Sightsong

自縄自縛日記

チャーリー・ヘイデンとアントニオ・フォルチオーネとのデュオ

2009-04-30 22:59:28 | アヴァンギャルド・ジャズ

自分へのご褒美と決めて、チャーリー・ヘイデンとアントニオ・フォルチオーネとのデュオ作『HEARTPLAY』(NAIM、2006年)を買ってきた。新品のLPである。アントニオ・フォルチオーネは聴いたことがないギタリストだ。

ヘイデンの音とすぐにわかるベースの響き、それからギターの弦のきしみ、実際の息遣いが録音されていて、本当に嬉しくなる。じっくり聴いていると、スピーカーの向こうに音楽家ふたりが居るような感覚をおぼえる。変に盛り上げることのない対話。

NAIMレーベルにおけるヘイデンの作品は、クリス・アンダーソンと組んだ『None But the Lonely Heart』(1998年)、ジョン・テイラーと組んだ『Nightfall』(2003年)と、ピアニストとのデュオ作がこれまでにあったが、それらに勝るとも劣らない。ところが、同じギターとのデュオということで、とても売れた(らしい)パット・メセニーとのデュオ『Beyond The Missouri Sky』(Verve、1996年)と比較してみると、こちらはメセニーが主役になりすぎているのか、何だかつまらない演奏に感じられてくる。レコードとCDとの違い、というだけではないはずだ。

『HEARTPLAY』では、ギターがベースに寄り添うような「Snow」もいいが、何と言っても、哀しいメロディの曲「La Pasionaria」がすばらしい。手元にあるヘイデンのアルバムでは、1989年、モントリオールでのジャズフェスで、ゴンサロ・ルバルカバとのピアノトリオ、それからリベレーション・ミュージック・オーケストラ(LMO)の編成で演奏している。キューバ出身のピアニスト、ゴンサロ・ルバルカバは、そのテクニックで大反響を巻き起こしたばかりのころで、ここでも難なく速く叙情的なメロディを弾いている。ただ、この曲は<コテコテ>でもあるから、ひたすら大袈裟なLMOが好きなのだ。普段は聴かないアーニー・ワッツのテナーなどに感激させられてしまう(笑)。

それにしても、この「モントリオール・テープス」のシリーズは凄い。レーベルを超え、連日のチャーリー・ヘイデンの演奏を執拗にCD化し続けている。ジェリ・アレンは好みでない硬質なピアニストなので持っていないが、それ以外は全て揃えてしまった。こんなのを通って目の当りにしていたら、どうなるのだろう。

1989/6/30 ジョー・ヘンダーソン、アル・フォスターとのサックストリオ(Verve)
1989/7/2 ドン・チェリー、エド・ブラックウェルとのトリオ(Verve)
1989/7/3 ゴンサロ・ルバルカバ、ポール・モチアンとのピアノ・トリオ(Verve)
1989/7/6 エグベルト・ジスモンチとのデュオ(ECM)
1989/7/7 ポール・ブレイ、ポール・モチアンとのピアノ・トリオ(Verve)
1989/7/7 ジェリ・アレン、ポール・モチアンとのピアノ・トリオ(Verve)
1989/7/8 LMO(Verve)

これで全ての記録なのかな。

●参照
Naimレーベルのチャーリー・ヘイデンとピアニストとのデュオ
リベレーション・ミュージック・オーケストラ(スペイン市民戦争)


続・ビール日和

2009-04-29 21:14:48 | 食べ物飲み物

中国でも帰ってからもてんやわんやだったせいか、疲れがまったくとれず、今日の休日はぐうたらにしていた。夕方、幼児が寝てくれたので、ツマと示し合わせて、ビールの瓶詰め。5月末くらいにはチェリービールが飲めるはずなのだ。

1次発酵が終わったタンクの蓋を開けると、ものすごく良い匂いがした。もうウットリである。かなり自分の体力も回復したような気がする。(単純な。)


空き瓶を果実酒用のエタノールで洗浄する


打栓器と新しい王冠


なぜか鬼太郎ビールにも詰める


しばらくお休みなさい

●参照
ビール日和、キンカン日和
前田俊彦『ええじゃないかドブロク
科学映像館の映画『ビール誕生』


李恢成『沈黙と海―北であれ南であれわが祖国Ⅰ―』

2009-04-26 09:29:01 | 韓国・朝鮮

今回、中国には、李恢成『沈黙と海―北であれ南であれわが祖国Ⅰ―』(角川文庫、1973年)を鞄に入れていった。かつて「朝鮮籍」を保有し続けた在日朝鮮人二世の作家が、批判のあるなか、1972年に韓国を訪れた後にまとめられたものだ。現在70代だが、当時はまだ30代後半だった。

