Sightsong

自縄自縛日記

ペーター・ブロッツマン

2008-09-27 18:41:05 | アヴァンギャルド・ジャズ

今年の来日、久しぶりにペーター・ブロッツマンを聴きに行こうとおもっていたのだが、結局仕事で行けずじまいだ。マッツ・グスタフソンも共演するというので楽しみにしていたのだ。かなしんで手持ちのCDをいくつか聴いた。

わりと最近の作品かとおもってみたら10年以上前のものだったのが、アンソニー・ブラクストン(例によって多くの管楽器)、ボラ・バーグマン(ピアノ)とトリオで吹き込んだ『Eight by Three』(Mixtery、1997年)。ブロッツマン自身は、アルトサックス、テナーサックス、フルート、タロガトを吹いている。

実はあまり好きになれなかった録音だが、今回聴いてもどうもピンとこない。ブラクストンの理知的でペラペラなサックスと、野性的なブロッツマンのサックスとがただ並存しているだけで、バーグマンのピアノも隠れてしまっている。

ブロッツマンにピアノは合わないのかというとそうでもなく、マリリン・クリスペルとの相性は抜群だと感じる。ハミッド・ドレイク(ドラムス)とのトリオで吹き込んだ『Hyperion』(Music and Arts、1995年)がある。ここでは、クリスペルの前に前にと出てくる彩やかな音と主役を譲り合う姿はかなり良い。

もう何年も前に、新宿ピットインで、羽野昌ニ(ドラムス)、西野恵(和太鼓)、山内テツ(ベース)とブロッツマンが共演するライヴを観たが、打楽器のように不連続的に前面に出てくる楽器との相性はいいのかとおもった記憶がある(もっとも、その日はベースアンプの調子が悪くて、山内テツの演奏に対してあからさまに不快感を示していたが)。だから、このCDでのクリスペルのピアノも、ドレイクのドラムスも厚ぼったい油絵具のようなブロッツマンの音とフィットしているのだろう。

FMPレーベルからはブロッツマンの作品がとてもたくさん出ているはずだ。『Die Like A Dog』(FMP、1994年)は、ハミッド・ドレイク(ドラムス)、ウィリアム・パーカー(ベース)に加え、近藤等則(トランペット)を加えたカルテットで吹き込まれている。タイトルがひどいが、内容はかなり気に入っている。

副題が「アルバート・アイラーの音楽、生と死の断片」と記されていて、聞き覚えのあるアイラーのメロディーが織り込まれている。また、アイラーも演奏した「セント・ジェームス医院」が入っていることも嬉しい点だ。近藤等則は、演奏するときに浅川マキのことを思い出したりしなかったのだろうか、などと想像する。近藤とブロッツマンの共演は、渋谷UPLINKで観たことがあるが(近藤は、チベットの写真を投影しながら吹いた)、胡散臭さも含めてすばらしいパフォーマンスだった。

ブロッツマンの多彩な音が聴けるのは実はソロ演奏で、『Nothing to Say』(FMP、1996年)では、いつものこめかみに青筋を立てて吹きまくるのではなく、硬と柔をとりまぜ、非常に多くの楽器(バスサックス、バスクラリネット、クラリネット、フルート、タロガト、アルトサックス、テナーサックス)で聴き手に迫る。柔もあるので緊張感を緩めることもできる。

これはオスカー・ワイルドに捧げられている。それについてのコメントが、ディスクユニオンが頒布していた小冊子『What's New XXX』(1996/8/1)にあった。

「このタイトルは彼の仕事そのものなんだ。私は最近この言葉が気になって、絶望的になったり方向を見失ったり気が狂いそうになるんだ。というのは、もう誰もお互い、聞き合ったり理解し合ったりしなくなるのではないかと感じるからだ。」

そして、ソロはとても大変だと言う。

「まぁ私は、即興することを「ジャズ」と呼んでいるのだが、ジャズは複数が一緒に演るものだ。ソロというのはピアノ・プレイヤーや歌手のためのものだったが、他の楽器でソロを演奏するときにはものすごいエネルギー、つまり集中力がいる。グループで演るのとは全然違うよ。複数で演るのは、お互いに刺激し合って、例えば誰かがああ言ってきたらこっちはこうやって言い返して、とかそういうことだろう? でもソロは一人しかいないんだ。それでともかくも何かをやり遂げそして観客と向き合わなければならない。ハードワークだよ。」

おもい込みかもしれないが、技術に秀でた音楽家というわけではなく、そのような真摯な態度がプロセスとしてほとばしることがあるので、ブロッツマンの音楽も好きなのだろうなとおもう。

はじめてブロッツマンを聴いたのは、ヨハネス・バウアー(トロンボーン)とのデュオだった。御茶ノ水ディスクユニオンの売り場の上で、真っ赤になってソロと応酬を繰り広げた。『Eight by Three』は気に入らないと書いたが、もしこれがブラクストンとのデュオだったら中途半端なグループ演奏にならず、ソロ的な「道をつくりながら演奏する」側面もあって、よかったかもしれない。


さがり花

2008-09-26 23:59:45 | 沖縄

数日前、いつもお世話になる沖縄やんばるの宿から電話があった。「千葉県の・・・とだけ留守電に入っていたけど、あなたではないか」と。違うのだけど、夏に訪れなかったし、急にやんばるの森に行きたくなる出来事だった。

やんばるの森で見たいもののひとつは、さがり花だ。夜だけ咲いて、陽がのぼるころには花は落ちている。住んでいれば容易に見ることができるのだろうけど、今まで、朝落ちたばかりのさがり花しか見たことがない。


