Sightsong

自縄自縛日記

高橋和夫『中東から世界が崩れる』

2016-08-25 07:43:35 | 中東・アフリカ

高橋和夫『中東から世界が崩れる イランの復活、サウジアラビアの変貌』(NHK出版新書、2016年)を読む。

サウジアラビア王室の世代交代とムハンマド・ビン・サルマン副皇太子の登場、イランの国際舞台への復帰、サウジとイランとの確執、トルコにとってのクルド人(国内、シリア北部、イラク北部)の位置づけなど、最新の情勢までを手際よく解説してある。

「べらんめえ調」とも思えるような歯切れのよさゆえ解りやすくはある。その一方で、サウジアラビアやその他の湾岸諸国を「国もどき」とばっさりと言い切っていることには違和感がある。歴史があり強固な国民統合があるように見えるネイションに大きな価値を置きすぎているのではないかと思えるわけである。これもイランへの肩入れによるものか。

●参照
鵜塚健『イランの野望』
桜井啓子編『イスラーム圏で働く』、岩崎葉子『「個人主義」大国イラン』
アレズ・ファクレジャハニ『一家族三世代の女性から見たイラン・イスラム共和国』
ジョン・フィルビー『サウジ・アラビア王朝史』
保坂修司『サウジアラビア』
中東の今と日本 私たちに何ができるか
酒井啓子『<中東>の考え方』
酒井啓子『イラクは食べる』


アイレット・ローズ・ゴットリーブ『Internal - External』

2016-08-24 00:18:52 | アヴァンギャルド・ジャズ

アイレット・ローズ・ゴットリーブ『Internal - External』(Genevieve Records、2004年)を聴く。

Ayelet Rose Gottlieb (vo)
Avishai Cohen (tp)
Matana Roberts (as)
Shahar Levavi (g)
Matt Mitchell (p)
Ed Schuller (b)
Bob Meyer (ds)

とは言え、マタナ・ロバーツのアルトが目当てである。このイスラエル生まれの歌手を聴くのははじめてだ。

いきなりオーネット・コールマンの「Peace」。スタンダードもミンガスも唄う。あまり深みのないポップな声であり、確かにインプロでマタナのアルトとへろへろと絡んだりして面白くはあるのだが、あまり趣味でない。もうちょっと大人になったらまた聴こう。

●参照
マタナ・ロバーツ『Coin Coin Chapter Three: River Run Thee』(2015年)
マタナ・ロバーツ『Always.』(2014年)
Sticks and Stonesの2枚、マタナ・ロバーツ『Live in London』(2002、03、11年)


ジョー・モリス+アグスティ・フェルナンデス+ネイト・ウーリー『From the Discrete to the Particular』

2016-08-23 01:16:20 | アヴァンギャルド・ジャズ

ジョー・モリス+アグスティ・フェルナンデス+ネイト・ウーリー『From the Discrete to the Particular』(Relative Pitch Records、2011年)を聴く。

Joe Morris (g)
Agusti Fernandez (p)
Nate Wooley (tp)

ここでは珍しく、ネイト・ウーリーが激しいトランペットを吹く。常に自覚的でいて、演劇的とも思えるような宙ぶらりん感のあるウーリーではない。熱をダイレクトに即興に反映し、泡立つような音も頻繁に発する。

そのウーリーとフェルナンデスとが熱いイントロを繰り広げるところに、ジョー・モリスが、おもむろに、凄まじい強度で介入してくる。シングルトーンでうねうねと弾きまくるモリスは、音のひとつひとつも鋼線のように強靭であり、何度聴いても驚いてしまう。

アグスティ・フェルナンデスのピアノも発する音圧が強く、また、表現が巧みで多彩である。プリペアドの強度はキース・ティペットにだって匹敵する。

こうみると、誰がということもなく、それぞれが主役である。肩肘のはったモリスもウーリーもいいものだ。

●ジョー・モリス
ジョー・モリス@スーパーデラックス(2015年)
ジョー・モリス+ヤスミン・アザイエズ@Arts for Art(2015年)
『Plymouth』(2014年)(モリス参加)
ジョー・モリス『solos bimhuis』(2013-14年)
ジョー・モリス w/ DKVトリオ『deep telling』(1998年)

●ネイト・ウーリー
ネイト・ウーリー+ケン・ヴァンダーマーク『East by Northwest』、『All Directions Home』(2013、15年)
ネイト・ウーリー『(Dance to) The Early Music』(2015年)
アイスピック『Amaranth』(2014年)
ネイト・ウーリー『Battle Pieces』(2014年)
ネイト・ウーリー『Seven Storey Mountain III and IV』(2011、13年)
ネイト・ウーリー+ウーゴ・アントゥネス+ジョルジュ・ケイジョ+マリオ・コスタ+クリス・コルサーノ『Purple Patio』(2012年)
ネイト・ウーリー『(Sit in) The Throne of Friendship』(2012年)
ネイト・ウーリー『(Put Your) Hands Together』(2011年)
ハリス・アイゼンスタット『Canada Day IV』(2015年)


