Sightsong

自縄自縛日記

博多の「濃麻呂」と、「一風堂」のカップ麺

2012-01-30 00:00:36 | 九州

数日前に所用で博多に行ってきた・・・のはいいのだが、夜遅くホテルに着いてとりあえず近場でラーメン、翌朝仕事を済ませてすぐに帰京せねばならず、福岡空港でまたラーメン。他には何もなし、これは悲しい。

濃麻呂」(こくまろと読む)では、葱ラーメンと一口餃子を食べた。旨かったのだが、何だか随分あっさりしていて、麺は東京で食べる博多ラーメンのようにマイルドな硬さ。ちょっと肩透かしをくらったようで、替え玉は硬めにしてもらった。

余談だが、この替え玉というものを高校三年生のときまで知らず、受験勉強の講習のため山口の片田舎から福岡まで一週間出てきたとき、ラーメン屋でこれ何ですかと訊ねた記憶がある。もう二十数年前のこと、その時も餃子は一口サイズで小さいなあと驚いた。親父さんは里見幸太郎似だった。あれはどこの店だったのだろう。

翌昼の福岡空港の店は、どことは言わないが、頼んだら吃驚するくらいすぐに出てきて、しかも美観も何もない。麺は硬いの柔らかいのと論じる水準でもない。やっつけ仕事、ラーメン精神皆無である。やはり街の中がいい。


ラーメン精神皆無

東京にある博多ラーメンの嚆矢は「九州じゃんがららーめん」であったと(勝手に)思っているが、そこも麺はさほど硬くなかった。勤務先の近くにある「一風堂」も柔らかい。せめて博多で食べる麺は軟弱なこちらに喝を入れるような硬さであってほしいものである。もっとも、硬くないと言っても、「濃麻呂」のラーメンは旨かったのではあるが。

そんなわけで、コンビニに「一風堂」のカップ麺があったので、さっき食べてみた。所詮カップ麺ではあっても、いや旨い旨い。少なくともラーメン精神が入っていない空港の店などよりは旨い。

●参照
「屯ちん」のラーメンとカップ麺
なんばの、「千とせ」の、「肉吸」の、カップ


『けーし風』読者の集い(16) 新自由主義と軍事主義に抗する視点

2012-01-28 23:42:17 | 沖縄

『けーし風』第73号(2011.12、新沖縄フォーラム刊行会議)の読者会に参加した。参加者は6人。

本号の特集「新自由主義と軍事主義に抗する視点」が広すぎるテーマということもあって、話の内容もかなり散漫なものとなった。

○八重山で問題化している育鵬社の中学校教科書について、公民は存外に普通、しかし歴史は集団自決や米軍基地の記述がない(乏しい)など、確かに問題のある内容。
○太平洋や米国という視点から、ハワイと沖縄との共通項を考える記事は良かった。
○原発事故以降、沖縄の人口は短期的に6千人増えて、空き家がずいぶん無くなった。
○沖縄でとくに若年層の失業率が高いことについて、本土から来てバイトに従事している人が多いことも影響しているのではないか。
○山中に多くできたカフェは、本土からの人がやっていることが多い。
○沖縄は公務員天国であり、給料が相対的に高い。
○沖縄の観光インフラはまだ不足している。例えば、那覇からちゅら海水族館に直行できるバスがない。
○イタリア人監督による映画『誰も知らない基地のこと』が4月公開。
辺野古のアセス評価書について、埋立に使う土砂のことがやはり曖昧なままであり、指摘すべき評価書の欠陥のひとつ。ここには、辺野古ダムあたりから200万m3を採取し(地図でみると広い)、さらに残る1700m3については沖縄内外から採取すると書かれている。これは非常に大きな環境影響を及ぼす。その場合の土砂業者も恐らく特定できる。
○新アセス法(2012年4月1日に部分施行)には、「都道府県知事等が許認可権者の場合の環境大臣助言手続の新設」が含まれている。この施行前に駆け込むため、沖縄防衛局は、評価書を年内に沖縄県庁に持ち込みたかったと考えられる。つまり、このままなら、環境大臣は評価書に対して何か言うことになるかもしれない(義務ではない)。

