Sightsong

自縄自縛日記

陸元敏のロモグラフィー

2011-01-31 01:54:17 | 中国・台湾

先週北京に行った際に、西単の大きな書店「西単図書大廈」に立ち寄って、写真集を物色した。前よりもデジタルのコーナーに押され、銀塩のスナップショット作品集はさほど増えていなかった。それでも、陸元敏(ルー・ユアンミン)の『胶片時代的上海/Film-aged Shanghai』(同済大学出版社、2009年)を見つけた。38元(500円弱)だった。

『上海人』を撮った陸元敏である。距離感が割に近い人物写真を情緒的に撮った作品群であり、『誰も知らなかった中国の写真家たち』(アサヒカメラ別冊、1994年)でも大きく紹介されている。『上海人』に、のちにLOMO LC-Aを使った作品があると書かれていたことが気になっていたのだが、この『胶片時代的上海/Film-aged Shanghai』はまさにそれだった。

四隅の光量が急速に落ちるトンネル効果、フィルムのパーフォレーションにまで露光されているいい加減さ、ハイライトのハレーション、なるほどこうなるのかと思う。中国製Luckyのフィルムを使っているようだが、かなり増感しているような粒子感だ。ロモによるノーファインダーでの瞬きは絶妙でもあるが、暴力的でもある。少なくとも『上海人』に見られたような、牛腸茂雄を思わせる霞がかった抒情性は消えてしまっている。

陸元敏のインタビューによると、1970年代は勤務先のシーガルのカメラが使われている。90年代に何かの賞でシーガル300を入手し、それに中古のミノルタの35mmレンズを装着していたとある。その後、収入も増えてきて、オリンパス、コンタックス、コニカヘキサー、リコーGR1、そしてLOMO LC-Aに辿り着いている。ロモを自由に使いこなした写真群かと思いきやそうでもなく、出来上がりが予測できないカメラであるから、1万枚以上撮って満足できたのは100枚程度、オカネの無駄遣いだったという。そんなこともあって、もうデジカメに移行し、フィルムに回帰するつもりはないようだ。あの抒情性が失われたのは勿体ないという気もするが、本人の好きな写真家はチェコのヨゼフ・スデク森山大道だそうで、この都市に斬り込む粗粒子の暴力的な印画がむしろ特質なのかもしれない。

カメラを掴んで街に出て行きたくなる、いい写真集ではある。


好きな写真集『上海人』

●参照 中国の写真
陸元敏『上海人』、王福春『火車上的中国人』、陳綿『茶舗』
張祖道『江村紀事』、路濘『尋常』、解海?『希望』、姜健『档案的肖像』
劉博智『南国細節』、蕭雲集『温州的活路』、呉正中『家在青島』
楊延康、徐勇@北京798芸術区
亜牛、ルー・シャンニ@北京798芸術区
孫驥、蔣志@上海の莫干山路・M50
邵文?、?楚、矯健、田野@上海OFOTO Gallery
海原修平『消逝的老街』 パノラマの眼、90年代後半の上海


『けーし風』読者の集い(12) 県知事選挙をふりかえる

2011-01-30 01:40:52 | 沖縄

『けーし風』第69号(2010.12、新沖縄フォーラム刊行会議)の読者会に参加した。参加者は9名。

今号では、「県知事選挙をふりかえる」(伊波・元宜野湾市長が仲井眞知事に敗れた選挙)、それから、先日亡くなった屋嘉比収氏の特集が組まれている。表紙は瀬底島だそうである。

こんな話が出た。

○国が名護市(辺野古の現況調査を拒否)に対し、行政不服審査法に基づく異議申し立てをした(>> リンク)。この法律は本来、国民が国に対して用いるものであり、国が使うなど本末転倒。仮に名護市が拒否すれば、行政訴訟になるのではないか。
○県知事選での伊波候補落選について、戦略や戦術の面からの分析に偏り過ぎている(悪者探しさえもある)。本来は政策面での違いに焦点を当てるべきであった。
○伊波候補は落選したとは言え、仲井眞知事が「普天間の県外移設」を掲げざるを得ない状況を作った。その意味で、「経済vs.基地」という争点が薄れた。ただし、「経済の仲井眞」とは中身のないイメージである。
○知事選では病院・医療関係者が組織的に仲井眞支持に回った。建設はそうではなかった。背景がよくわからない。
○仲井眞知事は「集票カード」を大量に利用した。これは支持すると有権者に書いてもらい、自陣営の投票数の把握を事前に行うためのものであり、それに書いた有権者には投票の呪縛となる。
事前投票組織票を生む。また、実は投票率を下げる(家族全員で出かけるというイベント性がなくなるため、など)。以前の面倒だった「不在者投票」よりも簡単になった。
○伊波候補は「普天間では現在200人の雇用、返還され跡地利用すれば3万2000人の雇用」、「軍用地料は年間64億円、跡地利用すれば4500億円の経済効果」と発言している。しかし、話が具体性に乏しく、まだ訴求力を欠く。北谷の成功とは異なり、たとえば宜野湾では地権者がたくさんいるため、まとまった利用は難しい。読谷村の「象のオリ」跡地も同様の理由で更地のまま。
○基地跡地の利用による経済効果については、大田昌秀は楽観論者、来間泰男は悲観論者。来間泰男によると、比謝川の南なら生産力がアップするが北は下がるとしている。
○伊波候補は運動畑であり、語り口が硬すぎた。「ゆるキャラ」というアイデアもあったが、確かにネックだった。
○名護市への「ふるさと納税」を利用した再編交付金に頼らない予算づくり(>> リンク)については、昨年から運動がなされていた。既に400万円くらい集まっている。今回は改めて新崎盛暉が中心に呼びかけたもの。目取真俊が既存の税金システムを使うことを理由とした異論を唱えているが、そういった異論に関し、新崎氏は「相当的外れだ」と発言している。
○名護市予算については詳細がよくわからない。この方向に追随していた宜野座村は軟化した。
○宮古では航空自衛隊のレーダー基地が増強され、また伊良部島への橋が建設されているなど、自衛隊強化の動きがある。地元にも相当の危機感が芽生えてきている。しかし米軍に対する抵抗とは異なり、また沖縄本島に比べて軍隊アレルギーが薄い。賛成の声もある。
高江の工事強行が実際に何を目的になされているのか見えにくい。3月からノグチゲラ保護のために工事ができないので、その前の形づくりという側面があるのではないか。
嘉陽海岸(辺野古崎の北側、ジュゴンの餌場)で、「住民参加型エコ・コースト事業」という名前の護岸工事が進められているとある。これは何か。
○「沖縄オルタナティブメディア(OAM)」(>> リンク)の寄稿において、路面電車導入のことに触れられていた。ゆいレールは短く、バスは高く、自家用車で交通渋滞する沖縄にあって、確かに必要な公共交通のはず。ケービン復活はどうか。

