Sightsong

自縄自縛日記

「Camera・Made in Tokyo」展@日本カメラ博物館

2024-08-03 20:57:25 | 写真

日本カメラ博物館で「Camera・Made in Tokyo」展。戦時中から1960年代あたりまで、東京には非常に多くのカメラメーカー・レンズメーカーがあった。図録はそれを23区別にまとめてあり資料価値が半端ない。興奮。

むかしから気になっていたのは旭光学(ペンタックス)や東京光学(トプコン)があった板橋区。それから品川区、日本工学(ニコン)の聖地たる大井町工場にはヘンな屁理屈を付けて仕事で訪問したことがある。かつては光学ガラスのるつぼから出る煙の色で調子を判断したのだとか。特にグッズなどはもらえなかった。

台東区も渋くて、三共光機がコムラーレンズを作っていた。広角レンズを使ったら歪曲がものすごくて笑った記憶がある。それも含めて人間くさいプロダクツの数々。コムラーにいた阿部さんという人が独立してアベノン光機を立ち上げた。わりと最近まで操業していたはずだが、いつの間にかなくなっていた。いまもアベノンレンズを1本持っている。


中平卓馬『火|氾濫』@東京国立近代美術館

2024-03-31 13:38:02 | 写真

竹橋の近代美術館。アレ・ブレ・ボケのコンポラ写真。ことばの世界から写真の世界に入った人。いちどは昏倒して記憶を失い、最後はデジタルでただ撮るだけだった人。晩年の奇妙さにはひっかかるものがあったけれど、なにかこちらの精神を揺らすようなものはいちども感じたことがない。
そして今日も感じるものは皆無だった(それなら行かなければいいようなものだけれど)。そりゃことばで自らアイデンティティをあやういものにし、身体を張って「生きる」ということを表現の相にまで強引にもってくるなら、いま見ても迫りくるものはあるだろうよ、なんて思う程度。けれども、それは安っぽい物語にしかならない。
大竹昭子さんの随想録『私、写真を放棄することは、全く不可能です』がおもしろい。「病後の彼は損壊してなお残った脳細胞をフル稼働させて現実に対処する状態だったのではないだろうか」と。その生のありようを含めて写真表現なのだと言われると、やはり違和感を拭い切れない。


『「前衛」写真の精神:なんでもないものの変容 瀧口修造・阿部展也・大辻清司・牛腸茂雄』@松濤美術館

2024-02-05 08:30:04 | 写真

松濤美術館での展示の最終日。大辻清司の作品をいくつも観る良い機会だった。

大辻が、アヴァンギャルドとは特定のスタイルに固定しないことだと言ったことと、コンセプト、オブジェ撮影、ルポルタージュを同じところに持ってきたこととの矛盾をどう捉えるべきなのか、ちょっと整理できないでいる。ただ、牛腸茂雄の「スタイル」が極めて情緒的なもので、それは徹底的に個人に引き寄せているからこそ外部の「スタイル」ではないことは納得できる。

それにしても大辻の撮ったアヴァンギャルドの中に、勅使川原蒼風を見つけて嬉しくなってしまう。自分も、十代から二十代のころ、安部公房『壁』の安部真知による挿絵、蒼風の息子・宏による安部作品の映画化、そのあたりの世界に惹かれていた。


北井一夫トーク@MONO GRAPHY Camera & Art

2023-07-23 22:47:30 | 写真

引きこもってやらなければならないこともあったのだけれど、北井一夫さんにしばらくお会いしていないし、機会があれば北井写真のプリントを観なければダメだしと思い、急いで身支度をして小伝馬町のMONO GRAPHY Camera & Artで北井さんのトークを聴いてきた(お相手は村上仁一さん)。

北井さんのカラー写真が出てきたのは割と最近のことで、観るたびに新鮮な驚きがある。コダクロームは確かに退色しなかったけれど、いま見ると退色したエクタクロームのほうが良かったりして、なんていうのは北井さんらしい。