などさまざま。

終わってから、さらに飲みながら四方山話。

●けーし風
『けーし風』2011.12 新自由主義と軍事主義に抗する視点
『けーし風』読者の集い(15) 上江田千代さん講演会
『けーし風』読者の集い(14) 放射能汚染時代に向き合う
『けーし風』読者の集い(13) 東アジアをむすぶ・つなぐ
『けーし風』読者の集い(12) 県知事選挙をふりかえる
『けーし風』2010.9 元海兵隊員の言葉から考える
『けーし風』読者の集い(11) 国連勧告をめぐって
『けーし風』読者の集い(10) 名護市民の選択、県民大会
『けーし風』読者の集い(9) 新政権下で<抵抗>を考える
『けーし風』読者の集い(8) 辺野古・環境アセスはいま
『けーし風』2009.3 オバマ政権と沖縄
『けーし風』読者の集い(7) 戦争と軍隊を問う/環境破壊とたたかう人びと、読者の集い
『けーし風』2008.9 歴史を語る磁場
『けーし風』読者の集い(6) 沖縄の18歳、<当事者>のまなざし、依存型経済
『けーし風』2008.6 沖縄の18歳に伝えたいオキナワ
『けーし風』読者の集い(5) 米兵の存在、環境破壊
『けーし風』2008.3 米兵の存在、環境破壊
『けーし風』読者の集い(4) ここからすすめる民主主義
『けーし風』2007.12 ここからすすめる民主主義、佐喜真美術館
『けーし風』読者の集い(3) 沖縄戦特集
『けーし風』2007.9 沖縄戦教育特集
『けーし風』読者の集い(2) 沖縄がつながる
『けーし風』2007.6 特集・沖縄がつながる
『けーし風』読者の集い(1) 検証・SACO 10年の沖縄
『けーし風』2007.3 特集・検証・SACO 10年の沖縄


丸山健二『ときめきに死す』と森田芳光『ときめきに死す』

2012-01-28 11:02:59 | 思想・文学

バンコクにいる間、たとえば便座に座っているときなんかに、丸山健二『ときめきに死す』(文春文庫、原著1981年)を読んでいた。丸山の作品に接するのは『千日の瑠璃』(1992年)以来だが、ずっと気になってはいた。


マナブ間部の表紙が良い

自暴自棄な生活を送っていた40間近の「私」。かつての同級生から大金で依頼され、信州の別荘である若い男の世話をすることになる。若者は、ある大物政治家の暗殺という指令を受けていた。「私」は、それをうすうすと知り、かつてなかった興奮と生き甲斐を覚える(ときめき)。遂に訪れた決行の日、若者は何故か自殺する。

これはハードボイルドである。そのため、淡々と、現象と「私」の気持ちとが、事実として積み重ねられていく。そこに理由はなく、ましてや心の通い合いなどはない。あるとしても「私」の心に浮かびあがるに過ぎない。従って、この世界は時に暴力的になる。そして、世界も自分も破滅ぎりぎりの場所にとどまらざるを得ない。それがハードボイルドであろう(と、勝手に納得する)。

先日亡くなった森田芳光の映画『ときめきに死す』(1984年)も観る。「私」が杉浦直樹、若者が沢田研二、原作にない女性が樋口可南子。暗殺対象は政治家ではなく新宗教の教祖、場所も北海道へと設定が変更されている。

この映画のあとに撮られた『それから』(1985年)でも感じたこと。上滑りな工夫が空回りしている。かつて評価されたのかもしれないが、突き抜けるほどの映画的才能ではなく、どちらかといえば感じられるのは小器用さだ。本作でも、「私」の「ときめき」はどこへやら、丸山世界がおかしな新宗教という大組織構造や若者の孤独に置きかえられており、杉浦直樹の「気を許すと何をするかわからない卑屈さ」的なキャラクターが完全にミスキャストだとしか思えない。樋口可南子は悪くないが、今観ると、80年代のトホホな雰囲気がさらに映画を古びたものにしているようで。


2012年1月、バンコク

2012-01-24 23:52:09 | 東南アジア

1ヶ月ぶりのバンコク。朝早く、チャオプラヤ川にかかるタークシン橋の近くを歩いた。ハネウェルペンタックスSP500に、この間、中野のフジヤカメラジャンク館で3600円くらいで入手したSMCタクマー28mmF3.5を付けて。

ついでに、ワット・ヤンナワーという寺院も覗いてみた。船型の仏塔があった。


コニカとコダック


お粥屋


往来


路地、仕事


路地


路地の女性


串焼



水道


ワット・ヤンナワー、船型の仏塔


ワット・ヤンナワー


信号待ちの僧侶


ピース

※すべてHoneywell Pentax SP500、SMC Takumar 28mmF3.5、FUJI PRO 400で撮影

参照
2011年12月、バンコク
末廣昭『タイ 中進国の模索』
ククリット邸
バンコクのThavibuギャラリー
バンコクの「めまい」というバー
泰緬鉄道
チャートリーチャルーム・ユコン『象つかい』


