Sightsong

自縄自縛日記

金成隆一『ルポ トランプ王国2』、辻浩平『トランプ再熱狂の正体』

2024-08-24 08:39:39 | 北米

トランプの大統領当選(2016年)の驚きは、都市部の視線で分析していては実態を捉えられないということも意味した。金成隆一『ルポ トランプ王国』(岩波新書、2017年)は錆びついた地域=ラストベルトの住民の声を拾い上げた傑作だった。大統領選が迫ってきて気になるので、その続編(岩波新書、2019年)と、辻浩平『トランプ再熱狂の正体』(新潮新書、2024年)を一読。生存に直結するオカネの問題、それからアイデンティティの問題。

辻さんの本によれば、かつてオバマはこんな発言をしたという。「民主党の人間は東海岸と西海岸に住み、リベラルで、カフェラテを飲み、ポリティカル・コレクトネスを守り、普通の人間と感覚がずれていると思われている」と。保守派がリベラルを揶揄するときには、カフェラテを飲む(latte-sipping)、テスラ(電気自動車)に乗る、寿司を食べる、ニューヨーク・タイムズを読んでいる、などの表現が使われる、と。日本における左右の断絶とどこが共通しどこが違うのか、やっぱり気になるところ。

●参照
金成隆一『記者、ラストベルトに住む』(2018年)
吉見俊哉『トランプのアメリカに住む』(2018年)
貴堂嘉之『移民国家アメリカの歴史』(2018年)
金成隆一『ルポ トランプ王国―もう一つのアメリカを行く』(2017年)
渡辺将人『アメリカ政治の壁』(2016年)
四方田犬彦『ニューヨークより不思議』(1987、2015年)
佐藤学さん講演「米国政治の内側から考えるTPP・集団的自衛権―オバマ政権のアジア政策とジレンマ」(2014年)
室謙二『非アメリカを生きる』(2012年)
成澤宗男『オバマの危険 新政権の隠された本性』を読む(2009年)
鎌田遵『ネイティブ・アメリカン』(2009年)
尾崎哲夫『英単語500でわかる現代アメリカ』(2008年)
吉見俊哉『親米と反米』(2007年)
上岡伸雄『ニューヨークを読む』(2004年)
亀井俊介『ニューヨーク』(2002年)


『ユリイカ』のポール・オースター特集号

2024-08-18 13:50:00 | 北米

『ユリイカ』のポール・オースター特集号をぱらぱら。

オースターの翻訳家・柴田元幸さんの指摘がおもしろい。「人は大人になるとas ifと言わずに、almost as ifと『別に断定はしていないんだけど』とalmostをつけたくなる」が、オースターはalmostを使わない若者であった、と。 それで思い出したのは、J・M・クッツェーとの対談集『Here and Now』を読んだとき、クッツェーはなんてつまらないことしか言えない人なんだろうと感じたこと。たしかにオースターと話す「大人」はそうみえてしまうものかもしれない。

もとより自分とクッツェー作品はどうも相性が悪い。『The Childhood of Jesus』でもじつに嫌な気分になったし、つい続編の邦訳『イエスの学校時代』も読んでしまい、どうもなんとも。いま調べてみたら第3作『The Death of Jesus』が出ている。読まないと。

●ポール・オースター
ポール・オースター『Baumgartner』(2023年)
ポール・オースター+J・M・クッツェー『ヒア・アンド・ナウ 往復書簡2008-2011』(2013年)
ポール・オースター『冬の日誌』(2012年)
ポール・オースター『Sunset Park』(2010年)
ポール・オースター『インヴィジブル』再読(2009年)
ポール・オースター『Invisible』(2009年)
ポール・オースター『闇の中の男』再読(2008年)
ポール・オースター『闇の中の男』(2008年)
ポール・オースター『写字室の旅』(2007年)
ポール・オースター『ブルックリン・フォリーズ』(2005年)
ポール・オースター『オラクル・ナイト』(2003年)
ポール・オースター『幻影の書』(2002年)
ポール・オースター『トゥルー・ストーリーズ』(1997-2002年)
ポール・オースター『ティンブクトゥ』(1999年)
ポール・オースター『リヴァイアサン』(1992年)
ポール・オースター『最後の物たちの国で』(1987年)
ポール・オースター『ガラスの街』新訳(1985年)
ポール・ベンジャミン『スクイズ・プレー』(1982年)
『増補改訂版・現代作家ガイド ポール・オースター』
ジェフ・ガードナー『the music of chance / Jeff Gardner plays Paul Auster』


