四谷三丁目の喫茶茶会記(2017/12/23)。
Seshen (vo, movement)
Rema Hasumi 蓮見令麻 (p)
蓮見ソロ、Seshenソロ、デュオの順に行われた。
蓮見さんのピアノ演奏は、音楽が種から生まれたちのぼる瞬間のプロセスを繰り返すようだった。緊張感が張り詰めるということとも違う。なにか常ならぬことを目撃するような感覚か。演奏中にもちろん静寂もあるものの、それが音楽の途上で亀裂を生じさせないように見守るのではなく、それを観客も、また蓮見さん自身も当然のこととして受けとめていた。
次にSeshenのソロ・パフォーマンス。どこかから声が聴こえる。こうなると発生源は喉だとも言えず身体全体であり、それが場と境界を隔てることなくつながっていた。その増幅と共振のプロセスを目撃したのだった。彼女は体躯を前方に折り曲げてゆき、最後には鳥になったように見えた。
休憩をはさまずデュオ。Seshenは床面をスキャンし、その探索の動きを水平から垂直へと持ち上げてゆく。天をめざすような場面も、髪の毛によって顔を隠し匿名化する場面もあった。彼女はまた媒介者でもあり、それが、ピアノ演奏と場とをつなげているようだった。蓮見さんのプレイも明らかにソロとは異なり、複数者の流れの中に身を置いた。そしてまた、Seshenは鳥になった。
ご出産後はじめての日本での演奏だったが、蓮見さんは元気そうだった。この9月にNYのRouletteでマタナ・ロバーツのコンサートにご一緒したときも同じで、演奏時も、他人のパフォーマンスを観るときも、なにかを感知する端子が場に向けられているように思えてうれしかった。
ちょうど来日しているベン・ガースティンも来て動画を撮っていた(今回はかれのライヴに行けず残念)。「While We Still Have Bodies」の新譜を持ってきていれば欲しかったのだが、もう出発前にばたばたしていて忘れてしまったと笑っていた。
Fuji X-E2、XF35mmF1.4
●蓮見令麻
蓮見令麻@新宿ピットイン(2016年)
蓮見令麻@荻窪ベルベットサン(2015年)