ここで示されるのは、韓国での強烈な「アカ」アレルギーだ。もちろんそれは北の共和国に向けられている。そのため、李には監視が付きまとい、インタビューの記録や寄稿文は変更されてしまう。たとえば、「たとえ日本語で小説を書いても私は同じ民族の一人として祖国の心をあらわしたい」と喋ったところ、「―韓国民族の一員として韓国の心をあらわしたい」とされる、といった具合だ。もちろん、李は、祖国の統一を熱望してことばを発している。

「・・・私は双方の体制を地域的制限をもつ相対的な国家として眺め、南北いずれの体制もいわば統一国家以前の過渡的な性格をもっているとも考えているのだ。このような考え方に立とうとしている私は、「韓国民族」という相対的な民族言語よりも、「祖国」「わが民族」という絶対的言語を志向せざるを得ない。」

こういった言動、それから「朝鮮籍」を使い続けることは、現在からは考えにくいほどの韓国政府からの反応を呼び起こしてしまい、その後、1995年まで韓国から入国を拒否されることになる。本書には1973年の東京での金大中事件についても言及されているが、その金大中が大統領に就任したことを機に、李は韓国籍を取得している。

いま、金大中の太陽政策、日朝間について言えば国交正常化の努力とは正反対の、開戦さえ辞さないような異常な状況にあることを考えれば、李の思考と行動をあらためて追ってみることの意義があるのではないか。

周りの日本人よりもはるかに軍国少年であった李が、日本と朝鮮との間の距離感について発することばを、いまどのように受け止めるか。

「戦争による被害者であるかぎり、誰が誰よりも被害が大きかった、というようなことは究極においてはいえないものかもしれない。
 しかし、その戦争がきたない侵略戦争である場合、被害者であるその国民は他民族にたいしてまた加害者という名誉でない位置におかれてしまう。そして被支配者のうけた被害は支配国の側にいた国民の認識よりはるかに深いのは事実なのである。日本人の多くは「侵略」という言葉に慣れていないようだが、アジアの人々は自分の国を日本に「侵略」されたと思っている人が多い。言葉ひとつにも、事態の受け止め方は、被支配者の方が切実である。」

「ですから僕がたえずなにごとによらず思っているのは、抑圧するものが機構としてある場合には、抑圧される者の側に立って論理を追っていかなければ、本当の心理だとか判断、結論は本質的につかみ出せないんだというふうに考えているわけです。」


『善き人のためのソナタ』

2009-04-25 23:29:55 | ヨーロッパ

今週、北京に向かう飛行機のなかで、見逃していた『善き人のためのソナタ』(フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク、2006年)を観ることができた。

80年代の東ドイツ。もはや社会主義の理念はなく、ヒエラルキー社会、相互監視社会となった状況が描かれている。西側社会に寄った発言をする者を監視し、盗聴し、自白まで追い込むプロと化したシュタージの男が主人公である。

男は大学で自白強要術の講義を行う。シュタージの中で認められるするためには何でも行う同僚と学食で食事をしていると、それと気付かずに学生がホーネッカー書記長に関するジョークをとばし始める。

「朝と夕方、ホーネッカーは太陽と挨拶していた。ある日の夕方、太陽が居なくなった。不審に思ったホーネッカーが、太陽はどこに行ったのかと周囲に尋ねると、『太陽は西側に行ってしまいました』だって!」

隣に有力者が居ることを知った学生は驚愕する。しかし、有力者は、「こんなのもあるぞ」と別のジョークを紹介する。

「ホーネッカーと電話との違いが何だか知ってるか?ホーネッカーは切っても切っても居座るのさ。」

無理に笑わせ、学生の所属と名前を尋ねる。震えながら応対する学生。それを見て、有力者は冗談だよと高笑いする。阿諛追従の輩、そんなものが党の実態だという描き方だ。出世に興味がなく、党の理想を信じる主人公の男は、「恥ずかしくないのか」と呟く。

体制に不満を抱く脚本家を監視するも、権力を維持強化するためだけに彼の人生を奪うことをやめてしまう。裏切りが発覚し、男は地下労働を強いられる。そして数年後、ベルリンの壁が崩壊する。

こんな純真な男がいるだろうか。ステレオタイプの設定が気になった。しかし、逃げ場のない監視社会となった全体主義国家の様子を描いたものとして、映画的に傑作ではなくても佳作ではある。このようなテーマの小説では、ミラン・クンデラ『冗談』ストルガツキイ兄弟『滅びの都』がすぐれた作品だと思っている。東ドイツの状況についてはどんなものがあったかな。


