Sightsong

自縄自縛日記

水俣とユージン・スミス

2021-10-16 11:31:37 | 環境・自然

アンドルー・レヴィタス『MINAMATA―ミナマタ―』をようやく観てきた。

映像が美しく、ドラマもまとまっていて良いエンタテインメント。チッソ社長役の國村隼は唇が薄いだけあって薄情なキャラに向いているし、もちろんスミス役のジョニー・デップはみごと。

・・・なのだけれど。やっぱりもやもやすることを備忘録として。

●初対面のスミスとアイリーン美緒子とがジャズクラブに行く場面で、「生音」として、アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズの「Moanin'」が流れる(同名のアルバムに収録されたヴァージョン)。映画の設定は1971年、アルバムは1958年。スミスもジャズ好きでロフトに住んでいたのだし、あまりにも雑。

●いかにも坂本龍一の音楽が流れてお涙頂戴、これには白ける。お仕事なの?たとえば秋吉敏子=ルー・タバキン・ビッグ・バンドが水俣に捧げた『Insights』でも使ったほうが1万倍良かったのでは。

●スミスが水俣で偶然出会った患者に気まぐれでカメラを贈ったため使うカメラが無くなり、水俣の住民たちがカメラを持ち寄るという設定。実際には新幹線で愛用のライカを盗難されたスミスに対し、付き合いのあったミノルタ宣伝部の社員が独断でSR-T101のボディ2台とレンズ3本を渡したのだった。だが、映画ではもともとミノルタを使っていたように描かれている(SR-1を使ってはいたはずだが無くしたものはライカ)。住民たちのカメラの中にSR系のミノルタが複数あるのも不自然で、当時の大衆機ならばたとえばペンタックスSP系やコンパクト機のほうが多かったのでは。それどころかステレオカメラさえもチラッと見えた(TDCステレオヴィヴィッドのように見えたがそんなものを田舎の住民が持っているわけがない)。

●スミスは沖縄戦の取材以来ひさしぶりの日本だという設定のようだが、実際には、1960年から日立製作所の仕事をもらい、いち企業のPRを超える作品として完成させた。これがスミスのキャリア形成にも金銭的にも大いに貢献した。映画はそのあとの1971年から。

●ミノルタとの付き合いや日立との仕事のことが映画で消されているのはなぜか。「ココロザシのある写真家やジャーナリズム vs. 巨大企業」という構図を映画で作りたかったからではないか。そしてエンドロールでは福島原発事故を含め「いまも続く構図」がアピールされる(その通りの側面はあるのだけれど)。スミスについては、富士フイルムのCMの契約をしておきながら「カラーフィルムは使ったことがない」と企業との付き合いに無頓着な雰囲気を強調している。そうでなければ映画でキャラが立たなかったのか。

●水俣病の実態や原因の追究は、原田正純、宇井純、石牟礼道子、土本典昭、川本輝夫、桑原史成を含め多くのひとたちによってなされている。それが映画ではどこにどう考慮されているのやら。もちろんドキュメンタリーではないから問題とまでは言えない。(とはいえ、僕も高校の図書館で宇井純『公害原論』を手に取ったことが社会や環境問題への関心のきっかけでもあったし、やっぱり気になる。)

●参照
森元斎『国道3号線 抵抗の民衆史』
『上野英信展 闇の声をきざむ』
『けーし風』読者の集い(31) 「生きる技法」としての文化/想像力
政野淳子『四大公害病』
原田正純『豊かさと棄民たち―水俣学事始め』
石牟礼道子『苦海浄土 わが水俣病』
『花を奉る 石牟礼道子の世界』
土本典昭『水俣―患者さんとその世界―』
土本典昭さんが亡くなった
工藤敏樹『祈りの画譜 もう一つの日本』(水俣の画家・秀島由己男)
鎌田慧『ルポ 戦後日本 50年の現場』
佐藤仁『「持たざる国」の資源論』(行政の不作為)
桑原史成写真展『不知火海』
桑原史成写真展『不知火海』(2)

阿部久二夫「カメラを盗まれた写真家ユージン・スミスのSR-T101」(『季刊クラシックカメラ』No.14、2002年)


白洲正子『木』

2019-04-10 08:07:12 | 環境・自然

白洲正子『木 なまえ・かたち・たくみ』(平凡社ライブラリー、原著1987年)を読む。

ドイツ在住のダンスの皆藤千香子さんが白洲正子のことを薦めていて、ふと古本屋で見つけて読んでみた。

なるほど、文章に無駄な装飾がないし、もとより自分を着飾ってみせようという心はまったく見出せない。ちょっと変わったふうにみえるとすれば、それは白洲正子というひとの美学である。彼女は、たとえば生活の中での木のありようだったり、樹種によって異なる素材の性格や美しさだったり、木に関わるひとたちの生き方だったりといったものに、凝視に近い親密な視線を送っており、それが文章に衒いなく反映されている。いい文章だ。