ポール・オースター『Baumgartner』

2024-01-01 15:09:01 | 北米

ポール・オースター『Baumgartner』(2023年)。

オースターの新作を読むのは久しぶりだ。92年の『リヴァイアサン』あたりからは待ちきれず原書で読んでいて、そうすると柴田元幸の名訳で世界を再体験できる愉しみがある。(2017年の『4 3 2 1』はあまりの分厚さに断念した。)

この人はだんだん視線が内面に向かっているようだ(けれども、『インヴィジブル』や『サンセット・パーク』にあった過激な性描写が姿を消してほっとした)。前は奇妙な偶然が現実となってゆく感覚があった。いまは奇妙な心象風景と現実との交差点が物語をひっぱってゆくおもしろさがある。

大学教員のサイ・バウムガートナーは10年前にパートナーのアンナを亡くしてしまい、喪失感とともに生きている。その一方でアンナの遺した詩を出版し、アンナの存在を心の中にとどめている。不思議な感覚だが、サイの世界は縮小するばかりではない。ずいぶん年下の恋人もできた。サイは彼女にアンナを求めることはない。ふたりのキャラはちがう。

とはいえオースターのことだから読み手はどこで突き落とされるかわからない。はらはらして読んでいると偶然と必然が混在した状況の中で希望がみえた(ように思えた)。よかった。 それにしてもときどき出会う、オースターらしい文章。

--- To live is to feel pain, he told himself, and to live in fear of pain is to refuse to live.

●ポール・オースター
ポール・オースター+J・M・クッツェー『ヒア・アンド・ナウ 往復書簡2008-2011』(2013年)
ポール・オースター『冬の日誌』(2012年)
ポール・オースター『Sunset Park』(2010年)
ポール・オースター『インヴィジブル』再読(2009年)
ポール・オースター『Invisible』(2009年)
ポール・オースター『闇の中の男』再読(2008年)
ポール・オースター『闇の中の男』(2008年)
ポール・オースター『写字室の旅』(2007年)
ポール・オースター『ブルックリン・フォリーズ』(2005年)
ポール・オースター『オラクル・ナイト』(2003年)
ポール・オースター『幻影の書』(2002年)
ポール・オースター『トゥルー・ストーリーズ』(1997-2002年)
ポール・オースター『ティンブクトゥ』(1999年)
ポール・オースター『リヴァイアサン』(1992年)
ポール・オースター『最後の物たちの国で』(1987年)
ポール・オースター『ガラスの街』新訳(1985年)
ポール・ベンジャミン『スクイズ・プレー』(1982年)
『増補改訂版・現代作家ガイド ポール・オースター』
ジェフ・ガードナー『the music of chance / Jeff Gardner plays Paul Auster』


ポール・ベンジャミン『スクイズ・プレー』

2022-11-11 23:41:30 | 北米

ポール・ベンジャミン『スクイズ・プレー』(新潮文庫、原著1982年)。

ポール・オースターはずいぶん好きで、『リヴァイアサン』あたりからは邦訳を待ちきれず先に原書を読んできた(最新作の『4 3 2 1』は分厚くて諦めた)。けれどもNY三部作より前の作品があったなんて知らなかった。それがポール・ベンジャミン名義のハードボイルド『スクイズ・プレー』で、たしかに、どこかとどこかがつなぎあわされて運命的な結節点となる語りはオースター的。野球への憧れもまたオースター的。ミッキー・スピレインのような洒落た減らず口もたのしくて、真似したくてもできないところがまたいい。