●参照
「名護市へのふるさと納税」という抵抗
『世界』の「普天間移設問題の真実」特集(伊波洋一)
『沖縄基地とイラク戦争 米軍ヘリ墜落事故の深層』(伊波洋一・永井浩)
押しつけられた常識を覆す
屋嘉比収『<近代沖縄>の知識人 島袋全発の軌跡』
『けーし風』2010.9 元海兵隊員の言葉から考える
『けーし風』読者の集い(11) 国連勧告をめぐって
『けーし風』読者の集い(10) 名護市民の選択、県民大会
『けーし風』読者の集い(9) 新政権下で<抵抗>を考える
『けーし風』読者の集い(8) 辺野古・環境アセスはいま
『けーし風』2009.3 オバマ政権と沖縄
『けーし風』読者の集い(7) 戦争と軍隊を問う/環境破壊とたたかう人びと、読者の集い
『けーし風』2008.9 歴史を語る磁場
『けーし風』読者の集い(6) 沖縄の18歳、<当事者>のまなざし、依存型経済
『けーし風』2008.6 沖縄の18歳に伝えたいオキナワ
『けーし風』読者の集い(5) 米兵の存在、環境破壊
『けーし風』2008.3 米兵の存在、環境破壊
『けーし風』読者の集い(4) ここからすすめる民主主義
『けーし風』2007.12 ここからすすめる民主主義、佐喜真美術館
『けーし風』読者の集い(3) 沖縄戦特集
『けーし風』2007.9 沖縄戦教育特集
『けーし風』読者の集い(2) 沖縄がつながる
『けーし風』2007.6 特集・沖縄がつながる
『けーし風』読者の集い(1) 検証・SACO 10年の沖縄
『けーし風』2007.3 特集・検証・SACO 10年の沖縄


北井一夫『西班牙の夜』

2011-01-29 23:45:21 | 写真

ギャラリー冬青に足を運び、北井一夫写真展『西班牙の夜』を観た。最終日ぎりぎり、間に合った。

ギャラリーに入るなり、北井さんに「豊里さんの写真はさぁ、」と始められて吃驚。これまでの経緯が印象的だったのか。やはり、政治を前面に押し出したものよりも良い写真がいくつもあるのに惜しい、俳句集なんて面白くてあんな世界が出せるはずなのに、とのことだった。

1978年、スペイン。北井さんにしては珍しいカラー作品であり、他には『信濃遊行』、『フランス放浪』、『英雄伝説アントニオ猪木』があるのみ。石畳が濡れたバルセロナの夜の街、マドリッドのフラメンコ、それから飲み屋。三脚を立てて撮られた写真が、人いきれの喧騒が静まった後の息を潜めた街角の空気を封じ込めていて、あまりにも人間くさい。

北井さんによると、ライカM5にズミルックス35mmF1.4開放、コダクローム64。飲み屋は三脚を使わず手持ちで撮られたという。

「64で飲み屋で手持ちなんて凄いですね。」「プロですから。(笑)」

写真展にあわせて出版された写真集『西班牙の夜』(冬青社、2011年)に署名をいただく。プリントに比べればドライであり、これは仕方ないところではあるが、しかし印刷は素晴らしい。何と言っても、身もだえするコダクロームの色である。台湾の印刷会社の仕事であり、先日、北京のZen Foto Galleryで北井さんの写真展が行われ(そのタイミングでは北京に行けなかったが、渋谷の同ギャラリーでの作品と同じ)、その帰路に台湾に立ちよってあれこれと打ち合わせをしてきたらしい。

今後の北井一夫写真展情報。

●下北半島で撮ったモノクロ写真群(2011年夏?) Zen Foto Gallery
●『Walking with Leica 3』(2012年1月) ギャラリー冬青
●1965年、神戸の港湾労働者を撮った未発表写真群(2013年) ギャラリー冬青
●『(内緒だが北井一夫の代表作)』カラー版!(2014年?) ギャラリー冬青