地面で光る白いさがり花 Leica M3、Summicron 50mmF2、Tri-X、フジブロ2号

神谷千尋「さがり花」で唄っている。

さがり花ぬ夜ヨー ひかりさりてぃひとり
夜方(ゆながた)咲ちゅる 花咲きてぃ
星ん月ん静かに

(さがり花の咲く夜にひとり、
夜の間だけ咲く花を掛ける
星も月も静かにしていて)

それにしても、神谷千尋は所属を移しても、新しいアルバムが出ないのが寂しい。何か聴きたいぞ。


「さがり花」がおさめられた『美童しまうた』

 

牛乳(2) 小寺とき『本物の牛乳は日本人に合う』

2008-09-24 23:59:30 | 食べ物飲み物

小寺とき『本物の牛乳は日本人に合う』(農文協、2008年)は、1982年に、群馬県の東毛酪農と共同で「みんなの牛乳」を開発したひとりである著者が、ノンホモ・パス乳の優位性について説いたものである。ノンホモとはホモジナイズ(均質化)していないこと、パス乳とは63℃30分などの低温殺菌を施した牛乳を意味する。

この「みんなの牛乳」は、生協を通じて取り始めてから、私にとって最高の牛乳の位置を占め続けている。なんともいえず甘く、さらさらして、じつに旨い。飲むたびに旨いと思う飲み物などそうはない。嘘ではない。


「みんなの牛乳」はすぐに無くなる

IDF(国際乳業連盟)の定義によれば、パス乳(63℃30分ないしは72℃15秒の殺菌)がスタンダードであって、日本でほとんどの牛乳が該当するUFT=超高温殺菌(120~140℃2秒の殺菌)は保存乳とされている。そして、生乳を輸入に頼っているイタリアのような国や、生乳の質が悪い昔の日本のような国を除いては、UHTを生産することは、コストや生産効率のみを重視した企業の論理なのだ、と本書は指摘する。そして、「よい牛乳がつくれるようになっても、乳業会社が楽に儲かる既得権を手放そうとせず、さらに行政が上塗りをしてつじつまを合わせてしまった」と、矛盾を指摘する対象は行政にも及ぶ。

感覚的に考えても、せっかくの生鮮食品を高温で滅菌する、などということが、たとえば野菜に対して行われるだろうか。その意味では、不祥事を解決してガワを取り替えても、大乳業メーカーはノンホモ・パス乳を依然として作ることはないのだ。

本書の後半では、UHT乳のたんぱく質などが熱変性を受けていて、味どころか栄養までも損なっているのだと指摘している。そして、乳糖を消化しきれず、牛乳を飲むと腹を壊す大人が多い現象は、ノンホモ・パス乳では起きにくいのではないか、と主張している。このあたりは、従来のネガティブな検査がノンホモ・パス乳を使っていないことの指摘と仮説の提唱にとどまってはいる。私も腹が弱いほうなのではあるが、さて、牛乳をUFTからノンホモ・パス乳に変えてどうなのかはよくわからない。冷たい牛乳を急に飲むと、水やビールよりもきっと熱容量が大きい(コロイドだから)牛乳は、腹の熱を奪う効果が大きいかもしれないから、多くのひとが牛乳を飲んで腹をこわしたというのは単に急激に冷やしたことが原因かもしれないのだ(いい加減な思いつきだが)。

丸谷才一『青い雨傘』(文藝春秋、1995年)には、「牛乳とわたし」というエッセイがおさめられている。要は、マーヴィン・ハリス『食と文化の謎』(岩波同時代ライブラリー)の紹介なのだが、やはり、ラクトーゼという乳糖を分解できない大人が如何に多いか、という話になっている。

「大人は牛乳が飲めないほうが健全なのだ。
 コペルニクス的転換である。
 すごいことになりました。
 しかし、たしかにさうかもしれないので、
 アメリカ黒人成人  75パーセント
 中国人成人     95パーセント
 日本人成人     95パーセント
 韓国人成人     95パーセント
がラクトーゼを吸収できないのださうである。タイ族、ニューギニア原住民、オーストラリア原住民などは100パーセントに近い。中央アフリカでも大人のラクトーゼ吸収者はほとんどゐない。
 そして今日、ラクトーゼ吸収者といふ異常(!)な連中は、アメリカ合衆国を別にすれば北ヨーロッパに集中してゐるんださうです。」

こんな極端な話を受け売りすることは、話のネタに過ぎないかもしれないので「話半分」のつもりかもしれないが、ちょっと馬鹿馬鹿しい。少なくとも、丸谷氏にノンホモ・パス乳の旨さだけでも伝えるひとがいてもいいだろう。きっと知らないに違いない。

ところでこの本、途中でいきなり目次と本当の頁番号が3頁もずれる。文藝春秋ともあろう会社が・・・。どうも途中のエッセイで、和田誠の挿絵と表が3枚あり、最後の校正段階でうっかりミスしてしまったのではないかと邪推する。いま私も仕事上出している排出権の本の新版をすすめていて、もうすぐ最終の校正段階だが、頁番号まではチェックしない。『青い雨傘』は初版第一刷だが、次の増刷からは改まったのだろうか。

牛乳ついでに、中平康が若い頃に撮った映画『牛乳屋フランキー』(1956年)を観た。牛乳配達の店で働くフランキー堺の話だが、どんな牛乳かはわからない。しかし、お得意様を連れて牧場ツアーに行くバスの中で「森永」という文字が見えたから、きっとUHT乳だろうね。


