Sightsong

自縄自縛日記

レイモンド・マクモーリン@御茶ノ水NARU

2019-01-29 10:10:22 | アヴァンギャルド・ジャズ

仕事が終わってFBを覗いたら、近くでレイモンド・マクモーリンが吹いている。セカンド・セットに間に合いそう。そんなわけで、何年ぶりだろう、御茶ノ水のNARU(2019/1/28)。

Raymond McMorrin (ts)
Mayuko Katakura 片倉真由子 (p)
Takumi Ayawa 粟谷巧 (b)
Gene Jackson (ds)
Guest:
Satsuki Kusui 楠井五月 (b)

扉を開けたらレイモンドと女性がおしゃべりしている。何年か前まで近所のスタバでバイトしていた子だった。思いつきの行動には嬉しい出来事が付いてくる。

セカンドセットは「Punch」(オリジナル)、「Before Then」(ジーン・ジャクソン)、「In a Sentimental Mood」、「Milestones」(古い方の)。サードセットは、ザッカイ・カーティスのアレンジだという5拍子の「Inner Urge」(ジョー・ヘンダーソン)、「Evidence」、「My One and Only Love」、コルトレーンやファラオ・サンダースのイメージで作ったという「Spiritual Journey」(オリジナル)。

もちろんヘヴィ級にしてキメ技炸裂のジーン・ジャクソンは素晴らしいのだけれど、この日は、とにかく片倉さんのピアノに魅せられた。知的でエモーショナルなのに残らずどこかに去っていってしまう。深い深いジャズが本当に愉しそうだ。こちらも脳内がジャズ一色。

レイモンドのテナーは、毎回手作りで思考しながらソロを構築する、そのアプローチがとても好きである。良い隙間がその結果として生まれている。粟谷さんのベースがじわりじわりとサウンドを浮揚させるものだとして、モンクの「Evidence」でシットインした楠井さんのベースはもう少し高めの領域を滑空する感覚で、その違いが面白かった。

●レイモンド・マクモーリン
レイモンド・マクモーリン『All of A Sudden』(2018年)
レイモンド・マクモーリン+片倉真由子@小岩COCHI(2018年)
レイモンド・マクモーリン+山崎比呂志@なってるハウス(2017年)
レイモンド・マクモーリン+山崎比呂志@なってるハウス(2017年)
山崎比呂志 4 Spirits@新宿ピットイン(2017年)
レイモンド・マクモーリン@Body & Soul(JazzTokyo)(2016年)
レイモンド・マクモーリン@h.s.trash(2015年)
レイモンド・マクモーリン『RayMack』、ジョシュ・エヴァンス『Portrait』(2011、12年)

●片倉真由子
レイモンド・マクモーリン『All of A Sudden』(2018年)
レイモンド・マクモーリン+片倉真由子@小岩COCHI(2018年)
ジーン・ジャクソン・トリオ@Body & Soul(2018年)
北川潔『Turning Point』(2017年)

●ジーン・ジャクソン
レイモンド・マクモーリン『All of A Sudden』(2018年)
ジーン・ジャクソン・トリオ@Body & Soul(2018年)
ジーン・ジャクソン(Trio NuYorx)『Power of Love』(JazzTokyo)(2017年)
オンドジェイ・ストベラチェク『Sketches』(2016年)
レイモンド・マクモーリン@Body & Soul(JazzTokyo)(2016年)
及部恭子+クリス・スピード@Body & Soul(2015年)
松本茜『Memories of You』(2015年)
デイヴ・ホランド『Dream of the Elders』(1995年)

●粟谷巧
レイモンド・マクモーリン『All of A Sudden』(2018年)


南青山と西日暮里、ライカIIIa、ズミタール

2019-01-29 09:32:45 | 写真

先日、鶯谷近くの友人が働いているギャラリーを覗いて、ああそういえばこの辺だと思いだし、三葉堂寫眞機店まで歩いた。しばらく眼を悪くしていたこともあり、銀塩カメラ自体に触らなかったのだが、ショーケースの中を凝視していると何かが疼いてくる。

