韓国の伝説的トランぺッター崔善培(チェ・ソンベ)さんが来日します。崔さんがジャズ史においてどれだけ凄い存在なのか。長いですが以下ご一読ください(最近の本『阿部薫2020 僕の前に誰もいなかった』や『高木元輝~フリージャズサックスのパイオニア』への寄稿、アルフレート・23・ハルトへのインタビューを通じて調べたものです)。
●朝鮮半島と日本とのリンクとなった人物
かつて吉屋潤という音楽家がいました。かれは植民地朝鮮の平壌近くに生まれ、朝鮮戦争直前にジャズを求めて日本に渡り、本名の崔致禎ではなく作家の吉屋信子と谷崎潤一郎から取って吉屋潤を名乗り、サックス奏者として活躍した人物です。吉屋さんは韓国に戻ると多くのヒット曲を作り、大成功しました(丸山一昭『離別(イビョル) 吉屋潤』)。吉屋さんはまた、あの高木元輝の師匠にもあたります。高木さんもまた在日コリアンでした(本名は李元輝)。
●韓国フリージャズの誕生
吉屋さんは1978年頃に「韓国ジャズ同好会」を作り、ジャズが好きな者を集め、スタンダード、スイングなど人数割りを行いました。その中にフリージャズもあり、それが崔善培、いちどは軍政下の音楽活動抑圧等によりロックシーンを離れていた金大煥(パーカッション)、金大煥の従弟の姜泰煥(サックス)の3人です。この3人組は、1985年に近藤等則さん(トランペット)の招聘で来日する際に「姜泰煥トリオ」と名付けられました。世界でも類をみないアジアのサウンドが生まれたのです。いまなおその鮮烈さは色褪せていません。
●崔善培と日本
崔さんにとって高木さんは憧れの存在であり、吉屋さんから弟子のことを聞かされていたのかもしれません。サックスのヘラクレスことペーター・ブロッツマンからも「日本に凄いサックスがいる」と教えられていたともいいます。その後、崔さんは95年の来日時に高木さんとの共演を果たしました。その際に山口県のカフェ・アモレスで録音された音が『SEISHIN-SEIDO 正心正道』として残されています(崔、金、高木)。三者とも実に人間らしく素晴らしい音を出しています。なお、この滞日時の記録には『The Sound of Nature Live at 新宿Pit Inn』(崔、梅津和時、井野信義、小山彰太)、『Arirang Fantasy』(崔、金、広瀬淳二、吉沢元治)があります。
崔さんは96年には高木さんらを韓国に招いてもいます。また98年来日時に沖至さん(トランペット)、井野信義さん(ベース)とともに吹き込まれた『紙ふうせん』は、沖さんの夢見るようなトランペットとの対比がおもしろく、やはり必聴です。
●アルフレート・23・ハルト
アルフレート・23・ハルトは、作曲家・ピアニストのハイナー・ゲッベルスと70-80年代に組んだサンプリング音楽によって世界に衝撃を与えたサックス奏者です。大友良英さん(ターンテーブル、ギター)も大きな影響を受けたひとりであり、かれのバンド・Ground-Zeroの第2期はゲッベルス=ハルトのアルバム『Frankfurt/Peking』(1984年)に収録された「Peking-Oper」をリ・サンプリングするために作られたほどでした。ハルトはいま韓国に住み、崔善培とのコラボレーションを展開しています。僕は、ゲッベルス=ハルトのサウンドの発展形が韓国においてハルト=崔によって提示されたのだとみています。たとえば2004年に録音された『55 Quintets』を聴いてみてください。どこに連れていかれるのかわからない30分弱で、録音から20年近くが経ったいま聴いても、混沌が厚みを増してゆくさまに興奮させられます。崔さんも伝統的なプレイヤーにとどまらず、このようなアプローチも悠然と選ぶことができる人だということがわかります(突然スタジオにエレクトロニクスを持ち込み、ハルトを驚かせたということです)。
2007年に原田依幸さん(ピアノ)が渡韓した際に崔・ハルト・原田のトリオで吹き込まれた『Homura』は一転して伝統的なフリージャズのありようで、激しくも魅力的な作品です。
●前回の来日
2019年の来日時、下北沢のLady Janeではじめて崔さんの演奏を目の当たりにしました。魅せられました。トランペットの泡のような音。マウスピースを付けた長いビニールホースの音。マウスピースだけの音。懐かしくもあるハーモニカの音。それらは唸りも笑いもし、ため息も吐く、人間の声でした。その小さい人間の声をとても大事にすることが伝わってくるものでした。
このツアーを企画実行したのが香村かをりさん(韓国打楽器)です。彼女はこのとき「一緒に演奏しよう」と崔さんに声をかけられて参加し、その後、東京の即興演奏シーンに欠かせない存在となっています。
昨年11月にクッに参加するため渡韓した香村さんに、崔さんが日本ツアーの企画を依頼しました。コロナ禍を経て4年ぶりの来日です。どこかに駆け付けないと後悔することになるでしょう。2023年3月12日から26日まで。スケジュールはこちら。