上野英信『眉屋私記』

2016-08-22 23:23:58 | 沖縄

上野英信『眉屋私記』(海鳥社、原著1984年)を読む。

19世紀の半ば、沖縄・名護に、眉屋と呼ばれる家があった。始祖の子たちは廃藩置県ののちに山入端(やまのは)という姓を名乗り、子孫を増やしていった。ここで主に語られる人物たちは、主に始祖の曾孫の世代にあたる。

あまりにも貧しい生活であった。かれらの中には、そこからの脱出を夢見て、海外に移民として渡る者がいた。この一家だけではない。沖縄人は特にそうであった。行く先としてはブラジルやハワイがよく知られているが、最初はメキシコだった。移民会社は苦しむ者たちを甘言で釣り、炭鉱や砂糖黍畑など、生命の危険さえあり稼ぎにも何もならない場所に送り込んだ。メキシコに着く前に、それを知った者たちは列車から飛び降りてアメリカに消え、メキシコで辛苦を舐めた者は命からがら逃げだした。

まさに構造的な貧しさと、その打開策としての国策会社を使っての棄民政策があったわけである。このように、沖縄の人びとは、南米に、また南方に、台湾に、西表に移動させられ、苦労と簡単に呼ぶには憚られるほどの体験をした。残ったとしても、沖縄戦では「本土」の捨て石とされ、4分の1の命が失われた。そして現在も、「本土」が「本土」であるための手段として扱われている。

山入端のひとりは、メキシコに着いたあとにキューバへと逃亡し、そこで働いていたドイツ人と結婚した。一方で、その姉妹たちは那覇の辻に足を踏み入れて芸娼いずれかの道を選ばざるを得なかった。兄弟は支え合い、憎しみ合った。

著者の筆はひたすらに具体的、詳細で、かつ、かれらを愛おしむようだ。これは、自ら筑豊の炭鉱へと身を投じた不世出の記録作家・上野英信にしか書けない世界かもしれない。

三線が得意で芸の道に進んだ山入端マツは、沖縄本島、宮古、大阪、千葉などを転々として、東京に小さい居酒屋「鶴屋」を出した。それは現在の江東区新川、昔の霊岸島の、新霊岸橋を渡ってすぐの右側にあった(霊岸島は、最初にできた那覇航路の船着場でもあった)。いまは雑居ビルと駐車場がある一角である。その店は東京大空襲で灰燼と化し、いまは形もない。しかし、わたしも何度か飲みに行った居酒屋「くにちゃんずキッチン」が入っている進藤ビルは、当時も進藤という酒屋であり、鶴屋はその2軒隣のようだ。もはや誰も知らないのだろうが、また足を運んでみようと思っている。

●参照
上野英信『追われゆく坑夫たち』
高野秀行『移民の宴』(沖縄のブラジル移民)
松田良孝『台湾疎開 「琉球難民」の1年11カ月』(沖縄の台湾移民)
植民地文化学会・フォーラム『「在日」とは何か』(日系移民)
大島保克+オルケスタ・ボレ『今どぅ別り』 移民、棄民、基地
高嶺剛『夢幻琉球・つるヘンリー』 けだるいクロスボーダー


グンジョーガクレヨン、INCAPACITANTS、.es@スーパーデラックス

2016-08-21 09:43:08 | アヴァンギャルド・ジャズ

剛田武さんにお誘いいただき、西麻布のスーパーデラックスへ。ノイズミュージックにはほとんど縁がなかったが興味津々。

■ .es(ドットエス)

橋本孝之 (as, harmonica)
sara (p)

橋本さんはハーモニカを吹き始める。フレーズではなく、音色に偏執し、音色が次第に変質してゆく。そのことは音数が多いアルトサックスでも同様であって、情を排除したところに独自のサウンドがあった。

相手が情という共感の道がない異星人であれば、サウンドの雰囲気を創出し左右するのは、saraさんのピアノなのだった。いつどこに居るのかという美しいパッセージは、ときにパーカッションともなった。多くの聴衆は息を呑んでこのデュオの緊張感を受け止めていた。

■ INCAPACITANTS

T.美川 (electronics, vo)
コサカイフミオ (electronics, vo)

おもむろに凄まじいノイズが発せられた。ふたりの前のテーブルには多数のノイズ発生機器が置かれ、箱を両手に持って、躍るようにフィードバックを効かせ、凄まじいノイズをさらに凄まじいものにしてゆく。会場は天井知らずでヒートアップしてゆき、怪人が叫び、両手を突き上げ、昇天し、遂にはテーブルに倒れ込んだ。