そんなわけで衝動的にライカIIIaを入手した。旧ソ連のゾルキーやキヤノンIVSb改を使っていたこともあったが、本家バルナックははじめてだ。お店の方にあれこれ教わり、富士のカラーネガC200をついでに買った。まずはコンパクト優先ということで手持ちのズミタール50mmF2.0を装着。南青山のビリケンギャラリーの行き帰り、それから西日暮里で降りて三葉堂まで歩く間のあれこれを撮って、そのまま現像とスキャンをお願いした。

やっぱり愉しい。

Leica IIIa、Summitar 50mmF2.0、富士C200


北井一夫『シカゴループ』

2019-01-29 09:02:51 | 北米

南青山のビリケンギャラリーにて、北井一夫さんの写真展『シカゴループ』。

2017年にシカゴ美術館でのプロヴォーク展があり、招待された北井さんはシカゴの街を撮影した。

近年、北井さんがデジカメに持ち替えたのは大きな衝撃だった。ソニーのアルファを用いて最初に『日本カメラ』誌に掲載された作品には、正直言ってインパクトが弱く(多くの人がそう思ったに違いない)、それもまた衝撃を上乗せした。

そんなわけで半ば恐れながら足を運んだのだが・・・。いや驚いた。人や物との距離感や間合い、想像される写真家としての佇まい、やや傾いだ構図、すべて北井写真のアウラを発散している。素晴らしい。電車のホームを撮影したものなど欲しい作品もあり、また北井一夫さんの写真としては格安でもあったから、くらくらして懐に手がのびかけてしまった。

レンズはすべてエルマー50mmF3.5であるらしい。北井さんによれば、赤エルマー、ニッケルエルマー、そしてF2.8と3本エルマーを所有しているという。こんなに良いなら、買えもしないズミルックス35mmF1.4に憧れていないでエルマーを使おうかな。

北井さんは操作方法が複雑すぎるという理由で、今ではライカM10を使っている。日本のいくつかの場所を撮った作品をエッセイのように組み合わせて写真集にしようかなと話してくれた。(その中には友人が案内役を買って出たものもある。)

Leica IIIa、Summitar 50mmF2.0、富士C200(およそ3年ぶりにフィルムを使った)

●北井一夫
『1968年 激動の時代の芸術』@千葉市立美術館(2018年)
『写真家の記憶の抽斗』(2017年)
『写真家の記憶の抽斗』
『COLOR いつか見た風景』
『いつか見た風景』
北井一夫×HMT『過激派 AGITATORS』(2015年)
『道』(2014年)
『Walking with Leica 3』(2012年)
『Walking with Leica 2』(2010年)
『Walking with Leica』(2009年)
『北京―1990年代―』(1990年代)
『80年代フナバシストーリー』(1989年/2006年)
『フナバシストーリー』(1989年)
『英雄伝説アントニオ猪木』(1982年)
『新世界物語』(1981年)
『ドイツ表現派1920年代の旅』(1979年)
『境川の人々』(1978年)
『西班牙の夜』(1978年)
『ロザムンデ』(1978年)
『遍路宿』(1976年)
『1973 中国』(1973年)
『流れ雲旅』(1971年)
『津軽 下北』(1970-73年)
『湯治場』(1970年代)
『村へ』(1970年代)
『過激派』(1965-68年)
『神戸港湾労働者』(1965年)
粟生田弓『写真をアートにした男 石原悦郎とツァイト・フォト・サロン』(2016年)
大津幸四郎・代島治彦『三里塚に生きる』(2014年)(北井一夫出演)


照内央晴+方波見智子@なってるハウス

2019-01-27 23:55:03 | アヴァンギャルド・ジャズ

入谷のなってるハウス(2019/1/27)。

Hisaharu Teruuchi 照内央晴 (p)
Tomoko Katabami 方波見智子 (perc)
Guest:
Yukari Uekawa 植川縁 (as)

最初は方波見さんが指先で世界を創ってゆく。それも単にヴァリエーションを増やすということではなく、改めてたんたんたん、とリズムを創出したり、またドラムの皮のテンションを変えたりと、聴いていてなかなか緊張する。このモーメントは照内さんに移行し、また再び方波見さんに戻ったりもする。