ペンタックスMXとMEのミニ

2012-01-24 00:09:20 | 写真

オリンパスOMのデジタル版を出すという噂があるが(>> リンク)、かたや、かつてOMに対抗した小型一眼レフMEMXを出したペンタックスから、さらに小型のMEデジとMXデジが発売された。MEデジは元祖の3分の2程度、MXデジは元祖の3分の1程度のサイズであり、あのペンタックスQよりも小さい。


ペンタックスMEミニ


ペンタックスMXミニ


ペンタックスMEミニ、MXミニ、Q

というのは嘘。

MEの方は当時米国で販促用に作られたベルトバックル(レンズにはちゃんとシリアル番号や「PENTAX-M 1:1.4 50mm」との刻印がある)、MXの方はタカラトミーの「ガチャガチャ」である。なおペンタックスQも持っているわけではなく、販促用の原寸大のパンフである。

それにしても、MXは冗談みたいによく出来ている。がっちりとした剛性感が再現されているし、何よりも、バヨネットマウントとなっており、40mmF2.8のパンケーキレンズを取り外すことができるのである。

これでブラックとシルバーが揃った。


ホットシューに取り付け可能



レンズ取り外し可能


ジャッキー・チェン+チャン・リー『1911』、丁蔭楠『孫文』

2012-01-22 21:19:54 | 中国・台湾

バンコクからの帰国便で、ジャッキー・チェン+チャン・リー『1911』(2011年)を観る。タイトル通り、ほぼ辛亥革命の1911年を中心に描いた映画である。気がついたら日本公開が終わっていた作品だった。

個人用の小さい画面のため、字幕以外のキャプションをほとんど読みとることができず、隔靴掻痒の印象があった。映画冒頭において処刑される革命軍女性も、たぶん秋瑾なんだろうなと予想するしかない始末。

それはともかく、代表的な人物の描き方が平板に過ぎてあまりにもつまらない。孫文が革命政府への支援を求めてヨーロッパの銀行家たちを前に演説をぶつシーンなどは格好良すぎるし、袁世凱はいかにも粗暴で卑劣(それでも、紫禁城で西太后に対し、フランス革命でギロチン刑に処せられたルイ16世たちの話をネタに退位を迫るシーンは面白い)。黄興役のジャッキー・チェンが映画の総監督を務めたからといって、なぜ見え見えのカンフー格闘シーンなどを入れるのか。まあ、観に行かなくてよかったか。

それに比べれば、丁蔭楠『孫文』(原題は中国で一般的な『孫中山』)(1986年)のほうが遥かに出来が良い。以前にVHSで入手していたものを観た。

何よりも、ここには、辛亥革命前、そして袁世凱に実権を握られてからも、絶えることなく南からの武装蜂起を繰り返した革命山師としての孫文の姿が描かれている。また、革命後、宋教仁の暗殺や黄興の病死などによる革命メンバーの消滅、汪兆銘の日和見的な様子、孫文に共産党の李大釗が接近する様子、レーニンとの接近など、さまざまな運命が散りばめられている。1911年だけでは偏ってしまうことは最初から見えているのである。もっとも、その一方、中国共産党の支援のもと斯くのごとく歴史が描かれた意味も考えなければならない。

面白いといえば、革命前、孫文が日本において宮崎滔天頭山満らのアジア主義者(その中には犬養毅も入っている)に支援されたことも、やや無批判に描かれていることもある。もちろんそうなのだが、日中戦争前までを描くのであれば、この理想が、アジア侵略というヴィジョンにシフトしていった様にも触れなければアンバランスだろう。

参照
菊池秀明『ラストエンペラーと近代中国』 
尾崎秀樹『評伝 山中峯太郎 夢いまだ成らず』
大島渚『アジアの曙』
入江曜子『溥儀』
ベルナルド・ベルトルッチ『ラストエンペラー』


『藤田省三セレクション』

2012-01-22 11:48:55 | 政治

バンコク行きの機内で、『藤田省三セレクション』(平凡社、2010年)を読む。

藤田省三は、丸山眞男の弟子筋に位置づけられる思想家である。最近では、徐京植が、「根こぎ」という言葉など、全体主義批判としての藤田の文章を取り上げている。本書は、彼の1950年代から晩年の90年代までの膨大な論考から、いくつもの興味深い文章を集めたものである(ほとんどは、みすず書房版の全10巻の著作集を底本にしている)。ひとつひとつの文章が刺戟的で面白い。

