これもレンタル店で借りてきた。2001年の作品で、ワイ・カーファイとの共同監督。アンディ・ラウと反町隆史というスターを立てたというところからも、興行上の不自由さが見え隠れする。
とは言え、地下鉄の進入路に逃げ込み、ホームとの隙間に立って地下鉄が通過する間白い泡を吐き続けるラウのキャラクターはかなりイカレていて、鈴木清順『殺しの烙印』の宍戸錠を思い出させる(あれは、ご飯が炊ける匂いを愛し、電気釜に頬ずりする奴だった)。駄目なのは只の二枚目、反町隆史だ。
制約が仮にあったとしても、ジョニー・トーの作家性に違いないきらめきはあちこちで爆発している。自分の部屋を、雇った家政婦に掃除させ、それを隣のビルの一室から望遠レンズで監視するという奇妙さ(カメラはペンタックスZ-1Pだった)。警察から逃れる際に使う、水流を最大にして暴れるホース。電子メールが行き来するサイバー空間の描写。圧巻は、2人の殺し屋の対決場面。花火の倉庫で撃ちあったために、対決は祝祭空間と化す。そして、どちらが生き残ったのかは、2つのシナリオが示される。何故なら、警察官であったサイモン・ヤム(トー作品の常連)は、職を辞して2人の物語の書き手となり、タイプライターと証言と空想で、シナリオが語られるからだ。
ただ、どうしても、『エグザイル/絆』(2006年)の屹立に向けた未完成なものとしか観ることができず、困ってしまう。その後の洗練された『文雀』(2008年)は、いま改めて観てもきっとそのような印象を抱くことはないに違いない。つまり、ジョニー・トーは進化しているのだと断定して良いのかもしれない。
●ジョニー・トー作品
○『エグザイル/絆』
○『文雀』、『エレクション』
○『ブレイキング・ニュース』