Sightsong

自縄自縛日記

読谷村 登り窯、チビチリガマ

2008-02-28 23:59:52 | 沖縄


読谷村の登り窯 Leica M4、Carl Zeiss Biogon ZM 35mmF2、Tri-X、イルフォードマルチグレードIV(光沢)、2号フィルタ


読谷村の登り窯 Leica M4、Carl Zeiss Biogon ZM 35mmF2、Tri-X、イルフォードマルチグレードIV(光沢)、2号フィルタ


チビチリガマ Leica M4、Carl Zeiss Biogon ZM 35mmF2、Tri-X、イルフォードマルチグレードIV(光沢)、2号フィルタ


デヴィッド・ハーヴェイ『新自由主義』

2008-02-27 23:55:24 | 政治

デヴィッド・ハーヴェイの大作『新自由主義 その歴史的展開と現在』(作品社、2005年)をようやく読んだ。

格差社会、地方切り捨て、弱者切り捨て、それから米国の好戦など、いくつもの亀裂が隠しようもない状態になっているいまにあって、その諸悪の幹を、米国発祥の新自由主義(ネオリベラリズム)に見出し、告発する書である。

新自由主義は、経済主体も、財も、サービスも、それこそ個人の幸福をも、経済ユニットに分割し、権力が介入しないことによる最適化を掲げている。ハーヴェイが主張し続けるのは、現実に起きている様々な矛盾や社会的不平等の拡大は、新自由主義的な理想が実現するための過渡期にあって出てくる副産物ではなく、それらの亀裂こそが新自由主義の本質であり、存在意義であるということだ。また、(一応は)近代社会において私たちが信じ込んでいる、個人の自由や自己実現という陥穽があることにも改めて気づかされる。

ハーヴェイは指摘する。

●市場の自由を標榜しながら、実は逆に、ナショナリズムが効率的に機能する仕組になっている。
●新自由主義は権威主義であり、大きな者はより大きく、小さな者はより小さくなっていく。そこには対称関係はなく、権力関係のみがある。
●競争は理想的・美徳的には働かず、儲け本位が支配し、少数の大企業や支配者に権力が集中する。メディアもそうであるから、ニュースの多くはプロパガンダに堕してしまう。
●自由は企業の自由に還元され、あらゆるものは(人の価値やつながりも)商品と化し、社会的連帯は崩壊する。

そして、考察が進むほど、新自由主義は強者のみの競争ゲームであり、新保守主義(ネオコン)と表裏一体の関係であることが見えてくる。現象としての社会的秩序や道徳の崩壊について、その原因に気づかずして、見せかけの教育改革などで覆い隠そうとするネオコン的政策が、いかに欺瞞的であるかということも。

問題の構造は繰り返し聴かされるとして、それでは、社会的連帯や環境や福祉や安心といった「埋め込み」を取り戻し、理想との乖離から民主主義を引き戻すために、どうすればよいのか。ネグリ/ハートのような脱中心主義的・分散主義的な力の生起にも、コモンズの特別扱いにも、言及がなされている。しかし、ハーヴェイの示唆は充分ではない。というよりむしろ、それを必死に考えるための問題提起がなされていると考えるべきなのだろう。ただ、個人という(新自由主義の意味するものとは違う)ユニットでの働きかけが必要とされていることは間違いないだろう。

「このように、「ただ自由企業を擁護するだけのもの」へと新自由主義的な堕落を遂げた自由の概念は、カール・ポランニーの指摘によれば、「所得・余暇・安全を高める必要がない人にとっては自由の充足を意味するが、財産所有者の権力からの避難場所を手に入れるために民主的な権利を利用せんとむなしい試みをするかもしれない人にとっては、ほんのわずかの自由しか意味」しない。」


備瀬のフクギ、オオタニワタリ、シロバナセンダン草

2008-02-26 23:59:37 | 沖縄

あまりの寒さに、年末撮った沖縄の写真をプリントせずにいたのだが、週末ようやくこもった。お気に入りのモノクロ印画紙、フォルテのRCペーパーがハンガリー工場閉鎖により無くなったので、イルフォードのマルチグレードIV(光沢)を試してみた。先日、表面がサテンだかパールだかのつや消しを使ったら眠たい雰囲気になってがっかりしていたのだが、こちらはとてもよかった。ダイナミックレンジに余裕がある感じで、同様の性格を持つツァイス・ビオゴン35mmF2と組み合わせたのも正解だった。

本部町の備瀬にある有名なフクギ並木。肉厚な照葉はとても好きなので気分がいい。樹木に着生して、ふわふわの腐葉土を作り上げた上に育つオオタニワタリがあちこちにあった。葉の裏に胞子がびっちりついているものもあって、それは表からもわかった。不思議な植物で、少し気味が悪い。

あちこちと同じで、ここにも、白くて小さいシロバナセンダン草があった。戦後、米軍が持ち込んだといわれる外来種のようだ。


備瀬のフクギと根元のシロバナセンダン草 Leica M4、Carl Zeiss Biogon ZM 35mmF2、Tri-X、イルフォードマルチグレードIV(光沢)、2号フィルタ


フクギに着生したオオタニワタリ Leica M4、Carl Zeiss Biogon ZM 35mmF2、Tri-X、イルフォードマルチグレードIV(光沢)、2号フィルタ


フクギに着生したオオタニワタリ Leica M4、Carl Zeiss Biogon ZM 35mmF2、Tri-X、イルフォードマルチグレードIV(光沢)、2号フィルタ


表からみた胞子部分の拡大(フクギに着生したオオタニワタリ) Leica M4、Carl Zeiss Biogon ZM 35mmF2、Tri-X、イルフォードマルチグレードIV(光沢)、2号フィルタ


ジョン・ブッチャーを聴く

2008-02-25 23:59:11 | アヴァンギャルド・ジャズ

音楽評論家・横井一江さんのブログ『音楽のながいしっぽ』で、サックス奏者ジョン・ブッチャーのことがとりあげられていた(→リンク)。フリー・インプロヴィゼーション情報を発信し続けているtsugeさんの『ひねくれ人生日記2008』(→リンク)でも引用している。辿っていくと、『WIRE』のサイトで、演奏を3曲聴くことができた(→リンク)。

とても気に入ったので、ディスクユニオンで、その試聴曲もおさめられているサックス・ソロ集『THE GEOMETRY OF SENTIMENT』(EMANEM、2007年)を買ってきた。リビングで聴きはじめると、寝ていた幼児が吃驚して泣き始めたので、寒い部屋の大きなスピーカーであらためて体感をきめこむ。