「天皇制国家の支配原理 序章」(本編含め、最近、みすず書房から新装版が出された)では、「天皇制国家」ではなく「天皇制社会」の独特な特質を説く。それによれば、日本が近代国家を構築せんとするにあたって、天皇制は、国家システムの形として採用されたばかりではなく、意図的に、法や規則や論理を疎外するものとして位置づけられていた。端から制度ではなかった、のである。法ではなく、人格として、心情として、原理として、すべてのミクロコスモスに浸透させた結果、何が生まれたか。決定は遍く論理ではなく解釈と調整によりなされ、その決定者はどこにも姿を見せない社会である。それが、生活秩序にも官僚機構にも見られる大小無数の天皇制社会であるとする。

「かくして官僚機構の縦の階層性が、客観的規則によってではなく人格的・直接的に構成されるや、機構内部の系統的セクションは必然にクリーク(clique 徒党)と化し、それらの間の相互関係は、絶対的倫理的意思の独占をめぐって深刻な抗争を展開する。」

「理論人の形成―転向論前史」も面白い。ここでは、日本共産党の活動史において多く見られた「転向」なるものの正体を、少し距離を置いて眺めようとする。獄中で転向した面々も、ソ連共産党に否定された福本和夫の「福本イズム」も、ヴィジョンと現実との乖離をどのように自己の中で処理するかの違いにすぎない。

「「プロレタリア民主主義」の原型」では、レーニンの苛烈な論理構造と言動を賛美する。あるいは、レーニンという個人の枠を超えた歴史においては、その理想が現実化されないことは当然であると言っているようだ。

「維新の精神」では、明治維新をもたらしたものを考えている。維新を維新たらしめたのは、国家単位での動きではなく、無数の論議と無数の横行の連結であった。トップダウンのメカニズムではなく、国家なるものへの問いを含めた、ぎりぎりの条件下での結果であったのだ、とする。そうしてみれば、まるで政権交代を「維新」であるかのように喧伝し、何年も経たないうちに実はヴィジョンなどなかったのだという馬脚をあらわす現代の政治家にこそ当てはまる指摘なのではなかろうか。

「従って、今日の日本で「現実主義」というイズムを売り物にする多くの知名人は、この「政治的リアリズムの精神的基礎」をさっぱり御存知ないために、かえってしばしば政治的リアリズムを喪失している。リアリズムのない「現実主義」という滑稽な姿は勿論維新の精神とは無縁である。」

「松陰の精神史的意味に関する一考察」では、吉田松陰が如何にヴィジョンの人ではなく行動の人であったかを描く。理論によるリードではなく、矛盾だらけであったとしても、行動によって多くのフォロワーをリードし、そして罰された人物ということである。何だか、先ごろ評伝を読んだ徳田球一のことを思い出してしまった。

1985年に書かれた「「安楽」への全体主義」においては、発展後の現代社会にあって、全体主義へのヴェクトルがそこかしこに見え隠れすることの恐ろしさを指摘している。かつての国家権力による、気にいらぬものの排除と地ならしではない。視線は、私たちの内部に向けられている。いやむしろ、「天皇制国家の支配原理」において説いているように、端からファシズムは「みんなのもの」であったということか。

「・・・不快の源そのものの一斉全面除去(根こぎ)を願う心の動きは、一つ一つ相貌と程度を異にする個別的な苦痛や不愉快に対してその場合その場合に応じてしっかりと対決しようとするのではなくて、逆にその対面の機会そのものを無くして了おうとするものである。そのためにこそ、不快という生物的反応を喚び起こす元の物そのものを全て一掃しようとする。そこには、不愉快な事態との相互交渉が無いばかりか、そういう事態と関係のある物や自然現象を根こそぎ消滅させたいという欲求がある。恐るべき身勝手な野蛮と言わねばならないであろう。」

●参照
徐京植のフクシマ(藤田省三の「安楽全体主義」に言及)
尹健次『民族幻想の蹉跌』(藤田省三の天皇制国家論に言及)


ドミニク・デュヴァル セシル・テイラーとの『The Last Dance』、ジミー・ハルペリンとの『Monk Dreams』

2012-01-14 11:32:50 | アヴァンギャルド・ジャズ

心身ともに疲労困憊しているときの劇薬はセシル・テイラーであり、通勤時間に聴くとひたすらに高揚する。ここ数日間のそれは、ドミニク・デュヴァルとのデュオ2枚組、『The Last Dance』(Cadence、2003年録音)である。

