Sightsong

自縄自縛日記

アート・アンサンブル・オブ・シカゴの映像『Null Sonne No Point』

2015-12-31 16:17:18 | アヴァンギャルド・ジャズ

ニコラス・フンベルト&ヴェルナー・ペンツェル『Null Sonne No Point』(1997年)を観る。

アート・アンサンブル・オブ・シカゴによるパフォーマンス前を撮ったドキュメンタリーである。

カメラは引くことなく、ほとんど、かれらの顔や口や手のアップを狙いつづける。この2年後にレスター・ボウイが亡くなるのかと思うと胸が衝かれるような気分にさせられてしまうが、葉巻を加え、大きな目をらんらんと光らせ、指示したりラッパを吹いたりするボウイの姿には、確かに魅かれてしまう。悠然としたロスコー・ミッチェルやドン・モイエもまた同様だ。

そして、2004年に亡くなることになるマラカイ・フェイヴァースは、思索的に語っている。「わたしは信じるよ、死が訪れても、生は終わりはしないのだと。」

アート・アンサンブル・オブ・シカゴは、常に来るべきものとしてあり続ける。ジョゼフ・ジャーマンが抜け、ボウイが亡くなり、フェイヴァースが地球での生を終えてシリウスに帰ったあとも。

●参照
アート・アンサンブル・オブ・シカゴの映像『LUGANO 1993』
アート・アンサンブル・オブ・シカゴ『苦悩の人々』
アート・アンサンブル・オブ・シカゴ『カミング・ホーム・ジャマイカ』
ロスコー・ミッチェル『Celebrating Fred Anderson』
ロスコー・ミッチェル+デイヴィッド・ウェッセル『CONTACT』
ジャック・デジョネット『Made in Chicago』(ミッチェル参加)
サニー・マレイのレコード(ミッチェル参加)
ムハール・リチャード・エイブラムスの最近の作品(ミッチェル参加)
ドン・モイエ+アリ・ブラウン『live at the progressive arts center』、レスター・ボウイ
マラカイ・フェイヴァースのソロ・アルバム
マラカイ・フェイヴァース『Live at Last』 
ジョゼフ・ジャーマン
ESPの映像、『INSIDE OUT IN THE OPEN』
『苦悩の人々』再演
ユセフ・ラティーフの映像『Brother Yusef』(ニコラス・フンベルト&ヴェルナー・ペンツェル)
ニコラス・フンベルト『Wolfsgrub』


マニー・ピットソン『ミニー・ザ・ムーチャー』、ウィリアム・マイルズ『I Remember Harlem』

2015-12-31 15:21:50 | アヴァンギャルド・ジャズ

マンハッタン・ハーレム地区のドキュメンタリーを2本。

■ マニー・ピットソン『ミニー・ザ・ムーチャー』(1981年)

VHSで入手した。

黒人が現在よりもさらに抑圧されていた時期、1930-40年代に、かれらの芸能はハーレム地区で花開いた。ここでの案内役はキャブ・キャロウェイ。本当に楽しそうに、うっとりとして、この時期の音楽やダンスを紹介する(何しろ、本人が「生まれ変わってもう一度やりたいかと訊かれれば、やると答えるね」と断言しているのだ)。

白いスーツからはじめてダボダボのスーツを身にまとい、大迫力で歌って踊るキャブ・キャロウェイ。貫禄たっぷりのサッチモやデューク・エリントン。ビリー・エクスタインはスマートでイカしている。口を大きく開けて色気たっぷりに歌うナット・キング・コール(キャブがはっきり発音するようにと助言したらしい)。ファッツ・ウォーラーはいつも笑いながら、眉毛を何センチも動かしながらご機嫌なピアノを弾く。その前ですさまじいタップを踏むビル・ボージャングル・ロビンソン。ここぞとばかりのタイミングでピアノを挟むカウント・ベイシー。美しいリナ・ホーン。