面白いのは、白洲正子さんは、葉っぱや樹皮のことをほとんど書いていないことである。たとえばクスノキであれば、わたしなどは、分厚く丸っぽく、ダニの棲みかがある葉っぱが好きだし、幹の表面も好きである。一方、白洲正子さんは、霊木としての歴史、仏像への利用、全体の佇まいなどを書いている。他の木については、道具に化けたあとのことをよく書く。

だからどうだというわけではない。面白いなあ、ということである。

●参照
斎藤修『環境の経済史 森林・市場・国家』
上田信『森と緑の中国史』
只木良也『新版・森と人間の文化史』
そこにいるべき樹木
園池公毅『光合成とはなにか』
館野正樹『日本の樹木』
荒俣宏・安井仁『木精狩り』
東京の樹木
佐々木高明『照葉樹林文化とは何か』
湯本貴和『熱帯雨林』
宮崎の照葉樹林
オオタニワタリ
科学映像館の熱帯林の映像
森林=炭素の蓄積、伐採=?
『南方熊楠 100年早かった智の人』@国立科学博物館
南方熊楠『森の思想』
小川眞『キノコの教え』


小川眞『キノコの教え』

2018-06-02 07:23:48 | 環境・自然

小川眞『キノコの教え』(岩波新書、2012年)を読む。

よく勘違いされるがキノコは植物ではなく菌類である。もっとも18世紀のリンネも20世紀の牧野富太郎も困った挙句か植物に分類している。また菌類のひとつである粘菌についてなどは、南方熊楠は「植物ではなく動物」だと考えていたりもする(ちなみに、中沢新一がそれを受けて牽強付会的にマンダラ論などに結び付けており、じつにみっともない)。本書の内容もあちこちに飛ぶが、それは菌類の分類や生態があまりにも多岐に渡るからである。

ここに整理されている菌類の分類体系によると、原生生物界(ミドリムシ、ケイ藻類)から植物界、動物界とまた異なる形で真菌類が進化し、なかでもキノコ(大型の子実体)を作るものがもっとも進化したグループである(それ以外がカビ)。菌糸にためた栄養物を使って地上にキノコが作られ、そのキノコは膨大な数の胞子をつくって飛ばす。

キノコの種類は本当に多く、毒性の有無の判断は素人にはとても難しいらしい。わたしはやらないが、生半可な知識で取ってきて貪り喰うと死ぬということである。毒性は置いておいても、味については、動物の死骸や排泄物がたまったところに育った場合においしいという法則はあるようだ。

著者は、キノコの生態の形が、歴史的に、寄生から腐生、さらに共生へとはっきりと進化していることを指摘し、そこに、今後の人類のあり方を見出している。確かにこんなに(主に)植物との共生の姿、またどこかに問題があれば支え合ったりお互いに滅びたりするような現象を示してくれると、その論には説得力があると思えてくる。

それにしても興味深い話が多い。

たとえば石炭について。石炭は湿地の植物が地下に埋もれて高音高圧下で変性したものだが、第四紀(250万年前以降)からは亜炭や泥炭などあまりいいものがない。というのは、それまでのキノコはせいぜいセルロースを溶かすだけだったが、それ以降、リグニンを分解するキノコが出てきたことが大きな原因らしい。キノコが石炭の埋蔵を左右していたなんて。

それからマツ林の衰退について。只木良也『新版・森と人間の文化史』にも言及されているように、マツはやせた土地で育つ指標的な樹木である。化石燃料の消費が増え、また生活形態やコストの面もあって、人びとが森林にあまり立ち入らなくなり、その結果土壌が富栄養化したことが、マツ枯れの原因だという。著者はさらに、富栄養化だけでなく、大陸からの大気汚染物質、選択的にキノコが重化学物質や放射性物質(セシウムなど)を吸収すること、その結果としての共生の狂いをも挙げている。

●参照
『南方熊楠 100年早かった智の人』@国立科学博物館

南方熊楠『森の思想』
斎藤修『環境の経済史 森林・市場・国家』
上田信『森と緑の中国史』
只木良也『新版・森と人間の文化史』
そこにいるべき樹木
園池公毅『光合成とはなにか』
館野正樹『日本の樹木』
荒俣宏・安井仁『木精狩り』
東京の樹木
佐々木高明『照葉樹林文化とは何か』
湯本貴和『熱帯雨林』
宮崎の照葉樹林
オオタニワタリ
科学映像館の熱帯林の映像
森林=炭素の蓄積、伐採=?


