Sightsong

自縄自縛日記

中藤毅彦『NOCTURNE PARIS 2011-2019』@小伝馬町MONO GRAPHY

2022-12-04 20:43:12 | ヨーロッパ

小伝馬町のMONO GRAPHYで中藤毅彦さんの写真展『NOCTURNE PARIS 2011-2019』最終日。

パリの夜を撮ったものが展示のコンセプトとのこと。光のコントラストがもともと高い状況でのハイコントラストな中藤写真ゆえ、思いがけず透明感がある。フランスのFunny Bones Editionsから出された『パリ』を持っているが、それとはずいぶん異なる印象でおもしろい。

在廊なさっていたら裸のラリーズ撮影のことなど聴きたかったところ。そういえば2016年、スーパーデラックスで、氏がグンジョーガクレヨンだかINCAPACITANTSだかを撮影していたのを見たことがあるが、このことについても。

●中藤毅彦
「街の記憶・建物の記憶」@檜画廊
中藤毅彦『Berlin 1999+2014』
中藤毅彦『STREET RAMBLER』
中藤毅彦『Paris 1996』
中里和人『光ノ気圏』、中藤毅彦『ストリート・ランブラー』、八尋伸、星玄人、瀬戸正人、小松透、安掛正仁
中藤毅彦、森山大道、村上修一と王子直紀のトカラ、金村修、ジョン・ルーリー


ベルばら

2022-09-08 23:16:20 | ヨーロッパ

『芸術新潮』の特集号を見つけたことで火が点いて、『ベルサイユのばら』アニメ版全40話を一気に観てしまった。

宮廷内のじつにくだらない嫉妬の嵐や虚栄心の張り合いがいちいち笑える。ショックを受けるとドジャーンと鏡が割れるし、眼からはビームが出るし、貴族なのに何かあると走って逃げるし、巨大な眼球の下からはポンプがあるように涙が流れ出るし、陰謀を企てる者はいかにも悪そうにニヤニヤするし、何かあると劇画調の絵になるし、もはや様式美。これが後半になるとフランス革命へとなだれ込み、前半のしょうもなさはどこへやら。いや大傑作だ。

ところでヴェルナー・ゾンバルトが20世紀初頭に書いた『恋愛と贅沢と資本主義』という本はおもしろくて、貴族のすさまじい贅沢があったからこそ産業もサービスも貿易も発達し、美的感覚も繊細かつ多様なものとなったことが示されている。つまりここに資本主義という奇妙なシステムのはじまりがあった。

それはそれとしてアンドレやオスカルのつらさのことを思えば何でも耐えられるな。


ビル・オライリー&マーティン・デュガード『Killing the SS: The Hunt for the Worst War Criminals in History』

2021-12-28 17:57:24 | ヨーロッパ

Killing the SS: The Hunt for the Worst War Criminals in History

"Killing the SS: The Hunt for the Worst War Criminals in History" written by Bill O'Reilly and Martin Dugard (2008)

著者のビル・オライリーはかなり保守寄りでセクハラ事件も起こした人だけれど、それはともかく、いつかどこかで買って積んであったナチ戦犯狩りの本。いちいち章の終わりに気をもたせるように「But someone knows. And that someone is coming.」みたいな感じで書いてあって、連続実録ドラマシリーズのノリか。

敗戦後、ナチの権力者たちの何人もが南米に逃亡した。ペロン大統領のアルゼンチンなどもかれらを匿った(エビータ夫人は「comrade」という言葉で左翼大衆とのつながりを好んだというから奇妙だ)。

逃亡した大物のひとりがアドルフ・アイヒマン。偽名を使っていたものの、息子のガールフレンドがそれと気づいた。モサドがアイヒマンがいつも帰宅する時間のバス停に張っていたが、その日はたまたまワインを一杯飲んでいて少し遅れる。読んでいてはらはらするが捕捉され、アイヒマンは完璧なドイツ語で「I have already accepted my fate.」と呟いたという。やっぱり三文小説みたいだ。