いつの間にか顔が勝手に笑っていた。もろもろのものが解毒されたようですっきりしたが、耳鳴りがはじまった。

■ グンジョーガクレヨン

宮川篤 (ds)
組原正 (g/vo)
前田隆(b)
中尾勘二 (tb)
橋本孝之 (as, harmonica, 尺八)

女装した組原さんがギターを弾き何やらを歌う。凶区か狂区か、その創出はエフェクターのトラブルによって一旦は消えた。しかし全員が登場し、また異なる形で顕出してみせた。全員が基底音であり露顕音である。

宮川さんのドラムスは、ひとつながりのものではなく、その都度変わる外敵に対して形作られるものだった。そして、フロントに並んでいることが奇妙に思える橋本孝之・中尾勘二(もっとも、こんど中尾さんと共演するから観に来たという橋本英樹さんによれば、いやそれは前からなのだということである)。異形生命体たる橋本さんはサウンドに亀裂を入れ続け、トロンボーンに集中した中尾さんは時空間をマジメに歪め続けた。

Fuji X-E2、XF60mmF2.4(撮影許可をいただいたのにすぐ電池切れトホホ)

会場では、写真家の中藤毅彦さんが撮影していた(どんなものになるのだろう)。またGaiamamooさんも働き手として居て、こんどスペインにツアーに行くのだと話してくれた。

●参照
鳥の会議#4~riunione dell'uccello~@西麻布BULLET'S(2015年)(橋本孝之、コサカイフミオ参加)
橋本孝之『Colourful』、.es『Senses Complex』、sara+『Tinctura』(2013-15年)
中尾勘二@裏窓(2015年)
大島保克+オルケスタ・ボレ『今どぅ別り』 移民、棄民、基地(中尾勘二参加)
嘉手苅林次『My Sweet Home Koza』(中尾勘二参加)
船戸博史『Low Fish』(中尾勘二参加)
ふいご(中尾勘二参加)


チェス・スミス『The Bell』

2016-08-18 23:01:08 | アヴァンギャルド・ジャズ

チェス・スミス『The Bell』(ECM、2015年)を聴く。

Ches Smith (ds, vib, timpani)
Craig Taborn (p)
Mat Maneri (viola)

前にシスコ・ブラッドリーさんのレビューを翻訳しておきながら、しばらく聴かないでいた。他人のフィルターを通過した結果ばかりを感受してしまいそうだからである。しかし、確かにそこに書かれている通りだ。

チェス・スミス、クレイグ・テイボーン、マット・マネリの3人がリスペクトしあって演奏しているのはきっとそうなのだろうし、相互の距離感と緊張感も素晴らしい。この美しく組み上げられた演奏は即興なのかとも言ってみたくなるが、その問いに意味はあるまい。

静かさを基調とした関係と演奏。スミスの技はそこでも映える。テイボーンの完成度は驚くべき高さである。また、このくらいのゆったりとした速度がマネリの領域に違いない。というのも、以前にThe Stoneで観たとき、イングリッド・ラブロックらの丁々発止の呼びかけに呼応しづらそうに見えたからである。テイボーンは、そのマネリらしいマネリにときに軌道を合わせて輝かせたり、ユニゾンで倍の美しさを創出したりし、また、スミスのリズムに鮮やかな色を付けているように聴こえる。

●チェス・スミス
ティム・バーン『You've Been Watching Me』(2014年)
ティム・バーン『Shadow Man』(2013年)
チェス・スミス『International Hoohah』(2012年)

●クレイグ・テイボーン
クレイグ・テイボーン『Chants』(2013年)
クリス・ライトキャップ『Epicenter』(2013年)
クリス・ポッター『Imaginary Cities』(2013年)
『Rocket Science』(2012年)
デイヴ・ホランド『Prism』(2012年)
Farmers by Nature『Love and Ghosts』(2011年)
オッキュン・リーのTzadik盤2枚(2005、11年)
ロブ・ブラウン『Crown Trunk Root Funk』(2007年)
アイヴィン・オプスヴィーク『Overseas II』(2004年)
ティム・バーン『Electric and Acoustic Hard Cell Live』(2004年)

●マット・マネリ
イングリッド・ラブロック、メアリー・ハルヴァーソン、クリス・デイヴィス、マット・マネリ @The Stone(2014年)
ルシアン・バン『Songs From Afar』(2014年)
ジェン・シュー『Sounds and Cries of the World』(2014年)
クリス・デイヴィス『Rye Eclipse』、『Capricorn Climber』(2007、12年)


