Sightsong

自縄自縛日記

ゴードン・マッタ=クラーク展@東京都近代美術館

2018-07-30 00:25:35 | 北米

東京都近代美術館で、ゴードン・マッタ=クラークの回顧展。

かれは1978年に35歳で亡くなっており、その活動期間は短かった。70年代に使えるメディアや手段をもって、70年代の都市のマージナルな部分を揺さぶった人だと言える。

いまとなってはその表現手段は素朴で隙間だらけに見えなくもない。だが、そのゆるやかさが、都市のスクエアな壁構造に風穴を開けた。人を威圧するような四角いビルの壁が切断され、穴が開けられると、それが精密なものでないからこそ、広く何でも生きてゆける空間へと開かれたものになったのだという感覚がある。粉がふきそうなくらい古いビルの切断面を見せられて、そこから40年以上経っていても、解放感を覚えるのはわたしだけではないに違いない。

テーマは建物ばかりではなかった。たとえば、食というものもあった。それらはどのように技術が進歩しようとも個々の身体に影響する。そのマージンにゆるやかに入っていき、「プロジェクト」を立ち上げる精神は、なお現代的なものだと感じた。

※写真は撮影自由。このような過去の呪縛から自由になった展覧会がもっと増えてほしい。


山田實写真展『きよら生まり島―おきなわ』@ニコンプラザ新宿

2018-07-29 11:30:06 | 沖縄

ニコンプラザ新宿にて、昨年(2017年)に亡くなった山田實さんの写真展『きよら生まり島―おきなわ』。

どの写真も素晴らしいことは観る前からわかっているし、実際に観ても、歴史的な一コマが絶妙に切り取られていて感銘を受ける。

山田實という写真家は、(まさにニコンを通じて)オーソライズされた沖縄の写真界を代表する存在であったし、「本土」の写真家を受け入れる窓口的な人でもあった。であるから、たとえば、「水汲みの姉妹」(那覇市安里、1958年)に「軍用地」と書かれた看板が写っていたり、「水浴び」(奥武島、1966年)で少女が使う容器がコカ・コーラの大きな缶であったり、「おとなしく待つ」(豊見城、1966年)において農作業に連れてこられた幼児が「EXPORT STANDARD」と書かれた木箱に入れられていたりと、当時の沖縄の歴史的・社会的な位置づけを「説明」するような写真が少なくない。また構図などについても、ああうまい、というシニカルな見方も可能ではある。

しかしそのような表層的な視線など無化してしまうほどの力がある。「バスを待つ」(南風原、1962年)なんてじわじわくる良さがある。来てよかった。(なお、写真撮影もSNSも自由である。)

会場には垂涎モノのニコンSPが展示されている。ペイントがかなり剥げていて、フェティシズムを激しく喚起する。欲しい。

「バスを待つ」(南風原、1962年)

ニコンSP+35mmF1.8

●山田實
『山田實が見た戦後沖縄』
仲里効『眼は巡歴する』
コザ暴動プロジェクト in 東京


野添憲治『開拓農民の記録』

2018-07-29 09:39:18 | 政治

野添憲治『開拓農民の記録 日本農業史の光と影』(現代教養文庫、原著1976年)を読む。

日本の「開拓政策」とは、社会的弱者を手段として使い潰す「棄民政策」に他ならなかった。本書にぎっしりと収められている事例を読んでいくとそう考えざるを得ない。

それは近代以降ばかりではない。江戸幕府による開拓(武蔵野など)には、コメの増産のほかに江戸に集まってくる浮浪者の処分という意味もあった。明治に入ってからは、その処分の対象が、国策によって仕事を失った士族となった。その政策が成功したかどうかは見方による。船橋の小金牧(いまの船橋市の二和や三咲あたり)では、明治~大正に移住してきたうちの1割程度しか土着していない。しかし、入植者の想いや苦労はともかく、土地は開拓されて残った。

政府軍に抵抗した会津藩の者は下北半島に、また仙台藩の者は北海道に集団移住した。新政府のかれらに対する保護は当然冷淡なものであり、移住先の土地も農業に適していないことが多かったという。それも、「国有未開拓地処分法」のもと特定の重臣・華族・豪商に無償で払い下げた広大な土地に小作人として追いやった(敗戦後の農地改革ではじめて壁が消えた)。

台湾、樺太、朝鮮、満州などへの植民地開拓は明治末期から進められていたが、第一次世界大戦後のインフレ、米騒動、関東大震災による恐慌などにより在村での生活が不可能となった人たちが、さらに流民となってそれらの地に向かった。北海道(松前)もまたそうであった。それもうまくはいかなかった。士族でなくても農業経験のない者が、いきなり知らぬ場所に赴き、しかも農業には不適な土地をあてがわれて、成功するわけはない。だがその本質は、救済や保障などではなく、難民を取り除くことによる社会不安対策、それと農業増産政策であった。これは昭和に入って本格化する満州や内地の開拓にも共通していた。

犠牲になったのは社会的弱者たる開拓民ばかりではない。満州では現地の中国人から土地を奪い、不便を強いて、権力構造を作り上げた(たとえば、澤地久枝『14歳 満州開拓村からの帰還』)。そのために抗日運動が激化し、開拓者たちも危険にさらされた。そして敗戦により、ソ連軍から命からがら逃げて帰国し、こんどは国内での開拓に身を投じざるを得なくなる。たとえば、鎌田慧『六ヶ所村の記録』では、そのようにして六ヶ所村に二度目の開拓に入ってきた人たちの歴史を追っている。また本書では触れられていないが、成田・三里塚もそのような地であった。罹災者、失業者、復員軍人、引揚者をどのように扱うかという政策である。

では内地でうまく事が解決したのかと言えば、そうではなかった。戦後の経済政策・農業政策の転換によって、たとえば、それまで開拓中心であったはずが農地の改善に方針が変えられ、道路もろくにできないケースがあった。あるいは、三里塚ではいきなり空港を作るから立ち去るようにとの酷い決定をくだされた。また、やはり本書では言及されていないが、石炭の採掘をやめるというエネルギー政策の転換によって、1960年前後から多数の炭鉱労働者が離職せざるを得なくなった。かれらの多くがまた中南米などを目指すことになる(上野英信『出ニッポン記』)。中には、満州、内地、中南米と流れていった人もいる。すなわち、明らかに、国策上の処理による「棄民」ということだ。

