | 北アジア・中央アジア

木村毅『モンゴルの民主革命 ―1990年春―』(中西出版、2012年)を読む。

1921年、モンゴルは中華民国から独立。1924年、ソビエトに続く社会主義国家として、「モンゴル人民共和国」が誕生。前後して、革命の功績者であるスフバートルは毒殺され、ボドー、ダンザンらは処刑される。このときから、傀儡国家として実権をソ連に握られ、民族主義的な要素が抑圧されることとなった(そのため、チンギスの名前すら出せなくなった)。また、強権政治や計画経済の問題も、ソ連と同様に噴出していった。

そして、ソ連崩壊とともに、1990年前後には民主化運動が高まり、90年の一党独裁放棄、92年の国名変更(モンゴル人民共和国からモンゴル国へ)と、劇的な変貌を遂げる。わたしが2013年にウランバートルを訪れたとき、ちょうど議事堂の前にあるスフバートル広場が、チンギス広場へと改名されたばかりだったが、それも、変貌の続きだったのだろうか。

本書は、その2つの劇的な時代を描いている。事実よりも思い入れが前面に押し出され、あまりにも抒情的な表現が目立つ本ではあるが、それなりに面白い。


ジェリ・アレン+チャーリー・ヘイデン+ポール・モチアン『Segments』

2014-07-25 07:31:04 | アヴァンギャルド・ジャズ

偉大な音楽家チャーリー・ヘイデンが亡くなってから、ジェリ・アレンポール・モチアンと組んだピアノトリオ作『Segments』(DIW、1989年)を、ぼちぼちと聴いている。喪失感があって、すぐにヘイデンの音ばかりを聴くことができなかった。

Geri Allen (p)
Charlie Haden (b)
Paul Motian (ds)

このとき、アレンはまだ30代になったばかり。前後して、このトリオでも何作か吹きこんでいたりして、評価されていた。マーカス・ベルグレイヴと組んだ『The Nurturer』(1991年)など、とても鮮烈だった。しかし、グループのサウンドは置いておいても(置いておく意味はないのかもしれないが)、自分には、アレンのピアニストとしての個性がまだよくわからない。

この演奏でも、全体を支配するのは、ヘイデンのベースの残響音であり、モチアンの伸び縮みするドラムスであるように聴こえる。とくにヘイデン。最初から最後まで、文字通り、響きが残る。

いまの耳には、アレンの噛みしめるようなイントロから入るヘイデンの名曲「La Pasionaria」が哀しい。

ジェリ・アレン、NY、2014年

●参照
ジェリ・アレン、テリ・リン・キャリントン、イングリッド・ジェンセン、カーメン・ランディ@The Stone
ポール・ブレイ+チャーリー・ヘイデン+ポール・モチアン『Memoirs』
キース・ジャレットのインパルス盤
富樫雅彦『セッション・イン・パリ VOL. 1 / 2』
ギャビン・ブライヤーズ『哲学への決別』
ゴンサロ・ルバルカバ+チャーリー・ヘイデン+ポール・モチアン
70年代のキース・ジャレットの映像
チャーリー・ヘイデンとアントニオ・フォルチオーネとのデュオ
Naimレーベルのチャーリー・ヘイデンとピアニストとのデュオ
スペイン市民戦争がいまにつながる
オーネット・コールマンの最初期ライヴ


開高健『モンゴル大紀行』

2014-07-24 07:29:00 | 北アジア・中央アジア

開高健『モンゴル大紀行』(朝日文庫、原著1992年)を読む。

テレビの仕事で、開高健がモンゴルを訪れ、釣りをするという企画の記録。

ちょっと前の人ならともかく、わたしにとって、この名前の神通力はまったくない。むしろ、「経験」や「冒険」や「道楽」や「純真さ」といった面からたてまつられた姿を見ると、正直言って、しらけてしまう。メッキなど、もうはがれている。

それよりも、開高健につねに随行した写真家・高橋昇の作品が目当てである。極めて自然に感じさせるアプローチも、色もいい。『オーパ!』のころは、ミノルタX-1を2台使っていたはずだが、このときもミノルタだったのだろうか。