●参照 北井一夫
『ドイツ表現派1920年代の旅』
『境川の人々』
『フナバシストーリー』
『Walking with Leica』、『英雄伝説アントニオ猪木』
『Walking with Leica 2』
『1973 中国』
中里和人展「風景ノ境界 1983-2010」+北井一夫
豊里友行『沖縄1999-2010』


北京の今日美術館、インスタレーション

2011-01-28 08:16:29 | 中国・台湾

北京でちょっと時間ができたので、今日美術館に足を運んだ。特別展は、H.D.シュレイダー(H.D.Schrader)の「空への梯子、その他」。

棒状、あるいは多面体に憑かれている人のようで、ホール一杯の空への梯子や、木々や草の間で成長する赤いモノリスの映像が展示されていた。鳥籠のようなものがいくつもぶら下がり音を奏でるサウンドスケープ的なインスタレーションもあった。しかし、あまり琴線に触れてはこない。

むしろ面白いのは上の常設展だった。杉本博司の劇場写真やアラーキーの少女写真もあったが、当然、ほとんどは中国アーティストの作品である。ただ、プロパガンダに対して斜に構えるポップな作品、高名な王廣義の「大批判」などはわかりやすいが、もはや現代ではない。

インスタレーションはいちいち愉快。陳文令の「How to Flee」は突撃する牛に刺される男、重くて軽い。劉建華の「My 24-hour Paranoia」は滅亡した世界を形作っていた。中国で世界の終わりを妄想するなんて!


陳文令「How to Flee」


劉建華「My 24-hour Paranoia」

●中国アート
北京の「今日美術館」で呂順、「Red Gate Gallery」で蒋巍涛、?平
王利豊(ワン・リーフェン)@北京Red Gate Gallery
周吉榮(ツォウ・ジーロン)@北京Red Gate Gallery
馮効草(フェン・ジンカオ)、徐勇(シュー・ヨン)、梁衛洲(リョウ・ウェイツォウ)、ロバート・ファン・デア・ヒルスト(Robert van der Hilst)、王子(ワン・ツィー)@北京798芸術区
孫紅賓(サン・ホンビン)、任哲(レン・ツェ)、老孟(ラオ・メン)、亜牛(アニウ)、ルー・シャンニ、張連喜(ツァン・リャンシ)、蒋巍涛(ジャン・ウェイタオ)@北京798芸術区
徐勇ってあの徐勇か@北京798芸術区、Soka Art Center移転
武漢アート@北京Soka Art Center
解放―温普林中国前衛藝術档案之八〇年代@北京Soka Art Center
蔡玉龍「へちま棚の下で30年」 静かなる過激@上海莫干山路・M50
蔡玉龍(ツァイ・ユーロン)の新作「气?/The Activity of Vitality」@上海莫干山路・M50
上海の莫干山路・M50(上)
上海の莫干山路・M50(中)
蔡玉龍(ツァイ・ユーロン)の「狂草」@上海莫干山路・M50
上海の莫干山路・M50のOFOTO Gallery(邵文?、?楚、矯健、田野)
袁侃(カン・ユアン)、孫驥(スン・ジ)、陸軍(ルー・ジュン)、蔣志(ジャン・ツィ)、クリス・レイニアー、クリストファー・テイラー@上海莫干山路・M50
Attasit Pokpong、邱?賢(キュウ・シェンシャン)、鐡哥們、杜賽勁(ドゥ・サイジン)、仙庭宣之、高幹雄、田野(ティアン・イェ)、何欣(ヘ・シン)、郭昊(グォ・ハォ)@上海莫干山路・M50
蔡玉龍(ツァイ・ユーロン)の「狂草」@上海莫干山路・M50
蔡玉龍(ツァイ・ユーロン)の新作「气?/The Activity of Vitality」@上海莫干山路・M50
燃えるワビサビ 「時光 - 蔡國強と資生堂」展@銀座資生堂ギャラリー
『なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか』(蔡國強)


春節前の北京で、北京ダックと小籠包

2011-01-26 23:32:14 | 中国・台湾

30℃のバンコクから、寒い東京を経て、すぐに氷点下の北京へ足を運んだ。たまには防寒対策でもしようかと、ユニクロでヒートテックの上下を準備しておいた。到着早々に着こんでみたが、いままでラクダにもパッチにも(同じか)無縁であったため、どうにも違和感が拭い去れなかった。

中国は春節直前、街は赤い提灯だらけだ。冬枯れの木にも赤い提灯の実がなっていた。

旨いという評判の「北京大董�斧鴨店」に行ってみた。北京ダック専門店に入るのはこれが三回目。日本では値段が怖くて食べたことがないが、中国ならそれなりである。削いだ皮に甜麺醤、砂糖、にんにくのタレなどをつけて、キュウリや生姜や葱と一緒に薄餅に包んで食べる。上品でまったく飽きない。

用事が終わって、フライトの前に、小籠包を目当てに「開封第一楼」で遅めの昼食を取った。全然高級店ではないからいちいち安い。蟹の小籠包や海老の小籠包を食べた。皮が厚く、穴が開いてスープがこぼれる心配はあまりない。たぽたぽの水風船のような小籠包とは違う。どっちのタイプが好きかと言われたら両方と答える。