「開拓」という文字は、1974年の一般農政への移行によって消えた。しかし、いまも共通して流れるものを見出すことは難しくはない。要は、「昔からそうだった」のである。

●移民
上野英信『眉屋私記』(中南米)
上野英信『出ニッポン記』(中南米)
『上野英信展 闇の声をきざむ』(中南米)
高野秀行『移民の宴』(ブラジル)
後藤乾一『近代日本と東南アジア』
望月雅彦『ボルネオ・サラワク王国の沖縄移民』
松田良孝『台湾疎開 「琉球難民」の1年11カ月』(台湾)
植民地文化学会・フォーラム『「在日」とは何か』(日系移民)
大島保克+オルケスタ・ボレ『今どぅ別り』 移民、棄民、基地
高嶺剛『夢幻琉球・つるヘンリー』 けだるいクロスボーダー

●満蒙開拓
『開拓者たち』
工藤敏樹『祈りの画譜 もう一つの日本』
澤地久枝『14歳 満州開拓村からの帰還』
澤地久枝『もうひとつの満洲』 楊靖宇という人の足跡

●六ケ所村
鎌田慧『六ヶ所村の記録』

●アイヌ
『今よみがえるアイヌの言霊~100枚のレコードに込められた思い~」』
新谷行『アイヌ民族抵抗史』
瀬川拓郎『アイヌ学入門』

●三里塚
代島治彦『三里塚のイカロス』(2017年)
大津幸四郎・代島治彦『三里塚に生きる』(2014年)
『neoneo』の原発と小川紳介特集
萩原進『農地収奪を阻む―三里塚農民怒りの43年』(2008年)
鎌田慧『抵抗する自由』 成田・三里塚のいま(2007年)
鎌田慧『ルポ 戦後日本 50年の現場』(1995年)
宇沢弘文『「成田」とは何か』(1992年)
前田俊彦編著『ええじゃないかドブロク』(1986年)
福田克彦『映画作りとむらへの道』(1973年)
小川紳介『三里塚 辺田』(1973年)
小川紳介『三里塚 岩山に鉄塔が出来た』(1972年)
小川紳介『三里塚 第二砦の人々』(1971年)
小川紳介『三里塚 第三次強制測量阻止闘争』(1970年)
小川紳介『日本解放戦線 三里塚』(1970年)
小川紳介『日本解放戦線 三里塚の夏』(1968年)
三留理男『大木よね 三里塚の婆の記憶』(1974年)


峰厚介『Out of Chaos』

2018-07-29 01:21:04 | アヴァンギャルド・ジャズ

峰厚介『Out of Chaos』(East Wind、1974年)を聴く。

Kosuke Mine 峰厚介 (ts)
Masabumi Kikuchi 菊地雅章 (p)
Tsutomu Okada 岡田勉 (b)
Motohiko Hino 日野元彦 (ds)

『Voyage』誌のネイティブ・サン特集号にディスクガイドがあって、峰厚介と菊地雅章のデュオ盤『Duo』(1994年)が紹介されていた。久しぶりに思い出した。手放してしまっていま手元にはないが、当時ずいぶん聴いた盤である。そこでは菊地の名曲「Little Abi」が演奏されていた。そんなわけで、あらためてこの『Out of Chaos』を手に取った次第。本盤でもこの曲だけはデュオ、つまり『Duo』は20年を経ての再演なのだった。

記憶の中にある94年の演奏は、もっと想いが強く込められているかのようなものであり、それが過剰だった。その意味では本盤の「Little Abi」の方が好みである。

過剰性ということで言えば、本盤のプーさんもまだそれほど自己の発散が後年ほどではない。しかし冷ややかに熱いような独特の感覚があり鼓膜に引っかかる。峰さんのテナーも後年ほどの癖がまだ放出されておらず、これも悪くない。アルトからテナーに持ち替えたばかりだったという事情もあるのだろうか。

そして岡田勉の固く強い推進力、体内からのマグマがスマートになってドラムスを通過したような日野元彦のドラムス。もうサイドメンは3人とも鬼籍に入ってしまっている。

●峰厚介
渋谷毅オーケストラ@新宿ピットイン(2017年)
渋谷毅オーケストラ@新宿ピットイン(2016年その3)
渋谷毅オーケストラ@新宿ピットイン(2016年その2)
渋谷毅オーケストラ@新宿ピットイン(2016年その1)
渋谷毅エッセンシャル・エリントン@新宿ピットイン(2015年)
渋谷毅オーケストラ@新宿ピットイン(2014年)
渋谷毅オーケストラ@新宿ピットイン(2011年)
峰厚介『Plays Standards』(2008年)
本田竹広『EASE / Earthian All Star Ensemble』(1992年)
カーラ・ブレイ+スティーヴ・スワロウ『DUETS』、渋谷毅オーケストラ
『Voyage』誌のネイティブ・サン特集、『Savanna Hot-Line』、『Coast to Coast』、『Gumbo』(1979-84年)
『ネイティブ・サン』(1978年)
菊地雅章『エンド・フォー・ザ・ビギニング』(1973年)
菊地雅章クインテット『ヘアピン・サーカス』(1972年)
菊地雅章『ダンシング・ミスト~菊地雅章イン・コンサート』(1970年)
菊地雅章『再確認そして発展』(1970年)
菊地雅章『POO-SUN』(1970年)


庄田次郎トリオ@東中野セロニアス

2018-07-29 00:49:14 | アヴァンギャルド・ジャズ

東中野のセロニアス、土曜日のマチネで庄田次郎トリオ(2018/7/28)。

Jiro Shoda 庄田次郎 (as, tp) 
Yu Kimura 木村由 (dance) 
Maki Hachiya 蜂谷真紀 (vo, p)

木村由さんの踊りにはいつも驚かされるところがある。それはナチュラルな身体の動きを追求したことによるものではない。反対に、腕や脚が付け根から大きく曲がり、それらが身体の中で自律的な生命を持っているかのようにみえる。その一方で、躍るその人は生命のない人形を模倣しているわけでもなく、人間的なアウラをまとっている。その共存の不思議さが迫ってくるのではないかと思えた。このステージ(というか、観るこちらがわと陸続きの場)でも、動きが常に予想とは異なっていた。狐の面をかぶり、ピアノの下をくぐり、椅子の上に立ち奇妙な動きを見せ、またユーモラスにシャボン玉を吹いたりもして、東中野の地霊か妖怪か。

