Sightsong

自縄自縛日記

『Jazz in Denmark』 1960年代のバド・パウエル、NYC5、ダラー・ブランド

2011-08-31 23:20:17 | アヴァンギャルド・ジャズ

『Jazz in Denmark』(Marshmallow Export)を観る。何年か前に出回った時に入手しそびれていたDVDである。ディスクユニオンで中古盤を見つけた。

ここには、1960年代にアマチュアによって撮られた3本のモノクロフィルムが収められている。3本合計しても30分強に過ぎない。

『Stopforbud』(1962年)は、デンマークの街や公園や港やごみ捨て場を放心したように徘徊するバド・パウエルを捉えている。タイトルは「バドを止めろ」とデンマーク語の「一時停止」を引っかけたもののようだ。既に全盛期を過ぎてしまったバドだが、「I'll Keep Loving You」をバックにした映像では、何とも表現しがたい凄みを静かに体現しているように見えるのは贔屓目か。このときまだ40歳にもなっていないはずだ。

短いフィルムの後半では、演奏風景にデクスター・ゴードンがコメントの声をかぶせている。バドがフランスに滞在していたときのエピソードをもとに作られた映画『ラウンド・ミッドナイト』(ベルトラン・タヴェルニエ)において主演したのが他ならぬデックスだっただけに、奇妙な縁を感じてしまうのは仕方ないところだ。デックスは、「40年頃にクーティ・ウィリアムスのビッグバンドで弾いていたときから、バド・パウエルを見ていたよ。それから、ディジー・ガレスピー、チャーリー・パーカー、セロニアス・モンクらと一緒にビバップをやって・・・イノヴェーターだったよ。マイクに向かって、ジョージ・シアリングは1週間に3000ドルもらえるのに、私は黒人だから最低額なんだ、と呟いていたんだよ。」と思い出を語る。切ないな。

甘い映像ながら、素早く動く右手と和音をかぶせる左手を捉えている。晩年のバドも発酵した魅力があって好きだ。

『Future One』(1963年)は、ニューヨーク・コンテンポラリー・ファイヴ(NYC5)のライヴ映像である。こんな面子の演奏を横目にキスしているカップルがいたりして(勿体ないな)、狭いクラブのリラックスした雰囲気がよく出ている。何といっても、ジョン・チカイ(アルトサックス)、ドン・チェリー(コルネット)、そしてアーチー・シェップ(テナーサックス)の若い頃の姿が嬉しい。アンブシュアで動く面の皮のアップなど、アプローチもユニークなのだ。

これを観ると、やはりシェップは唯一者だなと思い知らされてしまう。無数の周波数の山が剣山のように併存し、それはブルースであり、感情ともろにシンクロするのである。本当に素晴らしい。もう一度近くで目の当たりにしたい。1999年に来日した際には2回足を運び、最前列で聴いていると、唾が近くにぼたぼた落ちてきた。

『Portrait of a Bushman』(1965年)は、ダラー・ブランド(のちのアブドゥーラ・イブラヒム)が起きて、奇妙に長いパイプを吸い、タクシーに乗り、ピアノトリオで演奏する姿をユニークに編集している。大ヒット盤『アフリカン・ピアノ』だけで彼を語ってはいけないと思うが、やはり奇妙なメロディーと和音の繰り返しという個性はあの盤に出ている。最近来日したが、結局、駆けつけられなかった。後悔先に立たず、だ。

●参照
アーチー・シェップの映像『I am Jazz ... It's My Life』
イマジン・ザ・サウンド
ヨーロッパ・ジャズの矜持『Play Your Own Thing』
エバ・ヤーン『Rising Tones Cross』
ドン・チェリーの『Live at the Cafe Monmartre 1966』とESPサンプラー


グル・ダット(1) 『渇き』

2011-08-30 07:26:17 | 南アジア

インドの巨匠、グル・ダット『渇き(Pyaasa)』(1957年)を観る。DVD 6枚組で20ドルくらいだった。

貧乏な詩人ヴィジェイ。家では兄たちに邪険にされ、相思相愛の女性は金持ちの出版社社長と結婚してしまう。兄には書きためた詩の原稿を古紙として売られてしまい、絶望する。駅で電車に轢かれそうになった男を助けようとして失敗するも、いつの間にか、ヴィジェイが死んだことにされてしまう。自殺した若き詩人の詩集は飛ぶように売れ、ヴィジェイは監禁される。そして、オカネや偶像のみを求め、人間を尊重しようとしない社会に再び絶望し、自分の詩を愛してくれる貧乏な女性とともに去っていく。

いまに続くボリウッド娯楽映画らしく、歌あり人情あり。しかし異常にさえ思われるのは、次々に迫ってくるソフトフォーカスの顔、顔、顔。金持ちの妻となった家でヴィジェイが歌い、女性が動揺して哀しみとともに煽られる動きには、こちらも動揺させられてしまう。罪つくりなほどに無邪気に、すなわち邪気たっぷりに、心象をカメラとシンクロさせる手腕は素晴らしい。