もう、信じられないほどカッチョ良く、魅力的だ。思わず破顔し身体をムズムズさせながら観てしまう。

もちろんキャブの言うように、成功者はごく一握り。差別や抑圧のなかで培われた文化である(家賃が払えないために家で演奏やダンスを行うパーティーを開き、それを家賃にあてたなんて、圧倒されてしまうな)。だが、素晴らしい音楽としても、いまも聴かれるべきものとして存在し続けていることがわかる。

■ ウィリアム・マイルズ『I Remember Harlem』

ハーレム地区の路上で売っていて、1ドルで買った。予想通りというべきか、テレビ番組の汚いダビングものだった。

そんなわけで適当に流して観ていたのだが、なぜかジャズとスポーツがセットになって紹介される。レスター・ヤング、チャーリー・パーカーとディジー・ガレスピー、マイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーン。野球ではジャッキー・ロビンソンやウィリー・メイズ。ボクシングではシュガー・レイ・レナード。

そして嬉しいことに、そのときバックにかかる音楽は、マイルス・デイヴィス『Milestones』でのタイトル曲であり、偶然にもこの間再聴して、キャノンボール・アダレイのアルトソロは最高そのものだと思っていたところだった。

●参照
ジーン・バック『A Great Day in Harlem』
2015年9月、ニューヨーク(2) ハーレム
2014年6月、ニューヨーク(4) ハーレム
ハーレム・スタジオ美術館再訪(2015年9月)
ハーレム・スタジオ美術館(2014年6月)
MOMA PS1の「ゼロ・トレランス」、ワエル・シャウキー、またしてもビョーク(ロレイン・オグラディ)
ナショナル・アカデミー美術館の「\'self\」展(ハーレムで活動するトイン・オドゥトラ)


2015年の「このCD・このライヴ/コンサート」

2015-12-31 10:31:03 | アヴァンギャルド・ジャズ

「JazzTokyo」の「このCD・このライヴ/コンサート」において、以下の4つを挙げさせていただきました。

●CD(国内編) 『纐纈雅代/Band of Eden』
http://www.jazztokyo.com/best_cd_2015a/best_cd_2015_local_09.html

●CD(海外編) 『Jack DeJohnette / Made in Chicago』
http://www.jazztokyo.com/best_cd_2015b/best_cd_2015_inter_09.html

●ライヴ/コンサート(国内編) 『うたをさがして』
http://www.jazztokyo.com/best_cd_2015a/best_live_2015_local_06.html

●ライヴ/コンサート(海外編) 『Chris Pitsiokos』
http://www.jazztokyo.com/best_cd_2015b/best_live_2015_inter_06.html

他の方々のセレクトも興味津々。

●CD(国内編)
http://www.jazztokyo.com/best_cd_2015a/cd2015a.html

●CD(海外編)
http://www.jazztokyo.com/best_cd_2015b/cd2015b.html

●ライヴ/コンサート(国内編)
http://www.jazztokyo.com/best_cd_2015a/live2015a.html

●ライヴ/コンサート(海外編)
http://www.jazztokyo.com/best_cd_2015b/live2015b.html


「JazzTokyo」のNY特集(2015/12/27)

2015-12-30 15:01:21 | アヴァンギャルド・ジャズ

「JazzTokyo」のNY特集(2015/12/27)。

http://www.jazztokyo.com/column/jazzrightnow/009.html

※JazzTokyoのフォントが小さすぎるという方は、右上のフォントサイズのボタンを。

●剛田武さんのコラム「音楽を進化させる異邦人」

NYのジャズシーンは異邦人の寄り合いにより活性化している。かつてハーレムにシカゴからキャブ・キャロウェイ、カンザスシティからカウント・ベイシーが出てきて台風の目となったことも想起させる。現在のMLBも同じである。 