庄田次郎さんは阿部薫や原尞や高木元輝と共演してきた人である。上半身裸で顔にペイントを施し、吠え叫ぶようにサックスとトランペットを吹く。観ていてどうすればよいのかという迫力がある。ときに周囲を睥睨し、ときに寝転がって、それでも吹く。

野蛮のトリックスターと、遊びのトリックスターとがステージ上で異なる動きを見せ続ける。しかしサウンドを駆動するのは蜂谷さんの変幻自在のヴォイスにみえた。音だけではなく、玩具を従え、傘を回転させて奇妙な時空間を創り上げた。

セカンドセットでは、某さんがたまたま現れ、パーカッションを叩いた。ファーストでの広場の逍遥にスピードが付け加わった。

Fuji X-E2、XF35mmF1.4

●木村由
宙響舞@楽道庵(2017年)
河合拓始+木村由@神保町試聴室(2016年)


かみむら泰一+齋藤徹@喫茶茶会記

2018-07-29 00:28:01 | アヴァンギャルド・ジャズ

四谷三丁目の喫茶茶会記にて、かみむら泰一・齋藤徹デュオ(2018/7/27)。

Taiichi Kamimura かみむら泰一 (ts, ss)
Tetsu Saitoh 齋藤徹 (b)

何度目のデュオ・ライヴになるのだろう。この日のショーロと即興の演奏は、お互いの音が馴染み合ってきてリラックスしたものに聴こえた。

そのことは、冒頭、ピシンギーニャの「カリニョーゾ」においても感じられた。テナーのかすれがコントラバスの弦と妙に「ウマがあう」のだ。もちろん、曲を安心してプレイするだけではない。続く即興ではアウラがじわじわと変化を続け、テナーの息と、弦にかすかに触れるこすれとが一様ではない形で重なった。ピシンギーニャを1曲挟んで、かみむらさんはソプラノに持ち替えた。ここには、コントラバスとソプラノそれぞれが持つ特有の逸脱が出会って、また別の豊かさを生んでいた。

セカンドセットでは、有限空間ならではのサックス表現からはじまった。かみむらさんはソプラノを吹きながら踊るように横方向の運動を続け、発信源の位置と向きとが変わることにより、壁での反射も相まって、驚くほどのサウンドの変化が起きた。テナーに持ち替えると、音の重さが増すからか、揚力が生まれるように思えた。時間の断面でみればそのような有り様、それを振り返ってみれば痕跡が時空間のそこかしこに残されている。

ときどき「A Night in Tunisia」だとか「Begin the Beguine」だとかの断片が見え隠れすることも面白かったのだが、それに呼応してなのか、テツさんが指で弦を強くはじく展開が少なくなかった。このとき、テナーと「はじき」との宙での結合と離散とを幻視した。

変化はなお続く。アベル・フェレイラのショーロ曲では、主旋律の物語、伴奏の物語と、ふたりが語り手の役割をいつの間にか入れ替えていたりした。 そして最後はかみむらさんのオリジナル「Dikeman Blues」。ソプラノは揺れ動くし、ブルースのピチカートもまた良い。この曲で前にも感じたことだが、「Willow Weep for Me」を思わせるフレーズが入る。それに対して、テツさんが「All Blues」のような旋律を弾いた。

次回のデュオ演奏も必ず実現するだろう。そのときは、一転して何か異物が持ち込まれる予感がある。

Nikon P7800

●かみむら泰一
かみむら泰一+齋藤徹@本八幡cooljojo(2018年)
かみむら泰一+齋藤徹@本八幡cooljojo(2018年)
かみむら泰一session@喫茶茶会記(2017年)
齋藤徹 plays JAZZ@横濱エアジン(JazzTokyo)(2017年)
かみむら泰一+齋藤徹@キッド・アイラック・アート・ホール(2016年)
齋藤徹+かみむら泰一、+喜多直毅、+矢萩竜太郎(JazzTokyo)(2015-16年)
かみむら泰一『A Girl From Mexico』(2004年)

●齋藤徹
永武幹子+齋藤徹@本八幡cooljojo(2018年)
かみむら泰一+齋藤徹@本八幡cooljojo(2018年)
DDKトリオ+齋藤徹@下北沢Apollo(2018年)
川島誠+齋藤徹@バーバー富士(JazzTokyo)(2018年)
齋藤徹+喜多直毅@板橋大山教会(2018年)
齋藤徹+喜多直毅+外山明@cooljojo(2018年)
かみむら泰一+齋藤徹@本八幡cooljojo(2018年)
齋藤徹+喜多直毅+皆藤千香子@アトリエ第Q藝術(2018年)
2017年ベスト(JazzTokyo)
即興パフォーマンス in いずるば 『今 ここ わたし 2017 ドイツ×日本』(2017年)
『小林裕児と森』ライヴペインティング@日本橋三越(2017年)
ロジャー・ターナー+喜多直毅+齋藤徹@横濱エアジン(JazzTokyo)(2017年)
長沢哲+齋藤徹@東北沢OTOOTO(2017年)
翠川敬基+齋藤徹+喜多直毅@in F(2017年)
齋藤徹ワークショップ特別ゲスト編 vol.1 ミシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+佐草夏美@いずるば(2017年)
齋藤徹+喜多直毅@巣鴨レソノサウンド(2017年)
齋藤徹@バーバー富士(2017年)
齋藤徹+今井和雄@稲毛Candy(2017年)
齋藤徹 plays JAZZ@横濱エアジン(JazzTokyo)(2017年)
齋藤徹ワークショップ「寄港」第ゼロ回@いずるば(2017年)
りら@七針(2017年)
広瀬淳二+今井和雄+齋藤徹+ジャック・ディミエール@Ftarri(2016年)
齋藤徹『TRAVESSIA』(2016年)
齋藤徹の世界・還暦記念コントラバスリサイタル@永福町ソノリウム(2016年)
かみむら泰一+齋藤徹@キッド・アイラック・アート・ホール(2016年)
齋藤徹+かみむら泰一、+喜多直毅、+矢萩竜太郎(JazzTokyo)(2015-16年)
齋藤徹・バッハ無伴奏チェロ組曲@横濱エアジン(2016年)
うたをさがして@ギャラリー悠玄(2015年) 
齋藤徹+類家心平@sound cafe dzumi(2015年)
齋藤徹+喜多直毅+黒田京子@横濱エアジン(2015年)
映像『ユーラシアンエコーズII』(2013年)
ユーラシアンエコーズ第2章(2013年)
バール・フィリップス+Bass Ensemble GEN311『Live at Space Who』(2012年)
ミシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+齋藤徹@ポレポレ坐(2011年)
齋藤徹による「bass ensemble "弦" gamma/ut」(2011年)
『うたをさがして live at Pole Pole za』(2011年)
齋藤徹『Contrabass Solo at ORT』(2010年)
齋藤徹+今井和雄『ORBIT ZERO』(2009年)
齋藤徹、2009年5月、東中野(2009年)
ミシェル・ドネダと齋藤徹、ペンタックス43mm(2007年)
齋藤徹+今井和雄+ミシェル・ドネダ『Orbit 1』(2006年)
ローレン・ニュートン+齋藤徹+沢井一恵『Full Moon Over Tokyo』(2005年)
明田川荘之+齋藤徹『LIFE TIME』(2005年)
ミシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+齋藤徹+今井和雄+沢井一恵『Une Chance Pour L'Ombre』(2003年)
往来トリオの2作品、『往来』と『雲は行く』(1999、2000年)
齋藤徹+ミシェル・ドネダ+チョン・チュルギ+坪井紀子+ザイ・クーニン『ペイガン・ヒム』(1999年)
齋藤徹+ミシェル・ドネダ『交感』(1999年)
齋藤徹+沢井一恵『八重山游行』(1996年)
久高島で記録された嘉手苅林昌『沖縄の魂の行方』、池澤夏樹『眠る女』、齋藤徹『パナリ』(1996年)
ミシェル・ドネダ+アラン・ジュール+齋藤徹『M'UOAZ』(1995年)
ユーラシアン・エコーズ、金石出(1993、1994年)
ジョゼフ・ジャーマン 


