Sightsong

自縄自縛日記

中川右介『山口百恵』

2013-11-27 23:11:46 | ポップス

中川右介『山口百恵 赤と青とイミテイション・ゴールドと』(朝日文庫、2012年)を読む。

不世出の歌手、山口百恵。13歳のときにオーディション番組『スター誕生!』に登場してから、21歳で引退するまで、活動期間はわずか7年余りに過ぎない。

彼女が歌う姿をテレビで視ていたのは、わたしがまだ小学生のときだった。どちらかと言えば、ピンクレディーや沢田研二のマネなんかをしていて、百恵はヘンな顔だなあと思っていた記憶がある。しかし、いまあらためて当時の百恵の映像を観ると、ただごとでないアウラをまとっていたことを否が応でも実感させられる。その佇まいから推察できる覚悟は、二十歳前後の人間のものとは思えない。

本書を読み進めていくと、そのアウラが、商売のために創り上げられたただの虚像に過ぎないものではなく、虚構の山口百恵と生身の山口百恵との相克によって生み出されたものだったことがわかる。そして、生身の山口百恵が虚構の山口百恵を圧倒していったとき、歌手・山口百恵は本物となり、そして結婚と同時に引退することとなった。

もし、山口百恵が芸能活動を続けていたら、著者のいうように、80年代にトレンディ・ドラマなどに登場していたのだろうか。ちょっと想像を超えてしまう。

●参照
山口百恵『曼珠沙華』、『ア・フェイス・イン・ア・ヴィジョン』


原武史『レッドアローとスターハウス』

2013-11-26 22:59:00 | 関東

原武史『レッドアローとスターハウス もうひとつの戦後思想史』(新潮社、2012年)を読む。

戦中、西武鉄道と武蔵野鉄道(のちに西武に合併)は、糞尿列車としての機能を担った。都心で発生する糞尿を、武蔵野に持ち出すのである。武蔵野は、それほどに田舎であった。

その地に、戦後、西武グループの創業者・堤康次郎は、大きな都市開発事業とインフラ事業を仕掛け続けた。学園都市開発には成功しなかったものの、都市公団と組んでの大規模な団地の開発、西武ストアーや西友の店舗開発、行楽施設。ハンセン病や結核の療養施設。

堤康次郎の信条は、親米反共であった。ところが、鉄道とセットになった郊外における集合住宅は、実際には、ソ連型のものであった。そして、この地、すなわち清瀬や保谷や田無や東村山といった地域においては、新たな生活とともに大きな矛盾が顕在化した。それは、権力のからくりに敏感な人々にとって、自治の思想を発展させる土壌となったのだという。結果として、西武沿線は、堤の思想とは真逆に、日本共産党や社会党の大きな支持基盤となっていった。

本書において語られるこのような地域史は、非常にスリリングで面白い。そして、この地にいちどは根付いた革新思想が、共産党の教条主義、中央集権主義、権威主義によって阻害されることなく、さらなる独自な発展を遂げていたならと思うと、とても残念な気がする。

●参照
工藤敏樹『メッシュマップ東京』
団地の写真(北井一夫『80年代フナバシストーリー』、石本馨『団地巡礼 日本の生んだ奇跡の住宅様式』)


ジョセフ・クーデルカ展

2013-11-24 23:15:11 | ヨーロッパ

竹橋の国立近代美術館に足を運び、ジョセフ・クーデルカ展を観る。大規模なものとしては、2011年に東京都写真美術館で開かれた『プラハ1968』(>> リンク)以来である。

ジョセフ・クーデルカ(ヨゼフ・コウデルカ)は、チェコスロバキア出身。「プラハの春」の撮影により、故国を離れ西側に亡命せざるを得なくなるわけだが、本展で紹介されている若き日の写真群は、クーデルカが政治ドキュメントの写真家にとどまらないことを示している。既にこの段階で、ピンボケにせよ、画面構成にせよ、強い方法論をみることができる。

