Sightsong

自縄自縛日記

若林正丈『台湾の半世紀』

2024-05-04 09:49:58 | 中国・台湾

若林正丈『台湾の半世紀』(筑摩選書、2023年)。

研究者が自身の研究活動における実感とともに振り返る台湾の半世紀。

とくに李登輝の評価が興味深い。結果的には蔣経国から権力継承されたとはいえ、外省人エリートからすればかれは本省人の従属エリートに過ぎなかった。李登輝は司馬遼太郎との対談で「台湾人として生まれた悲哀」という発言をしたというが、その極めて難しいポジションは戦時からつながる台湾のアンバランスさを象徴するものだったのかもしれない。

そして陳水扁はさらにその先をいった。民進党からはじめて総統に選出された陳は、本省人で貧農の家の出身、猛勉強してエリート層に入ったという「戦後台湾の子」。それゆえに、「国民党の体制側の人物たちからみれば、強烈な台湾なまりの「国語」を話す、まったくのアウトサイダー・エリートだったのである」と。

今月には蔡英文のあとを継いで頼清徳が総統就任。

●参照
新井一二三『台湾物語』
何義麟『台湾現代史』
丸川哲史『台湾ナショナリズム』
佐谷眞木人『民俗学・台湾・国際連盟』
黄銘正『湾生回家』
ウェイ・ダーション『セデック・バレ』
侯孝賢『非情城市』
Sakurazaka ASYLUM 2013 -TAIWAN STYLU-
デイヴィッド・ダーリング+ウールー・ブヌン『Mudanin Kata』
Panai『A Piece of Blue』、Message『Do you remember the days when we could communicate with ...』
趙暁君『Chinese Folk Songs』二二八国家記念館、台北市立美術館、順益台湾原住民博物館、湿地、朋丁、關渡美術館(、当代芸術館)


Eri Liao 家族会議 presents 台湾原住民族タイヤル族・リムイ アキ著『懐郷』読書会+ミニライヴ@渋谷Li-Po

2023-11-26 22:39:44 | 中国・台湾

渋谷のLi-Po(2023/11/26、マチネ)。

台湾原住民・タイヤル族のリムイ・アキが書いた小説『懐郷』(台湾では先住民族のことを原住民と称する)。ここに登場する男たちは救いようがないほど乱暴で、酒に溺れ、妻を人間でないかのように扱う。男性としては我が身を責められているようでつらい―――そんな行動はしていないとしても。その「許してくれない」感覚こそが、これまでマイノリティ文学が女性目線で書かれてこなかったことの裏返し。在日コリアン文学にもそのようなところがある、梁石日とか、というコメントがあった(そういえば、李恢成だってそうだ)。

以前、エリ・リャオさんがアントニオ・カルロス・ジョビンのボサノヴァをタイヤル語で歌ったときには驚いた。それは外部での表現であり、「当事者」を代表しているわけでも背負っているわけでもない。『懐郷』でもまた、図式的なキャラの当てはめが回避されているという。大文字で語ることと回避すること、当事者性を引き受けることと回避すること、正解はないしバランスを取ろうとする行動すら正しいかどうかわからない。

たとえば他の原住民・アミ族やパイワン族の中にはみんなで一緒に愉しく声を合わせる歌があるのに対し、なぜかタイヤル族の歌はひとりで呟くようなものだという(エリさん曰く、フリースタイルのラップのような)。山の中で相互の行き来が難しいからこその文化のありようで、おもしろい。タイヤル族は口琴も多く使う。

それどころか日本の歌謡曲のレコードを買ってきてみんなで聴いたり(<骨まで愛して>など)、自ら日本の歌を作ったりもすることもあったという。もちろんここには日本の統治時代の影響がある。蕃童教育所(「蕃」とは未開、未開の子どもを教育するなんて酷い名前)では日本の唱歌も教えていた。ところでなぜみんなで聴いたかというと、市場経済・貨幣経済が浸透しておらず、豚肉もレコードもだれかが買い、山に持ってあがり、共有していたからだ。(このあたり、沖縄のゆいまーるや共同売店を想起させるところがある。)

