Sightsong

自縄自縛日記

イングリッド・ラウブロック、メアリー・ハルヴァーソン、クリス・デイヴィス、マット・マネリ @The Stone

2014-06-30 22:28:56 | アヴァンギャルド・ジャズ

イーストヴィレッジにある「The Stone」は、ジョン・ゾーンがディレクターをつとめる小屋。足を運んでみると、よくよく注意しないと通り過ぎてしまうような佇まいである。中には50脚くらいのパイプ椅子が置いてあり、飲みものなどはまったく出ない。

◆ Death Rattle

20時からのセッション。かなり楽しみにしていた。

Ingrid Laubrock (ts)
Mary Halvorson (g)
Kris Davis (p)

体感すると確かに格が違う。まるで3つの恒星が、互いの周りを高速で回り続ける三体問題である。

イングリッド・ラウブロックのサックスの音域がとても広い。ヘンな音もノイズも精力的に繰り出してくる。マウスピースを外して吹いたりもして。メアリー・ハルヴァーソンのギター音は、猛烈に立っていて、鼓膜と頭蓋を直撃する。そして、鋭く押したり忍び込んだりするクリス・デイヴィス

終わった後にメアリーさんと少し話をした。今度来日だねと訊くと、ヴィザが果たして間に合うか?と不安そうな発言。とりあえず、アンソニー・ブラクストンと一緒に来てほしいと熱烈要望。

◆ Kris Davis' Capricorn Climber

22時からのセッション。目当てはマット・マネリである。

Mat Maneri (viola)
Ingrid Laubrock (ts)
Kris Davis (p)
Eivind Opsvik (b)
Tom Rainey (ds)

もう空調を止めた会場が暑くて酸欠状態、ぼんやりしながら聴く。しかし、さっきの三者パラレルのセッションとは異なり、主役はやはりマネリ。マネリのヴィオラとラウブロックのサックスとがつかず離れずシンクロし、大きな流れのようなものを作りだしていたからだ。

しかし、最後にはラウブロックがエキサイトして速いフレーズを吹き始め、マネリは明らかに困ったような顔をして追随していた。

●参照
イングリッド・ラウブロック(Anti-House)『Strong Place』
メアリー・ハルヴァーソン『Thumbscrew』http://blog.goo.ne.jp/sightsong/e/fbe3c7979d4d3c71d8a02864b21dda29
ウィーゼル・ウォルター+メアリー・ハルヴァーソン+ピーター・エヴァンス『Electric Fruit』
ウィーゼル・ウォルター+メアリー・ハルヴァーソン+ピーター・エヴァンス『Mechanical Malfunction』


ハーレム・スタジオ美術館

2014-06-30 21:43:11 | 北米

アメリカのマイノリティ文化史において重要なハーレム。はじめて行ってみると、ダウンタウンともまた雰囲気がまるで異なる。道には、キング牧師やマルコムXの名前が冠されている。

ハーレム・スタジオ美術館は、40年以上前に作られた施設である(改装されているようでモダンなつくり)。ちょうど日曜日ということで、入場料が無料だった。観客もわりと多く、みんな、かなりじっくりと観て歩いている。

◆「星が降り始めるとき 想像力とアメリカ南部」

1階と2階では、「星が降り始めるとき 想像力とアメリカ南部」と題し、数十人のアーティストの作品を展示していた。それぞれの作品の意味を十分に受け止められるわけではない。しかし、意味という物語は必要不可欠である。

南部の建築物にインスパイアされたベヴァリー・ブチャナンの作品

マリー・"ビッグ・ママ"・ローズマンはキルトでミシシッピの伝統を示す

ケヴィン・ビースリーの「多くの空の下で休息を取るとき、私は自分の身体を聴く」。ヘッドホンで、ヴァージニアの環境音とともに観る。動物の頭をかぶせて何を言わんとしているのか。

