Sightsong

自縄自縛日記

インドにも沖縄にもランタナ、七変化

2010-10-30 21:24:07 | 環境・自然

昔、沖縄で可愛い花だなと思ったランタナ。小さい花が寄せ集まって小さい花を形作っている。日本名は七変化といい、その名前の通り、咲いている間に花の色が変わっていく。


ランタナ(2006年、沖縄県東村) Pentax Espio-Mini、コニカシンビ200


ランタナ(2010年、沖縄県東村) Pentax MZ-S、FA★77mmF1.8、フジ・ベルビア100

今週訪れたインドの田舎でも見つけた。調べてみると、熱帯・亜熱帯に広く自生しているようだ。最近千葉県の自宅近くでも、庭で育てている家があった。


ランタナ(2010年、インド・ヴィジャナガル) コンデジ

なお、色がずっと黄色のキイロランタナという種もある。まるでプラスチックのような質感、これはこれで可愛い。


キイロランタナ(2010年、沖縄県東村) Pentax MZ-S、FA★77mmF1.8、フジ・ベルビア100


デイヴィッド・ダグラス・ダンカン『ひまわり』

2010-10-30 17:09:27 | 写真

今週、デカン高原の真ん中あたりを車で移動していて、時に、ひまわり畑に眼を奪われた。ひまわりは何故か昔から大好きな花だ。インドはひまわり油の大生産地でもあり、実際に道沿いには「Sunflower Oil」の工場もあった。

デリーから今朝帰ってきて、いろいろやらなければならないことがあっても、環境が激変するときの常で、虚脱して情緒不安定、何もする気がしない。とりあえず、ひまわり畑を視ながら思い出した写真集、デイヴィッド・ダグラス・ダンカン『ひまわり―ヴァン・ゴッホに捧げる―』(造形社、1986年)を棚から出して紐解く。

ゴッホはフランスを放浪し、狂気に至り、わずか37歳で逝った。その間に12点のひまわりの絵を描いている。そして、この写真集を出したダンカンは、当時既に高齢の70歳で、フランスを旅しながらゴッホの眼でひまわりを捉えている。陽に向かうひまわりと、陽を背にしたひまわりと、枯れゆくひまわりに圧倒され、センチメンタルに「恋」をしながら。もうゴッホが死んだ年齢を過ぎてしまった自分だが、その年齢とは何だろう。

それにしても、この過剰。ますます情緒不安定になってしまう。

この写真集は、当時プロが使うものとしては珍しくカラーネガ(コダック)を使っていることでも知られている。ダンカン自身のノートによれば、ニコンFEにズームニッコール35-105mmF3.5、時にマイクロニッコール200mmF4を装着、すべて手持ち撮影ながらf22まで絞り込み、シャッタースピード1/125または1/250。ぎりぎりの撮影条件であることがわかる。

「私はただ一人、畑の中でひまわりに囲まれていた。彼女たちはわたしにうなづくようにして会釈し私を見つめた。恥かしそうな目、無邪気そうな目、厚かましそうな目、思わせぶりな目、おキャンそうな目、いや私をあやすような目さえある(わたしの方が年上なのにと思うとおかしかった)。そして彼女たちは私の手に触れた。次の瞬間、どこからともなく耳ざわりな唸り声とともに、わたしたちを地べたに叩きつけるような勢いでミストラルが襲った。強烈な猛攻から身を守ろうとわたしたちは腕をかがめ身をよせあっていた。わたしはカメラをしっかり安定させようとした。しかし最悪のことが起った。風はひまわりの頭を引きちぎり、彼女たちの顔から花弁をひとつかみほど引きむしった。わたしの愛する娘たち、友だちであり仲間であったひまわりがずたずたに打ちのめされている姿を、風のために少し涙ぐんだ眼で見ながら、わたしはやり場のない激しい怒りを覚えた。
 ヴィンセント・ヴァン・ゴッホならきっと、何もかもわかってくれたであろう。」


マリオン・ブラウンが亡くなった

2010-10-23 00:41:29 | アヴァンギャルド・ジャズ

マリオン・ブラウンが亡くなった。数日前にツイッターで知ったが、亡くなったのは10月10日のこと。ハリウッドで隠遁生活を送っていることは知っていたが・・・。

棚から聴きたいCDを何枚か取り出して聴く。彼のアルトサックスは抒情的と称されるが、ものは言いようで、アタックは強くないし時折音がよれる。しかしどれを聴いてもマリオン・ブラウンの音であり偏愛の対象となる。ちょっと悲しい。

