Sightsong

自縄自縛日記

初見かおり『ハレルヤ村の漁師たち』

2022-03-05 18:00:17 | 南アジア

初見かおり『ハレルヤ村の漁師たち』(左右社、2021年)を読む。

著者は内戦後期にスリランカ北部の村に滞在して文化人類学の調査を行っていて、その際にさまざまな人たちと接したときのことを書いたエッセイ。

スリランカはシンハラ人が7割を占めており、2割ほどのタミル人はさまざまな面で冷遇されていた。やはりというべきか、政府軍にもテロ組織の虎(LTTE)にも非人道的な行いがあったことが、住民たちの声からよくわかる。このような本の存在価値は、正史の情報では難しい実感を得ること、偏りを避けること。

僕がスリランカを旅したのは20世紀の終わりころで、内戦のために北部や東部には立ち入ることができなかった。1回目に列車の中で英語教師と知り合い、2回目には居候させてもらったのだけど、その家に帰省していた政府軍の友人が訪ねてきて、3人で一緒に酒を飲んだらもう戦争に戻りたくないと言って泣き始めたことがあった。元気に生きているかどうか。

Fuji X-E2、AR Topcor 55mmF1.7


スリランカの映像(12) レスター・ジェームス・ピーリス『Madol Duwa』

2018-05-05 15:07:07 | 南アジア

スリランカの巨匠映画作家レスター・ジェームス・ピーリスが99歳で亡くなった(2018/4/29)。

かれの作品はなかなか観る機会がなく、また日本では限られた特集上映(福岡アジア美術館など)でいくつかの作品が上映されたのみである。わたしも2本しか観ていないのだが、あらためて探すと英語字幕版の『Madol Duwa』(1976年)を見つけることができた。

スリランカ南部の村。少年が小さいころに母親が亡くなってしまい、それを機にすっかり悪ガキ仲間とつるむようになる。俺たちはヴェッダー(スリランカの少数民族)だと名乗って、父親の再婚相手を茶化していた女の人に矢を射ったり。ナッツの農場に侵入して盗みを働いたり。両親が手を焼いて別の人に預けるのだが、そこからも逃げ戻る始末。ついにはどうしようもなくなり、「Madol Duwa」(映画字幕ではDoovaとなっているがWikipediaの表記に従う)という島に渡る。そこは未開拓の島で、かれは生き返ったように開墾に力を貸す。そして父の命が短いことを新聞で知り、故郷に戻る。

やはり巨匠ならではの、ジャン・ルノワールにも共通するようなのほほんとした余裕のある演出。故郷に逃げ帰るときに乗せてもらう小舟の周りを魚が飛び跳ねる場面など、見惚れる。また少年のどうしようもなく身動きの取れない心にも、つい感情移入してしまう。

原作はスリランカの作家マーティン・ウィクラマシンハの同名小説(1947年)である。この作家の作品は、『蓮の道』の邦訳を読んだのみだが、ストイックな主人公のよくわからなさが印象的だった。ティッサ・アベーセーカラという人により映画化されており観たいのだが、まだ機会がない(いちどネットで見つけたのだが観る前に消去されていた)。

ピーリスの映画を、追悼上映などで観ることができるだろうか。

>> Madol Duwa

●レスター・ジェームス・ピーリス
スリランカの映像(11) レスター・ジェームス・ピーリス『湖畔の邸宅』(2002年)
スリランカの映像(8) レスター・ジェームス・ピーリス『ジャングルの村』(1980年)


ラヴィ・シャンカール『In Hollywood 1971』

2017-10-25 07:24:16 | 南アジア

ラヴィ・シャンカール『In Hollywood 1971』(Northern Spy Records、1971年)を聴く。

Ravi Shankar (sitar)
Alla Rakha (tabla)
Kamala Chakravarty (tanpura)