デイヴィッド・ビニー『Anacapa』

2016-08-16 23:38:58 | アヴァンギャルド・ジャズ

デイヴィッド・ビニー『Anacapa』(Criss Cross、2014年)を聴く。そのうちにと思っていたら、レコ屋の千円均一コーナーで発掘した。

David Binney (as, ts, ss, vo, synth, b)
Wayne Krantz (g)
Adam Rogers (g)
John Escreet (p, Rhodes)
Matt Brewer (b)
Obed Calvaire (ds)
Dan Weiss (ds, tabla)
Sergio Krakowski (pandeiro)
Louis Cole (vo)
Nina Geiger (vo)

実は大勢のミュージシャンたちがとっかえひっかえ登場する作品は得意ではないのだが、これは予想以上に面白い。というより傑作である。1曲ごとにさらりと工夫が凝らしてあって、聴きどころ満載なのだ。

ドラムスはアグレッシブなオベド・カルヴェールと繊細なダン・ワイスとが左右で叩いており、そのコントラストと移行するときの綾がいい。ギターもふたり。アダム・ロジャースは複雑に違いないコードで前へ前へと攻め、ウェイン・クランツはより音響的。リズムはドラムスだけでなく、『Pássaros : The Foundation Of The Island』でも激しい個性を示したセルジオ・クラコウスキが1曲でパンデイロを叩いているし、あちこちでの気持ちのいいユニゾンがリズムと同等のフェーズに併存している。また、ジョン・エスクリートのピアノは、それなしには軽いフュージョンと化してしまいそうなところに楔をさしている。

デイヴィッド・ビニーはというと、やはり燃えないサックス。ブロウ自体が燃えなくても、ヴォーカルや本人のシンセなどがあい混じるポップなサウンドの中で、複雑なラインによって、軽やかにサウンドの風景をどんどん移り変わらせてゆく。ああこれは快感。

●デイヴィッド・ビニー
ダニー・マッキャスリン『Fast Future』(2014年)
ダニー・マッキャスリン『Casting for Gravity』(2012年)


本多滋世@阿佐ヶ谷マンハッタン

2016-08-15 00:46:26 | アヴァンギャルド・ジャズ

阿佐ヶ谷のマンハッタンに足を運び、本多滋世さんのグループを観る(2016/8/14)。

Shigeyo Honda 本多滋世 (ds)
C.J.Kim (g)
Masayoshi Yoneda 米田正義 (p)
Koichi Yamazaki 山崎弘一 (b)
Fujie Nakayama 中山ふじ枝 (harmonica)

なにやら山崎弘一さんのベースから「ねじが落ちた」そうで、一旦戻って出直してくるとかで、まずは思いがけずギター、ピアノ、ドラムスのトリオになった。

ファーストセット。「Willow Weep For Me」では全員手探りしている印象があり、次の「Stella By Starlight」では、キムさんのギターのイントロからはじまり、本多さんがすべて繊細なブラッシュワークを見せた。「Green Dolphin Street」では一転して複雑なリズムを創りだし、やがてたゆたう雰囲気に活を入れるようにスティックで力強く叩いた。米田さんのピアノはそれまで他人事のようにも聴こえたが、ここで融合してきた。そしてピアノが訥々とした「Old Folks」、それまでより早めのテンポでの「Autumn Leaves」。ピアノとギターとが交錯し、ふたりとも愉しそうにみえる。本多さんのアタックもノッてきた。「Donna Lee」ではゆっくりめのユニゾン、それに米田さんがバッキングや装飾音(「Take The "A" Train」のイントロのような)を入れているうちに、山崎さんが戻ってきた。

セカンドセット。ベースが入って全体が噛み合い、動き始めた。「Strollin'」、3拍子の「Blue Bossa」に続く「Blue In Green」では、客席の中山ふじ枝さんがハーモニカで参加。次の「Mr.P.C」、そして「I've Never Been In Love Before」で、本多さんのスティックが冴えて音楽をドライヴした。

気持ちのいいギグだった。怪我の巧妙ながら、ベースが入ることでサウンドが一変する過程が面白かった。また、C.J.キムさんの職人的に巧いギターも良かった。

Fuji X-E2、XF60mmF2.4、XF35mmF1.4

●参照
本多滋世@阿佐ヶ谷天(2016年)
宮野裕司+中牟礼貞則+山崎弘一+本多滋世@小岩フルハウス(2013年)


ルシアン・バン『Songs From Afar』

2016-08-14 14:41:23 | アヴァンギャルド・ジャズ

ルシアン・バン『Songs From Afar』(Sunnyside、2014年)を聴く。

Lucian Ban (p)
Abraham Burton (ts)
John Hebert (b)
Eric McPherson (ds)
Mat Maneri (viola)
Gavril Tarmure (vo)

ルシアン・バンはルーマニア出身のピアニスト。とはいえ初耳で、サイドメンの顔ぶれに惹かれて買ってしまった。

テーマはトランシルバニア地方の心象風景的なものか。3曲では現地の歌も挿入され、ピアノもサウンドもとても静謐で美しい。それだけであれば敢えて聴くこともなかったかもしれないが、なかなか聴きどころが多い。