孫周『秋喜』 1949年の広州

2011-08-29 00:59:02 | 中国・台湾

去年中国の杭州で買っておいたDVD、孫周『秋喜』(2009年)を観る。18人民元(200円ちょっと)だった。

ただし、杭州ではなくもっと南の広州が舞台となっている。水の町、尖った藁帽子はベトナムの川の民のようだ。

1949年10月1日、共産党中華人民共和国の建国を宣言する。広州ではまだ国民党が支配し、青天白日の旗が掲揚されていた。権力者(孫淳:世界のナベアツに似ている)は迫りくる人民解放軍に怯え、猜疑心の権化と化す。彼は共産党のスパイを捕えては拷問して仲間を聴き出したり、ちょっとでも疑わしい者があればまとめて処刑する。もうひとりの主人公(郭暁冬)は共産党のスパイだが、国民党に忠誠を誓う部下の振りをし続ける。方や裏切り、方や疑いの視線を向ける奇妙なふたりの関係。

タイトルになっている秋喜(チュウシ)は、その共産党のスパイのもとで、彼の正体を知ってか知らずか、使用人として働いている。『南京!南京!』(>> リンク)で気の強い売春婦を演じていた江一燕である。秋喜の父は、自分の船に共産党員を乗せたというだけで処刑された。何かにすがりたいような、あやうい女性であり、この映画ではイノセンスの象徴であるように扱われている。

国民党が台湾に逃れなければならない日が来る。前日、権力者は射撃場で部下=スパイを騙して銃を撃たせる。的の向こうには、縛り付けられた秋喜がいた。そして当日、権力者は広州にとどまり、部下=スパイと対峙する。お前と俺とは表裏だと嘯きながら。イノセンスを暴力的に排除することで、それを言う権利ができたかのように。

昔のリアルな広州(勿論、見たことはない)が見ものであり、興味深い描写は少なくないが、傑作というわけでもない。何しろ「広州解放60周年」を記念した映画であり、国民党のひどい描写が目立ち過ぎている。その意味で、プロパガンダ映画であると言うこともできる。

それよりも、主人公の国民党と共産党の男ふたりを、微妙に情を通じ合わせる「表裏」として、その間にイノセンスを置いた寓意のようなものが気になった。中台関係について何か意を込めたのだろうか。


山本義隆『福島の原発事故をめぐって』

2011-08-28 10:03:35 | 環境・自然

山本義隆『福島の原発事故をめぐって いくつか学び考えたこと』(みすず書房、2011年)を読む。大学アカデミズムの世界を去ってのち、社会批判は科学史を通じてのみ発信してきた山本氏だが、ここにきて、福島原発事故をテーマにした書を出した。私も驚き発売を心待ちにしていた。

もともと薄い雑誌『みすず』に寄稿する予定であった、短いものである。それだけに、全て極めて真っ当で正鵠を射ており、かつ、原子力を科学技術の原理と歴史のなかに位置づけてみせるのは著者ならではだ。怒りをもって山本氏が前面に出てきた理由は何か、おそらくは声をあげずにはいられなかったのだろう。読んでいると泣きそうにさえなってくる。千円と廉価な小冊子、あらゆる人に読んでほしい。

こんなことが書かれている。

○「原子力の平和利用」を錦の御旗にした日本への原子力導入は、当初から、核兵器技術の保有を視野に入れたパワー・ポリティクスそのものであった。メディアも科学者もそのことに対してあまりにも鈍感であった。
○原子力の経済的収益性技術的安全性よりも、外交・安全保障政策こそが重視され、前者の実状は国家主導のもと全体主義的に隠蔽された。そして異を唱える声は、それが現場からのものであっても、徹底的に排除された
○原子力技術は他の技術と異なり、有害物質をその発生源で技術的に無害化することも、現実的なタイムスケールで保管しておくことも不可能である。そのような未熟な技術を試行錯誤しながら使い続けることは犯罪である。
○原発の要素技術については「技術神話」が成り立つかもしれないが、誰一人として全体を把握していない原発という巨大システムについては、それは成立しない。
○国策としての巨大科学技術推進が原子力ファシズムを生み、暴走に至った。原子力技術は人間の手によって制御できないものであることを認識しなければならない。
○日本は大気圏で原爆実験を行った米国や旧ソ連とならんで、放射性物質の大量放出の当事国になってしまった。こうなった上は、世界での教訓の共有、事故の経過と責任をすべて明らかにし、そのうえで脱原発・脱原爆のモデルを世界に示すべきだ。

「・・・現在生じている事態は、単なる技術的な欠陥や組織的な不備に起因し、それゆえそのレベルの手直しで解決可能な瑕疵によりものと見るべきではない。(略) むしろ本質的な問題は、政権党(自民党)の有力政治家とエリート官僚のイニシアティブにより、札束の力で地元の反対を押しつぶし地域社会の共同性を破壊してまで、遮二無二原発建設を推進してきたこと自体にある」