最初の2曲は「持続」と名づけられていて、宇都宮の大谷石地下採石場跡で演奏されたものである。撥音、擦音、倍音などのバリエーションが驚くべきものだ。そして共鳴。採石場の大きな閉空間により、音はある塊になり、時間差をもって演奏に参加する。共鳴は、サックスの菅の中、それからサックスの多くの穴から吹き出たりタンポで急に止められたり、といったレベルでも感じられる。渋谷などの地下駐車場でサックスを吹くという試みをしていたサックス奏者もいたが、水準がまったくちがう。

デレク・ベイリーに捧げられた「But More So」では、実際にベイリーの手癖を思い出させるフレーズが断続的に出てくる。あらためて、ベイリーはフレーズを作っていたのだなと認識させられる。(それでもクリシェにならなかったところが、ベイリーの凄さだったとおもう。)

人工的に増幅しフィードバックしている曲もあるが、他の肉体による演奏のなかにあって違和感がないどころか、朦朧とした頭を揺り起こしてくれる。そして最後の曲「Traegerfrequenz」(搬送周波数)は、ドイツ・オーバーハウゼンの旧ガスタンク、ガゾメーター内で演奏されている。(たしかベッヒャーが撮った写真にあったと思い探したが、ベルリンのガスタンクの写真だけ見つかった。)

ここでも、立ち位置とその時間的プロセスが大事にされているわけだ。なんといっても、タイトルは『感情の幾何学』なのだ。(ところで、このタイトルは、ひと世代前のエヴァン・パーカーによる『肺の地誌学』(Topography of the Lungs)を意識してはいないだろうか。)

いままで名前だけ引っかかっていて演奏を聴いたことのない音楽家だった。

この演奏からの連想。大谷石地下採石場跡で、トゥヴァ共和国出身のヴォイス・パフォーマーであるサインホ・ナムチラックが歌う映像を観たことがある。六本木の「将軍」というあやしいクラブで、音楽評論家・副島輝人さんがサインホのライヴを企画し、あわせて上映したのだった(→リンク)。常人の域をはるかに超えた声を提示し続けるサインホと、このジョン・ブッチャーとは共通するところがある。この映像、もう一度観たい。

もうひとつ連想。重さや音のバリエーションや深刻さにおいてまったく異なるが、サックス奏者ロル・コクスヒルの2枚組LP『Frog Dance』も思い出した。共通するのはアンビエント性だけだろうという気もするが、あらためて聴くことにする。もう部屋が寒くて聴いていられないのだった。


「まなざし」とアーヴィング・ペン『ダオメ』

2008-02-24 13:32:06 | 写真

先日、仙台駅前でホームレスの方から購入した『THE BIG ISSUE』(88号)の特集が、「知らなかったアフリカ、新しいアフリカ」だった。そのなかで、松田素二氏によって語られるアフリカの捉え方が興味深い。突然まったく別の民族になることができるエスニック・チェンジ(民族変更)、被害者と加害者とが公の場で対面して告白しあうことで和解する方法(マンデラが用いた手法)、居候文化、都市と農耕との一体化など、他の文化にとどまらない種がありそうに感じた。

「グローバル化の中心から見れば、彼らは端っこの端っこに位置する米粒以下の存在かもしれません。しかし、彼らはそうした巨大な力に唯々諾々と従っているのではなく、むしろそうした力を飼い慣らして、自分たちの生きやすいように仕組みを組み替えていく。」

「つまり、アフリカを考えるということは、単に遅れた社会だから援助したり、彼らが知らないことを教えてあげるというものではなく、普段、私たちが当然のものとして受け入れている市民社会や自由平等の人間観、民主主義、人権観などを疑ってみるということなんです。」
(松田素二氏のコメント)


『THE BIG ISSUE』(88号)より

この対極にあるスタンスがオリエンタリズムであることは言うまでもないことだろう。かつて(これまで)西洋が日本を含む第三世界をどのようなまなざしで視ていたのか、という視点で組み立てられた展覧会が以前あった。『異文化へのまなざし』(世田谷美術館、1998年)である。必ずしも単純に略奪の歴史とだけみるわけにはいかないのが興味深いところだが、ここには、典型というべき大英博物館所蔵のものが並べられていた。

「アフリカ人の「裸体性」は、子どものような無垢と意図的な放縦さのいずれにも解釈可能である。19世紀をつうじて、アフリカはヨーロッパの植民地主義による救済をまつ荒野であるという見方がますます優勢になっていったのは、統計的にも疑いないが、もうひとつの選択肢(※理想郷)もつねに開かれていたのである。」(ナイジェル・バーリー「オロクンのひとつの顔―――西洋人のアフリカ観」、『異文化へのまなざし』図録所収)


ベニン王国の装飾品(16世紀、19世紀)」(『異文化へのまなざし』図録)

大英博物館におさめられている記録やオーナメントの類が、本来その地にあって自発的なものかどうかはわからないが、オリエンタリズム的視線により発生した(「発見」も、経済的な「創生」も含む)ものも多くあるのだろうと思える。

それに対して、『ヴォーグ』などで活躍した写真家アーヴィング・ペンが、ダオメ共和国(現在はベニンの南部)を訪れ、女性たちや神像を撮った写真集『DAHOMEY』(Hatje Cantz Verlag、2004年)には、そのような枠から相当逸脱しているイメージが記録されている。ローライを使い、場合によっては簡易スタジオを作ってまで撮った写真群のクオリティは完璧である。(だから、これもオリエンタリズム的だ、と言うことは、勿論できる。)

写真の大半を占めるレグバ神は、マウ神の7番目の末子であり、トリックスターであり、神の言葉を伝える者だとされる。またペン自らの説明によると、粘土でつくり、鶏や鷺の羽でヒゲをつけ、コヤス貝や黒い石を眼に見立て、さらに動物の角や犬の歯までくっつけている。そして毎日、生贄の山羊や鶏の血を、椰子油とまぜて塗りたくり、卵の黄身をまわりに配している。

1967年の記録だが、「再発見」され、2004年に駒場の日本民藝館に巡回してきたときに観た(ほかにはパリとヒューストン)。写真集はそれにあわせて発刊されたものだ。40年前ながら、そのものの力、それからアーヴィング・ペンの技術、ローライのレンズ(型式が不明なのでプラナーかテッサーかビオメターかなど不明)、フィルムの力などにより、今でも衝撃がある。