『Passion Flower』(BMG、1978年)は、エリントニアンのアルト吹きジョニー・ホッジスに捧げられたアルバムである。スタンリー・カウエル(ピアノ)、レジー・ワークマン(ベース)、ロイ・ヘインズ(ドラムス)という編成であり、サイドでは中庸的な感覚のワークマンのベースも、乾いたヘインズのタイコも悪くない。「Prelude to a Kiss」や「Solitude」といったエリントン/ストレイホーン曲を朗々と吹いていて、ホッジスのふにゃふにゃに柔らかそうな唇を持たないブラウンの音はどうしても違う。それでも、本人が気持ちよさそうなために、こちらも気持ちが良い。

『Live in Japan』(DIW、1979年)は弘前でのライヴ。名曲「November Cotton Flower」を静かに吹いて聴客を黙らせたあと、ノリのいい「La Placita」、ここでアルトの音が意余ってよれる、それがまた嬉しい。水橋孝(ベース)のサポートは調和的すぎて違和感がある一方、デイヴ・バレル(ピアノ)のソロが素晴らしい。ウォーレン・スミス(ドラムス)を加えたカルテットである。

『Porto Novo』(Black Lion、1967・1970年)には2つのセッションが収録されている。1967年のものは、ハン・ベニンク(ドラムス)が入ったピアノレス・トリオであり、後年のブラウンよりも尖っていて抒情に逃げていない。乾いた音空間で、ハン・ベニンクの破天荒前史の活きた破裂音が響いている。そして1970年のものはレオ・スミス(トランペット)とのデュオであり、ふたりともパーカッションを多用する。のちのプリミティヴ性を過剰に押しだしたインパルス諸作への道が見えているようだ。

来月になったら、また『November Cotton Flower』を取り出して聴こう。

●参照
November Cotton Flower
ワダダ・レオ・スミス『Spiritual Dimensions』
ワダダ・レオ・スミスのゴールデン・カルテットの映像
ハン・ベニンク『Hazentijd』
ビリー・ハーパーの新作『Blueprints of Jazz』、チャールズ・トリヴァーのビッグバンド(カウエル登場)


スリランカの映像(7) 『インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』、『シーギリヤのカッサパ』

2010-10-19 23:50:41 | 南アジア

テレビで久しぶりに、スティーヴン・スピルバーグ『インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』(1984年)を観た。

1930年代の上海。ヌルハチの宝(これを「満州の!」と言っている時点で終わっている)の受け渡しで諍いとなり、インディは飛行機で中国大陸内陸へと向かう。これが罠で、インドの高地に不時着してしまう。村の秘石が邪教集団に盗まれたというので、インディは運命的に取り戻すことを引き受ける。

実はこの高地はインドではなくスリランカの山間部で撮られている。インド出身のタミル人が多く茶のエステート(プランテーション)で働いている地域であり、そこには歴史的・構造的な差別が横たわっている。スピルバーグは勿論そんな側面を視るわけもなく、あくまでインド代替地である。所詮はスピルバーグ、彼の作品で評価すべきは『激突!』(1971年)のみだ。

NHKの『世界遺産への招待状』という番組で、「神秘の空中宮殿~古代都市シーギリヤ~」と題して、スリランカのシーギリヤ・ロックを採りあげていた(>> リンク)。現在は足だけが残っている大獅子の復元像、頂上の宮殿の復元像などははじめてみる姿であり面白い。しかし、伊東照司『スリランカ仏教美術入門』(雄山閣、1993年)に描かれている獅子の想像図よりも背が低い。どちらが正しいのだろう。


現在の獅子


当時の獅子

獅子のかつての姿 伊東照司『スリランカ仏教美術入門』(雄山閣、1993年)より


当時の王宮

ここは古代シンハラ王朝、5世紀後半に父を殺して王位に就いたカッサパ王が住んだ場所である。スリランカでは、『シーギリヤのカッサパ』(1966年)という映画が作られたようで、その一部が番組で紹介されていた。これは観たい。