『南方熊楠 100年早かった智の人』@国立科学博物館

2017-12-24 20:10:32 | 環境・自然

上野の国立科学博物館で、『南方熊楠 100年早かった智の人』という企画展を観る。

南方熊楠の評価、またこの企画展の位置づけは、次の文章で明らかに示されている。

「南方熊楠は、森羅万象を探求した『研究者』とされてきましたが、近年の研究では、むしろ広く資料を収集し、蓄積して提供しようとした『情報提供者』として評価されるようになってきました。」

本展は熊楠の活動ぶりを、かれが採取した標本や、文献を書き写した膨大なノート(抜書)や、やはり膨大に描き残した「菌類図譜」などの紹介によって示さんとするものである。紹介される分野としては、菌類、粘菌(変形菌類)、地衣類、藻類などのよくわからない生物ども。

こうして自然・世界の不思議をミクロな目でひたすら観察・収集し、しかも分野間をなにかにこだわることなくつなぎおおせる。公開され自由にピックアップ可能なアーカイブであり、インターネット時代にふたたびシンパシーの対象となることはよくわかる。神社合祀への反対は貴重な鎮守の森の生物が消えてしまうことに対するマニア的な活動であり、『十二支考』などはとにかく多くのネタを集めてつなぎなおすという知的快感のもとで書かれたものだったに違いない(熊楠は、確かどこかに、『十二支考』の執筆にあたり、「締切がやばいなー、ただのコピペだと芸がないしなー」なんてことを書いていた)。しかも、この常軌を逸した分量の「菌類図譜」は、どうも、書き続けることによって熊楠が自身の精神を安定させるという目的もあったようなのだ。まさに現代。

この企画展の分野に近い『森の思想』においては、中沢新一が、80年代の雰囲気でマンダラがどうの東アジアがどうのともっともらしいことを書いている。いずれ河出文庫のシリーズもその恥ずかしい「解題」を変えざるを得なくなるだろう。

それはともかく、展示は面白い。街路樹にも生きている地衣類は、藻類と菌類とがwin-winの関係で共生して成り立っている(サンゴのようだ)。粘菌(変形菌類)も、まあよくこんなヘンなものに注目したねと思えるものばかり。そして4000点近く作成した「菌類図譜」では、また妙な形のきのこばかりが描かれ、余白にはびっしりと情報が書き込まれている。会場内で流されるヴィデオの中で、安田忠典・関西大学准教授が、「絵は下手だが情報収集量に価値がある」といった発言をしている。なるほど下手で楽しそうだ。


変形菌類


菌類


地衣類


「菌類図譜」

●南方熊楠
南方熊楠『森の思想』


南方熊楠『森の思想』

2017-12-08 07:53:01 | 環境・自然

南方熊楠『森の思想』(河出文庫、編集版1992年)を読む。

「南方熊楠コレクション」として熊楠の書いた文章をテーマ別に編集したシリーズ全5冊のひとつであり、2015年に、いまの河出文庫のカバーデザインに新装された。

編者は中沢新一であり、535頁のうち約4分の1の134頁が氏の「解題」によって占められている。わたしは氏のもっともらしく牽強付会的な文章はまったく好みでない。ここでも、熊楠が粘菌を植物ではなく動物だと考えたことから、マンダラ論や東アジア独自論に結び付けている。もはや80年代の古臭さしか感じないのであり、あまり読む必要はないだろう。

もちろん耳を傾けるべきは、好奇心が無数の触手となって話があちこちに飛ぶ熊楠の語りである。

よく言及される、粘菌や冬虫夏草などの特異性はそのひとつだ。また、ヘンなキノコが陰部に似ているといって騒いでみたり、いちはやくマッシュルームの缶詰について論じてみたり(栄養は汁にあるので捨てずにすべて調理に使うよう指導している)。陰部といえば、自分自身も実験台としているし、ほとんど猥談のような文章も少なくない。あるいは、森の中で樹液等が発酵して酒のようなものがぶくぶくと湧いてくるくだりなど、おとぎ話を聴かされているようだ。

「前年切った竹株から第二図のごとく葛を煮たような淡乳白色無定形の半流動体がおびただしく湧き出で、最初はその勢凄かったと見えて、少団塊が四辺へ散乱して卵の半熟せるを地に抛げ付けた状を呈し、竹の切口内には蟹が沫吐くごとくまだブクブクと噴いておった。」

本書の後半には、明治末期からの神社合祀に抗する文章が収録されている。熊楠が、森の生物多様性や、治水を含め環境保全などについて、強いヴィジョンを持っていたことがよくわかるものである(それにより金儲けをする者への怒りも少なくない)。これが当時から広く受容され共有されていたならば、昭和の環境破壊の様子もずいぶんと異なっていたことだろう。


山崎晴雄・久保純子『日本列島100万年史』

2017-02-23 00:06:39 | 環境・自然

山崎晴雄・久保純子『日本列島100万年史 大地に刻まれた壮大な物語』(講談社ブルーバックス、2017年)を読む。

貝塚爽平『東京の自然史』が二十歳の頃に読んで以来の愛読書でもあったから、東京の地形の形成プロセスについてはある程度は知っている。またプレートテクトニクスについては大学院時代の研究テーマだったから、それなりに解っている。しかし日本各地となると、実はあまり理解していなかった。