●参照(山本義隆)
山本義隆『熱学思想の史的展開 1』
山本義隆『熱学思想の史的展開 2』
山本義隆『熱学思想の史的展開 3』
山本義隆『知性の叛乱』

●参照(原子力)
『これでいいのか福島原発事故報道』
有馬哲夫『原発・正力・CIA』
『大江健三郎 大石又七 核をめぐる対話』、新藤兼人『第五福竜丸』
原科幸彦『環境アセスメントとは何か』
『科学』と『現代思想』の原発特集
『核分裂過程』、六ヶ所村関連の講演(菊川慶子、鎌田慧、鎌仲ひとみ)
『原発ゴミは「負の遺産」―最終処分場のゆくえ3』
使用済み核燃料
石橋克彦『原発震災―破滅を避けるために』


高柳昌行1982年のギターソロ『Lonely Woman』、『ソロ』

2011-08-28 00:15:41 | アヴァンギャルド・ジャズ

高柳昌行についてはさほど熱心なファンでもないのだが、今年、『ソロ』(JINYADISC、1982年)が発掘公表されたというので入手した。1982年12月、横浜エアジンでのライヴ録音であり、実は、同年8月にスタジオ録音されたギターソロ、『Lonely Woman』(VIVID SOUND、1982年)の4ヶ月後にあたる。

演奏曲はほとんど共通しているが、聴き比べてみると随分異なる。12月のエアジンでの演奏前にも、「今日はレコーディングした8月から4ヶ月経つのでレコードとは中身が全然違うわけです。だからレコードを買って聴いていらっしゃる方はあまりに違うので驚かれると思います」との挨拶をしている。もっとも、稀代の即興演奏家・高柳のことゆえ当然かもしれない。

オーネット・コールマンの「Lonely Woman」では、12月版ではなかなかテーマメロディーが現れず、リー・コニッツ『Motion』と同様に、即興演奏があるところまで行きついてしまった感がある。そのコニッツの「Kary's Trance」では、8月版が恐る恐る(と言って悪ければ、慎重に)抽象的な構造物を組み上げる緊張感を持つのに比べ、12月版ではより手慣れた感じで、構造物の裾野を拡げてみせている。チャーリー・ヘイデンの「Song for Che」でも、そしてコニッツの師匠格にあたるレニー・トリスターノの「Lennie's Pennies」でも、12月版は8月版よりも太く迫力のある音で攻めている。

ソロに先立つ3年前、『Cool Jojo』(TBM、1979年)においても「Lennie's Pennies」が演奏されている。そこでは、ギター+ピアノトリオという編成のこともあって、随分とスインギーだ。逆に高柳のソロの特色が浮き出てくる。

ノイジーなバンドの高柳音楽では意識しないが、高柳のギターはグラント・グリーンにも共通する、太くホーンのような音を持つ。別に初期の『銀巴里セッション』(1963年)における「グリーンスリーブス」演奏が異色なわけではない。それが、牛刀を使うように、ある種の覚悟を持って一音一音を繰り出していくことによって、さらなる迫力を生んでいる。たまのエフェクトや和音には、それだけに、安堵させられる。

『ソロ』には、特典CDとして『中途半端が何かを狂わす』と題された1989年12月の高柳のスピーチ録音が付けられていた。聴客の無理解に苛立ちを隠さない、怒気を孕んだ肉声である。妥協を許さないといえば聞こえはいいが、気難しい人だったのだろうか。渋谷毅オーケストラが、その誕生においては高柳オーケストラであったことはよく知られている。彼が急逝せず音楽活動を続けていたなら、このオーケストラはどのように発展したのだろう。

●参照
翠川敬基『完全版・緑色革命』


ヌスラット・ファテ・アリ・ハーンの映像『The Last Prophet』

2011-08-27 17:47:31 | 南アジア

ヌスラット・ファテ・アリ・ハーンの映像『Nusrat Fateh Ali Khan: The Last Prophet』(Jerome De Missolz、1996年)を観る。ヌスラットは1997年に48歳で亡くなったので、これは晩年の記録ということになる。パキスタンイスラム教スーフィズムの歌、カッワーリーの歌い手である。

1時間のうち人前で歌っている時間はさほど多くなくて残念ではあるのだが、ヌスラット自身による語りや興味深い場面がいろいろあり、とても面白い。ヌスラットは常にハルモニウム(手漕ぎオルガン)を手元に置いて、600年続く音楽家の家系のこと、偉大な音楽家の父ウスタッドのこと、4人の姉のあとに生れたため甘やかされたこと、父は医者かエンジニアにさせたがったが自らの血が音楽を選んだのだということなどを話す。ときにハルモニウムとともに歌ってみせるカッワーリーの声ははっとさせられる響きを持っている。

コンサートの歌には字幕が入っていないが、概ね、信仰や愛情についての歌詞だという。あるレコード店で、数人の男たちがヌスラットを口々に誉めたたえている。曰く、日本では若者がヌスラットを聴いている、彼らは歌詞が解らないが心に刺さってくると言うんだよ、それこそがカッワーリーだ、と。そうなのである。私もヌスラットの歌声をたまに聴いて素晴らしいと感じるが、それは歌詞によってのことではない。

97年に亡くなったあと、中村とうようによる追悼記事を読んで、ヌスラットの声に接することができなかったことをひたすら残念に思った。コンサートに行ったことがあるという人の話を聴くと、なおさらだった。この映像では、ヌスラットが、カッワーリーは予め決まった内容に従うわけでなく魂に触れるという点でジャズと似ている、と説きつつ、即興も行ってみせる。このときヌスラットの右肩には蠅がとまっている。私はこの蠅でもいい、肉声を聴きたかった。