三里塚に通うときにキヤノンIIDとIVSbの二台に悪評高い25ミリが付いて7千円だったとか、「村へ」のあとにツァイトの石原悦郎さんの軽い思いつきではじめたドイツ表現派の建築物シリーズは何も言い返せないほどの酷評だったとか、同時期に大阪の新世界を撮っていてあまりの世界の分裂ぶりに疑問の声が大きかったとか、松江での「アサヒカメラ巡回大全」で植田正治・森山大道との奇妙な3人で登壇して何を話したか覚えていないとか、おもしろい話ばかり。

そして今年のパリフォトに出品する作品の件には驚かされた。さすが永遠の反骨。

研究者の友人とも久しぶりに再会し、喫茶店で四方山話をして帰った。やはり行ってよかった。

●北井一夫
北井一夫『COLOR いつか見た風景』
『シカゴループ』(2019年)
『1968年 激動の時代の芸術』@千葉市立美術館(2018年)
『写真家の記憶の抽斗』(2017年)
『写真家の記憶の抽斗』
『COLOR いつか見た風景』
『いつか見た風景』
北井一夫×HMT『過激派 AGITATORS』(2015年)
『道』(2014年)
『Walking with Leica 3』(2012年)
『Walking with Leica 2』(2010年)
『Walking with Leica』(2009年)
『北京―1990年代―』(1990年代)
『80年代フナバシストーリー』(1989年/2006年)
『フナバシストーリー』(1989年)
『英雄伝説アントニオ猪木』(1982年)
『新世界物語』(1981年)
『ドイツ表現派1920年代の旅』(1979年)
『境川の人々』(1978年)
『西班牙の夜』(1978年)
『ロザムンデ』(1978年)
『遍路宿』(1976年)
『1973 中国』(1973年)
『流れ雲旅』(1971年)
『津軽 下北』(1970-73年)
『湯治場』(1970年代)
『村へ』(1970年代)
『過激派』(1965-68年)
『神戸港湾労働者』(1965年)
粟生田弓『写真をアートにした男 石原悦郎とツァイト・フォト・サロン』(2016年)
大津幸四郎・代島治彦『三里塚に生きる』(2014年)(北井一夫出演)


「深瀬昌久1961-1991」@東京都写真美術館

2023-05-05 23:21:40 | 写真

東京都写真美術館の「深瀬昌久1961-1991」。プリントを凝視するとちょっとどきどきする。愛するパートナーとの私生活をフィルムに焼き付けるということには、天国も地獄も紙一重のあやうさがあって、だからこそ魅惑的。

それは原一男の『極私的エロス 恋歌1974』でも、ジョナス・メカスの『歩みつつ垣間見た美しい時の数々』でも、沢渡朔の『Kinky』でも、島尾伸三の『まほちゃん』でも。


鈴木清『天幕の街』@富士フイルムスクエア

2023-03-20 08:20:06 | 写真

鈴木清という写真家はほとんどの写真集を自費出版で出した人で、いまやすべて高騰していてとても手が出ない(僕も復刻版の『流れの歌』を持っているだけ)。

そこには高校に通いながら働いていた印刷所のノウハウが活かされている。というと宮沢賢治『銀河鉄道の夜』で活字拾いのバイトをするジョバンニのことを思い出してしまうけれど、いまZINEを作っている人たちはどう感じるのだろう。

ミッドタウンの富士フイルムスクエアで開かれている『天幕の街』(1982年)も貴重な写真群。印画紙に焼き付けられたサーカスの人たちをあらためて凝視すると、眼の奥は闇で、そこから先に入っていくことはとてもできそうにない。自分が鈴木清の写真に魅せられる理由もそのあたりなのかと思える。

鈴木清写真展「天幕の街 MIND GAMES」 | 写真展・ フジフイルム スクエア(FUJIFILM SQUARE)

●鈴木清
鈴木清 パリ・フォト報告会(2013年)
鈴木清(2013年)