『シーギリヤのカッサパ』

●参照
スリランカの映像(1) スリランカの自爆テロ
スリランカの映像(2) リゾートの島へ
スリランカの映像(3) テレビ番組いくつか
スリランカの映像(4) 木下恵介『スリランカの愛と別れ』
スリランカの映像(5) プラサンナ・ヴィターナゲー『満月の日の死』
スリランカの映像(6) コンラッド・ルークス『チャパクァ』 


元ちとせ『Orient』

2010-10-18 23:54:15 | ポップス

この8月に出された元ちとせの2枚のアルバム『Orient』『Occident』は、それぞれ日本語と英語によるカヴァー盤で、特に『Orient』の方をよく聴いている。

あがた森魚「百合コレクション」山崎まさよし「名前のない鳥」は残念なことに再録で、いまの元ちとせによる唄ではない。また、広島の原爆で亡くなった子どもを唄った「死んだ女の子」は初回限定ボーナストラックではあるが、既に『ハナダイロ』のボーナストラックとして収録されたものと同じ。それならそうと宣伝してくれないと落胆する。しかし、それでも良い唄だから許すことにする。

永六輔+中村八大「遠くへ行きたい」や、イルカが唄った「なごり雪」も悪くないが、「コリアンドル」が何といっても出色。「ワダツミの木」といい、「カッシーニ」といい、上田現による奇妙な歌詞とメロディは元ちとせの個性に向いているような気がする。

エジプトに行くのさ 砂漠が見たくなってね。
でも着いちゃったのはマレーシア あこがれの南の・・・。

ちょうど今日、『TBSニュースバード』に元ちとせが出るというので、録画しておいて観た。主に「死んだ女の子」をテーマとした受け答えとライヴ映像(2005年、原爆ドーム前での初録時と、今年8月のオーガスタキャンプと)が紹介されていた。8年くらい前、デビュー前に「死んだ女の子」を唄ったものの、まだ早いと判断して中止したという。それだけに、思い入れの強い唄を懸命に唄う姿には涙腺がゆるんでしまう。よく泣かないで唄えるね。

若松孝二『キャタピラー』も早く観ないとなあ。

●参照
元ちとせ×あがた森魚
『ウミガメが教えてくれること』
元ちとせ『カッシーニ』
元ちとせ『Music Lovers』
元ちとせ『蛍星』
『ミヨリの森』、絶滅危惧種、それから絶滅しない類の人間
小田ひで次『ミヨリの森』3部作


アンソニー・ブラクストンはピアノを弾いていた

2010-10-17 17:23:28 | アヴァンギャルド・ジャズ

アンソニー・ブラクストンはサックスを中心としたマルチ・インストルメンタリストであり、見たことのないような奇妙な楽器を次々に使う。それだけでなく、一時期はピアノを弾いていた。曲によりピアノを弾くのではなく、ピアニストとしてのリーダー作を出していたわけである。

何しろ楽器の数以上に吹き込みの数が半端でなく多く、この人にとっては、演奏を煮詰めていって作品を出すのではなく、演奏プロセスが作品なのだろうと思わざるを得ない。ピアノ作品はいま改めて確認してみると、1994~1996年にのみ発表している。ということは、きっとピアニストとしての活動もその時期だけだったのではないかと思うがどうか。『アンソニー・ブラクストン・ディスコグラフィー』(イスクラ、創史社、1997年)はこの直前までの活動をカバーしており、たぶん、洪水のような作品群をフォローする財力も気力も追いつかないに違いない(これを作った編集者の方が、ブラクストンを日本に呼ぶ運動をしていると言っていたが、どうなっただろう?)。

自分も可能な限り多くのブラクストンを聴くというつもりは毛頭なく、ピアノ作品は2点のみ持っている。

『Seven Standards 1995』(Knitting Factory、1995年)は、マリオ・パヴォーン(ベース)との双頭グループ。若くして亡くなったトマス・チェイピン(アルトサックス、フルート、ピッコロ)、デイヴ・ダグラス(トランペット)、フェローン・アクラフ(ドラムス)という尖ったメンバーである。しかし聴くと、ブラクストンが一番尖っていることがわかる(笑)。