肉野菜イタメ評論、高江=DV

2008-02-21 08:19:51 | 関東

浦安駅近くの中華料理屋「千成亭」は、一段低い厨房を取り囲むように小さいカウンターがある店であり、10人も入れば一杯になる。だから食器を下げるのも、ご主人がお店の入口から入って持ち出し、裏口に回るというやり方。炒飯や肉野菜イタメを注文すると、時間を無駄にしないように中華鍋で炒める様子を見るのが楽しい。

最近、ご主人が入院されたとかで、開いていても、奥様らしき方が麺類に限定して作っていた。昨日寄ってみると、復帰されたようで、オヤジ群で大賑わいだった。自分もさっそく肉野菜イタメ定食を注文した。ご主人の手さばきは見られず、奥様が両手で中華鍋を振っていた。味は前とおなじ。

浦安駅の北西側にはこのようなお店が少ない。小奇麗でもこざっぱりもしていないのだが、「ぼくたちには肉野菜イタメが必要だ」という人は多いに違いない。

ちょっとググってみても、ラーメン評論家はいても、肉野菜イタメ評論家はいないようだ。


ケータイで撮影

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沖縄県東村の高江で、また資材の強制搬入があったようだ。

米兵の暴力や犯罪、イージス艦と漁船との衝突など、目立つ事件があるたびに、首相や大臣はことさらに「憤り」を表明しているが、実際のところ、目立たないところで正反対の暴力が行われている。

大工哲弘さんは、これをDV(ドメスティック・バイオレンス)であると表現している。

○大工哲弘 見なり聞きなり ~島唄コラム~ 「アイランドミュージック
○やんばる高江 東村の現状 ~ロハスな暮らしの上空に戦争のためのヘリが舞う~ 「今朝は


地味系M42レンズ オートタムロン35mmF2.8、カール・ツァイス・イエナ ゾナー135mmF3.5

2008-02-19 22:24:16 | 写真

タムロンの単焦点レンズは、90mmマクロ以外、ほとんど埋もれた存在だと思う。この35mmF2.8というレンズもあまりにも地味だが、独特の鏡胴の形といかにもレトロフォーカスなレンズの形が、なんともいえない存在感をかもし出している。ベッサフレックスに装着して覗くと、後ボケが汚いなあと感じるが、出来上がりはそうでもない。しかし、歪曲がかなり目立つ。浦安にある海の神を祀った清龍神社、土台が曲っているのでなく、眼が曲っているのである。


Bessaflex+Auto Tamron 35mmF2.8


プラタナスに寄り添うキダチアロエ(2008年2月) Bessaflex、Auto Tamron 35mmF2.8、Provia 100、DP


浦安の清龍神社(2008年2月) Bessaflex、Auto Tamron 35mmF2.8、Provia 100、DP

同じ日に、東独カール・ツァイス・イエナのM42レンズ、ゾナー135mmF3.5をペンタックスSP500に装着して、小石川後楽園に梅を見に行ってきた。レンズを2本持つときは、焦点距離が離れた組み合わせのほうが気分を変えやすくて好みなのだ。ゾナーが地味レンズかというと異論もあろうが、いまや135mm単焦点なんて地味のレッテルを貼っていいに違いない。

このゾナーは色も地味である。特筆すべき点は、後ボケがひどくにぎやかなことだ。別に個性だと思えば、楽しくはあっても嫌ではない。しかし不思議なのは、人の顔をフレーム一杯に写すような、最短撮影距離1メートルくらいの撮影結果をみると、わりに後ボケが綺麗なのである(単にボケ量が大きくなった結果だろうが)。人に優しいレンズなのだということにする。


Honeywell Pentax SP500+Carl Zeiss Jena Sonnar 135mmF3.5


小石川後楽園の梅(2008年2月) Pentax SP500、CZJ Sonnar 135mmF3.5、Provia 100、DP


小石川後楽園の梅(2008年2月) Pentax SP500、CZJ Sonnar 135mmF3.5、Provia 100、DP


スリランカの映像(6) コンラッド・ルークス『チャパクァ』

2008-02-18 22:14:11 | 南アジア


Tシャツはもうぼろぼろ

ざっくり言うと、どうかしている。1966年、ドラッグ・ムービーの走りにして傑作、かどうかわからない。しかし、ウィリアム・バロウズ、アレン・ギンズバーグ、スワミ・サッチナンダ、オルダス・ハクスレー、オーネット・コールマン、ラヴィ・シャンカール、フィリップ・グラス、ロバート・フランクなど、製作に関わった面々を見れば、尋常でないエネルギーが肩透かしし続けるような映画である。

1999年に、六本木でリバイバル上映があったときは大事件だった。そのあと、夢中になって米国版ヴィデオも入手してしまった。イエメンでハイになる植物カートを体験し、バロウズの『麻薬書簡』、ハクスレーの『知覚の扉』、それからカートの書籍(ここでも、バロウズがカートについて述べている)などを面白く読んでいたころだったから、自分にとっても外堀は埋められていたわけだ。

もともとオーネット・コールマンがサントラを依頼されながら没になり、そのアルバム『チャパカ組曲』(Columbia、1965年)でのみ、その名前を知っていた。そのアルバムでさえ、フランスでCDが再発されたときはレコード屋に走った(いつだったか?)。映画の音楽は、フィリップ・グラス監修のもと、ラヴィ・シャンカールが手がけている。ラヴィは演奏シーンがあるし、オーネットも、主人公がサボテンの麻薬ペヨーテでラリっている記憶シーンで横に座っている。


オーネット(右)

『チャパカ組曲』

ラヴィ・シャンカール

主人公は14歳で酒を覚え、15歳でアル中になり、その後マリワナ、ハッシッシ、LSD、ペヨーテなどと廃人への道を進み、そこで入院した病院の医師がジャン・ルイ・バロー、院長がウィリアム・バロウズという設定である。最初と最後にいきさつの説明があるほかは、ほとんどドラッグによる妄想の世界である。(たぶん)診断の一環として、バローが主人公にあれこれと訊く。それによると、チャパクァとはNY近くの小さな街で、「インディアン」が多く、水が流れ出る地という意味だという(じつはビル・クリントンの出身地)。なお、ルークスの次作にして最終作、大いなる勘違いの駄作『シッダールタ』(1972年)の原作はヘルマン・ヘッセだが、映画の公開前、そこに出てくる「命の川」にちなんで、リヴァー・フェニックスは命名されたのだという(金原由佳、映画パンフ)。