フランキー堺はモーレツに配達してお得意様を増やす

●参考
○牛乳(1) 低温殺菌のノンホモ牛乳と環境
沖縄のパスチャライズド牛乳


既視感のある暴力 山口県、上関町

2008-09-23 12:29:20 | 中国・四国

山口県上関町の祝島で建設計画が進められている原子力発電所のことだが、もう、ここまで暴力的な状況があからさまになっているようだ。数の上で少ない存在、マージナルな地域にいる存在、視線の届かない存在に対する暴力については、既視感がある。

街森研究所:「山口県庁大混乱;不可解な山口県の応対」(2008年9月10日)

街森研究所:「上関町役場の小部屋で多数決される重大議案」(2008年9月19日)

ここでは、合意決定のあり方、つまり民主主義のあり方についての大矛盾と亀裂を見ることができる(原子力発電の是非についてはまた別の問題)。

ブログより引用
強行突破の際、祝島住民が持参した署名用紙は県職員によって踏まれ、外袋が破れた。祝島の代表者は、「県民の意見を踏みにじるっちゅうのは、まさにこうゆうことじゃの」と皮肉った。

上のブログで取り上げられているが、情報公開条例を定めていない市町村は、都道府県・市町村をあわせて数えても0.5%、9市町村に過ぎない。その1つが上関町である。密室性を高めているこの状態は偶然ではないのではないか、と穿った見方をしてみたくもなる。(ところで、9市町村にやはり含まれる1つが、国境の島であり国防と無関係ではない与那国町ということも気になる点ではある。)

<情報公開条例を定めていない団体>
知内町(北海道)、乙部町(北海道)、利島村(東京都)御蔵島村(東京都)、 池田町(福井県)、富士河口湖町(山梨県)上関町(山口県)、与那国町(沖縄県)、北大東村(沖縄県)
(総務省、2008/8/1)
※2009/8/7時点では5自治体

●参考 眼を向けると待ち構えている写真集 『中電さん、さようなら―山口県祝島 原発とたたかう島人の記録』


健さんの海外映画

2008-09-21 21:42:05 | アート・映画

実は高倉健が好きである。というひとはきっと多い。

しかし、健さんのやくざ映画は中途半端にしか観ていない。『ブラック・レイン』(リドリー・スコット、1989年)が、はじめて大スクリーンで観た健さんなので、まあ随分偏っている。他の日本大誤解映画に比べればまだマシだが、そんなに誉められた出来でもない。ただ、この中で、健さんと松田優作の演技は迫力があった。ちょうど映画館の前に「松田優作急逝」の貼り紙がしてあって驚きながら観たので、印象も深かったに違いない。

そのあと、健さんの出る米国映画として、『ミスター・ベースボール』(フレッド・スケピシ、1992年)というのもあったが、これは映画館に行く気にはなれなかった。健さんが中日ドラゴンズの監督に扮する話だ。あとでテレビで観たがひどかった。

きょうは雨が降っていたので、思い出して『ザ・ヤクザ』(シドニー・ポラック、1974年)を観た。離婚した妻が岸恵子、相方がロバート・ミッチャム、敵の組長が岡田英次とかなりつぼを衝いてくる。「妙な日本」はあまりない。指をつめるシーンは『ブラック・レイン』にもあったが、こればかりはやめてほしい。

おもしろいのは、健さんが「義理」について「obligationか?」と訊かれるところ。これに対して、「いやburdenだ。耐え切れないほどのburdenだ」などと答えている。常に堪えているのが健さんだとはいえ、何が言いたいのかよくわからないぞ。

高揚したので、ついでに『単騎、千里を走る。』(張芸謀、2006年)も観た。中国で公開された数少ない日本映画が、健さん主演の『君よ憤怒の河を渡れ』(佐藤純彌、1976年)だったこともあり、中国での健さん人気は高い。これも、張芸謀が健さんを口説いたのだというが、『君よ・・・』も観ていたのだろうか。だとすれば、中国で息子の死を想い涙を流す健さんの姿を撮ったのは、勇気の要ることだったかもしれない。

それにしても、こんないい映画を撮る張芸謀が、なぜ北京オリンピックの開会式のような、こけおどしショーの演出などを引き受けたのだろうか。やはり引き受けざるを得ない事情があるのだろうか。

ところで、健さんのエッセイ集『あなたに褒められたくて』(1991年、集英社文庫)には、高校時代に海外への憧れから密航を企てた思い出が記されている(こんなものも読んでいる)。『ザ・ヤクザ』をはじめ、海外映画に出演したときの気持ちなんかも、どこかに書いてあれば読んでみたい。


昆虫の写真展 オトシブミやチョッキリの器用な工作、アキアカネの産卵、昆虫の北上

2008-09-21 10:07:40 | 関東

行徳の野鳥自然観察舎で、水上みさきさんによる昆虫写真のスライドショーを観た。幼少時はともかく、もう昆虫は気持ち悪い相手なので、昆虫写真にもさほど興味はなかった。今回いろいろ知らない昆虫の生態を見せてもらって吃驚。

何といっても、オトシブミ、それからチョッキリの仲間の生態が凄い。名前の通り、葉っぱをちぎって端からくるくると巻いていき、落し文を作る。その途中で産卵し、揺籃にする方法だ。これが本当に器用で笑ってしまう。中には、葉っぱのちぎり始める反対側の端にも切れ目を予め入れておき、2日間くらいで巻き終わったときに、その反対側の切れ目に糊を付けて完成させるものもいる。つまり、最初から設計図がある。