今回方波見さんはバスドラムをほぼ横たえた。そこからの音の発展が特徴的に聴こえた。(あとで訊いたところ、バスドラムが好きで、またレ・クアン・ニンにも魅せられたことがあるのだという。)

タイコの音からベルやトライアングルの音へと移行すると、ピアノもその展開にシンクロする。しばしの間、時間の進行が忘れ去られたように思えた。だが、方波見さんが遊びの音世界からドラムに戻って再び時計を動かしはじめた。声による遊びもあり、方波見さんが「てるちゃん、てるちゃん/これがてるちゃんにしか聞こえなくなる」とユーモラスに仕掛け、照内さんもそれに呼応した。

セカンドセットでは、アルトをもって観にきた植川縁さんが参加した。なんでも3人が顔をあわせるのははじめて。クラシックや現代音楽で活動してきた人であり、東京での即興もはじめて。これが即興現場の面白さのひとつだろう。

このあと、植川さんのプレイにいきなり驚かされた。息だけを独特に増幅させ、また、マウスピースとリードとの間を移動させながら息を吹き込むプレイを仕掛けた。そして方波見さんとの間で、くちばしでつっつくような音をお互いに提示する。やがてパーカッションもピアノも激しさを増してゆき、植川さんはうねるようなアルトを吹き、それは声を吹き込むことによる複雑な音へと成長していった。フリージャズの奏者がサックスに肉声の迫力を追加するやり方とは発想を異にしているように思えた。

今度は方波見さんのスティックと照内さんのピアノとで、音空間を覆う展開。その間で植川さんは叫ぶように吹いた。

植川さんが抜けてデュオに戻ると、明らかに、いなくなったことが影響する別の音楽が生まれた。照内さんは敢えて迷走し脱力するようなピアノを弾き、方波見さんはバスドラムを擦り、力を押し付けるようにして何ものかが憑依しているようにプレイした。照内さんからのコミュニケートの策動があり、それにより方波見さんの音が開かれていった。そして音はどこかトンネルの向こうに抜け、トライアングルや鐘によって風が吹いている感覚があり、呼応して照内さんが残響を利用した。

ところで、照内さんは松本ちはやさんとデュオ等で演奏を積み重ねてきたわけだが、パーカッショニストとのデュオという共通点があっても、方波見さんとのデュオはまたずいぶんと性質が異なっている。松本さんがその都度飛翔する天馬だとして、方波見さんは対照的に、上や下や隣に息をひそめて存在する音の霊との対話を行っているように思えた。

Fuji X-E2、XF60mmF2.4、7Artisans 12mmF2.8

●照内央晴
クレイグ・ペデルセン+エリザベス・ミラー+吉本裕美子+照内央晴@高円寺グッドマン(2018年)
照内央晴+川島誠@山猫軒(2018年)
沼田順+照内央晴+吉田隆一@なってるハウス(2018年)
『終わりなき歌 石内矢巳 花詩集III』@阿佐ヶ谷ヴィオロン(2018年)
Cool Meeting vol.1@cooljojo(2018年)
Wavebender、照内央晴+松本ちはや@なってるハウス(2018年)
フローリアン・ヴァルター+照内央晴+方波見智子+加藤綾子+田中奈美@なってるハウス(2017年)
ネッド・マックガウエン即興セッション@神保町試聴室(2017年)
照内央晴・松本ちはや《哀しみさえも星となりて》 CD発売記念コンサートツアー Final(JazzTokyo)(2017年)
照内央晴+松本ちはや、VOBトリオ@なってるハウス(2017年)
照内央晴・松本ちはや『哀しみさえも星となりて』@船橋きららホール(2017年)
照内央晴・松本ちはや『哀しみさえも星となりて』(JazzTokyo)(2016年)
照内央晴「九月に~即興演奏とダンスの夜 茶会記篇」@喫茶茶会記(JazzTokyo)(2016年)
田村夏樹+3人のピアニスト@なってるハウス(2016年)

●方波見智子
フローリアン・ヴァルター+照内央晴+方波見智子+加藤綾子+田中奈美@なってるハウス(2017年)
ネッド・マックガウエン即興セッション@神保町試聴室(2017年)