2016年の発掘盤2枚組である。てっきりハリウッドの大ホールでのコンサートかと思ったのだが、そうではなく、ハリウッドにある自宅でのプライヴェート・コンサートだった。

ラヴィ・シャンカールのサウンドにはゆったりとたゆたう大河のような印象によって瞑想に誘うものがあるが、この演奏は大観衆のそのようなイメージに応える必要がなかったからか、テクニックをアグレッシブに繰り出しまくるセッションとなっている。

開放弦のタンプーラが意識下にもぐりこみ朦朧とさせられる中で、シタールとタブラがひたすら攻める。速度は右肩上がり、どこまで耐えられるのかというスリルはあるがかれらの演奏はまったく破綻しない。文字通りの超人である。

●ラヴィ・シャンカール
ラヴィ・シャンカールの映像『Raga』(1971年)
スリランカの映像(6) コンラッド・ルークス『チャパクァ』(1966年)


スリランカ音楽のコンピレーション

2017-03-10 08:10:14 | 南アジア

『Sri Lanka / The Golden Era of Sinhalese and Tamil Folk-Pop Music』(AKUPHONE、2016年)を聴く。古いスリランカのレコードから収集した2枚組のコンピレーション盤である。

1曲目、ポール・フェルナンド(16-17世紀に統治したポルトガル系の名前)のバイラが流れた瞬間に、紛う方なきスリランカ音楽の雰囲気が室内に充満する。まぶたをとろんと落として微笑み、上から見ながら甘い声で唄うイメージ。

しかし、実はそんな一面的なものばかりではないのだ。バイラは多数派シンハラ族の大衆歌だが、ヴァイオリンやシタールや各種太鼓を入れてより高踏的に展開するサララ・ギーもある(エリートはバイラを「聴かない」ことになっていた)。サララ・ギーはともすればシンハラ・ナショナリズムを煽るような歌詞の内容のことが少なくなかったというが、本盤にはタミル族のポップスも収録されている。

とは言え、はっきりそれらの区別がつくかと言えば、そうでもない。図式的に見るのはよくないことである。そんなことよりサウンドの多様さに驚かされる。

バイラをインストで展開したスタンリー・ピーリスというサックス奏者もいた。やはり声と同様にサックスも微笑み上滑りして甘い。面白いな。

嬉しいことに、名前だけしか知らなかったW.D. アマラデーワのサララ・ギーが3曲収録されている。スリランカ音楽にインドのラーガを持ち込んだと評価される人物であり、さすがの貫禄と雰囲気。また、やはりパイオニアのひとり、ヴィクター・ラトヤーナカの中性的な歌声と、ハルモニウムやヴァイオリンによる気持ちいいサウンドも聴くことができた。

オリジナル盤のジャケット写真やしっかりした解説もあり、充実している。おススメ。

●参照
スリランカの歌手、Milton Mallawarachchi ・・・ ミルトン・マルラウアーラッチ?


ヴィジェイ・アイヤー+プラシャント・バルガヴァ『Radhe Radhe - Rites of Holi』

2015-01-31 10:07:05 | 南アジア

ヴィジェイ・アイヤーが音楽を担当し、プラシャント・バルガヴァが映像を撮った『Radhe Radhe - Rites of Holi』(ECM、2014年)を観る。

Vijay Iyer (p, composition)
International Contemporary Ensemble

インド北部の祭祀。極彩色の粉や泥にまみれた、誰がみても非日常の時空間に、ストラヴィンスキーを意識したアイヤーが音楽を付けていく。

映像にはもちろん目を奪われる。しかし、俯瞰したり、中望遠で被写体以外のボケを活かしたり、少しコマ送りを粗くしたりと、その手法はあまりにもステレオタイプだ。要は、恥ずかしげもないオリエンタリズムなのであり、観ながら恥ずかしくなってしまう。もちろん、アイヤーはインド系であり、バルガヴァをはじめとするスタッフもインドである。しかしそのことは、オリエンタリズムを回避しおおせているという理由にはならない。