冒頭のチャーリー・パーカー曲「Dewey Square」ではアンサンブルからめきょめきょと不協和音を飛ばしまくり、そのまま自分だけ飛び出る。他のメンバーも、これで驚くような面々ではないはずだが(「These Foolish Things」でのふざけたユニゾンは余裕シャクシャク)、何しろブラクストンがひどすぎる、ではなく、目立ちすぎている。ブラクストン作品の常として発散を極めたあと、最後のジョン・コルトレーン曲「Straight Street」でも最初のノリに戻る。何度聴いてもわけがわからない。良いピアノかどうかさえ判断を保留したい。低音を執拗に続けるのはキース・ティペット似?・・・いやいや、誰にも似ていない。

極めつけは、『Solo Piano (Standards) 1995』(No More Records、1995年)、ソロピアノ2枚組である。スタンダード集と銘打ってはいるが、一般的なスタンダードは「April In Paris」くらい、あとは、ミンガスやモンクはジャズ・スタンダードだと言ってもいいとして、ウェイン・ショーターだのジョージ・コールマン(!)だの。ジョン・コルトレーンの「Countdown」は、例によってめきょめきょと発散したあと、曲の最後にぽろりぽろりとメロディを弾く。そんなことはブラクストンだから許すが、クライマックスも何もない演奏をソロで続けられると、泥のような睡魔に襲われるのは困ってしまう。この作品の良し悪しも判断停止。愉快なのは確かである。

ネットでディスコグラフィー(>> リンク)を見ると、マーティ・アーリック(サックス)をフロントに据えたワンホーン・カルテットもあったようで、これはこれで聴いてみたいところだ。

●参照
ブラクストン、グレイヴス、パーカー『Beyond Quantum』
ブロッツマン+ブラクストン『Eight by Three』
ブラクストン『捧げものとしての4つの作品』
ムハール・リチャード・エイブラムス『1-OQA+19』(ブラクストン+スレッギル!)
中平穂積『JAZZ GIANTS 1961-2002』
フェローン・アクラフ、Pentax 43mmF1.9


ジョー・ヘンダーソン『Lush Life』、「A列車で行こう」、クラウド・ナイン

2010-10-16 23:52:47 | アヴァンギャルド・ジャズ

ジョー・ヘンダーソンが「テナー・タイタン」などと再評価されたのはさほど古い話ではないと記憶しているが、ジョーヘンのテナーサックスの音は若い頃から最晩年まで変わっていないのであって、周りが変わったのは、ある時期からまとまった良いアルバムを出しはじめたことにもよるのだろう。『Lush Life / The Music of Billy Strayhorn』(Verve、1991年)もそんな盤のひとつで、昔ずいぶん気に入っていたこともあって、また中古盤で入手してしまった。

もう少し破天荒に突き破るところがあってほしいとも思うが、それなら70年代のMilestone時代のジョーヘンを聴けばよいのだ。ここでは、ステファン・スコット(ピアノ)、クリスチャン・マクブライド(ベース)、グレゴリー・ハッチンソン(ドラムス)、それから目玉としてウィントン・マルサリス(トランペット)と、当時の一級の若手を従えて、曲によって編成を変えながら、ビリー・ストレイホーンの音楽を愉しそうに演奏している。

この盤はグラミー賞を受賞していて、『Switch』(1993年9月)において、秋吉満ちるがジョーヘンに行ったインタビューでもそのことに触れている。

「―――この春、あなたがグラミー賞を受賞したことは記憶に新しいですね。
JH あれは私の人生の中で最も信じられない出来事のひとつだったよ。身体が浮き立つようなことだった。いまは少しほとぼりが覚めてきたが、受賞してから24時間は天にも昇る(クラウド・ナイン)心地だった。
―――ここに来る前に母(※秋吉敏子)に会ったのですが、『ラッシュ・ライフ』を褒めちぎっていました。他人のアルバムを褒めるなんて母にはとても珍しいことなんですが。
JH それは嬉しいね。あのアルバムを作ってからゆうに1年はたっていて、何度か聴き返したけれど、確かにとてもいいレコードだな(笑)。」

「Cloud Nine」という言葉は英語で「意気揚々」を意味するそうで、使ったことはない。いつか伝わるかどうか試しに使ってみたい(笑)。

ソニー・ロリンズが若い頃に『Worktime』(Prestige、1955年)に吹き込んだ印象が強い「Rain Check」では、ピアノレスのサックス・トリオ。「Lotus Blossom」では、ピアノのイントロからしっとりとしたデュオ。「A Flower Is A Lovesome Thing」では全員で演奏、このような綺麗にまとまった枠組内でウィントンが見せる実力は凄い。最後にうねうねとしたサックスソロで締める「Lush Life」も素晴らしい。どこを切ってもジョーヘンは枯れていて、このような組み合わせがちょうど良かったのだろうね。

