Sightsong

自縄自縛日記

鶴見良行『ナマコの眼』

2022-07-16 10:34:57 | 東南アジア

鶴見良行『ナマコの眼』(ちくま学芸文庫、原著1990年)を再読。

われわれは世界市場や植民地主義のことを考えるとき、立派な換金商品や国家があることを前提とする。

だがナマコはそのような視線を無視して存在していた。水分が多く歩留まりが1割とか3割とか、その時点で重量ベースの統計から逃れおおせている。加工技術は難しく、それ自体が執念にはりついている。執念というのはゼラチン食や東洋医学、なにやら精神的な階層。

そして東南アジア多島海の海上民、糸満を含め北からの漁業者の動きは、国境などというものには無関係だった。海のアジア史はラッフルズや東インド会社だけのものではない。マラッカ、マカッサル、リアウ、想像するとつかみどころがなくて茫然とする。ザイ・クーニンさんや齋藤徹さんの表現のことも考える。

南方だけではない。日本列島の住民も古くからナマコに興味を持っていた。記紀神話におけるアメノウズメは、アマテラスが引きこもった天岩戸の前でエロチックにもコミカルにも踊り、またニニギノミコトが天孫として日本に降りるときに立ちはだかっていた怪神サルタヒコに迫りもするトリックスターだが、彼女が魚たちを集めて「我に従うか」と訊いたところナマコだけが返事をしなかったので、刀でナマコに口を切り開いた。妙なやつである。

そういえばしばらくナマコを食べていない。小さいころどうも好きになれなかったがいまは欲しい。

●鶴見良行
鶴見良行『東南アジアを知る』


2017年11月、インドネシアのロンボク島

2017-11-03 14:28:57 | 東南アジア

インドネシアに行くのはたぶん11回目なのだが、ロンボク島ははじめてだ。西隣のバリ島、それから近くの小さい島々のヌサ・レンボンガン、ヌサ・ペニダに足を運んだことはあるのだが、それぞれ雰囲気が違うものだ。

西海岸からみえるバリ島の山、山間部の田園地帯、ヒンドゥー寺院。

Nikon P7800

●インドネシア
2014年2月、ジャカルタ
2013年2月、バリ島
2013年2月、ジャカルタ
2012年11月、バリ島とL島とP島
2012年9月、ジャカルタ
2012年7月、インドネシアのN島(4) 豚、干魚、鶏
2012年7月、インドネシアのN島(3) 蟹の幾何学、通過儀礼
2012年7月、インドネシアのN島(2) 海辺
2012年7月、インドネシアのN島(1) 漁、マングローブ、シダ
旨いジャカルタ その4
旨いジャカルタ その3
旨いジャカルタ その2
旨いジャカルタ
ジャカルタのワヤン・パペット博物館
鶴見良行『東南アジアを知る』
白石隆『海の帝国』、佐藤百合『経済大国インドネシア』
早瀬晋三『マンダラ国家から国民国家へ』
中野聡『東南アジア占領と日本人』
後藤乾一『近代日本と東南アジア』
倉沢愛子『9・30 世界を震撼させた日』
ジョシュア・オッペンハイマー『アクト・オブ・キリング』 
ジョコ・アンワル『Modus Anomali』


ザイ・クーニン『オンバ・ヒタム』@オオタファインアーツ

2016-04-23 22:12:29 | 東南アジア

六本木のオオタファインアーツに足を運び、シンガポール作家ザイ・クーニンの個展『オンバ・ヒタム』を観る。

「オンバ・ヒタム」とはマレー語で黒潮を意味する。今回の個展のためにザイ・クーニン氏本人が寄せた文によれば、「黒潮」という言葉をはじめて聞いたのは、音楽家の齋藤徹さんからであったという。そのこともあって、作家が思いを馳せる南シナ海のリアウ諸島は、アジアの海の流れに位置付けられてゆく。

ここに展示された作品群は、紙に染み込んだ海に見える。さまざまな濃さの墨や赤が、重なり合って、浸食しあっている。それはバクテリアの海にも、島の人が夜中に覗き込む海にも、毛細血管にも見える。絵の具の中には筆の毛が残ってしまっていて、自然と共生する人間の痕跡にも思えてくる。想像が海流にのってどこかへと漂流してゆく。

人好きのするザイ・クーニン氏と話した。齋藤徹さんのことを特別な存在だと言う。テツさんはいまヨーロッパに行っており、すれ違いなんだねと言ったところ、いやわたしもヨーロッパに行くんだ、と。会場にはあばら骨のような船のインスタレーションが展示されていたのだが、氏によれば、来年のヴェネチア・ビエンナーレでは、数十メートルものそれを展示する計画だという。それはぜひ、観てみたいものである。