まずはエイブラハム・バートン。かれと同じくジャッキー・マクリーンに師事したレイモンド・マクモーリンは、兄弟子バートンのことを話すたびに「ソウル・ブラザー」だと呼び、慕っている。昔はアルトを吹いていて、わたしは、ひたすら同じ音を繰り返すスタイルが好きになれなかった。そのスタイルはテナーに持ち替えたいまでも変わらない。しかし、昨年(2015年)、ニューヨークのスモールズでかれのプレイを観たとき(ジョシュ・エヴァンス@Smalls)、それがアドリブの限界なのではなく、意図して選んでいることが実感できたのだった。そしてここでは、いつもの熱い音楽と違うサウンドにあわせて、実に細やかなフレーズを放っている。まるでグレッグ・オズビーのようでもあるのだ。

また、ジョン・エイベア、エリック・マクファーソン、マット・マネリがそれぞれに個性を発揮している。

●エイブラハム・バートン
ジョシュ・エヴァンス@Smalls(2015年)
ルイ・ヘイズ@COTTON CLUB(2015年)
ジョシュ・エヴァンス『Hope and Despair』(2014年)
ルイ・ヘイズ『Return of the Jazz Communicators』(2013年)

●ジョン・エイベア
ジョン・エイベア@The Cornelia Street Cafe(2015年)
イングリッド・ラブロック(Anti-House)『Roulette of the Cradle』
(2014年)
ジョン・エスクリート『Sound, Space and Structures』(2013年)
Book of Three 『Continuum (2012)』(2012年)

●エリック・マクファーソン
ジョン・エイベア@The Cornelia Street Cafe(2015年)
ジョシュ・エヴァンス@Smalls(2015年)
ジョシュ・エヴァンス『Hope and Despair』(2014年)

●マット・マネリ
イングリッド・ラブロック、メアリー・ハルヴァーソン、クリス・デイヴィス、マット・マネリ @The Stone(2014年)
ジェン・シュー『Sounds and Cries of the World』(2014年)
クリス・デイヴィス『Rye Eclipse』、『Capricorn Climber』(2007、12年)


ブランカート+エヴァンス+ジェンセン+ペック『The Gauntlet of Mehen』

2016-08-14 10:44:36 | アヴァンギャルド・ジャズ

ブランカート+エヴァンス+ジェンセン+ペック『The Gauntlet of Mehen』(Destiny Records、2015年)を聴く。

Louise Dam Eckardt Jensen (as, fl, vo, electronics)
Peter Evans (tp)
Dan Peck (tuba, electronics)
Tom Blancarte (b)

何だこれというジャケット。どうやら昔のRPG「ガントレット」にインスパイアされた音楽のようであり、コンセプトは、楽器を使ってファンタスティックな冒険をするというもの。よくわからないが、少なくともピーター・エヴァンスとかダン・ペックとか、ぜんぜん似ていない(笑)。どうでもいいことだが。

確かにかれらは楽器を駆使してヘンな音を放ち続け、ドラマを作る。エヴァンスの循環呼吸や泡立つような音も、これでもかと低音から一緒に持ち上げるペックのチューバとブランカートのベースは面白くもある。エレクトロニクスもヴァーチャル世界的。しかし、個人的にまったく共感できる体験がないためか、まったく気持ちが盛り上がらない(笑)。ゲーム好きの心の琴線に触れるところでもあるのかな。

●ピーター・エヴァンス
トラヴィス・ラプランテ+ピーター・エヴァンス『Secret Meeting』(2015年)
Pulverize the Sound@The Stone(2015年)
Rocket Science変形版@The Stone(2015年)
エヴァン・パーカー US Electro-Acoustic Ensemble@The Stone(2015年)
エヴァン・パーカー ElectroAcoustic Septet『Seven』(2014年)
チャン+エヴァンス+ブランカート+ウォルター『CRYPTOCRYSTALLINE』、『Pulverize the Sound』(2013、15年)
ピーター・エヴァンス『Destiation: Void』(2013年)
『Rocket Science』(2012年)
ピーター・エヴァンス『Ghosts』(2011年)
エヴァン・パーカー+オッキュン・リー+ピーター・エヴァンス『The Bleeding Edge』(2010年)
ピーター・エヴァンス『Live in Lisbon』(2009年)
ウィーゼル・ウォルター+メアリー・ハルヴァーソン+ピーター・エヴァンス『Mechanical Malfunction』(2012年)
ウィーゼル・ウォルター+メアリー・ハルヴァーソン+ピーター・エヴァンス『Electric Fruit』(2009年)
MOPDtK『Blue』(2014年)
MOPDtK『The Coimbra Concert』(2010年)
MOPDtK『Forty Fort』(2008-09年) 