妄想シーンも含め、写真家ロバート・フランクによる撮影テクニックは完璧である。今回再見して、一瞬、鏡にフランク自らの姿が映っていることを発見した。


ロバート・フランクがアリかなにかを抱えている

話がそれたが、妄想シーンの最後のほうに、スリランカの映像が出てくる(もちろんスリランカだけでなく、インド、NY、パリ、カイロなども現れる)。まず仏教遺産のあるポロンナルワ。それからインドから仏陀が飛来し足跡を残し、それは同時にアダムの足跡でもある、仏教徒・キリスト教徒・イスラム教徒の聖地スリー・パーダ(ヨーロッパ名はアダムス・ピーク)。ルークスもフランクも、あのしんどい山頂まで、機材を抱えて登ったのだろうか。ここらにも、映画を観る直前に行ったばかりだったので、映画館で興奮した(笑)。60年代にはもう階段が出来ていただろうが、13世紀には鎖だったらしい。階段でもときどき死者が出るのに、冗談ではない。

「ところでこの島には一高山がそびえているが、非常に峻険な岩山だから、以下に述べるような方法がなければ、誰もこれに登ることはできない。その登山手段とはこうである。この山には多数の鉄鎖がたらされており、その装置が非常に巧みにできているものだから、人々はこの鉄鎖を伝って始めて安全に頂上に登ることができるのである。ところでこの山頂には、我々の祖先たるアダムの墓があるといわれている。より適切な言い方をするならば、サラセン人たちはそれをアダムの墓と称し、偶像教徒たちはそれをソガモニ・ボルカン(※仏陀)の墓だと主張しているのである。」
マルコ・ポーロ『東方見聞録』(東洋文庫)


ポロンナルワの仏像

スリー・パーダの頂上(たぶん来光を眺める石段)

スリー・パーダ(たぶん頂上の鐘)

出演者としてのバロウズの存在感も凄いものがある。妄想シーンの中で、バロウズが壁に向かって立たされ、マシンガンで撃たれるところがある。後年、バロウズは画家として、作品を最後に撃つ「ショットガン・ペインティングス」シリーズを発表している。この作品との関連が(意識下にでも)ないか、知りたいところだ。


バロウズが撃たれるシーン


バロウズ『ショットガン・ペインティングス』(セゾン美術館、1990年)

何度観ても下らなくて笑える。エネルギーの無駄遣いもいいところだ。

ビートよ永遠に。

More I investigate, less I know.
More I investigate, less I know.
(映画より)


秘蔵品(笑)、映画スチル集


問題だらけの辺野古のアセスが「追加・修正」を施して次に進もうとしている

2008-02-17 22:08:01 | 沖縄

普天間飛行場代替施設建設事業に係る環境影響評価方法書に対する追加・修正資料」(沖縄防衛局、2008年2月)がひっそりと縦覧されている(→リンク)。「方法書」の際と同様に、沖縄県内5箇所とウェブサイトのみである(この大部資料の配布・貸出・コピーが前回同様に認められなかったかどうかは不明)。いずれにしても、ジュゴンやサンゴに代表される自然環境は、本土の私たちを含めた全国民の共有財産、コモンズであり、また事業が米軍再編の一環を担っている以上、やはり全国民マターであることは確かなのだから、説明責任を著しく欠いたものだということができる。

では「方法書」に対してどのような「追加・修正」が説明されているのか。

●航空機の種類

「方法書」では、「米軍回転翼機及び短距離で離発着できる航空機」という、環境アセス法上不十分な記述だった。背景としては、墜落事故が多発したヘリ・オスプレイ(V-22)の配備について、日米で同意した経緯があるにも関わらず、批判を回避するため、日本でのみそれが隠され続けたという状況がある。今回の「追加・修正資料」では、以下のように具体的に記載されている。

「普天間飛行場代替施設に配備される航空機の種類は、現時点において、基本的には普天間飛行場に現在配備されている航空機のうち、平成18年5月1日の「米軍再編のための日米ロードマップ」において岩国飛行場を拠点とすることとされているKC-130以外のものを想定しており、具体的には、回転翼機としてCH-53、CH-46、UH-1及びAH-1を、短距離で離発着できる航空機として、C-35及びC-12を想定しています。
 また、この他に、他の飛行場から飛来する航空機(例えばC-20等)の使用もあり得るものと考えています。」

最後の1文が気になるが、要は、普天間に配備されているヘリから、岩国を想定した空中給油機を除いたものということだ。

沖縄国際大学に墜落したCH-53、劣化ウランによる部品が使われているとの指摘があるCH-46(「しんぶん赤旗」2006年11月7日→リンク)など、通常の訓練以外の怖さがあるうえ、そのCH-46については、オスプレイこそが後継機と目されているようだ(「沖縄タイムス」2007年10月19日→リンク)。つまり、引用した文章の最初のあたり、「現時点において」がエクスキューズに見えてくる。

●滑走路の長さや幅

これは具体的に示された。

●弾薬装弾場、洗機場、燃料桟橋など


「普天間飛行場代替施設建設事業に係る環境影響評価方法書に対する追加・修正資料」より

「方法書」にはまったく記載がなかった設備である。普天間には弾薬装弾場がないため、基地機能としては劣っているものだったことを鑑みれば、辺野古が「代替」ではなく「新基地」であることが見えてくる。

また、ここでは説明の前に、以下のような但し書きを付けている。環境影響について調査するための方法の妥当性を問うためのプロセスにあって、本末転倒というほかはない。

「これら施設の規模等については、米側と協議中であり、また、現有施設の規模、米軍の所要・基準、関係国内法令等に基づき精査する必要があるため、現時点において具体的に提示することは困難ですが、今後変更があり得ることを前提に現時点での検討内容の概要をお示しすれば、次のとおりです。」

●ジュゴンについての影響評価

どうも「方法書」と同じようだ。「ジュゴンの不在証明にする」とも評される、調査方法の不適切さはもとより、調査の一部が、環境アセス法には存在しない「事前調査」としてなされ、その部分については調査済ということにする方法こそが問題だ。