アキアカネを中心とする赤トンボの産卵もおもしろい。2匹がつながって飛び、片方が尾を田んぼの泥の中に突き刺し産卵する。水上さんによると、稲作の方法が異なってきて、稲刈り後にさほどの水が残っておらず泥に突き刺せない場合もあるそうだ。

地球温暖化によって北上してきた昆虫が、ナガサキアゲハツマグロヒョウモン(これも名前の通り豹紋がついている)。日本一小さい昆虫であるハッチョウトンボや、米櫃に居るのを発見して喜んだというコクゾウムシは可愛い。このあたりは、人間活動の影響をもろに受けている昆虫たちということになる。

カメラは、オリンパスのデジタル一眼システムを使っているということだ。相手が昆虫なので多数撮影しなければならず(あたりはずれが大きい)、デジタルにしてからコストが小さくなったと言っていた。

帰ってから調べてみるといろいろ面白いサイトがあった。

オトシブミ・チョッキリの世界
ツマグロヒョウモン
日本最小のトンボ・ハッチョウトンボ


広瀬正『ツィス』

2008-09-18 23:14:49 | 思想・文学

広瀬正『ツィス』(1971年)はずいぶん古い日本SFであるし、この作家の小説を読むのもはじめてだ。手に取ったのは、表紙の和田誠によるイラストが、面白そうだとおもわせたからに過ぎない。

軽妙でしっかりした構成の文章は読みやすい。だが、主役のひとりである物理学者が微笑を絶やさない紳士であり、いかにも古色蒼然とした「昔の小説」だなと感じながら読んでいた・・・最後の最後までは。やられたやられた。

「ツィス」は、C#をあらわす音であり、どこから来るかわからない「ツィス」音が神奈川県C市から周囲に拡がっていく。しかも、音は次第に大きくなり、ついに首都圏の全住民が集団疎開するにいたる。

この「ツィス」音の原因が何なのか、その謎解きを忘れるほどのテンポのよさで話がすすんでいく。あとから考えてみると、いつの間にか主役がシフトしていること、治安維持法を成立させるための政府の陰謀説をとなえる学生たちがいることが、最後に「やられる」伏線なのだと気がついた。

ビリー・ワイルダーの映画『情婦』(原題:検察側の証人)のように、意表をつく騙しが気持ちいい。


江戸川放水路の泥干潟

2008-09-17 23:12:52 | 環境・自然

ウルトラマンの映画を観たついでに、江戸川放水路に面した妙典公園で昼ごはんを食べ、川沿いの干潟を歩いた。

江戸川放水路は、大正時代に江戸川から東京湾へのショートカットとして掘られたものだ。当初は塩水が逆流しないよう固定堰で仕切られていたが、増水時の排水をよくするため、1957年に、現在の稼動堰と行徳橋がつくられた(市川市『発見・市川の自然』、2006年)。したがって、浦安から東京湾に注ぐ川を旧江戸川と呼ぶが、このあたりのひとたちは単に江戸川と呼んでいる。

江戸川放水路沿いでは、天気もよく、釣りをしているひとが多い。このあたりには泥干潟が残っていて、特に東西線の鉄橋より東京湾側の一部には、波消しのための杭と蛇籠が置いてあって、有明海のムツゴロウに似たトビハゼを護る仕組になっている。この「トビハゼ護岸」まで、葦原の脇の干潟を歩いてみた。

泥干潟は、見渡す限り冗談みたいにカニだらけだ。ちょっと近づくと、揃ってササッと穴に姿を隠す。特にびっしりと泥団子を作っているコメツキガニだろうか、これはほとんど近づけない。ほとんどの大きなカニは、目が潜望鏡のようになったヤマトオサガニのようだ。

しかし、肝心のトビハゼがまったく見当たらない。あっいたと思ってしばらくファインダー越しに観察していたが、正体見たり枯れ尾花、ただの枝だった。産卵期は6-8月、観察できるのは4-10月だということなのだが・・・。

ほんらい、東京湾では、この江戸川放水路と行徳野鳥観察舎のなかの新浜湖に棲息しているらしい。また、盤洲干潟の小櫃川河口の泥干潟には、条件は悪くないはずなのに棲み続けないことが謎とされている。(市川市・東邦大学東京湾生態系研究センター『干潟ウォッチングフィールドガイド』、2007年)

こんど機会があれば、放水路の東岸を歩いてみようとおもう。


びっしりの砂団子の中に潜むコメツキガニ Pentax K2DMD、M100mmF4、Venus400、ラボプリント


牡蠣の殻とフジツボ Pentax K2DMD、M100mmF4、Venus400、ラボプリント


トビハゼ護岸のなかはカニのイボイボ Pentax K2DMD、M100mmF4、Venus400、ラボプリント


ヤマトオサガニ Pentax K2DMD、M100mmF4、Venus400、ラボプリント

●参考
○三番瀬 (千葉県浦安市~市川市~船橋市)
盤洲干潟 (千葉県木更津市)
○泡瀬干潟 (沖縄県沖縄市)


アントニオ・ネグリ『未来派左翼』(下)

2008-09-17 00:58:16 | 政治

アントニオ・ネグリ『未来派左翼 グローバル民主主義の可能性をさぐる』(ラフ・バルボラ・シェルジ編、廣瀬純訳、NHK出版、2008年)は、ネグリの(実現しなかった)来日にあわせてか、上巻のみが先に出ていた。下巻を時間を置いて読んだ。