●ポール・オースター
ポール・オースター+J・M・クッツェー『ヒア・アンド・ナウ 往復書簡2008-2011』(2013年)
ポール・オースター『冬の日誌』(2012年)
ポール・オースター『Sunset Park』(2010年)
ポール・オースター『インヴィジブル』再読(2009年)
ポール・オースター『Invisible』(2009年)
ポール・オースター『闇の中の男』再読(2008年)
ポール・オースター『闇の中の男』(2008年)
ポール・オースター『写字室の旅』(2007年)
ポール・オースター『ブルックリン・フォリーズ』(2005年)
ポール・オースター『オラクル・ナイト』(2003年)
ポール・オースター『幻影の書』(2002年)
ポール・オースター『トゥルー・ストーリーズ』(1997-2002年)
ポール・オースター『ティンブクトゥ』(1999年)
ポール・オースター『リヴァイアサン』(1992年)
ポール・オースター『最後の物たちの国で』(1987年)
ポール・オースター『ガラスの街』新訳(1985年)
『増補改訂版・現代作家ガイド ポール・オースター』
ジェフ・ガードナー『the music of chance / Jeff Gardner plays Paul Auster』


マヤ・アンジェロウ『The Heart of a Woman』

2022-02-23 09:48:10 | 北米

2年くらい前にロサンゼルス近郊のウッドランドヒルズという町の古本屋で買った。ようやく読んだ。詩人・公民権運動家のマヤ・アンジェロウは自伝を7冊書いており(最初の2冊は邦訳されている)、この『The Heart of a Woman』は4冊目にあたる。

彼女は歌手としても活動し『Miss Calypso』を1957年に出しているのだが、この本はその頃から数年間のことを思い出して書かれている。そのような縁もあって、ツアーに来たビリー・ホリデイを自宅に呼ぶところから語りがはじまっていておもしろい。やっぱりビリーは精神のバランスを少し崩していたようでマヤの息子につらくあたり、母子の心にも傷を与えた。ビリーのことでもあり、書くことにもためらいがあったかもしれない。

それにしても公民権運動の時代、エピソードになまなましさがある。キング牧師にどっしりとした貫禄があったことも、マルコムXの発言がつねに自分の身を切って相手と向かい合うものであったことも。マルコムXいわく、「Every person under the sound of my voice is a soldier. You are either fighting for your freedom or betraying the fight for freedom or enlisted in the army to deny somebody else's freedom」。

音楽家たちも運動の前面に出て関わっていた。「Harry Belafonte and Miriam Makeba were performing fund-raising concerts for the freedom struggle. Max and Abbey traveled around the country doing their "Freedom Now Suite"」。ところでそのミリアム・マケバは60年代後半にハーレムに住みジャズミュージシャンたちと交流していた。もしかしたらアルバート・アイラーとも互いに知る仲だったのかもしれないと思い、去年出版された『AA 五十年後のアルバート・アイラー』に書いたのだけれど、まだそのことは判明しない。

本の後半では、マヤがアフリカ出身の人と再婚してからの生活が描かれている。結婚当初は「チキンキエフ、フェイジョアーダ、エッグベネディクト、ターキーのテトラッツィーニ」(テトラッツィーニってはじめて知った)なんかを作って愉しそうなのに、一緒にカイロに移り住んでからの摩擦は消耗するようで、読んでいてつらい。最後に自分を取り戻すところも嬉しくはあるけれどつらい。ここまで自分をさらけ出すからいまも支持されているのだろうけれど。

マヤ・アンジェロウは最近25セント硬貨のデザインになったそうで、ちょっと欲しい。

●マヤ・アンジェロウ
マヤ・アンジェロウ『私の旅に荷物はもういらない』(1993年)
金成隆一『記者、ラストベルトに住む』(2018年)
デイヴ・ホランド『Dream of the Elders』(1995年)


ポール・オースター『インヴィジブル』再読

2019-02-28 23:29:51 | 北米

ポール・オースター『インヴィジブル』(新潮社、原著2009年)を読む。

この小説が出たばかりのころにデュッセルドルフに行き、中央駅の書店で買って飛行機で読み始め、帰国して読了した。昨年柴田元幸による翻訳が出たのであらためて読みはじめたが、時間切れで途中で置いて、そのとき以来9年ぶりにデュッセルドルフを訪れた。中央駅に書店はまだあったが入る余裕がなかった。帰国してから読了した。