ところで、パキスタンとインドの仲は昔も今も悪い。昨年訪れたインドでは、パキスタンのクリケット選手と恋愛結婚したインドのテニス選手サニア・ミルザへのバッシングがひどく、CMが次々に打ち切られたのだと聞いた。「なぜパキスタニと?、ってわけ」と。はじめて私がインドに行った2005年、夕食にと入った食堂ではハイデラバード・オープンの決勝戦を放映していた。優勝の瞬間はみんな興奮して立ちあがり拍手していた。サニアはルックスもよく、何となく好きになってしまった。それだけに悲しい出来事ではあった。

閑話休題。この映像にも、それを示す場面がある。先のレコード店では、別の男が、「インドは映画に勝手にヌスラットの音楽を使って儲けている、フェアじゃない」と罵っているのである。レコード店の男がいうインド映画が何を指すのかわからないが、あるコンサートの前説で、『最後の誘惑』、『ナチュラル・ボーン・キラーズ』、『女盗賊プーラン』、『デッドマン・ウォーキング』と4本の映画音楽も担当し・・・と紹介されるものの、インド映画である『女盗賊プーラン』だけにはその後何も言及されない。(もっとも、『ナチュラル・ボーン・キラーズ』ではレイプシーンにヌスラットの声をかぶせるなど、音楽の使い方がひどく、ヌスラット自身が傷ついたと呟いている。)

他のコンサート映像中心のDVDも探してみたい。


由井晶子『沖縄 アリは象に挑む』

2011-08-27 13:03:08 | 沖縄

由井晶子『沖縄 アリは象に挑む』(七つ森書館、2011年)を読む。著者は元「沖縄タイムス」の記者であり、97年以降はフリージャーナリストとして沖縄を見続けている。編集者によるあとがきには「運動に少し距離を取りつつ寄り添いながら、全体を見回し論考するという立場で、定点観測のように沖縄を書き続けた人」とある。

まさに1998年から現在までの定点観測であり、当然、知っている話も知らない話もある。先日、一坪反戦地主会のYさんは、「地味だけどちゃんと書かれた良い本だよ」と薦めてくれた。実際に、通して読むことで、最近十数年間の沖縄の置かれた位置と沖縄が動いた姿とを、マクロにもミクロにも視ることができる良書である。

記憶の片隅にあったものの意識していなかった点を気付かせてくれたことがある。公有水面の埋め立てである。現在、「公有水面埋立法」では、公的な河川や海域の埋め立てに際し、知事の免許を規定している。そのため、例えば、山口県上関町の原発建設において、二井知事の埋立許可延長が問題となっているわけである。

本書によれば、小泉政権の2005年、米軍再編の中間報告推進のため、日米合意内容に基づく基本方針を閣議決定し、さらにその後、安部晋三官房長官(当時)主催の会議において、反対住民の説得が議題とされている。著者はその時、反対が激しい場合に公有水面使用許認可権を知事から政府に移す特別措置法が議題になる可能性があるものと指摘している。

まさに大田昌秀沖縄県知事(当時)が政府による米軍用地強制使用を拒否、村山富市首相(当時)が訴訟を起こし、さらに軍用地に限って知事の権限を政府に移す特別措置法(駐留軍用地特措法)を成立させたパターンの「海版」である。2006年の沖縄県知事選において糸数慶子候補が仲井眞弘多候補(当選)より優勢と予想された際にも、自公政権は糸数当選に備え、特措法制定という案を持っていたという。

そのため、2010年のシンポジウムにおいても、仲地博・沖縄大副学長が、「知事の持つ公有水面埋め立ての権限を取り上げさせないため、①政府に権限取り上げ訴訟を起こさせない、②埋め立て権限を国に移す新特措法を立法させない運動が、日米共同声明を空洞化させる道だ」と提起した、とある。辺野古においては重要な論点である。

>> 本書発売記念のトーク+レセプションの様子(大木晴子さんのブログ『明日も晴れ』)

●参照
二度目の辺野古
高江・辺野古訪問記(2) 辺野古、ジュゴンの見える丘
名古屋COP10&アブダビ・ジュゴン国際会議報告会
ジュゴンの棲む辺野古に基地がつくられる 環境アセスへの意見(4)
『世界』の「普天間移設問題の真実」特集
○シンポジウム 普天間―いま日本の選択を考える(1)(2)(3)(4)(5)(6
金城実+鎌田慧+辛淑玉+石川文洋「差別の構造―沖縄という現場」
大田昌秀『こんな沖縄に誰がした 普天間移設問題―最善・最短の解決策』
屋良朝博『砂上の同盟 米軍再編が明かすウソ』
渡辺豪『「アメとムチ」の構図』
押しつけられた常識を覆す
鎌田慧『沖縄 抵抗と希望の島』