加納奈実@本八幡cooljojo

2019-01-27 23:08:52 | アヴァンギャルド・ジャズ

本八幡のcooljojo昼の部(2019/1/27)。

Nami Kano 加納奈実 (as, ss, fl)
Mamoru Ishida 石田衛 (p)
Tomokazu Sugimoto 杉本智和 (b)
Sota Kira 吉良創太 (ds)

気になってはいたがはじめてその音を聴く。グロリア・エステファンが歌ったという冒頭曲のアルトから、ちょっとスモーキーで鳴っていてとても気持ちが良い。キース・ジャレットの「Treasure Island」ではソプラノを吹き、これがまた味が異なっていて愉しい。

選曲は幅広く、ロバータ・フラックが歌った「In the Name of Love」や「The First Time I Saw Your Face」なんて嬉しくなってしまう。これらの曲では、杉本さんはエレキベースを使った。そのエレベも、ミンガスの「Orange Was The Color of Her Dress...」などでのコントラバスも、音域やアプローチが実にセクシーで色っぽい。同じ音を執拗に繰り返すプレイにも惹かれる。氏のプレイで印象深いのは菊地雅章『On The Move』だが、また聴きなおしたいところ。

ドラムスの吉良創太は常に存在感を発揮していた。ジャコパスの「3 Views of A Secret」などでの幅広く散らす感覚、「The First Time I Saw Your Face」においてマレットでシンバルから音の雲を作りだすところなんて見事だった。またピアノの石田さんはノスタルジックな領域から鮮やかに工夫する領域まで幅広く、愉しいサウンドに大きく貢献していた。

Fuji X-E2、XF60mmF2.4、7Artisans 12mmF2.8


ポール・リットン+ケン・ヴァンダーマーク『English Suites』

2019-01-26 09:42:03 | アヴァンギャルド・ジャズ

ポール・リットン+ケン・ヴァンダーマーク『English Suites』(Wobbly Rail、1999年)を聴く。

Paul Lytton (ds, perc, live electronics)
Ken Vandermark (reeds)

何の大作感もない、シカゴとベルギーでのライヴ2枚組。敢えて特別なコンセプトを出さなくても、かれらのいつものプレイで充実したものになるという証拠のようなものだ。

ポール・リットンはドライな音であれこれを使ってあれこれを叩き、たわませる。ドライでスピーディであるだけにその面白さが際立ってくる。そしてケン・ヴァンダーマークはオーソドックスに見えてレンジの極広さと音のバカでかさを両立させる。ライヴに立ち会ったならおそらくずっと飽きることなく凝視していられる。

●ポール・リットン
シュリッペンバッハ・トリオ+高瀬アキ「冬の旅:日本編」@座・高円寺(2018年)
ガイ+クリスペル+リットン『Deep Memory』(2015年)
ヨアヒム・バーデンホルスト+ジョン・ブッチャー+ポール・リットン『Nachitigall』(2013年)
ネイト・ウーリー『Seven Storey Mountain III and IV』(2011、13年)

●ケン・ヴァンダーマーク
ネイト・ウーリー+ケン・ヴァンダーマーク『East by Northwest』、『All Directions Home』(2015年)
ポール・ニルセン・ラヴ+ケン・ヴァンダーマーク@新宿ピットイン(2011年)
ペーター・ブロッツマンの映像『Concert for Fukushima / Wels 2011』(2011年)
ペーター・ブロッツマンの映像『Soldier of the Road』(2011年)
4 Corners『Alive in Lisbon』(2007年)
スクール・デイズ『In Our Times』(2001年)
ジョー・モリス w/ DKVトリオ『deep telling』(1998年)


クローム・ヒル@東北沢OTOOTO

2019-01-22 00:56:59 | アヴァンギャルド・ジャズ

東北沢のOTOOTO(2019/1/21)。

Chrome Hill:
Roger Arntzen (b)
Asbjorn Asbjørn Lerheim (g)
Torstein Lofthus (ds) 
Atle Nymo (ts)
Guest:
Noritaka Tanaka 田中徳崇 (ds)