●参照
田野大輔『愛と欲望のナチズム』
芝健介『ホロコースト』
飯田道子『ナチスと映画』
クロード・ランズマン『ショアー』
クロード・ランズマン『ソビブル、1943年10月14日午後4時』、『人生の引き渡し』
ジャック・ゴールド『脱走戦線』ジャン・ルノワール『自由への闘い』
アラン・レネ『夜と霧』
マーク・ハーマン『縞模様のパジャマの少年』
ニコラス・フンベルト『Wolfsgrub』
フランチェスコ・ロージ『遥かなる帰郷』
ミック・ジャクソン『否定と肯定』マルガレーテ・フォン・トロッタ『ハンナ・アーレント』
マルティン・ハイデッガー他『30年代の危機と哲学』
徐京植『ディアスポラ紀行』
徐京植のフクシマ
プリーモ・レーヴィ『休戦』
高橋哲哉『記憶のエチカ』
クリスチャン・ボルタンスキー「アニミタス-さざめく亡霊たち」@東京都庭園美術館
クリスチャン・ボルタンスキー「MONUMENTA 2010 / Personnes」


フィリップ・ブローム『あるヴァイオリンの旅路』

2021-11-11 08:21:15 | ヨーロッパ

フィリップ・ブローム『あるヴァイオリンの旅路 移民たちのヨーロッパ文化史』(法政大学出版局、原著2018年)を読む。

音楽家になることを断念した著者が、ふと手にしたヴァイオリンの出自について調べ始めた。それはおそらくドイツ出身者が17世紀頃にイタリアに徒弟として移り住み、作り上げ、ついでに勝手に巨匠の名前を入れたものだった。

問題はそこから先。出自を調べるといっても、謎解き物語のようにすべてがつながるわけではない。訛りがあって、貧乏で二度と郷里には戻ることができず、作る楽器も訛りのようなもの。かれの動きは見え隠れし、別々のピースとしてジグソーパズルにはまったり行き場所がなかったり。しかしそれが歴史というもの、人生というものなのだった。


デュッセルドルフK20/K21の艾未未とワエル・シャウキー

2019-06-08 11:43:45 | ヨーロッパ

デュッセルドルフでは、近現代の美術館がK20とK21とに分かれている。K21は特に80年代以降のアートに焦点を定めている。

まずはK21に足を運んだ。特別展は艾未未(アイ・ウェイウェイ)である。

もちろん艾は権力との緊張関係をアートにし続けているのだが、そこには様々なアート的要素の引きだし方を見て取ることができる。挑発、相手の利用、自分のキャラ化、商売。おそらくそれらが鼻についてかれのアートを嫌う人もいるのだろうけれど、しかし、この精神的恐竜のごとき物量はさすがである。

展示室に入ったところには多くの古着。それらは壁の無数の写真と同じく、シリアなどからギリシャ・マケドニア国境あたりに流れ着いた難民の人びとのものであった。ホロコーストを意識したクリスチャン・ボルタンスキーのインスタレーション「MONUMENTA 2010 / Personnes」アンゼルム・キーファーの立体作品のように、アクセスするたびに身体にかなり近い記憶が喚起される。

難民が乗った船を竹で作った作品も見事だ。それは弱弱しくも強くもあり、向こう側が透けてみえることによって、やはりこちらの想像力を喚起し、そののちに澱を残す。福建省からペルシャ湾までの海上の道を夢想した蔡國強「saraab」、またザイ・クーニン「オンバ・ヒタム」もそうだが、アジアのアーティストにとって、船とは苦難の歴史と直結するものなのかもしれない。

そして世界中の権威ある建物に向かって中指を立てる「Study of Perspective」。これほどあからさまな立ち位置の表明もそうはないだろう。あとでサックスのフローリアン・ヴァルターにこの話をしたら、かれもまた影響を受け、曲のタイトルに使ったと話してくれた。

それ以外の現代アーティストたちの作品は玉石混交(それはどこだってそうだ)。嬉しいことに、エジプトのワエル・シャウキー(Wael Shawky)の映像作品を観ることができた。ガラスなどを使って奇妙な人形を作り、十字軍時代の中東を、イスラームの側から視た映像として作品としている。静かでもあり、奇天烈でもあり、魅せられる。以前にニューヨークのMOMA PS1で驚かされたものだ。DVDがあったら欲しい。

数日後にK20にも足を運んだ(共通券を買っておいた)。ここでも艾未未

四川大地震(2008年)のあと、艾は現地に入り、瓦礫の中から鉄骨を収集し、すべて真直ぐに伸ばした。そこには権力のかたちのメタファーも見出せる。しかし、そんな単純なメッセージよりも、この物量がおそろしさとしてこちらを圧倒する。

犠牲者などの詳細は当局により伏せられたのだが(当時、わたしも中国によく行っており、口コミでいろいろと聞かされた)、かれは学生を動員して、犠牲者リストを作成し、アートとした。サンフランシスコ近代美術館の「Art and China after 1989 Theater of the World」展 で観たときにも思ったのだが、記録こそが現代の呪術であり、それはまたアートでもあるはずだ。