「普天間飛行場代替施設建設事業に係る環境影響評価方法書に対する追加・修正資料」より

●埋立の土砂

広大な面積の埋立を行うための土砂(2,100万m3)を必要とする。「追加・修正資料」には、次のようにある。

1) 辺野古ダム周辺の埋立土砂  200万m3
2) 飛行場陸域の整地により発生 200万m3
3) その他              1,700万m3

1)については、約70 haであり、沖縄県条例で環境アセス実施が求められている。また、3)「その他」の量については、真喜志好一さん(沖縄ジュゴン環境アセスメント監視団運営委員)によると、次のような試算になるようだ。

「1,700万m3を海から採る場合、いったいどれくらいの海岸線が無くなるか? 海外線から沖合いに170 m、砂の高さが1 m無くなるとしたら、延長100 kmになります。沖縄周辺の砂がある海岸の全部が消えてしまう!」(「JANJAN」記事、『ダンプ340万台分の県内海砂で埋立を計画 普天間代替・辺野古アセス』、2008年1月14日→リンク

これに対し、「追加・修正」では、以下のような説明をしている。このようなエクスキューズは、新たな陸域での環境アセスを実施せざるをえなくなることを回避しようとしている、とみるのが自然だろう。

「埋立土砂を採取する区域を必要とした理由については、普天間飛行場の移設・返還を一日でも早く実現するためには、代替施設の規模を踏まえ大量・急速な埋立工事を行うことが必要であることを前提として、飛行場施設(飛行場支援施設及び格納庫施設等)の建設も含めた全体工程を考慮すると、出来るだけ早期に飛行場施設に係る工事を開始するため、その建設の基盤となる区域については、埋立工事に速やかに着手しなければならないと考えており」

「これを踏まえ、埋立計画を立案するにあたっては、全量を海上から搬入する購入土砂とした場合には、土砂の調達が土砂供給者の事情や海象条件等に左右されるおそれがあることから、事業者として必要な量の土砂を必要な時期に確実、かつ、安定的に調達できる手段を確保する必要があるため、事業実施区域の近傍にあり、一般の交通に出来るだけ影響を与えない場所から採取するとしたところです。」

「埋立土砂発生区域は概ね70ha程度ですが、具体的な採取場所、採取方法などについては、今後、土砂採取計画の詳細な検討を行ったうえで決定したいと考えており、必ずしも当該区域全てを改変するものではありません。
 また、埋立土砂採取の計画の検討にあたっては、現在、この区域が水源涵養林としての機能を有していることも踏まえ、赤土流出防止対策や採取後の緑化計画などの検討を十分に行うなど、環境への影響を出来る限り低減できるような計画とします。
 なお、埋立土砂については、現段階において確定的なことを申し上げることは出来ませんが、沖縄県内の海砂等の購入のほか、県内における海砂の年間採取量や採取場所等を調査し、また、浚渫土を含む建設残土の受け入れや、県外からの調達等も含め、具体的に検討を行うこととしています。
 また、埋立土砂の購入については、供給元における土砂の採取による環境への影響に配慮されていることを確認するなど、埋立土砂の調達に伴う環境への著しい影響がないよう慎重に判断していくこととします。」

●沖縄防衛局への意見

以上により、基地建設ありきの環境アセスは、環境面からも、意思決定という民主主義のプロセスからも、米国の軍事行動に加担しないという意味でも、本来の姿からかけはなれている

以前(2007年9月15日)に提出した「方法書」に対する意見に照らし合わせてみても、「方法書」における記載という表面上の点のみ、体裁をととのえたにすぎない(以下の「4.」だけ「追加・修正」している)。

1.方法書の位置付けが、環境影響評価法に則っていない
2.方法書の告知・縦覧が、国民の意見を取り入れるためには不十分
3.事前調査の手法に問題がある
4.方法書に記載すべき内容が不十分

今回、その点に加え、次の点についても追加して提出するつもりだ。

●航空機の種類、弾薬装弾場、洗機場、燃料桟橋、土砂採取については「方法書」に記載がなかったのであるから、「追加・修正」によって次の「現地調査」、「準備書」といった段階に進むのではなく、「方法書」そのものを再作成・縦覧したうえで、国民や知事の意見をあらためて取り入れるべき。
●土砂の採取は影響が甚大であるから、その計画を確定したうえで、陸域の環境アセスを行うべき。
●普天間基地のヘリ体制を基本的に継承するというだけでなく、今後の後継機の計画についても、議論段階であっても公表すべき。

《追記》 沖縄県文化環境部環境政策課(FAX 098-866-2240)に送付した。受け手にとってはわかり切ったことであっても、1人の声を届けることが大事である
確認したところ、
-縦覧期間は2008年2年18日(月)までだが、意見はその後も受け付ける
-集まった意見は、次回の沖縄県環境影響評価審査会に用いる(開催日未定)
-沖縄防衛局と県環境政策課との間で情報共有するので、どちらに送っても可

●参考
ジュゴンの棲む辺野古に基地がつくられる 環境アセスへの意見を出す前に(1) 環境アセスが正当に行われていない
ジュゴンの棲む辺野古に基地がつくられる 環境アセスへの意見を出す前に(2) 「事前調査」の問題点
ジュゴンの棲む辺野古に基地がつくられる 環境アセスへの意見を出す前に(3) 「方法書」の問題点
ジュゴンの棲む辺野古に基地がつくられる 環境アセスへの意見
ジュゴンの棲む辺野古に基地がつくられる 環境アセスへの意見(2) 
「方法書」への国民等の意見
沖縄県環境影響評価審査会の質問に対する沖縄防衛局のひどい回答
安次富浩さん(ヘリ基地反対協議会)の最近の発言(すでに洗機場などのことについて指摘している)


くにおんジャズ、鳥飼否宇『密林』

2008-02-14 23:59:40 | アヴァンギャルド・ジャズ

2月6日に新宿ピットインで行われたライヴ「くにおんジャズ」は、国立音楽大学OBが集まった変わったセッションだった。都合が悪くて行けなかったが、後日、師匠の松風鉱一さんから、録音したCDをもらった。1グループあたり持ち時間は20分で、松風さん(フルート、アルトサックス)は山下洋輔(ピアノ)、金子健(ベース)とのトリオ。この御大との組み合わせは聴いたことがないので、もらって以来、何度も聴いている。