アート・アンサンブル・オブ・シカゴの『苦悩の人々』、高木元輝

2009-04-19 15:01:51 | アヴァンギャルド・ジャズ

久しぶりに、アート・アンサンブル・オブ・シカゴ(AEC)『苦悩の人々』(1969年)を聴いた。レスター・ボウイ、ロスコー・ミッチェル、ジョセフ・ジャーマン、マラカイ・フェイヴァースの4人による即興演奏であり、このときにはドン・モイエは参加していない。パーカッショニストはいなくても、全員がマルチインストルメンタリストであるから、パーカッションの音が序盤から効果的にきこえる。終盤、管のひたすら続く単音を基調にした集団即興の熱気がすばらしい。

高木元輝も、ある時期、「苦悩の人々」をよく演奏していたらしい。これが収録されているのは『モスラ・フライト』(ILP、1975年)だが、AECと示す方向性がまるで異なっている。もちろん、これはピアノレスのサックス・トリオであり、AECのメンバーが寄ってたかって多くの楽器を使いまくる狂気とも違うのは当然ではあるが、多分それだけではない。高木元輝の演奏にあるのは、孤独な自身の奔流と言ってみてはどうか。

「その高木がパリの下宿屋で、演歌のテープを聞いて、ボロボロ涙を流したという。高木自身は永い間秘していたが、李元輝という本名の示す通り、彼の体には朝鮮半島の血が流れている。それが演歌という東アジア独特の情念と反応したものだった。「音楽の感動とは、何でしょうね」と高木は言う。それは言葉では表せない、感性の深い部分に突き刺さってくるものに他ならない。生きるということと音楽を聴くということが、まっこうから向い合った瞬間に違いない。」(副島輝人『日本フリージャズ史』、青土社、2002年)

この分析が的を射たものかどうかは判断できないが、高木元輝の演奏がアジア的というような独特さを感じさせるものだったことには共感する。(姜泰煥の演奏がアジア的だと言うときとは別の意味で。)


柳田邦男『みんな、絵本から』

2009-04-16 21:40:23 | 思想・文学

インターネット新聞JanJanに、柳田邦男『みんな、絵本から』(講談社、2009年)の書評を寄稿した。

>> 『みんな、絵本から』の感想

 著者の柳田邦男は、何冊か、大人にとっての絵本の価値について著作をものしている。本書のとてもシンプルなメッセージは、おそらく、その手探りでの絵本世界の探索により得られた経験を、正直に提示してくれるものだ。

 ここに挙げられた実例からは、子どもたちが絵本を愛することによって、感性、考える力、ことばを紡ぐ力を育むのだということを読み取ることができる。著者は言う。絵本は、「子どもが自分で時間をコントロールすることができる唯一といえるメディアである」と。そして、それは、大人が読み聞かせることが前提条件となる。

 絵本は、単に、絵とやさしいことばとが組み合わさった書物なのではない。肉声をブリッジとして使い、身体の温かさや匂いに包みこみ、時には行きつ戻りつし、質問をさしはさんだりする、とても柔軟なコミュニケーション・ツールなのだ。さらに、その場限りのコミュニケーションの補助にとどまらず、さまざまなものと結びついた記憶、知性や感性の礎となっていく。

 あらためてわが身を振り返ってみて、反省させられる。子どもとの絵本を介したプロセスを積み重ねていくせっかくの時間を、インターネットやテレビのために、如何に失っているのかということを。

 実際に、魅力的な絵本は多い。子どもに読み聞かせると、なおさら楽しくなる。それは、すぐれた絵本が、読み聞かせのプロセスに乗せるように作られているからだろう。わが家でいえば、「こぐまちゃん」(わかやまけん)、「ミッフィー」(ディック・ブルーナ)、「ころ ころ ころ」、「がちゃがちゃ どんどん」(元永定正)などがお気に入りだ。見たり読んだりするたびに、味がにじみ出てくる。

 大人と子どもとで、もっと絵本を共有しよう。

◇ ◇ ◇

絵本は書物ではなくプロセスだということ。


マラカイ・フェイヴァースのソロ・アルバム

2009-04-16 00:48:58 | アヴァンギャルド・ジャズ

レコードプレイヤーのカートリッジも取り替えて、部屋も掃除して、そんな目を見張るようなシステムではないけれども、改めてレコードを聴くのが楽しい。もう随分前、ギャラリーでの音楽イヴェントを主催するKさんのお宅にお邪魔したとき、CDとLPとVHSの山に驚いた。しかし、Kさんが発した言葉は、「名盤はあなたの棚にある」だった。もう自分のストックの中身を覚えていられないのだった。