そして、中東欧のロマ、ジプシーを撮った「ジプシーズ」。欧州のさまざまな国々において、抑圧され、疎外された環境下で生きている人々やその痕跡を撮った「エグザイルズ」。プラハ侵攻。パノラマフォーマットにより、平板なことばでは捉えられない風景を撮った「カオス」。

いずれも、息を呑むほど胸を衝く。この力は何だろう。

いかに弾圧し、抑圧し、滅却しようとしても、あるいは実際に物理的な滅却をなしえたとしても、人間の個をすべて潰してしまうことはできない。少なくとも、これらの写真群には、そのような被写体と写真家の激烈な意思が漲っていることは確かである。

●参照
ジョセフ・クーデルカ『プラハ1968』


上本ひとし写真展『海域』

2013-11-24 21:30:42 | 中国・四国

銀座ニコンサロンに足を運び、上本ひとし写真展『海域』を観る。

山口県周南市の大津島には、かつて、人間魚雷「回天」の訓練場があった。おそるべきことだ。自らの命を無為に落とすために、特攻の訓練さえもさせられていたのである。

この写真群は、大津島、さらに島を取り巻く海を、スクエアフォーマットの銀塩フィルムによってとらえている。むろん、テキストによる説明はある。しかし、写真は、ものいわぬ海を見つめている。この視線の強度たるや、刮目にあたいする。

薄暗がりのなかでの、島のかたち、波のかたちと光、船、小舟、鳥。すべてを覚悟して受け止めなければ許さぬといわんばかりである。これらを撮ることじたい、写真家は「還暦を迎えて」、はじめて可能となったのだという。

わたしも山口県の出身だが、この島のことは、数年前まで知らなかった。いつか訪ねてみたいところである。

●参照
上本ひとし写真展『OIL 2006』


デイヴ・リーブマンの映像『New Jazz Festival 1975』

2013-11-23 13:18:31 | アヴァンギャルド・ジャズ

デイヴ・リーブマンのDVD作品、『New Jazz Festival 1975』を観る。

1975年にドイツ・ハンブルグで開かれたジャズフェスでの演奏である。元はテレビ作品なのだろうか、最初にミヒャエル・ナウラ(ドイツのピアニスト)により、ドイツ語での紹介がなされる(ドイツ語だということがわかるだけで、意味はまったくわからない)。

Dave Liebman (ts, ss, fl)
Richie Beirach (p, key)
Frank Tusa (b)
Jeff Williams (ds)
Badal Roy (perc)

リーブマンのサックスは技巧を体現しており、熱演する様子を観ていると、ただただ感心する。ジョージ・ガゾーンやマイケル・ブレッカーらとともに大きなジャズサックスの潮流を創りあげた人物なのだろう、と勝手に思っている。当時の様子は知らないが、登場してきたときにはかなりの衝撃もあったのではないか。

しかし、これは紛うことなき「エクササイズ」である。感心はしても、それ以上に心が動かされることはない。勿論、素晴らしい。

70年代ということもあり、皆のファッションも場の熱気も面白い。リッチー・バイラークなんて、ヒッピー・ムーブメントを絵に描いたようないでたちである。

●参照
デイヴ・リーブマン『Lookout Farm』、ジョージ・ガゾーン『Live in Israel』 気分はもうアスリート


『Rocket Science』

2013-11-21 22:37:05 | アヴァンギャルド・ジャズ

『Rocket Science』(Moreismore Records、2012年録音)。グループ名義のセッションだが、ここでの目玉は、やはり、巨匠エヴァン・パーカーピーター・エヴァンスがいかに絡んでいくか。

Evan Parker (ts, ss)
Peter Evans (tp, piccolo tp)
Craig Taborn (p)
Sam Plura (laptop)

実にファンタジックな1時間のライヴである。このような場に居合わせたとしたら、朦朧として、しばらくは現実世界に戻ることができないだろう。

重力を失った時空間で絡むのは、パーカーとエヴァンスだけではない。ラップトップから発せられる電子音までもが、サックス、トランペットとともに組んず解れつ。彼らは決して同じ位相には居続けない。タテから見れば同じ場でのステップでも、ヨコから見ればなぜか別の場。あるいは、1周回れば別の複素平面。彼らが自在に行き来するのは、そんな抽象的な位相間である。

