Sightsong

自縄自縛日記

藤原新也『なにも願わない手を合わせる』

2008-10-30 01:25:51 | 思想・文学

『月刊環境ビジネス』(2008年12月号)に登場した(>> リンク)。
それから『よくわかる排出権取引ビジネス 第4版』(日刊工業新聞)ができた(>> リンク)。およそ2年おきに出して4回目、もうへとへとである。少なくとも、売れている(らしい)環境ウソ本などよりは真っ当なつもりなので、環境陰謀論に肩入れする前にこちらを(笑)。

気分転換に(気分転換ばかりしているが)、藤原新也『なにも願わない手を合わせる』(文春文庫、2006年)を読む。藤原新也は、インドで人間の死体が犬に食われる写真を撮り「人間は犬に食われるほど自由だ」と言ってのけたことが有名だが、もちろんそれだけでなく、著作のひとつひとつに「藤原色」がある。文春文庫の収録作では、『藤原悪魔』『空から恥が降る』も面白かった。

『なにも・・・』では、肉親の死を契機に、四国八十八箇所巡りをしている。かといって、著者が熱心な信者であるわけでなく、何故赴くのか、何故祈るのかについて自らに問いかけながらの旅であることがユニークであり、共感をおぼえる。

何かの手段ではない。ましてやご利益を求めてでもない。ただ無心に手を合わせ、祈る。それは自分の心と向き合うことであり、後悔や罪や業にまみれた自分が自分であり続けるためだ、と言っているようにおもえる。そして死んだ人間との関係を模索している。

私も贖罪のプロセスを踏まなければならないような気がする・・・・・・。まあそれはともかく、己のことを呪われた存在だ、と微かにもおもわない人間は駄目な奴だとおもうがどうか。


ラオスの風景とミステリ コリン・コッタリル『老検死官シリ先生がゆく』

2008-10-28 01:02:20 | 東南アジア

ラオスを舞台にした珍しいミステリだというので、コリン・コッタリル『老検死官シリ先生がゆく』(ヴィレッジブックス、2008年)を手に取った。原題は『検死官の昼食』であり、表紙にあるようにメコン川沿いに腰掛けてパンやサンドイッチを齧るシーンが多く出てくる。そこで、主人公のシリ先生は、親友の政府高官とお互いに冗談を言ったり毒づいたりしながら、情報交換しているという設定である。ついこの間訪れたラオス・メコン川の都会擦れしていない風景と重ね合わせて読んだ。

メコン河畔だけではない。田舎のヴィエンチャンならではの描写が面白い。小説の設定は70年代だが、次のような冗談はいまでも通用しそうだ。何しろ、自動車のタクシーがほとんど見当たらないのだから。

「もちろんその冗談は、目下ヴィエンチャン政府が七個目の交通信号を設置するかどうか、誰がそれを操作するのか議論していることをネタにしたものだった。交通量からすれば、そのような多額の投資の理由にならないが、政府は信号が数ないというイメージが諸外国に与える印象を心配していた。交通省は全世界の首都のなかでヴィエンチャンより信号が少ないのは、ブルンジ共和国のブジェンブラだけだという報告書を受けとっていた。」

ラオスの状景のほかに読みどころはたくさんある。共産党政府の腐敗、米国の介入、ヴェトナムとの関係、先住民モン族への弾圧・差別などが、ストーリーの重要な部分を形作っていて、謎が姿を見せてくる後半などは本が手放せなくなる。飄々としたシリ先生が、夢うつつの状態で、亡くなったひとと話ができる能力をもつという設定も、非現実的で却っておもしろい。

第2作は邦訳未定だそうだが、ぜひ読みたい。


ジャズ的写真集(4) ウィリアム・クラクストン『Jazz seen』

2008-10-27 01:02:52 | アヴァンギャルド・ジャズ

つい先日、写真家ウィリアム・クラクストンが亡くなった。ドキュメンタリー映画『Jazz Seen/カメラが聴いたジャズ』(ジュリアン・ベネディクト、2001年)でもわりと最近の様子が映し出されていたが、機動的に、また音がしないようライカM6を使い、二度とこない瞬間を撮っているのだった。

この同名の写真集『Jazz seen』(TASCHEN、1999年)には、代表作かもしれない写真がいくつもおさめられている。レコードジャケットで見覚えがあるものも多い。大きくて重いため(よくこんなもの作ったな)、ページが耐えかねて取れそうになっている。その対極のポストカードブックもある。