デイヴィッド・ハモンズは、デルタの文化を瓶に詰めたという。蠅に見えるジッパー、ジョージアの土、・・・。

◆「Draped Down」

どういう意味だろう?個々の単語の意味はわかるのだが、と、係員に訊ねてみたが、「自分にもよくわからない。でもあのナイジェリア人の作品は凄く良いだろう」と。

ここでのコンテキストは、ハーレムにインスパイアされたセルフ・ファッションといったもののようだ。

1935年にマリ共和国で撮影された女性と現代のNYの女性を並べてみると、確かにクールだなと軽口を叩いてみたくなる。

同じシェイプで顔が塗りつぶされた3連作(ハーヴィン・アンダーソン)。

◆キャリー・メイ・ウィームス

キャリー・メイ・ウィームス(Carrie Mae Weems)という写真家の作品群。

ミュージアムのシリーズでは、ルーヴルやテート・モダンといった世界中の有名な美術館・博物館に向かって自分自身が黒いドレスで佇み、自分の背中とともにミュージアムを撮る。これにより、人種やジェンダーの複雑な関係を封じ込めようとしたのだという。また、黒人のアイデンティティに立ち戻ろうとした「墓場(Boneyard)」も示唆的。

はじめて知る写真家だが、かなり気になる人になった。

The Museum Series。これはロンドンのテート・モダンに行くための「ぐらぐら橋」。

Boneyard


グッゲンハイム美術館のイタリア未来派展、現代ラテンアメリカ展、抽象以前のカンディンスキー展

2014-06-30 15:16:38 | 北米

セントラル・パーク東側のグッゲンハイム美術館に朝一で入ろうと急いで出かけた。到着すると、開館前だというのに行列ができていた。

◆「イタリア未来派1909-1944」

実はイタリア未来派の諸氏による作品がかなり好きで、画集も何冊か大事に持っている。もう15年以上前にミラノを訪れたとき、未来派を観ようと思って美術館を探したところ、あるべきところにない。インフォメーション・センターで訊ねると、最近つぶれたよという答え。それはミラノのアイデンティティではないんだなと悲しかった。そんなわけで、このようにまとめて観ることができるのは嬉しい。

グッゲンハイム美術館は、吹き抜けの周りを螺旋状に登っていく変わったつくりだ(1階以外は撮影禁止)。

登り始めると、さすが、いきなり、ボッチョーニの騒乱の絵や、バッラの街灯の絵という大作を持ってくる。もちろん、カッラ、セヴェリーニ、ルッソロなど代表的な画家の作品をたくさん展示している。これに加えて、キアットーネによる未来都市のスケッチや、より定型的なデザイン性を求めたデペーロ、さらに知らない画家たちの作品の数々。

かれらの感覚や意匠のセンスなんてとても現代的であるし、キアットーネの未来都市は現代都市そのものだ。いまだに心が浮き立つのだから、機械文明の進展や急速な産業化と同時代の人びとにとっては、さらに刺激的であったことだろう。

ただ、螺旋を登りながらクロノロジカルに観ていくと、段々とつまらなくなっていく。意欲は、最初の粗削りのものであるから、作品を生み出すのである。しかし、意欲を二次生産し、綺麗なデザイン化を行うと、力が失われるのは当然のことだ。(こういう人はどこにもいますね。)

ブラガーリアの貴重な無意味映像(女性が密室で自ら毒ガスのスイッチを押しもだえ苦しむ)が上映されていたことも、嬉しかった。あとは、ルッソロらの爆笑未来派音楽も紹介してくれればなお良かった。

◆「現代のラテンアメリカ芸術展」

 こちらの頭が鈍磨しているのか、インスタレーションはあまり面白くはない。

 それよりも、アメリカとの政治関係・権力関係を形にした作品群が興味深いものだった。

メキシコのマリオ・ガルシア・トーレスは、自国の森林の光景をスーパー8フィルムで撮り、アメリカへのメッセージを公開ヴィデオレターの形でかぶせている。それによれば、グッゲンハイム美術館はメキシコにも美術館をつくる活動を繰り広げており、そのことが、オリエンタリズム的な権力関係をはらみ、かつ、文化破壊に他ならないと指弾する。(グッゲンハイム美術館自身がそれを晒しているわけであり、何かあると問題を覆い隠す日本の姿とはまるで異なる。)

メキシコのハビエル・テレスは、メキシコ国境からアメリカに向けて「人間砲弾」を発射するパフォーマンスのドキュメンタリーを作っている。スタントマンが大砲に入って飛び出すところなんて爆笑である。