セシル・テイラーのピアノはぎらぎらと煌めく結晶の集合体、それも自己増殖と滅却を繰り返す怪物のようであり、時にその音で涙腺が緩む。この長いコンサートでは、動悸動悸するほどにドラマチックな展開をみせる。その中で、ドミニク・デュヴァルのベースは、フレーズも、弦の張りも、ノリも、驚くほど柔軟なのである。テイラーという巨匠を前に、がっぷりと組みあうというより、結晶体の間隙を縫ってタップダンスのような軽やかな音を繰り出してくる。テイラーと共演したベーシスト、例えばウィリアム・パーカーやバリー・ガイといった剛の者に比べれば、デュヴァルは明らかに柔の者だ。これは快感である。

デュヴァルの盤で最近よく聴いているのが、ジミー・ハルペリンとのデュオによるセロニアス・モンク曲集、『Monk Dreams』(NoBusiness、2005年録音)である。実はハルペリンというテナーサックス奏者のプレイをこの録音で初めて聴いた。レニー・トリスターノやサル・モスカに支持し、ウォーン・マーシュに連なる系譜のプレイヤーのようで、それは、トリスターノやリー・コニッツのような組み立て方というよりも、マーシュのような音色に感じることができる。サブトーンが気持ち良い。

特に、2テイクが収録されている「Brilliant Corners」。モンクのオリジナル演奏はあまりにもモンク世界ゆえ敢えて言うこともないが、改めて、ヘンなコンポジションだ。ハルペリンのソロに続き、デュヴァルが入ってくるとビートに乗った演奏となる。この落差がたまらない。


ジャケットは最低


『田原総一朗の遺言2012』

2012-01-13 00:10:00 | アート・映画

田原総一朗の目を覆いたくなるほどの硬直化と右傾化に愕然としている今日この頃。一方、何気なく録って観た深夜番組『田原総一朗の遺言2012』(テレビ東京、2012/1/3深夜)が面白かった。ここで紹介された過去のドキュは2本。さすが、凄いものを撮っていたのだな。

『私は現在を歌う ~藤圭子 6月の風景』(1970年)では、インタビュアー・武田美由紀が、やけにフランクに19歳当時の藤圭子に迫っている。その奔放なインタビュアーは、ドキュメンタリー映画作家・原一男の妻になる人であり、そして、別れてのち、映画『極私的エロス 恋歌1974』では、沖縄で黒人との間にできた子どもの自力出産シーンを原一男に撮らせた人でもある(原の新たな妻とともに製作)。どうかしている。実際に、ゲストに原が登場、水道橋博士に変態じゃないかと言われるも、いやそうじゃない、「家族帝国主義」の解体だったのだと応じる。

『永田洋子 その愛 その革命 その・・・』(1973年)では、連合赤軍事件で逮捕された永田洋子と、ウーマンリブ運動の田中美津との往復書簡をネタに、滅茶苦茶なドキュを作る。何と、田中が手紙を朗読している最中、時間切れだと言って打ち切るのである。ゲストには、漫画『レッド』を描いている山本直樹、連合赤軍事件でやはりリンチに関与した植垣康博が登場する。総括の渦中にあった当事者だけに、その言葉には何とも言えない怖ろしさがある。

それぞれ抜粋であり、新たに発売されるDVDのプロモーション用の番組であるから、これだけでは満足できない。非常に面白そうなラインナップで困っている。三上寛の映像だけでも欲しい。いや鈴木いずみも観たい。

○『田原総一朗の遺言 ~タブーに挑んだ50年!未来への対話~』
○『私は現在を歌う ~藤圭子6月の風景』(1970年)、『直撃・小田実』(1973年)
○『総括!知る権利 ~連合赤軍から機密漏えい事件まで~』(1972年)
○『永田洋子 その愛 その革命 その・・・』(1973年)
○『あるピンク女優作家の肉体による共同幻想論』(1970年)(鈴木いずみ)
○『学生右翼? ~11.12私は羽田にいた』(1970年)
○『ドギつく生きよう宣言 ~もう一人の永山則夫・三上寛~』(1970年)、『田中角栄を総括する!!』(2011年)

●参照
黒木和雄『原子力戦争』
朝まで生テレビ「国民に"国を守る義務"が有るのか!?」


牧港篤三『沖縄自身との対話/徳田球一伝』

2012-01-11 01:13:08 | 沖縄

牧港篤三『沖縄自身との対話/徳田球一伝』(沖縄タイムス、1980年)を読む。それというのも、大島渚『儀式』において、主人公が共産党に入ったおじさんの話し方を「あれは、徳球の真似だということだった」と表現し、また、沖縄県名護市の「ひんぷんガジュマル」の横に生誕記念碑のある、その徳田球一について多少なりとも知りたかったからだ。