蟹の小籠包


海老の小籠包

下の写真は、昨年11月に足を運んだ上海の「鼎泰豊」の小籠包。見るからに皮が薄く、熱いスープが揺れ動いている。


蟹の小籠包


上海蟹

●参照
上海「泰康湯包館」の小籠包


森口豁さんのブログで紹介

2011-01-24 04:49:59 | 沖縄

敬愛するジャーナリスト・森口豁さんにこのブログをご紹介いただきました。光栄です。

>> 〈沖縄〉が分かる! 森口豁のお薦めブログ No,1

●参照
『けーし風』2008.6 沖縄の18歳に伝えたいオキナワ
森口カフェ 沖縄の十八歳
罪は誰が負うのか― 森口豁『最後の学徒兵』
『子乞い』 鳩間島の凄絶な記録


『ノルウェイの森』

2011-01-23 22:12:16 | アート・映画

どうにも我慢できなくなって、トラン・アン・ユン『ノルウェイの森』(2010年)を観た。絶賛の声も罵倒の声もやたらに大きい作品である。

ワタナベ君も直子も緑も風である。風が擦音を立てながら、ぐるぐると回り続ける。風は擦音にとどまらず、何かに引っかかり、騒音をたてはじめる。村上春樹の小説を棒読みするようなセリフも、擦音であり、騒音であるように思える。そして死と喪失が、こちらの中にシコリのように残される。

直子が精神を傷めて入る施設の周囲の濡れた草草は素晴らしく映画的だ。また、直子の死のあとにワタナベ君が号泣する海辺のシーンなどは、大島渚『儀式』におけるテルミチ君の死のシーンに匹敵するほど厳粛である。

この映画は、将来、怪作と呼ばれるか、傑作と呼ばれるか。自分は絶賛する。

●参照
『風の歌を聴け』の小説と映画


川で遊ぶ、川を守る~日本と韓国の水辺環境

2011-01-23 21:48:24 | 環境・自然

ラムサール・ネットワーク日本が主催のセミナー「川で遊ぶ、川を守る~日本と韓国の水辺環境」を聴いてきた(2011/1/18、丸の内さえずり館)。

第1部は写真家・村山嘉昭氏による日本の川の写真上映とトーク。川で遊ぶ子供たち、通称「川ガキ」の姿が愉しい。ダムが中止された川辺川(熊本県)。山がしっかりしているために川底の苔に土がたまらず、アユが旨いという安田川(高知県)。「川の学校」を続けている吉野川(徳島県)。釣り人と泳ぐ子供たちが共存する長良川の郡上(岐阜県)。それぞれ魅力的なところのようで、すぐにでも行きたくなってくる。

写真家によるメッセージは、地域の力ということだった。子供たちに自然に入らせ、地域がそれを見守る。そうすればリスクゼロという極端に走りがちな学校や役所も理解を示すのだという。自分も子どもの頃は川で泳いだり、サワガニやザリガニやウグイを追いかけていたりしたなあ、なんて思いだしたりして。

第2部は、菅波完氏(ラムサールネットワーク日本)による、韓国四大河川の環境破壊に関する報告。ハンガン、クンガン、ナクトンガン、ヨンサンガンの四大河川では、同時に、ダム建設(16箇所)や河岸の人工化が進んでいる。それによると、李明博政権の言う治水効果も利水効果もまったくウソであり、李大統領が選挙時に謳っていた「大運河構想」が姿を変えたものであることがわかる。


四大河川開発事業(左)と大運河構想(右)

この事業は、日本では考えられないほど急速かつ強権的に進められており、止めることができず、今後、環境・財政の面から問題になった後、如何に修復していくかが課題だという。ほとんど知らない内容であっただけに驚愕した。

●参照
日韓NGO湿地フォーラム
やんばる奥間川


只木良也『新版・森と人間の文化史』

2011-01-23 20:46:04 | 環境・自然

只木良也『新版・森と人間の文化史』(NHKブックス、2010年)を読む。愚かな「環境問題のウソ本」が幅をきかせているいま、そんな本に無駄なオカネを払うくらいなら、このような良書をじっくり読むべきである。何しろ、リベラルな人々でさえも、すぐに水準の低い環境陰謀論を信じてしまっている状況であり、これは知的怠惰・知的後退に他ならないからだ。

何といっても、マツについて語った「マツ林盛衰記」が面白い。人間が森林の収奪を繰り返し、土地がやせ、そこに耐性の強いマツが進出し、里山のマツ林が生まれてきた。『魏志倭人伝』にはマツは登場せず、『記紀』には少し現れ、『万葉集』ではポピュラーな樹木として歌われた。「白砂青松」とは、そのような環境の風景に与えられた名前であったのだ。

いまのマツ枯れは、化石燃料の進出によって落葉や薪炭材の収奪が減り、土壌が肥沃になって、マツが再び追い出されている過程に過ぎないのだという。そしてマツタケの不作も、肥沃な土地ではマツタケ菌が他の菌に負けてしまうからだという。自然破壊としてのみ視られるこれらの現象も、見方を変えてみれば、人と森林との関わりの歴史に位置づけられてくる。

その意味では、本来の健全な森林環境においてマツが育つものではないということになる。著者はこの安定的な状態を「極相」と表現している。本来その土地にあるべき樹木を指す「潜在自然植生」と同様の概念だろう(宮脇昭『木を植えよ』一志治夫『魂の森を行け』)。関東以西の「潜在自然植生」は常緑広葉樹(照葉樹)、東北・北海道は落葉広葉樹または針葉樹など、魅力的な見方である。