そんなこと個人的な偶然に過ぎないのだが、そのことがオースター的だと言えなくもない。それに、やはり個人的には、オースターのブルックリンよりもヨーロッパのほうが偶然力に満ちている。そして本書の舞台はニューヨークに加えてパリでもあるのだが、その描写から街に行きたくなるのはパリのほうだ。(そういえば『ティンブクトゥ』の原書はパリで買ったのだった。)

9年前に本書を読んだとき、延々と続く性描写に辟易させられた。今読むとそれはさほどグロテスクでもなく、垣根のない愛の物語として沁みてきてしまう。それは最近のオースター作品の特徴でもあるし、また、複数の語り、それによる虚実の揺らぎ、ありえないほどの偶然と怖ろしい運命といったオースター要素が、本書にも散りばめられている。しかし印象が他の作品と重なることはない。

何が「インヴィジブル」かと言えば、語り手が視えないこと、リアルが視えないこと、そして視覚を聴覚が乗っ取ってしまうことでもある。それは最後まで読めばわかる。9年前と同じく、読了後数日経っても、思い出すたびにその音が耳の中でこだまする。

やはり読み直してみるものである。

●ポール・オースター
ポール・オースター+J・M・クッツェー『ヒア・アンド・ナウ 往復書簡2008-2011』(2013年)
ポール・オースター『冬の日誌』(2012年)
ポール・オースター『Sunset Park』(2010年)
ポール・オースター『Invisible』(2009年)
ポール・オースター『闇の中の男』再読(2008年)
ポール・オースター『闇の中の男』(2008年)
ポール・オースター『写字室の旅』(2007年)
ポール・オースター『ブルックリン・フォリーズ』(2005年)
ポール・オースター『オラクル・ナイト』(2003年)
ポール・オースター『幻影の書』(2002年)
ポール・オースター『トゥルー・ストーリーズ』(1997-2002年)
ポール・オースター『ティンブクトゥ』(1999年)
ポール・オースター『リヴァイアサン』(1992年)
ポール・オースター『最後の物たちの国で』(1987年)
ポール・オースター『ガラスの街』新訳(1985年)
『増補改訂版・現代作家ガイド ポール・オースター』
ジェフ・ガードナー『the music of chance / Jeff Gardner plays Paul Auster』


ドリュー・ゴダード『Bad Times at the El Royale』

2019-02-07 08:24:29 | 北米

ドリュー・ゴダード『Bad Times at the El Royale』(2018年)。

ネバダ州とカリフォルニア州の境界の(文字通り)上にあるホテルに、FBIだのベトナム戦争帰りだのドサ回りの歌手だのカルトだの強盗犯だのがたまたま集まり、はちゃめちゃな殺人事件となってしまう。

ちょうど昨年うろうろした辺りでもあり、飛行機で再び向かう途中でもあり、詰め込み過ぎ映画なのになかなか面白かった。ネバダ州のリノはドサ回りの場所くらいに扱われていて、同じホテル内でもネバダ州側の部屋はカリフォルニア州側の部屋より1ドル安かったりする。確かにわからなくもなくて笑ってしまうが、映画の舞台となった1969年もそんな雰囲気だったのか。


北井一夫『シカゴループ』

2019-01-29 09:02:51 | 北米

南青山のビリケンギャラリーにて、北井一夫さんの写真展『シカゴループ』。

2017年にシカゴ美術館でのプロヴォーク展があり、招待された北井さんはシカゴの街を撮影した。

近年、北井さんがデジカメに持ち替えたのは大きな衝撃だった。ソニーのアルファを用いて最初に『日本カメラ』誌に掲載された作品には、正直言ってインパクトが弱く(多くの人がそう思ったに違いない)、それもまた衝撃を上乗せした。