そんなわけで、浮かれて新しい音源を調達するよりも、自分の棚をじろじろと探検する。大きなスピーカーで聴きたいのは低音でもあるから、ベースが主役のLPを探した。セシル・マクビー、ペーター・コヴァルト、バール・フィリップス、チャーリー・ヘイデン、バリー・ガイなど色々とターンテーブルにのせては悦に入る。

なかでもあたたかいのは、マラカイ・フェイヴァース『ナチュラル&スピリチュアル』(AECO、1977年)。アート・アンサンブル・オブ・シカゴ(AEC)のベーシストとして有名な故フェイヴァースだが、自身のリーダー作は少ない。完全ソロとなると、この1枚ではないだろうか。よくは知らないが、AECOというレーベルはAECの肝いりのようで、このレコードは、ドン・モイエ、ジョセフ・ジャーマンのリーダー作に続いて3枚目。この後にAECの作品がある。時期的には、ECMレーベルへの吹き込みを開始するころだ(円熟期と言っていいのかな)。

最初はバードコールのような笛、そしてマリンバの演奏。続くベースソロは馥郁たる香りが漂うようで、厚みがあって、そして暖かみがある。B面の後半は弓で弾いているが、最後の最後になって、また指でテンポよく弾き始め、唐突に終わる。何度聴いても魅力的で、タイトルは嘘をついていない。

ところで、船戸博史というベーシストは、「ふちがみとふなと」の人というイメージだったのだが、実はマラカイ・フェイヴァースの死後まもなく、『LOW FISH』(Off Note、2004年)というアルバムを出している。まさにその1曲目が「マラカイのひとりごと」というベースソロ演奏であり、彼に捧げたものだろうか。

他の曲では、主に、中尾勘二(サックスなど)、関島岳郎(チューバなど)という「中央線」な音楽家(というのも何だが)と組んでいる。この2人が入ると、篠田昌巳と組んだ「コンポステラ」でも、その後の「ストラーダ」でもそうだが、裏寂れた哀愁があってたまらない雰囲気がある。何でだろう。


『けーし風』2009.3 オバマ政権と沖縄/ガザ、『週刊金曜日』戦争ごっこ、『BRUTUS』の仏像特集

2009-04-15 08:47:14 | 沖縄

■『けーし風』2009.3(新沖縄フォーラム)

最新号の特集は、「オバマ政権と沖縄」と「ガザが世界に問いかけているもの」。「オバマ政権」とは言うものの、その謳う「チェンジ」に過度な期待をするというよりも、米軍再編のなかで沖縄が存在する位置についての視線というべきか。ピースデポの梅林宏道氏による講演録と対談は示唆的である。米国の掲げる「スマート・パワー」(次期駐日大使のジョゼフ・ナイによる)は、ハードな軍事力でなく強制せず米国の意向に沿わせる力、だが、それに関して、梅林氏は限界だと指摘する。

「これは私に言わせれば、非常に矛盾した認識です。つまり、軍事的に優位を保つ国は、絶えず軍事力を背景にものを言っていると見られざるを得ないわけです。」
「ですから、軍事力を相対的に下げることによってこそ、そういうことが少しでもできるようになるのだという認識は、残念ながら生まれていない。それが「限界」という言葉になります。」

そのような面の顕在化はあちこちで見られるわけで、少なくとも激しく矛盾した親分の声を拡声器にかけることの罪は大変大きい。『朝日新聞』2008/1/8の紹介文なんかは、駄メディアの典型と言えそうだ。

グアム移転の協定なんかもあっさり看過されてしまい、それどころか、ヒラリー・クリントン来日時のビジュアル的な態度をニュースにしていたりして、もうどうしようもないねという印象が強い。

新崎盛暉氏との対談でも、梅林氏は繰り返している。

「オバマは確かに魅力的な人物ですし、抑圧された側についての視点がだんだんと政治の中に見えてくるという貢献もあるとは思います。しかし「軍事的優位を確保する」という前提を変える、そういうことを提示する力が世界のどこかから出てこないといけない。日本などはまさにそうなるべき憲法を持っている。危うい状況ですが、それでもまだ大衆カルチャーとしては、戦争はいやだし、軍事的優位を保つことをよしとしない発想が日本にはあり、軍事カルチャーへの抵抗がある。アメリカには無いに等しい。」

ガザ特集では、板垣雄三氏の講演録が圧倒的に思える。やはりここでも、イスラエル、米国主導のメディア戦略によって隠蔽されている部分が多いことを指摘している。

「もしもパレスチナに目をつぶって「ホロコーストの記憶」だけを吹聴するなら、それは自らを騙しているということになってしまう。「悲劇の民族」が永久に人道主義的だという保証はどこにもないのです。今日のイスラエル占領地の景色は、まさしくナチの強制収容所のそれなのです。」