中でも嬉しいのは、ドラムスとのデュオによる「Take The "A" Train」。ハッチンソンのドラムはハーレムに向かう列車を気取ったリズムを刻む。サックスとドラムスでのこの曲の演奏といえば、まず、ジミー・ライオンズ+アンドリュー・シリル『Something In Return』(Black Saint、1981年)を思い出す。改めて棚から出して聴いてみると、確かにフリーの雄ふたりによる色はあって、ライオンズの逸脱もシリルの叫びもあって、とても良い感じである。しかし、たまにチャーリー・パーカーのフレーズも聴こえたりして、意外にオーソドックスだなという発見もあった。

ジョーヘンにもこのくらいの破綻があっても・・・それなら70年代を。


シグマのM42ミラーレンズ400mmF5.6

2010-10-16 09:51:12 | 写真

子どもの運動会に使おうと思って、シグマが昔作ったミラーレンズ400mmF5.6を買った。M42マウントだが、どうせ絞りは固定であるから、マウントアダプターを使えば不自由はない。


Pentax MXに取り付けてみるとボディは脇役に回る。

ロシア・旧ソ連製のレンズが出回った何年も前、ルビナー500mmF5.6も1万円台で売っていた。F8が普通であるから、これは明るい。そのうちにと放置していたら、値上がりして買えなくなってしまった。もっとも、実際にはF6.5程度だという記事を読んだ記憶もあり、それならば新しいケンコー500mmF6.3も良いのではないかと頭の体操に精を出していたところだった。それでも3万円くらいはする。ところが、中古のシグマ玉は往時のルビナーよりも遥かに安く、運動会の前日に新宿まで出かけて確保した。

レニ・リーフェンシュタール『民族の祭典』(1938年)においてヒトラーのベルリン五輪を撮ったのも、何ミリかはわからないが、背後のボケが特有のドーナツ状のリングであり、明らかにミラーレンズだった。そんなわけで、長いこと使ってみたくはあったのだ。

練習がわりに、運動会開始前に、グラウンドに置かれた小さいコーンにとまったトンボを撮ってみる。何しろミラー初心者であるから、ピント合わせのコツをつかむまでに戸惑ってしまう。子どもの入場風景ではピンボケを多発してしまった。当たり前だが、フォーカシングスクリーンのマット面のコントラストに最大限の注意を払うことに尽きる。比較的明るいとはいってもF5.6、真ん中のマイクロプリズムなど視てはならない。マニュアル一眼レフの基本ですね。

出来上がりはまあ及第点。古いレンズだけあって色が渋く、鮮やかな筈のフジの輸出用カラーネガ「Pro 800Z」を使ったのに落ち着いた色合いになった。さすがにボケはやかましい。


運動会のトンボ Pentax K2DMD、Sigma 500mmF5.6、Fuji Pro 800Z、ラボプリント


マノエル・ド・オリヴェイラ『ブロンド少女は過激に美しく』

2010-10-15 00:30:53 | ヨーロッパ

マノエル・ド・オリヴェイラが100歳になって撮った映画、『ブロンド少女は過激に美しく』(2009年)を観た。64分の小品である。

リスボンから郊外へ向かう列車。男は、隣席に座った見ず知らずの女性(レオノール・シルヴェイラ!)に、身の上話を始める。伯父(ディオゴ・ドリア、歳をとった!)の店の2階で働いていた男は、道を挟んだ家の2階の窓から姿を見せた少女に一目惚れした。少女に接近する男に、伯父は結婚を許さず家から追い出す。狭い一室での困窮、絶望、出稼ぎ、騙されての借金。伯父は突然結婚を許す。そして指輪を買いに出かける男と少女。

聴き役シルヴェイラは男の隣席からどこを視ているのか。こちらに向けられた視線は、こちらを列車の中に誘いこんでいるのだろうか。レストランで隣り合って食事を取る男と伯父。少女の家の一階、遥か向こうに続く階段と足の姿を捉える鏡。リスボンの昼、リスボンの夜。ルイス・ミゲル・シンドラ(本人役!)が朗読する詩。あまりにも過激に謎めいている。すべてがあるがままに存在している。ここでは窓枠でさえ、意味を持って存在する。