上巻で感じた違和感は、ネグリが<共>、<マルチチュード>を標榜しながらも、それらが組織化したところにしか改革の力を認めていないのではないか、ということだった。実際に、下巻でも、革新体制による上からの断行を必要なものと考えているようだ。しかし一方では、将来的な運動と形のあり方を、<ソヴィエト>(勿論、ソ連のことではない)と<インターネット>に置いている。前者が組織化だとして、後者は多様なボトムアップの力である(さまざまな読み替えも可能だろう)。<インターネット>自体が、それを利用する個と、それを媒体としたネットワークの力の両方を意味するものであろうから、前者と後者とは別々の要素ではない。

ヨーロッパを思索の中心におくネグリにとって、中国をどう捉えるかについては手を焼くテーマのように見える。ネグリによれば、1989年の天安門事件において、中国はITや認知労働といった<もうひとつの近代>ではなく、米国型の資本主義を選んだのだと解釈される。デイヴィッド・ハーヴェイ『新自由主義』でも大きく取り上げられていた、資本吸い上げ装置化している中国に関しては、一方でそれが様々な意味で管理下にあるということが大きな特徴だが、ここでネグリの言うような米国型なのかどうかについては考える余地があるだろう。

面白いのは、中国社会に浸透しているネットワークについての指摘だ。

「中国人たちによれば共産党は、「タコ」と「リゾーム」という二つの形象が重なり合ってできている。中国共産党は富を吸い上げるという意味ではタコであり、エネルギーを国中に配分するという意味ではリゾームだというわけです。
(略) 中国共産党内部での批判の自由に関して、「誰がどんな批判をしても、必ず守ってくれる人がいる」と言う人がいつもいました。この物言いは、この国が儒教的な時代遅れの専制政治の国だと告白するものでも、マフィアのような臆病者のご都合主義からくるものでもありません。ここにあるのはむしろ、中国文化の本質的な要素のひとつなのです。それは、家族関係を含めたさまざまな人間関係をそれとして認識し、客観的な目で見なければならないという考え方です。「私はいつも、私とつながりのあるあらゆる人々を代表して物を言っているのだ」。」

下巻において何度も強調されるのは、認知労働を確立することにより、人間らしい生活様式を保証させ、新たな公共空間をつくりだすことなどだ。(この実現に向けた絶えざる運動のあり方について、違和感を覚えていたわけである。)

認知労働の概念は、そう言われれば(自分も認知労働者であるから)、非常に重要なものだとおもえる。たとえば<フロー型>から<ストック型>への社会や生活の転換などという考えも、認知の確立なくしては難しいわけだ。ここでは、認知労働について、いくつかおもしろい指摘がある。

○かつての抽象化された労働のように、時間単位に分けることは不可能。
○労働する者とはつねに疲労する者のことであり、剰余価値を生産する者のことである。
○労働による価値形成は、それにともなう時間が搾取されることによってではなく、認知労働の創り出す時間が搾取されることによって行われる。
○労働は昔からイノベーションの源であり、人間活動の別称であった。すると、労働が人間の活動であり、<生>そのものであるという、認知労働から生じる条件は、特別な考えではないことになる。

ただし、こういった<生>のあり方を、どのように現実のものにしていくかについては、わかりやすい処方箋が与えられているわけではない。<共>、<マルチチュード>、<組織化>といっても抽象論に過ぎない。ここは、多様なプロセスを通じてのみ考えていくしかないということなのだろう。

「マルチチュードの行動のしかたは、権力の奪取を目指す革命的プロレタリアートのそれとは違います。マルチチュードは群蜂であって、知的な特異性たちからなるひとつの主体です。」
「ここで重要なのは、<共>を発見するということです。われわれの議論そのものもまた、このあたりで、マルチチュードについての話から<共>についての話へと方向転換し、さまざまな特異性からなる関係を<共>のなかに据えるという作業に着手しなければなりません。」

●参考 アントニオ・ネグリ『未来派左翼』(上)


ウルトラマンの新しい映画

2008-09-16 01:17:31 | アート・映画

息子と、バスに乗って『大決戦!超ウルトラ8兄弟』を観に行った。

多くの30代、40代の日本人男性にとって、ウルトラマンは特別な存在であったに違いない。『ウルトラQ』は置いておいても、『ウルトラマン』が1966年、とりあえずひと段落した『ウルトラマンレオ』が1974年、ちょっと復活した『ウルトラマン80』が1980年である。『80』を物心ついてから観たかもしれない世代も、30代になっている計算だ。

そこからウルトラシリーズは作られず、テレビシリーズでの復活は1996年の『ウルトラマンティガ』であった。このころ既に社会人となっていた自分にとっては、新作などほとんど意識外、紛い物のようにしかおもっていなかった(見てもいないのに)。改めて息子といっしょに観始めたのは、2001年の『ウルトラマンコスモス』だった。

『コスモス』は、今観てもいい意味で異色作だとおもう。怪獣と闘いはするが、最後には無害な存在にする光線を浴びせ、共生の道を選び続ける。思想的にも、ウルトラシリーズが舵を切ったのだと感じていた。しかしそのためか、次に続く『ウルトラマンネクサス』はひたすら暗い作品となり(『ウルトラセブン』が大人向けを狙って成功したのを意識したに違いない)、低迷した。原点回帰を目指した『ウルトラマンマックス』『ウルトラマンメビウス』は明るく、勧善懲悪にとどまらない良い作品だとおもう。