村上寛@池袋Independence

2018-07-29 00:09:43 | アヴァンギャルド・ジャズ

池袋のIndependenceに足を運び、レジェンド・村上寛のグループ(2018/7/26)。

Hiroshi Murakami 村上寛 (ds)
Shuji Morita 森田修史 (ts, ss)
Naotaka Kusunoki 楠直孝 (p)
Yutaka Yoshida 吉田豊 (b)

ファーストセットは「Nardis」から。「All Blues」では艶やかなベースソロから粘りつくような楠さんのピアノ。そのスタイルはマッコイ・タイナーを想起させるものだったが、飛び跳ねるように攻め続ける独特さもあった。ここで森田さんがソプラノからテナーに持ち替え、スティーヴィー・ワンダーの「I Can't Help It」。低音に執着し響きをうねうねと残すプレイはソプラノよりも印象的に聴こえた。

続いて、村上さんのオリジナル2曲。御大のドラミングは鋭いのだが、それは決して蒸留し抽出させた綺麗な音によるものではない。むしろ重力を得て、その場のもろもろと結合し、あっさりとは去っていかない音作りである。濃淡もあり素晴らしい。

セカンドセットは楠さんのオリジナルに続き、「Summer Night」、ハンコックの「Toys」。ここでドラムスの強度がさらに高まった。「I Want To Talk About You」では、テナーの独奏によるイントロからテーマに入るとき、そのままの勢いではなくオクターブを下げる按配。これによって甘いコルトレーン的なバラードにはならなかった。最後は森田さんのトリッキーなオリジナル曲。ソロに入るときのピキッという異音も良かった。そして遊び心のあるベースソロ。

つい先日、ジェームス・ブランドン・ルイスが、マル・ウォルドロンとゲイリー・ピーコックの『First Encounter』における村上寛のドラムが素晴らしいと言ってきた。その話を村上さんにしたところ、いやそれは22、3の頃のことで今のプレイとは違うよ、と。とりあえず、JBLがジャマラディーン・タクマ、ルディ・ロイストンと共演した『Days of Freeman』を差し上げた。聴いてくださるかな。

Nikon P7800

●村上寛
峰厚介『Plays Standards』
(2008年)
本田竹広『EASE / Earthian All Star Ensemble』(1992年)
『Voyage』誌のネイティブ・サン特集、『Savanna Hot-Line』、『Coast to Coast』、『Gumbo』(1979-84年)
『ネイティブ・サン』(1978年)
菊地雅章『エンド・フォー・ザ・ビギニング』(1973年)
本田竹広『I Love You』(1971年)
菊地雅章『ダンシング・ミスト~菊地雅章イン・コンサート』(1970年)
菊地雅章『再確認そして発展』(1970年)
菊地雅章『POO-SUN』(1970年)


キャノンボール・アダレイ『Inside Straight』

2018-07-28 23:57:50 | アヴァンギャルド・ジャズ

キャノンボール・アダレイ『Inside Straight』(Fantasy、1973年)を聴く。オリジナル盤だけどカット盤。

Cannonball Adderley (as)
Nat Adderley (cor)
Hal Galper (el-p)
Walter Booker (b)
Roy McCurdy (ds)
King Errisson (perc)

アダレイ兄弟のサウンドはどれも濁っていてそれが良いところなのだが、マイルス・デイヴィスの作品でのキャノンボールに先に耳が馴れてしまうと、それが作品として洗練されていないように感じられる不幸がある(というか、わたしがそうだっただけなのだが)。

ここでも、もしゃもしゃした有機体の中から突然キャノンボールのアルトが飛び出てくることが何度もあって、悶絶しそうなくらいファンキーである。哄笑というか、神をも恐れないふてぶてしさというか、こんな音を出したアルトはキャノンボールくらいである。

そして、この文脈であればナットのコルネットもそれらしく響くというものだ。ハル・ギャルパーのエレピもまた時代的だが素敵である。いまこんな風に臭くもクールにもキーボードを弾く人は誰なんだろうな。