いや本当に、無二の瞬間が散りばめられている。共演している音楽家を前後に交錯させつつターゲットを捉えたり、演奏を仰ぎみる角度が多かったりとスタイルもある。ライヴ会場、スタジオ、楽屋、路上など場所はいろいろだが、夜と都会の音楽としてのジャズが、これらの写真群にはある。そこには、音楽家への畏敬の念のようなもの、極めつけはチェット・ベイカーに対する恋のような憧れ、なんてものを感じざるを得ない。

ジャッキー・テラソンやブラッド・メルドーなど新しい音楽家の写真もあるが、圧倒的に惹かれるのは50年代や60年代の活気だ。その意味で、写真のスタイルや熱気が、時代と不可分だと(いい意味で)言っていいのだろうとおもう。


チェット・ベイカー


クリフォード・ブラウン


鳩間可奈子の新譜『太陽ぬ子 てぃだぬふぁー』

2008-10-26 00:33:50 | 沖縄

鳩間可奈子の新しいCD、『太陽ぬ子 てぃだぬふぁー』(DIG RECORDS、2008年)が出た。都内のCD店ではどうもほとんど扱っていないようなので、コザのキャンパスレコードから通販で取り寄せた。

前作の『ヨーンの道』(2001年)はかなりポップス色が強かったが、今回は民謡が真ん中にどっしり座っている。ただ、知名定男メロディーがどちらも多く、哀愁というのか、懐かしいというのか、嬉しい曲が揃っている。

声はやっぱり綺麗で伸びやかで、成熟に至っていない魅力のようなものがある。『ヨーンの道』と同様、何度も聴きたくなるのだ。定期的に鳩間可奈子の声を聴くことができる沖縄のひとが羨ましいぞ。

ところで、「鳩間口説(ぱとまくどぅきん)」は、大島保克、サンデーとのトリオで聴いた「黒島口説(くるしまくどぅち)」ととても似ているが(大島保克『島めぐり~Island Journey』、2005年)、「口説」というのは共通したものなのだろうか。

そういえば、先日から、沖縄を舞台にしたアニメ『スティッチ!』を放映しているが、いまひとつ面白くない(そもそも沖縄で見ることができないテレビ東京系)。主題歌を、BEGINと鳩間可奈子が一緒に歌っているのだが、声を作りすぎていてどうも気に入らないのだ。

●参考 知名定男芸能生活50周年のコンサート


飯田鉄『レンズ汎神論』と、『名機の肖像』のライカM型特集

2008-10-25 13:21:10 | 写真

知らない間に、『朝日新聞』(2008/9/28日曜版)と『フジサンケイビジネスアイ』(2008/10/21)に登場した(また排出権の話)。取材があってから間があるので、別人のコメントのようだ。

BSジャパンで毎週放送している『名機の肖像』、第3回はライカM型特集(>> リンク)だった。札幌からの飛行機が遅れて自宅に着いたのが深夜1時だったが、楽しみだったので、録画を観てから寝た。

浅草の「早田カメラ」店主がライカM4を分解してあれこれと説明しているのが楽しい。残念ながらこの店ではガラスケースの中を覗き込んだことしかないが(いつも大きな飼い犬が店内でのっそりしているのはいいが、常連らしき人が座って雑談しているのは、確実に売り上げを落としているはずだ)、これまでに5,000種(!)のカメラを分解修理したというだけあって、つぼをついた話しっぷりだ。何でも、ライカの中のギアは、硬いもの、普通のもの、柔らかいものなど硬さの違う素材をいくつも組み合わせていて、その結果、ギアは磨耗しないし、仮にどこかに不具合があってもその影響をギアが吸収して最低限の故障にとどまる、のだという。思わず、自分のM3とM4をクリストファー・リーヴのように透視したい気分になってくる。

番組には、写真家の飯田鉄氏が登場して、ライカの魅力について淡々と語っていた。このひとの語り口は昔から好きで、「Kさんが印画紙を自慢そうに見せて・・・」とか、「Mさんと酒を飲んだらレンズの話になって・・・」などといった、情のある感じがとても良い。『日本カメラ』の新製品レビューの製品写真もそうだが、革の鞄や木のテーブルと雰囲気たっぷりに撮るカメラの写真もいつも好きなのだ。

インタビューの間、著書『レンズ汎神論』(日本カメラ社、2002年)を開いてみせたりしていたが、ここに取り上げられるカメラやレンズはいちいち渋くて、枯れてもいる。何しろ、神はすべてのレンズに「宿り賜う」のである。タクマー、ロッコール、フジノン、コムラー、タムロン、ズイコーなど、気分は「昭和」だ。そういえば、飯田鉄氏は、かつて毎年発刊されていた『カメラこだわり読本』(2002-2003、毎日新聞)にも、「コムラーレンズ物語」という渋い文章を寄稿し、ペンタックスにコムラーレンズを装着して上野の三協光機跡地を訪ねたりしている。三協光機の後継者がアベノン光機だが、もうそれも活動を停止してしまった。