●シスコ・ブラッドリーのコラム

翻訳・寄稿させていただきました。

アンドリュー・バーカー
ウィリアム・フッカーとリューダス・モツクーナス
ザ・ゲイト
ウィリアム・フッカー・トリオ
ネイト・ウーリー

●よしだののこのNY日誌

ついに最終回!音楽は尖っているのに文章は柔らかい。今後の日本での活躍にも期待。

ジョン・ゾーンのエレクトリック・マサダ
蓮見令麻のUTAZATA

●ライヴ・レポート:吉田野乃子@Stone by 蓮見令麻

吉田野乃子さんが蓮見令麻さんのライヴレビューを書き、蓮見令麻さんが吉田野乃子さんのレジデンシーを目撃に行った。わたしも両方とも観たかった。衣笠貞之助のサイレントも引用し、とても面白い。次号からはNYのライヴレポートも執筆してくださいます。

http://www.jazztokyo.com/live_report/report863.html

ジョシュ・エヴァンスへのインタビュー

寄稿させていただきました。

http://www.jazztokyo.com/interview/interview144.html

●参照
「JazzTokyo」のNY特集(2015/11/21)
「JazzTokyo」のNY特集(2015/10/12)
「JazzTokyo」のNY特集(2015/8/30)
「JazzTokyo」のNY特集(2015/7/26)


ジョシュ・エヴァンスへのインタビュー

2015-12-30 14:35:54 | アヴァンギャルド・ジャズ

「JazzTokyo」に、NYのトランぺッターであるジョシュ・エヴァンスへのインタビューを寄稿させていただきました。ちょっと唐突感があるのですが(すみません)。

思いがけず出てきたジャッキー・マクリーンの教え子たちという文脈は面白いし(日本在住のレイモンド・マクモーリンも含む)、アミリ・バラカやジャッキー・ロビンソンなど黒人文化への言及も興味深い。ビリー・ハーパーを迎え入れたビッグバンドの演奏をCD化してほしいところ。

http://www.jazztokyo.com/interview/interview144.html

ジョシュ・エヴァンス、NY Smalls、2015年9月

●ジョシュ・エヴァンス
マイク・ディルーボ@Smalls(2015年)
ジョシュ・エヴァンス@Smalls (2015年)
ジョシュ・エヴァンス『Hope and Despair』(2014年)
フランク・レイシー@Smalls(2014年)
フランク・レイシー『Live at Smalls』(2012年)
ラルフ・ピーターソン『Outer Reaches』(2010年)


板橋文夫『みるくゆ』

2015-12-30 14:08:16 | アヴァンギャルド・ジャズ

「JazzTokyo」に、板橋文夫『みるくゆ』(Mix Dynamite、2015年)のレビューを寄稿させていただきました。

http://www.jazztokyo.com/five/five1268.html

板橋文夫 (p, pianica, perc.)
瀬尾高志 (b, perc)
竹村一哲 (ds, perc)
Special guest:
類家心平 (tp)
纐纈雅代 (as)
レオナ (tap dance)

●板橋文夫
森山・板橋クインテット『STRAIGHTEDGE』
寺田町+板橋文夫+瀬尾高志『Dum Spiro Spero』
板橋文夫+李政美@どぅたっち
板橋文夫『うちちゅーめー お月さま』
板橋文夫『ダンシング東門』、『わたらせ』
立花秀輝『Unlimited Standard』
峰厚介『Plays Standards』
森山威男『SMILE』、『Live at LOVELY』


エヴァン・パーカー ElectroAcoustic Septet『Seven』

2015-12-30 10:37:39 | アヴァンギャルド・ジャズ

エヴァン・パーカー ElectroAcoustic Septet『Seven』(Victo、2014年)を聴く。

Peter Evans (piccolo tp, tp)
Okkyung Lee (cello)
George Lewis (electronics, tb)
Ikue Mori (electronics)
Sam Pluta (electronics)
Ned Rothenberg (bcl, cl, shakuhachi)
Evan Parker (ss)

エヴァン・パーカーのエレクトロアコースティック路線については、最初に『Toward the Margins』(ECM、1996年)が発表されたときには唐突すぎてよくわからなかったし、何しろ異質で耳にも脳にも馴染まなかった。2000年に来日したときにも新宿ピットインで観たのだが、パーカーのソロしか印象に残っていない。とまどっている世評も多かったのではないか。