●キャノンボール・アダレイ
ドン・チードル『MILES AHEAD マイルス・デイヴィス空白の5年間』(2015年)
MOPDtK『Blue』(2014年)
チャールス・ロイドの映像『Arrows into Infinity』(2013年)
ユセフ・ラティーフの映像『Brother Yusef』(2005年)
ルイ・ヘイズ『Dreamin' of Cannonball』(2001年)
マニー・ピットソン『ミニー・ザ・ムーチャー』、ウィリアム・マイルズ『I Remember Harlem』(1981年、?)
キャノンボール・アダレイ『Somethin' Else』
(1958年)
ミルト・ジャクソンの初期作品8枚(1955-61年)


カンパニー『Fables』

2018-07-28 23:33:11 | アヴァンギャルド・ジャズ

カンパニー『Fables』(Incus、1980年)を聴く。

Dave Holland (b)
George Lewis (tb)
Evan Parker (ss, ts)
Derek Bailey (g)

見るからに凄いメンバーだが演奏も凄い。

特にA面2曲目の「ATG 6」では文字通り4人それぞれが自身の音を研ぎ澄ませ、それが周囲に対して体をじわじわと互いに入れ替える、驚くほどのテンションが平然と展開されている。3曲目の「ATG 3」はジョージ・ルイス、エヴァン・パーカー、デレク・ベイリーが共通の時空間で遊び、その中心でデイヴ・ホランドが特有の躍るようなピチカートを聴かせる。弓弾きでもホランドが軸にあって、それがために、他の三者が自在に遊泳できているようである。

次第にベイリーの音が刺すように存在感を増してくる。ベイリーはB面1曲目の「ATG 13」でもしなやかで強い金属音を出している。同時期の『Aida』に匹敵する迫力である(『Aida』の録音が1980年7-8月、本盤はそれに先立つ5月)。

そして気が付くとルイス、ホランド、パーカー、ベイリーの誰かに耳を奪われている。この公平な関係によるインプロは、力量が同等でなければ実現しないだろう。3曲目でのパーカーとルイスとの競争的狂騒的な絡み合いも良いが、これは10分間の中の一場面でしかないのだ。

●デイヴ・ホランド
『Aziza』(2015年)
デイヴ・ホランド『Prism』(2012年)
デイヴ・ホランド+ペペ・ハビチュエラ『Hands』(2010年)
デイヴ・ホランドの映像『Jazzbaltica 2003』(2003年)
ケニー・ホイーラー+リー・コニッツ+デイヴ・ホランド+ビル・フリゼール『Angel Song』(1996年)
デイヴ・ホランド『Dream of the Elders』(1995年)
スティーヴ・コールマン+デイヴ・ホランド『Phase-Space』(1991年)
カール・ベルガー+デイヴ・ホランド+エド・ブラックウェル『Crystal Fire』(1991年)
デイヴ・ホランド『Conference of the Birds』(1973年)

●デレク・ベイリー
今井和雄 デレク・ベイリーを語る@sound cafe dzumi(2015年)
デレク・ベイリー晩年のソロ映像『Live at G's Club』、『All Thumbs』(2003年)
デレク・ベイリー『Standards』(2002年)
ウィレム・ブロイカーが亡くなったので、デレク・ベイリー『Playing for Friends on 5th Street』を観る(2001年)
デレク・ベイリー+ジョン・ブッチャー+ジノ・ロベール『Scrutables』(2000年)
デレク・ベイリーvs.サンプリング音源(1996、98年)
デレク・ベイリー+ルインズ『Saisoro』(1994年)
田中泯+デレク・ベイリー『Mountain Stage』(1993年)
1988年、ベルリンのセシル・テイラー(1988年)
『Improvised Music New York 1981』(1981年)
ペーター・コヴァルトのソロ、デュオ(1981、91、98年)
デレク・ベイリー『New Sights, Old Sounds』、『Aida』(1978、80年)
カンパニー『Fictions』(1977年)
『Derek Bailey Plus One Music Ensemble』(1973、74年)
ジャズ的写真集(6) 五海裕治『自由の意思』
トニー・ウィリアムスのメモ

●エヴァン・パーカー
エヴァン・パーカー@稲毛Candy(2016年)
エヴァン・パーカー+高橋悠治@ホール・エッグファーム(2016年)
エヴァン・パーカー@スーパーデラックス(2016年)
エヴァン・パーカー、イクエ・モリ、シルヴィー・クルボアジェ、マーク・フェルドマン@Roulette(2015年)

Rocket Science変形版@The Stone(2015年)
エヴァン・パーカー US Electro-Acoustic Ensemble@The Stone(2015年)
シルヴィー・クルボアジェ+マーク・フェルドマン+エヴァン・パーカー+イクエ・モリ『Miller's Tale』、エヴァン・パーカー+シルヴィー・クルボアジェ『Either Or End』(2015年)
エヴァン・パーカー+土取利行+ウィリアム・パーカー(超フリージャズコンサートツアー)@草月ホール(2015年)
マット・マネリ+エヴァン・パーカー+ルシアン・バン『Sounding Tears』(2014年)
エヴァン・パーカー ElectroAcoustic Septet『Seven』(2014年)
エヴァン・パーカー+ジョン・エドワーズ+クリス・コルサーノ『The Hurrah』(2014年)
ジョン・エスクリート『Sound, Space and Structures』(2013年)
『Rocket Science』(2012年)
ペーター・ブロッツマンの映像『Soldier of the Road』(2011年)
ブッチ・モリス『Possible Universe / Conduction 192』(2010年)
エヴァン・パーカー+オッキュン・リー+ピーター・エヴァンス『The Bleeding Edge』(2010年)
ハン・ベニンク『Hazentijd』(2009年)
アレクサンダー・フォン・シュリッペンバッハ『ライヴ・イン・ベルリン』(2008年)
シュリッペンバッハ・トリオ『Gold is Where You Find It』(2008年)
エヴァン・パーカー+ノエル・アクショテ+ポール・ロジャース+マーク・サンダース『Somewhere Bi-Lingual』、『Paris 1997』(1997年)
エヴァン・パーカー+ネッド・ローゼンバーグ『Monkey Puzzle』(1997年)
エヴァン・パーカー+吉沢元治『Two Chaps』(1996年)
ペーター・コヴァルトのソロ、デュオ(1981-98年)
スティーヴ・レイシー+エヴァン・パーカー『Chirps』(1985年)
エヴァン・パーカー『残像』(1982年)
シュリッペンバッハ・トリオ『Detto Fra Di Noi / Live in Pisa 1981』(1981年)
シュリッペンバッハ・トリオ『First Recordings』(1972年)