●トム・ブランカート
チャン+エヴァンス+ブランカート+ウォルター『CRYPTOCRYSTALLINE』、『Pulverize the Sound』(2013、15年)
ピーター・エヴァンス『Destiation: Void』(2013年)
ピーター・エヴァンス『Ghosts』(2011年)
ピーター・エヴァンス『Live in Lisbon』(2009年)

●ダン・ペック
イングリッド・ラブロック UBATUBA@Cornelia Street Cafe(2015年)
イングリッド・ラブロック『ubatuba』(2014年)
トニー・マラビー『Scorpion Eater』、ユメール+キューン+マラビー『Full Contact』(2008、13年)
ネイト・ウーリー『(Sit in) The Throne of Friendship』(2012年)


ウェイン・エスコフェリー『Live at Firehouse 12』

2016-08-14 01:44:26 | アヴァンギャルド・ジャズ

ウェイン・エスコフェリー『Live at Firehouse 12』(Sunnyside、2013年)を聴く。

Wayne Escoffery (ts)
Rachel Z (key)
Orrin Evans (p)
Rashaan Carter (b)
Jason Brown (ds)

この盤のことを知らなかったのだが、レイチェルZとオリン・エヴァンスとがフィーチャーされていて傑作に違いないと思い入手した。聴いてみるとやはり傑作だった。

冒頭は手探りするような曲調で、エスコフェリーのテナーをレイチェルZのキーボードが包み込むような雰囲気。そして2曲目にエヴァンスが入ってくる。音数が少ないがその分一音一音が重く、とてもブルージーである。全編でレイチェルZのアレンジは宇宙的でポップ、素晴らしい。ウェイン・ショーター『High Life』(1995年)も、彼女の貢献なくしてはあれほどの傑作にならなかったに違いない。

エスコフェリーのテナーはドライでいて、音色には微妙な綾がある。ノッて吹きまくるところなんかもなかなか良い。

●参照
ウェイン・エスコフェリー『Live at Smalls』(2014年)
オリン・エヴァンス+エリック・レヴィス@新宿ピットイン(2016年)
オリン・エヴァンスのCaptain Black Big Band @Smoke(2015年)
オリン・エヴァンス『The Evolution of Oneself』(2014年)
オリン・エヴァンス『"... It Was Beauty"』(2013年)
タールベイビー『Ballad of Sam Langford』(2013年)(オリン・エヴァンス参加)


『Derek Bailey Plus One Music Ensemble』

2016-08-13 22:15:32 | アヴァンギャルド・ジャズ

『Derek Bailey Plus One Music Ensemble』(D & ED Panton Music、1973、1974年)を聴く。

Derek Bailey (g) (track 1-6)
David Panton aka One Music Ensemble (as, oboe, reed-fl, vo, p, perc, radio) (track 7-12)

デレク・ベイリーと「One Music Ensemble」ことデイヴィッド・パントンとが共演しているわけではなく、別々のソロ演奏をカップリングした盤である。かつてはレアだったもののようだが、いまは千円未満のCD-Rとして売られている。

何だか愉しそうにいろいろな楽器を駆使して遊んでいるパントンおじさんについては、よくわからないので置いておくとして(笑)。ベイリーのエレキギターによるソロは、その長い残響を利用しようとしたものか。録音が悪く音が籠っていることもあって、音切れが悪く、正直言って、まったく魅力を感じない。それとも第三の眼でも開けば面白くなるのだろうか。

これが録音されたのが1973年。たとえば、前々年に吹き込まれた『Solo Guitar Volume 1』(Incus、1971年)や、しばらく経ってからの『Solo Guitar Volume 2』(Incus、1991年)と聴き比べてみると、雲泥の差と言ってもいいほどの強度の違いがある。前者はキレが素晴らしい抽象的な印象で、ミシャ・メンゲルベルグ、ウィレム・ブロイカー、ギャビン・ブライヤーズの曲をも演奏している(特にブライヤーズの曲では、多重録音ではない形で、アコースティックギターを2本同時に弾いており、緊張して愉しい)。後者にはハーモニーもあってより親しみやすい。

 

●参照
今井和雄 デレク・ベイリーを語る@sound cafe dzumi(2015年)
デレク・ベイリー晩年のソロ映像『Live at G's Club』、『All Thumbs』(2003年)
デレク・ベイリー『Standards』(2002年)
ウィレム・ブロイカーが亡くなったので、デレク・ベイリー『Playing for Friends on 5th Street』を観る(2001年)
デレク・ベイリー+ジョン・ブッチャー+ジノ・ロベール『Scrutables』(2000年)
デレク・ベイリーvs.サンプリング音源(1996、98年)
田中泯+デレク・ベイリー『Mountain Stage』(1993年)
1988年、ベルリンのセシル・テイラー(1988年)
『Improvised Music New York 1981』(1981年)
ペーター・コヴァルトのソロ、デュオ(1981、91、98年)
デレク・ベイリー『New Sights, Old Sounds』、『Aida』(1978、80年)
ジャズ的写真集(6) 五海裕治『自由の意思』
トニー・ウィリアムスのメモ