本書は、北海道から九州までの地形の形成プロセスを平易に概説してくれる本である。関東平野の造盆地運動はなぜ起きているのか。プレート境界と火山フロントとが重なる富士山がいかに稀有な場所か。なぜ日本列島はくの字に折れ曲がっているのか。中央構造線はなぜ横ずれするのか。・・・など、ああなるほどと目から鱗が落ちそうな箇所がいろいろあった。

南海トラフでの大地震に関する周期説が当然のように書かれていることには、違和感を覚えたのではあるけれど。また、沖縄の自然史も入れてほしかったところ。

●参照
貝塚爽平『東京の自然史』
貝塚爽平『富士山の自然史』
榧根勇『地下水と地形の科学』
薄っぺらい本、何かありそうに見せているだけタチが悪い 
島村英紀『火山入門』
島村英紀『「地震予知」はウソだらけ』
ロバート・ゲラー『日本人は知らない「地震予知」の正体』
黒沢大陸『「地震予知」の幻想』
大木聖子+纐纈一起『超巨大地震に迫る』、井田喜明『地震予知と噴火予知』
石橋克彦『南海トラフ巨大地震』
石橋克彦『原発震災―破滅を避けるために』
『The Next Megaquake 巨大地震』
『Megaquake III 巨大地震』
『Megaquake III 巨大地震』続編
沖縄の地学の本と自然の本


木村尚『都会の里海 東京湾』

2016-08-07 08:37:24 | 環境・自然

木村尚『都会の里海 東京湾 人・文化・自然』(中公新書ラクレ、2016年)を読む。

昔と違って、東京湾は汚染度が低く、実にさまざまな生き物が集まっている。なんとここでは絶滅したと言われていたハマグリさえ復活の兆しがあるという(なお、アメリカ船にくっついてきた外来種ホンビノスガイは「白ハマグリ」とも呼ばれ、すっかりポピュラーになった)。

これには、河川から流入する汚染や汚濁の減少、稚貝や稚魚の放流、水辺環境の改善などが大きく貢献している。三番瀬では干潟を人工的に造成することに対する議論がなされてきたが、著者は、人工干潟については肯定的にとらえているようだ。それはおそらく、水辺環境は人が常に生活の場として立ち入ることによって成り立ってきたという考えがある。

本書には、三番瀬や盤洲干潟といった代表的な干潟だけでなく、江戸川・荒川・隅田川・多摩川の河口、海ほたる(行ったことがないが)、お台場、内湾と外湾との間に首都防衛のために作られた海堡など、さまざまな場所でみられる生き物の面白さが、手際よくまとめられている。読んでいると何かを食べに行きたくもなってしまう。

●参照
豊かな東京湾
東京湾は人間が関与した豊かな世界
船橋側の三番瀬 ラムサール条約推進からの方針転換
『みんなの力で守ろう三番瀬!集い』 船橋側のラムサール条約部分登録の意味とは
浦安市郷土博物館『三角州上にできた2つの漁師町』
市川塩浜の三番瀬と『潮だまりの生物』
三番瀬を巡る混沌と不安 『地域環境の再生と円卓会議』
三番瀬の海苔
三番瀬は新知事のもとどうなるか、塩浜の護岸はどうなるか
三番瀬(5) 『海辺再生』
三番瀬(3) 何だか不公平なブックレット
三番瀬にはいろいろな生き物がいる(2)
三番瀬にはいろいろな生き物がいる
船橋の居酒屋「三番瀬」
『青べか物語』は面白い
谷津干潟
井出孫六・小中陽太郎・高史明・田原総一郎『変貌する風土』 かつての木更津を描いた貴重なルポ
平野耕作『キサラヅ―共生限界:1998-2002』
盤洲干潟
新浜湖干潟(行徳・野鳥保護区)
江戸川放水路の泥干潟
下村兼史『或日の干潟』
日韓NGO湿地フォーラム
加藤真『日本の渚』
『海辺の環境学』 海辺の人為
畠山重篤『日本<汽水>紀行』


沖大幹『水の未来』

2016-04-21 22:22:36 | 環境・自然

沖大幹『水の未来ーグローバルリスクと日本』(岩波新書、2016年)を読む。

気候変動の分野では「カーボンフットプリント」という概念がある。何かの人間活動それぞれについて、そのためにどれだけの温室効果ガスが排出されたかという手法であり、それなりに有用な手法と評価されている。温室効果ガスは世界のどこで出ても同等であるからだ。

本書で紹介される概念は、これと似た「ウォーターフットプリント」。話はカーボンほど簡単ではない。量も質も扱わなければならず、その重要さや影響度は場所や条件によってまったく違うからである。ただ、その結果を見せられるととても興味深いことがいろいろと見えてくる。

たとえば、食料自給率の低い日本は、大量の食料を輸入しているわけだが、それは、食料生産のために費やされた水も同時に輸入してきていることに他ならない。著者はそのことをもって、大資本や市場の機能を単純に否とはしない。それは、事実や分析結果をもって議論や政策決定が行われるべきだということを大前提としている。

●参照
米本昌平『地球変動のポリティクス 温暖化という脅威』(本書で引用)