そのような話をした。最後にエリさんのライヴ。

Fuji X-E2, Leica Elmarit 90mmF2.8 (M)

●エリ・リャオ
エリ・リャオ・インタビュー(Taiwan Beats)(2023年)
エリ・リャオ+太田朱美+伊藤志宏@成城学園前Cafe Beulmans(2023年)
音楽詩劇研究所・ユーラシアンオペラ2022「A Night The Sky was Full of Crazy Stars」@SHIBAURA HOUSE(2022年)
エリ・リャオ+河崎純~台湾歌@ココシバ(2022年)

●台湾原住民
新井一二三『台湾物語』
何義麟『台湾現代史』
丸川哲史『台湾ナショナリズム』
佐谷眞木人『民俗学・台湾・国際連盟』
黄銘正『湾生回家』
ウェイ・ダーション『セデック・バレ』
侯孝賢『非情城市』
Sakurazaka ASYLUM 2013 -TAIWAN STYLU-
デイヴィッド・ダーリング+ウールー・ブヌン『Mudanin Kata』
Panai『A Piece of Blue』、Message『Do you remember the days when we could communicate with ...』
趙暁君『Chinese Folk Songs』二二八国家記念館、台北市立美術館、順益台湾原住民博物館、湿地、朋丁、關渡美術館(、当代芸術館)


東京媽祖廟

2023-08-20 08:34:21 | 中国・台湾
媽祖は台湾・中国沿海部の航海・漁業の女神で、海の交易ルートに沿って祀られている。日本にも到来していて、青森の大間では鹿児島から伝えられて合祀され、沖縄では天妃と名前を変えて那覇の天妃小学校にその名前を残している(ということを拙著『齋藤徹の芸術』にも書いた)。
きのう大久保に行く用事があったので、台湾の華僑が2013年に建設した東京媽祖廟に参拝してきた。1階で線香を買い、4階まで順に。名前と住所と生年月日を口に出して祈願をする。3階の媽祖は中国のピンク顔、台湾の黒い顔と金色顔。なお1階にはあの関羽、4階には観音。
 
 
 
Fuji X-E2, Pentax FA77mmF1.8 (PK)

エリ・リャオ+河崎純~台湾歌@ココシバ

2022-05-29 22:31:02 | 中国・台湾

蕨のココシバ(2022/5/29)。

Eri Liao エリ・リャオ (vo)
Jun Kawasaki 河崎純 (b)

エリ・リャオさんは台湾原住民のタイヤル族(台湾では先住民のことを原住民と呼ぶ)。エリさんにとっても台湾を離れている間にアイデンティティを見つめた上で山地同胞から原住民へと呼称が変わり、驚きでもあったと話す。16民族のことばがあり、さらに台湾語も大陸のさまざまなことばもある。エリさんは、テレサ・テンも歌った<高山青>から始め、ブヌン族、プユマ族、ツォウ族、アミ族のうたなどを披露する。意味がわかるとおもしろいし、かけあいばかりのうたも愉しい。

興味深いことは、日本の影響がさまざまなかたちでみられることだ。日本占領時代に日本の音楽教育を受けたエリートがいた。ツォウ族の高一生は通名が矢多一生であり、日本の民謡などからの影響を受けていた。あるいは他のうたにもちょっとした日本語が歌詞に入っていたりもする。懐メロの<星の流れに>などは若い人たちも歌っているそうだ。負の歴史でもあり、生の過程でもあり、それらをうたを通して追体験する。

エリさんの声は一様ではない。喉歌のように倍音を効かせることもあるし、敢えて弱くヴァルネラブルなときもある。河崎純さんのコントラバスもまたうたへの近づきようが繊細だった。台湾のうたにおいても、また河崎さんがル・クレジオや宮沢賢治などを想像しながら作ったメタ的な民族音楽においても。