■『週刊金曜日』2009/4/10 特集・戦争ごっこに巻きこまれるな

北朝鮮の人工衛星騒動が、軍備を必要だと思わせるためのものだったという多くの指摘。これも、皆そんなことわかっているでしょう、と考えるのはきっと大甘で、それどころか、堂々と「ミサイル」という報道が定着してしまっているのを許している。

千葉県知事選も含め、すべてデタラメのきわみだ。(これは、公職選挙法違反であったこと、献金隠しがあったことなどが明らかにされることに期待したい。)

■『BRUTUS』2009/4/15 特集・仏像

やめようやめようと思いつつ、仏像カードに負けて手を出してしまった。当然、みうらじゅんムーブメントの流れにあることはわかっているが、つい笑ってしまう。

世田谷美術館の中尊寺展、福岡市博物館の三井寺展にも足を運びたいが、さてできるだろうか。


川本博康『東京のカワウ 不忍池のコロニー』(科学映像館)、日本野鳥の会のカワウ文献

2009-04-13 00:18:23 | 環境・自然

科学映像館が、川本博康『東京のカワウ 不忍池のコロニー』(1996年)(>> リンク)という短編記録映画の配信を開始している。これが非常に面白い。

東京近辺には、2つの大きなカワウのコロニーがある。浜離宮と、この不忍池だ。実はこれには大きな変化を伴う経緯があった。『関東地方におけるカワウの集団繁殖地の変遷』(成末ら、1997年)(>> リンク)を一読してからだったので、さらに興味深く映像を観ることができた。

それによると、1930年代まで、千葉市の大厳寺羽田の鴨場の2か所にコロニーがあった。羽田のコロニーは、空港の離着陸のためにマツが伐採され、1940年代以降は消滅した。また大厳寺のコロニーは、京浜工業地帯の造成とともに生育環境が悪化し、1971年にゼロとなった。これらに代わってコロニー化したのが、不忍池であり、浜離宮であった。なお、浜離宮では鴨猟を行わなくなったが、市川市行徳の新浜鴨場ではカワウの追い出しを行っていたため、繁殖を継続することはなかった。

映像では、凄いエピソードが示されている。何万羽もの生育を誇った大厳寺(不忍池は千羽)では、糞を農業肥料として使うためにカワウ保護をしていたというが、それに加え、カワウが樹上から落す食べかけのハゼ、カレイ、コハダなどを住民がせっせと拾い、動物の餌にしていたというのである。現在はカワウは居ないが、境内には当時を懐かしんでカワウ像が設置されているようだ。ちょっと見物に行きたくなるところだ。

不忍池のコロニーの様子も面白い。初めて知ったことだが、カワウが止まる樹の場所は個体毎に決まっていて、巣を作るときの材料の取り合い以外には、場所をお互いに尊重している。それを考慮して、現在不忍池の中の島に作られている人工の樹(鉄芯にグラスファイバーと樹脂)は、枝の間隔などが設計されているという。日中、カワウたちは三番瀬まで魚を捕りに出かけて行くが、夕方戻ってきても、自分の定位置は奪われていない、という案配。

そういえば、10年だか20年だか前、カワウの糞で不忍池の水質があまりにも悪化したので(樹はとうの昔に糞のため枯れて人工になっている)、水を掻き混ぜて水中の酸素濃度を高める取り組みをしているという報道があって、現に池でもそのような看板を見たのだが、その後どうなっているのだろう。昔は近くに住んでいたので、よく歩いていく場所だったのだが。

さらに映像では、水面から飛び立つときの特徴(足を交互ではなく同時に水面を叩く)、嘴や足びれの特徴、繁殖期の変化(目の下が赤くなり、熱帯の鳥によくあるようにメスの気を惹くダンスをする)、などを楽しげに紹介する。雛に餌をあげるときの様子が凄くて、ばくりと雛の頭を親がくわえ、雛は親の喉の奥から吐き出された魚を食べる。結構大きくなってもこれをやっていたりして、親離れできない子どもを見ているような気になってくる。

最近不忍池に足を運んでいないし、行っても池などじろじろ見たりしないのだが、俄然その気になってきた。少なくとも三番瀬や新浜鴨場は近くだから、今度の機会にはカワウが目当てになるだろう。

ところで、70年代までに激減したカワウだが、その後かなり増加し(砂町や上尾、木更津の小櫃川河口にもコロニーができている)、いまでは内陸河川でのアユなどの漁業被害が多くなっている。このあたりは、日本野鳥の会が2003年に行ったシンポジウムの報告書『河川に生きるカワウと人との共存の道を探る』(>> リンク)を読むと、おぼろげに状況が見えてきた。漁業者の不満を「ガス抜き」するために銃によるカワウ駆除が行われるが効果は概して小さいこと、駆除をやりすぎて銃弾の鉛による汚染が心配されること、などがあるようだ。実は、ダムや堰を建設したこと、護岸工事によって環境の多様性が失われてしまったことなどによる影響にこそ、言及する必要があることも示唆されている。