著者は、沖縄タイムス創立の参加メンバーであり、また、『鉄の暴風』執筆にも関わっている。本書前半(「沖縄自身との対話」)は、そのように沖縄での報道の中心にあった著者の時事コラムだが、常に中庸に身を置く言い回しがどうにも馴染めない。

後半が「徳田球一伝」である。一読して驚くことに、ここには徳田の思想が奇妙と言っていいほど描かれていない(中江兆民幸徳秋水を愛読して社会主義に目覚め、また、米国を解放者として評価したことなどは記されているが)。浅い評伝なのか、それともそのような存在であったのか。著者のメッセージは、明らかに後者である。例えば、徳田は、「すい星のごとく出現して、すい星のごとく没落した」と言われる福本和夫の理論を当初は支持し、モスクワでの酷評後には態度を急変させている。これを、思想的な欠陥として見るのではなく、「天衣無縫」とする。

むしろ本書で強調されている点は、徳田の行動力と意志の強さである。田中義一政権下での治安維持法による社会主義者・共産主義者の一斉検挙「三・一五事件」(1928年)において逮捕され、敗戦までの18年間、獄中で半生を過ごすことになる。この、「転向」しないことを最大の美徳とみなす考え方の評価についてはともかく、確かに、尋常ならぬことだ。何しろ、そのうち網走に7年間収監され、そこの囚人は1年間に4分の1が死んでいったという。寺島儀蔵『長い旅の記録―わがラーゲリの20年』にも匹敵する凄絶さだ。

「鼻など、しょっちゅう揉んでいないと腐ってしまう。夜は、つんつるてんの作業衣を寝巻きに着変えて寝る。着変えのまえには、かならず、張った氷を砕いて、全身を冷水摩擦をする。それを怠ると、たちまち風邪にやられ、肺炎をおこすからだ。」

革命家、社会運動家としての徳田球一を、思想によってではなく、時代とセットでの運動体として視るべきなのだろうか。


山本迪夫『血を吸う薔薇』

2012-01-09 04:44:41 | アート・映画

山本迪夫『血を吸う薔薇』(1974年)を観る。

先日中野に足を運んだ際、立ち寄った店に千円で置いてあり(しかもくじ引きで300円引き)、即確保したものだが、案の定、画質が汚くVHSか何かからのダビング品だった。もう二十数年前にテレビで観て以来で、記憶を確かめるためにもまた観たいと思っていた程度だから、良しとする。

山村の女学校に赴任する新任教師が黒沢年男。学長=吸血鬼が岸田森。同僚が田中邦衛。刑事が伊藤雄之助。日本の吸血鬼映画のはしりだが、いや~、しょうもない。岸田森が登場するたびに笑ってしまうが、このとき、何とまだ35歳くらいである。冗談のように老けている。小幡貴一・小幡友貴『不死蝶 岸田森』(ワイズ出版、2000年)という本が出たとき、発売日に待ちきれなくて三省堂書店に駆け付けたところまだ見当たらず、店員に訊ねると「えっ?あの『怪奇大作戦』の?」という嬉しい返事。この怪優のイメージは、人によっては『怪奇大作戦』、人によっては『帰ってきたウルトラマン』、人によってはATGの実相寺昭雄、なのだろうが、この映画が脳裏に焼き付いている人も多いに違いない。


森島守人『陰謀・暗殺・軍刀』

2012-01-08 19:50:36 | 中国・台湾

森島守人『陰謀・暗殺・軍刀 ― 一外交官の回想 ―』(岩波新書、1950年)を読む。

著者は、外務省に入省後、1928年から39年まで中国と満洲において外交官を務めた人物である。まさに、関東軍による張作霖爆殺事件(1928年)、満洲事変(1931年)、満洲国建国(1932年)、盧溝橋事件(1937年)と、日本による中国侵略が加速した時期にあたる。一方日本国内では、若槻内閣での幣原外交が弱腰であると批判され、タカ派の田中内閣が発足(1927年)していた。そして、濱口、犬養といった都合の悪い首相は、軍や右翼のテロルによって排除された。そのような時代であった。