クローム・ヒルはノルウェーのグループ。アメリカーナと北欧のジャズを融合と謳っており、確かにフォーキーで骨太なメロディーと、それをユニゾンで歌う気持ちよさがある。とは言え面白さはもっと奥深い。

「Earth」や「Blue Dog」におけるごく単純なフレーズの繰り返しや、「Lurking Beneath」での上がり下がりだけの同じフレーズの繰り返しの中で、音色の変化や即興を交えた発展を行っていく形には、ミニマルを基礎としての大きなポテンシャルがみえてくるようだ。それと同時に、音を出すという根本のところに意識が収斂されてくる。ゲストが田中徳崇、そして藤原大輔氏も観に来ていたからの発想でもないが、そのあり方はrabbitooを想起させたりもする。また、そのようなテナー、ギター、ベースと、よりスピードを得て疾走するドラムスとの異なる時間の共存も昂揚させられるものだった。

ファーストセット、Deep Blue、Explorer、Drunken Sailer、Earth、Wide Stripes。セカンドセット、Blue Dog、Hoatzin、The Voyage Home、Lurking Beneath、Maelstrom。

Fuji X-E2、7Artisans 12mmF2.8

●田中徳崇
rabbitoo@フクモリ(2016年)
rabbitoo『the torch』(2015年)
ジョシュア・エイブラムス『Represencing』、『Natural Information』(2008-13年)
アクセル・ドゥナー + 今井和雄 + 井野信義 + 田中徳崇 『rostbeständige Zeit』(2008年)


向井豊昭『BARABARA』

2019-01-21 09:21:01 | 北海道

向井豊昭『BARABARA』(四谷ラウンド、1999年)を読む。

なんとも凄まじい言語の使い手であったことがわかる。ここまで言語を解体し、しかも戦略的に文脈を徹底的に無視し、あるいは文脈を創り上げている。その両者はかれにとっては同義語であったのかもしれないなと思う。そして表題作「BARABARA」では、その解体がすべて引きちぎられた人格となって出現している。

岡和田晃氏によれば(>> 植民地文化学会・フォーラム「内なる植民地(再び)」)、向井は小熊秀雄に魅せられ、アイヌを征服した和人の言語感覚を強く意識していた。構造の一員であることも含めた自己批判と抵抗とが形になったものとして読むことが可能か。


「Art and China after 1989 Theater of the World」@サンフランシスコ近代美術館

2019-01-20 16:51:19 | 中国・台湾

サンフランシスコ近代美術館(SF MOMA)は巨大で、各階を観てまわるのに時間がかかった。ブラッサイやゲルハルト・リヒターなどの展示が充実していた。特に今回面白かったのは、最上階での「Art and China after 1989 Theater of the World」。

文字通り、第二次天安門事件以降の中国のアートを紹介したものである。直接的な抵抗のアートも多いし、示唆によってあらゆるタイプの権力を無化しようとするアートもある。

林天苗(Lin Tianmiao)の「Sewing」(1997年)。ミシンが糸で出来ていて、操作する様子が映像で映し出される。

林一林(Lin Yilin)の「Safely Maneuvering across the Linhe Road」(1995年)。重いブロックを持って道路を横切りひたすらに積み直し続ける映像であり、徒労感が半端ない。「アジアにめざめたら」@東京国立近代美術館でも紹介されていた。

黄永砅(Huang Yong Ping)の「The History of Chinese Painting and a Concise History of Modern Painting Washed in a Washing Maschine for Two Minutes」(1987/1993年)。これもまた徒労感アート。すべてを無にする要請があった。

蔡國強(Cai Guo-Quang)の有名なキノコ雲プロジェクト(1996年)。その前年に構想のために作られたキノコ模型や火薬の焦がし。

艾未未(Ai WeiWei)の「Names of the Student Earthquake Victims Found by the Citizens' Investigation」(2008-11年)。四川大地震の犠牲者数は当局により伏せられたが、かれは160人のボランティアを使い、学生の犠牲者を調べ上げ、リストを作品とした。記録こそが現代の呪術である。