コロンビアのカルロス・モタは、アメリカによるラテンアメリカへの介入の歴史をポスターとして作っている。表は革命の印、裏は年表であり、観客がポスターを1枚ずつ持って行ってよいことになっている。

キューバのウィルフレッド・プリエトは、大型扇風機を2台ならべ、片方に首の縦の動き、片方に横の動きをさせている。これは資本主義者と社会主義者とのすれ違いなのだという。シンプルなだけに、なるほどなと思う。

◆「抽象以前のカンディンスキー展 1910-1911」

文字通り、抽象の密度が高い抽象画に進む前のカンディンスキーの作品群である。以前とはいえ、すでに、独特のピンクや紫が多用されており、誰がみてもカンディンスキーである。


ビル・マッケンリー+アンドリュー・シリル@Village Vanguard

2014-06-29 13:32:24 | アヴァンギャルド・ジャズ

今週は、ビル・マッケンリーアンドリュー・シリルが組んでVillage Vanguardに出演。ジャズファンなら知らぬ者はないVillage Vanguardである。近づくと、意外に迫力なくぽつんとした佇まいだった(笑)。(2014/6/28)

Bill McHenry (ts)
Andrew Cyrille (ds)
Ben Monder (g)
Reid Anderson (b)

何といっても、「あの」、アンドリュー・シリルである。セシル・テイラーの日本公演を収めた『Akisakila』において、最初に「Drums! Andrew Cyrille!」と呼ばれるレジェンドである。

今回の編成は、マッケンリーの『Ghost of the Sun』http://blog.goo.ne.jp/sightsong/e/04a326a2c923abd286e60fc6d6c2b215)のドラマーが、ポール・モチアン(故人)からシリルに変わった形。

さて、そのシリルが数メートル先にゆっくり座る。音は意外に小さい。聴いているうちに、あまりの悦びで手足が勝手にぴくぴく動き、顔が勝手に笑ってしまう。迫力で攻めるとか音が小気味良いとかいったものではない。文字通りの「キレキレ」なのだ。武道の達人が、余裕を十二分に残して、すさまじい速さで「キレキレ」の演武を繰り広げるような感覚。ふとソロの間で休んでいるマッケンリーを見ると、かれも似たような笑みを浮かべて目をかっと開き、シリルを見つめていた。このように血が逆流する体験があると、ジャズファンでよかったと思ってしまう。

マッケンリーのテナーはオーソドックスなアプローチ。「Bye Bye, Blackbird」のソロはまったく冴えなかったが、オリジナル曲は良かった。仮に全部が良かったとしても、シリルにすべて持っていかれたかもしれぬ。

『Ghost of the Sun』では、モチアンの伸び縮みするドラムスが、ギター、サックスと化学変化を起こしていた。それに対し、ここでは別の音楽になっていた。このメンバーでの吹込みも聴きたいところだ。

演奏の終了時のMCでは、マッケンリーもシリルのことを「レジェンド」と表現していた。MCなのに、いきなり、「シリルの最初の吹込みは、コールマン・ホーキンスと、なんだぞ。それからセシル・テイラーとの共演・・・自分は『Conquistador』が一番好きだな。ジミー・ライオンズとのデュオも素晴らしい」などと、ファンそのものの解説。やっぱりね。

終わった後に、シリル氏と少し話をした。「日本か・・・もうしばらく行っていないな。呼んでくれれば行くよ」と。仮に来日でもしたら、演奏にみんな狂喜することだろう。そしてマッケンリー氏に『Ghost of the Sun』とのドラマーの違いを訊いてみたところ、ふたりと共演できて幸運だとだけ言った。

ふたりにサインをいただいた

●参照
ビル・マッケンリー『Ghost of the Sun』
http://blog.goo.ne.jp/sightsong/e/04a326a2c923abd286e60fc6d6c2b215
アンドリュー・シリル『Duology』
http://blog.goo.ne.jp/sightsong/e/85e1ac69a692dfbd25c0c52b4c1f3f21
セシル・テイラー『Dark to Themselves』、『Aの第2幕』
ジョー・ヘンダーソン『Lush Life』、「A列車で行こう」、クラウド・ナイン
デイヴィッド・マレイ『Saxophone Man』
ウィリアム・パーカーのベースの多様な色
ブッチ・モリス『Dust to Dust』
ザ・ジャズ・コンポーザーズ・オーケストラ
ペーター・コヴァルトのソロ、デュオ