河崎さんはエリさんをヴォーカリストとして新たなプロジェクトを行うそうで、ちょっとこれは新しい楽しみができた。

Fuji X-E2, AM Topcor 55mmF1.7

●河崎純
河崎純 feat. ジー・ミナ『HOMELANDS – Eurasian Poetic Drama –』(JazzTokyo)(2018年-)
ユーラシアンオペラ東京2018(Incredible sound vision of Eurasia in Tokyo)@スーパーデラックス(2018年)


エドワード・ヤン『クーリンチェ少年殺人事件』再見

2020-04-07 07:39:55 | 中国・台湾

エドワード・ヤン『クーリンチェ少年殺人事件』(1991年)を再見した。

公開後権利関係の理由だとかで観ることが困難な時期が長く続いて、当時、わたしは香港のセラーからVCD(アジアで普及した、そのようなものがあった)を買って観た。4枚組とは言え画質がとても悪く、英語字幕もあまり読み取れなかった。それでも傑作だとわかった。3年ほど前にリバイバル上映があったときには満員で入れなかった。そんなわけで、amazon primeにあることを知って嬉しかった。

戦後の台湾における外省人と内省人との軋轢。これを直接的なドラマではなく、子どもという複雑でどう変化するかわからないフィルターを通して描いたことがユニークである。

そして、画面の細部から得られる印象はとても大きい。固定した引きの撮影で、自分ではどうにもならず把握さえできない大きな歴史の中に置かれた者たちの姿を描いている。広角レンズを多用し、被写界深度の深さにより、壁や痕跡や人を同列に見せるのも良い。引きによるかれらとの間の空気感は、時間の積み重なりを感じさせる効果を与えているように思える。

やはり大傑作だった。

●エドワード・ヤン
エドワード・ヤン『恋愛時代』(1994年)
エドワード・ヤン『クーリンチェ少年殺人事件』(1991年)


チェン・ユーシュン『ラブゴーゴー』

2019-09-25 08:05:10 | 中国・台湾

福岡で時間が空いて、福岡アジアフィルムフェスティバルで上映していたチェン・ユーシュン『ラブゴーゴー』(1997年)。

台湾。先のことを考えられない若者たち。オチも何もない支離滅裂さが台湾の空気のなかであちこちに粘着する。かなり面白かった。これに先立つ『熱帯魚』も観てみたい。


新井一二三『台湾物語』

2019-06-15 21:56:20 | 中国・台湾

新井一二三『台湾物語 「麗しの島」の過去・現在・未来』(筑摩選書、2019年)を読む。

なるほど、台北を見て台湾を見た気になってはいけないということがよくわかる。台北は歴史的には外省人の都市、国民党の都市。しかし台北とそれ以外との対比はそう簡単ではないし、また、実際に交通インフラが整って住民にとっての距離が近くなったのは、比較的最近だということもまたわかる。

海の神・媽祖についての記述も面白かった。華南一帯における民間信仰の対象だが、マカオの名前の由来になったことは知らなかった(媽祖を祀った廟である媽閣から来ているという)。媽祖は海の交易ルートに沿って祀られており、東南アジアから沖縄、さらには青森の大間にまでたどり着いている(姫田光義編『北・東北アジア地域交流史』)。何年か前には大久保にも媽祖廟ができた。本郷義明『徐葆光が見た琉球』によれば、沖縄では媽祖のことを「天妃」と称し、渡来後の中国人が礼拝していた。いま、天妃宮の跡は、那覇の天妃小学校に残る。なお本書によれば、香港では「天后」と称する。すなわち、台湾も沖縄も中国沿岸も、海からの視線で視なければならない。

●参照
何義麟『台湾現代史』
丸川哲史『台湾ナショナリズム』
佐谷眞木人『民俗学・台湾・国際連盟』
黄銘正『湾生回家』
ウェイ・ダーション『セデック・バレ』
侯孝賢『非情城市』
Sakurazaka ASYLUM 2013 -TAIWAN STYLU-
デイヴィッド・ダーリング+ウールー・ブヌン『Mudanin Kata』
Panai『A Piece of Blue』、Message『Do you remember the days when we could communicate with ...』
趙暁君『Chinese Folk Songs』二二八国家記念館、台北市立美術館、順益台湾原住民博物館、湿地、朋丁、關渡美術館(、当代芸術館)