●科学映像館のおすすめ映像
『沖縄久高島のイザイホー(第一部、第二部)』(1978年の最後のイザイホー)
『科学の眼 ニコン』(坩堝法によるレンズ製造、ウルトラマイクロニッコール)
『昭和初期 9.5ミリ映画』(8ミリ以前の小型映画)
『石垣島川平のマユンガナシ』、『ビール誕生』
ザーラ・イマーエワ『子どもの物語にあらず』(チェチェン)
『たたら吹き』、『鋳物の技術―キュポラ熔解―』(製鉄)
熱帯林の映像(着生植物やマングローブなど)

●カワウ関連の場所
新浜湖干潟(行徳・野鳥保護区)
盤洲干潟 (千葉県木更津市、小櫃川河口)
○盤洲干潟の写真集 平野耕作『キサラヅ―共生限界:1998-2002』
とくに三番瀬
三番瀬は新知事のもとどうなるか、塩浜の護岸はどうなるか
三番瀬(5) 『海辺再生』
猫実川河口
三番瀬(4) 子どもと塩づくり
三番瀬(3) 何だか不公平なブックレット
三番瀬(2) 観察会
三番瀬(1) 観察会
『青べか物語』は面白い


元ちとせ×あがた森魚

2009-04-12 00:22:46 | ポップス

元ちとせは、インディーズ時代のミニアルバム『Hajime Chitose』(AUGUSTA、2001年)で、ビョークやジミヘンなどのカヴァーを幾つも歌っている。その中に、あがた森魚「冬のサナトリウム」も選ばれている。サナトリウムって!(まるで『魔の山』みたいだ。) 歌詞が本当に寂しくて、余裕がなさそうに歌う元ちとせの声が妙にマッチしている。

雪明り 誘蛾灯
誰が来るもんか 独人

オリジナルも聴きたくなって、先日、中古レコード店で、あがた森魚『乙女の儚夢』(1972年)を探し出した。20代前半の吹き込みの筈だ。

心底弱そうで、ヘロヘロしていて、すぐにでもポキリと折れそうだ。しかも、アルバム全体を、アナクロニズムと少年趣味と少女趣味が覆っていて、(その後のイメージがあるせいか)ダンディにも聴こえて、タルホ趣味というか、何と言ったらいいのだろう。情緒不安定な10代の頃に聴きたかったな、などと思ったりして。

それから、あがた森魚のオリジナルは聴いたことがないが、元ちとせは「百合コレクション」もカヴァーしている。『ノマド・ソウル』(Epic、2003年)などで歌っていて、これも好きなのだが、テレビ番組『僕らの音楽』(フジ、2006/5/5)でこの2人が共演しているのを見て余計に気になってしまった。飄々として、弱弱しい癖に堂々としているあがた森魚と、あくまでウェットに歌おうとする元ちとせとの組み合わせは非常に良かった。

こういった吹き込みに比べると、ここ数年間の元ちとせの歌唱は、声がよれていて、「コブシのためのコブシ」のようにも感じたりする。不満に思っているのは自分だけではないに違いない。

『SWITCH』(2003/7、特集・池澤夏樹・元ちとせ〔その琉球弧たる声〕)での対談を読むと、『Hajime Chitose』にも収録されている山崎まさよし「名前のない鳥」をはじめて歌ったとき、テンポがあまりにも速く、「コブシを回さなかったら追いつかなかった」とある。そのコブシと今のコブシとは違うような気がするのだ。


『ハイヌミカゼ』に触発された記事ばかり


ビリー・ハーパーの新作『Blueprints of Jazz』、チャールス・トリヴァーのビッグバンド

2009-04-11 08:30:02 | アヴァンギャルド・ジャズ

今年の1月、チャールス・トリヴァーのビッグバンドを新宿SOMEDAYまで聴きに出かけた。ピアノのスタンリー・カウエルや、ずっと私のアイドルのビリー・ハーパーが一員だというので、高いチャージ代は仕方がない。ハーパー中心の小さな編成で、どこかのハコでやらないかなと期待して待っていたが、結局それはなかった。

SOMEDAYはあちこち移転して、いまは新宿御苑の近くにある。マスターに、「ハーパーの近くってどこ?」と耳打ちして尋ね、真ん前を確保した(ミーハーか)。最初の曲で、長いソロを取った。音が太く、ファンとしては大感激である。それ以外のときには、ときどき居眠りしていた。エリントン楽団のポール・ゴンザルヴェスか?