ところが、今年(2015年9月)にNYのStoneで観たライヴは素晴らしかった(残念ながらオッキュン・リーが別用で入っておらず、また「アメリカン」の目玉でもあったクレイグ・テイボーンが勘違いで来なかった)。エレクトロアコースティック路線を見直さざるを得なかった。パーカーと同等の個性集団をそろえたためか、時代または当方の耳が追いついたからか。

本盤の演奏もじっくり聴くと興奮させられる。ジョージ・ルイス、イクエ・モリ、サム・プルータのエレクトロニクスが創り出すヴァーチャルな宇宙は、実にファンタスティックなのだ。ここに、ヘンな尺八の音やバスクラの基底音を出し入れするネッド・ローゼンバーグ、メタリックな音で火花を散らすピーター・エヴァンス、色気のある擦れ音のオッキュン・リー、そして広い広い宇宙を存分に蛇行するパーカーのソプラノサックス。

また観たいが、これほどのメンバーがいちどに来日することは難しいのだろうね。ところで、2016年には、エヴァン・パーカーもオッキュン・リーも東京で観ることができそうだ。

●エヴァン・パーカー
エヴァン・パーカー、イクエ・モリ、シルヴィー・クルボアジェ、マーク・フェルドマン@Roulette(2015年)
Rocket Science変形版@The Stone(2015年)
エヴァン・パーカー US Electro-Acoustic Ensemble@The Stone(2015年)
エヴァン・パーカー+土取利行+ウィリアム・パーカー(超フリージャズコンサートツアー)@草月ホール(2015年)
ジョン・エスクリート『Sound, Space and Structures』(2013年)
『Rocket Science』(2012年)
ペーター・ブロッツマンの映像『Soldier of the Road』(2011年)
ブッチ・モリス『Possible Universe / Conduction 192』(2010年)
エヴァン・パーカー+オッキュン・リー+ピーター・エヴァンス『The Bleeding Edge』(2010年)
ハン・ベニンク『Hazentijd』(2009年)
アレクサンダー・フォン・シュリッペンバッハ『ライヴ・イン・ベルリン』(2008年)
シュリッペンバッハ・トリオ『Gold is Where You Find It』(2008年)
エヴァン・パーカー+ネッド・ローゼンバーグ『Monkey Puzzle』(1997年)
エヴァン・パーカー+吉沢元治『Two Chaps』(1996年)
ペーター・コヴァルトのソロ、デュオ(1981-98年)
スティーヴ・レイシー+エヴァン・パーカー『Chirps』
シュリッペンバッハ・トリオ『Detto Fra Di Noi / Live in Pisa 1981』(1981年)
シュリッペンバッハ・トリオ『First Recordings』(1972年)


ジョン・ボイン『The Boy at the Top of the Mountain』

2015-12-29 15:56:38 | ヨーロッパ

ジョン・ボイン『The Boy at the Top of the Mountain』(Doubleday、2015年)を読む。イランに持って行った本を読み終えてしまい、帰りにドバイの空港内で買った。ボインは、映画化された『縞模様のパジャマの少年』を書いた作家である。

パリの少年ピエロ。母親はフランス人、第一次大戦後に亡くなった父親はドイツ人。その母親も亡くなってしまい、孤児院に入る。やがて、父方の叔母がピエロの所在を突き止め、ドイツに呼び寄せる。そこはヒトラーがしばしば使っていたベルクホーフの山荘であり、叔母は使用人として働いていたのだった。危険がピエロの身に迫ることを考え、叔母は、ピエロの名をペーターに変えさせ、パリに残るピエロのユダヤ人の友達から来る手紙も止めさせる。

ピエロはヒトラーにかわいがられ、ヒトラーユーゲントに入り、権力の味を覚えていく。そのために、ヒトラーに逆らった運転手や叔母を死に追いやり、言うことをきかない初恋の娘を街から追放させることになってしまう。