ついでに、本のもととなったテレビ特番『開高健のモンゴル大紀行』『続・開高健のモンゴル大紀行』(1987, 88年)を観る。モンゴル北部やゴビ砂漠に棲む、猛禽類、アネハヅル、タルバガン、狼などの姿がとらえられていた。なかでも、ネズミのようなタルバガンの狩は興味深い。大の男が、白いふさふさしたものを持って幻惑しながら這ってゆき、近づいたところで撃つという方法である。今もやっているのかな。


来間泰男『沖縄の米軍基地と軍用地料』

2014-07-23 22:51:15 | 沖縄

来間泰男『沖縄の米軍基地と軍用地料』(がじゅまるブックス、2012年)を読む。『けーし風』の読者会で、一坪反戦地主会のYさんに教えていただいた本。

沖縄では、本来民有地であった土地が、米軍基地として占有されている。これによる軍用地の地主が収入を得ていることはよく知られた事実であるし、たまに沖縄に足を運ぶだけのわたしのような者にも、軍用地売買の看板は否応なしに目に入ってくる。

土地が米軍に奪われた過程は、「銃剣とブルドーザー」と象徴的に呼ばれている。しかし、この表現は、本書によれば、全面的に当を得たものではない。なぜなら、沖縄戦においてその土地に居られない間に占拠されたものであり、それが、戦後居住している住民を「銃剣とブルドーザー」で暴力的に追い出した土地よりもはるかに広いからである。もっとも、前者も、当然ながら正当な土地の占拠ではないから、それを含めて「銃剣とブルドーザー」と呼んでも問題ないようには思う。

その一方で、地主を暴力だけでなくオカネで屈服させ、そのエスカレートの結果、一部を除く地主が基地の返還を望まない構造になっていることには、説得力がある。その点をいえば、「銃剣とブルドーザー」などではないのである。

本書は、軍用地料の水準がどのように決められてきたかを示し、その問題点をあらわにする。本来、土地を他人に貸して農業を営む場合、地主は地代を受け取り、また農作物の売却益を得る反面、労働報酬を支払わなければならない。しかし、軍用地料の計算は、後者を計算に入れず、「何もせずともその土地において農業が営まれた場合のアガリ」が得られるような想定になっていたのだという。

これは、米軍基地維持のための「アメ」として使われ、労働の倫理も、生活の倫理も、地代の相場も、ゆがめてきた。

一方で、本書には明確には書かれていないことだが、土地の利用による経済は、静的なものではなく、用途や形態が動的に変更されることによって、発展していくはずのものだ。土地の用途や形態がいつまでも限定されていることが、沖縄の経済発展を阻害していると言ってもよいはずである。したがって、軍用地料の水準のみをもって「払い過ぎ」だと論じるのは、アンバランスなのかもしれない。

著者は、「もし米軍基地がなかったら、より経済発展が期待できる」という論理を、米軍基地の存在意義が経済によって左右されかねないものとして退ける。しかし、さまざまな可能性を持った土地を、特定の地主のみに対するオカネの支払いという機能にのみ押し込めてしまうことは、経済を損ねることと断言してもよいのではないか。

いずれにしても、数字によってこの問題を検証した本であり、とても勉強になる。

●参照
琉球新報『ひずみの構造―基地と沖縄経済』


ジョン・カーペンター『ゴーストハンターズ』

2014-07-22 07:27:45 | 北米

ジョン・カーペンター『ゴーストハンターズ』(1986年)を観る。原題は『Big Trouble in Little China』。

サンフランシスコのチャイナタウン。突然、主人公は闇組織の抗争に巻き込まれ、友人の婚約者とその女友達を助けるために、アジトに潜入する。敵の首領は、かつて秦の始皇帝に敗れ、真の肉体を取り戻したいと希求する魔物だった。

ブックオフに500円で置いてあったのでつい入手したのだが、500円の価値があったのかどうかすら判断できないおバカ映画。次々に出てくる妖術の使い手を眺めていると、余りにもくだらなくて脇腹が痛くなってくる。心底から馬鹿馬鹿しいと思える。さすが、ジョン・カーペンター。