しかし、著者の回想によれば、実際には権力も単純な一枚岩ではなかったのだとわかる。関東軍の独走は、日本政府はもとより、必ずしも陸軍の意向を汲んだものではなかった。一方で、著者を含む領事は、その独走をなんとかとどめようとしていた。関東軍はブレーキをかけようとする日本領事館に対し、ほとんど銃剣をもって恫喝するような局面もあったようだ。

勿論ブレーキと言っても、それは、やり方の問題であり、いかに外交を通じて穏当に問題を解決しようとも、版図の拡大意図があったことに違いはない。経済的には、大豆の売却のみならず(張作霖がその利益により東北地方を支配していた)、製鉄、石油等への傾斜生産が日本にとって重要であった(小林英夫『<満洲>の歴史』に詳しい:>> リンク)。

本書によってさまざまな経緯を追っていくと、満洲事変などの重大事件が結果に過ぎなかったのだという印象を強く持つ。著者は、何度も「れば、たら」を挙げているのである。

○吉田茂(外交官時代)の構想のように、日本の資金援助によって張作霖を立てていれば、満洲事変を回避できたのではないか。
○逆に、状況次第では、張作霖爆殺事件のとき、あるいはその前に、満洲事変が起きていたのではないか。
大川周明張学良を扇動し(!)、張学良が政敵の楊宇霆を暗殺することがなかったなら、日本の外交が急激に過激化することはなかったのではないか。
○外務省が関東軍の独走をまともに把握していたら、関東軍を牽制しえたのではないか。
○盧溝橋事件の直後に日本政府が派兵しなければ、日中戦争に発展することはなかったのではないか。

そればかりではない。大隈内閣時代、袁世凱による帝政復活(1915年)の際にも、政府の承認のもと、満洲各地で「馬賊」を蜂起させ、満洲独立を実現させる計画があったのだという。まさに、歴史はどのように動くかわからない。

本書には、平頂山事件(1932年)(>> リンク)についての記述もある。本多勝一が『中国の旅』において指摘するより20年以上も前である。

「新聞掲載を禁止していたため公にはならなかったが、昭和七年の十月撫順でも目にあまる滿人婦女子の大虐殺事件があった。撫順警察から炭鑛の苦力が職場を棄てて集團的に引き揚げている、徒歩で線路づたいに華北へ向っているとの報告に接したので、眞相を取調べると、同地守備隊の一大尉が、匪賊を匿うたとの廉で、の婦女子を集めて機關銃で掃射鏖殺したとのことであった。」

●参照
菊池秀明『ラストエンペラーと近代中国』
入江曜子『溥儀』
ベルナルド・ベルトルッチ『ラストエンペラー』
田中絹代『流転の王妃』、『ラストエンペラーの妻 婉容』
小林英夫『<満洲>の歴史』
満州の妖怪どもが悪夢のあと 島田俊彦『関東軍』、小林英夫『満鉄調査部』
林真理子『RURIKO』
四方田犬彦・晏妮編『ポスト満洲映画論』
平頂山事件とは何だったのか
小林英夫『日中戦争』
盧溝橋
『チビ丸の北支従軍 支那事変』 プロパガンダ戦争アニメ


山崎ナオコーラ『人のセックスを笑うな』と井口奈己『人のセックスを笑うな』

2012-01-08 12:32:50 | 思想・文学

山崎ナオコーラ『人のセックスを笑うな』(河出文庫、原著2004年)を読む。気分転換程度のつもりだったが、存外にいい小説だった。

19歳の男と39歳の女との恋愛物語。ここでは、悦びも哀しみも、嬉しさも寂しさも、同じ地平で、自らのものとして大切にされる。己の中の権力によって何かが捨象されることはない。物語の人物たちにとって、セックスも、足の裏の皮も、同じように存在している。

そのうち観ようと映画を録ってあった(井口奈己『人のセックスを笑うな』、2008年)。

独白的な小説、たとえば伊坂幸太郎『重力ピエロ』が、森淳一による映画ではまるで魅力を失っていることがあった。独白を単に独白の台詞として抽出し、さらに登場人物の語り方だけによって雰囲気を創りだそうとする、安易な方法による失敗だった。

この映画は、そんなものとは違い、自律的な物語をつくりあげている。アンビエントな録音も良い。唯一残念な点は、途中で挿入されるピアノ曲の使い方だった。観る者を同じ時空間に放置する勇気がないわけである。主演の松山ケンイチは、トラン・アン・ユン『ノルウェイの森』と同様、雰囲気のある演技だった。今年の大河ドラマ『平清盛』も観ようかな。