ビリー・ハーパー Leica M3、エルマリート90mmF2.8、TRI-X(+2)、フジブロ3号


ビリー・ハーパー Leica M3、エルマリート90mmF2.8、TRI-X(+2)、フジブロ3号


ビリー・ハーパー Leica M3、エルマリート90mmF2.8、TRI-X(+2)、フジブロ3号


チャールス・トリヴァーとスタンリー・カウエル Leica M3、エルマリート90mmF2.8、TRI-X(+2)、フジブロ3号


サインもらっちゃった(笑)

その後ほどなくして、本当に久しぶりのハーパーの新作が出た。『Blueprints of Jazz Vol. 2』(TALKINGHOUSE)がそれだが、このタイトル名でシリーズとして出しているだけで、ハーパーの作品はこれ1枚である。

いつものオリジナル曲とハーパー節、立派だというのか、デビュー以来まったく変わらない姿である。ただ、今回の聴きどころはアミリ・バラカ(かつてのリロイ・ジョーンズ)のヴォイスによる参加だ。最初の2曲において、アルバムのコンセプトに沿って、バラカはジャズの歴史をおそろしい早口で辿ってみせる。その居眠りゴンザルヴェスのことも口走るし、バディ・ボールデン、ジョニー・ホッジス、ジェームス・P・ジョンソン、ファッツ・ウォーラー、ディジー・ガレスピー、エルヴィン・ジョーンズ、サン・ラ、・・・・・・切りがないほど多くの音楽家のことを引用し続ける。そして最後の1曲では、音楽を普遍的なコミュニケーションの活動だと謳いあげる。

これによって、ついつい同じムードになりがちなハーパーの音楽に刺激が加わり、サックス自体もさらに良いものに聴こえてきた。もちろんバラカが参加していないバンドの演奏は良くて、普段より若干人数が多いためか、『カプラ・ブラック』『ソマリア』のような呪術的な雰囲気を漂わせている。なかでも、「Amazing Grace」は嬉しい。また、「Another Kind of Thoroughbred」は、かつての「Thouroughbred」との関係を思わせるが、ギル・エヴァンスのビッグバンドでの演奏と聴き比べても関連がよくわからなかった。(余談だが、このギル・エヴァンス『スヴェンガリ』では、デイヴィッド・サンボーンとビリー・ハーパーが続けてソロを取るという嬉しさがある。)

●参照
ビリー・ハーパーの映像


オルトフォンのカートリッジに交換した

2009-04-08 23:58:36 | アヴァンギャルド・ジャズ

最近、レコードの音があまりにもひどいので、何がまずいのだろうと思って、とりあえずカートリッジを交換することにした。いままで使っていたオーディオテクニカのカートリッジ、実は10年くらい交換していない(笑)。

帰りにお茶の水のオーディオユニオンに寄って、良さそうなオルトフォンのカートリッジ「2M red」とシェルとを買ってきた。気を使って装着しなおしてみると、嘘のように良い音になった。オーディオを馬鹿にしてはいけない。ごめんなさい、レコードたち。

浅川マキ『ふと、或る夜、生き物みたいに歩いているので、演奏者たちのOKをもらった』(1981年)の好きなB面を聴いた。「ボロと古鉄」「あの男がピアノを弾いた」での坂田明のソロ、「ふしあわせという名の猫」での杉本喜与志とのデュオが、いままでよりライヴな雰囲気できこえる。


『なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか』

2009-04-08 00:51:51 | 中国・四国

この間赤坂で飲んでいたとき、記者のDさんに教えてもらった本。Chim↑Pom・阿部謙一・編『なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか』(河出書房新社、2009年)は、アーティスト集団のChim↑Pom(チンポム・・・発音したくないが、それも視野に入っているのだろう)が、昨年やってしまったハプニングによる波及に関して、分析をよせ集めたものだ。分析といっても、印象批評のようなものが多い。

何のハプニングかといえば、この表紙に再現されている通りだ。突然、晴天の広島の空に、チャーターした飛行機で「ピカッ」という字を描いてしまったのである。私としては、酔いかけているところで、ああそんな報道があった気がするなという程度。しかし、ヒロシマでの行動であるから、新聞やネットでの感情的な、あるいは右に倣えのバッシングが燃え上がったという次第のようだ。これに対し、Chim↑Pomは謝罪をした。