二二八国家記念館、台北市立美術館、順益台湾原住民博物館、湿地、朋丁、關渡美術館(、当代芸術館)

2019-04-27 09:45:27 | 中国・台湾

台北にいる間に、いくつか美術館・博物館を覗いた。

■ 二二八国家記念館

1947年2月28日の二二八事件について展示がなされている。中国本土からの外省人による白色テロであり、かつての国家権力による汚点を自ら晒すことは日本にはない。

事件と直接の関係はないものの、日本による植民地支配も多く展示されており、皇民化教育のひどさが迫ってくる。高砂族を特攻隊として死なせたことなど日本ではあまり知られていない。

また、事件の犠牲者たちが名前と肖像写真とともに並べられているのだが、写真が無い者も多い(おそらくは名前がわからない者も)。記憶の継承は容易ではない。

帰国してから気が付いたのだが、二二八和平公園内に台北二二八和平紀念館という別の場所がある。今度はぜひ行ってみなければ。

■ 台北市立美術館

ふたつの展示。

于彭(Yu Peng)は台北生まれのアーティストであり既に故人。水墨画や版画を多く手掛けている。はじめは散漫にも思えて流すように観ていたのだが、ふと、その情報過多の世界がロシア・アヴァンギャルドのフィローノフにも共通する無限のミクロコスモスに視えてきた。

「Musica Mobile」は音楽のさまざまなあり方を提示する企画展。手を叩くと反応して光を放ちながら笑うスマホの森(Stephane Borrelらによる「Smartland Divertimento」)など面白かった(>> 動画)。スマホ用アプリもあるのでヒマな方はどうぞ。

なかでもとりわけ素晴らしいなと思った展示は、李明維(リー・ミンウェイ、Lee Mingwei)による「四重奏計画」である。暗い部屋の中に4つの衝立があり、それぞれの向こうがぼんやりと光って、弦楽器を奏でている。視えない存在と音楽という観点に奇妙に動かされた。

■ 順益台湾原住民博物館

先住民族(台湾では原住民と呼ぶ)についての博物館。小さいながらなかなか充実していて勉強になる(図録も買った)。

楽器の展示場所で流れるようになっている。なかでもタイヤル族のロボ(口琴)は弾く板が複数あり、かなり巧妙に作られていた。また鼻笛というものもあった。

博物館前の公園には、先住民族たちの彫像(石板)があった。

■ 湿地

ちょうど市内のいくつかのギャラリーが連動した写真展をやっていて、そのひとつ。風呂に乱暴に写真が置いてあったりと工夫が凝らされている。もっとも、若い人たちの意欲以上のものではなかったが。

■ 朋丁

1階が本屋とカフェ、2階と3階が展示室。デイヴィッド・シュリグリー(David Shrigley)のシニカルな作品はいちいち笑える。

■ 關渡美術館(KdMofa)

大学の敷地内にある美術館。いくつも小さい展示があった。なかでも「On Demand」展は楽しめた。アーカイヴから複数の映像が壁に映写されており、また、PCでは、文字通りオンデマンドで映画を観ることができるようになっている。ヴィム・ヴェンダース『東京画』があり、つい最後まで観てしまった。

■ 当代芸術館(MOCA Taipei)

現代美術をこそ観たかったのだが、ちょうと工事中だった。残念。


譚璐美『帝都東京を中国革命で歩く』

2019-03-19 01:05:55 | 中国・台湾

譚璐美『帝都東京を中国革命で歩く』(白水社、2016年)を読む。

かつて清国から日本に多数の留学生が来ていた時代があった。欧米への留学がうまくいかなかったからでもあるが、日本がアジアの中でいち早く近代化を進めたからでもあった。日清戦争に敗れたのはそれが理由だと見なしたからであり、また、自国はいまだ列強にやられ続けていた。