そしてヒトラーも、エヴァ・ブラウンも、ヒムラーも、ゲッペルスも山荘から去り、ナチスドイツは戦争に敗れる。ピエロは拭い難い罪を抱え、いったんは何も話さないことを決断する。それは最大の罪であり、続けおおせることなど不可能だった。

ヤングアダルト向けに書かれた小説だけあって言葉は平易であり、とても読みやすい。その分、ステレオタイプで浅い物語だと思いつつ読み進めた。しかし、犯してしまった罪をどのように見つめ、どのような行動に出るべきか、かつての友だちとどのように接するべきかなど、簡単には答えの出ないテーマが次々に提示されることに気付く。良い小説である。

●参照
マーク・ハーマン『縞模様のパジャマの少年』


フローリアン・ウェーバー『Criss Cross』

2015-12-29 11:34:32 | アヴァンギャルド・ジャズ

フローリアン・ウェーバー『Criss Cross [exploring the music of Monk and Bill Evans]』(Enja、2014年)を聴く。

Florian Weber (p, fender rhodes)
Donny McCaslin (sax)
Dan Weiss (ds)

サブタイトルの通り、セロニアス・モンクとビル・エヴァンスの曲集である。といって、懐古趣味でもない。

最初は、ずいぶん綺麗であっさりしていて、まるでミネラルウォーターのようだなと物足りなく思っていたのだが、繰り返し聴いていると色々とじわじわ届いてくる。ワイスは変拍子を何ということもなくこなし、マッキャスリンもさらりとビシビシ吹く。一聴物足りないのは、手作り感とか破綻しそうな危うさとかいったものがないからである(本当はそちらのほうが好きなのだが)。しかし、人間の放つハイテクに耳を貼り付けると、面白いことばかり。

●参照
ダニー・マッキャスリン@55 Bar(2015年)
ダニー・マッキャスリン『Fast Future』(2014年)
ダニー・マッキャスリン『Casting for Gravity』(2012年)


M.A.S.H.@七針

2015-12-29 09:29:47 | アヴァンギャルド・ジャズ

仕事納めの帰りに新川の七針にすべり込み、M.A.S.H.を観る(2015/12/28)。

Shiro Onuma 大沼志朗 (ds)
Junji Mori 森順治 (as)
Hiraku Amemiya 雨宮拓 (p)
Guests:
ユージさん (ds)
Hideki Hashimoto 橋本英樹 (tp)
Rikiya Daimon 大門力也 (g)

M.A.S.H.は常にフルスロットルで全員平等、その結果スタイリッシュ。

セカンドセットから、以前に大沼さんが対バンで一緒だったというパンクバンドのドラマー「ユージさん」、南行徳のトランぺッター・橋本さん、以前に柳川芳命さんのライヴでギターを弾いていた大門さんが加わったりもして、さらに火花が弾けた。

演奏前後に四方山話。Taylor Ho Bynumやコンポステラなどの名前も出て楽しかった。

Nikon P7800

●参照
広瀬淳二+大沼志朗@七針(2012年)
1984年12月8日、高木元輝+ダニー・デイヴィス+大沼志朗
高木元輝の最後の歌


本田竹広『The Trio』

2015-12-28 00:11:33 | アヴァンギャルド・ジャズ

本田竹広『The Trio』(トリオレコード、1970年)。「竹彦」名義の時代か「竹曠」名義の時代か、再発時に修正されていたりもするのでよくわからない。

Takehiro Honda 本田竹広 (p)
Yoshio Suzuki 鈴木良雄 (b)
Fumio Watanabe 渡辺文男 (ds)

活躍しはじめたころ、このピアニストはエネルギッシュなプレイで有名であったようで、「一晩で絃を3本切った」とか「遠くでも音が聞こえた」といった逸話があったという。わたしは90年代の終わりころにいちどケイコ・リーの歌伴を観ただけなのではあるが、そのときの実感とは異なる。どちらかといえばブルージーで抒情溢れる演奏に陶然としたような印象が強い。