アイヤーに求めるものもこれではない。

●参照
ジャファール・パナヒ『これは映画ではない』、ヴィジェイ・アイヤー『In What Language?』
ヴィジェイ・アイヤーのソロとトリオ


ヌスラット・ファテ・アリ・ハーン『Shahen-Shah』

2014-12-27 08:50:29 | 南アジア

久しぶりにヌスラット・ファテ・アリ・ハーンを聴きたいと思い、『Shahen-Shah』(Real World、1988年)を入手。

言うまでもなく、イスラム教神秘主義スーフィズムの音楽カッワーリーの偉大な歌い手である。この人ばかりは、生前のパフォーマンスに接することができなかったことが残念でしかたがない。

Nusrat Fateh Ali Khan (vo)
Mujahid Mubarik Ali Khan (vo)
Farrukh Fateh Ali Khan (vo, harmonium)
Iqbal Noqbi (chorus)
Asad Ali Khan (chorus)
Dildar Hussein (tabla)
Kaukab Ali (vo)
Atta Fareed (chorus)
Ghulam Fareed (chorus)
Mohammed Maskeen (chorus)

歌詞は、CDの解説によれば、アッラーやムハンマドを讃えるものであったり、愛の切なさを説いたものであったりする。もちろんウルドゥー語などによる歌唱であり、直接には解らない。しかし、ヌスラット・ファテ・アリ・ハーンの映像『The Last Prophet』においては、パキスタンのレコード店に集う男たちが言う。日本では若者がヌスラットを聴いている、彼らは歌詞が解らないが心に刺さってくると言うんだよ、それこそがカッワーリーだ、と。

それは声の力でもあり、繰り返しを基本とする音楽全体の力でもある。ハルモニウムとタブラが基底のサウンドを作り、多数のコーラスが(教えや愛情といったものへの)想いを幾度となく切々と繰り返す中を、ヌスラットの高くよく通るヴォイスがこれでもかと脳を揺らす。聴き手は半覚醒のようなところに連れて行かれる。

●参照
ヌスラット・ファテ・アリ・ハーンの映像『The Last Prophet』


中島岳志『中村屋のボース』

2014-07-10 23:38:16 | 南アジア

中島岳志『中村屋のボース インド独立運動と近代日本のアジア主義』(白水社、原著2005年)を読む。

ラス・ビハリ・ボース。イギリス支配に抵抗してインド独立運動を展開し、本国に居ることができなくなり、第一次世界大戦直後の日本に亡命した人物である。官憲から逃れ、中村屋にかくまってもらったことが、この店における「インドカリー」誕生のきっかけにもなった。

本書は、ボースの生涯を詳細に検証する。インド独立に向けたかれの熱い思いと、矛盾に満ちた言動の変遷を追っていくと、まさに、近代日本が掲げたアジア解放が欺瞞そのものであり、アジア侵略に他ならなかったことがよくわかる。

ボースの敵はイギリスであった。そして、日本は、列強に抗して急速に権力を獲得していきつつある国であった。ボースが夢見て自分のヴィジョンを重ね合わせたのは、インド独立そのものにではなく、日本に、であったのだ。

頭山満大川周明ら当時のアジア主義者たちに加え、孫文とも接触していたボースは、やがて、日本の軍部や軍事政権の動きを是とし、日本の侵略活動をインド独立の手段として利用するようになっていく。しかし、それは、根本的な矛盾を孕んだものであり、また、帝国主義の日本の傀儡として受けとめられるようにもなる。(なお、A.W.ナイルも、ボースと同様に、日本の満州侵略を肯定する。)

今から冷徹に見れば痛々しいほどの誤ちだったが、このことは、日本におけるアジア主義が、理想的なものから、思想を欠いた侵略者のものまで幅広く、未成熟な運動であったことを如実に示すものに他ならないだろう。その点で、著者は、頭山満らの玄洋社・黒龍会の運動を、思想ではなく、心情に立脚したものであったと手厳しい評価をくだしている。