トーマス・トウェイツ『ゼロからトースターを作ってみた結果』

2016-03-20 23:39:10 | 環境・自然

トーマス・トウェイツ『ゼロからトースターを作ってみた結果』(新潮文庫、原著2011年)を読む。

何だかよくわからないが、著者は、トースターを全部自分で作ってみようと思い立った。部品を買ってきて組み立てるのではない。部品のマテリアルからすべて作るのである。

まずは真似の基本、リバース・エンジニアリング。安物であっても、トースターの中には実にさまざまな素材によるさまざまな部品が入っている。

鉄は、鉄鉱石を調達してスーツケースに詰め込んで帰り、手製の炉で精錬。しかし、コークスを使った還元と、燃焼させるための酸素の供給とのバランスの解決がうまくいかない。銅は、銅鉱山の強酸性の水をタンクで持って帰り、電気分解。ニッケルは、ebayで硬貨を調達して溶かす(なんて罰当たりな)。筐体のプラスチックは、原油から精製して作るなんてできるわけもなく、じゃがいもからバイオマスプラスチックを作ろうとしたが挫折。結局、化石燃料だって過去の時代のものが溜ってできたものだし、ということで、無理やり相対化して、人間時代の遺物であるプラごみを溶かして型に流し込む(その型だって高温に耐えられるよう、丸太を削った力技)。

面白く、ときどき声を出して笑いそうになってしまう。なんてことない安物の部品であっても、そのすべてに文明の歴史と工学技術が詰まっている。著者は、この過激なる実践によって、それを体感し、巨大化した産業社会の姿を垣間見るわけである。さらには、正当なコストの反映や、環境の外部費用の内部化といったことについて思索する。

完成品は、表紙にある現代美術風のものである。はたしてこれを使い、パンに、旨さのしるしであるメイラード反応を与えることができるのか。それは読んでのお楽しみなのだが、まあ、どちらでもよいことだ。

抽象的に環境問題や社会変革をとらえることの限界を感じるためにも推薦。


畠山重篤『日本<汽水>紀行』

2015-11-08 15:32:22 | 環境・自然

畠山重篤『日本<汽水>紀行』(文春文庫、原著2003年)を読む。

著者は気仙沼の漁師さんである。環境問題に少しでも関わっている者であれば、沿岸の漁場の豊かさには、陸域の環境が大きく影響していることを聞いたことがあるはずだ。汚染物質や富栄養化物質だけではない。森林の落葉が腐る段階でできるフルボ酸という物質が鉄と結びつき、簡単には酸化しないフルボ酸鉄となり、それが植物プランクトンの成長に欠かせないのだという。また、森林から流れ出るある種のカビが、稚魚など動物プランクトンにとってちょうどいい餌になっているケースもある。

そういった現象を、著者は、<森は海の恋人>という言葉で表現した。まさに、漁業を通じた経験を、環境保全や開発のあり方にも深く関係する知見として広く知らしめたということになる。陸水の環境は河川流域でとらえなければならないものだが、さらには、海水と淡水とが混じり合う汽水域、その海域への影響、また流動のタイムスケールが非常に長い地下水が河川水に混じり合っていくことの影響など、あまり認知されているとは言い難いことが少なくない。本書はそういったことについての恰好の読み物である。

それにしても、著者の貪欲な好奇心には驚かされる。気仙沼だけではなく、四万十川、宍道湖、有明海、富山湾、東京湾、果ては長江の河口域まで足を運んでいっては、目と舌とで実態をとらえんとしているのである。話はなんと上海の上海の魯迅紀念館や内山書店跡にも及ぶ。読んでいると、牡蠣、ウナギ、シジミ、鯨、鮭、鰹、その他あまり縁のない魚介類などが食べたくて仕方がなくなる。

「あとがき」には、東日本大震災により多くの漁場が大打撃を受けたことが書かれている。その復活には、森から河川を通じて流出するマテリアルが欠かせないものだということが、本書を読むことで実感できる。ただその一方で、原子力発電所からの放射性物質の流出・蓄積について一言も触れていないのはなぜだろう。