川内倫子『M/E 球体の上、無限の連なり』@東京オペラシティアートギャラリー

2022-12-04 21:06:39 | 写真

東京オペラシティアートギャラリーにて、川内倫子さんの写真展『M/E 球体の上、無限の連なり』(2022/12/4)。

ハイキーで光が溢れる写真群、やはり魅力的。フォロワーが似たようなオシャレ写真を撮ったところできっとこの世界は作れない。

触れそうで触れないもの、常に形をかえ続けるもの、いのち。

●川内倫子
川内倫子『The rain of blessing』@Gallery 916


牛腸茂雄展@渋谷PARCO

2022-10-30 11:28:10 | 写真
はじめて牛腸の写真に接したのは21世紀になるかならないかのころ、書店で『幼年の時間』を目にしたとき。誰もがこちらをじっと見つめていて、その場で降参した。この特異さは、写真家のまなざしが純真だからということではなく、幼少期から早い死を運命づけられていたために、他者を視ることがつねに瀬戸際の行いだったからだろうと思える。
今回の渋谷PARCOでの展示はヴィンテージではなく三浦和人による新たなプリントで、ガラスもない。そのために視線の特異さがさらに強調されているようで、ちょっと動悸がする。新たに編まれた作品集は黒が締まっていて、かつての『SELF AND OTHERS』の眠い印刷よりもはるかに素晴らしい出来(高いので買うのを躊躇している)。牛腸が使ったミノルタオートコードやキヤノンAE-1も展示されていて、なかなか見ごたえがあった。
 
 

『木村伊兵衛と画家たちの見たパリ 色とりどり』@目黒区美術館

2022-02-20 14:19:30 | 写真

目黒区美術館の『木村伊兵衛と画家たちの見たパリ 色とりどり』展。木村伊兵衛が1954、55年にパリに取材旅行したときの作品群であり、眼が悦ぶ。異邦人としてパリの重みにやられてしまったのかなと思える写真も無くはないが、雑踏で近くの人を捉えたショットなんてさすが木村伊兵衛。

同時期の勅使河原宏によるドキュメンタリー映画『十二人の写真家』にも木村が登場し、(本当に)笑ってしまうほどの早わざでスナップを撮る驚異の場面があったことを覚えている。しかしパリの写真には出たばかりの富士フイルムのカラーリバーサルが使われていて、なんとASA(ISO)10。日本国内のように瞬速で撮影できなかったかもしれないし、実際、写真をじろじろ見ると手ブレも被写体ブレも結構ある。夕方なんてわりと明るくても8分の1くらいだったんじゃないかしら。(とは言え、木村の白黒写真だってそれなりにピンボケもブレもある。)

カメラは1954年に発売された直後のライカM3。室内にはなぜか濱谷浩の使っていたブラックペイントモデルが展示してあり(ズミルックス50mmF1.4)、木村もブラックを使っていたと書かれている。しかしパリでの木村を撮ったアンリ・カルティエ=ブレッソンの写真を見ると木村は首からシルバーのM3をぶらさげているし、そのブレッソンが目立たぬようM3に黒いパーマセルテープを貼っているのに配慮してライツがブラックのM3を提供したはずだから、やっぱり木村はパリでシルバーのM3を使ったのだろうと思う。 そんなわけで久しぶりにM3のシャッターを切ってみたら異常なほど快感。しばらくフィルムを通していないしまた使おう。

●木村伊兵衛
勅使河原宏『十二人の写真家』(1955年)


北井一夫『COLOR いつか見た風景』

2021-10-20 08:44:22 | 写真

もっとも敬愛する写真家・北井一夫さんの作品はほとんど白黒。

だが中にはカラー作品もあり、1970年代はカラーのほうが白黒より50パーセントほど原稿料が高く、若い写真家たちにとって憧れだったらしい。カラーの北井写真もすばらしい。これまでのカラー写真集としては『英雄伝説アントニオ猪木』や『西班牙の夜』、あと何かあったかな。

そんなわけで、先日いきなり出た『COLOR いつか見た風景』(PCT、2021年)は一も二もなく入手した。前半は日本各地のスナップ、後半は72年のフランス。それにしても視れば視るほど沁みてくる。微妙に傾いでいて(当時使っていたキヤノンの25ミリファインダーがいい加減だったためだというが、北井さんはそれも個性にした)、あざといところがまったくない。「フランスで何を撮るのかを編集者の天野道映さんに聞くと、いつも通り風景の真ん中に子供がぽつんと立っている写真でいいんだ、ということだった」と書いていて笑える。