●ジョージ・ルイス
エヴァン・パーカー US Electro-Acoustic Ensemble@The Stone(2015年)
エヴァン・パーカー ElectroAcoustic Septet『Seven』(2014年)
ペーター・コヴァルト+ローレンス・プティ・ジューヴェ『Off The Road』(2000年)
ギル・エヴァンスの映像『Hamburg October 26, 1986』(1986年)
『A POWER STRONGER THAN ITSELF』を読む(1)
ムハール・リチャード・エイブラムスの最近の作品


オーネット・コールマン『Trio Live / Tivoli Koncertsalen Copenhagen 1965』

2018-07-28 23:17:19 | アヴァンギャルド・ジャズ

オーネット・コールマン『Trio Live / Tivoli Koncertsalen Copenhagen 1965』(Hi Hat、1965年)を聴く。

Ornette Coleman (as, tp, vln)
David Izenzon (b)
Charles Moffett (ds)

このメンバーによるトリオは1961年に結成され、1962年に『Town Hall 1962』、1965年に『Chappaqua Suite』や『Golden Circle』、1966年に『Who’s Crazy?』(映像作品が『David, Moffett and Ornette』)を吹き込んでいる。本盤はそのゴールデン・サークルのわずか数日前の演奏である。

冒頭の「Lonely Woman」ではデイヴィッド・アイゼンソンとチャールス・モフェットとが小刻みに不穏なムードを作っていき、その中でオーネットがアルトを吹く。これを聴くと、アイゼンソンのトーンの豊富さはやはり特別なものだったことがわかる。モフェットの手癖も嬉しい。ただ、オーネットのブロウの緊張感はゴールデン・サークルのそれに遠く及ばない。数日間でテンションを上げる何かがあったのだろうか。

そのことは2曲目の「Clergyman’s Dream」でも明らかで、モフェットのやり過ぎのプレイに対する観客の笑いが聴こえる。ゴールデン・サークルほどサウンドが張り詰めていればそんなことは起きないはずである。

『Town Hall』で演奏した「Sadness」ではようやく息を呑むような時間が訪れる。抑制したオーネットのアルトは、ブルージーに奇妙に飛翔するプレイと同様に快楽の源である。最後の「Falling Star」におけるアイゼンソンとオーネットのヴァイオリンとの軋み合いはなかなかの聴き物。

●オーネット・コールマン
オーネット・コールマン『Waiting for You』(2008年)
オーネット・コールマン『White Church』、『Sound Grammar』(2003、2005年)
オーネット・コールマン&プライム・タイム『Skies of America』1987年版(1987年)
シャーリー・クラーク『Ornette: Made in America』 再見(1985年)
シャーリー・クラーク『Ornette: Made in America』 オーネット・コールマンの貴重な映像(1985年)
オーネット・コールマン『Live at Teatro S. Pio X 1974』(1974年)
オーネット・コールマン『Ornette at 12』(1968年)
オーネット・コールマンの映像『David, Moffett and Ornette』と、ローランド・カークの映像『Sound?』(1966年)
スリランカの映像(6) コンラッド・ルークス『チャパクァ』(1966年)
オーネット・コールマン『Town Hall 1962』(1962年)
オーネット・コールマンの最初期ライヴ(1958年)
オーネット・コールマン集2枚(2013年)


マーク・リボー(セラミック・ドッグ)@ブルーノート東京

2018-07-28 22:58:07 | アヴァンギャルド・ジャズ

ブルーノート東京で、マーク・リボーのセラミック・ドッグ(2018/7/24、2nd)。

Marc Ribot (g, vo)
Shahzad Ismaily (b, perc, key, vo)
Ches Smith (ds, electronics, vo)

演奏は「You Still Here?」から始まった。マーク・リボーのソロに続き、じわじわとシャザード・イズマイリーのベース、チェス・スミスのブラシが入ってくる。「Why you still here?」と繰り返す寂寞とした感覚。

スミスのブラシの圧にはいきなり感銘を受けたのだが、その音圧という点では、スティックも手もバスドラムも一様に張り皮が破れんばかりに強靭でありさらに驚いた。昨年観た、ティム・バーンのスネイクオイルにおけるクールなプレイとはまったく異なっている。スネイクオイルでは打楽器とヴァイブとを同じ土俵に持ってきたのに対し、ここでは打楽器のさまざまなパルスが土俵上に並べられている。ドラムセットのかなり上方に、モスクのミナレットのように2つのシンバルが配されており、跳躍でもするのかと思っていたのだが、そこは背の高いスミス、何の問題もなく同じ強さで叩きまくっている。曲が変わり、スミスとイズマイリーとはまるで和太鼓兄弟のように叩き合い、続く「Pennsylvania 6 666」では手で叩く。ロックというか、これはすべて手の内を明かした上で想像を上回るパフォーマンスを見せてくれるプロレスか。

イズマイリーのベースはちょっと不思議であり、シームレスに一筆書きの曲線を描き続ける。そして主役リボーが高速のかっちょいいギターソロを披露すると、客はみな来た来たと言わんばかりに彼を凝視し顔を勝手に笑わせていた。熱くもクールにもロックと想いとで攻めまくるリボー、やはり旧世代の素晴らしい音楽家なのだった。

この想いの中で、体制や権力は執拗に否定され解体される。その対象は、「I don’t accept」「I refuse」「I resist」の後に付けられていた。単純なpoliticsもあれば、youやmy faceもある。リボーもあなたもわたしも、視線から逃れうる治外法権エリアにはいられないのだ。レヴィナスか。

●マーク・リボー
マーク・リボー(セラミック・ドッグ)『YRU Still Here?』(-2018年)
ロイ・ナサンソン『Nearness and You』(2015年)
マーク・リボーとジョルジォ・ガスリーニのアルバート・アイラー集(2014年、1990年)
ジョン・ゾーン『Interzone』 ウィリアム・バロウズへのトリビュートなんて恥かしい(2010年)
製鉄の映像(2)(ジョゼフ・コーネル『By Night with Torch and Spear』(1940年代))