絶望し、大股を開いて座り、折れそうなほど項垂れる少女。そして私は、あるがままの存在に投げ出されてしまう。動悸が止まらないまま、反芻しながら帰路についた。愉悦などという余裕さえ持てないほどの衝撃である。毎回オリヴェイラには驚かされるが、年々凄みを増していく感がある。間違いなく、今年観た映画のベストだ。ああ恐ろしい。ああ恐ろしい。

●参照
マノエル・ド・オリヴェイラ『コロンブス 永遠の海』
『夜顔』と『昼顔』、オリヴェイラとブニュエル


『けーし風』2010.9 元海兵隊員の言葉から考える

2010-10-14 00:15:13 | 沖縄

『けーし風』第68号(2010.9、新沖縄フォーラム刊行会議)の特集は「元海兵隊員の言葉から考える」。

かつて米海兵隊に所属した日本人、高梨公利氏と、ベトナム戦争従軍後に軍人としての自らの罪を自覚し、その思いを発信し続けていた故アレン・ネルソン氏の言葉により、米軍の存在意義に根本的な疑義を問うものとなっている。その内容については、編集者のSさんが既にレビューしており、付け加えることもないため紹介にとどめる。(>> リンク

その他に

○沖縄の泡瀬干潟屋嘉田潟原と、東京湾の干潟とについて、小文を寄稿した。
○その泡瀬干潟の埋立計画修正案に対して、前原国交大臣(当時)が経済合理性があるものとしてOKを出した。それが如何にデタラメで犯罪的であるか。
名護市議選は稲嶺市長(辺野古基地建設に反対して当選)を支持する候補が多く当選、過半数を占めた。これが不可逆的な結果であること。
○名護市では14年間で800億円以上が基地関連のためにどこかにばらまかれた。これは市予算の3年分以上。一方で借金が膨らんでいる。稲嶺市長はこのようなオカネを予算に計上していない。この内容が、『辺野古不合意』(じんぶん企画)というドキュメンタリー映像としてまとめられている。
やんばるの林道建設についての現状。もう少し踏み込んで知りたいところ。

●参照
アラン・ネルソン『元米海兵隊員の語る戦争と平和』
『けーし風』読者の集い(11) 国連勧告をめぐって
『けーし風』読者の集い(10) 名護市民の選択、県民大会
『けーし風』読者の集い(9) 新政権下で<抵抗>を考える
『けーし風』読者の集い(8) 辺野古・環境アセスはいま
『けーし風』2009.3 オバマ政権と沖縄
『けーし風』読者の集い(7) 戦争と軍隊を問う/環境破壊とたたかう人びと、読者の集い
『けーし風』2008.9 歴史を語る磁場
『けーし風』読者の集い(6) 沖縄の18歳、<当事者>のまなざし、依存型経済
『けーし風』2008.6 沖縄の18歳に伝えたいオキナワ
『けーし風』読者の集い(5) 米兵の存在、環境破壊
『けーし風』2008.3 米兵の存在、環境破壊
『けーし風』読者の集い(4) ここからすすめる民主主義
『けーし風』2007.12 ここからすすめる民主主義、佐喜真美術館
『けーし風』読者の集い(3) 沖縄戦特集
『けーし風』2007.9 沖縄戦教育特集
『けーし風』読者の集い(2) 沖縄がつながる
『けーし風』2007.6 特集・沖縄がつながる
『けーし風』読者の集い(1) 検証・SACO 10年の沖縄
『けーし風』2007.3 特集・検証・SACO 10年の沖縄


天児慧『中国・アジア・日本』

2010-10-13 00:17:06 | 中国・台湾

天児慧『中国・アジア・日本 ― 大国化する「巨龍」は脅威か』(ちくま新書、2006年)を読む。

長いスパンでのマクロ的な視点を保つスタンスには好感を持つ。そのため、4年以上前の本だが古びてはいない。その半面、白書のようでもあり、演説のようでもあり、実はさほど面白くはない。