●参照
伊坂幸太郎『重力ピエロ』と森淳一『重力ピエロ』
『ノルウェイの森』


北井一夫『Walking with Leica 3』、『遍路宿』

2012-01-08 01:39:09 | 写真

中野のギャラリー冬青に足を運び、北井一夫写真展『Walking with Leica 3』を観る。

前回同様、「引きこもり」ものと風景である。風景であっても、例えばビルの工事現場の外幕から顔を出す樹木の葉叢の「顔」を変えて3点。「引きこもり」も、ライカレンズと入れ歯を組み合わせたり、本棚の文庫本の前に即席で蝋燭を立てたりして、それぞれ3点セットにしている。3という数字はともかく、まるで床の間で正座をして、角が微妙に合うように、とん、とん、と箱を積み上げているような感覚は、相当に奇妙である。静かなる反骨の人、その眼がもはや余裕を持って座っている。奇妙どころか過激なのだ。

プリントはこれまでに増して柔らかいように感じたが、合わせて出された同名の写真集では、オリジナルプリントよりもややコントラストが強い。ギャラリーにおられた冬青社の社長によれば、『1』『2』との差をつける意味もあったのだ、という。

北井さんに訊ねると、今回の写真群のうち、「引きこもり」ものはヴィゾ用のエルマー65mm、風景はほとんどエルマー50mmF3.5を使っており、フィルムはすべてT-MAX100、印画紙はクロアチア製のバライタ紙だそうだ。コダック破産申請の件、「さっき聞いて驚いた」とのこと、たださほど心配していない様子だった。さもありなん、である。

折角なので、最近古本を入手した『アサヒカメラ』誌1976年6月号をお見せした。ここに、北井さんが木村伊兵衛賞(第1回)を受賞した記念として、『遍路宿』と題されたカラー作品群が掲載されている。四国八十八箇所巡りのお遍路さんたちを撮影したものである。ライカM4ズミルックス35mmF1.4と50mmF1.4キヤノン25mmF3.5に加え、珍しいことに、ライツミノルタCLロッコールの40mmF2が使われており、フィルムはエクタクロームとハイスピードエクタクロームとある。室内もあって暗いため、増感のきかないコダクロームよりもエクタ(ISO64と200)を使ったのだ、との言。

微妙な間合いや滲みなど相変わらず素晴らしいのだが、やはり、これまで写真集には収録していないという。ところが、冬青社と組んで、2014年にでもこの作品群を再プリントし、写真展を開く計画もあるという吃驚する話。これは期待しなければならない。

●参照 北井一夫
『ドイツ表現派1920年代の旅』
『境川の人々』
『フナバシストーリー』
『Walking with Leica』、『英雄伝説アントニオ猪木』
『Walking with Leica 2』
『1973 中国』
『西班牙の夜』
『新世界物語』
『湯治場』
中里和人展「風景ノ境界 1983-2010」+北井一夫
豊里友行『沖縄1999-2010』


鈴木邦男『竹中労』

2012-01-07 00:05:14 | 思想・文学

鈴木邦男『竹中労 左右を越境するアナーキスト』(河出ブックス、2011年)を読む。昨年末に出た本だが、数日前、そうとは知らず書店で見つけて驚愕した。なぜ新右翼の論客・鈴木邦男が、正反対に立っていそうな男の評伝を書くのか。もっとも、1997年に『僕が右翼になった理由、私が左翼になったワケ』(和多田進との共著、晩聲社)を面白く読んだ記憶があり、ガチガチのイデオロギーを持つ人ではないことは知っていた。それにしても、である。

本書を読むと、それは何も著者だけのことではないとわかる。竹中労自身が、反権力、反体制、社会変革の理想を追う中で、敢えて右と左を衝突させ、その過程から大きな動きを生み出そうとしていたアジテーター、オーガナイザーであった。むしろ著者は竹中に大きな衝撃を受け、影響されていくのである。野村秋介との同志的な連帯さえもあったという。

それだけではない。カダフィ大佐がまだ独裁者に堕す前の80年代、リビアを拠点とする革命に期待して頻繁に訪れ、日本赤軍や「よど号」グループとの接点を持っている。そこでの大会に、重信房子を引っ張り出そうとしたり、野村秋介を連れてこようとしたり、もう滅茶苦茶である。傍目にはアナーキー極まるヴィジョンだが、そこには理想があった。

私にとっての竹中労は、『琉球共和国』『断章 大杉栄』を書いた人物だった。本書を読むと、竹中が活動のなかでしばしば言及していた、里見岸雄という人物(国柱会を創った田中智学の息子)のことや、羽仁五郎についても知りたくなる。