アジアを視る目にも、いろいろあったのである。そのことは現在でも本質的には変わらない。

●参照
中島岳志『インドの時代』
水野仁輔『銀座ナイルレストラン物語』
尾崎秀樹『評伝 山中峯太郎 夢いまだ成らず』(ボースと山中峯太郎) 


17年前のスリランカの砂

2014-05-30 07:56:50 | 南アジア

1997年にスリランカを訪れたとき、南端に近いマータラの海岸で、砂を集め、フィルムケースに詰めた。泊まった宿のすぐ裏が海だった。おそらく、2004年末の津波でひどいことになったはずだ。

砂は、そのまま本棚に置きっぱなしで、いちども蓋を開けていない。砂時計にでもできないかなと妄想中。

マータラの海岸(2) PENTAX ME-SUPER, FA28mm/f2.8, Provia 100

●参照
スリランカの映像(2) リゾートの島へ 


アラヴィンド・アディガ『グローバリズム出づる処の殺人者より』

2013-10-21 23:56:07 | 南アジア

アラヴィンド・アディガ『グローバリズム出づる処の殺人者より』(文藝春秋、原著2008年)を読む。

原題は『The White Tiger』(何というダサい邦題をつけたことか)。主にデリーバンガロールが舞台である。

ジャングルの中でひときわ珍しい動物は白い虎。主人公バルラムは、極貧の家に生まれたが、耳学問の意欲と野心だけはあった。彼らを見下す者から、バルラムは白い虎だと褒められる。そして、バルラムは、地主の家の運転手になり、やがて、主人の都合で大都会デリーで暮らすようになる。

教育の欠如とカースト社会の習慣により、バルラムは、生まれながら限られた領域から逃れ出ることができない。扉が開かれていても、そこは哀しい「籠の鶏」であり、それをくぐる智恵も意識も何もない。バルラムは、ついに主人を殺すことにより、扉の向こう側へと歩み出る。

ひとりひとりなど何でもなく圧殺してしまえる社会は、「閉塞感」と単純に片づけられないほどの巨大な敵である。活路を見出したところで、その巨大な敵の一部になるだけという恐ろしさ。単にインド社会の実状を描いた小説というだけではない。この物語は、がんじがらめの近代社会、日本社会も捉えている。

本作はブッカー賞を受賞しており、さすがの面白さと完成度。それでも、最新作『Last Man in Tower』の方が優れている。他の作品も含め、ぜひ邦訳してほしいところ。


オリッサ州の動物園にいた白い虎

●参照
アラヴィンド・アディガ『Last Man in Tower』
2010年10月、バンガロール
2010年10月、デリー
2010年9月、ムンバイ、デリー
PENTAX FA 50mm/f1.4でジャムシェドプール、デリー、バンコク


三枝充悳『インド仏教思想史』

2013-10-18 00:34:48 | 南アジア

三枝充悳『インド仏教思想史』(講談社学術文庫、原著1975年)を読む。

ゴータマ・シッダールタが創始した教えがシンプルであったのに比べ、その後、仏教世界は際限なく拡がっていった。ブッダはひとりではないし、宗派も多い。付随する物語も多い。信心ゼロのわたしにとっては、都度調べてはみるものの、結局よくわからぬパッチワークの世界にしか思えない。(もっとも、無宗教などと言うこと自体が異常だと捉えられる国もあるから、いつも便宜的に「Buddism」と書いたり答えたりしている。)

本書は、仏教が、どのような展開をみせ、それがどのような意味を持ち、どのような時代の要請に応えてきたのかを、わかりやすく説こうとしている。もちろん、わかりやすいが、難しい。仏教とは偉大な普遍哲学なのだということを思い知らされるだけでも、読んだ意味があったのかもしれない。