そんな思い込みでこのような昔の演奏も聴いてしまい、耳にバイアスがかかっているのかもしれない。それは許してもらうとして、本当にうっとりとしてしまうほど沁みる。いまは手放してしまって手元にないが、前作の『本田竹彦の魅力』における「ヘイ・ジュード」なんて、脳内で再生できるほど最高の演奏だった。もっとライヴに行けばよかった。

●参照
本田竹広『BOOGIE-BOGA-BOO』


ジョナス・メカス(9) 『富士山への道すがら、わたしが見たものは……』、小口詩子『メカス1991年夏』

2015-12-27 19:45:08 | 小型映画

西荻窪のtoki/GALLERY分室に足を運び、久しぶりに、ジョナス・メカスのフィルムを観る。

『富士山への道すがら、わたしが見たものは……』(1996年)

1991年、メカスは日本を旅した。そのときにボレックスにより撮られたフッテージによる作品である。嬉しいことに16ミリでの上映。

聞き覚えのないドラマーによるガジェットのような音の中、セリフ無しで、旅の視線が映し出される。浅草、新宿(ニコンサロンからの眺望だろうか)、名古屋、帯広、長浜ラーメンの屋台、丸の内、靖国神社、富士山。ソ連が崩壊の直前に侵攻したリトアニアの様子を報じるテレビ。吉増剛造氏、木下哲夫氏。

この激しいフリッカーに人々は魅せられ、おそらくは死と生とを見出している。わたしもこのフィルムが完成した1996年に、六本木シネ・ヴィヴァンにおいて、『リトアニアの旅の追憶』の洗礼を受け、メカスのことが頭から離れなくなった。小さいギャラリーに集まった若い20人ほどの人たちにとってはどうなのだろう。

ところで、映像の中で誰かが使っていたライカ・ミニルックスが欲しくなってしまったりして。

小口詩子『メカス1991年夏 NY、帯広、山形、リトアニア』(1994年)

同じときに、メカスとかれを受け入れた人たちを記録した映像。これはDVDによる上映だった。

ボレックスを勝手知ったる道具として、ときには玩具のように扱うメカスの姿。帯広、丸の内、山の上ホテル、神保町(メカスがペンを物色するのは、あの文具屋かな)、どこかの河原での芋煮、神田藪蕎麦、秋葉原、吉増氏、木下氏、鈴木志郎康氏、アイヌのムックリ、靖国神社、リトアニア語を話す村田郁夫氏。『リトアニアへの旅の追憶』における、古いブルックリンを撮ったフッテージ。『楽園のこちらがわ』のラスト、雪が降るフッテージ。メカスの著作『I Had Nowhere to Go』(『メカスの難民日記』)。

まるでメカスを偶像かペットであるかのように扱う様には違和感を覚える。それはそれとして、フリッカーはなくとも、やはりメカスの存在自体が、存在のフリッカーを起こさせる。吉増剛造氏が、メカスに「なぜあなたの作品は揺れ動く(shaky)のか」と尋ねたところ、答えは「私の人生がshakyだから」であったという。吉増氏は、そのあとも、「shakyな人」と呟いていた。印象的な表現だった。

●参照
ジョナス・メカス(1) 『歩みつつ垣間見た美しい時の数々』
ジョナス・メカス(2) 『ウォルデン』と『サーカス・ノート』、書肆吉成の『アフンルパル通信』
ジョナス・メカス(3) 『I Had Nowhere to Go』その1
ジョナス・メカス(4) 『樹々の大砲』
ジョナス・メカス(5) 『営倉』
ジョナス・メカス(6) 『スリープレス・ナイツ・ストーリーズ 眠れぬ夜の物語』、写真展@ときの忘れもの
ジョナス・メカス(7) 『「いまだ失われざる楽園」、あるいは「ウーナ3歳の年」』
ジョナス・メカス(8) 『ファクトリーの時代』
アンディ・ウォーホルのファクトリー跡
チャールズ・ヘンリー・フォード『Johnny Minotaur』をアンソロジー・フィルム・アーカイヴズで観る
ジョルジュ・メリエスの短編集とアンソロジー・フィルム・アーカイヴズの知的スノッブ
鈴木志郎康『結局、極私的ラディカリズムなんだ』