それは最初から矛盾をはらんでいた。いずれは日本も自国への侵略を強めてくることは明らかだったし、実際にそうなった。清国打倒は同床異夢なのだった。

しかしいずれにせよ、その特殊な一時期、日本は中国革命の後背地となっていた。辛亥革命も、また袁世凱を相手にした第二革命も。(大島渚『アジアの曙』はこのあたりの時期を描いている。)

本書には、魯迅、孫文、黄興、周恩来、秋瑾といった面々が、若い頃、東京に住んだときの様子が書かれている。革命に成功したときには東京でも肩で風を切るように歩いていたというし、日本が中国を侵略しはじめると抗議のため自国に戻ったりもしている。夢、先の見えない恐ろしさ、怒り、そんなものが混ざりあった雰囲気だったのだろうか。頭山満、宮崎滔天ら日本のアジア主義者も共鳴していたようだ。

興味深いというべきか、やはりというべきか、そのような社会でのリベラルな日本人であっても、中国を下にみくだすパターナリズムが既にあった。講道館柔道の嘉納治五郎は、中国人留学生も受け入れる学校を開いた教育者でもあったが、かれは中国人留学生との議論で激昂してこう言い放ったという。1902年のことである。その後の傀儡国家を通じた侵略と支配の道はもう敷かれていたということか。

「中国の国体は、「支那人種」が「満州人種」の下に屈服することで成り立っており、この名分にはずれてはならぬのである。ゆえに、「支那人種」の教育は、「満州人種」に服従することをその要義とする……この(支那人種の)民族性は長い間にできあがってしまったものなのだ。」

●参照
岡本隆司『袁世凱』
菊池秀明『ラストエンペラーと近代中国』
ジャッキー・チェン+チャン・リー『1911』、丁蔭楠『孫文』(辛亥革命)
大島渚『アジアの曙』(第二革命)
尾崎秀樹『評伝 山中峯太郎 夢いまだ成らず』(第二革命)
武田泰淳『秋風秋雨人を愁殺す』(秋瑾)
汪暉『世界史のなかの中国』
汪暉『世界史のなかの中国』(2)
中塚明・井上勝生・朴孟洙『東学農民戦争と日本』
井上勝生『明治日本の植民地支配』
玉居子精宏『大川周明 アジア独立の夢』
満州の妖怪どもが悪夢のあと 島田俊彦『関東軍』、小林英夫『満鉄調査部』
森島守人『陰謀・暗殺・軍刀』
大城立裕『朝、上海に立ちつくす』(東亜同文書院)


「Art and China after 1989 Theater of the World」@サンフランシスコ近代美術館

2019-01-20 16:51:19 | 中国・台湾

サンフランシスコ近代美術館(SF MOMA)は巨大で、各階を観てまわるのに時間がかかった。ブラッサイやゲルハルト・リヒターなどの展示が充実していた。特に今回面白かったのは、最上階での「Art and China after 1989 Theater of the World」。

文字通り、第二次天安門事件以降の中国のアートを紹介したものである。直接的な抵抗のアートも多いし、示唆によってあらゆるタイプの権力を無化しようとするアートもある。

林天苗(Lin Tianmiao)の「Sewing」(1997年)。ミシンが糸で出来ていて、操作する様子が映像で映し出される。

林一林(Lin Yilin)の「Safely Maneuvering across the Linhe Road」(1995年)。重いブロックを持って道路を横切りひたすらに積み直し続ける映像であり、徒労感が半端ない。「アジアにめざめたら」@東京国立近代美術館でも紹介されていた。

黄永砅(Huang Yong Ping)の「The History of Chinese Painting and a Concise History of Modern Painting Washed in a Washing Maschine for Two Minutes」(1987/1993年)。これもまた徒労感アート。すべてを無にする要請があった。