そのなかで、クレイグ・テイボーンのピアノは音楽に着地点を与えているような印象がある。もっとも、着地点なんてなくてもよいのではあるが。

●参照
ウィーゼル・ウォルター+メアリー・ハルヴァーソン+ピーター・エヴァンス『Mechanical Malfunction』
ウィーゼル・ウォルター+メアリー・ハルヴァーソン+ピーター・エヴァンス『Electric Fruit』
ピーター・エヴァンス『Ghosts』
ピーター・エヴァンス『Live in Lisbon』
1988年、ベルリンのセシル・テイラー(エヴァン・パーカー参加)
ネッド・ローゼンバーグの音って無機質だよな(エヴァン・パーカーとのデュオ)
ペーター・コヴァルトのソロ、デュオ(エヴァン・パーカーとのデュオ)
アレクサンダー・フォン・シュリッペンバッハ『ライヴ・イン・ベルリン』(エヴァン・パーカー参加)
シュリッペンバッハ・トリオの新作、『黄金はあなたが見つけるところだ』(エヴァン・パーカー参加)
デイヴ・ホランド『Prism』(テイボーン参加)


J・M・クッツェー『The Childhood of Jesus』

2013-11-21 09:00:00 | 中東・アフリカ

J・M・クッツェーの新作『The Childhood of Jesus』(Viking、2013年)を読む。

クッツェーは南アフリカ出身のノーベル文学賞作家であり、ブッカー賞も2度受賞している。わたしは『夷狄を待ちながら』(1980年)と、ポール・オースターとの書簡集『Here and Now: Letters (2008-2011)』(2013年)を読んだことがあるだけだ。

モンゴルへの行き帰り、福岡への行き帰りと読み続けて、昨夜読了した。次の展開が気になってしまうストーリーテリングの技は、さすがである。

新しい地に、着の身着のまま辿り着いた男シモン。彼は、両親不明の幼児デイヴィッドを連れ、その母親を探しだすと心に決めていた。シモンは、難民収容施設を経て、港湾での力仕事に就き、友人や仲間も見つける。ある日、散策に出かけた里山で、テニスをしている女性イネスを目撃し、シモンは、彼女こそデイヴィッドの母親だと直感的に決めつける。隔離された環境で30歳近くまで過ごしてきた処女イネスはそれを受け容れるが、デイヴィッドを囲い込み、外の環境に接することを許さない。シモンの説得により、デイヴィッドは学校に通うようになるが、もはや自らの宇宙を持つデイヴィッドは、学校の社会から拒絶され、放逐される。当局はデイヴィッドを特別学校に強制的に入れようとし、シモン、イネス、デイヴィッドはそれを拒否する。そして、彼らは車に乗って、北へのあてのない旅に出る。見えてきたのは、再び、過去が関係のない新しい地であった。

またしても異人となることを繰り返す、終わりのない物語。読了後、肩すかしにあったような脱力感を覚えた。

この奇妙な物語世界は何だろうか。もちろん、タイトルといい、登場人物たちの名前といい、キリスト教に直接紐付けた寓話ではある。しかし、社会秩序や、性欲や、食糧や、言語や、労働の目的などを巡る哲学的な会話は、浅くて薄い。

港湾の倉庫にネズミが多すぎることについて、シモンは清潔にしてネズミを駆逐すべきだと主張する。それに対し、労働管理者は、食糧がこぼれていることによって、ネズミが生きているのだと語る。ネズミを生かすためにつらい労働をしているのか、いや世界はそのように己だけのために存在するのではない、というわけだ。面白くはあるが、たとえば、埴谷雄高『死霊』における生態系についての対話のほうが、遥かに思索的であり、狂気と笑いに満ちているものだった。