●参照
「アジアにめざめたら」@東京国立近代美術館(2018年)
横浜美術館の蔡國強「帰去来」展(2015年)
ドーハの蔡國強「saraab」展(2011-12年)
燃えるワビサビ 「時光 - 蔡國強と資生堂」展(2007年)
『なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか』
ナショナル・アカデミー美術館の「\'self\」展(艾未未)(2015年)
北京798芸術区再訪 徐勇ってあの徐勇か(艾未未)(2010年)


ソフィ・カル『限局性激痛』@原美術館

2019-01-20 15:59:15 | アート・映画

原美術館(久しぶり!)にて、ソフィ・カル『限局性激痛』展。

ソフィ・カルは、若いときにパリから東へと旅立ち、ソ連、モンゴル、中国を経て日本に渡った。そしてパリの恋人から手紙が届き、ニューデリーで落ち合うことにする。そのドラマチックな計画は、恋人の裏切りによって無残な結果に終わる。なんと彼女は、その激痛を治癒するために、悲惨な体験を語る者を見つけてはお互いに自己の物語を語った。それはすべて記録されていった。

やはりソフィ・カルというべきか、どうかしている。激痛がアーカイヴ化されて披露される、それはちょっと真似できそうにないほどだ。しかし、そのことが奇妙な昂揚感を生み出している。語りとはなんのためのものか。記憶とは刷りなおされるものか。体験の共有とはなんなのか。

圧倒的な凄みをもつ展示。驚いた。

●ソフィ・カル
自分の境界の裏と表


梯久美子『原民喜 死と愛と孤独の肖像』

2019-01-19 10:17:23 | 思想・文学

梯久美子『原民喜 死と愛と孤独の肖像』(岩波新書、2018年)を読む。

広島で被爆したあとの詩集『夏の花』(1949年)における原民喜の詩を評価して、徐京植は、「壊れている」とみた。それこそが壊れた現実を映し出すものとして。

「テンプクシタ電車ノワキノ
馬ノ胴ナンカノ フクラミカタハ
ブスブストケムル 電線ノニオイ」

この評伝を読んで痛切なほどに伝わってくるのは、原民喜という詩人がまた「壊れている」人でもあったということだ。愛とか絶望とか寂しさとか、そのようなものを、詩作というモードチェンジ時だけでなく、生まれてから自死を選ぶまで体現した。

戦時において原が書いた詩もまた、モードチェンジにより何かを殊更に強調するものではなく、静かな日常における自分の感性のみを信じた表現であった。著者はそれを、「非日常の極みである戦争に対する、原の静かな抵抗であった」とする。

●参照
徐京植のフクシマ
梯久美子『狂うひと―「死の棘」の妻・島尾ミホ』


ロイ・ハーグローヴ+シダー・ウォルトン w/ ロバータ・ガンバリーニ『Geneve 2002』

2019-01-19 09:36:30 | アヴァンギャルド・ジャズ

ロイ・ハーグローヴ+シダー・ウォルトン w/ ロバータ・ガンバリーニ『Geneve 2002』(JazzTime、2002年)。

Roy Hargrove (tp)
Ceder Walton (p)
Peter Washington (b)
Karim Riggins (ds)
Roberta Gambarini (vo)(2枚目のみ)

メンバー的にどうみてもどジャズにしかなり得ず、また、その期待に応えてくれる。

ハーグローヴは90年代に新星として出てきたとき、生鮮食品のような新鮮な音だった。その後あまり近づかなかったし、RHファクターも適当に聴き流していた程度。だがこれを聴くと、デビューの頃に感じた印象はやはりかれの個性だったことがわかる。最晩年の2017年にシットインして吹いたかれを観たら、その音はより熟成されていた。

亡くなってから、たまたま観たライヴで、セオ・クロッカーも、ケリー・グリーンも、「Never Let Me Go」をかれに捧げた。このCDには同曲が入っていて、聴くと特別な気持ちになる。

●ロイ・ハーグローヴ
ジョー・マグナネリ・クインテット@Smalls
(2017年)