石を粉にしてひまわりの種に整形し、色を塗る作品。ある村で、仕事がない人びとを動員して作った作品である。これもまた信じられないという思いとともにいつまでも凝視してしまう。

●艾未未
「Art and China after 1989 Theater of the World」@サンフランシスコ近代美術館
ナショナル・アカデミー美術館の「\'self\」展
北京798芸術区再訪 徐勇ってあの徐勇か


ミヒャエル・エンデ+イェルク・クリッヒバウム『闇の考古学』

2019-06-07 08:04:08 | ヨーロッパ

ミヒャエル・エンデ+イェルク・クリッヒバウム『闇の考古学 画家エドガー・エンデを語る』(岩波書店、原著1985年)を読む。

ミヒャエル・エンデの父親は画家のエドガー・エンデである。

生前はほとんど作品が売れず、さしたる評価もなされなかった。ふたたび光が当てられたのは、ミヒャエルが自著の表紙や挿絵に父親の作品を使ったからである。(わたしにとっては、中高生のころに『鏡の中の鏡』日本語版の表紙を見たときの驚きが大きい。)

この対談集を読むと、エドガーが売れなかったのも理由なきことではなかったのだなとわかる。カテゴリーにはまるわけでもなく(シュルレアリスムとはずれる)、商売に迎合せず、スタイルは何十年も変わらない。そしてナチの迫害があった。

画風は、抽象的なものではなく、具体的な形を提示するものの単純な解釈を許すものではない。というよりも、エドガー本人も、生まれ出てきた謎を謎のまま提示していた。従って、極端なものを好む向きには中途半端な画風にみえたのかもしれない。

この中間領域については、ミヒャエルも同様の思想を持っている。それは対談において、輪廻を宗教や文化によらず共通の事実だと断言していることにもあらわれている。人間であれば誰でも持っている謎の領域を謎なのだと認識させることになる芸術であり、それはエドガーの絵にもミヒャエルの小説にも共通している。

●参照
ケルンのルートヴィヒ美術館とヴァルラーフ・リヒャルツ美術館
ミヒャエル・エンデ+ヨーゼフ・ボイス『芸術と政治をめぐる対話』


クレーフェのエフェリン・ホーファーとヨーゼフ・ボイス

2019-06-06 23:39:52 | ヨーロッパ

ダンスの皆藤千香子さんに教わって、クレーフェというオランダとの国境近くにある町のクルハウス・クレーフェ美術館を訪ねた。というのも、ここはヨーゼフ・ボイスが幼少期を過ごした町なのだ。

着いてみると実に落ち着いた田舎町で、観光客らしき人はあまり見当たらない。カフェにはお年寄り。これ見よがしではない大きな邸宅の壁の上は苔むしている。しばらく歩くと美術館が見えてくる。まずは中のカフェで林檎のケーキをいただいた(すごくうまいので、行った人は絶対に食べるように)。

この美術館も大きく、驚くほど多くの部屋が展示室になっている。それでも巨大な美術館のように半ばうんざりすることがないのが、古い建物の力である。

特別展は、エフェリン・ホーファーという写真家(Evelyn Hofer、ドイツ語読み)。わたしは知らなかったのだが、これはとても嬉しい発見だった。後で調べると、ドイツに生まれ、ナチから逃れてヨーロッパを転々としマドリッドに移るも、フランコの力が強くなってきてメキシコに逃れ、最後にはニューヨークに移住した女性である。

この人のスナップは極めて端正な構図を持っており、ピントも露出もプリントも素晴らしい。撮影技術は実に確かである。観ればわかる。そのことが写真のリアルさや迫真性やドラマ性を損ねる結果にはなっていない。それどころか、そのように視ようとする写真家の眼を如実に示す写真となっている。しっかりした、いい人だったんだろうなと思ってしまう。(関係ないと言われそうだが、関係はある。)

ブツ撮りも文句のつけようがない。たとえばマレーネ・ディートリッヒやフリーダ・カーロの遺品を撮影したシリーズがあるのだが、その職人としての水準の高さが芸術としての価値も高めている。同じフリーダの遺品を撮った石内都の作品には、前者が欠けていて、そのことが極めて残念だった。

そして目当てのヨーゼフ・ボイス。かれが撮られた写真にもボイスらしさが溢れている。作品はボイスであり、視られた顔もボイスであった。すなわち存在がボイスであった。

ドローイングもまたボイスならではのものだった。例えば、ランドスケープらしきスケッチがあるのだが、それは風景の写生でも、心象を形にしたものでも、またランドアートのようなものでもない。かたちや視線の動きが、ボイスの思想と不可分のものであるように思える。