木曽谷のヒノキが危機的な状況にあるという。その理由は、間伐などの森林管理がいき届かず、より暗いところに強いアスナロが力をつけてきていることにある。「極相」や「潜在自然植生」とは異なり、人が丁寧に育ててきた二次林の危機ということになる。アスナロは漢字では「翌檜」、つまり「明日はヒノキになろう」の木であり、葉っぱの形はうろこ状でよく似ている。私の愛用する『葉で見わける樹木』(林将之)でも、その違いがわかりやすく示されている。しかしその類型的な見方では、ヒノキ林の危機にまで想いを馳せることが難しい。

そして道端や公園で見かける木々についても、名前のみ覚えているにとどまっていたことを思い知らされる。例えばカイヅカイブキ、キョウチクトウ、マテバシイなどは、都市の悪い環境でも育つ「公害に強い木」であるという。しかし、著者はこのことに警告を発する。

「むしろ積極的に弱い木を計画的に市街地内に配置し、環境の見張り役、緑の警報器(警報木?)として役立たせては、と思うのである。弱い木が枯れたら植え直す、そして枯れた理由を人々に思い知らせる、といった啓蒙的活動も含めて。」

著者は林道必要論者のようであり、林業と森林管理に必要だとする。私の頭にある林道は、無駄な公共事業の林道や林網、それによる生態系の分断と森林の劣化、土壌の浸食の象徴のようなものだ。一辺倒な考えではいけないんだろうな、と思った次第。

●参照
そこにいるべき樹木(宮脇昭の著作)
東京の樹木
小田ひで次『ミヨリの森』3部作
荒俣宏・安井仁『木精狩り』
森林=炭素の蓄積、伐採=?
『けーし風』2008.3 米兵の存在、環境破壊(やんばるの林道についての報告)
堀之内貝塚の林、カブトムシ
上田信『森と緑の中国史』
沖縄の地学の本と自然の本
熱帯林の映像(着生植物やマングローブなど)


吉本隆明『南島論』

2011-01-23 09:25:18 | 沖縄

吉本隆明『南島論』(猫々堂、1988-93年)を読む。主に『文藝』において1989年に連載された未完の同論が収録されている。吉本の沖縄論は『共同幻想論』の中で久高島の母系社会を論じたもの、それから吉田純写真集『沖縄・久高島 イザイホー』の解説(古本屋で見つけて躊躇しているうちに無くなった)のみ記憶していたが、こんなものもあったのだ。なお後者も収録されている。

言語の特徴や遺伝子のひとつの側面をのみつまんできて(専門でもないくせに)、沖縄と北海道のアイヌは違うのだとする主張、自然や都市の段階論をアフリカ的だとかアジア的だとかするセンスにはアホらしいを通りこして呆れる他はないが、ざっくりとおかしな串刺しを行うのが吉本隆明、それは別に気にならない。

『南島論』において興味深いのは、久高島の琉球開闢神話と琉球の民話的な伝承(南島神話)とを比較し、前者を権力と結び付けていることだ。すなわち、アマミキヨらを始祖とする神話は天からの視線を持ち、あまりにも抽象的であり、琉球王権を支えるためのものだとする。議論は当然ながら、日本の権力にとって同じ意味を持つ『記紀』神話と重ね合わされていく。

「・・・南島神話(民話)ははじめに、この宇宙はどうなっていたか、そこから天地がどう分かれてきたかといった宇宙や世界の生成に類する物語を欠いている。それは、南島神話が村落共同体やその連合体のレベルで流布された民話の世界を離脱して、国家をつくる方向をもたなかったからだとおもえる。国家を形成しない共同体は天地開闢や創世の物語をもつ必然はないといってよい。必然ならそんな物語をもった部族国家の宇宙観や世界観を受容すればよかったからだ。村落共同体が連合してはじめて部族国家を形成したいというモチーフは、ちがった次元へ跳躍したい願望を意味している。そこでは眼にみえる共同体の習俗とはちがった拡がりの彼方に眼にみえない共同と連合の契機をつくりあげるモチーフが萌している。南島神話ではそれがなかった。たぶん征服王朝の進出よりほかに国家をつくる必然がなかったのだ。」

それはそれとして、神話にもあるような兄弟姉妹関係が夫婦関係よりも強かったとする構造が、沖縄の社会構造を考える際に大きな指標となるという指摘は、ちょっとよくわからない。

吉本の南島論は、国家を越え、天皇制を無化するヴィジョンを持つものであった。それは現実的・政治的なものでも、ましてや暴力革命を論じるものではなく、神話や民話を掘り下げていって共通項を求め、基層に至ったところで国家と象徴天皇制の無化へと進もうとするものであった。その意味では、沖縄を特権化した視線は基層への掘り下げにとって邪魔なものとなりうる。これも刺激的ではあるが・・・、それでは以下のような共通項の探りだしはどう捉えるべきか。

「つまり神聖にして侵すべからずという憲法の規定があって、戦争中の日本の天皇はそのとおりに考えられていたわけです。そしてそのとおりに振る舞ったわけです。神聖にして侵すべからずは、たぶん南島におけるキコエオオキミのあり方が神格化されていて、神様の意向を受託する神聖なる女性だというかんがえが歴史的にあって、その通り尊重されていたとすれば、天皇制とおなじ意味をもっていたとおもいます。そこから受けた被害もまた、おなじことがあるはずです。」