佐伯美波+池田若菜+池田陽子+杉本拓+ステファン・テュット+マンフレッド・ヴェルダー『Sextet』

2019-01-17 08:29:05 | アヴァンギャルド・ジャズ

佐伯美波+池田若菜+池田陽子+杉本拓+ステファン・テュット+マンフレッド・ヴェルダー『Sextet』(meenna、2017年)。

Minami Saeki 佐伯美波 (voice)
Wakana Ikeda 池田若菜 (fl)
Yoko Ikeda 池田陽子 (viola)
Taku Sugimoto 杉本拓 (g)
Stefan Thut (cello)
Manfred Werder (glockenspiel, typewriter)

あらかじめ書かれた曲がまるで運命であるかのように容赦なく時間とともに進んでいく。かれらは何かに異常なほどに集中して動いている。その緊張感が曲と演奏とを代替不能なものとしている。音を出すこと自体をその行動によって問い続けているようでもある。

●池田若菜
即興的最前線@EFAG East Factory Art Gallery(JazzTokyo)(2018年)
クリスチャン・コビ+池田若菜+杉本拓+池田陽子『ATTA!』(2017年)
Sloth、ju sei+mmm@Ftarri(2017年)

●池田陽子
池田陽子+山㟁直人+ダレン・ムーア、安藤暁彦@Ftarri(2018年)
クリスチャン・コビ+池田若菜+杉本拓+池田陽子『ATTA!』(2017年)

●杉本拓
杉本拓+増渕顕史@東北沢OTOOTO(2017年)
クリスチャン・コビ+池田若菜+杉本拓+池田陽子『ATTA!』(2017年)


FIVES & 鈴木常吉『童謡』

2019-01-15 07:32:22 | アヴァンギャルド・ジャズ

FIVES & 鈴木常吉『童謡』(yoshidamusic、1991年)を聴く。

Tetsuji Yoshida 吉田哲治 (tp)
Shuichi "Ponta" Murakami 村上ポンタ秀一 (ds)
Akihiro Ishiwatari 石渡明廣 (g)
Keita Ito 伊藤啓太 (b)
Michiaki Tanaka 田中倫明 (perc)
Tsunekichi Suzuki 鈴木常吉 (vo)
Akinobu Imai 今井章信 (g)

紛う方なき日本のジャズロック、イケイケのビート。それぞれの強い貢献がカッチョいい。

鈴木常吉のこの愉快そうな勢いと言ったらない。そしてミニマルな領域でエンジンを搭載してぶんぶんと飛びまくる吉田哲治のトランペット。嬉しい。

●吉田哲治
吉田哲治『Jackanapes』(2018年)
のなか悟空&元祖・人間国宝オールスターズ『伝説の「アフリカ探検前夜」/ピットインライブ生録画』
(1988年)
生活向上委員会大管弦楽団『This Is Music Is This?』(1979年)


マルクス・ガブリエル『なぜ世界は存在しないのか』

2019-01-15 06:58:58 | 思想・文学

マルクス・ガブリエル『なぜ世界は存在しないのか』(講談社選書メチエ、原著2013年)を読む。

ここで著者がいう世界とは、すべてを統合的に説明し、すべての原理となり、すべてを包むものとしてのありようだ。しかしかれはそれを否定する。宇宙もまた別の形ではあるが、やはり否定する。

なぜか。かれによれば、数多くの(無数の、ではない)小宇宙が、あるいは対象領域が、たんに並んで存在するに過ぎないからである。逆に言えば、世界以外のあらゆるものが存在する。その存在は、文脈を抜きにしては考えられない。

語り口は平易だ。何と言うこともない思想に思えるかもしれない。しかし、この思想に付き合うことには大きな意味があるように思える。なぜならば、これは、ひとつひとつの存在を何か(世界など)に従属すると想定してしまう思考回路を、徹底的にしりぞけるものであるからだ。得られる大事な考えは、たとえば、「果てしない意味の炸裂」である。そして、思考は「人生の意味」にも辿り着く。

「人生の意味の問いにたいする答えは、意味それ自体のなかにあります。わたしたちが認識したり変化させたりすることのできる意味が、尽きることなく存在している―――このこと自体が、すでに意味にほかなりません。」