中国のGDPが日本を逆転する時期は、既に本書の予想より早く到来した。GDPは所詮「ぐるぐる回ったときに生れた付加価値」、経済をドライヴするという意味はあっても、国力を表す指数などではない。そうは言っても、今回、大国としての示威が凄まじい効果を持つことが示されたわけであり、本書にまとめられているように、多極化とソフトバランシングを進めてきた中国の現体制がなぜこのような面を見せたのか、まともに考える必要がある。その点では、『週刊金曜日』最新号(2010年10月8日/818号)の「尖閣諸島 中国漁船衝突事件」特集は、狭隘で近視眼的な国際交渉論ばかりを集めていて、がっかりさせられるものだった。

しかし、本書が至極真っ当に指摘しているような点が外交姿勢に冗談のように顕れていることは事実であり、日本としての多極化とソフトバランシングが欠落しているとの批判は仕方がない。

「当面しばらくはこれでやりくりでき、ある意味で米国の傘のなかに入るという非常に楽な選択である。しかし実は、中国に対する不信感の増幅は、将来的には摩擦、不安定が予測されるかもしれないことを認識しておかなければならない。
 「何があっても日米同盟、日米同盟があれば何も問題ない」という融通性のない硬直的な発想を持っている人が、有力政治家に影響力を与えていることを耳にするが、それは嘆かわしい。どうしてそこまで米国を信じ切れるのか、中国不信の固まりになるのか。もっと柔軟な幅を持って状況を想定しておくべきであろう。」

●参照
天児慧『巨龍の胎動』
沙柚『憤青 中国の若者たちの本音』
『世界』の特集「巨大な隣人・中国とともに生きる」
『情況』の、「現代中国論」特集
加々美光行『裸の共和国』
加々美光行『現代中国の黎明』 天安門事件前後の胡耀邦、趙紫陽、鄧小平、劉暁波
加々美光行『中国の民族問題』
堀江則雄『ユーラシア胎動』
竹内実『中国という世界』
藤井省三『現代中国文化探検―四つの都市の物語―』


杭州の西湖と雷峰塔、浄慈寺

2010-10-11 18:42:19 | 中国・台湾

2010年9月、中国・杭州。中心に西湖があるだけで街の雰囲気が良い。湖の周辺は自分の芸を披露する場である。刀の演舞、大きな筆と水を使った路面での書道、唄。身体を180度、携帯電話のように折り曲げている老人もいる。人垣ができている場合もあるが、仮に誰が見ていなくても、孤独にパフォーマンスを行い続ける。それも、明らかに「そのへんのおじさん、おばさん、老人」が、である。この、個としての強さは見習ってよいところではないか。

空いた時間に、977年に建てられた雷峰塔と、かつて道元が訪れた浄慈寺に足を運んだ。道元は同じ浙江省の海よりの街・寧波近くの天童寺で修行し、また阿育王寺(アショーカ王寺)も訪れたのであるから、さほど遠くない界隈を行き来していたということだろうか。

日本初のカラー長編アニメ映画『白蛇伝』(1958年)が西湖を舞台にしている。東京都現代美術館での『日本漫画映画の全貌』(2004年)を機に観た映画だが、再見したくなった。

※写真はすべてPENTAX MX、M40mmF2.8、Tri-X、ケントメアRC、2号フィルタ使用。


しだれ柳と西湖


プラタナスと公安


雷峰塔


浄慈寺から雷峰塔を見る


浄慈寺の仏


浄慈寺の獅子



パフォーマンス


『白蛇伝』(『日本漫画映画の全貌』より)

●浙江省
寧波の湖畔の村
天童寺
阿育王寺(アショーカ王寺)
雪舟の画集と記録映画

●中国の仏教寺院
玄中寺再訪 Pentax M28mmF2.0(山西省)
浄土教のルーツ・玄中寺 Pentax M50mmF1.4(山西省)
山西省のツインタワーと崇善寺、柳の綿(山西省)
天寧寺(山西省)
チベット仏教寺院、雍和宮(北京)
道元が修行した天童寺(浙江省)
阿育王寺(アショーカ王寺)(浙江省)

●中国の古いまち
北京の散歩(1)
北京の散歩(2)
北京の散歩(3) 春雨胡同から外交部街へ
北京の散歩(4) 大菊胡同から石雀胡同へ
北京の散歩(5) 王府井
北京の散歩(6) 天安門広場
北京の冬、エスピオミニ
牛街の散歩
盧溝橋
上海の夜と朝
上海、77mm
2010年5月、上海の社交ダンス
平遥
寧波の湖畔の村