MOMAのジグマー・ポルケ回顧展、ジャスパー・ジョーンズの新作、常設展

2014-06-29 08:13:32 | 北米

MOMA(ニューヨーク近代美術館)に足を運んだ。目当ては、ジグマー・ポルケの回顧展である。

ポルケはドイツ占領下ポーランド生まれ。戦後、東ドイツから西ドイツへと移住している。

かれの作品群をまとめて観ると、冷笑や皮肉と表現しては軽々しすぎるほどの狂気の毒流が実感できる。かれが師事したヨーゼフ・ボイスや、A・R・ペンクといったドイツのアーティストがそうであるように。このことを、二次的に、戦後流入してきた消費文化=アメリカへのアンチテーゼと説明することはできるだろう。その(攻撃の?)対象は、モノや広告だけでなく、抽象表現主義にも及んでいた。

モノやカネという駆動力がないなかで一見弱弱しく立ちながら、何ものかに回収されることのない活動というべきか。ちょうど前日に、アメリカ消費文化の中にどっぷりとつかる覚悟をジェフ・クーンズの作品群に見ることができたために、それとあまりにも対照的な姿として、大変印象的だった。

会場では、亡くなる直前に手がけられた、チューリヒの教会のステンドグラスが映像として流されている。ポルケの作品には定型的なスタイルがなかったことの証明のひとつかもしれない。もちろん、素晴らしい出来である。

別の階では、ジャスパー・ジョーンズによる「Regrets」と題された新作群が展示されている。

フランシス・ベーコンが絵のモチーフに使った写真が出発点である。その写真には強く後悔する男が写されており、変に折り曲げられている。ジョーンズはそのかたちにインスパイアされ、左右対称に展開して奇妙なフォルムを作り出した。それをアイコンとして、何枚も何枚も、Regretsが生み出されている。「的」や「アメリカ国旗」にこだわったジョーンズならではだと思える。しかし、何を考えているのか。

MOMAの最大の見どころは、やはり常設展であろう。かつて日本でも(90年代初頭以来?)、MOMAの所蔵作品が紹介されたことがあったが、わたしも現物を目にするのはそれ以来だ。

ゴッホの「星月夜」、ピカソの「アヴィニヨンの娘たち」、シャガールの「私と村」、セザンヌの「水浴する人物」、ダリの「記憶の固執」、モンドリアンの「ブロードウェイ・ブギ・ウギ」、デュシャンの「自転車の車輪」、ポロックのアクション・ペインティング諸作といった名作中の名作が、普通に沢山展示されていて、しかも撮影自由というのだから凄い。先日の「バルテュス展」で観ることができなかった道の絵もあった。


ジェレミー・ペルト@SMOKE

2014-06-28 22:16:01 | アヴァンギャルド・ジャズ

Jazz at Lincoln Centerからブロードウェイをてくてく北上、45分くらい歩いて、Smokeに到着した(予約した22時半のステージまで時間があったのだ)。ちょうどセカンドステージが終わるところで、バーカウンターに座った。


レコードまで出している

Jeremy Pelt (tp)
Simona Premazzi (p)
Ben Allison (b)
Billy Drummond (ds)
Vicor Lewis (ds)

それにしても、ジェレミー・ペルトの体格は凄い。堂々たる体躯から、文字通りギラギラのトランペットを鳴らし切った音が次々に出てくる。これがひとつのジャズ・トランペットの理想だろうなと思ってしまった。

しかも、ヴィクター・ルイスビリー・ドラモンドという豪華ツインドラムス。ふたりの発する複雑なパルスの中を、ジェレミーはまったく音負けせずに吹きまくる。このくらいのパワープレイであれば、確かに、相手を増やしたほうがよいのかもしれない。

ステージの最後のころに、さっきの演奏を終えたばかりのエディ・ヘンダーソンが遊びに来ていた(!)。ジェレミーはエディと並んで吹きたかったようだが、エディが固辞していた。対照的なプレイをもし聴けたら面白かったのに。