まずフルートで「Life Time Blues」。『万華鏡』(with 三好功郎、Off Note)やヴィデオ『音の力』(Off Note)、最新の『ゲストハウスで昼寝』(Studio Wee)でも演奏している曲だが、山下洋輔のピアノが入ると普段と違う緊張感があってとても新鮮だ。『ゲストハウス・・・』は外山明の変リズムや加藤嵩幸の変態ギターが楽しい。

それからアルトサックスに持ち替えて「Yellow Sands」。これも『万華鏡』にある。さらに「Asian Walk」。『A Day In Aketa』(アケタズディスク)や何かにもあるし、私家録音盤としてもらったクリヤマコト(ピアノ)との共演も好きで何度も聴いているのだが、ここでも、ささくれたようなアルトの音がとても個性的だと思うのだった。

この日のライヴはNHK FMが録音していたそうで、放送は3月だそうだ。何の番組だろう、「Session 2008」とかかな。原田依幸(ピアノ)と梅津和時(サックス)とのデュオなど聴きどころがあって楽しみである。


『万華鏡』と『A Day In Aketa』

●参考 松風鉱一カルテット、ズミクロン50mm/f2

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鳥飼否宇『密林』(角川文庫、2003年)を読んだ。

やんばるの森が舞台になっている。昆虫採集のために、米軍のジャングル訓練センターに入り込んだ主人公たちが、札束を持ち逃げしようとする米兵や、欲に眼が眩んだ猟師たちに巻き込まれるという話。

冒険譚としても、サスペンスとしても、謎解き物語としても、何と言うこともない軽い作品なのだが、やんばるの森の特徴があれこれと盛り込まれていて、それだけで楽しい。ハブとヒメハブの違い、林道建設による本来の生態ではない「パイオニア植物」たちの繁茂、ガジュマルとアコウの違い、など。米軍がそこに居ることの不自然さをもっと描いてほしかった気もするが、森林破壊を呪う気持ちが伝わってくるのでよしとする。それから、札束ではないもうひとつの「宝」として登場するのは、やんばるの、あの生き物である(これは言わない)。

やんばるに愛着を持っている人には、わりに面白く、気分転換になると思う。

●参考(パイオニア植物などのこと) そこにいるべき植物


ヘリパッドいらない東京集会

2008-02-12 23:12:34 | 沖縄

「ヘリパッドいらない東京集会」(2008/2/7、「ヘリパッドいらない」住民の会、沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック共催)に参加してきた。都合があったので1時間遅れで駆け込んだ。会場(全水道会館)はかなり混んでおり、参加者150人くらいか。最初のうちは、映像『東村高江の記録』(製作・「ヘリパッドいらない」住民の会)が上映されたようだ。

座ったときには、高江住民の方々と、高江に関わっている方が順番に現状を説明していた。また、会場には真喜志好一さんやWWFの花輪さんの姿もあった。

●森岡浩二さん(高江在住、農業)
○おコメの栽培のため、3年前に高江に移住した。そうしたらヘリパッド増設という状況に直面した。
○住民として自分に何ができるか考えたとき、それは「反対」だった。
○沖縄の米軍基地問題を巡っては、「基地か、経済か」の二元論に議論が矮小化される傾向がある。これでは、問題の共有が広がらない。
○自分の子どもたちに、住んでいる場所の周辺の風景(兵隊や基地)について教えるときがきたら、「仕事」だとか「オカネ」だとか言って、言葉を濁していいのかと自問した。
○防衛省からは真摯な対応がなく、笑みさえ浮かべている態度。説明は米軍の関係を盾に行わず、憤りを覚える。

●本永貴子さん(なはブロッコリー代表)
○那覇で、やんばるの森に作られたダムの水を使う側の人間として、声をあげた。運動をはじめてから12、13年になる。
○そのうちに、「自然を見に行く」ではなく、「自然に寄り添っている人々」のことが好きになっていった。

●安次嶺現達さん(高江在住、カフェ「山甕」、「ヘリパッドいらない」住民の会共同代表)
○ヘリの音は凄いもので、家が壊れるのではないかと思うほどだ。
○子どもたちは怖がっている。
○未来のために、現実にあることを見つめなければならない。
○防衛省から帰ってくる言葉は、「わからない」「聞いてない」ばかり。本当に、私たちの生活や命を守らないだろうなと思える。

国会議員としては、山内徳信参議院議員(社民党、元読谷村長)がスピーチを行った。また、赤嶺政賢衆議院議員(共産党)がメッセージを寄せていた。

●山内徳信さん(参議院議員、社民党)

○魔物の棲む中央政界に来てしまった。それ以来、総理、防衛大臣、外務大臣に、ひたすら辺野古、高江、環境アセス、基地利権のことを説明している。いまは70代の青春だと思っている。
○利権にまみれた防衛省は、まず過去の責任者がすべて責任を取るべきだ。
○高江の痛みはよくわかる。基地から読谷村役場の敷地を取り戻した経験からいえば、人間その気になれば切り開けるということだ。それには、どれだけみんなが支えきれるかが大事だ。
○安次嶺さんはキング牧師だ。深刻になってうつむいていては勝てない。相手を呑みこむくらいの勢いが必要だ。
○森岡さんはガンジーだ。映像作家を志す比嘉マーティさんは、伊江島の阿波根昌鴻さんだ。本永さんは、ブッシュの武力行使にただひとり反対票を投じたバーバラ・リーだ。
○辺野古への自衛隊の「ぶんご」出動は、軍隊といまの政府が、国民を殺しはしても守らないことを示している。
○転んでも只では起きないのが、アメリカ帝国主義だ。基地負担縮小といいつつ、実際のところ、普天間基地が古くなったので返還して新しい基地をつくりたいだけだ。

●カンパ
この日、会場で集められたカンパは総額14万円を超えたとのこと。

●平和フォーラム・藤本副事務局長

○いま3つの問題がある。1、基地を新しくしていること、2、そのことに利権がからんでいること、3、全国で日米軍事一体化がすすんでいること。
○ミサイル防衛構想などでは命は守れない。利権のたまものだ。
○大阪府知事は、岩国について、国の防衛は国の専権事項だと言った。とんでもないことだ。住民の命と暮らしを守る責任が、自治体の長にはあるのではないか。
○横須賀市も同じだ。原子力空母の受け入れにより、何十億というオカネが横須賀に落ちる。それで病院が立つ。それでは、そのような形なくしては病院はできないのか?