三田の「みの」、ジム・ブラック

2011-08-27 11:23:38 | アヴァンギャルド・ジャズ

写真家の海原修平さんと三田の「みの」で呑む。程なくしてボンバ・レコードの社長さんも現れた。

ボンバ・レコードはドイツのレーベル「Winter & Winter」の輸入販売も行っている。ここから多くの作品を出しているポール・モチアンのスキンヘッドとグラサン姿は迫力だとか、ジム・ブラックはヴェジタリアンゆえご馳走するのに苦労するだとか、「週刊新潮」のひどさだとか、ペンタックスの77mmやライカのエルマリート90mmやヴィゾ用65mmの描写だとか、今やデジタル写真が銀塩に如何に近づくかのステージだとか、ひたすらそんな話。

「みの」は古い店で、演劇をやっている人たちが働いている。秋刀魚の刺身と塩焼、沖縄のもずくなど旨かった。カウンター席の人たちはみんな愉快。また誰かと行きたい店だった。

そんなわけで、今朝、棚からジム・ブラックのCD、『Habyor』(Winter & Winter、2004年)と『Splay』(Winter & Winter、2002年)を取り出して聴く。両方とも、ブラックのドラムスにクリス・スピード(テナーサックス)、ヒルマー・イエンソン(ギター)、スクーリ・スヴェリソン(ベース)という編成である。


奈良美智!

聴きながら本を読んでいると朦朧としてくる。終電で帰って眠いせいもあるが、いやそれよりも、このバンドが形成するアトモスフェアがそうさせているのである。民族音楽的な、あるいはロック的な繰り返しとミニマリズム、そこからの展開であり、次第に場が音楽に支配されていく。特に『Splay』における途中の盛り上がりは凄い。

何でも、Winter & Winterからジム・ブラックのピアノトリオが出るようで、それが今度はどのようなアトモスフェアを持つのか、興味津津だ。

●参照
海原写真の秘密、ヨゼフ・スデク『Prazsky Chodec』
海原修平『消逝的老街』 パノラマの眼、90年代後半の上海
2010年5月、上海の社交ダンス


鈴木志郎康『隠喩の手』

2011-08-25 08:20:42 | 小型映画

鈴木志郎康の16ミリによる小品、『隠喩の手』(1990年)を観る。

タイトル画面。「暗喩の手」、「隠喩の手」。「暗」、「隠」。「ア・イ」。「ア・イ・ウ・エ・オ」。ごちゃごちゃした仕事机、キース・ジャレットのアメリカン・カルテットがBGMに流れる。ドアの覗き穴から外を視たのだろう、円周魚眼のように住宅と空が見える。彼の写真集『眉宇の半球』にも共通する、自らを閉じ込めるのか、世界を自らに閉じ込めるのか、回帰的世界である。

そして彼は自らの手を凝視する。手は不思議なものだ、しかし手を見てはいけない、と。それはそうだ。誰だって自分の手を見れば見るほど、この奇妙な生命体が何やらわからなくなってくる。そしてすべての手は異なっている。ちょうど、三木富雄が耳に憑りつかれて、巨大な耳を作り続けたように。

原稿用紙に詩を書きつける手仕事。コダクローム40の箱を開け、ダブル8のカメラに装填する手仕事。スムーズにはできない小さなもの、息遣いまで収録されている。そして現像されたフィルムは、片側のパーフォレーションにかなりの面積を占有され、冗談のように小さな画面が残っている。

8ミリでも、ここがダブル8とスーパー8/シングル8との大きな違いだ。スーパー8/シングル8はもともと片側にパーフォレーションがあり、片道通行である。画面面積もダブル8よりやや広い。ダブル8は16ミリ幅があり、半分ずつ往復撮影して現像時に半分に切断される。いかにも効率が悪いが、変ったカメラが多く、いつかは使ってみたいと思い続けていた。そのうちに、スーパー8ともどもコダクロームが消滅してしまった。

この映画は16ミリのボレックス(ジョナス・メカス!)で撮られているが、鈴木志郎康の作品を観るたびに、8ミリという小型世界への愛情を見せつけられる。そのたびに思い出すのは8ミリに向けられた吉増剛造の言葉。

脈動を感じます。それはたぶん8ミリのもっているにごり、にじみから来るのでしょう」(『8ミリ映画制作マニュアル2001』、ムエン通信)

>> 『隠喩の手』
>> 『隠喩の手』解説

●参照
鈴木志郎康『日没の印象』


中国延辺朝鮮族自治州料理の店 浅草の和龍園

2011-08-25 00:09:03 | 中国・台湾

中国東北地方、吉林省の延辺朝鮮族自治州は北朝鮮に接しており、言葉も料理も中国・朝鮮の両方に跨っている。浅草の「和龍園」はその地域の料理店で、食べるのははじめてだ。東京では珍しいのかと思いきや、上野界隈には東北地方の料理を出す店は割にあるという。

名物の羊肉串の盛り合わせを頼んだら、手際良く、金属製の二階建ての骨組が組み上げられた。下でいい頃合に焼けたら、上でキープしておく。そして、改めて下の骨組を使って肉を串の端にぐいぐいと寄せながら、炭火に炙り、唐辛子、胡麻、クミンなどを混ぜた粉に付けて食べる。これが旨い。


羊肉串

鍋包肉(豚天ぷらの甘酢かけ)ははじめて食べる。衣はでんぷんなどを使っているようで、ふわふわさくさくとしている。甘酸っぱくて、まるで菓子のようだ。胡麻油の風味が効いたチャプチェも旨い。大満足、大満足。


鍋包肉


チャプチェ


拉皮ムチム


マッコリ!


