在日コリアン文学の嚆矢のひとり、金達寿の『玄海灘』(青木書店、原著1953年・改稿1962年)。急遽足を運んだドーハのホテルで読み終えた(ひとりだとかなりヒマなのだ)。
ここには、日本敗戦直前までの占領下朝鮮と日本が描かれている。1953年という時期にあって、おそらくはこの小説家にとって、実態の生々しい人びとの姿そのものを描いた作品であっただろう。今では、植民地での醜い日本人たちの姿は、史実として受けとめることができる。しかし、当時、これを書くという行為も、受容も、現在とはまるで異なったはずだ。
想像しかできないながら、血で書かれているのではないかと思えるほどの念が、行間から立ちのぼってくるのである。それは支配者側の日本人に向けられるとともに、植民地社会での権力を身にまとっていた朝鮮人にも、向けられている。
主人公のひとりは、日本の地方新聞で働いた経験をもとに、朝鮮の御用新聞に雇ってもらう。日本では朝鮮人であることを隠し、朝鮮では日本人の経営層のもと屈辱的な態度を強いられる、という、屈折した関係。彼の日本人の恋人は、彼についていくと誓いつつも、それは同情に近いものだった。彼女が、「朝鮮人」ではなく何故「朝鮮の人」という表現を使うのか、彼にはそれが耐えられない。そして釜山から下関に渡る際に、彼はこともあろうに日本人になりすまそうと試み、特高により「化け」だと見抜かれてしまう。
まさに、汚れた歴史的記憶があるがために、まともに朝鮮人に向き合うことができない日本の姿が、ここには既に描かれている。尹健次は、次のように指摘している。
「アメリカ人」とか、「イギリス人」と呼び、またときに「中国人」と言うことはあっても、なぜ「朝鮮人」とは言わないのか。そこに歴史的に蓄積されてきた、日本人にとっての民族問題・植民地問題の重みがあるのは言うまでもない。「朝鮮人」とすんなり言えないこと、それがまさに「日本人」の問題なのである。」(尹健次『思想体験の交錯』、2008年)(>> リンク)
彼の周りには、卑屈な日本人あり、卑屈な朝鮮人あり、弾圧への反発を、抵抗と朝鮮独立運動という形で噴出させる者あり。動き出した彼らも、「特高にいながら実は朝鮮独立を祈念する者」を装った朝鮮人により裏切られ、酷い拷問を受ける。そして、小説は、日本の敗戦間近であることを示唆しつつ、拷問の受苦で終わる。古い小説ではあるが、その時代に過去の記憶としてではなく現在の記憶として書かれたからこそ、価値のある小説でもある。
また、ここには、朝鮮独立を願う者たちが、金日成をイコンとして掲げたことが描かれている。当時からして、「北」は支配者の日本人からも「思想がわるい」といわれているところであったという。
「日独伊のいわゆる「防共協定」をまたずとも、人々の眼にみえるもの、耳にきくものはすべて反ソ・反共の宣伝一色であった。”赤”ということばで、それはこのうえない恐怖をさえ伴っていた。ほんのちょっとした民族的感情から発したことば一つでさえ、その”赤”にむすびつけられると、たちまち監獄の壁と向いあわなくてはならなくなり、それは死をさえ意味していた。そうしてどんなに多くの人々が、この世上からいなくなっていっていることであろうか!」
植民地朝鮮にとって危険な「赤」という存在は、しかし、戦後しばらくの間も、危険な存在であり続けた。韓国において「赤」だとみなされることは、なお、死を意味した。「人を見たら「北傀」のスパイだと疑えといったあの時代は、もう完全に終わってしまったのだ」(四方田犬彦『ソウルの風景』、2001年)(>> リンク)とはいえ、いまだ、朝鮮半島はふたつの国に分けられている。
署名入りだった。「寿」がいい
●参照
○金石範『新編「在日」の思想』
○金石範『万徳幽霊奇譚・詐欺師』 済州島のフォークロア
○李恢成『沈黙と海―北であれ南であれわが祖国Ⅰ―』
○李恢成『円の中の子供―北であれ南であれわが祖国Ⅱ―』
○李恢成『伽�塩子のために』
○李恢成『流域へ』
○朴重鎬『にっぽん村のヨプチョン』
○梁石日『魂の流れゆく果て』
○尹健次『思想体験の交錯』
○尹健次『思想体験の交錯』特集(2008年12月号)
○『世界』の「韓国併合100年」特集
○四方田犬彦『ソウルの風景』