今回の新作映画は、メビウスが登場するものとして2作目にあたる。特徴は、とにかく古いウルトラマンたちを、主演俳優とともに登場させていることだ。2作とも、初代マン=ハヤタ、セブン=モロボシ・ダン、新マン(古いファンはジャックなどとは呼ばないのだ)=郷秀樹、エース=北斗星司、がそのまま歳をとっているのを見ると、なんだか奇妙な気分に襲われてしまう。

それだけではない。前作でもちらりとだけ出ていたが、『マン』のアキコ隊員、『セブン』のアンヌ、『新マン』のアキちゃん(元の作品では途中で亡くなる設定)、『エース』の南夕子(元の作品では途中で月に帰る設定)が、それぞれのウルトラマンと夫婦となっている。もう自分もいい歳なので怒らないが、アンヌがダンと永遠に結ばれないからこそ、哀しさが胸にこみ上げるわけなのだ。『セブン』最終回のシルエットのシーンは忘れられないし、『レオ』でもダンがアンヌと再会しながらもすれ違う話があった。・・・などと言っても、たぶん製作側も、そんなファンの気持ちくらいわかった上でそうしたのだろうな、とおもうことにする。

『タロウ』役の篠田三郎が登場しないのは、もうウルトラマン役はやりたくないからだろう、と邪推するがどうだろう。『レオ』はもともとウルトラ兄弟ではない。『80』は、『マックス』にも登場したので、いつか再登場してもいいはずだ。

それにしても後ろ向きな、とは言ってはならない。テレビでも映画でも、普段はひとりでのみ戦うのに、兄弟が集まる回があると、それだけで興奮し、お祭りのような気分になったのだ。実際に、スクリーンに兄弟が揃って立つのをみると、なぜか涙腺がゆるむ。これほど何十年も物語を受け継いでいるシリーズはそうあるまい。他には『サザエさん』と、『ドラえもん』と、『仮面ライダー』(これは、新しい作品に1号やV3なんかは出ていないのだろうな)と、『ゲゲゲの鬼太郎』と、・・・あと何かあったか。

変身シーン(片手を前に突き出して大きくなるシーン)がいまいちオリジナルに似ていないのはご愛嬌だとして、初代マンの顔が、たしか13話まで使われたラバーのマスクを再現しているのも、大人をくすぐる仕掛けだ(子どもはあれを見て、何でひとりだけ顔に皺があるのかと不思議におもうかもしれない)。

しかし、ここまでくすぐるなら、昔の手作り感を狙ってほしいものだ。複雑でスピーディな空中戦シーンなどはCGならではだが(昔のは、ウルトラマンが空中で回転すると、それにあわせて雲も回転していた)、ちょっとCG臭さが目立ちすぎている。もっとも、いまやそれをやろうとすると、きっと大変な時間と労力とオカネがかかるに違いない。

なんにしても、くすぐられすぎて、まともな判断がくだせない映画だが、ウルトラの血が流れている大人にはおすすめだ。もちろん、希望に満ちすぎるくらい満ちあふれているので、子どもにも(笑)。

●参考
『怪獣と美術』 貴重な成田亨の作品
怪獣は反体制のシンボルだった


クルドの歌手シヴァン・ペルウェル、ブリュッセル

2008-09-13 23:57:55 | 中東・アフリカ

土曜日はいつも週の疲れが出て、テレビを見たり、音楽を聴いたり、雑誌を読んだり、居眠りをしたりとグータラに過ごすことが多い(今週は、中国で移動ばかりしていたので特にクールダウンの必要がある)。今日は、久しぶりに、シヴァン・ペルウェル(Sivan Perwer)のCD『Min beriya te kiriye』(daqui、2003年)を聴いた。クルド人の歌手である。タイトルは、「I miss you」の意味で、虜囚の身にあってなお「あなた」を恋焦がれているということのようだ。

とにかく声の魅力があって、悩ましくこぶしを効かせている。クルド人としてトルコに生まれ、クルド人の抑圧された状況を唄っているため、トルコでもしばしば政治的とみなされ禁止されている。シリアやイランでは怪しいものとみなされている。そして、サダム・フセイン統治下のイラクにあっては、ペルウェルの音源を持っているだけで死罪に処せられた、とある。ペルウェルは1976年にトルコを離れ、欧州で活動している。

「Helebce」という唄では、1988年に化学爆弾の使用により5千人以上が亡くなったことを唄い、唄の前のことばの中には「ヒロシマ、ナガサキ」も引用される。

哀愁のあるメロディは、変わった音階にもよるようだ。ペルウェルが用いるオリエンタルコードは「maqams」と言って、D majorからはじまり、あがるときは、例えば 3/4 - 3/4 - 1 - 1 - 1/2 - 1 - 1 という並びとなる(他にもいろいろあるみたいだ)。つまり半音の半分の1/4音階を使っている。この場合、DとFとの間がドリアンスケールなら全音-半音となるのに対し、maqamsでは3/4 - 3/4と同間隔ということになる。

2004年の秋に仕事でブリュッセルを訪れていたとき、偶然同じ場所を旅していた私の楽器の師匠・松風さんに誘われて、シヴァン・ペルウェルのライヴを観に行った(それでこの歌手の存在を知った)。客席は前に1列パイプ椅子があるだけで、あとは立ったりしゃがんだりしていた。ペルウェルは、ヴァイオリン2本、膝の上に置く弦楽器、ダブルリードの木管楽器、大きな薄い太鼓を従えて朗々と唄った。PAを多用していたがすばらしかった。