『レンズ汎神論』に登場するレンズのなかで最も使ってみたいもの、それは製品化されなかったペンタックスの「フレキシー」レンズである。単焦点レンズでありながら、それを中心としてごくわずかなズーム機構が組み込まれている。35mmであれば、画角が58度~67度と、微倍率である。焦点距離がどこなのか意識しなくなり大きいだけのズームレンズは嫌いで1本も持っていないが、これなら使ってみたいとおもわせるものがある。もちろん、高倍率のズームレンズが幅をきかせているいま、製品化など極めて難しいと思うが、ニッチな製品を作り続けているコシナあたりが作ってくれないものかと妄想する。

「撮影対象を前にして、ズームレンズに画角を選ばされるのではなく、撮影者自身の選んだ、一つの焦点距離の画角イメージ内での融通性が得られるレンズをということである。これは単焦点レンズの付加機能としては現在でも有効だと思う。コンパクトな大口径のフレキシーなど面白そうではないか。」

●参考 飯田鉄『まちの呼吸』(お茶の水画廊、2008/4/15-26)


坂手洋二『海の沸点/沖縄ミルクプラントの最后/ピカドン・キジムナー』

2008-10-22 00:26:26 | 沖縄

実はほとんど演劇を観たことがないし、戯曲もたいして読んでいない。しかし、『東京新聞』の書評欄にあったので読んでみた、坂手洋二『海の沸点/沖縄ミルクプラントの最后/ピカドン・キジムナー』(早川書房、2008年)は、演劇という空間でこそ伝えられるアウラがあることを感じさせてくれるものだった。

『海の沸点』は、実名の知花昌一氏を主人公として、日の丸焼き打ちやそれに続く平和の像破壊などを描いている。モヤモヤして鬱積したものが、<間>のようなものとともに迫ってくる。そして、「集団自決」の体験者たちの、語られなかった歴史が噴出し、交錯する。状況や事実を整理してまとめた情報では伝えきれないことが、ここでは実現しているように感じられる。

『沖縄ミルクプラントの最后』では、米軍基地の中で働くことの矛盾した気持ちが描かれる。『ピカドン・キジムナー』では、広島で被爆した後に沖縄に戻った被害者や、在日朝鮮人たちの受苦が、ややセンチメンタルに描かれる。

良い作品集だとおもう。上演があれば観たいものだ。

「タカコ 彼は言いました。刀を持っていると誰かを切りたくなる。三線を持っていると歌を歌いたくなる。刀と三線と、どちらが強いのか・・・・・・。
ショウイチ ・・・・・・ヤマトンチューは結論を急ぎすぎる。
タカコ ・・・・・・。
ショウイチ ・・・・・・しばらくそこにいてくれ。君は三線を選んだ。俺もそれに倣おう。・・・・・・君のやり方を教えていってくれ。」
(『海の沸点』より)


鎌田慧『ルポ 戦後日本 50年の現場』

2008-10-21 01:40:53 | 政治

ブックオフの200円券をもらったので、何かないかと105円コーナーを物色していたら、鎌田慧『ルポ 戦後日本 50年の現場』(講談社文庫、1995年)を見つけた。

ここには12本の短いルポが収められている。古びるどころか、沖縄「集団自決」の歴史が修正され、成田空港の農民を「ゴネ得」と発言する政治家が存在する社会にあって、重みを増しているようにおもえた。忘れてはならないことはたくさんあるのだ。

沖縄海洋博の傷跡」では、投資の多くが本土に還流することが示される。しかし、おカネが落ちるという幻想や、一時的な補助金のために、ここでも忘れられないダメージを受けた人々がいる。そしてこれは、今でも日本のあちこちで見られる光景だ。妙に金遣いが粗くなったり酒癖が悪くなったりして、生活がおかしくなるとの話も聞く。沖縄海洋博の100円玉を珍しいからという理由で持っている自分をおもわず恥じてしまう。

沖縄 集団自決の悪夢」では、現在も大江・岩波沖縄戦裁判において引用される曽野綾子『ある神話の背景』について徹底的に批判を加えている。そこには、軍隊の論理がまかり通る現在への抵抗がある。

「「愛」といいくるめ、美談にしてしまえば、もはや責任は追及されることはないと思ったのだろうか。それが「ある神話の背景」であろう。けっして繰り返してはならない惨劇を、いわば加害者としての日本軍が「愛」などとまことしやかにいえるものかどうか。」