●チェス・スミス
マーク・リボー(セラミック・ドッグ)『YRU Still Here?』(-2018年)
ティム・バーン Snakeoil@Jazz Standard(2017年)
マット・ミッチェル『A Pouting Grimace』(2017年)
チェス・スミス『The Bell』(2015年)
メアリー・ハルヴァーソン『Away With You』(2015年)
ティム・バーン『Incidentals』(2014年)
ティム・バーン『You've Been Watching Me』(2014年)
ティム・バーン『Shadow Man』(2013年)
マット・ミッチェル『Fiction』(-2013年)
チェス・スミス『International Hoohah』(2012年) 


『Voyage』誌のネイティブ・サン特集、『Savanna Hot-Line』、『Coast to Coast』、『Gumbo』

2018-07-24 08:12:16 | アヴァンギャルド・ジャズ

播磨のジャズのフリー・ペーパー『Voyage』誌が、ネイティブ・サンの特集を組んでいる。先日ディスクユニオンで入手してきた。

目玉の「峰厚介&本田珠也 Jazz砲談!」。面白いのは、ネイティブ・サンのフュージョン・サウンドが何も時代の流行だから市場に乗せるかたちでセッティングされたものではなく、本田竹広の欲望のもとに生み出された音楽だったという指摘である。また、本田さんの意識にあったのはフュージョンだけでなくソウルミュージックでもあったのだ、という峰さんの発言もある。それゆえに、バンドの音が天才・本田竹広の指向性によって変わってきて、峰さんも脱退したということである。

先日、偶然にも初作の『ネイティブ・サン』(1976年)を聴いて、新鮮でもありカッコよくもあった。気持ちが向いて、最近また3作品を入手した(フュージョンのLPは安いものだ)。

『Savanna Hot-Line』(1979年)は初作の雰囲気を受け継いでいる。続くアメリカでのライヴ盤『Coast to Coast』(1980年)には福村博のトロンボーンが加わっており、またバンドとしても勢いがあってノリノリでもあり、『EASE / Earthian All Star Ensemble』(1992年)を思わせるところがある。ちょっと置いて『Gumbo』(1984年)は、ずいぶん洗練されている一方、サウンドが後で作りこまれている印象がある。ドラムスのセシル・モンローの音もいまひとつナマのものではない。峰さんのいうのはこのようなことかな。

『Voyage』には「本田竹広&峰厚介ネイティブ・サン前後の重要作」と題した1頁のディスクガイドがある。これがまた面白い。峰さんがネイティブ・サン以前からジャズ追究のフュージョン・サウンドを手掛けていたこと、本田竹広のソウルフルな音がネイティブ・サンとつながっていることが実感できる。

●本田竹広
本田竹広『BOOGIE-BOGA-BOO』(1995年)
本田竹広『EASE / Earthian All Star Ensemble』(1992年)
『ネイティブ・サン』(1978年)
本田竹広『This Is Honda』(1972年)
本田竹広『I Love You』(1971年)
本田竹広『The Trio』(1970年)


齊藤僚太+ヨシュア・ヴァイツェル+田中悠美子@Ftarri

2018-07-22 16:07:04 | アヴァンギャルド・ジャズ

水道橋のFtarriにおいて、現代三味線デュオ(齊藤僚太、ヨシュア・ヴァイツェル)に田中悠美子(2018/7/21)。

Ryota Saito 齊藤僚太 (三味線)
Joshua Weitzel (三味線)
Yumiko Tanaka 田中悠美子 (大正琴、三味線)

前日に続いての「現代三味線デュオ」だが、この日、ヨシュア・ヴァイツェルはギターを使わず三味線のみ。もともと前日のPermianがデュオを前提とするのではなく、ひとりの即興演奏家としての参加なのだった。

最初はこのデュオ。ふたりとも振動子によって弦や胴を鳴らしはじめる。やがてヨシュアさんは竿の弦に口を付けて息を吹きかける。前日みせたプレイだが、ギターよりも振動がユニークな音となって出てくるのは三味線ならではか。CD『弦発力』で聴くことができた音にもあったかもしれない。そして撥でのプレイに移行する。一方の齊藤さんは振動子を執拗に使い、当てる場所をじわじわと動かしてゆく。直接当てる場合も、間に瓶の王冠を挟む場合もあった(あとで訊くと、振動で王冠が回転するのだとのこと)。当然それにより音が変化する、そのことを何かに利用するというよりも、発生源の音自体を提示しようとしていた。その選択のあり方がとても独特なものに思えた。

次に、田中悠美子さんの大正琴ソロ。はじめて田中さんの音に接するわけだが、実は激しく驚かされ、その驚きで笑えてくるほど愉しいものだった。普通であれば大正琴は左手で鍵盤を操り右手で弦を弾く。しかし、この大正琴は改造してあり、田中さん曰く「鍵盤を取り除いてフレットも少し削った改造エレキ大正琴」(!!)。田中さんは左右で手や棒や弓や金属鍋のようなものを思うがままに使い、あらゆる音を繰り出してくる。しかもご本人はときどき実に愉快そうに微笑んでいる。なんという自由さか。

最後に全員三味線を使ってのトリオ。響きはそれぞれ異なり、耳が悦ぶ。齊藤さんの三味線からはノイズが聴こえてくる。弦を意図的に緩めているのかと思ったがそうではなく、弦の間に金具を渡すことによるものだった。ヨシュアさんの表現の音域は広く、またしても振動子や奇妙な道具を用いもする。そして田中さんは三味線においても(演奏者も聴く方も)笑ってしまう自由さを発散した。

この日、gaiamamooのHiroshi Mehataさんが観にきていた。むかし齊藤さんと「結構一緒にやっていた」のだという。Mehataさんのノイズや映像、齊藤さんの三味線とが脳内でどうもうまく結びつかないが興味津々。

ヨシュアさんはあとひとつのライヴを終えて、ちょっとしてからドイツに帰国。また来年も来日できるかも、とのことである。

Fuji X-E2、XF60mmF2.4、XF35mmF1.4

●齊藤僚太
齊藤僚太+ヨシュア・ヴァイツェル+増渕顕史@Permian(2018年)
現代三味線デュオ『弦発力』(斎藤僚太、ヨシュア・ヴァイツェル)(2016-17年)