ボイスは緑の党の創設に関わるなど、政治も活動の大きなテーマとしていた(というか、政治はかれにとって芸術と同じものだった)。経済が社会や芸術に重なり浸食してくることの問題点を指摘していたのだが、これは今となっては当然の視点に思える。しかし、アンドレス・ファイエル『ヨーゼフ・ボイスは挑発する』でも見られるように、当時は違和感のほうが大きいものであったようだ。この美術館に展示してある作品のひとつに、「Kunst = Kapital」と書かれたボードがある。芸術は資本である、この作品を同時代の人はどう受け止めただろう。

クレーフェの町には、中世にこの地の領主が建設したシュヴァーネンブルク(白鳥城)という大きなお城がある。3ユーロを払うと塔の上までのぼってゆける。中には写真や発掘物などが展示してあって、大戦で城も破壊されたことがわかる。つまり、戦後に復興がなされたのだった。ボイスも幼少期にこの城で遊んでいたという。

近くの教会を覗いてみた。皆藤千香子さんは以前にこの教会に入り、ボイスの発言として聞いたことを思い出し、体感したのだと話してくれた。すなわち、身体なのか、人生なのか、世界なのか、そういったものの中心は膝である、と、ボイスは言ってのけた。皆藤さんはその意図を不思議に思っていたが、教会で跪いて祈るとき、膝が中心になるのだと気が付いた、と。

わたしにもキリスト教の信仰はないのだが、跪いて祈った。普段しない動きであるだけに、意外に負荷の大きなことに驚いた。そして確かに膝が世界の中心にくるように思える。視える世界もまったく変わってくる。わたしはにわかで真似をしてみただけだが、とても興味深い。あるいは、身体の動きとはここまで日常に縛られているのだと逆に言うこともできるだろうか。思想と身体とは深くつながっている。

●ヨーゼフ・ボイス
1984年のヨーゼフ・ボイスの来日映像
アンドレス・ファイエル『ヨーゼフ・ボイスは挑発する』
ミヒャエル・エンデ+ヨーゼフ・ボイス『芸術と政治をめぐる対話』
ケルンのルートヴィヒ美術館とヴァルラーフ・リヒャルツ美術館
ロサンゼルスのMOCAとThe Broad
ベルリンのキーファーとボイス
MOMAのジグマー・ポルケ回顧展、ジャスパー・ジョーンズの新作、常設展ペーター・コヴァルト+ローレンス・プティ・ジューヴェ『Off The Road』
ペーター・コヴァルトのソロ、デュオ


ゼイディー・スミス『美について』

2019-06-06 11:20:06 | ヨーロッパ

ゼイディー・スミス『美について』(河出書房新社、原著2005年)を読む。

2段組500頁の分厚い小説なので読むのにずいぶん時間がかかった。しかしどこもかしこも面白くてツボを突いてくるのでまったく飽きない。

リベラルなアメリカのハワード家と、保守的なロンドンのキップス家。父親同士は不倶戴天の敵であり近寄らなければいいものを、運命がそれを許さない。ハワードの純情な青年、なぜか極端に奔放になってしまった青年、皮肉しか言わず人を褒めることのないクソのような父親、洞察力が鋭い妻。キップスの、やはりクソのような学者の父親、男と遊びまくっている娘。なぜかそれぞれに自分を見出していちいち感情移入してしまう。

ことばで個性を形にしていくことが希薄な日本社会と違う点も、刺さるのかもね。

●ゼイディー・スミス
ゼイディー・スミス『The Embassy of Cambodia』
(2013年)


ブリュールのマックス・エルンスト美術館とジョアナ・ヴァスコンセロス

2019-06-06 10:44:17 | ヨーロッパ

ケルンのエミさんから、マックス・エルンストが好きならブリュールという町にエルンスト美術館があると教えていただき、ボンに行く前に立ち寄った。確かに田舎町だが駅前にあって不便はない。

特別展はポルトガルのジョアナ・ヴァスコンセロス(1971年生)。レースでテレビや犬が梱包されている。飾り立てることと身体への過度の負担が女性の置かれたポジションなのであり、それをこのように痛いほどに提示されると圧倒されてしまう。中でも、深紅の大きなレースの心臓がぐるぐる回るインスタレーションなんて命そのものだ。ヴァスコンセロスはエルンストのヴィジョンにも影響を受けたようであり、それゆえのこの美術館での展示か。