やがて、氏は座ってギター演奏を始めた。ポツンポツンと弾く懐かしいような旋律、そして、唸るような低音の声。素晴らしかった。

氏の文章にはこのようにもある。「南シナ海は日本とリアウとの間を結ぶものと言えるかもしれず、私はいつも人生のプロジェクト、またはアートプロジェクトとして、船で沖縄まで航海する可能性について思案してきた」と。蔡國強(ツァイ・グォチャン)は、福建省からペルシャ湾までの海上の道を夢想し、それをドーハに形作った(ドーハの蔡國強「saraab」展)。海の道はアジアのアーティストを刺激してやまないものかもしれない。

ザイ・クーニン+大友良英+ディクソン・ディー『Book from Hell』にサインをいただいた

Nikon P7800


アピチャッポン・ウィーラセタクン『光りの墓』

2016-03-17 23:30:56 | 東南アジア

アピチャッポン・ウィーラセタクン『光りの墓』(2015年)の試写会。

タイ東北地方、「眠り病」の軍人ばかりが眠る病院。そこを訪れた初老女性のジェンは、眠り男たちの魂と交流する能力者の女性や、ふと目覚めた若い眠り男と付き合う。東屋で休んでいるジェンの前に現れたふたりの美女は、この世の者ではなく、病院の地下には別の世界があるのだと教える。

眠りをパスとして、平然と同居する彼岸、あるいは平行世界。おそるべき確信犯的な長回しによって、出入口は観る者にも快く提供されている。この世に執着しうるとしたら、その鍵は性欲か。しかしそれも平行世界でも人を縛り付けているものかもしれない。そして、最後に目を見開いてジェンが見つめるものは何か。

最初から最後まで、半覚醒の状態で朦朧としながら彼岸の出入口を彷徨することになってしまったのは、疲れていたからではない。おそるべし。アピチャッポンのような天才がいれば、映画を観ることも悪くないなと思ってしまう。

●参照
アピチャッポン・ウィーラセタクン『Fireworks (Archives)』(2014年)
アピチャッポン・ウィーラセタクン『ブンミおじさんの森』(2010年)
アピチャッポン・ウィーラセタクン『トロピカル・マラディ』(2004年)


2016年1月、バンコク

2016-01-31 23:54:04 | 東南アジア

3か月ぶり、たぶん10回目のバンコク。直前に滞在したハノイは寒波が襲来していてとても寒かったこともあり、あたたかさにひと安心した。それでも、やはり急に寒くなったのだということだった。

Minolta TC-1、Fuji Superia Premium 400

●参照
2015年10月、バンコク
2012年1月、バンコク
2011年12月、バンコク
泰緬鉄道


旨いバンコク

2016-01-30 13:54:38 | 東南アジア

たぶん10回目のバンコク。20年以上前に初めて足を踏み入れた外国がここだった。当時は、トゥクトゥクだらけだった。その後、スカイトレインや地下鉄ができて、トゥクトゥクもほとんど姿を消して、ずいぶん街の様子が変わってしまった。

今回も食事に出るくらいの余裕しかない。

■  Ban Khun Mae(タイ料理)

バンコクで働きはじめたばかりの人のおすすめ。フライドライスがしっとりして旨い。

■ Mango Tango(マンゴー)

大評判、マンゴーを使ったデザートの店。うっかり見つけてしまい、スルーできなかった。「Mango Salsa」という、マンゴープリンにマンゴーシェイクとタピオカをかけて、さらに生マンゴーを添えたという代物を食べた。旨かったが後頭部が猛烈に痛かった。

■ 遼寧餃子館(中華料理)

これも仕事仲間の推薦があって、うきうきして足を運んだ。三種の餃子というものがあって、焼き餃子、蒸し餃子、水餃子。焼き餃子は羽根つきで、蒲田のニーハオよりも過激に薄かった。蒸し餃子には小籠包かというほど肉汁が封じ込められていた。大満足だったが、食べ終わるころにゴルフ焼けしたオヤジ軍団がどやどやと入ってきたので、早々に退散した。

ところで、四方田犬彦・晏妮編『ポスト満洲映画論』によると、関東軍に占める栃木県出身者の割合が高かったために、引揚者が宇都宮で餃子を売り出しはじめたという。遼寧省も旧満州の東北地方。しかし焼き餃子は主流ではないはずで、では羽根つき餃子はどこで生まれたのだろう。