ジェレミーはこの9月に新作を吹き込み、来年に出すそうである。


ジェレミー・ペルト 


ビリー・ドラモンド 


ヴィクター・ルイス


手持ちのCDに、エディ・ヘンダーソンのサインをいただいた。ローラン・ド・ウィルドに15年以上前に書いてもらった下に。

●参照
ジェレミー・ペルト『Men of Honor』http://blog.goo.ne.jp/sightsong/e/be38412a819acaa433dcc77536f3de4e 


エイゾー・ローレンス@Jazz at Lincoln Center

2014-06-28 21:41:24 | アヴァンギャルド・ジャズ

NYセントラル・パークの角にあるJazz at Lincoln Centerに足を運んで、エイゾー・ローレンスのグループを観た(2014/6/27)。

センターにはいくつか会場があって、この「Dizzy's Club Coca-Cola」はビルの5階にあった。大きな窓からのマンハッタンの眺望は凄いのだが、何しろ逆光がひどい。夜7時半の演奏がはじまってまもなく、夕陽がもろに入ってきて目が痛かった。沈んでしまうと快適になった。

Azar Lawrence (ts)
Eddie Henderson (tp)
Jeff "Tain" Watts (ds)
Benito Gonzalez (p)
Essist Okon Essist (b)

見た目の迫力とは裏腹に人の好さそうな感じで登場してきたエイゾー・ローレンスは、勢いのあるソロを気持ちよさそうに吹き抜き、ソロがうまくいくとこっそりガッツポーズを示してステージ脇に退いたりした。

エイゾー・ローレンスは、マイルス・デイヴィスの『ダーク・メイガス』でのパフォーマンスがひどいとして評判が著しく悪い。しかし、マイルスのバンドにおけるサックス奏者はかれのみならずアウェーの洗礼を受けている。人にはそれぞれ居場所がある。サム・リヴァースしかり、ジョージ・コールマンしかり、ゲイリー・バーツしかりである。

もっとも、かれのソロは熱くて良いのだが、音域がさほど広くなく、わたしのスイートスポットを突くわけではない。むしろ、今回楽しみにしていたのは、エディ・ヘンダーソンジェフ・テイン・ワッツである。

エディのトランペットは抑制されていて理知的に響く。それでいて、強調するところでは管がびりびりびりと共鳴し、本当に素晴らしい。

テインは、かつて、ケニー・ギャレットやブランフォード・マルサリスと来日したときに観たことがあるが、好不調の波が激しいのかと思っていた。ここでは、失礼ながら、ドラムスが楽しくてたまらないヤンチャ坊主が気持ちそのままに暴れている感覚で、観る方もハッピー。

今回の曲は、新譜『The Seeker』から選ばれ、本人もやたらと宣伝していた。どうやら、トランペットはニコラス・ペイトンのようで、これも聴くのが楽しみである。


演奏前にウズウズ


エディ・ヘンダーソン


エイゾー・ローレンス


エディ・ヘンダーソン


ジェフ・テイン・ワッツ


エディ・ヘンダーソン


ホイットニー美術館のジェフ・クーンズ回顧展

2014-06-28 06:54:53 | 北米

ニューヨーク。時差があってつらいが、早速、ホイットニー美術館で開かれたばかりのジェフ・クーンズ回顧展を観た。

キッチュというのか、大量消費と流通のシステムに支えられて普及した趣味そのものが、俗文化が、綺麗なまま拡大されている。そういうことであれば、パッケージ未開封品であればあるほど価値があるというものだ。クーンズの絵や彫刻はピカピカである。観る人たちも、ピカピカに魅入られているようだ。

大量消費文化はすなわちアメリカであった。そのアメリカのアイデンティたる自由の鐘を、クーンズは、あろうことか、これまでたどってきた歴史や素材の検証により、精巧なレプリカとして作っている。かれはこれを「altered ready-made」と称している。アメリカと心中するつもりか。

常設展のウィリアム・エグルストンやエドワード・ホッパーも素晴らしかった。


アリ・ジャクソン『Big Brown Getdown』

2014-06-25 23:34:06 | アヴァンギャルド・ジャズ

アリ・ジャクソン『Big Brown Getdown』(Bigwenzee Music、2003年)を聴く。

Ali Jackson Jr. (ds, tambourine)
Robert L. Hurst III (b)
Aaron Goldberg (p)
Wynton Marsalis (tp)