●参照
吉本隆明のざっくり感(『賢治文学におけるユートピア・「死霊」について』)
伊波普猷『古琉球』
村井紀『南島イデオロギーの発生』
岡本恵徳『「ヤポネシア論」の輪郭 島尾敏雄のまなざし』
屋嘉比収『<近代沖縄>の知識人 島袋全発の軌跡』
島尾敏雄対談集『ヤポネシア考』 憧憬と妄想
島尾ミホ・石牟礼道子『ヤポネシアの海辺から』
島尾ミホさんの「アンマー」
与那原恵『まれびとたちの沖縄』
伊波普猷の『琉球人種論』、イザイホー
齋藤徹「オンバク・ヒタム」(黒潮)
由井晶子「今につながる沖縄民衆の歴史意識―名護市長選挙が示した沖縄の民意」(琉球支配に関する研究の経緯)

●久高島
久高島の映像(1) 1966年のイザイホー
久高島の映像(2) 1978年のイザイホー
久高島の映像(3) 現在の姿『久高オデッセイ』
久高島の映像(4) 『豚の報い』
久高島の猫小(マヤーグヮ)
久高島で記録された嘉手苅林昌『沖縄の魂の行方』、イザイホーを利用した池澤夏樹『眠る女』、八重山で演奏された齋藤徹『パナリ』


「名護市へのふるさと納税」という抵抗

2011-01-22 10:13:21 | 沖縄

朝日新聞(2010/12/24)では、辺野古への基地建設に反対する名護市に対する米軍再編交付金の打ち切りを報道している(アメとムチ政策)(>> リンク)。しかし、今後の事業計画においては再編交付金に依存しない方針であることには触れられていない。川瀬光義氏(京都府立大学教授)は、これを画期的な政策であると高く評価している(>> リンク)。朝日新聞の報道は恣意的で一面的だということができる。

昨日、『世界』編集長の岡本厚氏より、この非人道的な「アメとムチ政策」への抵抗策として「名護市へのふるさと増税」を行おうとの呼びかけメールが届いた。これは初めて聞くアイデアだ。

「ふるさと納税」制度を活用して、名護市を応援しよう<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

 沖縄・米軍普天間基地を北部・名護市の辺野古沿岸に移設する計画について、地元名護市をはじめ、沖縄県民はくり返し反対の意思を表明し続けてきました。日本が民主主義の国であるならば、この沖縄県民の意思は尊重されなければなりません。

 しかし「最低でも県外」を標榜して政権に就いた民主党政権は、その公約を簡単に覆し、沖縄県民の意思を無視して、辺野古移設に回帰する日米合意を結びました。そして、何の正当性も実効性もないこの「合意」に基づいて、強引に辺野古に新基地建設を進めようとしています。

政府は、去る12月24日、名護市に対して、米軍再編交付金の支払い停止を通告してきました。米軍再編推進特措法に基づく交付金は、米軍再編に協力し、基地を受け入れる自治体に、出来高払いで交付金を支給する、というものです。野党時代の民主党は、米軍基地を金で押し付けるこの悪法の制定に反対していました。

 2010年1月「海にも陸にも基地は作らせない」ことを公約して名護市長に当選した稲嶺進市長は、再編交付金に依存しない事業計画を明らかにしていますが、基地容認派であった前市長時代から執行中の事業についての09年度繰り越し分約6億円と10年度分約9億9千万円については、支払いを要請し沖縄防衛局と協議中でした。しかし、今頃になって防衛省はこの交付金の支給を停止し、北澤防衛大臣は、「基地に反対するならそれなりの覚悟が必要」とうそぶいています。

 一方同時に発表された2011年度予算案では、沖縄関連予算が9年ぶりにわずかながら増額に転じました。基地の県外移設を主張して知事に再選された仲井真知事が、かつては基地容認派であったことに期待を寄せてのことでしょう。

 つまり政府は金の力によって自治体を締め上げ、名護市民や沖縄県民の意思を挫こうとしているのです。結局、普天間基地問題に関しては(ひいては対米従属性においては)、民主党政権は自公政権と何も変わらないことを示したといえます。

 私たちは、菅政権のこうした方針に強く抗議するとともに、このように露骨で卑劣な「飴と鞭」の政策に反対し、世論を喚起し、名護市民と連帯し、名護市を応援する具体的な行動をとる必要があると考えます。

 「ふるさと納税」制度の活用はその1つです。「ふるさと納税」は2008年に出来た制度で、応援したい自治体を選んで寄付することが出来、その際、住んでいる自治体の住民税などから控除を受けられます。(詳しくは、別掲「名護市へのふるさと納税のやり方」参照)

 すでに、本土でも、沖縄でも、この制度を使った名護市への連帯の呼びかけが始まっています。私たちの呼びかけも、これらの声に連なったものです。

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名護市を孤立させてはなりません。国民一人一人が名護市に連帯の意思を表示することはそのまま、日本の民主主義を強化することにつながると私たちは考えます。  <o:p></o:p>

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 2011年1月17日

新崎盛暉(沖縄大学名誉教授) 池田香代子(翻訳家) 上原成信(沖縄一坪反戦地主会・関東ブロック) 宇沢弘文(東京大学名誉教授) 遠藤誠治(成蹊大学教授) 岡本厚(岩波書店「世界」編集長) 我部政明(琉球大学教授) 加茂利男(立命館大学教授) 川瀬光義(京都府立大学教授) 古関彰一(獨協大学教授) 小森陽一(東京大学教授) 桜井国俊(沖縄大学教授) 佐藤学(沖縄国際大学教授) 高田健(World Peace Now) 千葉真(国際基督教大学教授) 寺西俊一(一橋大学教授) 西川潤(早稲田大学名誉教授) 西谷修(東京外国語大学教授) 野平晋作(ピースボート) 前田哲男(評論家) 原科幸彦(東京工業大学教授)水島朝穂(早稲田大学教授) 宮本憲一(大阪市立大学名誉教授) 比屋根照夫(琉球大学名誉教授) 和田春樹(東京大学名誉教授) ガバン・マコーマック(オーストラリア国立大学名誉教授) 