●全労協・中岡事務局長

○憲法改悪を阻止するためには、基地問題とセットにして考えないと、憲法の問題が皆に見えない。
○日本は、「いつでも戦争できる国」に転換しつつある。
○労働者の生活は悪化しており、若い者が「われわれの希望は戦争だ」と公言している状況にある。
○新テロ特措法どころか、自衛隊海外派遣を恒久法にしようとする動きが今国会にある。平和の足場が崩れている。

●日本平和委員会・千坂事務局長

○昨年8月に高江に初めて行き、N-4に泊まった。やんばるの森にも初めて触れた。月光のもとでの美しさが印象的だった。しかし、突然、ヘリの超低空飛行による凄まじい騒音が訪れた。東京では考えられないことだ。
○これは政治的なたたかいではない。生活、家族、子ども、夢、将来を踏みにじるものとのたたかいだ。
○日本政府の米軍への対応はひどいものだ。米国の要求なら、自国民に押し付けるのか?
○岩国や横須賀でも、オカネと権力による暴力が行われている。


スリランカの映像(5) プラサンナ・ヴィターナゲー『満月の日の死』

2008-02-11 23:32:36 | 南アジア

『満月の日の死』(プラサンナ・ヴィターナゲー、1997年)は、NHKの「アジア・フィルム・フェスティバル」プロジェクトで製作された作品。これは第2回における共同制作だが、そのあと、たとえば山西省太原出身のニン・ハオによって作られた『モンゴリアン・ピンポン』(第7回)なんかは共同制作ではないようだ。

舞台はスリランカ北部のアヌラーダプラ。さらに北部と東部はLTTE(タミル・イーラム解放のトラ)が占領している地域だから、たぶん、今でもこのあたりが訪問できる限界だろう。遺跡とその近くの街以外は、原野と熱帯林である。おそろしく田舎で、映画が撮られたのと同じ頃、私が100円くらいで泊まった宿では、夜、外は何ひとつ見えなかった。映画でも、スリランカ的密度が高い。


アヌラーダプラの道(1997年) Pentax ME-Super、FA28mmF2.8、Provia 100、DP

主役の老人ワンニハーミの息子は、政府軍の一員としてLTTEとの戦闘に参加していたが、突然、遺体となって老人のもとに戻ってきた。老人はそれを信じようとせず、娘たちが窮乏していても、村長が説得しても、僧侶が息子を讃えてバス停を作るといっても、10万ルピーの弔慰金を受け取ろうとしない。それどころか、棺を掘り起こし、本当に息子の遺体なのかどうか確認しようとする。棺のなかにあったのは、木と石だった。

戦死という突然の不条理を受け容れることができない老人のたたずまいを描いていて、すぐれた作品だと思う。テロリストという「理解の範疇外」の存在とそれに対する善人、という図式の多くのアメリカ映画(『ダイ・ハード』も、『マイティ・ハート』も、『9デイズ』もそこに見事に嵌っている)とは、当然、次元を異にしている。ところで、スリランカのテロリスト側に生きるひとたちを描いた、『自爆テロ・女性工作員の素顔』(My Daughter The Terrorist)はすぐれたドキュだったが、その頃ネットの掲示板では、「向こう側=悪」を持ち上げるものとしてただ不快感を示す書き込みがみられた。一見良識的なようでいて、実のところ、ステレオタイプ過ぎて気味が悪いアメリカ映画と同じところに立っていると疑ってみるべきかと思う。

映画のあちこちには、生活の糧として軍隊に入るという背景が描かれている。ここでテーマとなっている弔慰金も、スリランカによく見られる戦死者を祀ったバス停も、軍隊という国策を維持するための装置だと考える視点もあるのだろうか。

私がその後にスリランカを旅した際、いちど一緒に酒を呑んだ「ウィクラマシンハ君」は、政府軍に入っていて、休みをとって田舎に帰ってきていた。軍服なんかを見せてくれた。しかし、あとで他の人に聞くと、戦地から「怖い。帰りたい」と手紙をよこしてきていたそうだった。


息子は国旗に包まれた棺として戻ってくる


こういうアジアのそこかしこにある町、たまらない


僧侶は、弔慰金を受け取ってもらうため、息子を祀ったバス停を作ると言いに来る


盲目の老人ワンニハーミ

●参考 スリランカの映像(1) スリランカの自爆テロ


廣瀬純『闘争の最小回路』を読む

2008-02-10 23:59:39 | 中南米

岩国市長選は残念な結果に終った。カネと無知と煽動とパワーハラスメント、これでいいのか。

廣瀬純『闘争の最小回路 南米の政治空間に学ぶ変革のレッスン』(人文書院、2006年)を読了した。ベネズエラのチャベス大統領を特段にとりあげる書物(それはそれで価値がある)や、キューバ革命の理想を追いかけた書物(これも価値はある)とは違い、太田昌国『暴力批判論』伊藤千尋『反米大陸』と同様に、南米の地殻変動が持つ意味について捉えようとしている稀少なものである。

ここでいう「最小回路」とは、市民であり生活者である私たちが「個」として持つべき動きを意味している。私たちの代表者であったはずの政治家が、私たちの現状や希望とは乖離したところで繰り広げる政治劇場、これを私たちひとりひとりが取り戻し、アクターであるべきだというわけだ。その際には、「然るべき場で、政治発言を行う積極的なひと」を想像するべきではないだろう。むしろ、テレビなどの装置を通じて受動的に判断停止に陥るのではなく、「選択すること自体を選択するということ」(ジジェク)が求められているに過ぎない。えせマッチョ、目立つアクター、より大きな存在のカリカチュア化したミニチュアといった側面で見れば、都府、沖縄、岩国、横須賀などで起きていることは前者に起因する現象であり、どうも絶望的な社会のように思えてならない。

本書に収められているマイケル・ハートアントニオ・ネグリの言説は興味深い。ハートは、自律的なムーブメントや、小さい単位間のネットワークは、従来型の政治社会をも動かす大きな力となるものだと説く。その意味では、チャベスやモラレスの反「帝国」・反「米国」政権も、従来型のパワーのひとつに過ぎないわけだ。一方、著者の廣瀬氏によれば、ネグリが私たち「マルチチュード」が「帝国」に抗することを想定するとき、自律性よりも、対抗力のある組織を考えてしまうため、「闘争の最小回路」は弛緩してしまうのだと評価している。