ウィントン・マルサリスが入ったジャズクラブでの小編成のセッションというだけで、聴きたくなる。目玉は、何といっても、「Giant Steps」である。

1995年に、エルヴィン・ジョーンズがウィントンを連れて新宿ピットインで演奏したとき、まさに、この曲を吹いた。分厚い胸板から煌びやかに出てきた音にとても感激した記憶が、まだ生々しく残っている。そんなわけで、ドキドキしながら再生したのだが、どうも音のバランスが悪い。リズム3人の音が妙に前面に出ていて、ウィントンのトランペットの音は向こう側にある。かなり不満だが、大音量にしてようやくその気になれた。これをナマで目の当たりにしたら、やはり激しく興奮するんだろうね。

永遠に賛否両論のウィントンではあるが、このようなライヴ録音なら大歓迎。

新宿ピットインでウィントンのサインをもらった

●参照
ウィントン・マルサリス『スピリチュアル組曲』は、完璧だけどまったく興奮しない。
ジョー・ヘンダーソン『Lush Life』、「A列車で行こう」、クラウド・ナイン


エドガー・アラン・ポー短編集

2014-06-25 23:10:27 | 北米

ふと気が向いて、エドガー・アラン・ポーの短編集を読む。

2009年に、新潮社から巽孝之による新訳として出されたものであり、『ゴシック編/黒猫・アッシャー家の崩壊』と、『ミステリ編/モルグ街の殺人・黄金虫』の2冊。

濃縮されたような怪奇趣味と、もってまわったような語り口が、実に味わい深い。「黒猫」も、「赤き死の仮面」も、「落とし穴と振り子」も、「モルグ街の殺人」も、「ホップフロッグ」も、凄惨で、狂気を孕んでいて、それでいてシンプルだ。いいオトナも、あらためて読んでみると再発見請けあい。

19世紀前半に書かれたこれらの作品群が、いまのホラーやミステリの嚆矢となったのである。

それにしても、ポーの小説を手に取るなんて、中学生の頃にいくつか読んで以来ではなかろうか。ひょっとしたら、当時はジュヴナイル版を読んでいたのかもしれない。勿体ないことをした。


メアリー・ハルヴァーソン『Thumbscrew』

2014-06-24 23:07:26 | アヴァンギャルド・ジャズ

メアリー・ハルヴァーソン『Thumbscrew』(Cuneiform Records、2013年)を聴く。

Mary Halvorson (g)
Michael Formanek (b)
Tomas Fujiwara (ds)

初めて聴くハルヴァーソンのギター・トリオ。期待半分、物足りるだろうかという不安も半分だったが、それは杞憂だった。

彼女のギター音は立っていて、ネジくれていて、くねりつつベースとギターの音の間に入って行ったり、また別の場所から出てきたり。最初はポカンとして地味かと思ってしまうのだが、繰り返して聴くうちに「ジワジワくる」。変態で、かつ淡々としていて、とてもいい。どう表現するか難しいのだが、三者の音のダンスが、幻視的であるようにも感じられる。

●参照
ウィーゼル・ウォルター+メアリー・ハルヴァーソン+ピーター・エヴァンス『Electric Fruit』
ウィーゼル・ウォルター+メアリー・ハルヴァーソン+ピーター・エヴァンス『Mechanical Malfunction』
イングリッド・ラブロック(Anti-House)『Strong Place』


フランク・レイシー『Live at Smalls』

2014-06-23 22:59:53 | アヴァンギャルド・ジャズ

フランク・レイシー『Live at Smalls』(Smalls Live、2012年)を聴く。

Frank Lacy (tb)
Josh Evans (tp)
Stacy Dillard (ts)
Theo Hill (p)
Rashaan Carter (b)
Kush Abadey (ds) 

一聴、70年代のウディ・ショウの音楽のようなデジャヴ感を覚える。その点で、「いまのハード・バップ」というキャッチフレーズにはすこし違和感がある。ハード・バップはハードバップの時代のものだからだ。そうではなく、ショウのように、肩肘張って、同時代にヘンな色目を使わず、「ジャズ」の文脈の中での「ジャズ」を邁進しているような威勢の良さがある。