ところで、テロとの戦いという隠れ蓑のもとで、新テロ特措法が成立しそうな状況である。戦争協力と民間人の被害をやむをえないものとする本質は何も変わっていない。ほんらい、メディアは繰り返しに対して麻痺するのではなく、これまでの蓄積を前提として報道に厚みを増していかなければならない。実際にはまったく逆であり、衆議院での再議決も「禁を破った」ものは新規性がないからそれほど騒がないのだろう。

これが「集団自決」と何の関係があるのかといえば、何やら大義や国際社会などの確信犯的な寝言で覆い隠し、見えないところでのひとりひとりの心や命を軽視する精神である。

成田空港建設一二年の暗黒」では、如何に羽田拡張案、浦安案、富里案を退けて三里塚に決められたのか、背後の利権、国家自らによる法を無視したでたらめな進め方、などがまとめられている。「呪われた空港」である。このような大きな暴力に対して、心にかけらをとどめることもなく、「ごね得」と発言した政治家がいたことは記憶し続けておかなければならないだろう。

「法的手続きに重大な誤りがあっても、それが既成事実になれば容認され、決して軌道修正されることはない。それが成田空港建設のなかで進められてきた最大の問題である。」

最近の『東京新聞』(2008/9/30)でも、鎌田氏は次のように述べている。

「自宅の屋根を擦るように飛行機が飛ぶようになって、騒音直下の公害にさらされても、畑を耕し続けているのは、決して「カネ」目当てではない。長年、丹精をこめてつくってきた「土」(有機土壌)を、いとおしいと思っているからだ。
 それを「ごね得」などと侮蔑するのは、人間の行動を、すべてカネで換算してしか考えられない悲しい性を露呈しているようで、こちらまで恥ずかしい思いにさせられる。」

三権分立が絵空事でしかないこと、国は法も人権も軽視し続けてきたことについて、著者は、「新潟水俣病裁判・その後」でも指摘している。

「「政府」と「国」と「国家」は、つねにあいまいにされ、水俣病の発生を隠し放置していた国と、治安維持のために現体制で許容されるギリギリの線で判決を下した国家とを、重ね合わせてとらえる思考に、日本人はまだまだ慣れていない。」

終わった問題などない、ということだ。

●参考 ええじゃないかドブロク


ヴィエンチャンの散歩

2008-10-19 22:12:45 | 東南アジア

ラオスの首都ヴィエンチャンはずいぶんのんびりしている。上座部仏教の寺院がそこかしこにあり、橙色の袈裟を着た僧侶もとても多い。ただ、やはり現代人だから、携帯メールを読んだり、ベンチでダベったりしていた。寺は、ワットシーサケートなど一部の有名なところを除き、夕方に門が閉じられるようなことはなかった。


ワットミーサイの門番 Leica M4、Summitar 50mmF2、TMAX400、イルフォードMG IV(サテン)、3号フィルタ


ワットミーサイの僧侶たち Leica M4、Summitar 50mmF2、TMAX400、イルフォードMG IV(サテン)、3号フィルタ


ワットミーサイの子ども Leica M4、Summitar 50mmF2、TMAX400、イルフォードMG IV(サテン)、3号フィルタ


ワットミーサイの子ども Leica M4、Summitar 50mmF2、TMAX400、イルフォードMG IV(サテン)、3号フィルタ


ワットチャンタブリーでは僧侶が話しかけてきた Leica M4、Summitar 50mmF2、TMAX400、イルフォードMG IV(サテン)、3号フィルタ


ワットハーイソーク Leica M4、Summitar 50mmF2、TMAX400、イルフォードMG IV(サテン)、3号フィルタ


ワットインペンの経典 Leica M4、Summitar 50mmF2、TMAX400、イルフォードMG IV(サテン)、3号フィルタ


ワットインペンの漆喰 Leica M4、Summitar 50mmF2、TMAX400、イルフォードMG IV(サテン)、3号フィルタ

ワットシーサケートは有料だった。シムをぐるりと取り囲む回廊には、壁龕のくぼみに置かれた小さなものも含め、7,000体近くの仏像がある。これは壮観である。


ワットシーサケートの仏 Leica M4、Summitar 50mmF2、TMAX400、GEKKO(3号)


ワットシーサケートの仏 Leica M4、Summitar 50mmF2、TMAX400、GEKKO(3号)