●参照
ジョン・カーペンター『スターマン』


新崎盛暉『沖縄を越える』

2014-07-21 10:37:34 | 沖縄

新崎盛暉『沖縄を越える 民衆連帯と平和創造の核心現場から』(凱風社、2014年)を読む。

沖縄は、常に新たな局面を迎えてきつづけた場所である。そのことは、2013年、2014年も変わらない。悪夢のような国境主義や歴史修正主義が跋扈し、それがメディアの加勢もあって、多くの者に受容されている。仕方がないとして捉える消極的な受容なのか、積極的な受容なのかといえば、おそらく後者が目立つようになってきていると言うべきなのだろう。

そのような中で、おそらく明確な形をなしてはいないが、沖縄と、韓国、中国、台湾との連携の動きがある。著者の新崎氏によるいくつかの著作も、韓国語や中国語に翻訳されている。逆に、「クリントンに謝らせた」というインパクトもあって、韓国では、反基地という面で「沖縄に学べ」というキーワードがあったのだという。

沖縄の機関誌『けーし風』も、そのような連携の役割を担っているらしいことが、本書の対談を読んでいると見えてくる。

●参照
『けーし風』
新崎盛暉『沖縄現代史』、シンポジウム『アジアの中で沖縄現代史を問い直す』
新崎盛暉氏の講演(2007年)
新崎盛暉『沖縄からの問い』


井上勝生『明治日本の植民地支配』

2014-07-20 10:10:02 | 韓国・朝鮮

井上勝生『明治日本の植民地支配 北海道から朝鮮へ』(岩波現代全書、2013年)を読む。

1995年、北海道大学で、「東学党首魁」と直に墨書された頭蓋骨が見つかった。ちょうど100年前の1895年に、韓国珍島において、日本軍によって殺された東学農民軍の遺骨のひとつだった。(「東学党」とは当時の蔑称であり、現在では、「東学農民軍」と呼ばれる。)

このとき、日本の朝鮮侵略はエスカレートし、日韓併合(1910年)が見えてきていた。日清戦争(1894-95年)の最中ではあったが、それと連動する日本軍の動きなのだった。しかし、日本軍にも戦死者が出たにも関わらず、中塚明・井上勝生・朴孟洙『東学農民戦争と日本』にも描かれているように、朝鮮での侵略活動は、あくまで日清戦争のきっかけという文脈に押し込められた。

朝鮮での「東学党」の殲滅作戦は、国際法を無視した虐殺行為そのものだったという。とにかく、「殺す」こと、「殲滅」することが、日本軍と日本政府の方針であったのである。「東学党」の強力さに驚いた井上公使が日本政府に要請し(当時、大本営は広島に移転していた)、その要請を上回る軍を派遣したのは、ロシアやイギリスが朝鮮に入ってくることを恐れてのことだった。すなわち、他者の土地を列強と争って奪おうとする侵略に他ならない。

なぜ、東学農民軍の遺骨が北大にあったのか。それは、北大の前身である札幌農学校から、綿花栽培の技術指導のために、国策として技術者を朝鮮に派遣したからである。既に日本では綿花生産が衰退し、今度は、朝鮮を、原料綿花の生産地にしようとしたというわけである。

そのような構造はもとより、技術指導の方法にも問題があったという。日本の方法は多肥料・多労働の投入によるモノカルチャー。対して、朝鮮の方法は、麦、豆、唐辛子などとの多毛作・混作。つまり、収量が多いとはいえ、日本の方法は高コストであり、その地域での生活を考慮せず(生産機能のみ)、また、生産や市場に何かの問題があった場合に対するリスクが大きい。現地では頑強に抵抗したが、日本側は、それを幼稚だとして一方的に新たな方法を押し付けた。独りよがりな生活・文化の破壊であったと言える。(なお、日本は、東南アジアにおいても伝統農法をゆがめたことが、中野聡『東南アジア占領と日本人』にある。)

そしてまた、一連のアジア侵略に先だって、アイヌ民族の支配が、あたかも植民政策の事前検討のようになされていることも、書かれている。

●参照
中塚明・井上勝生・朴孟洙『東学農民戦争と日本』
中野聡『東南アジア占領と日本人』


港千尋『Art Against Black Box / Taipei - Tainan - Tokyo』

2014-07-20 08:44:40 | 中国・台湾

今年(2014年)の3月から、台湾立法院が学生たちによって3週間占拠された。中国台湾間の貿易協定に対する異議申し立ての形であり、今では「太陽花学運」「ヒマワリ学運」と呼ばれる。同行した研究者Tさんのご専門が台湾ということもあり、少しご教示いただいた。これが何だったのか、いまだ全貌を説明することは難しいという。また、貿易協定そのものというよりも、台湾政府の進め方が大問題とされたのだという。