曲もそうである。オリジナルの他に、ジョー・ボナー、フレディ・ハバード、ジョージ・ケイブルスといった面々の曲を選んでいて、「心意気」などという言葉を使ってみたくなる。トランペットもサックスも、熱い、熱い、暑苦しい。

●参照
アート・アンサンブル・オブ・シカゴの映像『LUGANO 1993』(フランク・レイシー参加) 


ナット・ヘントフ『ジャズ・カントリー』

2014-06-22 23:42:16 | アヴァンギャルド・ジャズ

ナット・ヘントフ『ジャズ・カントリー』(講談社文庫、原著1965年)を読む。ジャズファンでありながら、恥ずかしながら、はじめて。古本屋で100円で買った。

ニューヨークに住む、高校生の白人の若者。ジャズに憧れ、トランペットを吹き、異世界の黒人コミュニティーに入っていく。差別を体験し、ジャズの「サムシン・エルス」を希求する。そんなビルドゥングス・ロマンである。

主人公はプチ・ブルのマジョリティー側。トランペットを吹き、テクは凄いものを持っているが、「サムシン・エルス」が足りない。音楽もコミュニティも自分とは異質のマイノリティ側に、自己同一化を図る。実は、自分自身のなかにもパターナリズム的な差別があることを痛感する。どうしようもない評論家が登場。

何だ、つまり、五木寛之『青年は荒野をめざす』は、この本のパクリだった。

●参照
リロイ・ジョーンズ(アミリ・バラカ)『ブルース・ピープル』(「あとがき」でヘントフが言及)


スピノザ『エチカ』

2014-06-22 22:48:23 | 思想・文学

スピノザ『エチカ』(中公クラシックス、原著1675年頃)を読む。(なお、本版の邦題は『エティカ』とされているが、『エチカ』の方が通りがよい。)

300年以上前、スピノザの死後に公開された倫理の書である。

今頃こんなものを読んで面白いのかねと訊かれれば、まあ、確かにさほど面白くはない。定理によって体系的にまとめられたものではあるが、今の目で見れば決して体系的とは言えず、同じことを繰り返すのみ(定理はもっとシンプルで必要十分なものであるべきだ)。しかも、説明のための幾何学がいかにも中途半端。

かれの主な言い分はいくつかある。

完全性(実体)は神にのみあるのであって、しかもそれは唯一のものである。様態のごときものは実体の個々のあらわれに過ぎぬ。人間精神もまた同様なのであって、それぞれ不完全であらざるを得ない。善だの悪だのといった判断は、不完全なこちら側での不完全な決めつけである。だからこそ、不完全性を知ること、不完全な個々の人間同士を知ることが、精神向上への唯一の道である。如何に完全を希求しても不完全でしかあり得ない、しかし、それをしないこと(無知)は、ドレイへの道である。・・・といったところか。

所詮、個々の人間のセルフコントロールなんて何百年経っても進歩しないものであるから、確かに、読んでいると叱られているような気がしてくる。その意味では、アフォリズム集としても「使える」。新しい自己啓発本として『スピノザの言葉』とかどうかね。もう出ていたりして(確かめる気にもならないが)。


ハナ・ジョン・テイラー『HyrPlasis』

2014-06-22 10:24:51 | アヴァンギャルド・ジャズ

マラカイ・フェイヴァース『Live at Last』でのハナ・ジョン・テイラーのくっさいサックスソロが気に入って、他の吹き込みを探していたのだが、ようやく、『HyrPlasis』(Tiger Fish、2009年)を入手した。

Hanah Jon Taylor (ts, ss, fl, Yaruaha wind controller)
Vincent Davis (perc)
Kirk Brown (p)
Yosef Ben Israel (b) 

ハナ・ジョン・テイラーはシカゴの人。やっぱりねという感じである。

もっとも、ヴォン・フリーマンほどは発酵食品的ではなく、フレッド・アンダーソンのような凄みもない。アリ・ブラウンのような突き抜けた感覚もない。もちろん、それでいいのだ。(と、上から目線で言ってみる。)

ここでも、ぶりぶり吹いたりして、彩りを付ける工夫をしたりして、聴いていて気持ちが良い。日本に来てくれないかな、シカゴに行かないと無理かな。

●参照
マラカイ・フェイヴァース『Live at Last』