原武史『<出雲>という思想』

2016-08-13 16:00:01 | 思想・文学

原武史『<出雲>という思想 近代日本の抹殺された神々』(講談社学術文庫、原著1996年)を読む。

日本神話における正統の最高神はアマテラス(天照大神)である。それは日本という国が、古代以降、大きな物語として構造化していった結果でもあって、弥生以降の日本において形作られてきた神話は、イザナギ・イザナミ~タカミムスヒ(・スサノオ・アマテラス)~オオクニヌシまでのものであった。記紀神話ではタカミムスヒとアマテラスとが同程度の場所を占め、やがて、タカミムスヒは忘れられていった。(溝口睦子『アマテラスの誕生』

それでは、スサノオ~オオクニヌシの系譜はどのように位置づけられてきたのか。荒ぶる神スサノオは、姉のアマテラスにも拒否され、また、息子オオクニヌシをもうける。かれは国を支配していたが、高天原からアマテラス直系のニニギノミコトが降臨してくるにあたり、国を譲り、出雲大社を与えられた。本書において追及されるのは、この「天孫降臨~国譲り」以降の位置付けである。

もとより、オオクニヌシが正式に出雲の祭神となるのは明治以降であり、それまでは出雲の神様は「大黒様」という現世的な神であった一方、室町以降、ダイコクつながりで大国主命=オオクニヌシと大黒とが同定され、江戸時代に入り、十月=神無月には全国の神様が出雲に集まるという縁結び信仰が一般化したのだという。いずれにしても、アマテラスもオオクニヌシも元は地方神なのだった。

18世紀になり、本居宣長が記紀や「出雲国風土記」を読み解き、アマテラス=「顕」、オオクニヌシ=「幽」と位置付けた。すなわち、オオクニヌシこそが「幽事」を支配するのであり、出雲の祭神のみならず、アマテラス以上の宗教的な権威を持つものとされたわけである。この思想は平田篤胤に継承され、「平田神学」として発展してゆく。

しかしながら、結果的には、文字通り「顕」の権力である明治新政府に取り入ることに成功したのは、「平田神学」の流れではなく、津和野出身者を中心とする勢力であった。これにより、国家権力を支える物語の中心はアマテラスとなる。そして、スサノオは悪しき神、オオクニヌシの役割も小さなものと化した。出口王仁三郎はスサノオとオオクニヌシを同定したが、「国体」「天皇制」と一体化した権力により大弾圧を受けたのであった(出口京太郎『巨人 出口王仁三郎』、早瀬圭一『大本襲撃』安丸良夫+菅孝行『近代日本の国家権力と天皇制』)。すなわち、敵は近代となってしまったわけである。

一方、出雲の大宮司となった千家尊福の尽力により、オオクニヌシの復権もあった。のちに埼玉県・静岡県・東京府の知事を務めるという、「幽」も「顕」も兼ねた人物である。なぜ最初に埼玉なのかということを、本書第二部「埼玉の謎」において探っている。もとより、埼玉県全域と東京都北部には、出雲~オオクニヌシ系の「氷川神社」が多い。そのもっとも大きな神社が大宮駅の近くにある。埼玉県の県庁がなぜ大宮でなく浦和になったのか、著者は、明確ではなくてもこのあたりの背景と関連付けようとしている。

いや実に面白い。伊勢や出雲を「パワースポット」として訪れる前に(行ったことがないが)、敗者の歴史としての本書、溝口睦子『アマテラスの誕生』、筑紫申真『アマテラスの誕生』、直木孝次郎『日本神話と古代国家』といった本のご一読を。もちろんそれぞれ主張は多少異なっているが、大きな国家の物語を唯一の正統とするよりは、混乱したほうが遥かにマシである。なお、白川静は、「思想は本来、敗北者のものである」と言った(『孔子伝』)。

●参照
溝口睦子『アマテラスの誕生』
「かのように」と反骨
三種の神器 好奇心と無自覚とのバランス
仏になりたがる理由
出口京太郎『巨人 出口王仁三郎』、早瀬圭一『大本襲撃』
『大本教 民衆は何を求めたのか』
安丸良夫+菅孝行『近代日本の国家権力と天皇制』
鶴見俊輔『アメノウズメ伝』
原武史『レッドアローとスターハウス』