 

  

iphone 6s

●参照
バンコクのプーパッポンカリー
シンガポールのクレイポットとバンコクのカニ
バンコクの●野屋
バンコクの「めまい」というバー


旨いハノイ その4

2016-01-26 23:41:51 | 東南アジア

たぶん8回目のハノイ。食事くらいしか空いた時間がない。

■ Cay Cau (ベトナム料理)

何回目かな。小奇麗で旨いので、日本人も多い。

■ 4 P's(ピザ)

脱サラした日本人がはじめたというピザ屋。狭い路地に入ると、突然あらわれる。やはり外国人の比率が高いが、今後、さらにこうしたお洒落な店が増えていくのかもしれない。ホーチミンの店舗はさらに大人気で、当日予約をしても取れないと聞いた。ハノイはカフェ文化の街であり、そちらもお洒落化が進むのかなと思っている。

中はコンクリート打ちっぱなしで天井が高く、ピザ窯も設えてある。そのピザはかなり工夫してあって、冗談抜きで旨い。生地はすこしやわらかい。

■ ASHIMA(きのこ鍋)

ここもリピートしている。きのこを何種類も選び(当然まつたけも入れた)、スープを選び、肉を選ぶ。きのこの出汁が出たスープ、それはもう。

ところで新メニューとして、冬虫夏草の炒め物があり、仰天した勢いで食べてみた。別にかわったところはなかったが、多少でも健康になるのかな。

iphone 6s

●参照
旨いハノイ
旨いハノイ その2
旨いハノイ その3


2015年10月、ハノイ

2015-10-23 07:29:19 | 東南アジア

10か月ぶり、たぶん7回目のハノイ。M42のヤシノン開放でまるで夢の中のように写った。

Bessaflex、DS-M Yashinon 50mmF1.4(開放)、Fuji 400H

●参照
2014年12月、ハノイ
2014年10月、ハノイ(2) 朝の市場
2014年10月、ハノイ(1) 朝の湖畔
2013年1月、ハノイ
2012年8月、ハノイの湖畔
2012年8月、ハノイ
2012年6月、ハノイ
ハノイのレーニン像とあの世の紙幣
ハノイの文廟と美術館
2008年10月、ハノイの街


旨いハノイ その3

2015-10-22 13:10:48 | 東南アジア

たぶん7回目のハノイ。一泊だけであり、簡単なものしか食べる時間がない。

■ Pho 24

何度も入ったフォーのチェーン店。かつては大森など東京にも3店舗出店していた。

夜遅くに到着して空腹になり、まだやっているだろうと入った。ところが客は他におらず(もっとも、フォーは朝に食べるものだ)、フォー・ボーを頼んでみると、ほとんど牛肉が入っていない。味も大したことがない。こんなものではないはずなのだ。それとも店舗によって違うのか。

■ Pho Thin

地元で働く方が、評判良いと言って連れていってくださった。たしかにフォー・ボーが冗談のように違う。スープも、鶏と牛の出汁が出ていてとても旨い。大満足した。

■ Quan Nem

春巻とブンチャ(米の細麺をつけ汁で食べる料理)を売りにしている店。ここも評判が良いとのこと、こぎれいな店だった。中には「CNN推薦」などと書いてあった(笑)。

ブンチャの汁に肉汁が混ざっていってたまらない味になってくる。さらに、巨大なカニの春巻が旨いこと旨いこと。中身がぼろぼろこぼれて勿体なくて、全部食べた。

Nikon P7800

●参照
旨いハノイ
旨いハノイ その2


バンコクのプーパッポンカリー

2015-10-21 00:23:47 | 東南アジア

たぶん9回目くらいのバンコク。この街では、必ずと言っていいほど「ソンブーン」に吸い込まれる。たいへんな有名店であり、いつも見渡すと日本人が半分くらいはいる。おそらく、ほとんどの人の目当ては、名物メニューの「プーパッポンカリー」(蟹のカレー炒め)である。とは言っても、カレーの味はほとんどせず、ふわふわの卵と蟹肉をひたすら食べる料理である。これが冗談抜きで旨い。今回も無言で食い続けた。

なお、偽物の「ソンブーンディー」という店がある。タクシー運転手と結託していて、そこに入ってしまうと、「プーパッポンカリー」だけ時価でぼったくられ、しかも、不味く、しかも、のべつまくなしにチップを要求される。わたしは数年前に騙された。改めてソンブーンのウェブサイトを見ると、そのことが警告として書いてあり、笑ってしまった。