そういえば『西班牙の夜』のとき、北井さんに「ISO64で飲み屋で手持ちなんて凄いですね」と言うと「プロですから」と笑って返されたのだった。

●北井一夫
『シカゴループ』(2019年)
『1968年 激動の時代の芸術』@千葉市立美術館(2018年)
『写真家の記憶の抽斗』(2017年)
『写真家の記憶の抽斗』
『COLOR いつか見た風景』
『いつか見た風景』
北井一夫×HMT『過激派 AGITATORS』(2015年)
『道』(2014年)
『Walking with Leica 3』(2012年)
『Walking with Leica 2』(2010年)
『Walking with Leica』(2009年)
『北京―1990年代―』(1990年代)
『80年代フナバシストーリー』(1989年/2006年)
『フナバシストーリー』(1989年)
『英雄伝説アントニオ猪木』(1982年)
『新世界物語』(1981年)
『ドイツ表現派1920年代の旅』(1979年)
『境川の人々』(1978年)
『西班牙の夜』(1978年)
『ロザムンデ』(1978年)
『遍路宿』(1976年)
『1973 中国』(1973年)
『流れ雲旅』(1971年)
『津軽 下北』(1970-73年)
『湯治場』(1970年代)
『村へ』(1970年代)
『過激派』(1965-68年)
『神戸港湾労働者』(1965年)
粟生田弓『写真をアートにした男 石原悦郎とツァイト・フォト・サロン』(2016年)
大津幸四郎・代島治彦『三里塚に生きる』(2014年)(北井一夫出演)


大木茂『ぶらりユーラシア』

2021-07-31 00:02:49 | 写真

写真家の大木茂さんによる旅行記『ぶらりユーラシア』(現代書館、2021年)。

500頁を超える分厚い本だが、おもしろくてどんどん読んでしまう。中国から中央アジア、中東を抜けてヨーロッパへ。自分もかなり外国に行ったほうだが縁がなかった場所が多い。

それにしても驚くのは、現地で宿を取っていることだ。たしかにかつては宿を予約するのを恥くらいに思っていて、到着してから不安爆発するのが実に楽しかった。しかし仕事で頻繁にあちこちに行くようになると、宿も予算も確実でないことはありえない。そのうちに効率主義者とならざるを得なくなった。行先が都会であろうと僻地であろうと関係がない。そして私的な旅でも効率主義者となっていた。大木さんを見習わなければ。

ひとつだけ勝ったのは、いちばん安かった宿は大木さんが泊まったトルクメニスタンの220円の宿を上回る、スリランカの100円の宿。真っ暗で何にも見えずトイレにも行けなかったが。

鉄道はいいなあ。人はいいなあ。食事はいいなあ。知らない世界はいいなあ。コロナ明けに旅に出よう。いい本。

●大木茂
大木茂『汽罐車』の写真展(2012年)
大木茂『汽罐車』(2011年)


鬼海弘雄『王たちの肖像』、森山大道『沖縄 s49』、ロバート・フランク『Part 1 オン・ザ・ロード』

2020-08-03 07:42:36 | 写真

土曜日に友人と写真展のハシゴ。

■ 鬼海弘雄『王たちの肖像』(JCIIフォトサロン)

浅草界隈で出逢った、独立独歩の人びと。なにか違うように思えてならないが、それは個々の人間が異物に他ならないからである。そのことを正面からあらわにする写真群。

やはり鬼海さんならではのトーンの変化に眼が悦ぶ。おそらく銀塩プリントをもとにデジタル出力しているのだろうけれど、どんなに眼を凝らして見てもそれはわからない。丁寧に筆でスポッティングされた箇所もそのままである。

■ 森山大道『沖縄 s49』(SUPER LABO STORE TOKYO)

わりと新しい神保町のギャラリー。1974年に森山大道が沖縄を訪れ、1週間ほどの那覇滞在中に、ハーフサイズのカメラで撮った写真群。森山大道はもうずいぶんと観たけれど沖縄とは珍しいからと思って覗いてみた。プリントされるたびにアクチュアルな力を持つ森山大道があった。地面からの熱気を吸い込んで肺が苦しいような気分。

■ ロバート・フランク『Part 1 オン・ザ・ロード』(gallery bauhaus)

昨年(2019年)に亡くなったばかりのロバート・フランク回顧展。『The Americans』も他の写真群もそうだけれど、独特の粗さに惹かれる。水平もなにもあったものではない、そんなものはプリントのときに斜めにすればよいしなんなら眼が歪んでしまっても構わない。NYのAstor Placeで撮られた建物と男の写真なんて、視ていると重力場がどうかしてしまう。