そんなわけで半ば恐れながら足を運んだのだが・・・。いや驚いた。人や物との距離感や間合い、想像される写真家としての佇まい、やや傾いだ構図、すべて北井写真のアウラを発散している。素晴らしい。電車のホームを撮影したものなど欲しい作品もあり、また北井一夫さんの写真としては格安でもあったから、くらくらして懐に手がのびかけてしまった。

レンズはすべてエルマー50mmF3.5であるらしい。北井さんによれば、赤エルマー、ニッケルエルマー、そしてF2.8と3本エルマーを所有しているという。こんなに良いなら、買えもしないズミルックス35mmF1.4に憧れていないでエルマーを使おうかな。

北井さんは操作方法が複雑すぎるという理由で、今ではライカM10を使っている。日本のいくつかの場所を撮った作品をエッセイのように組み合わせて写真集にしようかなと話してくれた。(その中には友人が案内役を買って出たものもある。)

Leica IIIa、Summitar 50mmF2.0、富士C200(およそ3年ぶりにフィルムを使った)

●北井一夫
『1968年 激動の時代の芸術』@千葉市立美術館(2018年)
『写真家の記憶の抽斗』(2017年)
『写真家の記憶の抽斗』
『COLOR いつか見た風景』
『いつか見た風景』
北井一夫×HMT『過激派 AGITATORS』(2015年)
『道』(2014年)
『Walking with Leica 3』(2012年)
『Walking with Leica 2』(2010年)
『Walking with Leica』(2009年)
『北京―1990年代―』(1990年代)
『80年代フナバシストーリー』(1989年/2006年)
『フナバシストーリー』(1989年)
『英雄伝説アントニオ猪木』(1982年)
『新世界物語』(1981年)
『ドイツ表現派1920年代の旅』(1979年)
『境川の人々』(1978年)
『西班牙の夜』(1978年)
『ロザムンデ』(1978年)
『遍路宿』(1976年)
『1973 中国』(1973年)
『流れ雲旅』(1971年)
『津軽 下北』(1970-73年)
『湯治場』(1970年代)
『村へ』(1970年代)
『過激派』(1965-68年)
『神戸港湾労働者』(1965年)
粟生田弓『写真をアートにした男 石原悦郎とツァイト・フォト・サロン』(2016年)
大津幸四郎・代島治彦『三里塚に生きる』(2014年)(北井一夫出演)


金成隆一『記者、ラストベルトに住む』

2018-12-23 12:11:41 | 北米

金成隆一『記者、ラストベルトに住む トランプ王国、冷めぬ熱狂』(朝日新聞出版、2018年)を読む。

金成隆一『ルポ トランプ王国―もう一つのアメリカを行く』は、なぜ「理知的」に判断してもあり得ない結果であったはずのトランプ大統領誕生が起きたのか、その実態を示してくれる良書だった。本書はその続編である。著者は地殻変動が起きたラストベルトに住み、トランプを支持した住民たちのナマの声を拾い上げている。

ラストベルトの「ラスト」とは、「最後」ではなく「サビ」である。すなわち、石炭や鉄鋼や重工業に代表される産業が「サビついた」地域のことであり、主に五大湖周辺。共和党支持なら中南部だろうという見立ては、もはや過去のものになっている。「労働者は民主党」「富裕層は共和党」から、「棄てられた労働者は共和党」「富裕層は民主党」へとシフトしているのである。

かれらは仕事を失い、何とか働き口を見つけたとしてもたいへんな低賃金。その絶望が、都会の富裕な白人(ヒラリー・クリントンに象徴されるような)や、自分たちの仕事を奪う者としての移民に向けられてきた。また薬物依存に向かった。そして、マイノリティ尊重やポリティカル・コレクトネスや環境保護を「やり過ぎ」だと見なす風潮を生んだ。

本書を読んでわかるのは、「トランプ祭り」が終わっても、その空気はさほど変わってはいないということである。住民をとりまく状況はかんたんに変わりはしないのだから当然とも言える。一方ではトランプへの幻滅も出てきている。登場する人たちの声はリアルだ。