ラオス人から、ラオスいち旨いというフランスパンの店があると教わったので、翌朝、そのメコン川沿いの「PVO」で朝食をとった。昼は、賑わっている店「フーユーン」で麺を食べた。そうめんのような細い麺をセンレック、太い麺をセンニャイという。麺は本当に旨いのだが、生野菜がたくさん添えられて出てくる。これを麺に入れたり齧ったりして一緒に食べるのだが、青臭くてあまり旨くはない。


「PVO」のフランスパン Leica M4、Summitar 50mmF2、TMAX400、GEKKO(3号)


「フーユーン」のセンニャイ Leica M4、Summitar 50mmF2、TMAX400、GEKKO(3号)

メコン川には歩いてすぐに辿りつける。川の向こうはタイだが、実際に見えるものは中州である(ずいぶん川幅が狭いのだなと思い地図を見た)。ちょっと前に増水して危なかったとのことで、土嚢がたくさん積まれていた。川岸に近づいてみると、泥干潟はカニの泥団子でぎっしりであり嬉しくなる。


メコン川 Leica M4、Summitar 50mmF2、TMAX400、イルフォードMG IV(サテン)、3号フィルタ


メコン川 Leica M4、Summitar 50mmF2、TMAX400、イルフォードMG IV(サテン)、3号フィルタ


メコン川の泥団子 Leica M4、Summitar 50mmF2、TMAX400、イルフォードMG IV(サテン)、3号フィルタ


メコン川の釣り人 Leica M4、Summitar 50mmF2、TMAX400、イルフォードMG IV(サテン)、3号フィルタ

ヴィエンチャン中心部には映画館がなく、唯一、ちょっと離れた複合施設のようなところにあるらしい。なぜかといえば、VCDが大流行で、しかも映画館の半額で入手できるからだときいた。

最近まで上映していた映画館が廃墟になっているときき、行ってみた。中は廃墟というか、店のような倉庫のような使い方をされている。外のショーウィンドウには、昔上映したらしい映画のチラシが3枚貼ってあった。

足を踏み入れた途端、中に寝そべっていた犬がグルルルルと唸りつつ、明らかに攻撃態勢で(西村寿行的に)近づいてきた。ここで噛まれたら洒落にならない。胃がでんぐり帰るほど動転して誤魔化しながら逃げた。本当に怖かったので、戻ってから周囲に怖かった怖かったと言い続けた。


映画館跡 Leica M4、Summitar 50mmF2、TMAX400、イルフォードMG IV(サテン)、3号フィルタ


映画館跡のショーウインドウ Leica M4、Summitar 50mmF2、TMAX400、イルフォードMG IV(サテン)、3号フィルタ

ところで、お店で変なバッグを発見した。どう見ても観光客向けではない場所だが、意外に格好いいかもしれない。「手に入れよう!」が、「毛に入れよう!」に見えてしかたがない。


吊るしのバッグ Leica M4、Summitar 50mmF2、TMAX400、イルフォードMG IV(サテン)、3号フィルタ


『けーし風』2008.9 歴史を語る磁場

2008-10-19 01:58:22 | 沖縄

『けーし風』2008.9号は、「歴史を語る磁場」と題されている。

この土曜日に読者会があったが、都合が悪くて出席できなかった。前号に併せた読者会では、「18歳」特集の意義について戸惑いがあったが、関西での会でも、今号掲載の報告を読む限りでは同様の反応があったようだ。

今号の特集も、何かをまとめて考える場にはなっていないようにおもえる。巻頭言では、「歴史の特定の局面を凝視していくような構成になっていない」特集ながら、「自由に射程を広げていく議論」を期待するといったことが述べられている。しかし、そうはいっても、これを読むかもしれないひとにとって、ますます入口が狭まっている印象が拭えない。

やんばるにおける沖縄戦という視点のドキュ、『未決・沖縄戦』を製作した輿石正氏の寄稿がある。ハンセン病療養所での証言ということが、それを聴く者にとって歴史の異化となりうることが書かれているようにおもえた。これはドキュを観ていても見過ごしていたところだ。

また、ドキュには証言者として登場しないものの、<不在の証言>としての「朝鮮人慰安婦」「朝鮮人軍夫」の存在が、「沖縄戦をあらゆる鋳型にはめこんでフタをすることを許さなかった」とする点が重く残る。この点は、宮古島に立てられた日本軍「慰安婦」の祈念碑、それから韓国と読谷村に立てられた「恨之碑」についての寄稿において、さらに具体的になる。

鹿野政直氏の思想史論集が刊行されたことを期に行われた対談は、沖縄の近現代史を問い続け・捉えつづけていく過程の思考がいくつも示されている。印象的なのは、みずからの立場を明確にするための「ヤマト」という呼称に、「沖縄問題の理解者」という特権化意識が見受けられるために、さらにそのスタンスを考え続けている姿勢、ということだった。