このとき、評論家・写真家の港千尋さんが現場を訪れ、写真を含め、記録した。新宿のPlace Mにおける展示とそのあとのトークショーは、その報告だった。

立法院の周囲には、30万人もの民衆が集まり、皆が黒い服を着ていたために、空から見ると黒い塊のように見えたという。そのために、メディアでは「黒潮」とも言われた。そのときに、アーティストたちが、即座に「報民」という新聞を作り、2万部を現場で配布した。一面以外はすかすかで、大きなフォントで「重新立法」(もういちど立法を?)、「公民審議」といった大事なメッセージが目立つように刷られている。これも、戦略的なものだった。

運動の現場では、廃棄物として沢山出る段ボールが、誰でも使えるように鋏、糊、ペンと一緒に要所に置かれていて、すぐにプラカード(プラではないが)を作ることができるのだという。これを、港さんは「段ボール革命」だと評価していた。

また、立法院占拠だけでなく、メトロ駅の建設にともなう住民の強制退去についての話もあった。ここには日本占領時代の歴史的な建造物や、ハンセン病の施設もあった。港さんは、ヴェネチア・ビエンナーレに同行した岡部昌生さん(フロッタージュによる作品)とともに、ハンセン病施設に行き、そこでも患者の老人とともにフロッタージュの作品を共同製作するワークショップを計画した。しかし、患者の方々は鉛筆を持つことができない。そのため、他の者が手を添えて、一緒に、その場のもろもろのものを鉛筆で擦ることも行ったのだという。

以上のような話だったが、正直に言うと、よくわからない。なぜアートなのか。アートという媒介手段・表現手段が有意義だとしても、そこでなぜ日本との交流なのか。仮に行動が先に来るのだと言うとしても、それは美術評論・社会評論のためのネタとどう異なるのか。

この日に配られたパンフレットには、港さんが、段ボールやITといったさまざまなメディアをくっつける方法を斬新だと説いていたが、そこでは、イタリア未来派のカルロ・カッラを引き合いに出している。しかし、印刷媒体とのメディア・ミックスによって近代化に興奮したイタリア未来派は、ムッソリーニのファシズムにも接近したのではなかったか。いかに100年前という区切りがあるとはいえ、また、新奇なメディア・ミックスを説くとはいえ、ペダンティックに過ぎるのではないか。


オサム・ジェームス・中川『GAMA CAVES』、津田直、大原明海

2014-07-20 08:15:22 | 写真

写真展のハシゴ。

■ オサム・ジェームス・中川『GAMA CAVES』(Photo Gallery International)

田町から海岸へと歩いたところにあるギャラリー。足を運ぶのは、石元泰博『シブヤ、シブヤ』を観て以来だ。

以前の『BANTA -沁みついた記憶-』と同様に、デジタルで撮られ、大型のプリンタで出された写真群である。『BANTA』では沖縄の崖、『GAMA』はガマ、つまり鍾乳洞。崖もそうであったように、沖縄戦の記憶とともに作品化されている。

写真は異様なほど精細で、リアルを超えていて気持ちが悪いほどだ。人間の眼ではこのように捉えることができない。

●参照
オサム・ジェームス・中川『BANTA』、沢渡朔『Kinky』後半

■ 津田直『On the Mountain Path』(Gallery 916)

そのまま、ゆりかもめで竹芝へ移動し、「Gallery 916」に行く。倉庫を利用して作られただけあって、展示空間が巨大で贅沢である。

作品は3パートに分かれ、スイスのアルプス、ブータンの山岳地域、フィリピンのピナトゥボ。これも大きく精細な写真ばかりであり、滅多なことでは足を踏み入れないであろう場所のディテールを前にすると、畏敬の念にとらわれずにはいられない。特に、ブータンの写真群は独特なマット紙に印刷してあり、こちらの眼の水分がすべてディテールに吸い込まれていくような奇妙な感覚を覚えた。