とは言え、本書が示唆している通り、これが続くわけではない。アメリカにおいては、2045年には非白人が人口の過半数を占めるようになる。しかしヒスパニック層を取り込もうとしたジェブ・ブッシュはレースから脱落した。共和党は見棄てられた白人層を取り込み、保守からカルトへと右に振れ切った。それに伴い、極端な排外主義の活動を行う団体もまた出てきている。中間選挙は微妙な結果となった。解はなかなか見えない。まさに同時代または近未来の日本である。

本書には、トランプ政権への抗議デモでよく使われたという、マヤ・アンジェロウの印象的な詩が紹介されている。

あなたの言葉で私を撃てばよい/
視線で私を切りつければよい/
憎しみで私を殺せばよい/
それでも私は立ち上がる、空気のように

You may shoot me with your words,/
You may cut me with your eyes,/
You may kill me with your hatefulness,/
But still, like air, I'll rise.

●参照
吉見俊哉『トランプのアメリカに住む』(2018年)
貴堂嘉之『移民国家アメリカの歴史』(2018年)
金成隆一『ルポ トランプ王国―もう一つのアメリカを行く』(2017年)
渡辺将人『アメリカ政治の壁』(2016年)
四方田犬彦『ニューヨークより不思議』(1987、2015年)
佐藤学さん講演「米国政治の内側から考えるTPP・集団的自衛権―オバマ政権のアジア政策とジレンマ」(2014年)
室謙二『非アメリカを生きる』(2012年)
成澤宗男『オバマの危険 新政権の隠された本性』を読む(2009年)
鎌田遵『ネイティブ・アメリカン』(2009年)
尾崎哲夫『英単語500でわかる現代アメリカ』(2008年)
吉見俊哉『親米と反米』(2007年)
上岡伸雄『ニューヨークを読む』(2004年)
亀井俊介『ニューヨーク』(2002年)


貴堂嘉之『移民国家アメリカの歴史』

2018-12-15 08:47:32 | 北米

貴堂嘉之『移民国家アメリカの歴史』(岩波新書、2018年)を読む。

大きな物語としての、ナショナル・ヒストリーとしての、「移民国家」。真実ではあるのだけれど、一方で、それが都合よく語りなおされた言説であることもよくわかる。

19世紀なかばまで、新大陸に移住した黒人はヨーロッパ人の4倍もいた。すなわち「奴隷国家」であった。奴隷制が廃止されても、有償の「奴隷制」が続いた。アメリカ南部の綿花栽培などはその典型であり、19世紀前半に拡がった。「自由労働者」であってもその実は奴隷とは、当然ながら、いまの日本にだってつながっているわけである。

目立つ移民は黒人、中国人、日本人へと変遷していく。そして何かがあるたびに排斥運動が起きた。ここで重要な点が指摘される。20世紀になり、日本人は、あるいは日本政府は、他のアジア諸国と異なる「一等国」の「名誉白人」として特別扱いされるよう願い、働きかけた。人種平等提案をするにしても、それはタテマエであり、自身は中国を侵略し、民族自決を願った朝鮮を武力で鎮圧した。

もちろん日本人を含め、マイノリティの抵抗運動とそれにより勝ち取った権利は高く評価されている。しかし問題は、それが、アメリカという国家を再生する物語に回収されてきたことなのだ、としている。そこにはさまざまな非対称があり、物語から排除された人たちが少なからずいた。

では日本という国の物語はどうか。本書には、岸信介による驚くべき発言が引用されている。日系人の下院議員ダニエル・イノウエが、日系人が米国大使になる可能性について示唆したところ、岸は言い放った。「あなたがた日系人は、貧しいことなどを理由に、日本を棄てた『出来損ない』ではないか。そんな人を駐日大使として、受けいれるわけにはいかない」と。このおぞましく醜い眼差しが、いまも脈々と受け継がれている。