それだけかと言われそうだが、それだけである。求めなければそんなものである(たぶん)。

密教が次第にヒンドゥー的になっていき、その結果、仏教はインドにおいてヒンドゥーに吸収され、仏教自身は凋落したのだとする説明には納得するものを覚えたのだが、実際のところどうなのだろう。

●参照
末木文美士『日本仏教の可能性』
仏になりたがる理由(義江彰夫『神仏習合』について)
荒松雄『ヒンドゥー教とイスラム教』


アラヴィンド・アディガ『Last Man in Tower』

2013-10-14 08:31:49 | 南アジア

アラヴィンド・アディガ『Last Man in Tower』(2011年)を読む。

これが発表された2011年、ニューデリーの「Jain Book Depot」で買ったのだが(値札を見ると6.99ルピー、当時は円高だったから1000円を割るくらい)、そのまま2年間放置していた。400頁を超えるボリュームのうえに、いきなりさまざまな人物が登場する群像劇ゆえわかりにくく、最初の何頁かを読んで後回しにしてしまったのだった。

改めて読んでみると、最初のうちに何人かの名前を頭に入れてしまえば、実は人間関係はそれほど複雑ではないことがわかった。

舞台は、ムンバイのスラム街にある古いアパート。ある日、突然、デベロッパーがやってくる。このアパートを取り壊し、再開発したいというのである。立ち退き料として住民に提示された金額は、相場のざっと2.5倍。それでもモトが取れる、野心的なプロジェクトなのだった。

動揺する住民たち。各々が生活上の困難を抱えており、ほとんどが立ち退くことを決意する。しかし、反対する者が3人。1人は、「バトルシップ」という渾名の女性「コミュニスト」であり、デベロッパーという存在をまったく信用していない。オカネも渡されないに違いないと決めてかかる有様だ。それでも、葛藤の末、折れてしまう(部屋にアルンダティ・ロイのポスターが貼ってあるということが可笑しい)。2人目は、デベロッパーの手先に妻を脅され、恐怖のあまり立ち退きを受け容れる。

そして、「塔の最後の男」。元教師であり、思索を好む。鉄道事故で死んだ娘が残したアパートの絵を大事に持ち、その思い出や、他の住民との生活を壊されたくないために、頑として立ち退こうとしない。しかし、彼が受け容れない限り、同じアパートの住民は立ち退き料を受け取れないのである。たとえば、知能の発達が遅れた子どもを持つ母親は、世話が大変なために別の場所に移りたいのに、彼が邪魔しているようにしか思えない。そんなわけで、子どものウンコを彼の部屋の前にまき散らして、どれだけ大変かわかってみろと怒鳴り散らす。それでも、彼は、この母親が、子どものためではなく自分自身のためにオカネが欲しいのだと決めつける。解り合えないとはこのことだ。

元教師、文字通りの四面楚歌。ついに、何人かの住民たちが、彼を殺す計画を立て、こわごわと実行に移す。

元教師、デベロッパーとその部下、住民たち。それぞれの事情や内面が実に人間的に描かれており、飽きないどころか、読んでいる間はハラハラして次の展開が気になってしかたがない。デベロッパーの弱さにも、「バトルシップ」の脆さにも、生活が大変な人たちにも、頑固で独善的な元教師にも、感情移入してしまうのだ。

作者の文章は面白く、かつ巧みだ。たとえば、元教師が法律事務所を訪れ相談するも、盾となる法律に「MOFA」だの「MHADA」だの「ULCRA」だのといった多くの複雑なものがあると知らされる場面。法律事務所に貼られているアンコール・ワットの写真を、まるで法律の牙城たるゴシック様式のように見ていた元教師は、パニックに陥る。