それとも、このペラペラの哲学的対話も、制度や規範に受容されない者たちの存在も、そして異人としての絶対的な出現も、固陋で自由からはほど遠い現代社会と宗教の歴史を、相対化して提示するためのものだったのだろうか。

●参照
ポール・オースター+J・M・クッツェー『Here and Now: Letters (2008-2011)』


『BRÖTZM/FMPのレコードジャケット 1969??1989』

2013-11-20 07:55:55 | アヴァンギャルド・ジャズ

週末、セシル・テイラーのコンサートの前に、白金の「print gallery」に足を運び、『BRÖTZM/FMPのレコードジャケット 1969??1989』を観た。音楽家ペーター・ブロッツマンによる、レコードジャケットなどのアート作品に焦点を当てた展示である。

これまで、確かにFMPレーベルのジャケットの特徴には好感を持っていたものの、それ以上ではなかった。

実際のところ、独特な活字やタイポグラフィ、活版印刷、さらにはイラストまで、ブロッツマンの手によるものが多いというのだった。勿論、ハン・ベニンクによる松の葉のような文字もある。他の者による素材もあるだろう。

このあたりは、本展主催者のように詳しい方に教示いただかないとわからないところだ。話してみると、ブロッツマンがナム・ジュン・パイクのサポートをしていた時期があるといい、アーティストとしては、フルクサスの運動のなかに位置づけるべきなのだという。これはなかなかの驚きだ。

主催者自らが製作したジャケット集『BRÖTZM (fischiff VERLAG)』を1冊購入した。凝ったつくりでしばらく楽しめそうだ。

会場には、主催者が収集したブロッツマン作品集などが置いてあった。油彩、版画、珍しい写真、どれにも目を奪われる。こんなものがあったとは。

ブロッツマンのみならず、思い出してみると、A.R.ペンクペーター・コヴァルトなど、ヨーロッパ・ジャズとアートとのもっと注目されるべき接点は少なくないように思える。

●参照 
ペーター・ブロッツマンの映像『Concert for Fukushima / Wels 2011』
ペーター・ブロッツマンの映像『Soldier of the Road』
ペーター・ブロッツマン@新宿ピットイン
ペーター・ブロッツマン+佐藤允彦+森山威男『YATAGARASU』
ペーター・ブロッツマン
セシル・テイラーのブラックセイントとソウルノートの5枚組ボックスセット(ブロッツマン参加)
ペーター・コヴァルトのソロ、デュオ(ブロッツマン参加)
ハン・ベニンク『Hazentijd』(ブロッツマン参加)
A.R.ペンクのアートによるフランク・ライト『Run with the Cowboys』
エバ・ヤーン『Rising Tones Cross』(ペンクの絵の前でのセッション)
ペーター・コヴァルトのソロ、デュオ(コヴァルトのヘタウマな絵)
2010年と1995年のルートヴィヒ美術館所蔵品展(ペンクの絵)
ヨーロッパ・ジャズの矜持『Play Your Own Thing』(ゲオルグ・バゼリッツがペンクについて語る)


桑原史成写真展『不知火海』

2013-11-18 07:45:57 | 九州

銀座ニコンサロンにて、桑原史成の写真展『不知火海』を観る。

旧・チッソによる水銀廃液が引き起こした水俣病の姿を追った写真群であり、1960年代の本格的な発病から、完全な救済に至らない現在のありようまでが展示されている。

もちろん患者の姿は痛ましい。しかし、なかには、「生ける人形」と呼ばれた少女を、写真家が「なるべく美しく撮ろうとした」写真もある。患者とひとくくりにできないことを如実に示すものだ。そのことは、政治決着を目指して登場してきた政治家たち(それが政治的な善意だとしても)の写真と対置されることによって、なおさら際立ってくる。