●参照
栗原康『干潟は生きている』 震災で壊滅した蒲生干潟は・・・
旨い富山
豊かな東京湾
東京湾は人間が関与した豊かな世界
船橋側の三番瀬 ラムサール条約推進からの方針転換
『みんなの力で守ろう三番瀬!集い』 船橋側のラムサール条約部分登録の意味とは
浦安市郷土博物館『三角州上にできた2つの漁師町』
市川塩浜の三番瀬と『潮だまりの生物』
三番瀬を巡る混沌と不安 『地域環境の再生と円卓会議』
三番瀬の海苔
三番瀬は新知事のもとどうなるか、塩浜の護岸はどうなるか
三番瀬(5) 『海辺再生』
三番瀬(3) 何だか不公平なブックレット
三番瀬にはいろいろな生き物がいる(2)
三番瀬にはいろいろな生き物がいる
船橋の居酒屋「三番瀬」
『青べか物語』は面白い
谷津干潟
井出孫六・小中陽太郎・高史明・田原総一郎『変貌する風土』 かつての木更津を描いた貴重なルポ
平野耕作『キサラヅ―共生限界:1998-2002』
盤洲干潟
新浜湖干潟(行徳・野鳥保護区)
江戸川放水路の泥干潟
曽根干潟と田んぼの中の蕎麦屋
佐藤正典『海をよみがえらせる 諫早湾の再生から考える』
『科学』の有明海特集
『有明海の干潟漁』
漫湖干潟
泡瀬干潟
泡瀬干潟の埋立に関する報道
小屋敷琢己『という可能性』
救え沖縄・泡瀬干潟とサンゴ礁の海 小橋川共男写真展
屋嘉田潟原
糸満のイノー、大度海岸
下村兼史『或日の干潟』
日韓NGO湿地フォーラム
加藤真『日本の渚』
『海辺の環境学』 海辺の人為
魯迅の家(3) 上海の晩年の家、魯迅紀念館、内山書店跡


政野淳子『四大公害病』

2015-09-09 00:27:53 | 環境・自然

政野淳子『四大公害病 水俣病、新潟水俣病、イタイイタイ病、四日市公害』(中公新書、2013年)を読む。

四大公害病については、環境問題・公害問題を象徴するものとして知らぬ者はない。しかし、これらは過去の「歴史」ではない。なぜならば、(1) すべての被害者が金銭的・精神的に救済されたわけではなく、命と記憶とによってその体験が生き続けており、(2) 行政の不作為や、責任を問われるべき企業の免責が上からなされるという過程が、2011年以降また悪夢のように顕在化してしまった、からである。

(2)については、本書に多くの指摘がある。たとえば、水俣病においては、既に浦安の「黒い水事件」(1958年)に端を発して制定された「水質二法」が適用されなかった(もっとも、寺尾忠能編『「後発性」のポリティクス』によれば、同法は甘く、公害追認法として機能し、その後の水俣病の被害拡大を招いてしまった面があるという)。新潟水俣病が公表される6年前の1959年には、通産省による水銀利用量調査が化学企業に対してなされていたにも関わらず、政治問題化することを避けて調査が秘匿されていた(なお、これを掘り起こしたのは故・宇井純氏だった)。産業界に配慮して原因の特定を遅らせたことは、すべてに共通している。

教養としてではなく、現在を視るための本として推薦。

●参照
原田正純『豊かさと棄民たち―水俣学事始め』
石牟礼道子『苦海浄土 わが水俣病』
『花を奉る 石牟礼道子の世界』
土本典昭『水俣―患者さんとその世界―』
土本典昭さんが亡くなった
工藤敏樹『祈りの画譜 もう一つの日本』(水俣の画家・秀島由己男)
鎌田慧『ルポ 戦後日本 50年の現場』
佐藤仁『「持たざる国」の資源論』(行政の不作為)
桑原史成写真展『不知火海』
桑原史成写真展『不知火海』(2)
ハマん記憶を明日へ 浦安「黒い水事件」のオーラルヒストリー
浦安市郷土博物館『海苔へのおもい』
寺尾忠能編『「後発性」のポリティクス』


杉本裕明『ルポ にっぽんのごみ』

2015-08-14 23:42:58 | 環境・自然

杉本裕明『ルポ にっぽんのごみ』(岩波新書、2015年)を読む。

日本の廃棄物・リサイクル行政は、21世紀に突入しようとしていた時期に飛躍的に進化した。このことは確かだが、その一方で、実態に追いつくことが困難であることや、法制度の出来上がりが縦割りゆえのものであったことによる問題が、さまざまに出てきた。

たとえば容器包装リサイクル法に基づくペットボトルのリサイクルは、毎年事業者の入札によって廃ペットを入手できるかどうか決まるため事業計画が立たず、その上、落札価格が乱高下するものであったために、とても難しいものであり続けた。これに限らず、ニッチなものに市場原理を適用しようとすると、思い通りに動かないものである。

家電リサイクル法では、導入時から指摘されていたことではあったが、リサイクル代徴収が廃棄時であるために、不法投棄の増加という結果となった。そのことが、国境をまたがる真っ当なリユースを阻害することにもなった。

昔からの問題から新しい問題までトピックを集めていて、とても興味深い。「焼却」偏重という日本独自の現象がどう捉えられるべきかについても、いろいろな視点を与えてくれる。

●参照
喜多川進『環境政策史論』
寺尾忠能編『「後発性」のポリティクス』
寺尾忠能編『環境政策の形成過程』


保阪正康『日本原爆開発秘録』

2015-07-18 03:33:16 | 環境・自然

保阪正康『日本原爆開発秘録』(新潮文庫、原著2012年)を読む。

あまり知られていないことだが、日本では、戦中に原爆の開発が進められていた(山本義隆『原子・原子核・原子力』でも言及されている)。しかし、それは開発と言えるような水準のものではなかった。むしろ、工学の領域に入る前段階の基礎研究といったものに近かった。ウラン235の濃縮も中性子の生成もうまくいかなかった。