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*名護市への「ふるさと納税」のやり方=①「名護市ふるさとまちづくり寄付金申込書」に記入し、送付します(メール、ファクス、郵送可)。申込書は名護市ホームページからダウンロード、あるいは電話などで申し込めば郵送してもらうこともできます。②名護市から寄付金専用の納入通知書が送付されます。③寄付金を払い込みます。④名護市から寄付金受領証明書が送付され、確定申告の際税額の控除が受けられます。<o:p></o:p>

 寄付受領証明書は5000円以上の場合ですが、税額控除を必要としない1000円~2000円のカンパも同様の手続きで受け付けています。グループで寄付したい場合は、納入者リストを付けて寄付してください。<o:p></o:p>

 http://www.city.nago.okinawa.jp/5/4969.html<o:p></o:p>

 問い合わせ、申し込み先=〒905-8540 名護市港1-1-1 名護市役所企画総務部企画財政課 (電話)0980-53-1212 財政係 (ファクス)0980-53-6210 (email  kikakuzaisei@city.nago.okinawa.jp

●参照
『世界』の「普天間移設問題の真実」特集(伊波洋一)
『沖縄基地とイラク戦争 米軍ヘリ墜落事故の深層』(伊波洋一・永井浩)
屋良朝博『砂上の同盟 米軍再編が明かすウソ』
○シンポジウム 普天間―いま日本の選択を考える(1)(2)(3)(4)(5)(6
『現代思想』の「日米軍事同盟」特集
久江雅彦『米軍再編』、森本敏『米軍再編と在日米軍』
『けーし風』2009.3 オバマ政権と沖縄/ガザ、『週刊金曜日』2009/4/10 戦争ごっこに巻きこまれるな
渡辺豪『「アメとムチ」の構図』


デイヴ・リーブマン『Lookout Farm』、ジョージ・ガゾーン『Live in Israel』 気分はもうアスリート

2011-01-16 19:45:51 | アヴァンギャルド・ジャズ

LP棚を見ていると、デイヴ・リーブマン『Lookout Farm』(ECM、1974年)があった。こんなの持っていたっけ、全然意識していなかった(笑)。

折角なので久しぶりに聴く。ジョン・アバークロンビーのギターもリッチー・バイラークのエレピもいい感じである。スパニッシュ・コードもある。時代を感じさせる混沌としたサウンドの中、リーブマンはソプラノサックス、テナーサックス、フルートを吹く。マイケル・ブレッカーにもあるような、コードからアウトしてとにかく器楽的に吹きまくるこういうの、何て言うんだろう。最初は面白いんだけど・・・。

ライナーノートで油井正一が解説を書いている。曰く、このような奏法はスティーヴ・グロスマンにも共通していて、どっちがどっちかわからない。しかし、ジャズは個性の音楽であるから、こちらの身体と耳が慣れてくれば、それぞれを認識できるであろう、それが時代というものであろう、と。グロスマンとリーブマンは明らかに違うと思うが、自信があるからこその解説であり、他のジャズ評論家と違って古びない。

ついでに思い出して、ジョージ・ガゾーンがピアノレス・トリオ「The Fringe」名義で発表した『Live in Israel』(Soul Note、1995年録音)を聴く。もうこれは、いろいろなサウンドで彩っていないだけに、器楽のアスリートそのものである。機械ではない、機械にはこんなことはできない。しかし圧倒されはしても、全く、情も味もない。オリジナル曲の中に、1曲だけのスタンダード「Body and Soul」が演奏されているが、歌詞の世界とは無縁である。

いつだったかにガゾーンにサインを貰いつつ訊ねてみたら、この盤がもっともお気に入りだとのこと。「紅海ジャズ・フェスティヴァル」での録音であり、まあジャズフェスで聴いたなら呑みこまれて熱狂するかもしれないが。


小森陽一『沖縄・日本400年』

2011-01-16 17:46:37 | 沖縄

小森陽一『沖縄・日本400年』は、NHKの『歴史は眠らない』枠で2010年7月に放送されはじめた。4回シリーズだが、最初の2回が終わったあと、第3・4回は再取材のため延期とアナウンスされ、その代わり、別の沖縄関連の特番が焼き直しされた。それが昨年12月に唐突に再開された。うっかり見逃すところだった。

それにしても不自然な延期である。何があったのか、ネットで調べてみても噂さえ引っかからない。しかし、「普天間」の季節に、何もなかったわけはない。

第3回は「近代沖縄の苦悩と挫折」、日本との同一化の力(日本から、沖縄内部から)、日本に出稼ぎに出た沖縄人への差別、さらに沖縄戦において捨て石にされることに気付いた沖縄人・吉浜智改による「自存せよ」との叫びが紹介されていた。一方、「集団自決」に関して、テキストでは岡本恵徳、宮城晴美、林博史による指摘が含まれているものの、番組ではまったく触れられていない。また皇民化教育についても同様である。このあたりに手が加えられた可能性はないか。

「生き延びるのだ!! どんなことがあっても、生き延びるまで、苦闘をつづけるのだ!! 民族の滅亡が、あってたまるものか!! 吾々は、たとえ如何なる苦難があっても、生き抜くのだ!! / 国会が、見捨てたからとて、吾々沖縄民族の総てが、無意義にして、無価値な犠牲を払ってたまるものか!! 自存せよ!!」(吉浜日記、1945年6月10日)