蔡國強(Cai Guo-Quang)の有名なキノコ雲プロジェクト(1996年)。その前年に構想のために作られたキノコ模型や火薬の焦がし。

艾未未(Ai WeiWei)の「Names of the Student Earthquake Victims Found by the Citizens' Investigation」(2008-11年)。四川大地震の犠牲者数は当局により伏せられたが、かれは160人のボランティアを使い、学生の犠牲者を調べ上げ、リストを作品とした。記録こそが現代の呪術である。

●参照
「アジアにめざめたら」@東京国立近代美術館(2018年)
横浜美術館の蔡國強「帰去来」展(2015年)
ドーハの蔡國強「saraab」展(2011-12年)
燃えるワビサビ 「時光 - 蔡國強と資生堂」展(2007年)
『なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか』
ナショナル・アカデミー美術館の「\'self\」展(艾未未)(2015年)
北京798芸術区再訪 徐勇ってあの徐勇か(艾未未)(2010年)


デイヴィッド・ダーリング+ウールー・ブヌン『Mudanin Kata』

2018-12-05 08:18:03 | 中国・台湾

デイヴィッド・ダーリング+ウールー・ブヌン『Mudanin Kata』(Panai、2002年)を聴く。

David Darling (cello)
ウールー村のブヌン(布農)族 (chorus)

ブヌン(布農)族は台湾原住民(先住民のことをそう称する)のひとつであり、昔から混成合唱に秀でていたという。本盤はチェロのデイヴィッド・ダーリングが2002年に現地で共演したときの記録。

いきなり子どもたちのコーラスがあって驚く。耳の奥に引っかかる低音がダーリングのチェロ。それだけではなく色々な人が登場して、鳥や風など自然の音が聴こえる中で、多彩なコーラスを披露する。ダーリングは気持ちよさそうに溶け込み、異物を異物としてチェロを弾く。意図的な出会いであることを隠さないことによって、作為的でない気持ち良い音楽となっている。

●参照
Sakurazaka ASYLUM 2013 -TAIWAN STYLU-
(2013年)
Panai『A Piece of Blue』、Message『Do you remember the days when we could communicate with ...』(2008年)


Panai『A Piece of Blue』、Message『Do you remember the days when we could communicate with ...』

2018-11-09 23:27:22 | 中国・台湾

台湾原住民の音楽2枚。(先住民のことを台湾では原住民と呼ぶ。)

■ Panai『A Piece of Blue』(Panai、2008年)

Panai Kusui(巴奈庫穗)は台湾のシンガーソングライターであり、両親はプユマ族とアミ族。彼女は台湾原住民がもともと住んでいた土地に関する権利を主張する運動家でもある。

ここで唄われるのは感傷や人への気持ちが多い(歌詞に英語の対訳もあった)。少しかすれていて、少し沈んで、少し太い声。それで落ち着いて唄っていて、やはりグッとくる。5年前に沖縄で彼女のステージを観たときのことを思い出した。

■ Message『Do you remember the days when we could communicate with the mountains, the ocean, the forest, the soil and the spirits of our ancestors?』(Panai、2008年)

Messageは台湾原住民たちで結成されたグループであり、那覇でのライヴのときにも3人がPanaiとともに演奏した。より自分たちのルーツや、過去の労苦や(日本に土地を追われたことも含まれている)、生活なんかのことを唄っている。これがまた無骨で意思に満ちていて素晴らしく、笛が入るととても説得力がある。そして7曲目にPanaiが入ると華やかになる。

●Panai & Message
Sakurazaka ASYLUM 2013 -TAIWAN STYLU-(2013年)


ダンテ・ラム『オペレーション:レッド・シー』

2018-09-04 07:24:15 | 中国・台湾

帰国する飛行機の中で、ダンテ・ラム『オペレーション:レッド・シー』(2018年)を観る。

仮想の国名を使ってはいるが、紅海とイエメンが舞台である。中国海軍は海賊と戦い、また、イエメン国内で人質となった同胞の救助を行う。

ダンテ・ラムはエンタテインメントの作り手としては冴えない。ここでも兵士間の友情や使命感といったべたべたの俗を使うだけであり、まったく大したことはない。狙撃の銃弾の軌跡をCGで描写しているが、これもまた、工夫などはない。そして映画としてはどうしようもない軍隊のプロパガンダとなっている。