江成常夫『昭和史のかたち』、『霊魂を撮る眼~写真家・江成常夫の戦跡巡礼~』

2011-08-24 00:20:16 | 写真

東京都写真美術館で開催されている江成常夫の写真展、『昭和史のかたち』を観た。

江成は、太平洋戦争の戦場となった島々、満洲、広島、長崎、沖縄など、惨劇の地を訪ねては、いまだ残る叫び声を撮り続けている写真家である。その叫び声のことを、江成は「鬼哭」と呼ぶ。浮かばれない魂の声なき声である。

その思想は、記憶にある種のフィルターをかけて「英霊」などという表現を使う精神とは対極にある。取り返しつかぬ負の歴史、罪と業をいま視なければならないという執念のようなものだ。従って、満洲はセピア色に塗られることはなく、「偽満洲国」として提示される。

戦争遺産もさることながら、戦争が刻まれた人のポートレートが持つ迫力には圧倒されてしまう。旧満州に置き去りにされた残留孤児、広島の被爆者。その中には、先ごろ亡くなった「アオギリの語り部」こと沼田鈴子さんの大きなポートレートもあった。

ニコンサロンで開かれていた同じ写真家による写真展『GAMA』も観たかったのだが、足を運んだところビルメンテとかで休廊だった。8月にこのテーマの写真展を開くならば、土日をそんな理由で閉じては駄目だろう。ニコンサロンも所詮は商売か、と思わざるを得ない。これは沖縄のガマを撮った写真群であり、糸満の崖を撮ったオサム・ジェームス・中川『BANTA』との比較もしてみたかったのだが。

ちょうど、NHKの「ETV特集」で、『霊魂を撮る眼~写真家・江成常夫の戦跡巡礼~』というドキュメンタリーが放送された(>> リンク)。江成は悪性腫瘍におかされ、死を身近に見てしまったことによって、さらに彼岸というものを意識したのだという。ペリリュー島、日本軍の血で海が染まった米軍上陸地点オレンジビーチ、打ち捨てられた飛行機や船の残骸に、江成はレンズを向ける。彼のスタイルは、銀塩はハッセルブラッド、デジタルはニコンのようだ。

そして、江成は沖縄に辿り着く。

米国移民が「米軍は捕虜を殺したりはしない」と説得したために「集団自決」が起きなかったシムクガマ(読谷村)では、江成は、ガマの中から光が見えるように撮る。しかし、それは奇跡的なことであった。糸満のガマでは、日本軍に監視された住民は投降すらできず、米軍の火炎放射により焼かれてしまう。江成が入り込んだガマのひとつでは、天井が黒々と焼け焦げていた。ガマの中でスローシャッターを押し続ける江成の眼は、まるで何かが憑依しているように見えた。

保阪正康による写真展評は、次のようにしめくくられている。

なぜこういうことが起こったのか、この問いに答え続ける限り、私たちは写真の人物、風景と共に告発を共有しているといえるだろう。
(『アサヒカメラ』2011年9月号)

●参照
オサム・ジェームス・中川『BANTA』(糸満の崖)
沖縄「集団自決」問題(10) 沖縄戦首都圏の会 連続講座第3回(大城将保氏による「沖縄戦の真実と歪曲」)
読谷村 登り窯、チビチリガマ
被爆66周年 8・6 ヒロシマのつどい(1)(沼田鈴子さん)


山本義隆『熱学思想の史的展開 3』

2011-08-22 23:57:53 | 思想・文学

山本義隆『熱学思想の史的展開』全3巻(ちくま学芸文庫、2009年)の完結編・第3巻を読む。1冊読んでは間をおいてまた1冊、結局、第1巻を読んでから2年半が経ってしまった。

熱と仕事の互換性に到達した天才たちは、いよいよ目覚ましい展開を見せる。互換性だけではなくそれらの組み合わせを定理とし、定式化することが如何に難しく、そして次に向けての如何に大きなステップであったか、ということが納得できる。そして、実証的なプロセスの中で、<熱素>という奇妙な概念は葬りさられる。気体分子運動論というミクロな力学と結合することは、いまの目で見れば当然のようにも感じられるが、そんな簡単なことではなかったのである。

議論は、状態関数としてのエントロピー導入、相平衡、エントロピー以外の関数の導入、絶対温度などと進んでいく。かつて熱力学をかじった自分ではあるが、ここまで来ると、もう丹念に数式を追う気力を放棄している。どんな教科書でも、突然、状態図や、エンタルピー、ギブスの自由エネルギー、ヘルムホルツの自由エネルギーといった関数式がトップダウンで登場し、感覚的な理解に至らなかった経験があるからだ。本書のように思考の歴史を追跡する方法で学んでいたならば、また違っただろう。なんだか悔しい気分だ。