第4回は「「沖縄返還」への道」。日米安保体制の変革なしには沖縄の基地撤廃がありえないことを、屋良朝苗は再三訴えていた。しかしそれは曖昧にされ、完膚なきまでに無視された。これは日本人(ヤマトンチュ)の意識的・無意識的な意志に他ならなかったことを、自らの反省も含め、小森陽一が口にしている。

歴史が現在そのものであることを示したこの番組、こっそりと再開されてどれほどの人が視ただろう。

●参照
小森陽一『ポストコロニアル』
沖縄「集団自決」問題(16) 沖縄戦・基地・9条(小森陽一による講演)


沢渡朔『昭和』 伊佐山ひろ子

2011-01-16 10:19:09 | 写真

沢渡朔伊佐山ひろ子を撮った写真集、『昭和』(宝島社、1994年)を入手した。銀座のBLDギャラリーには署名入りの古本に1万円の値が付いているが、勿論、古本市場ではそんな殿様商売は跋扈していない。

このとき伊佐山ひろ子は40歳を過ぎたころである。粒子の目立つモノクロフィルムで、沢渡朔のカメラは伊佐山の顔と身体と裸に迫る。妙ななストーリー仕立てで、住宅街や病院の診察台で脱いだり、屋根の上で用を足したり、『Cigar』における三國連太郎のように歌舞伎町を彷徨したり。伊佐山のナマの表情も佇まいも、果てしなくウェットで、エロチックだ。以前『Kinky』の写真展で少し併設されていた『昭和』のオリジナルプリントほどのインパクトはないが・・・。

沢渡朔は『Cigar』と同様に、ペンタックスLXと50mmや28mmを使っている筈だ。仕事でニコンやキヤノンを使っていた写真家だが、個人的な作品は1980年の発売時にすっかり気に入ったというペンタックスLXを使うことが多いという。

「90年代に入ってからの伊佐山ひろ子さん(『昭和』)、三國連太郎さん(『Cigar 三國連太郎』)はどっちもLXです。一対一で相手に向き合うとき、個人的に撮るときはLXになる。
 とくに女優さんの場合は、密室みたいなところでエロチックな写真を撮っていくわけだから、モータードライブじゃないでしょ。一枚一枚撮っていく、そのリズムが大事なわけだから。レンズも標準一本きり、とかね。現場で相手の動きを見ているうちに、それは自然に決まってくるんです。」
(『季刊クラシックカメラNo.8 一眼レフ魂の結晶・ペンタックス』、双葉社、2000年)

この写真家のオンナ写真は本当に巧い。モノクロであればこんなように、カラーであれば『Kinky』のように、女性を撮ることができればきっと本望である。

●参照
沢渡朔『Kinky』(荒張弘子)
沢渡朔『Kinky』と『昭和』(荒張弘子、伊佐山ひろ子)
沢渡朔『シビラの四季』(真行寺君枝)
沢渡朔Cigar - 三國連太郎』(写真集)
沢渡朔『Cigar - 三國連太郎』(写真展)


山口百恵『曼珠沙華』、『ア・フェイス・イン・ア・ヴィジョン』

2011-01-15 23:39:04 | ポップス

NHKの『SONGS』で2週続けて放送された山口百恵の特集を観て以来、やっぱり百恵は凄い歌手だったと思っている。何しろ百恵が21歳で引退したとき私は10歳にもなっていなかったから、ヒット曲を覚えてはいても、それ以上の存在ではなかった。今観ると、あの眼と肝が据わった存在感と歌唱力であの年齢とはあり得ない。

そんなわけで、百恵のLPをひと山いくらで入手した(でも、忙しくてあまり聴けていない)。篠山紀信による百恵の写真展も最近都内で開かれていて随分観に行きたかったのだが、結局行けずじまい。その代わりに、篠山紀信の写真がジャケットを飾った作品、『曼珠沙華』(1978年)と『ア・フェイス・イン・ア・ヴィジョン』(1979年)を繰り返し聴く。

ハイキーなジャケット写真が目を引く『曼珠沙華』には、「曼珠沙華」と「いい日旅立ち」が収められている。何と言っても谷村新司による「いい日旅立ち」、ヘンな歌詞だが名曲である。どうしてもJRのコマーシャルを思い出してしまうぞ。阿木・宇崎コンビによる曲は「曼珠沙華」を含め3曲あるが、それよりは他のアンニュイな曲のほうが好みである。

『ア・フェイス・イン・ア・ヴィジョン』は、篠山紀信の写真をフィーチャーしたNHK特集の音楽であったようで、LPの中にも写真集が入っている。これまで篠山写真に感じたことなど一度もないが、これは素晴らしい。商業の怪物を撮ると篠山は天才だ。

こっちで目立つ曲は逆に阿木・宇崎コンビの「美・サイレント」「夜へ・・・」だ。それにしても、戦略とは言え、過激な歌詞を歌わせたものだね。

Be silent, be silent, be silent, be silent
あなたの○○○○が欲しいのです
燃えてる××××が好きだから
(※伏字の部分は歌わない)

「夜へ・・・」は、渚ようこ『あなたにあげる歌謡曲 其の一』においてカバーしている曲だった(>> リンク)。渚ようこも悪くないが、こう聴いてみると、20歳の百恵が断然格上である。

ええい、篠山展に足を運べなかったことがつくづく悔やまれる。