■ 大原明海『Out of Blue Comes Green』(Gallery 916)

福島の五色沼で撮られた写真群。ここに行ったことはないが、ずいぶんと多彩な色をあらわにしている。

精細な写真を観た直後だけに、丸いエッジに目が悦びそうだ。一点だけ、ピンボケを作品化したものがあり、それもまた幻のようだった。

ところで、観終わって休んでいると、織作峰子さんが観に来ていた。つい、また一緒に入ってしまった。後で写真家の大原さんと少し話をしたところ、それもバレていた。


北井一夫『道』

2014-07-20 07:17:13 | 写真

六本木のZen Foto Galleryに足を運び、北井一夫さんの写真展『道』を観る。

入るなり、在廊されていた北井さんは、わたしが着ていたセロニアス・モンクのTシャツに目を止め、「おおっいいなあそれ!」「意外と日本では人気が出なくて、フランスなんかでは大人気だったんだよね」と。いきなりジャズの話をするとは思わなかった。

写真展のテーマは道。東日本大震災での被災地の道である。

以前に、道は残るものだという発言があった。また、昔からの北井写真でも、向こうへと続く道の中に佇む人がとらえられている作品は少なくない。哲学というような大袈裟なものではなく、長い人の痕跡を見出しているような印象が強く残る。レンズは主にエルマー50mmF3.5、一部はエルマー35mmF3.5だという。

展示作品は被災地だけではない。北井さんの故郷である遼寧省の大連・鞍山の風景が数点含まれている。「何もないところだ、本当に侵略するためだけの場所だった」という。その寂寞とした風景の中にも道があった。そして、もっとも印象深い作品は、かつて『三里塚』において、滑走路予定地に止められたトラックの群れを意識したであろう、道の写真だった。古いレンズゆえ周辺が流れているのが、また味わいを付け加えていた。

今回はじめて見る試みとして、縦写真2点の組み合わせがあった。『ライカで散歩』で使われた、父の形見の布もある。日本と中国、あるいは別のものもあるのかもしれないが、「まったく違うふたつを組み合わせて何か見えてくるか試している」ということだった。

この写真展の作品群は、ちょうど写真集『道』としてZen Fotoから出されたばかり。原版はノートリミングゆえ細長く、少しだけトリミングしてある。厚めだが開きやすく、これまでとは違ってやや黄色い紙。印刷も感触も素晴らしいものだった。

ところで、「週刊読書人」に、現在、北井さんが連載をしている。その第1回で、『三里塚』初版本(1971年)の抽選があって、どうせ当たらないだろうと応募もしなかったのだが、実は、今回同行した研究者のTさんのもとに届いた。折角なので見せていただくと、やはり、当時の北井さんのプリントも印刷も超ハイコントラストで、現在のスタイルとはまったく異なる。それにしても羨ましい。

●北井一夫
『COLOR いつか見た風景』
『いつか見た風景』
『Walking with Leica 3』(2012年)
『Walking with Leica 2』(2010年)
『Walking with Leica』(2009年)
『80年代フナバシストーリー』(1989年/2006年)
『フナバシストーリー』(1989年)
『英雄伝説アントニオ猪木』(1982年)
『新世界物語』(1981年)
『ドイツ表現派1920年代の旅』(1979年)
『境川の人々』(1978年)
『西班牙の夜』(1978年)
『ロザムンデ』(1978年)
『遍路宿』(1976年)
『1973 中国』(1973年)
『湯治場』(1970年代)
『村へ』(1970年代)
『過激派』(1965-68年)
『神戸港湾労働者』(1965年)


中藤毅彦『Paris 1996』

2014-07-19 23:10:40 | ヨーロッパ

神保町すずらん通りの檜画廊で、中藤毅彦さんの写真展『Paris 1996』を観る。DMが届いたのがつい数日前で、今日が最終日だった。会場には、写真家の内藤正敏さんもおられた。

中藤さんのパリといえば、2011年頃から撮られた『ストリート・ランブラー―パリ』に随分揺り動かされ、その写真集『Paris』を入手したばかり。ただ、これは、タイトル通り15年遡り、1996年のパリである。