よくまあこんなくだらない映画を作ったね。軽蔑。

●ダンテ・ラム
ダンテ・ラム『魔警』(2014年)
ダンテ・ラム『コンシェンス/裏切りの炎』(2010年)


安田峰俊『八九六四 「天安門事件」は再び起きるか』

2018-06-06 07:25:43 | 中国・台湾

安田峰俊『八九六四 「天安門事件」は再び起きるか』(講談社、2018年)を読む。

「八九六四」、すなわち、1989年6月4日に、第二次天安門事件における大弾圧が起きた。多くの市民が殺された。

本書は、それに何かの形で関わった人たちに直接インタビューを行い、ナマの声を集めたものである。潰された死体を視た者もいた。電波ももちろんネットも届かない地方で運動を行っており、それを視ていない者もいた。わたしは当時の若者たるかれらと同世代だが、何が起きているのか理解できずテレビを呆然として視ていたが、情報の量という点でいえば決して少なかったとは言えない。それほど「視える」ものに濃淡がある時代だった。

とは言え、本書を読むと、その後、かれらの多くは同じような波に呑みこまれているように思える。すなわち、中国は経済開放・経済発展に大きく舵を切り、大きな豊かさを手に入れた。共産党独裁は良くも悪くも続き、むしろ習近平政権となってから情報統制が強化されている。若い知識人が、現実を知らぬまま、ピュアに後先考えず突き進んだ運動だったとの冷めた見方さえ共有されているようだ。仮にそうでなかったとしても、現実の生活を前にしては大した意味を持たない。成熟か、退行か、それもまたどちらでもよいというわけである。

もちろん世界は均一ではない。ここには、妥協を選んだ多くの人たちとともに、事件後にネット情報などで「真実に目覚めた」人や(ネトウヨのように)、全てを失いつつもなお動き続ける人や(容赦なく弾圧されている)、台湾やアメリカといった別の活動の地を選んだ人も登場する。やはり中国の力が増強されている香港において、日本と同様かそれ以上に極端な左右の動きが出ているということにも注目すべきである。

やはり「現実」にかなりの哀しさを覚えてしまうのだが、そればかりではない。事件がなかったら、世界の民主化はこのようには進まなかった。台湾のヒマワリ学運の成功は、実は事件の教訓が活かされてのことだった可能性があるという(逆に、香港の雨傘革命においては事件を悪いようになぞってしまった)。また本書に書かれているわけではないが、事件のあと、中国から派遣されたある代表団が、ベルリンのホテルに宿泊した。市民がそれを知り、抗議のデモをはじめた。やがて抗議の目標はドイツ政府や党に向けられ、ベルリンの壁の打ちこわしが始まった、という話もあったようだ(竹内実『中国という世界』)。

事件のことを、記憶と思索の領域になんどでも浮上させなければならない。

●参照
加々美光行『未完の中国』
加々美光行『裸の共和国』
加々美光行『現代中国の黎明』 天安門事件前後の胡耀邦、趙紫陽、鄧小平、劉暁波
加々美光行『中国の民族問題』
L・ヤーコブソン+D・ノックス『中国の新しい対外政策』
国分良成編『中国は、いま』
稲垣清『中南海』
ダイヤモンドと東洋経済の中国特集
白石隆、ハウ・カロライン『中国は東アジアをどう変えるか』
『世界』の特集「巨大な隣人・中国とともに生きる」
『情況』の、「現代中国論」特集
堀江則雄『ユーラシア胎動』
天児慧『中華人民共和国史 新版』
天児慧『中国・アジア・日本』
天児慧『巨龍の胎動』
汪暉『世界史のなかの中国』
汪暉『世界史のなかの中国』(2)
加藤千洋『胡同の記憶』
藤井省三『現代中国文化探検―四つの都市の物語―』