2010年9月、ムンバイ、デリー

2010-10-10 22:55:58 | 南アジア

2010年9月、ムンバイ。昔からここに住んでいる人たちは、いまだボンベイと言う。

朝食のあと、海まで歩いた。向こう側には多くの舟、手前には数十人の人々。みんなしゃがんでいる。数十個の尻が見える。用を足しているのだった。その痕跡を回避し干潟のような渚を先の方まで歩いた。

中国の格差社会は日本の比ではないが、ここムンバイは中国を凌駕しているように見えた。いや、同じ場所に濃密に共存する人々の格差があまりにも目立つ、と言うべきかもしれない。


ムンバイの海


ムンバイの海


ムンバイの海


ムンバイの海

デリーに入ると、ムンバイとは世界がまるで異なる。中国で言えば北京と上海、それ以上か。



新聞

※写真はすべてPENTAX MX、M40mmF2.8、Tri-X、ケントメアRC、2号フィルタ使用。

●参照
PENTAX FA 50mm/f1.4でジャムシェドプール、デリー、バンコク
2010年9月、アフマダーバード


ゴンサロ・ルバルカバ+チャーリー・ヘイデン+ポール・モチアン

2010-10-10 22:05:15 | アヴァンギャルド・ジャズ

久しぶりにレコード屋を覗いたら、ワゴンコーナーに、ゴンサロ・ルバルカバ『At Montreux』(somethin'else、1990年)があった。当時、キューバ出身、驚異の超絶技術ピアニストということで随分話題になった盤である。久しぶりで嬉しかったのですぐに確保した。それにしても300円・・・。

チャーリー・ヘイデン(ベース)、ポール・モチアン(ドラムス)とのトリオである。というのも、ヘイデンが気に入って仲間に加えたという経緯があるようだ。

目玉は何と言っても冒頭のセロニアス・モンク曲「Well, You Needn't」。モンクならば決してこのようなハイスピードで弾いたわけがない演奏であり、左手と右手が目まぐるしく動いて絡み合うピアノには、当時と変わらず圧倒させられる。キース・ジャレットが演奏する「All The Things You Are」(『Standards Vol.1』、ECM、1983年)を初めて聴いたときと同程度の衝撃でもあった。

その「All The Things You Are」も、ヘイデンの名曲「First Song」も弾いていて悪くないのだが、どうにも1曲目のインパクトが強烈すぎて損をしている感がある。その意味ではCD作品としては良いものとは言えない。

むしろ、同じメンバーで1年前に演奏した記録、チャーリー・ヘイデン+ポール・モチアン+ゴンサロ・ルバルカバ『The Montreal Tapes』(Verve、1989年)の方が落ち着いていて、録音もしっとりしており、何よりこけおどしがなく優れている。ここでの個人的な目玉は、やはりヘイデンの名曲「La Pasionaria」。リベレイション・オーケストラでなくてもドラマチックな盛り上げは十分で、ヘイデンの独特の芳香がするようなベースの音色も、高速で自在に伸び縮みする金属を思わせるモチアンのドラムスも素晴らしい。

一度だけルバルカバのピアノを聴きに出かけたことがあるが、退屈で不覚にも寝てしまった。このピアノトリオならそんなことはないはずで、ぜひ聴いてみたいものだ。他にこの組み合わせによる録音はあるのだろうか。

●参照
チャーリー・ヘイデンとアントニオ・フォルチオーネとのデュオ
Naimレーベルのチャーリー・ヘイデンとピアニストとのデュオ
リベレーション・ミュージック・オーケストラ(スペイン市民戦争)


2010年9月、アフマダーバード

2010-10-10 10:58:05 | 南アジア

2010年9月、インド北西部アフマダーバード(アーメダバード)。5年ほど前に訪れたときの「果てしなくエネルギーを吸い取られる国」という印象は、多少は緩和されていた。理由はよくわからない。

※写真はすべてPENTAX MX、M40mmF2.8、Tri-X、ケントメアRC、2号フィルタ使用。


自転車


ラクダ


母子


母子


とうもろこし





ふたり

●参照
PENTAX FA 50mm/f1.4でジャムシェドプール、デリー、バンコク