開発に関わった科学者たちの水準が低かったのではない。陸軍が抱えた理化学研究所では、仁科芳雄をリーダーとして、湯川秀樹、朝永振一郎らが在籍し、東京帝大の嵯峨根遼吉らと連携した(長崎への原爆投下後、アメリカの科学者たちから嵯峨根宛てに戦争を止めるよう書いたメッセージが投下されたことは有名である)。また、海軍が抱えた京都帝大にはやはり湯川秀樹が在籍し長岡半太郎や仁科芳雄らと連携した。重なるメンバーもいるが、基本的には、仲の悪い陸軍・海軍それぞれで予算を付けて研究を進めさせた。

このように世界的にもトップ水準の頭脳がいても、もっと資本を投入し、国家を挙げたプロジェクトチームを作らなければ、理学から工学へと突き進み、「悪魔の兵器」を製造することなどできなかった。それが可能なのはアメリカだけであった(マンハッタン計画)。

しかし、仁科らは、日本軍が期待するような短期間で原爆の開発を行うことなど不可能だと知っていた。それを認識しながら、自由な研究活動と予算を確保できる体制を選んだということだ。広島への原爆投下後、仁科はすぐにそれを原爆であると悟ったという。しかし、陸軍に対し、このまま戦争を続けていてはさらに原爆が投下される可能性があることを、進言することはなかった。

理化学研究所には、陸軍から、国内でウラン鉱石を探索するよう指示があった。福島県の石川町では、ウラン鉱がある可能性など限りなく低いにも関わらず、中学生(現在の高校生)が足を血だらけにしながら、敗戦まで、採掘した石を運び続けたという。胸が痛くなる史実だ。

科学者たちは、原爆製造など日本では不可能と知りながら体制を利用して研究を続け、一方では、将来のエネルギー源としての可能性を口にしていたという。戦後の「原子力の平和利用」につながる芽を、ここに見ることができる。実態を理解できない日本軍は、とにかく敵国にダメージを与える大量破壊兵器の完成を切望し、さらに噂となって(マッチ箱程度のもので大都市を殲滅しうる、というような)、不利な戦局打開を望む世論とも同調した。そして、戦後、「原子力の平和利用」の名のもとに、実に奇妙な政治主導が行われた。「平和」という曖昧なイメージによって個々の問題を糊塗するあり方は、「大東亜共栄圏」と本質的に同じだというのが、著者の見立てである。

すなわち、戦前から戦後の原子力技術開発の変遷を見ていくことで、科学者、市民、軍の倫理意識が垣間見えるわけである。

●参照
山本義隆『原子・原子核・原子力』
有馬哲夫『原発・正力・CIA』
『大江健三郎 大石又七 核をめぐる対話』、新藤兼人『第五福竜丸』
太田昌克『日米<核>同盟』


喜多川進『環境政策史論』

2015-06-07 22:10:31 | 環境・自然

喜多川進『環境政策史論 ドイツ容器包装廃棄物政策の展開』(勁草書房、2015年)を読む。(喜多川様、ありがとうございました。)

著者によると、環境政策の形成プロセスを一次資料・二次資料によって確認・検証していく「環境政策史」は、まだ研究が十分には進んでいない分野であるという。確かに、わたしが関わっている「気候変動」や「排出権」の分野のことを考えても、そのことは納得できる。政策についてその時点での断面を詳述したものはあっても、それを時系列的に追ったものは少ないうえに、その形成プロセスとなると当事者の記憶と資料の山の中にしかないのかもしれない(政府機関、シンクタンク、業界団体、さらには明示されない協議内容)。たとえば、ナオミ・オレスケス+エリック・M・コンウェイ『世界を騙しつづける科学者たち』がその例として紹介されているが、読んでみるとそれは研究というよりは「生々しい」ドキュメンタリーである上に、環境保護に対する思いが強く反映されたものである。研究対象としては避けられる分野なのかもしれない。

本書においては、その事例としてドイツにおける容器包装廃棄物に関する政策を対象としている。ここで著者が丹念に追っている政策形成プロセスを読んでいくと、単に環境保護が重視された結果の政策導入ではなく、政治家、政府機関、業界団体、地域といったステークホルダー間の押し引きの結果として政策があるのだということがよくわかる。著者は、環境保護だけではなく経済合理性を考えて環境保護を進める立場を「環境リアリズム」と呼ぶ。

もちろん、環境保護というファクターはあった。増え続ける廃棄物を受け入れる処分場は十分ではなく、さらに、飲料容器が、リターナブル容器からワンウェイ容器へとシフトしつつあるという懸念、そして、1990年のドイツ統合により、それまで廃棄物を受け入れていた東ドイツが消滅するという懸念が、政策導入の駆動力であったことは確かなようである。