『南京事件 II』

2018-05-20 10:13:49 | 中国・台湾

「NNNドキュメント'18」枠で放送された『南京事件 II』(2018/5/20再放送)を観る。『南京事件 兵士たちの遺言』(2015/10/4)の続編である。

前回から、清水潔ディレクターらのもと、さらに取材が進められてきたことがよくわかる。もちろんそれは歴史研究の積み重ねという観点では当然の結果ともいうことができる。

●敗戦直後から、陸軍は連合軍からの戦争犯罪の追及をおそれ、内部資料を焼却した。市ヶ谷では3日間煙が立ちのぼり続けたという。しかし戦後になって、その燃え残りが発見された。やはり、南京攻略の資料が燃やされた中にあったことが裏付けられた。
●となると、一次資料として、前回で紹介された陸軍の歩兵第65連隊の従軍日誌がさらに重要視される。その分析が、前回から進められている。
●すでに非武装・非抵抗の住民を殺すことは国際法で禁止されていた。だが、日本軍は住民を集め、機関銃や銃剣で虐殺した。
●これに対し、実は武装していたのだという反論があった。しかし、それはあり得なかったことが、従軍日誌からわかった。
●また、いちどは川に逃がしたが向こう岸からの銃撃に驚いた住民たちが戻ってきて反乱を起こし、それに対し自衛するために殺したのだという反論もあった。しかし、この歴史修正主義的な言説にはルーツがあった。すなわち、南京事件否定の本はだいたいは60-70年代に出てきた本(鈴木明『「南京大虐殺」のまぼろし』、1973年など)を根拠としており、それらの本は1960年代に65連隊長であった両角業作氏が福島の地元紙に寄せたインタビューを原典としていた。しかし、両角氏は虐殺現場には立ち会っておらず、後付けで自身の免罪のために話したものであった。

なるほど、怪しげなネタをもとにした歴史修正主義は、地道な一次資料で潰していかねばならないということである。素晴らしいドキュメンタリーだった。

●南京事件
清水潔『「南京事件」を調査せよ』
『南京事件 兵士たちの遺言』(2015年)
『従軍作家たちの戦争』、笠原十九司『南京事件論争史』
陸川『南京!南京!』
盧溝橋(「中国人民抗日戦争記念館」に展示がある)
テッサ・モーリス=スズキ『過去は死なない』(歴史修正主義)
高橋哲哉『記憶のエチカ』(歴史修正主義)

●NNNドキュメント
『南京事件 兵士たちの遺言』(2015年)
『ガマフヤー 遺骨を家族に 沖縄戦を掘る』(2015年)
『9条を抱きしめて ~元米海兵隊員が語る戦争と平和~』(2015年)
『“じいちゃん”の戦争 孫と歩いた激戦地ペリリュー』(2015年)
『100歳、叫ぶ 元従軍記者の戦争反対』(2015年)
『日本地図から消えた島 奄美 無血の復帰から60年』(2014年)
大島渚『忘れられた皇軍』(2014年)
『ルル、ラン どこに帰ろうか タンチョウ相次ぐ衝突死』(2013年)
『狂気の正体 連合赤軍兵士41年目の証言』(2013年)
『活断層と原発、そして廃炉 アメリカ、ドイツ、日本の選択』(2013年)
『沖縄からの手紙』(2012年)
『八ッ場 長すぎる翻弄』(2012年)
『鉄条網とアメとムチ』、『基地の町に生きて』(2008、11年)
『沖縄・43年目のクラス会』(2010年)
『風の民、練塀の街』(2010年)
『証言 集団自決』(2008年)
『ひめゆり戦史』、『空白の戦史』(1979、80年)
『毒ガスは去ったが』、『広場の戦争展・ある「在日沖縄人」の痛恨行脚』(1971、79年)
『沖縄の十八歳』、『一幕一場・沖縄人類館』、『戦世の六月・「沖縄の十八歳」は今』 (1966、78、1983年)