実際に、エントロピーの概念は、(キャッチフレーズ的に使う人はいても)広く理解されているわけではない。本書によれば、多くの学者ですら無理解甚だしいことがあり、特にエントロピー増大の法則(熱力学第2法則)が「エネルギーの散逸」にのみ求められ、物質については無視される事例が多いという。典型的な例として、エネルギーについてのみ第2法則を語り、物質に対しては原理的にリサイクルが可能と説いていた故・竹内均の言説が挙げられている。これを「大量生産・大量消費をよしとする成長経済を支えるイデオロギーではあっても、物理学的にはまったくの誤りである」とばっさりと批判するのは痛快でさえある。著者が大学アカデミズムの世界に身を置いていたなら、ここまで書くことはなかったであろう。これは単なる理解度の話ではない。文明や産業に対するスタンスの透かし彫りになっているのである。
(ところで、竹内均は寺田寅彦の孫弟子であり、私は大学院時代、竹内の弟子格の先生のもとで勉強した。研究を続けることをそこで完全に放棄した自分にはこんなことを言う権利はないが、自分が寺田寅彦の曾々孫弟子であったかもしれぬと思うと、妙に愉快になる。)

著者があとがきで書いているように、確かに、熱学はもともと世界と宇宙を相手にせんとした学問体系であった。世界はノイズの集合体、ノイズそのものである。ノイズを可能な限り排除した抽象の純粋科学とは、出発点から異なるものであった。

間もなく、山本義隆氏の最新刊『福島の原発事故をめぐって』(みすず書房)が出る(>> リンク)。科学と産業の歴史的な変貌について説くのか、それともエネルギー論の面から発言するのか。実は心待ちにしているのである。

●参照
山本義隆『熱学思想の史的展開 1』
山本義隆『熱学思想の史的展開 2』
山本義隆『知性の叛乱』


抒情溢れる鉄道映像『小島駅』

2011-08-22 00:20:57 | 中国・四国

科学映像館で、吉野川に沿って走る徳島本線の小さな小島駅(おしま)を撮った8ミリ映像『小島駅』(1973年)が配信されている。これを撮った上原芳明氏は、8ミリ同好会のハイアマチュアであったようで、カメラワークや編集技術はプロの水準だと言うことができる。それよりも、確かにタイトルなどのスーパーインポーズの手作り感が8ミリを感じさせるものの、8ミリ特有の滲みやピンボケがほとんどなく、16ミリだとしか思えない。

>> 『小島駅』

10分の小品だが、地域と鉄道の移り変わりのストーリーが詰め込まれている。「グリーンスリーブス」のメロディーとともに、カメラは、マイカー社会の到来による乗降客の減少、準急通過駅としての位落ち、そして無人化を目撃していく。見るからに篤実な駅員さんの仕事も相まって、身動きできなくなるような哀しさと懐かしさにとらわれてしまう。

ところで、その駅員さんが持ち歩いている輪っかは何だろうと思い調べてみた。「タブレット」というもので、単線の鉄道区間において行き来の交通整理を行うための器具だった。昔の方や単線が生活域にあった方にとっては常識なのかもしれない。いまこれを使っているところはあるのだろうか。

●参照
土本典昭『ある機関助士』
大木茂『汽罐車』

●科学映像館のおすすめ映像
『沖縄久高島のイザイホー(第一部、第二部)』(1978年の最後のイザイホー)
『科学の眼 ニコン』(坩堝法によるレンズ製造、ウルトラマイクロニッコール)
『昭和初期 9.5ミリ映画』(8ミリ以前の小型映画)
『石垣島川平のマユンガナシ』、『ビール誕生』
ザーラ・イマーエワ『子どもの物語にあらず』(チェチェン)
『たたら吹き』、『鋳物の技術―キュポラ熔解―』(製鉄)
熱帯林の映像(着生植物やマングローブなど)
川本博康『東京のカワウ 不忍池のコロニー』(カワウ)
『花ひらく日本万国博』(大阪万博)
アカテガニの生態を描いた短編『カニの誕生』
『かえるの話』(ヒキガエル、アカガエル、モリアオガエル)
『アリの世界』と『地蜂』
『潮だまりの生物』(岩礁の観察)
『上海の雲の上へ』(上海環球金融中心のエレベーター)
川本博康『今こそ自由を!金大中氏らを救おう』(金大中事件、光州事件)
『与論島の十五夜祭』(南九州に伝わる祭のひとつ)
『チャトハンとハイ』(ハカス共和国の喉歌と箏)
『雪舟』
『廣重』


徐京植のフクシマ

2011-08-21 10:21:10 | 東北・中部

NHK「こころの時代」枠で放送された『フクシマを歩いて 徐京植:私にとっての「3・11」』を観た。

徐京植は「根こぎ」という言葉を使う。人には「根」がある。その「根」ごと引き抜かれる国家的暴力、それがユダヤ人のホロコーストであり、広島・長崎の原爆投下であり、福島の原発事故であったのだ、と。しかしそれは、想像力をもって直視されてこなかったのだ、と。