●参照
吉見俊哉『トランプのアメリカに住む』(2018年)
金成隆一『ルポ トランプ王国―もう一つのアメリカを行く』(2017年)
渡辺将人『アメリカ政治の壁』(2016年)
四方田犬彦『ニューヨークより不思議』(1987、2015年)
佐藤学さん講演「米国政治の内側から考えるTPP・集団的自衛権―オバマ政権のアジア政策とジレンマ」(2014年)
室謙二『非アメリカを生きる』(2012年)
成澤宗男『オバマの危険 新政権の隠された本性』を読む(2009年)
鎌田遵『ネイティブ・アメリカン』(2009年)
尾崎哲夫『英単語500でわかる現代アメリカ』(2008年)
吉見俊哉『親米と反米』(2007年)
上岡伸雄『ニューヨークを読む』(2004年)
亀井俊介『ニューヨーク』(2002年)


吉見俊哉『トランプのアメリカに住む』

2018-11-23 08:42:06 | 北米

吉見俊哉『トランプのアメリカに住む』(岩波新書、2018年)を読む。

なぜトランプが大統領になりえたのかについては、金成隆一『ルポ トランプ王国―もう一つのアメリカを行く』において説得力のある報告がなされている。すなわち、人びとの目に留まりやすい大都市の住民ではなく、「ラストベルト(錆びついた工業都市)」など、もはや興隆を誇ることのない産業によって引っ張られてきた地域の住民の動きがあった。中流から貧困層へと滑り落ちてしまうことへの抵抗だった。著者はこの金成氏にもインタビューしつつ、この現象を構造問題としてとらえながらも、複雑骨折の様子についても見出している。

それは「出口のない恐怖」であり、トランプが「彼らの喪失感や恥辱を『敵』への攻撃に転化させる」詐術に気付いてはいても気付かないふりをするという、大きな現象であった。「気付いてはいても気付かないふりをする」とは、日本の社会形成の方向に重なってきてちょっと恐ろしさを覚える。

塊としての動きに抗するものとして個人としての動きを対置するならば、本書で報告されている「#MeToo」や「#ChurchToo」、さらに「#BoycottNRA」、「#NeverAgain」に至るまでのSNSを通じたムーヴメントは、やはり希望にみえる。「性」、「暴力」、「オカネ」はきっと三大「見て見ぬふり」の対象であるから。

●参照
金成隆一『ルポ トランプ王国―もう一つのアメリカを行く』(2017年)
渡辺将人『アメリカ政治の壁』(2016年)
佐藤学さん講演「米国政治の内側から考えるTPP・集団的自衛権―オバマ政権のアジア政策とジレンマ」(2014年)
室謙二『非アメリカを生きる』(2012年)
成澤宗男『オバマの危険 新政権の隠された本性』を読む(2009年)
尾崎哲夫『英単語500でわかる現代アメリカ』(2008年)
吉見俊哉『親米と反米』(2007年)


ネバダ、アリゾナ、カリフォルニア、2018年8-9月

2018-09-03 07:50:00 | 北米

1年ぶりのアメリカ。とはいえ、この5月にはNYに行くつもりだったのに急病でキャンセルしたのだ。西部ははじめてだ。

内陸地は乾燥していて、鼻の中がかぴかぴになる。みんな無理に洟をかんで血が出たとか言っていた。ネバダの隣、カリフォルニアのデスバレーを見るとその過酷さがわかる。ネバダとアリゾナの両州にまたがるミード湖とフーヴァーダムは、大恐慌のあとのニューディール政策で建造されたものであり、荒野と岩山の中にいきなり巨大な人造湖とアーチ式ダムが現れると威圧されてしまう。一方シエラネバダの山間地にはタホ湖があり、周囲の川も含めて実に清冽で気持ちが良い。

こんな場所にラスベガスのような不自然な街があるのは、大陸横断の要所だったからである。やがて19世紀後半には大陸横断鉄道が作られてゆく。リノでそれを見ると狭軌であり、やはりアメリカは自動車移動の国。

灌木の植生がどんどん変わる

エイリアングッズの店

ロズウェル事件で墜落したUFOの残骸のレプリカ(10ドルで買った)

デスバレー

浸食地形

デスバレーに通じる道

太陽熱発電

太陽熱発電

そのへんのハンバーガー

温度計

フーヴァーダム

フーヴァーダム

ミード湖(水位が低い)