だから、希望は、「個人」の自律性と、お互いの緩やかな共振にあると考えてよいのだろう。もちろん、この延長線上には、間接民主制というものへの疑問を持ち続けるべきだろう。 3月にネグリが来日する。どのようなアピールがなされるのか楽しみではある。

●参考

中南米の地殻変動をまとめた『反米大陸』
太田昌国『暴力批判論』を読む
モラレスによる『先住民たちの革命』
チェ・ゲバラの命日
『インパクション』、『週刊金曜日』、チャベス


スリランカの映像(4) 木下恵介『スリランカの愛と別れ』

2008-02-09 23:58:08 | 南アジア

木下恵介の1976年作品。多作の木下作品の中ではかなり後の方であり、ほとんど取り上げられることも傑作と評されることもない。

スリランカを拠点にモルジブで鰹節の事業を行っているのが北大路欣也、スリランカで宝石の買い付けをしているのが栗原小巻、スリランカ・ヌワラエリヤに住む白髪の未亡人が高峰秀子(!)、国連のスリランカ支部で働く小林桂樹とその妻・津島恵子。とくに栗原小巻が魅力があって、いい感じである。

話は支離滅裂であり、映画作品としてのまとまりや完成度は皆無に近い。観光映画としても大したことはない―――せいぜい、高地ヌワラエリヤの涼しく湿った風景、本編と関係ない田舎の風景、シーギリヤ・ロック(なんと、未亡人のチャーターした軍用ヘリで訪れる)、モルジブの海くらいか。モルジブの鰹節事業は、モルジブでもともと作っている似たようなモルジブ・フィッシュとは違う想定だと思うが、きっと映像はモルジブ・フィッシュを撮ったものだ。

何度も観ていると、脱力感漂う楽園的なテーマソングも含め、楽しい見所が多々ある。といっても、その支離滅裂さが楽しいわけだ。

栗原小巻は、シーギリヤ・ロックに登ったことを、モルジブにいる北大路に手紙で伝える。これが、わけがわからない。「その日のシーギリヤの暑さといったら、私、生まれて初めてといっても大げさではありません。でも、頑張りました。松永さんの奥さん(※津島恵子)が登るのに、私が登れなかったら女として負けだと思ったからです。そしてやっと頂上に登りついたとき、私が一番先に何を思ったか、お話しましょうか。不思議なんです。わーっと大声で叫びたいほど嬉しくて、よく登れたと越智さん(※北大路欣也)に誉めてもらえると思ったんです。

このように屈折した栗原と、日本に息子を残している北大路とは、その息子への愛情があるため、なかなか結婚までこぎつけることができない。それでも、出会った者たちとして、幸せになろうとする。また、北大路の部下はモルジブの女性と結婚するとき、生活する場所で心を通わせる関係が大事なんだと主張する(この当時、国際結婚はかなり珍しいことだったに違いない)。高峰秀子も、寂しさを抱えつつも、スリランカ人の使用人と、心を通わせている。このあたりが、映画のテーマとして意識されているように見える。感情移入しやすいところでもある。

ただ、スリランカ人やモルジブ人の位置付けは、あくまで主従関係、コロニアルな構造のなかにある。使用人、ホテルの気持ちの良い従業員、貧乏な兄弟、笑顔で妻になる女の子など、「こちら側」が当てはめた役割を踏み越えてくることは決してない。悪くはないのだが、この映画の限界だろう。

モルジブの女性役はギータ・マンメリトという女優だが、20年近く後の1995年にインタビューに答えた記事がある(『スリランカ 長期滞在者のための最新情報55』野口忠司・日本スリランカ友の会、三修社、1995年)。名前はギーター・クマーラシンハとなっている。5人のなかから選ばれたそうだ。


映画(1976年)とその後(1995年、前出の本より)

妙な台詞がまだある。北大路は、スリランカのココナツ酒「アラック」を呑みながら、「呑めば呑むほど寂しくなる酒だ」と繰り返しつぶやいている。いくらなんでも、そんなことはないと思う。私はアラックを呑んだ後、他人(居候させてくれたスリランカ人の親戚)のお葬式に行ったはいいが、亡くなった方の隣でずっと横になるという失態を演じたが、これは単に呑みすぎたせいだった。関係ないが、今朝の二日酔いで思い出した。


沢渡朔+真行寺君枝『シビラの四季』

2008-02-05 23:59:24 | 写真

ちょっと観たくなって、沢渡朔+真行寺君枝『シビラの四季』(1992年、河出書房新社)を本棚から取り出したら、やっぱり良い写真集だった。

真行寺君枝が半分移り住んだ「シビラ」での生活の様子を、沢渡朔が撮影した作品だ。たしか、ライカにカビたエルマー50mm(だったか?)の1本で撮ったものだったと記憶している。そのために、全て光が滲み、夢のような世界を造りあげている。改めて感じるのは、沢渡朔は凄い写真家だということだ。ここではライカだが、三國連太郎を撮った『Cigar』(→リンク)や伊佐山ひろ子を撮った『昭和』ではペンタックスLXに限られた単焦点レンズだけを使うというストイックさ。カビたレンズだけを使うなどというのもアヴァンギャルドである。カラーでいえば、恥ずかしいので買わないが(実は欲しい)、手塚理美を撮った『少女だった』も、昔「アサヒカメラ」か何かで観たときは鮮やかで良い写真群だとおもった。

「シビラ」ってどこだろうと思っていたが、調べてみると、長野県の「芝平」という山間地らしい。何でも数十年前に集団移住により廃村になったが、都市から新たな住民が移り住んでいるところのようだ。夏にでも訪れてみたいと強く思う。

写真集の表紙は、あけびが口を開けたところだ。真行寺君枝、子ども、猫、山、空、植物、蜻蛉など、ひとつひとつの持つムードが良い。モノクロプリントの技量も素晴らしい。中には真行寺君枝自身の文章が挿入されている。

「シビラでの日々、私たちは光と共にあります。日の出とともに目醒め、夜が訪れれば月の光、星の光が闇の夜に輝きます。
 光と陰が織りなす景色は、私に幻想をもたらしてくれます。
 と同時に、それは幻ではなく現実であること。
 自然が描く光の陰は、私をシビラへ呼び寄せて離さないのです。」

それで、いま真行寺君枝は何をしているのかと思い調べてみると、本人のとてつもないサイト「第一哲学 不死なるもの」(→リンク)があった。この写真集よりあと、破産、家族離散、哲学への接近、といったことがあったようだ。ちょっと驚いた。