●参照
シンガポールのクレイポットとバンコクのカニ
バンコクの●野屋
バンコクの「めまい」というバー


2014年12月、ハノイ

2014-12-07 20:37:25 | 東南アジア

朝は湖畔や市場を散歩。スナップにマニュアル一眼レフも気持ちいいものである。

※写真はすべて、Pentax K2DMD、M50mmF1.4、コダック・ポートラ400

●参照
旨いハノイ その2
2014年10月、ハノイ(2) 朝の市場
2014年10月、ハノイ(1) 朝の湖畔
旨いハノイ
2013年1月、ハノイ
2012年8月、ハノイの湖畔
2012年8月、ハノイ
ハノイのMaiギャラリー
2012年6月、ハノイ
ハノイのレーニン像とあの世の紙幣
ハノイの文廟と美術館
2008年10月、ハノイの街


旨いハノイ その2

2014-12-03 07:53:19 | 東南アジア

2か月ぶり、6回目のハノイ。


ベトナムはカフェ文化。アメリカンを頼まないとコーヒーがねっとり濃い。

■ Pots'n Pans (今風ベトナム料理)

最近出来たという評判を聞いて、到着早々に行ってみた。薄暗くオシャレなつくりで、料理もオシャレ。値が張る。


生春巻


なんだっけ肉料理

■ Wild Lotus (今風ベトナム料理)

再訪。前回、エビのオレンジソースが気に入り、今回は鴨のオレンジソースを注文。これも旨い。マンゴー入りの生春巻も旨い。


鴨のオレンジソース


マンゴー入り生春巻

■ ASHIMA (きのこ鍋)

もう4回目くらいか。出汁に7種類のきのこの味が出ていてたまらないのだ。食べ終わった直後もまた来たいと思う。


きのこ投入中


きのこのにんにく炒め

※写真はすべて、Nikon v1 + 10mmF2.8

●参照
旨いハノイ


竹内正右『モンの悲劇』

2014-11-21 23:33:56 | 東南アジア

竹内正右『モンの悲劇 暴かれた「ケネディの戦争」の罪』(毎日新聞社、1999年)を読む。

モン族は、中国雲南省からベトナム北部、ラオス北部で生活する山の民である。佐々木高明『照葉樹林文化とは何か』によると、もともと長江流域で稲作をしていたが、太平天国の余波などにより、東南アジアへと移動してきた。さらにまた、梅棹忠夫『東南アジア紀行』によれば、1000mの等高線で切って、それ以下の部分を地図で消し去ってしまうと、あとに彼らの「空中社会」があらわれる。

本書は、そのモン族が、戦後も、大国の思惑で翻弄され続けてきたことを示す。インドシナ戦争とベトナム戦争、さらにその後も、フランスやアメリカの「反共」のために多数が動員された。中越戦争にも、タイ・ラオス国境紛争にも、モンは巻き込まれた。70年代末には、北ベトナム軍が、ソ連から提供を受けた化学兵器をモン攻撃のために使った証拠さえあるという。それが本当なら、ベトナムは枯葉剤の被害者であるだけでなく、加害側にも立っていたことになる。

大変興味深いルポなのだが、残念なことに、文章が読みにくい。本書を読み解いてあらためて歴史の中に位置づけていく仕事があればよいと思う。


モン族のふたり(ベトナム北部、2012年)  Pentax LX、FA77mmF1.8、Fuji Superia 400

●参照
佐々木高明『照葉樹林文化とは何か』
梅棹忠夫『東南アジア紀行』


2014年10月、ハノイ(2) 朝の市場

2014-10-12 10:27:16 | 東南アジア

ハノイは表通りも面白いが、裏通りも面白い。ちょっと横町に入ると、魚、肉、野菜、花、日用品。ちょうど今年はインドシナ戦争の終結(1954年)から60周年にあたり、あちこちに記念の看板やベトナムの国旗が飾られている。

毛細血管のような小さい路地に入り込んだところ、方向がまったくわからなくなって、外に出るにはどうすればいいかを人に尋ねなければならなかった。

※写真はすべて Leica M3、Pentax 43mmF1.9、Fuji 400H

●参照
2014年10月、ハノイ(1) 朝の湖畔
旨いハノイ
2013年1月、ハノイ
2012年8月、ハノイの湖畔
2012年8月、ハノイ
ハノイのMaiギャラリー
2012年6月、ハノイ
ハノイのレーニン像とあの世の紙幣
ハノイの文廟と美術館
2008年10月、ハノイの街