●参照
土本典昭『水俣―患者さんとその世界―』
土本典昭さんが亡くなった(『回想・川本輝夫 ミナマタ ― 井戸を掘ったひと』)
原田正純『豊かさと棄民たち―水俣学事始め』
石牟礼道子『苦海浄土 わが水俣病』
『花を奉る 石牟礼道子の世界』
石牟礼道子+伊藤比呂美『死を想う』
佐藤仁『「持たざる国」の資源論』(行政の不作為)
工藤敏樹『祈りの画譜 もう一つの日本』(水俣の画家・秀島由己男)


セシル・テイラー+田中泯@草月ホール

2013-11-18 00:16:50 | アヴァンギャルド・ジャズ

Cecil Taylor (p, vo, dance)
田中泯(オドリ)
2013年11月17日

京都賞を受賞した記念で、セシル・テイラーが再来日した。会場の草月ホールは、テイラーを観るという期待で興奮した人たちで埋まった。

2012年4月にブルーノート東京で予定されていたライヴは、本人の体調不良でキャンセルされた。その前、2007年に来日して山下洋輔とのデュオ演奏を行ったときには、都合がつかず、見送った。そんなわけで、わたしにとっては、2004年にベルギーのアントワープでトニー・オクスレーとのデュオ演奏を観て以来、9年ぶりだ。その時も、ブリュッセルに戻る終電のことが心配で、最後まで見届けることができず、ぜひもういちど観たいと願っていたのだった。

第一部。真っ暗ななか、田中泯がおどりはじめ、程なくしてテイラーも暗闇でピアノに向かっておどりながらにじりすすむ。弦を叩いたり、叫んだりしたあとに、静かにピアノを弾きはじめた。定型ではありえないが、これは、紛うことなきテイラーの手癖だ。このセットは、最後まで、緊張感を保ったまま静かに終わった。

第二部。今度は普通にピアノの前に座るテイラー。時空間のなかで田中泯がおどるというより、田中泯のおどりが時空間を創り出している感覚である。テイラーのピアノは、依然として抑制されたままだ。いちどだけ、田中泯の激しいおどりとシンクロしてピアノソロが鋭い矢を放ちまくった。そして1時間。田中泯がピアノに寄りそい、奇妙な動きや表情を示しつつ、ピアノ演奏を終息させたようにみえた。

演奏後、ステージ上で観客に向いたテイラーは、あきらかに老いていた。その右手は、まだ鍵盤を弾き続けていた。挨拶のことばはくぐもってよく聴こえなかったが、「bone of dead」ということばで、田中泯の先達である土方巽のことに言及していたのではなかったか。

もはや、テイラーは、漲る知力と体力をパフォーマンスに注ぎ込み、怒涛のような音の塊を構築する人ではなかった。

しかし、老いたテイラーの姿を凝視していると、奇妙な感慨に襲われた。これは、セシル・テイラーという偉大な歴史そのものの最後の光なのではないか、と。それを今、目の当たりにしているのではないか、と。

●参照
ドミニク・デュヴァル+セシル・テイラー『The Last Dance』(2003年)
セシル・テイラーの映像『Burning Poles』(1991年)
セシル・テイラー『The Tree of Life』(1991年)
セシル・テイラー『In Florescence』(1989年)
1988年、ベルリンのセシル・テイラー
セシル・テイラーのブラックセイントとソウルノートの5枚組ボックスセット(1979-86年)
イマジン・ザ・サウンド(セシル・テイラーの映像)(1981年)
セシル・テイラー『Dark to Themselves』(1976年)、『Aの第2幕』(1969年)
セシル・テイラー初期作品群(1956-62年)
『人を動かす絵 田中泯・画家ベーコンを踊る』
姜泰煥・高橋悠治・田中泯
姜泰煥・高橋悠治・田中泯(2)
犬童一心『メゾン・ド・ヒミコ』、田中泯+デレク・ベイリー『Mountain Stage』