しかし、だからといってそのための適切な環境政策がすぐに導入されるわけではない。まずは、リターナブル容器を使う地域を基盤とする政治家の働きかけがあった(従来の地元への利益誘導型)。容器包装をデポジットの対象とすることに対する業界の強い反発もあった。そして、結果的な解として浮上する「デュアル・システム」(従来の廃棄物を自治体が、容器包装廃棄物を民間が処理する)に対する、民間のリサイクル・ビジネスへの期待もあった。

振り返ってみると、「環境政策」というカードを重視しすぎた政策導入プロセスは失敗し、むしろ「経済要因」と「政治要因」のプラスアルファとして「環境政策」を付加したプロセスにおいて、政策という果実が得られたのだという。これは日本においても共通することかもしれないと思う。

なお、著者によれば、「デュアル・システム」導入は、いろいろな面で拙速であった面があるという。民間が大きく期待したリサイクル・ビジネスがどのような結果を見たのか、日本との比較で知りたいところである。

●参照
寺尾忠能編『「後発性」のポリティクス』(喜多川さんの論文所収)
寺尾忠能編『環境政策の形成過程』(喜多川さんの論文所収)


山岡淳一郎『日本電力戦争』

2015-05-31 23:33:28 | 環境・自然

山岡淳一郎『日本電力戦争 資源と権益、原子力をめぐる闘争の系譜』(草思社、2015年)を読む。

2030年の電源構成の計画が「原子力20-22%、再生可能エネルギー22-24%、LNG火力27%、石炭火力26%、石油火力3%」(2015/4/28案)あたりに落ち着きそうである。明らかに原子力への追い風と読めるわけである。橘川武郎氏の指摘によれば、40年廃炉基準が厳格に守られるならば、仮に今後島根3号と大間が加わったとしても、原子力の比率は15%程度にしかならないだろうということだ。すなわち、40年を超える稼働か新設が前提としており込まれている。

これはなぜなのか。もちろんエネルギー・ポリティクスの結果でもある。本書は、それがいかに難題であるかを探っていく。

LNG化して運び込む天然ガスの売り手として、中東など既存の国々に加え、シェール革命を起こしたアメリカや、国家主義的なロシアが巨大なプレイヤーとして動いている。原子力について言えば、アメリカのメーカーは本体では原子力ビジネスを縮小したにも関わらず、日本のメーカーと提携して原子力輸出を押している。使用済み核燃料の再処理について、日本はアメリカに特別扱いされているが、その結果出てくるプルトニウムを軍事転用しうるポテンシャルがあることを、周辺国への抑止力として使いたい野望も見え隠れする(そこにはリアリズムはない)。核燃サイクルはまわらないものに依然とどまっているが、これをやめるとしても、青森県や原子力立地自治体、さらに再処理を依頼してきた英仏といった国の間で問題が噴出することは目に見えている。要は、前進も後退も容易ではないのである。

しかし、真っ当な旗を掲げなければならないとすれば、キーとなるのは、やはりアメリカとの関係である。その構造を変えうるのかどうかによって、エネルギーの未来も変わる。このことは軍事戦略・軍事産業と同様のように思える。

本書は、戦前からの電力業界の変遷についてもまとめている。戦中に官主導の統制的な発電・送配電の組織構造が形成され、敗戦後GHQの意向により9の民間電力会社に再編されるわけだが(沖縄を含めれば10)、その過程において、原子力が官の権益維持のために使われた経緯があることは興味深い。中曽根の原子力予算化(1954年)や、正力松太郎によるアメリカのエージェントとしての工作は、原子力産業の起点ではなかったのである。

●参照
山岡淳一郎『インフラの呪縛』
橘川武郎『日本のエネルギー問題』
大島堅一『原発のコスト』
小野善康『エネルギー転換の経済効果』
ダニエル・ヤーギン『探求』
太田昌克『日米<核>同盟』
有馬哲夫『原発・正力・CIA』
東海第一原発の宣伝映画『原子力発電の夜明け』
福島原発の宣伝映画『黎明』、『福島の原子力』
福島原発の宣伝映画(2)『目でみる福島第一原子力発電所』
フランク・フォンヒッペル+IPFM『徹底検証・使用済み核燃料 再処理か乾式処理か』
『"核のゴミ"はどこへ~検証・使用済み核燃料~』
『活断層と原発、そして廃炉 アメリカ、ドイツ、日本の選択』
使用済み核燃料
『原発ゴミは「負の遺産」―最終処分場のゆくえ3』
『核分裂過程』、六ヶ所村関連の講演(菊川慶子、鎌田慧、鎌仲ひとみ)
鎌田慧『六ヶ所村の記録』
『伊方原発 問われる“安全神話”』
『大江健三郎 大石又七 核をめぐる対話』、新藤兼人『第五福竜丸』
山本義隆『原子・原子核・原子力』
山本義隆『福島の原発事故をめぐって』
開沼博『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』
ナオミ・クライン『This Changes Everything』
松村美香『利権鉱脈 小説ODA』