エルンスト作品のコレクションはさすがである。

コラージュ作品は無関係が関係を持たされているという点でシュルレアリスムのカテゴリーに(歴史的に)はまるものであり、凝視すればするほど笑える。『百頭女』『カルメル修道会に入ろうとしたある少女の夢』『慈善週間:あるいは七大元素』の3冊は河出文庫版で観てきたけれど、これは大きなサイズで観るべきものだ。

わたしがもっとも愛するエルンストのスタイルはフロッタージュであり、それが20年代のフランス時代から模索を経て、完成どころか向こう側に突き抜けてしまう様子がわかる。九龍城的、生物のコロニー的でもあるが、こちらの理解を拒絶する異星の生物的でもある。

それらの宇宙的なヴィジョンは、コラージュやフロッタージュよりも立体作品において主張されている。もちろんユーモラスで笑えるのだけれど、ここまで執拗に提示されると、かれだけに感知できる宇宙的メッセージがあったのではないかと夢想してしまう(危ない、危ない)。エルンスト作成のチェスセットなんて欲しい。

●マックス・エルンスト
ケルンのルートヴィヒ美術館とヴァルラーフ・リヒャルツ美術館
2010年と1995年のルートヴィヒ美術館所蔵品展
ペーター・コヴァルトのソロ、デュオ


ケルンのルートヴィヒ美術館とヴァルラーフ・リヒャルツ美術館

2019-06-05 07:52:18 | ヨーロッパ

ケルンの中央駅前にはルートヴィヒ美術館がある。ここのコレクションを日本で1995年と2010年に観ているのだが(2010年と1995年のルートヴィヒ美術館所蔵品展)、直接入るのははじめてである。そんなわけで感無量。

とは言え、いきなり強い印象とともに観たのはニル・ヤルタ―(Nil Yalter)の「Exile Is A Hard Job」展。ヤルターはトルコのフェミニスト・アーティストであり、彼女の最初の仕事のひとつがパントマイムであったり(50年代にインドやイランに入国している)、また、舞台芸術を手掛けたりと、模索的であり型にはまらない。この展示でも、難民たちの生活の写真や何台ものモニターによる映像、キルトによるテントなど、声なき声を先鋭的な声にするようで興味深い。割れたレコードを収集するなど音の記憶の可視化がまた面白い。

あとはコレクション。

アムステルダム市立美術館でも凝視することができた、ルーチョ・フォンタナの裂け目の立体構造。

ヨーゼフ・ボイスのインスタレーション。ふにゃふにゃの電動機がすべてを無力にする。

エドガー・エンデの30年代の作品。ナマで観るのは、昨年、ある法人の中に飾られていて驚いたとき以来である。この謎が謎のまま残された感覚が良い。

マックス・エルンストのフロッタージュ作品。日本での紹介の際、1995年には「月にむかってきりぎりすが歌う」、2010年には「月にむかってバッタが歌う」と訳されている。Sauterelleがきりぎりすなのかバッタなのかわからないが(ここではgrashopperと英訳されている)、いずれにしても、ぞわぞわとしたものが壮大なイメージを創出しており素晴らしい。

パブロ・ピカソの「草上の昼食」。ピカソはマネの傑作をもとにしてさまざまに発展させており、これはその中のひとつだろう。天才の換骨奪胎には笑ってしまうが、それは、もとのマネの絵が大きなイメージの源泉であったことも意味している。小さい頃に画集で観てもなにがおかしくて何が面白いのかピンとこなかったのだが、いや、オトナ向けの作品である。

次にコロンバ美術館に足を運んだのだが、残念ながら休館日。ヴァルラーフ・リヒャルツ美術館に入った。

展示は1階から3階まであり、それぞれ、中世、ゴシック、19世紀。受難や聖血や悪魔の絵などをたくさん凝視したあとに、ルーベンスやレンブラントの深みのある描写をいきなり目にすると、その特別さに驚くものだ。

そしてアルノルト・ベックリン。この過剰にドラマチックで運命的な世界がやはり世紀末である。もちろん中世から近代まですべてを地続きのヨーロッパとして観ていくべきなのだろうけれど。


ブリュージュの中世絵画とビールとフライドポテト

2019-06-04 07:26:05 | ヨーロッパ

ブリュージュには、近くの港町オーステンデでのコンサートを観るために泊まった。とは言えかつて栄華を誇った商業都市であり、美術館や博物館もいくつか覗いた。

この街を訪れる人には、河原温『ブリュージュ』(中公新著)を推薦したい。同書において紹介されている15世紀ブリュージュの代表的画家は、ヤン・ファン・エイク、ぺトルス・クリストゥス、ハンス・メムリンク、ヘラール・ダヴィッドの4人。