2013年11月、ウランバートル

2013-11-17 23:26:18 | 北アジア・中央アジア

はじめて訪れるモンゴル。零下10度くらいと寒くはあるが、ちょうど風が吹いておらず、体感的にはさほどつらくはなかった。

ウランバートルの中心部にあるスフバートル広場は、つい最近、チンギス広場と改名されたばかりだということだった。


チンギス広場の雪


チンギス広場


チンギス・ハーン


チンギスの右腕


チンギス広場


バス


ウランバートル景


※写真はすべてミノルタTC-1、Fuji Pro 400による


セシル・テイラーの映像『Burning Poles』

2013-11-17 11:59:18 | アヴァンギャルド・ジャズ

セシル・テイラーの映像ヴィデオ『Burning Poles』(Mystic Fire、1991年)を再見する。随分前に、VHSで入手した。

Cecil Taylor (p)
William Parker (b)
Tony Oxley (ds)
André Martinez (ds, perc)

全員がパーカッションや笛をそろそろとかき鳴らす中、テイラーのポエトリー・リーディングがはじまる。それは「Sun! Iron!」といったタームのみであったり、叫びであったりする。

やがてテイラーはピアノを弾きはじめる。それがヒートアップするまでに時間はかからない。地霊を呼び起こすようであったり、天と地の間を跳躍し続けたり、クリスタルの大伽藍を構築するようであったり。しかしながら、テイラーのプレイは定型を徹底的に拒絶しており、これをテイラー節と呼ぶべきなのかどうか。彼の両手が鍵盤の上を縦横無尽に動き回る様は、息を呑んで凝視し続ける他はないものだ。

ウィリアム・パーカーは、テイラーの速度がアップすると、弓から指へとギアを切り替える。トニー・オクスレーが繰り出すさまざまな破裂音も素晴らしい。ふたりとも、パーカーに対峙し、狩人のような鋭い眼をみせる。

今晩、テイラーのパフォーマンスを観に行く。わたしにとっては、ベルギーのアントワープでオクスレーとのデュオを観て以来、9年ぶりである。何が繰り広げられるのか、楽しみでならない。


セシル・テイラーとトニー・オクスレー、アントワープ Leica M3, Summitar 50mm/f2.0, スペリア1600

●参照
ドミニク・デュヴァル+セシル・テイラー『The Last Dance』(2003年)
セシル・テイラー『The Tree of Life』(1991年)
セシル・テイラー『In Florescence』(1989年)
1988年、ベルリンのセシル・テイラー
セシル・テイラーのブラックセイントとソウルノートの5枚組ボックスセット(1979-86年)
イマジン・ザ・サウンド(セシル・テイラーの映像)(1981年)
セシル・テイラー『Dark to Themselves』(1976年)、『Aの第2幕』(1969年)
セシル・テイラー初期作品群(1956-62年)


『Number』のイーグルス特集

2013-11-16 21:59:44 | スポーツ

『Number』(文藝春秋)の毎年恒例、日本シリーズ号。今回は当然、イーグルス特集である。

昔はジャイアンツが負けたときの号を買わなかったりもしたが、もう大人、そんな行動は取らないのだ。モンゴルから帰国後、成田空港の売店でいそいそと入手し、さっそく読みながら帰った。

今シリーズのクライマックスは、やはり田中投手にジャイアンツが今年初めて「土をつけた」試合だった。バンコクの大阪居酒屋「432゛」(「しみず」と読む)で、飲み食いしながら、ほぼ最初から最後まで観戦した。

もちろん試合そのものはドラマチックで面白かった。しかし、田中投手にあそこまで投げさせたことは嫌な驚きだった。ある程度予想していたことではあるが、やはり、翌日の新聞には、「本人がいくと言ってきかないし、日本最後の登板だろうから」などという星野監督の談話が載っていた。さらに、田中投手は、翌日の優勝決定戦のリリーフ投手としても登板した。本人の昂る気持をコントロールするのが、まっとうな管理というものではなかろうか。

これもやはりというべきか、本誌でも、そのことを正当化する「熱い」記事が、巻頭に掲載されている。結果オーライならばいいというものではない。登板過多で選手寿命を縮めた投手は数多い。それとも、異議を唱えにくい雰囲気でもあるのだろうか。