●参考 沖縄戦に関するドキュメンタリー3本 『兵士たちの戦争』、『未決・沖縄戦』、『証言 集団自決』


『Number』の野茂特集

2008-10-18 10:35:51 | スポーツ

『Number』(文藝春秋)が、「野茂英雄のすべて。」と題した特集を組んでいる。

「永久保存版」と大上段に構えているだけあって、これまでのタブー的な領域に踏み込んだ記事が多い。具体的には、大リーグ移籍時のバッシングと、その布石となった近鉄バファローズ鈴木監督との確執だ。

バッシングについては、その後手のひらを返したような反応を見せたメディアと野球界が、如何にネガティブ・キャンペーンを張ったかが手短に検証してある。その底には、多くの日本人が大事にしてきた日本野球が傷つけられることへの過剰な反応がありそうだ。

大リーグで活動することにより「日本野球の実力を白日のもとに晒してしまうことへの恐怖」は、幸福な形で解消されている。ただ、野茂をパイオニアとして日本野球と大リーグとの障壁が小さくなったいまでは、そのメンタリティは、WBCや五輪への過剰な反応にあらわれてきている。もちろんそれは、ナショナリズムとの危ういバランスのうえに成り立っているものの、決して悪いことではない。じつは私も一喜一憂している。

立花龍司コーチ、鈴木啓二元監督、野茂の前のエース・阿波野の野茂に対する印象が同じ特集内に掲載されるのは、「あれ」から長い時間が経ったことを示すものだろう。その意味で、「井戸の蛙」タブーを皆が正視できるようになったと言うこともできそうである。

しかし、さらに問題の根っこにある、日本のプロ球団が選手を縛り続け、人権を軽視していることについては、対談の発言という形でしか示されていない。ここが、「井戸の蛙」タブーの次のタブーなのだろうとおもえる。

ところで、野茂を実際に見たのは、川崎球場でのロッテオリオンズとの試合前に外野でストレッチをしている姿だけだ。もっと見ておけばよかったと後悔する。

●参考 野茂英雄の2冊の手記


ハノイの文廟と美術館

2008-10-18 01:43:52 | 東南アジア

ハノイで午前中だけ空いたので、外で朝食のフォーを食べ、「Van Mieu」まで歩いていった。『Lonely Planet』には、「Temple of Literature」(文廟)とある。孔子や儒学者たちを祀ったところだ。入場料は5千ドンだから、30円くらいである(桁が多くて混乱する)。

中国の建築様式とどのように異なるのかわからないが、指でつまみあげて皺になったような形の瓦や、屋根の龍の装飾がユニークだ。学者たちの名前が刻まれた板は、亀の上に乗っている。その亀が、四角い池の周りにたくさんある。

北京でも孔子を祀った「孔廟」を訪れたことがある。東京の湯島聖堂も孔子を祀っている。世界にこのような場所はどのくらいあるのだろう。


文廟の屋根 Leica M4、Summitar 50mmF2、TMAX400、イルフォードMG IV(サテン)、3号フィルタ


文廟の亀 Leica M4、Summitar 50mmF2、TMAX400、イルフォードMG IV(サテン)、3号フィルタ


糠雨の文廟 Leica M4、Summitar 50mmF2、TMAX400、イルフォードMG IV(サテン)、3号フィルタ


孔子 Leica M4、Summitar 50mmF2、TMAX400、イルフォードMG IV(サテン)、3号フィルタ

そのままホーチミン廟に向かったが、工事中とのことで入ることができなかった。引き返して、文廟の隣の美術館「Vietnam National Fine Arts Museum」に入った。2万ドン(120円)。

これが思いがけず立派な美術館である。展示は3階まであり、30部屋以上観ることができる。中世の木彫りや、伝統的なシルク画が面白い。油彩は、「銃後」的なものや、サイゴン解放など、戦争を題材にしたものが多くあった。

とりわけ目を引くのは、「lacquer etching」という手法で、光沢のある板(漆塗りなのか?)をびっちりと細かく掘り込んだ作品群である。作家は何人もいたが、それぞれ掘り方のセンスに個性が見られた。


Huynh Van Thuan『Harvest Time at Vinh Kim』 Leica M4、Summitar 50mmF2、TMAX400、イルフォードMG IV(サテン)、3号フィルタ


Huynh Van Thuan『Harvest Time at Vinh Kim』(部分) Leica M4、Summitar 50mmF2、TMAX400、イルフォードMG IV(サテン)、3号フィルタ