「Now this High Court and its high roof shuddered and its solid Gothic arches become shredded paper fluttering down on Masterji's shoulders. Mofa. MHADA. ULCRA. MSCA. ULFA. Mohamaulfacramrdama-ma-ma-abracadabra, soft, soft, it fell on him, the futile law of India.」

さすが、30代にしてデビュー作でブッカー賞を受賞した才人。他の作品も読んでみたいところ。

それから、くだらないことだが、インドにも「5秒ルール」があるのだということには笑ってしまった。食べ物を下に落としても、5秒以内に拾えば、バイ菌は付かないのである。

●参照
2010年9月、ムンバイ、デリー
アショーカ・K・バンカー『Gods of War』(ムンバイの作家)
ロベルト・ロッセリーニ『インディア』(ムンバイが舞台)
ダニー・ボイル『スラムドッグ$ミリオネア』(ムンバイが舞台)


アルンダティ・ロイ『ゲリラと森を行く』

2013-06-16 22:53:20 | 南アジア

アルンダティ・ロイ『ゲリラと森を行く』(以文社、原著2011年)を読む。

インド東部、とくにオリッサ州チャッティースガル州のあたりでは、毛沢東主義者たちの活動が激しいことが知られている。そのために、わたしも、仕事をひとつ諦めたことがあった。それでも、頭の中には「危険地域」というイメージしかなかった。

<外務省海外安全ホームページ>
「(4)中・東部諸州(マハーラーシュトラ州東部地域、アンドラ・プラデーシュ、オディシャ、チャッティースガル各州の高原奥地、ジャールカンド及びビハール両州の農村地域
 「ナクサライト」と呼ばれる武装集団による治安部隊や公共施設等への襲撃事件が続いており、最近はその活動が顕著で、2010年には2,212件の暴力事件が発生し、1,003名が死亡しました。マハーラーシュトラ州東部地域においては、2012年3月に、治安部隊に対する大規模な襲撃事件等が発生して多数の死傷者が出ました。」
http://www2.anzen.mofa.go.jp/info/pcmap.asp?id=001&infocode=2012T084&filetype=1&fileno=1

なぜ、この地域なのか。それは、大規模なボーキサイトの鉱床が存在するからだ。ボーキサイトは製錬と精錬によってアルミニウムの新地金になる。そこから、自動車やエアコンの部品、建材、もちろん大きなものにも使われる。たとえば東南アジアでは、製造業は、石の塊からではなく、既存のアルミ廃材などを溶解して固めた二次地金を使って製品を生産することが主流であり、ちょっと話が違う。しかし、おおもとの新地金を作る場合には、まず採掘を行い、水を使い、そして精錬のために大量の電気を投入することが必要となる。誰もが地金を欲しがるから、経済的価値を生むのである。

そのために、貧困層の人びとは、暴力的に住む場所を奪われ、人権を与えられなかった。真っ先に、開発に伴う環境負荷の受苦者となった。また、土地の下から得られる利益の配分にもあずかることはなかった。ここでも、住民を騙すような言辞が弄され、それは空約束にすぎなかった。

世界のどこでも、強引な発展段階にみられることだと思う。しかし、著者は話をひとくくりにはしない。森に入り、毛派のゲリラと行動を伴にし、起きていることの実態をとらえようとするのである。

警察は掃討作戦を繰り広げ、その段階で殺人者となり、強姦さえも行う。エラいものはオカネと権力。その体現者がアルミや鉄の巨大企業だという構図だ(これらの企業が掃討作戦の資金源だったという話もある)。わたしも、本書で挙げられている企業のいくつかは訪問したことがある。オリッサ州にもチャッティースガル州にも足を運んだ。もっとも、わたしの目的は環境対策であるから、間接的にも開発に手を染めたわけではない。それでも、ここに書かれている現状を知らなかったのは罪かもしれない。