今井和雄 デレク・ベイリーを語る@sound cafe dzumi

2015-12-27 09:57:08 | アヴァンギャルド・ジャズ

吉祥寺のsound cafe dzumiが年末で店をたたんでしまう、しかも最後のイベントは「今井和雄 デレク・ベイリーを語る」だということで、足を運んだ(2015/12/26)。

狭い空間に30人くらいがぎゅうぎゅうに詰め合うように座った。これほど集まったのは、大友良英のライヴ(開店時)、バール・フィリップスのライヴ以来だとのことだった。

今井さんはたくさんのCDと試奏用のギターを持って現れ、音源を再生したり、デレク・ベイリーの奏法を弾いてみたりしながら、ベイリーの音楽について語った。横に座った店主の泉さんが、ときどきツッコミを入れる。場は大変盛り上がり、1時間延長して終わった。

テーマは、主に、アントン・ウェーベルンの12音技法がデレク・ベイリーに与えた影響、時代的な背景、そして、それを即興演奏に反映することを可能としたベイリーの確かな演奏の技量。

◆◆◆

曰く。

あるとき、今井さんはデレク・ベイリーが書いたスコアを入手した。それはのちに、ベイリーの『Pieces for Guiter 1966-67』のジャケット裏にも印刷されたものであり、ウェーベルンの12音技法からの影響が如実に表れたものだった。1オクターブ内の12音階による調性から逸脱すべく、12の音符を平等に扱い、さらにそこから複数の音列を作成し、組み合わせる技法である。

もとより、ベイリーはジャズやブルースが好きでなかったのだろう。ギャビン・ブライヤーズ、トニー・オクスレーと組んだ「Joseph Holbrooke」によるシングルカット盤『Joseph Holbrooke in rehearsal 1965』が残っているが、演奏している曲はなぜかジョン・コルトレーンの「Miles' Mode」。かれはアメリカのフリージャズとは異なる世界へと進んで行く。

ベイリーの技法は、無調や12音技法など調性からの逸脱に加え、ギターならではの特徴を活かしたものだった。隣同士の半音を多用し音を混ぜ、音楽の中心がわからなくなること。1オクターブ跳躍するメジャー7th。弦に触れながら弾くハーモニクス。これらによる跳躍の幅の広さ。「ジム・ホールが好きだ」というかれは、紛れもないギタリストであった(なお、ベイリーも、やはりホールを愛好した高柳昌行も、ホールも、ほぼ同世代である)。

調性とはロマンティックな世界でもあり、そこからの逸脱は、自ら規制を課して、その中で如何に即興を多様化するかというものであった。1960年代という時代には、多くの音楽家たちがそれを実践した。

●ジミー・ジュフリー『Free Fall』(1962年)。その前年からポール・ブレイを入れたトリオを組んだ。
●ガンサー・シュラー(ジョン・ルイス『Jazz Abstractions』(1961年)、エリック・ドルフィー『Vintage Dolphy』(1962-63年))。シュラーは12音技法をジャズに取り入れようとした。コードについてまるで理解していなかったオーネット・コールマンは、シュラーのもとに8か月通った。
●アルバート・アイラー『In Greenwich Village』(1967年)における「For John Coltrane」。背後の響きはまさにこのような雰囲気。アイラーの吹き方も、ペーター・ブロッツマンなどその後のヨーロッパ的な吹き方。管楽器により「ブヒッ」と吹くことで、技法的な跳躍とは異なる形で調性感から逸脱したのだった。
●『John Cage & David Tudor』(1965年)。
●MEV (Musica Elettronica Viva)(1966年~)。
●AMM『AMM Music 1966』(1966年)。今井さんは師匠の高柳昌行に貸したことがあるのだという。
●Nuova Consonanza。エンニオ・モリコーネも、映画音楽に進む前に所属し、作曲やトランペット演奏も行っていた。
●Terry Riley『In C』(1964年)。34のパターンに分け、各演奏者は次のパターンに移ってもよいという即興演奏。
●小杉武久。