シヴァン・ペルウェル(2004年) Leica M3、Summitar 50mmF2、スペリア1600


シヴァン・ペルウェル(2004年) Leica M3、Summitar 50mmF2、スペリア1600

その途中で、たぶんこのCDにも収録されている「Cane, Cane」(Darling, Darlingの意味)だったとおもうが、後ろで若者たちが楽しそうに踊り始めた。とおもうと、横に座っていたお婆さんが、あきらかにうずうずしはじめて、矢も盾もたまらない雰囲気で踊りの中に乱入していった。踊りというのが変わっていて、両手を下に下げたまま両横のひととつなぎ、つないだ手を上下に揺らしながら(ちょうど、ドリフのヒゲダンスの感じ)、前後に行き来していた。あれはクルド独特のものなのか何なのか、いまだにわからない。『バックドロップ・クルディスタン』という映画の予告編でそれらしきシーンが出たが(音楽はペルウェルを使っていた)、観逃してしまった。


踊るひとびと Leica M3、Summitar 50mmF2、スペリア1600

ところでブリュッセルには安いバーが沢山あって、数え切れないくらい種類が多いベルギービールも、バケツに入ったムール貝も、とても安く楽しむことができる。仕方ないとはおもうが、東京の高いベルギービールとは天と地ほどの差がある。「シメイ」などの修道会で作られてきたトラピストビール、「ベルビュー・クリーク」などの自然発酵のランビックなど非常に旨い。それだけでもブリュッセルを訪れる価値があるに違いない。もういちど訪れたいがなかなか機会がない。

ペルウェルと同じ時間に近くで演奏していたスティーヴ・コールマンは観逃したが、翌日、港町のアントワープまでセシル・テイラーを観に行った。


シメイとムール貝 Leica M3、Summitar 50mmF2、スペリア1600


バー Leica M3、Summitar 50mmF2、スペリア1600


マグリットの家 Leica M3、Summitar 50mmF2、シンビ200


ジョニー・グリフィンへのあこがれ

2008-09-12 23:59:43 | アヴァンギャルド・ジャズ

独特の外れた粘っこい音色を持つ早吹きサックス奏者、ジョニー・グリフィンが先日亡くなってから、山下洋輔がグリフィンについて書いたすばらしい文章があったとおもって探していたが、足元の『ピアニストを笑え!』(1976年)にあった。

セロニアス・モンク『ミステリオーソ』(Riverside、1958年)におけるグリフィンの演奏についての文章だ。私もグリフィンの好きなアルバムはいくつもあるが、これは外せない。サイドマンとしての参加アルバムなら、ウェス・モンゴメリー『フル・ハウス』(Riverside、1962年)と同様に愛聴している。

1970年代、山下洋輔トリオがテュービンゲンで演奏したときのこと。

「ホテルで目を覚すと、ものすごい勢いで、サックスを練習している音がする。坂田(明)にしては滑らかだ。これが、その日ジミー(・ウッド)が一緒にやるジョニー・グリフィンだった。
 ロビーで会うと、グリフィンはニコニコ笑って握手をしてくれた。十年以上前に、新宿のジャズ喫茶で、夜中に必ずモンクの「ミステリオーソ」を聴いていた時期があった。グリフィンのソロを、全部覚えるほど好きだったのだ。
 おれたちのリハーサルが終るころ、グリフィンとジミーは、山の上のお城の中庭にやってきた。広い中庭を、グリフィンはサックスを吹きながら歩き回る。ステージにいたおれは、森山に合図をして、「ミステリオーソ」の中の「レッツ・クール・ワン」を弾きだした。
 グリフィンはぎくりとして振り返り、それからぱっと顔を輝かせた。おれはグリフィンの顔を見ながら、サビ前まで弾き、やめた。続けていたら、吹いてくれたかもしれない。しかし、吹いてもらうのがこわかったのだ。」
山下洋輔『ピアニストを笑え!』(新潮文庫、1976年)より

この、あこがれを隠さない文章。

『ミステリオーソ』は、「Let's Cool One」や「Misterioso」だけでなく、「'Round Midnight」や「Nutty」(ばかばかしいの意)などいい曲がいくつも収められている。私の持っているのはOJCの廉価版CDだが音も乾いていて悪くない。


『週刊金曜日』の高田渡特集

2008-09-11 22:33:33 | ポップス

上海に戻る便が意味不明な理由で欠航になり、ぼろホテルに夕方まで軟禁され、結局その日のうちに成田に着くはずが上海に泊まる破目になった。日本を発つ前に『週刊金曜日』の高田渡特集を買いそびれていたので、仕方なく、帰りに浜松町の本屋に寄って調達した。ああよかった。

高田渡が亡くなったときに羽田空港に迎えに行った井上陽水、面と向かって批判ばかりされていたという小室等、それから佐高信の対談がおもしろい。吉祥寺「いせや」での高田渡の飲み方は、コップの日本酒を3分の1ほど「キューッて飲み」、5、10分飲まずに喋り、また3分の1。こんな具合で30分くらいでグラスが空く。中国での延々ちびちび飲みを反省させられるような格だ(笑)。

三上寛と高田渡は喧嘩ばかりして、翌朝はけろりと2人でお茶を飲んでいるという。しかし井上陽水によると、フォークの世界では、それを見て驚くようでは負けで、「読み込みが足りない」となるそうだ。下らなくてやたらと可笑しい。