ヤン・ファン・エイクの作品はグルーニング美術館に2点ある。かれが妻を描いた肖像画はこちらを冷徹に凝視しておりちょっと怖い。

メムリンクもまた商人がパトロンであったようで、他の多くの画家と同様に宗教画をものしている。かつての病院がいまではメムリンク美術館になっており、そこには洗礼者と使徒のふたりのヨハネを描いた祭壇画がある。右側のパネルにおいては、使徒ヨハネが黙示録のヴィジョンを見出しているのだという。

ダヴィッドの作品としては、グルーニング美術館に、ペルシャのカンビュセス王が不正を行った裁判官の生皮を剥ぐという凄まじい作品がある。ミシェル・フーコー『監獄の誕生』にあるように、近代以前の刑罰は公開での見世物であり、多くの拷問絵画と同様に、これを見つめる人たちの表情は好奇心を隠そうともしていない。当時のブリュージュ市がダヴィッドに発注した絵だという。いや勘弁してください。

グルーニング美術館に所蔵されている作品は幅広い。なかでもヒエロニムス・ボスの「最後の審判」がいきなり目の前に現れて引いた。この人も15-16世紀の画家だが、中世社会の想像力のポテンシャルとはいかなるものだったのかと思う。そういえば、同じベルギーでは、ブリュッセルのベルギー王立美術館でもボスの作品を観ることができる。こちらはむしろブリューゲル父子の作品群に圧倒されるのだが、やはり共通する中世的社会の豊饒さがある。

ミケランジェロもまた同時代、イタリアの盛期ルネッサンス。聖母子像がノートルダム教会の中に展示されている。ちょうど周囲を改装中であり、また遠くて、あまりディテールを観察できなかった。

数百年遡って十字軍の時代。諸侯がエルサレムからイエスの聖血の聖遺物を持ち帰ったということで、その遺物箱が展示されている。このようなイエスの遺物には何種類があるのだろう。

ところでこれらの展示を観て、オーステンデに出向いてコンサートを観て帰り、ベルギーだしビールを愉しもうとバーに入って地元の人やロンドンからの観光客と喋って盛り上がったのだが、想定外に酒がまわってしまい、外に出たら宿に帰れないほどふらふらになった。そんなわけで、翌朝は迎え酒だということで、ビール博物館へ。

これが面白い。いろいろなホップや大麦を手に取って匂いを嗅ぐことができる(前夜に飲んだビールのもあった)。また、タブレットを渡され、館内のあちこちでクイズが出てくる(だいたいは外れた)。そのたびに「しゅぽ」という栓抜きの音が聴こえてきて、テイスティングへの期待が高まる。それがビックリ仰天、テイスティングと言いながら立派なグラスである。ついでなのでチーズとサラミを買って、ランチにしてしまう。美味しゅうございました。

次にフリット博物館に行く。というのもベルギーはフライドポテト発祥の地であり、さらに、フライというもの自体がベルギーで始まったのだとパネルで力説してある。なんでも大戦時に、フランス語を話すベルギー兵士がフライドポテトをも作って供したから、フレンチフライと呼ぶようになったらしい。もとよりアンデス地方原産のじゃがいもは、15-16世紀にヨーロッパに伝わったのだった。その頃の栽培法や調理法の本なんかも展示されている。

そしてわけのわからないポテト関連の展示群。なかでも、電気でガスをスパークさせてポテトを10メートルくらい飛ばすことができるポテト砲には笑った。いや知らないし。

当然、館内にはフライドポテトのコーナーがあった。うまくないわけがない。ビール博物館でのビール3杯とチーズとサラミとクラッカーとフライドポテトでお腹いっぱい。


アムステルダム市立美術館のマリア・ラスニック

2019-06-03 21:48:41 | ヨーロッパ

アムステルダム市立美術館に入ったら、思いがけず、マリア・ラスニックの作品をまとめて多数観ることができた。

マリア・ラスニックはオーストリアの画家であり、2014年に90代半ばで亡くなっている。わたしはその年にNYのMOMA PS1で観て驚かされた。改めて観てもその驚きは大きくはなっても薄れることはない。

まるで別世界で宇宙人を実際に視た人が、憑依したように、その記憶を何十年も再現し続けているようである。そして幻視する自分自身が、宇宙人たちの眼にも重ね合わせられているようだ。ときにそれはゴーグルとなり、ときにカメラとなる。