これらの作品が発表された写真集として、『Enter the Mirror』がある。会場に置いてあったそれ(もはや入手困難)と見比べながら、今回の新プリントをひとつひとつ観ると、随分と異なっている。旧作は、かなりトリミングされ、プリントが濃い。迫る力を持つと言えるかもしれないのだが、ほぼノートリミングだという新プリントにも、依然として、迫りくるなにものかと、色気とがある。中藤さんによれば、当時もコンタックスG2を使っていたという。

今後確実に評価が高まっていく写真家であり、いまのうちにプリントを入手しておくべきかもしれない。

●参照
中里和人『光ノ気圏』、中藤毅彦『ストリート・ランブラー』、八尋伸、星玄人、瀬戸正人、小松透、安掛正仁
須田一政『凪の片』、『写真のエステ』、牛腸茂雄『こども』、『SAVE THE FILM』
中藤毅彦、森山大道、村上修一と王子直紀のトカラ、金村修、ジョン・ルーリー


ノーム・チョムスキー+ラリー・ポーク『複雑化する世界、単純化する欲望 核戦争と破滅に向かう環境世界』

2014-07-18 07:37:46 | 環境・自然

ノーム・チョムスキー+ラリー・ポーク『複雑化する世界、単純化する欲望 核戦争と破滅に向かう環境世界』(花伝社、原著2013年)を読む。

『Nuclear War and Environmental Catastrophe』の邦訳であり、こうして日本語で再読すると、またさまざまな発見がある。良書であり、ぜひご一読されたい。

もっとも強く印象付けられる点は、アメリカの政策を駆動してきたのは、イデオロギーや宗教だけではないということだ。化石燃料、医薬品、軍事といった分野の強力な諸企業のオカネと意向によって、政策は偏った歪なものとなっている。それを新自由主義と呼ぶべきかどうか明確でないが、チョムスキーによって示されているのは、少なくとも、「民間がオカネのみによってほんらい公共であるべき分野まで荒らしてしまう」という意味での市場主義ですらない。

ここで提示されている環境問題のなかには、中東での劣化ウラン弾使用、ベトナム戦争時の枯葉剤使用、ミクロネシアでの水爆実験など、過去から現在にかけてアメリカが行ってきた戦争犯罪がある。チョムスキーは、これらを、結果を認識したうえでの(あるいは結果がどうなろうと構わないという前提での)意図的なものであったと説く。相手は、自分自身と同列の存在ではないのである。このことは、民間の犠牲者がどれだけ出ようとも「コラテラル・ダメージ」として位置付けるあり方につながっている。

気候変動問題については、諸企業によるバックアップのもとで、共和党の議員たちがとんでもない懐疑派になってしまっている現状を示している。この、科学からはかけはなれた気候変動懐疑論は、アメリカにおいては右派によって扇動されているが、一方、日本においては、逆に、リベラルとみなされることの多い層によって口にされることが多い(本書でもそのことを指摘してほしかった)。前者は利権の保護。後者は、これまで気候変動対策が原子力とセットとして進められてきたことへの反発や、くだらぬ陰謀論が幅をきかせていることと無縁ではない。そういった一部の論客たちは、チョムスキーが本書や、2013年の上智大学での講演において明確に述べ、また、エイミー・グッドマンらも気候変動対策を訴えてきた(本書の補遺に収録)にも関わらず、チョムスキーやグッドマンの一部の主張についてのみ奉るように引用し、気候変動懐疑論(くだらぬ陰謀論)を否定されてしまう箇所については触れないのである。奇妙なことだ。 

●参照(本書での引用を含む)
ノーム・チョムスキー+ラレイ・ポーク『Nuclear War and Environmental Catastrophe』
ノーム・チョムスキー講演「資本主義的民主制の下で人類は生き残れるか」
ノーム・チョムスキー『アメリカを占拠せよ!』
シンポジウム「グローバル時代にデモクラシーを再生できるか?」
デヴィッド・ハーヴェイ『新自由主義』
鄭周河写真集『奪われた野にも春は来るか』、「こころの時代」
鄭周河写真展『奪われた野にも春は来るか』
ジェームズ・ラブロック『A Rough Ride to the Future』