高田渡がまとめたアルバム『獏』(B/C Records、1998年)は、山之口獏の詩に曲を付けたものだが、その娘・山口泉さんのインタビューでは、「第一印象」という曲に出てくる「娘」が実は自身のことではなく、山之口獏が好きになっていた女性のことだとある。「娘」の女性らしくない点をあげつらっておいて、「構うもんか」と愛情でくるむ詩である。あまりにも奇妙なので忘れられない詩だが、「娘」でないとするとまた印象が異なり、想像がひろがっていく。

魚のような眼である
肩は少し張っている
言葉づかいは半分男に似ている
歩き方が男のようだと自分でも言い出した
ところが娘よ
男であろうが構うもんか

(以下、略)

『獏』は、高田渡のほかに、渋谷毅、関島岳郎、中尾勘ニ、佐渡山豊、大島保克、嘉手苅林次、ふちがみとふなと、大工哲弘、内田勘太郎などが参加している超豪華アルバムで、何度聴いても気持ちよくしみじみとする。関島岳郎のチューバが入るサウンドもおもしろくて、「アケタの店」での高田渡と渋谷毅のデュオ・ライヴのとき、高田渡が観客席に「関島くーん」と呼び、それに対して「高田さんの楽譜はいつも持っていますから」とすぐに参加したことがあったのを思い出すのだった。

『獏』には、「告別式」が高田渡・石垣勝治版と、嘉手苅林次版の2つおさめられている。どちらかというと嘉手苅林次のじじむさい唄い方が好みだ。ついでなので、ツマのCD棚から『武蔵野タンポポ団の伝説』(Bellwood、1972年)を取り出し、若い頃の高田渡の唄も聴いてみた。山本コータローが最初にMCを喋り、ギロ(洗濯板の代用)で参加している。こういったにぎにぎしい演奏も嬉しい。

●参考
高田渡『バーボン・ストリート・ブルース』
「生活の柄」を国歌にしよう
山之口獏の石碑


チェチェンの子どもたちのまなざしと怯え ザーラ・イマーエワ『子どもの物語にあらず』

2008-09-07 22:51:48 | 北アジア・中央アジア

科学映像館が、最近、ザーラ・イマーエワによる30分のドキュメンタリー映画『子どもの物語にあらず』(2001年)を配信している。(>> リンク

この、空爆などによるジェノサイドとも言うべきチェチェンの無差別虐殺を捉えた作品は、ロシアでは報道が厳しく制限されているという。被害者の子どもたちがカメラに向かって話す状況は、嘘でありようがないからだ。

子どもたちは、全部を見たんだよ、戦争とは人を殺したり爆弾を落したりすることだよ、と言う。運がよければ助かるし悪ければ死ぬんだよ、大人は子どもがきらいなのかな、と呟いてしまうまでに追い詰められた子どもの姿を見て、何も感じない者はいまい。そして、カメラに向かって答えつつ、私の声って大きくない?見つからないよね?と怯える姿もある。淡々と感情を出さずに答えていた子どもは、死ぬってどういうこと?と問われ、それはね・・・それはね・・・とことばを失う。

かたや、軍のミッションについてのみ語るプーチン首相や、コーカサスを叩き潰すと豪語する極右ジリノフスキーや、チェチェンの少女に暴行しながら心神喪失状態にあったということになったブダーノフ大佐の勇ましい姿などが挿入される。国境をはさんでグルジア側、ほど近くにある南オセチアを巡る状況や、新テロ特措法の延長を「世界がテロと戦う」と表現して訴える日本の政治状況など、地理的な場所は異なっていても、<ダイナミクス>にのみ目を向けて、<ひと>については一顧だにしないことは全てカーボンコピーのようだ。

チェチェンを描いた映画には、セルゲイ・ボドロフ『コーカサスの虜』や、最近のニキータ・ミハルコフ『12人の怒れる男』(>> リンク)があるが、このドキュは劇映画とはまた異なる力がある。子どものまなざしの力は、牛腸茂雄の写真と共通するものでもある。


れすとらん白龍のトマト湯麺を懐かしんで。

2008-09-07 19:02:30 | 関東

昔、西新宿に「れすとらん白龍」という中華料理屋があった。看板メニューが「トマト湯麺」で、かん水を使わない白い麺、鶏で取った出汁、そしてセロリとトマトと肉団子が上にのっていた。学生時代から好きで、まだ西新宿や都庁前の駅ができる前、新宿駅から歩いてよく食べに行った。

「白龍」は、2003年、再開発ということで店じまいしてしまった。その代わり、「白龍館」という店は近くに存続し、トマト湯麺もメニューには残っているようだ。しかし、半地下にあって、呼び鈴を鳴らさなければ開けてもらえない重たいドアがあって、ライヴを聴かせるという店に様変わりしたので、気軽に行く気がしなくなって、一度店の前まで足を運んだがUターンした。

そんなわけで、5年くらいトマト湯麺を食べていないので、ふと再現してみようと思い立って、きょうの夕食に作ってみた。

スープは水炊きの成功を活かして手羽先。これにセロリの葉で風味を付けた。野菜はセロリ、人参、ピーマン、椎茸。肉団子は鶏挽肉に玉葱、卵、片栗粉。麺は打とうかと思ったが面倒なので稲庭うどん(オリジナルもかん水なしのため、腰がなくて中華麺ではなかった)。塩で味付け。

自分と家族の感想。ちょっと出汁が足りない。水炊きはもっと手羽先ともも肉を使ったし、キャベツの甘みが出ていた。といいながら、食べているうちに旨くなってきた。次回はもっと旨くできるはずである。

●参考 旨い水炊き