対照的な記事が、今シーズンで引退した石井一久投手へのインタビューだった。石井投手は、昔から、投手の「分業制」を意識していた。

「ひたすら「わが身かわいさ」に消耗を避けたということではない。なにごとも気持ちが第一で、「強い気持ちで投げました」と投手が叫び、「魂の○○球」などとメディアも騒ぐ、その極端な精神主義への違和感がひとり分業制の実践だったのだろう。
 「自分の感じでは、男気を出す選手はケガをしやすい気がします。男気を出すよりは任されたところをしっかり抑えるほうが大事だと思うんですが」」

ところで、本誌の巻頭特集の見出しは「絶対エース、渾身の302球。」であった。

●参照
『Number』のホームラン特集
石原豊一『ベースボール労働移民』、『Number』のWBC特集
『Number』の「BASEBALL FINAL 2012」特集 
『Number』の「ホークス最強の証明。」特集
『Number』の「決選秘話。」特集
『Number』の清原特集、G+の清原特集番組、『番長日記』
『Number』の野茂特集


デイヴ・ホランド『Prism』

2013-11-13 00:32:10 | アヴァンギャルド・ジャズ

デイヴ・ホランドの最新作『Prism』(Dare2 Records、2012年録音)。

Dave Holland (b)
Kevin Eubanks (g)
Craig Taborn (p, Fender Rhodes)
Eric Harland (ds)

のっけからロック調。グルーヴという言葉の意味を実はよく理解していないのだが、クリシェを厚顔無恥に、しかもできるだけ厚かましく繰り出していけばいくほど高揚するグルーヴ感がある。ハーランドのドラムスもさることながら、ちょっと懐かしい感のあるユーバンクスのギターが鳴りまくってカッコ良い。

その中でテイボーンはピアノとフェンダーローズを自在に操り、御大ホランドのベースが、蝶のように、あるいはダンスのように、ひらりひらりと舞う。

引き締まっていて、かつ、発散し続けている音楽。円熟とはこのことか。

●参照
デイヴ・ホランド+ペペ・ハビチュエラ『Hands』
デイヴ・ホランドの映像『Jazzbaltica 2003』
カール・ベルガー+デイヴ・ホランド+エド・ブラックウェル『Crystal Fire』
ゲイリー・トーマス『While the Gate is Open』(デイヴ・ホランド参加)
ジョン・サーマン『Unissued Sessions 1969』(デイヴ・ホランド参加)


野坂昭如『新宿海溝』

2013-11-12 08:02:50 | 関東

野坂昭如『新宿海溝』(文藝春秋、1979年)を読む。確か、福岡の古本祭り「ブックオカ」で気が向いて買ったような。

講談調というのか、読点だらけであてもなく引きずられる、お馴染みの野坂スタイルの話芸。

タイトルから、新宿界隈で蠢く人間たちの物語だろうと思って読み始めた。実際そのようなものなのだが、しばらく読んで、これは野坂昭如自身を主人公にした自伝小説だということに気が付いた。道理で、石堂淑朗だの丸谷才一だの大島渚だのといった実在の人物たちが登場するわけだ。なお、新宿でいえば、「どん底」や「ピットイン」(もちろん、古い場所のほう)も出てくる。

彼らは毎晩のように飲みながら、だらしなく、粘っこく生きのびていく。読んでも元気など出ず、ただ脱力する。そのせいか、通勤途中で腹痛に襲われ、慌ててトイレに駆け込んだ。

●参照
平井玄『愛と憎しみの新宿』
新宿という街 「どん底」と「ナルシス」
歌舞伎町の「ナルシス」、「いまはどこにも住んでいないの」
半年ぶりの新宿思い出横丁とゴールデン街
堀田善衛『若き日の詩人たちの肖像』(かつてのナルシスが舞台)
田村隆一『自伝からはじまる70章』に歌舞伎町ナルシスのことが書かれていた
東松照明『新宿騒乱』
大島渚『新宿泥棒日記』