高柳昌行は、日本にあってやはりフリージャズからのアプローチを取っていたものの、独自の即興に対するコンセプトを持っていた。氏は今井さんを含む弟子に基本的な技術のみを教え、音楽は自分で獲得するものだというスタンスであった。技術がなければ即興音楽も実現しにくい。日本において即興演奏といえば、規制のない思い付きのように捉えられるが、今井さんは、それは違うという。ベイリーもその地平に立っていた。

◆◆◆

残念ながら、sound cafe dzumiもこれで見納めだ。

●参照
今井和雄、2009年5月、入谷
齋藤徹+今井和雄『ORBIT ZERO』(2009年)
バール・フィリップス@歌舞伎町ナルシス(2012年)(今井和雄とのデュオ盤)
デレク・ベイリー晩年のソロ映像『Live at G's Club』、『All Thumbs』
ウィレム・ブロイカーが亡くなったので、デレク・ベイリー『Playing for Friends on 5th Street』を観る
犬童一心『メゾン・ド・ヒミコ』、田中泯+デレク・ベイリー『Mountain Stage』
デレク・ベイリー『New Sights, Old Sounds』、『Aida』
デレク・ベイリー+ジョン・ブッチャー+ジノ・ロベール『Scrutables』
デレク・ベイリーvs.サンプリング音源
デレク・ベイリーの『Standards』
『Improvised Music New York 1981』
1988年、ベルリンのセシル・テイラー
ペーター・コヴァルトのソロ、デュオ
ジャズ的写真集(6) 五海裕治『自由の意思』
トニー・ウィリアムスのメモ


汪暉『世界史の中の東アジア』

2015-12-27 01:00:14 | 中国・台湾

テヘランに居る間に、汪暉『世界史の中の東アジア 台湾・朝鮮・日本』(青土社、2015年)を読んだ。(何しろ酒を飲まず、ネットも規制されていてあまりつながらず、ホテルが市街から離れていて渋滞がひどいとなれば、読書くらいしかすることがないのだ。)

本書は、『世界史のなかの中国』(2011年)の続編的な本である。前作では、ファジーに周辺を支配する中国の<天下>概念を用いて、中国による琉球やチベットの支配をずいぶんと肯定的に説いていて、驚かされたものだった。

そして本書で依拠するものは、毛沢東理論など、中国という国家を形成した精神のようなものである。しかしそれは、無批判なプロパガンダではない。むしろ、国家のあるべきかたちを不断に問い直してきたはずの理論、精神、政党が、国家そのものと化してしまったことに対する根本的な批判である。

政党の国家化という<脱政治化>、あるいは政治の劣化を認めたとして、次に来るべき<ポスト政党政治>とは何か。つまり政治を取り戻すためには何が注目されるべきか。ここで著者は、かつての社会主義のように階級を敢えてつくりだすことを<ポスト政党政治>だとはしない。そうではなく、政治の中において自主性を取り戻すこと、内部の関係を改造し続けることを説く。すなわちターゲットとなるべきものは資本主義の矛盾なのであって、キーワードとしては、環境、発展モデル、民族、文化的多様性などが挙げられている。大きな括りではあるが、確かに真っ当な視線である。

本書には、朝鮮戦争(1950年~)を中国史の中に位置づけ、国とアメリカとの代理戦争という観点でみた場合の論考や、台湾の「ひまわり運動」(2014年)を見る場合に、中国というアイデンティティ、新冷戦や新自由主義への加担などを可視化しなければならないという論考も含まれている。

●参照
汪暉『世界史のなかの中国』
汪暉『世界史のなかの中国』(2)