いくつか、重要な引用があった。ユダヤ系イタリア人のプリーモ・レーヴィは、自殺前年に残した著作『溺れるものと救われるもの』(1986年)において、ホロコースト期にあってなぜ逃れないユダヤ人がいたのか、それは簡単には抜くことのできない「根」があり、各々が、自分に迫る危機に目を瞑り気休めの「真実」にすがろうとしたのだと言う。

思想史家・藤田省三は、『松に聞け』(1963年)において、乗鞍岳の道路建設にあたって滅ぼされるハイマツに想いを馳せながら、権力や資本による押しつけだけでなく末端にある人々こそが積極的に目を瞑る「安楽全体主義」を見出している。そのような面から、何に視線を向けていくか。

「此の土壇場の危機の時代においては
犠牲への鎮魂歌は
自らの耳に快適な歌としてではなく
精魂込めた「他者の認識」として
現れなければならない。
その認識へのレクイエムのみが
辛うじて蘇生への鍵を
包蔵している、というべきであろう。」

広島で被爆した詩人・原民喜が詩集『夏の花』(1949年)に載せた詩を、徐京植は「壊れている」と見る。壊れた詩は壊れた現実を映し出し、シュールレアリズムこそが現実になっている。現実主義者たちの凱歌を許さず、お前の現実は現実ではない、どんなにつらくても現実を視ろ、というメッセージなのだとして。この3人に共通する、痛いほどの声である。ホロコースト、広島・長崎を経て、また現実直視の回避が繰り返されている。

「テンプクシタ電車ノワキノ
馬ノ胴ナンカノ フクラミカタハ
ブスブストケムル 電線ノニオイ」

在日コリアン二世の徐は、在日コリアンにも想いを馳せる。映像では、郡山の福島朝鮮中初級学校の生徒たちが新潟の朝鮮学校に避難し、1週間に1度だけ校長先生の運転する自動車で帰ってくる様子をも捉えている。

かつて昭和の三大金山に数えられた高玉金山(郡山)。1944年には600人もの朝鮮人が労働し、宿舎は24時間監視され、つかまると正座した脚の上に鉄のレールを置くなどの拷問が加えられたという。そのような歴史的背景もあり、福島県の在日コリアン人口は1.7万人にのぼる。

その意味で、徐京植は、福島原発事故では「日本人が被害にあった」という言説は間違っているのであり、「がんばろうニッポン」もその誤った認識に依ってたつ標語であるのだと指摘する。そして、鉱山やエネルギーという国家の基幹産業は、かつての朝鮮人、いまでは原発労働者といったように、植民地的な労働システムによって成立しているのだ、と。

>> 映像『フクシマを歩いて 徐京植:私にとっての「3・11」』

●参照
徐京植『ディアスポラ紀行』


内田康夫『赤い雲伝説殺人事件』 寿島=祝島、大網町=上関町

2011-08-20 10:58:03 | 中国・四国

内田康夫『赤い雲伝説殺人事件』(角川文庫、1986年)を読む。この類のミステリはほとんど読まない私にとって、浅見光彦シリーズ2冊目だ。その前に読んだのは『ユタが愛した探偵』という沖縄もの。本作は、山口県上関町祝島が舞台になっている。つまりそんな興味でしか手に取っていないわけである。

ここでは、祝島は「寿島」、上関町は「大網町」という名前に変えられている。それでも、「寿島」の対岸に原発建設の計画があり、推進と反対を巡った大きな諍いがあることは同じである。「祝」と「寿」なんて洒落たものだ。

原発反対のリーダー格の老人が、東京の画廊でふと足を止める。目の前には、「寿島」の上に赤い雲がかかる様子を想像した絵が架けられていた。彼はこれを、地元で推進に転じそうになっている古老に見せて、心変わりを押しとどめようとする。しかし、政界や地元企業の利権がために、彼は殺されてしまう。

「赤い雲」が、おそらく「寿島」でも見えたであろう広島の原爆を思わせること、また、実は「寿島」の住民は平家の末裔であって、赤い狼煙が上がった時は外敵に抗して一致団結せよとの合図だったとの設定は面白い。祝島には、壇ノ浦の合戦で敗れた平景清の墓と伝えられる「平家塚」があるというが、島民が平家の末裔というのはいくらなんでも内田康夫の作り話であろう。

なかなか様々な立場の機微を描いていて、面白くはあった。謎解きも最後までわからなかった。

「いつの日か反対派が敗れ去り、岬の突端に白亜の原子力発電所がそそり建つありさまを、浅見は脳裏に描いた。
 その時、寿島にはたして狼煙は上がるのだろうか。」

幻視は置いておいても、すでに狼煙は上がり続けている。

●参照
○長島と祝島 >>
リンク
○長島と祝島(2) 練塀の島、祝島 >> リンク
○長島と祝島(3) 祝島の高台から原発予定地を視る >> リンク
○長島と祝島(4) 長島の山道を歩く >> リンク
○既視感のある暴力 山口県、上関町 >> リンク
○眼を向けると待ち構えている写真集 『中電さん、さようなら―山口県祝島 原発とたたかう島人の記録』 >> リンク
○『これでいいのか福島原発事故報道』 >> リンク (上関の原発反対運動について紹介した)
○1996年の祝島の神舞 『いつか 心ひとつに』 >>
リンク