その他の発見。

ルーチョ・フォンタナの裂け目はかなり立体的な構造となっている。

マリーナ・アブラモヴィッチの自傷的パフォーマンスの映像。身体と直結しているだけに今観てもかなりの痛みを伴う。(90年代に東京でパフォーマンスをやったことがあったが、観なくて後悔した。)

ジャン・デュビュッフェとアスガー・ヨルンによる音楽。デュビュッフェの音源は再発されてもいるけれど、レコードははじめて観た。確かにアール・ブリュットやコブラなどの自由さの文脈で語られもしていて、試聴してみるとなんということもない。


アンドレス・ファイエル『ヨーゼフ・ボイスは挑発する』

2019-03-12 00:39:07 | ヨーロッパ

アンドレス・ファイエル『ヨーゼフ・ボイスは挑発する』(2017年)。UPLINK渋谷にて鑑賞。

わたしがヨーゼフ・ボイスの作品や写真から抱いていたかれのイメージは、強面で、geistが服を着ているような人。驚いた、ボイスが笑っている。そして高踏的でもなんでもなく、あらゆる者に対話とプラクシスとを通じて自らを開いている。

ときにそれは、邦題にあるような「挑発」でもあるだろう。しかしそれは開かれたひとつの形態に過ぎない。かれは「汝の傷を見せよ」と言ったという。それもまた、レヴィナスのような覚悟をもって開かれていた証拠であると思える。

ボイスは素材として脂肪を好んだ。膝の裏側で脂肪をつぶしている場面なんて声を出して笑ってしまう。かれによれば、脂肪は「運動体」「形成過程」を表現するものとして最適だった。そして「思考」を「彫刻」だとも言う。そう、開かれていて動き続けるプロセスは彫刻なのである。であるならば、開かれたことばもまた必要な彫刻にちがいない。

かれが緑の党で疎外されるに至った原因として、映画では、資本主義のことばかりを演説したからだと説明する。いま、環境問題が資本主義問題にほかならないことは常識である。ボイスは早かったのだ。

元気になる映画。みんな観たほうがいいよ。

●ヨーゼフ・ボイス
ロサンゼルスのMOCAとThe Broad
ベルリンのキーファーとボイス
MOMAのジグマー・ポルケ回顧展、ジャスパー・ジョーンズの新作、常設展ペーター・コヴァルト+ローレンス・プティ・ジューヴェ『Off The Road』
ペーター・コヴァルトのソロ、デュオ


田野大輔『愛と欲望のナチズム』

2019-02-26 08:22:34 | ヨーロッパ

田野大輔『愛と欲望のナチズム』(講談社選書メチエ、2012年)を読む。

「退廃芸術」のこともあり、ナチスドイツは性を抑圧していたのかと考えてしまうが、そうではなかった。また、「優性思想」にのみ依拠したものでもなかった。実は矛盾だらけであったことが、本書を読むとよくわかる。 

ナチズムは、旧来の小市民的で「偽善的上品」な性道徳を批判し、性愛を促進した。すなわち、性の「健全」化が指向された。だが、ことは偏ったイデオロギーのみで進むものではない。権力構造の中では欲にまみれた者が続出する。またその権力の形からして、ミシェル・フーコー的な生政治化した。同性愛は迫害された。

そして、こういった権力の形が管理売春に結びつき、一方で、権力の矛盾が市民の渇望と結びついた。要は単に性道徳が崩壊した。そこにはナチズムが重視した人種差など関係なかった。

「「民族の健全化」を標榜し、性的不道徳の一掃につとめたはずの政権のもとで、かくも無軌道な男女関係が幅をきかせるようになったのは、いったいどういうわけだろうか。それはもしかすると、ナチズムによる性生活への介入の、ある種の逆説的な帰結だったのではないか。」

人間の性を国家目的(生産)に動員させようとする社会など、ろくなものにはならないという歴史的教訓である。それでは「家族」という縛りを「生産」に結び付けようとする日本社会はどうか。