カラテ・ウリオ・オーケストラ『Ljubljana』

2016-08-13 12:34:10 | アヴァンギャルド・ジャズ

カラテ・ウリオ・オーケストラ『Ljubljana』(clean feed、2015年)を聴く。

Carate Urio Orchestra:
Joachim Badenhorst (cl, bcl, ts)
Eirikur Orri Olaffson (tp, electronics)
Sean Caprio (ds, g, vo on track 5)
Brice Soniano (b)
Pascal Niggenkemper (b)
Frantz Loriot (viola, vo on track 7)
Nico Roig (g, vo impro on track 7)
Everyone (vo on track 1 and 5)

スロベニア・リュブリャナでのライヴ録音。なにが「カラテ」で「ウリオ」なんだろう。「空手」?「瓜男」? 7曲目「Sola ni mayagali」(空に舞い上がり?)では、ヴィオラのフランツ・ロリオが日本語の歌を披露しているから、日本と無関係でもなさそうである。

それはともかく、奇妙で面白いグループである。どの楽器も群衆の一員となり、ときにドローン的となり、動物的となり、群衆のなかで群衆に向けて音を披露していくような感覚。集団即興なのか、周到に組み上げられた曲なのか。ニコ・ロイグのギターが目立ってカッチョいい。また、ヨアヒム・バーデンホルストのクラリネットは実に巧みだ。

騒動をはさみつつ、ざわざわと群衆の音楽が積み重ねられてゆき、最後の曲「Vers la chute」では歓喜の合奏にいたる。ずっと付き合って聴いていると、少なからず感動する。なんだこれは。


アーチー・シェップ『Tomorrow Will Be Another Day』

2016-08-13 09:10:16 | アヴァンギャルド・ジャズ

アーチー・シェップ『Tomorrow Will Be Another Day』(Pao Records、2000年)を聴く。

Archie Shepp (ts, ss, vo)
Amina Claudine Myers (p, vo)
Cameron Brown (b)
Ronnie Burrage (ds, wave drum)

『NYC5』、『Live in San Francisco』、『Mama Too Tight』、『The Way Ahead』、『Attica Blues』、『Steam』など、1960~70年代に残した作品がことごとく素晴らしすぎるため、またその後バイアスがかかった日本制作盤にも参加してしまったため、シェップが突破者でなくなった40歳頃よりあとの作品は、いまひとつ評価が低い。

たぶんその後のシェップは、シェップ自身を模倣する再生産の段階に入り、いまに至る。ヨアヒム・キューンとのデュオ『WO! MAN』(2011年)とか、ヨアヒム・キューン『Voodoo Sense』(2012年)とかを聴いたら、ちょっと哀しくなってしまった。

しかし、である。シェップのテナーの音は誰にも似ていないのであり、フォロワーもシェップにはなることができなかった。すばらしく味があるブルースを吹く人だと思って聴けば、やはりいいのだ。本盤録音の前年の1999年に、赤坂で、かぶりつきの席でシェップを2回観た。涎が頭に降り注ぐような場所だった。うっとりした。そういうことである。(ベースの水橋孝さんが飛び入りで参加し、シェップが「幸せな再会だ」と言っていた記憶がある。)

ここでは、アミナ・クローディン・マイヤーズがピアノを弾き、シェップとともに歌う。ゴスペルやブルースという彼女のルーツが存分に発揮されていて、甘い歌声にもやられてしまう。シェップもそうだが、この人も再来日してほしい。

●アーチー・シェップ
ヨアヒム・キューン『Voodoo Sense』(2012年)
アーチー・シェップ+ヨアヒム・キューン『WO! MAN』(2011年)
アーチー・シェップの映像『I am Jazz ... It's My Life』(1984年)
イマジン・ザ・サウンド(1981年)
アーチー・シェップ『The Way Ahead』(1968年)
サニー・マレイのレコード(1966、69、77年)
ロヴァ・サクソフォン・カルテットとジョン・コルトレーンの『Ascension』(1965、95年)
『Jazz in Denmark』 1960年代のバド・パウエル、NYC5、ダラー・ブランド(1962、63、65年)
セシル・テイラー初期作品群(1950年代後半~60年代初頭)

●アミナ・クローディン・マイヤーズ
ヘンリー・スレッギル(8) ラップ/ヴォイス(リュウ・ソラ『Blues in the East』(1993年)にアミナ参加)
アート・アンサンブル・オブ・シカゴの映像『LUGANO 1993』(1993年)(アミナ参加)
アミナ・クローディン・マイヤーズ『Country Girl』(1986年)
アミナ・クローディン・マイヤーズ『Jumping in the Sugar Bowl』(1984年)
アミナ・クローディン・マイヤーズ『The Circle of Time』(1983年)
アミナ・クローディン・マイヤーズのベッシー・スミス集(1980年)
ヘンリー・スレッギル(7) ズォイドの新作と、X-75(『X-75 / Volume 1』(1979年)にアミナ参加)