特別展・スリランカ

2008-10-17 01:48:21 | 南アジア

このあいだ、東京国立博物館で開催している『特別展・スリランカ 輝く島の美に出会う』を観てきた。となりの建物で開催している『大琳派展』との共通券をオンラインで買っておくと、ひとり2,000円になってお得である。こちらは『大琳派展』よりも空いていてまわりやすかった(ベビーカーを押しながらなので・・・)。

アヌラーダプラ時代、ポロンナルワ時代、キャンディ時代以降それぞれについて、仏像やヒンドゥーの神像、彫刻、壁画、装飾などが多く展示してあって楽しい。興味深いのは、かつては鼻がすっと通っており面長だった仏の顔が、のちに丸顔に移り変わっていく様子だ。また、カンボジアから持ち込まれた仏像もあったが、スリランカ仏の顔に馴染んだ場でのっぺり上品なクメール仏の顔を見るのも、あらためての驚きがある。

ポロンナルワにあるワタダーゲーは、中心部の仏と周囲の柱、入口のムーンストーンなど部分的にしか残っていないのだが、そのオリジナルを想像した模型があった。これまでは原型の姿について想像することも特になかったから新鮮だ。


ワタダーゲー、ポロンナルワ、1996年 PENTAX ME Super、FA28mmF2.8、Provia100

ポロンナルワの有名な仏陀が3像並ぶガル・ヴィハーラ(映画では『巨象の道』や『チャパクァ』に出てくるし、アンリ・カルティエ・ブレッソンによる涅槃仏の足から撮った写真も印象的だった記憶がある)については、写真パネルのみがあった。驚いた。この10年の間に、屋根がつけられている。世界遺産であるから、ユネスコの予算だろうか。・・・と思って、1996年に訪れたときの写真を見たら、屋根が写っているものもあった。おそらくその後も屋根が順次拡張されているということだとおもうが、まったく覚えていないのは記憶の美化だろうね。


ガル・ヴィハーラ、ポロンナルワ、1996年 PENTAX ME Super、FA28mmF2.8、Provia100

以前に足を運んだところに関連するものが多く、また行きたくなってしまった。ガル・ヴィハーラで暑さのあまり、猫車にコーラを積んでずっと待っているひとから1本買ったところ、(当然だが)熱いコーラになっていて噴き出しそうになったことなんかを思い出すのだった。


ハノイの街

2008-10-16 01:49:45 | 東南アジア

ヴェトナム・ハノイでは、道端に腰掛けて朝食を取っている。風呂の椅子のように低くて、みんなしゃがんでいるように見える。自分もフォーを食べたが旨かった。2万ドン、120円くらいだった。

街のあちこちでネットを張ってバドミントンをしているのも面白い。カメラを向けてもお構いなし、それどころではない真剣勝負といった感が漂っていた。

雨が降ってきたので、近くにいたバイクタクシーの後ろに乗せてもらって少し移動した。ヘルメットを渡されてかぶりはしたが、彼は雨のなか果敢に走り、片手で写真を撮ったら怖くて震えてしまった。


自転車 Leica M4、Summitar 50mmF2、TMAX400、オリエンタル・ニューシーガルVC-RPII、3号フィルタ


休憩 Leica M4、Summitar 50mmF2、TMAX400、オリエンタル・ニューシーガルVC-RPII、3号フィルタ


フォー Leica M4、Summitar 50mmF2、TMAX400、オリエンタル・ニューシーガルVC-RPII、3号フィルタ


子ども Leica M4、Summitar 50mmF2、TMAX400、オリエンタル・ニューシーガルVC-RPII、3号フィルタ


鶏肉 Leica M4、Summitar 50mmF2、TMAX400、オリエンタル・ニューシーガルVC-RPII、3号フィルタ


携帯 Leica M4、Summitar 50mmF2、TMAX400、イルフォードMG IV(サテン)、3号フィルタ


バドミントン Leica M4、Summitar 50mmF2、TMAX400、イルフォードMG IV(サテン)、3号フィルタ


親子 Leica M4、Summitar 50mmF2、TMAX400、イルフォードMG IV(サテン)、3号フィルタ


落ちそうで怖い Leica M4、Summitar 50mmF2、TMAX400、イルフォードMG IV(サテン)、3号フィルタ


バイクタクシー Leica M4、Summitar 50mmF2、TMAX400、イルフォードMG IV(サテン)、3号フィルタ、周囲焼きこみ


修理 Leica M4、Summitar 50mmF2、TMAX400、イルフォードMG IV(サテン)、3号フィルタ

hano

アベノン21mm、『名機の肖像』

2008-10-14 01:28:24 | 写真

ライカマウントのアベノン21mmF2.8を買ってしまった。レンズはもちろん中古、ファインダーは新品だけど安いフォクトレンダーのもの。ファインダーの見え具合はとても良いが、ガラスが前面に出っ張っていていらぬ気を使いそうだ。この点では、ツァイスやライカの方が良いのだが、値段が違いすぎるのだ。