多くの方が本書で述べていることは、かなり重複していたり、別の結論を提示していたりして興味深い。例えば。

― 蔡國強(ツァイ・グオチャン)がやはり2008年に行ったプロジェクト「黒い花火:広島のためのプロジェクト」では、原爆ドームの脇で黒い花火を打ち上げた。原爆被害を前提にした行動であることは共通しているが、蔡の場合には、予め被爆者団体に説明をし、意図を納得してもらっていた。それがなかったChim↑Pomについては責められるべきだ。あるいは、謝るくらいならこのようなハプニングの形をとるべきではなかった。
― 蔡が賞賛されるのは、それにも増して、国際的に評価されているアーティストだからだ。しかし、何かを打ち砕く力、しこりとなって持続する力は、Chim↑Pomの方が強い。あるいは、アートとしての昇華度は蔡を凌駕するようなものではない。
― スベって不快で脱力するような時空間の残り滓がChim↑Pomの存在価値である。その意味で、やったことも、あとで謝罪したことも、中途半端だった。

蔡のことはともかく、さまざまな考えがぽこぽこと湧き出てくること自体が、このハプニングの意義だったのかなと(結果的には)思える。アーティストの社会性といったところで、その言葉が矛盾そのものかもしれない。「やって良いことと悪いこととがある」という言葉も、そのバウンダリ内から外には出てこない。

それだけに、Chim↑Pom自らが、正直な言葉で被爆者団体との対話で得た感動などを綴るのはあまりにも予定調和、この本になくてもよかったという読後の印象。

ところで本質的ではない話。北京五輪開会式で、空に花火で描かれた足跡はテレビではCGが放送され、後で騙されたという雰囲気になった。この演出は張芸謀(チャン・イーモウ)が手がけたものだが、実は、美術監督を蔡國強が担当していたということだ。知らなかった―――のはむしろ当然で、ほとんどメディアで意図的に報道されてなかったらしい。その件について、本書にも書いている楠見清氏のブログ「I Get Around The Media 楠見清のメディア回游」にあれこれ推察があった。89年の天安門事件に衝撃を受け、犠牲者への鎮魂と祈りをアートを通じて表現した蔡でさえ、国威発揚につながってしまうのだ。


1996年の「キノコ雲のある世紀」プロジェクトを実践する蔡を表紙にした『美術手帖』(1999年3月)

●参照
燃えるワビサビ 「時光 - 蔡國強と資生堂」展


北京の散歩(4) 治国胡同、三源胡同

2009-04-06 12:54:06 | 中国・台湾

北京駅の北西側、大通りを渡ってすぐのあたりを地図で見ると、くねくねした胡同(治国胡同、三源胡同など)があったので、まだ取り壊されていない地域だと目星をつけて出かけた(2009年1月)。賑やかな駅のすぐ近くなのに、一歩胡同に入ると、親密な生活空間が残っていた。歩いていると方向がわからなくなった。

カメラは、フォクトレンダー・ベッサフレックスに、EBCフジノン50mmF1.4を付けた。フジカST用のちょっと良い方の標準レンズである。廉価版は55mmF1.8だが、これも気に入って使っている。F1.4は明るく、ファインダーを覗いているだけで贅沢な気分になる。


北京、2009年1月 Voigtlander Bessaflex、EBC Fujinon 50mmF1.4、ローライ・レトロ400、フジブロ3号


北京、2009年1月 Voigtlander Bessaflex、EBC Fujinon 50mmF1.4、ローライ・レトロ400、フジブロ3号


北京、2009年1月 Voigtlander Bessaflex、EBC Fujinon 50mmF1.4、ローライ・レトロ400、フジブロ3号


北京、2009年1月 Voigtlander Bessaflex、EBC Fujinon 50mmF1.4、ローライ・レトロ400、フジブロ3号


北京、2009年1月 Voigtlander Bessaflex、EBC Fujinon 50mmF1.4、ローライ・レトロ400、フジブロ3号


北京、2009年1月 Voigtlander Bessaflex、EBC Fujinon 50mmF1.4、ローライ・レトロ400、フジブロ3号


北京、2009年1月 Voigtlander Bessaflex、EBC Fujinon 50mmF1.4、ローライ・レトロ400、フジブロ3号


北京、2009年1月 Voigtlander Bessaflex、EBC Fujinon 50mmF1.4、ローライ・レトロ400、フジブロ3号


北京、2009年1月 Voigtlander Bessaflex、EBC Fujinon 50mmF1.4、ローライ・レトロ400、フジブロ3号


北京、2009年1月 Voigtlander Bessaflex、EBC Fujinon 50mmF1.4、ローライ・レトロ400、フジブロ3号


北京、2009年1月 Voigtlander Bessaflex、EBC Fujinon 50mmF1.4、ローライ・レトロ400、フジブロ3号

●参照 中国の古いまち
北京の散歩(1)
北京の散歩(2)
北京の散歩(3) 春雨胡同から外交部街へ
牛街の散歩
上海の夜と朝
盧溝橋
平遥
寧波の湖畔の村