●ヨシュア・ヴァイツェル
齊藤僚太+ヨシュア・ヴァイツェル+増渕顕史@Permian(2018年)
二コラ・ハイン+ヨシュア・ヴァイツェル+アルフレート・23・ハルト+竹下勇馬@Bar Isshee
(2017年)
大城真+永井千恵、アルフレート・23・ハルト、二コラ・ハイン+ヨシュア・ヴァイツェル+中村としまる@Ftarri
(2017年)
現代三味線デュオ『弦発力』(斎藤僚太、ヨシュア・ヴァイツェル)(2016-17年)
ウルリケ・レンツ+ヨシュア・ヴァイツェル『#FLUTESHAMISEN』(2016年)


齊藤僚太+ヨシュア・ヴァイツェル+増渕顕史@Permian

2018-07-21 10:35:49 | アヴァンギャルド・ジャズ

目黒のPermianにて、現代三味線デュオ(齊藤僚太、ヨシュア・ヴァイツェル)に増渕顕史(2018/7/20)。

Ryota Saito 齊藤僚太 (shamisen)
Joshua Weitzel (g, shamisen)
Takashi Masubuchi 増渕顕史 (g)

最初はトリオ。向かって左から増渕顕史のギター、齊藤僚太の三味線、ヨシュア・ヴァイツェルのギターが、それぞれまったく異なる音色と時間感覚で音を発し始め、わかってはいてもやはり耳が勝手に驚く。増渕さんは自己の確固とした性質をもつスクリーンを通過させ、選別された音を出す。一方のヨシュアさんはより幅広でぐにゃりとして戦場的なギターを弾く。途中から弦に向かって息を吹き付け風音を表現もした。そして齊藤さんは、ことさらに目立つ音を撒くでもなく、そのことが却って三味線であることを際立たせていた。確信的な演奏にみえた。

次に、現代三味線デュオ。ふたりとも振動子を弦に当てて連続的な流れを創り出す。『弦発力』において不思議に思えた音は、やはりこれだったのだ。やがてヨシュアさんは撥で弾きはじめ、連続的な時間の流れに断絶を介入させる。齊藤さんは振動子を見えないところで三味線の胴に当て、そのオン・オフを試行するように繰り返した。ここでも、背後で確信をもってサウンドを変化させていた。

最後に増渕ソロ。選別した結果として透徹した音を出すのが増渕さんのギタープレイだが、ここまで旋律を追う人だったのか。その選別の過程は、ともかくも独立した音を提示しようとする追及のようにみえた。そして収束に向けて全体の中での音というものを意識しているようにもみえた。

ヨシュアさんには、かれの住むカッセルを含め、ベルリンやケルンなどドイツにおけるジャズ・インプロの事情を聞いた。最近でも奥田梨恵子さんやヨシュアさんの現地アレンジにより照内央晴さんがツアーを行ったり、齋藤徹さんや喜多直毅さんが再訪してさまざまな人と共演したりと、話を聞けば聞くほど自分もまた行きたくなってくる。

ところで、このPermianは今年の2月に開いたばかりのスペースで、今回はじめて入った。客席がちゃんと作られているためか、狭くも広くもなく面白い空間である。10月に来日するクレイグ・ペデルセンとエリザベス・ミラーのギグも設定するらしい。

Fuji X-E2、XF60mmF2.4、XF35mmF1.4

●齊藤僚太
現代三味線デュオ『弦発力』(斎藤僚太、ヨシュア・ヴァイツェル)(2016-17年)

●ヨシュア・ヴァイツェル
二コラ・ハイン+ヨシュア・ヴァイツェル+アルフレート・23・ハルト+竹下勇馬@Bar Isshee
(2017年)
大城真+永井千恵、アルフレート・23・ハルト、二コラ・ハイン+ヨシュア・ヴァイツェル+中村としまる@Ftarri
(2017年)
現代三味線デュオ『弦発力』(斎藤僚太、ヨシュア・ヴァイツェル)(2016-17年)
ウルリケ・レンツ+ヨシュア・ヴァイツェル『#FLUTESHAMISEN』(2016年)

●増渕顕史
Zhu Wenbo、Zhao Cong、浦裕幸、石原雄治、竹下勇馬、増渕顕史、徳永将豪@Ftarri(2018年)
クレイグ・ペデルセン+エリザベス・ミラー+徳永将豪+増渕顕史+中村ゆい@Ftarri(2017年)
杉本拓+増渕顕史@東北沢OTOOTO(2017年)
Spontaneous Ensemble vol.7@東北沢OTOOTO(2017年)


竹田賢一古稀ライヴ@アトリエ第Q藝術

2018-07-18 07:54:31 | アヴァンギャルド・ジャズ

成城学園前のアトリエ第Q藝術に足を運び、竹田賢一さんの古稀記念ライヴ(2018/7/17)。

Kenichi Takeda 竹田賢一 (大正琴, vo)

フライヤーにある「70枚の貝殻」とは平田俊子の詩から取ったのだという。竹田さんは、それよりも「70体の亡きがら」にすればよかったなと話す。(あとで本にサインを頂いたが、竹田さんは「70体の亡きがらをかつぎ出せ!」と書いた。)

なんにせよ初めて目の当たりにする竹田さんの演奏である。2日前に大井町で呑んでいて今回お誘いくださった編集者のMさんから、昨年、A-Musikのライヴがあるぞとのお誘いをいただいたのだが、その時はつい他の若い人の演奏を観に行ってしまいあとで後悔したのだった。(千野秀一さんが帰国するタイミングでないと実現しないのだ。)

そんなわけで、いきなり大正琴の音にのけ反る。沖縄民謡を思わせもするが何の曲だろう。左手で鍵盤を押さえ、右手でピックを激しく弾き、その音が奇妙な自律性をもってコントロール外となり、演奏する竹田さんとは別のものとしてそこに存在するような感覚がある。ときどき低音でサウンドが押さえられ、こわばったものが解体される。

さまざまな曲。「アカシアの雨がやむとき」みたいだなと思っていたらそれは鳥取の「貝殻節」。アウシュビッツ収容所で死んだイルゼ・ウェーバーが残した子守歌。「'Round Midnight」。いくつものシチリアーナ(バッハもピアソラも)。竹田さんは「素面では聴いていられないから酒を呑んでください」とおっしゃっていたが、呑んでも呑まなくても時間と重力が妙な按配になっただろう。

良い時間だった。前から読もうと思っていた『地表に蠢く音楽ども』も入手できた。

●竹田賢一
A-Musik『e ku iroju』
(1983年)