アベノン光機はコムラーから独立した阿部さんという方が立ち上げたのだと記憶している。コムラーも渋いがアベノンも渋い。アベノン光機は、もう生産をしていないはずだ。

BSジャパンで、この間の金曜日(2008/10/10)から、『名機の肖像』という30分番組を放送している(>> リンク)。第1回はニコンF。

いまさら見てどうなる類のものでもないが、ついつい興奮してしまう。ニコン、ライカ、ハッセル、ローライ、キヤノン、リンホフ、ミノックス、アルパとコンパス、エクトラとフジカ、オリンパス、カールツァイスというラインナップ・・・・・・ペンタックスがないじゃないか。


ヨーロッパ・ジャズの矜持『Play Your Own Thing』

2008-10-13 16:50:11 | アヴァンギャルド・ジャズ

ジュリアン・ベネディクト『Play Your Own Thing』(2007年)を観た。90分ほどのドキュメンタリーDVDだ。何ヶ月か前、円高が進んだときにAmazon.comから買っておいたのだが、ついそのままになっていた。

最初と最後は、ヤン・ガルバレクの語りが挿入されている。何百、何千という者たちが、チャーリー・パーカーのように演奏しようとしたが叶わぬ領域だった。しかし、ジャズはそれぞれが自分自身であればよいのだ、と。マリリン・マズールも、最後のほうに登場し、ジャズは自分自身を表現するものだと確信したように語っている。

そのガルバレクだが、若い頃、毎朝コルトレーンの『マイ・フェイヴァリット・シングズ』を聴いていたという。そこでガルバレクは、コルトレーンの音楽には、アフリカやインドなどの民衆音楽の要素が包含されていると気がつく。そして、フォーク音楽には共通するものがあるのだと考え、彼の音楽を形作っている。

ヨアヒム・キューンは、東ドイツにあって、レッド・ガーランドやホレス・シルヴァー、ボビー・ティモンズらハードバップのピアニストたちの演奏を手本としてピアノを弾いていた。ところがオーネット・コールマンの存在を知り、自分の演奏とは何かを思いつつ「やりたいように弾いた」ところ、米国のジャズフェスやインパルスのレコーディングの話にまで凄い勢いで世界が変わっていったのだという。キューンはその後しばらくして、オーネットとのデュオ・アルバム吹き込みにまでいたることを考えると、何だか嬉しくなってしまう。

アートのゲオルグ・バゼリッツも東ドイツ出身である(壁ができる直前に西ドイツに移住している)。バゼリッツによれば、東において芸術活動は激しく制限され、音楽もその例外ではなかったという。ここで彼は、アーティストでありかつジャズ演奏も行ったA.R.ペンクのことを語っている。ペンクも西ドイツ移住者のひとりだ。フリージャズのドキュメンタリーであるエバ・ヤーン『Rising Tones Cross』(1984年)においてペンクの絵をバックに集団即興を繰り広げるシーンがあったことが印象深いが、日本ではペンクの音楽との関わりをあまり紹介していないのではないかとおもった(1997年に世田谷美術館で開催された個展では、ペンクの演奏テープが流されていたと記憶している)。

ジュリエット・グレコは、マイルス・デイヴィスがパリに来たときの恋愛についてうっとりと語っている。ここでグレコが紹介する笑い話は、ランチに誘われ、ホテルのマイルスの部屋を訪ねたところ、マイルスは浴槽に横になってバッハを吹いていたのだというエピソードだ。米国で抑圧され差別されていたジャズメンがパリを理想的な場所ととらえたのはよく知られた話だが、グレコも、「ジャズメンはみんなパリの女性と恋をした。人種差別なんてなかった。パリの男性も、国境を越えた心からの交流をしたのだ」と言う。

ほかにも多くの嬉しい映像が散りばめられている。バド・パウエルのリラックスした演奏。ダスコ・ゴイコヴィッチディジー・ガレスピーとの共演。ベン・ウェブスターの白目を剥きながらのブロウ。クシシュトフ・コメダのトリッキーなコンポジション。ルイ・スクラヴィスはバスクラのマウスピースを外し、ネックをマイクに向けて指使いの共鳴を聴かせる。

こういったものを観たあとに聴くと、実につまらない演奏にしか感じられないものがあって困るのである。