●鬼海弘雄
鬼海弘雄『眼と風の記憶』
鬼海弘雄『東京ポートレイト』
鬼海弘雄『しあわせ インド大地の子どもたち』
『日中戦争』、鬼海弘雄写真展『東京夢譚』

●森山大道
『1968年 激動の時代の芸術』@千葉市立美術館
牛腸茂雄『見慣れた街の中で』、森山大道『記録23号/パリ+』、渡辺眸『天竺』
比嘉良治『海と岩の語りを読む・琉球列島』、森山大道『1965~』
森山大道「NAGISA」、沢渡朔「Cigar - 三國連太郎」、「カメラとデザイン」、丸尾末広
中藤毅彦、森山大道、村上修一と王子直紀のトカラ、金村修、ジョン・ルーリー
森山大道展 レトロスペクティヴ1965-2005、ハワイ
森山大道と須田一政

●ロバート・フランク
鈴木清 パリ・フォト報告会
スリランカの映像(6) コンラッド・ルークス『チャパクァ』


柳沢保正『カメラは時の氏神』

2019-02-16 11:58:20 | 写真

柳沢保正『カメラは時の氏神 新橋カメラ屋の見た昭和写真史』(光人社、2008年)。

ウツキカメラの創業者・宇津木發生氏への聞き書きである。著者の柳沢保正氏にはクラシックカメラ関連の著作が何冊かあり、『暗いっくカメラと遊ぶ』など愉しく読んだ。

話はあれこれ広がるのだが、戦後の国産カメラメーカーの事情はとりわけ面白い。アイレスは韓国人起業家がはじめたこと、その技術的な限界。対照的にミランダのオリオン精機は航空工学の専門家が立ちあげて技術的にかなり高いレベルにあった。

それにしても中古カメラ店がこの十年、二十年でどんどん消えていったことに、あらためて愕然とする。ウツキカメラ、新橋の大庭商会、神保町の太陽堂、新宿のダックビル、渋谷のKing-2、秋葉原のアプコラボ。そのきっかけはデジタル化であり、ネットオークションであった。しかしその一方で、東京に新しいお店も出てきている。


南青山と西日暮里、ライカIIIa、ズミタール

2019-01-29 09:32:45 | 写真

先日、鶯谷近くの友人が働いているギャラリーを覗いて、ああそういえばこの辺だと思いだし、三葉堂寫眞機店まで歩いた。しばらく眼を悪くしていたこともあり、銀塩カメラ自体に触らなかったのだが、ショーケースの中を凝視していると何かが疼いてくる。

そんなわけで衝動的にライカIIIaを入手した。旧ソ連のゾルキーやキヤノンIVSb改を使っていたこともあったが、本家バルナックははじめてだ。お店の方にあれこれ教わり、富士のカラーネガC200をついでに買った。まずはコンパクト優先ということで手持ちのズミタール50mmF2.0を装着。南青山のビリケンギャラリーの行き帰り、それから西日暮里で降りて三葉堂まで歩く間のあれこれを撮って、そのまま現像とスキャンをお願いした。

やっぱり愉しい。

Leica IIIa、Summitar 50mmF2.0、富士C200


J・ウォーリー・ヒギンズ『秘蔵カラー写真で味わう60年前の東京・日本』

2018-11-25 18:57:01 | 写真

J・ウォーリー・ヒギンズ『秘蔵カラー写真で味わう60年前の東京・日本』(光文社新書、2018年)を読む。

古い東京の写真が多くて楽しいし、昔のカラー写真がコダクロームよりも劣化していたりするのが興味深かったりして、手に取っただけなのだが。

途中でビックリした。山口県の故郷にあった船木鉄道が登場する。しかも船木駅、伏附駅、万倉駅の写真が。毎日のように歩いていた場所である。生まれる前にはもう廃線になっていたので、この鉄道自体は見たことがないし、駅の写真を凝視しても少年時代の光景とは違い過ぎて重なってこない。わたし以外にはどうでもいい話だと思うが。

それにしても驚いた。よくあのような僻地まで行ったねヒギンズさん。