●参照
芝健介『ホロコースト』
飯田道子『ナチスと映画』
クロード・ランズマン『ショアー』
クロード・ランズマン『ソビブル、1943年10月14日午後4時』、『人生の引き渡し』
ジャック・ゴールド『脱走戦線』ジャン・ルノワール『自由への闘い』
アラン・レネ『夜と霧』
マーク・ハーマン『縞模様のパジャマの少年』
ニコラス・フンベルト『Wolfsgrub』
フランチェスコ・ロージ『遥かなる帰郷』
ミック・ジャクソン『否定と肯定』マルガレーテ・フォン・トロッタ『ハンナ・アーレント』
マルティン・ハイデッガー他『30年代の危機と哲学』
徐京植『ディアスポラ紀行』
徐京植のフクシマ
プリーモ・レーヴィ『休戦』
高橋哲哉『記憶のエチカ』
クリスチャン・ボルタンスキー「アニミタス-さざめく亡霊たち」@東京都庭園美術館
クリスチャン・ボルタンスキー「MONUMENTA 2010 / Personnes」


大野英士『オカルティズム』

2019-02-16 19:19:34 | ヨーロッパ

大野英士『オカルティズム 非理性のヨーロッパ』(講談社選書メチエ、2018年)。

著者には『ユイスマンスとオカルティズム』という大著がある。それは、19世紀の作家J・K・ユイスマンスが展開した世界をもとに、フランス革命による「王殺し=父殺し=神殺し」が、キリスト教のマリア信仰やオカルティズムを生み出したのだということを示すものだった。一見異端で禍々しく見えるものであっても、それらは歴史の因果関係において相互につながっている。

そのこともあって、本書を読むにあたり、ユイスマンスの悪魔主義の作品『彼方』(1891年)と、ノーマン・メイラーがそれをシナリオ作品にした『黒ミサ』(1976年)を読んで、オカルトへの熱狂に頭を馴らし、準備体操とした。しかし、本書の扱う範囲ははるかに広い。

17世紀のフランスにおいて、黒ミサが教会の異端審問によってではなく国家権力によって、またあやしげなものだった薬が国家管理の手に移された。これが権力構造の大転換だとしても、その後も、非理性・非科学は近代オカルティズムとして命脈を保ち続けている。ときには科学者たちが真剣に取り組む対象でもあった。現代のそれは「超能力」であったり、「超常現象」であったりとさまざまだ。

著者は歴史を遡る。16世紀ルネサンスのオカルティズムは、マクロコスモスとミクロコスモス、いろいろな相が「相似」であることを見出す言説に依拠していた。そしてもっと踏み込み、ルネサンスとは単なるギリシャ・ローマの世界の復興ではなく、古代魔術の復興に他ならなかったとする。掘り起こされた古代においては、ヘルメス・トリスメギストスの権威がかなり高く位置付けられていた(プラトンよりも)。ルネサンス魔術が招喚しようとする存在はヘルメス学だけではなく、力を降霊術によって呼び出すカバラーなど、さまざまなものがあった。魔女狩りは16世紀後半から荒れ狂うわけだが、悪魔崇拝とは、体系的な民間信仰が悪魔学のイデオロギーで歪められた結果であったのだ、とする。

その後、悪魔は、19世紀初頭のゲーテ『ファウスト』がそうであるように、真実味の乏しい意匠にまで転落した。だからと言って単なる時代的熱狂であったわけではない。19世紀を通じて、思想や宗教や生活は、科学の発展と非理性への憧れとの間で常に引き裂かれることとなった。19世紀に流行した「流体」信仰(プラスやマイナスの精神が人の間を行き来する)、聖母出現、心霊術は、その結果ということだろうか。また現代に至っても、その自我の引き裂かれが、人の数だけ存在する妄想的世界観として乱立している。

しかし、それは単なる現象ではない。著者の言うのは、この変遷や闘いや引き裂かれは、人間の欲望の反映だということだろう。

「キリスト教という、西欧にとって知的・「霊」的生活を律してきた啓示宗教が、唯物主義、進化論等、近代そのものともいえる「世俗化」によって、命脈を絶たれた後、なお、死後の生を信じ、霊魂の不滅を信じるために、唯物主義・進化論を作りだした主導思想である「実証科学」を逆手にとって、なおも、「宗教」を持続させたいという人々の意志が、近代オカルティズムを現代まで行き延びさせているとはいえまいか?」

ところで、ユイスマンスは『彼方』を発表した後、ユダヤ陰謀史観をはっきりと打ち出すようになったという。ここにきて、オカルティズムとホロコーストとの関係が少し見えてきて、慄然とさせられる。19世紀オカルティズムの行き着いた先には、「陰謀論」も「全体主義的社会」もあったのだ。それさえも単なる反動ではなく、欲望のひとつのあらわれであった。

●参照
大野英士『ユイスマンスとオカルティズム』
J・K・ユイスマンス『さかしま』
グッゲンハイム美術館のマウリツィオ・カタラン「America」、神秘的象徴主義、ブランクーシ