向こう側のラスベガス

カジノの空

リノ

リノの大陸横断鉄道の名残

フォーチュンクッキーから出てきたメッセージ(まだ届かない)

30オンスのステーキ

リブ

デニーズの朝食

古いトロッコ列車の跡

シエラネバダ

River Runs Through It

タホ湖

タホ湖

ホームパーティ

Nikon P7800、iphone


マヤ・アンジェロウ『私の旅に荷物はもういらない』

2018-08-13 07:40:46 | 北米

マヤ・アンジェロウ『私の旅に荷物はもういらない』(立風書房、原著1993年)を読む。

彼女の文章は、シンプルながらとても説得力がある。それは、卑屈や憎悪の領域に自分を置かず、前向きに生きていくための言葉であり、国籍や性別や年齢や信仰などに関係なく響くものに違いない。変な自己啓発本(知らんけど)よりも百万倍は良い。

●マヤ・アンジェロウ
デイヴ・ホランド『Dream of the Elders』(1995年)


ゴードン・マッタ=クラーク展@東京都近代美術館

2018-07-30 00:25:35 | 北米

東京都近代美術館で、ゴードン・マッタ=クラークの回顧展。

かれは1978年に35歳で亡くなっており、その活動期間は短かった。70年代に使えるメディアや手段をもって、70年代の都市のマージナルな部分を揺さぶった人だと言える。

いまとなってはその表現手段は素朴で隙間だらけに見えなくもない。だが、そのゆるやかさが、都市のスクエアな壁構造に風穴を開けた。人を威圧するような四角いビルの壁が切断され、穴が開けられると、それが精密なものでないからこそ、広く何でも生きてゆける空間へと開かれたものになったのだという感覚がある。粉がふきそうなくらい古いビルの切断面を見せられて、そこから40年以上経っていても、解放感を覚えるのはわたしだけではないに違いない。

テーマは建物ばかりではなかった。たとえば、食というものもあった。それらはどのように技術が進歩しようとも個々の身体に影響する。そのマージンにゆるやかに入っていき、「プロジェクト」を立ち上げる精神は、なお現代的なものだと感じた。

※写真は撮影自由。このような過去の呪縛から自由になった展覧会がもっと増えてほしい。


ジョイス・キャロル・オーツ『生ける屍』

2018-07-02 23:55:55 | 北米

ジョイス・キャロル・オーツ『生ける屍』(扶桑社ミステリー、原著1995年)を読む。

Q・Pはかなりヤバい奴であり、自分にNoではなくYesだけで従うゾンビを作ろうとして、何人かにロボトミー手術を施す。施そうとする、ではない、施す。それはかなり原始的なもので、眼窩の(以下略)。

そんな感じで、何も起きないようでいて、凄まじいことが起きている。凄まじいことが起きているようでいて、日常の時間が流れている。

オーツはQ・Pの心理を淡々と描いている。異常なのかなんなのかよくわからない。しかも、奇妙な心の眼に写ったものが可視化されたような図や、社会に既にある図(つまり、どこかの本の中に)を用いたり、ゴシック体でなにやらの用語を強調したりして。横並びの情報処理とフェティシズムがまた怖い。

やはり読後のイヤなじわじわ感が半端ない。なんなんだ。

もうこの人の小説を読むのはしばらくやめようと思いつつ、また手を出してしまった。今度は本当にやめよう。

●ジョイス・キャロル・オーツ
ジョイス・キャロル・オーツ『Daddy Love』(2013年)
ジョイス・キャロル・オーツ『Evil Eye』(2013年)
ジョイス・キャロル・オーツ『とうもろこしの乙女、あるいは七つの悪夢』(1996-2011年)
ジョイス・キャロル・オーツ『アグリーガール』(2002年)
林壮一『マイノリティーの拳』、ジョイス・キャロル・オーツ『オン・ボクシング』(1987年)
ジョイス・キャロル・オーツ『Solstice』(1985年)
ジョイス・キャロル・オーツ『エデン郡物語』(1966-72年)