現在の権力はメディアとセットである。いかに、大メディアが煽るように毛派の凶悪性を報道し、それと呼応して、政治家たちが耳触りの良い経済発展やトリクルダウン的な言説を弄したか。著者が書く毛派の姿は、それとは正反対に近いものだ。そこから、著者は、大きな物語としての経済発展や、オカネと力だけで動く経済社会や、産業転換などは不要とさえ言っているように聞こえるほどの文明論に踏み込んでいく。

言うまでもなく、極端なユートピア論である。しかし、極端なディストピア社会ばかりが視える今、おかしな現実論ではなく、このようなユートピア論に向き合うことは重要極まりない。少なくとも、ここに登場する人びとにとって、暴力に抵抗するためには、他の選択肢を取りえなかったかもしれないのだから。そして、インドでも、日本でも、問題があることにさえ気が付かない構造になっているのであるから。

著者の筆致は、相変わらず、ユーモラスで、かつシニカルだ。

毛派が子どもたちに共産主義理念を教えることに対し、メディアは「若者の思想強制だ」と叫ぶ。著者は言う。「テレビコマーシャルを垂れ流して、物心がつく前の子どもたちを洗脳することが、ある種の思想強制とはみなされないのに」、と。これだって、日本にそのままあてはまる皮肉である。

デリー市内に、ジャンタル・マンタルという昔の天文台跡がある。綺麗に整備された公園であり、わたしが訪れたときには、カップルが静かに過ごしていた。実はここは、デリーで数少ない、抗議運動が許された場だという。(貧困層の多くの人びとが集まると、臭いが強烈になり、きっと『スラムドッグ$ミリオネア』も臭いがないからヒットしたのだろう、などという軽口を叩いているが、それはともかく。)

重要な点は、その場でさえ、次第に制限されるようになってきていること。そして、ガンディーの非暴力主義は、このような多くの視線にさらされているからこそ有効なのであって、可視化されていない森の中では、ゲリラ活動があるべき抵抗の形だとしていること。

それでは沖縄はどうだろう。高江の抵抗は、少なくとも「本土」にあっては、視線すなわちメディアの報道がなされることは、ほとんど皆無であった。もちろん、そこで暴力には暴力で抵抗することはあってはならないことだ。著者も、毛派の攻撃について、「間違って警察以外の人を殺してしまった」というゲリラの発言を、さしたる批判もなく紹介している。「視線が届かない」レベルがまるで違うのかもしれないが、ちょっとこの感覚は麻痺している。

もう一点、あらゆる環境対策を信用しないことも、あまりにも極端だ。日本でも、企業が行う環境対策をすべて欺瞞だと言い放つ人に遭ったことは一度や二度ではないから、その陥穽があることはわからなくもないが。

●参照
アルンダティ・ロイ『帝国を壊すために』
ダニー・ボイル『スラムドッグ$ミリオネア』
中島岳志『インドの時代』


スリランカの映像(11) レスター・ジェームス・ピーリス『湖畔の邸宅』

2013-06-09 14:29:20 | 南アジア

スリランカ映画の巨匠、レスター・ジェームス・ピーリスの2002年作品『湖畔の邸宅』(Mansion by the Lake/WEKANDE WALAUWA)を観る。

5年ぶりに、ロンドンからスリランカの邸宅に戻ってきた母子。迎える母の兄と、娘のように育てられた孤児。母の夫が亡くなり、失意のあまりに祖国を離れていたが、その間、銀行からの借入金をまったく返していないことが判ったための帰国だった。返済するオカネはない、しかし、懐かしい大邸宅を手放したくない。

人柄はさておき、特権階級であることが染みついている人たち。昔、この邸宅で育った大学生は、反体制運動の咎で警察に追われながら、幼馴染の娘と恋に落ちる。大学生の理想は、昔、使用人であったオカネモチ(真っ赤なベンツに乗っている)に嘲笑される。そして大学生は警察に射殺され、邸宅はオカネモチに買い取られてしまう。オカネモチのことを、その出自ゆえ下の身分だとみなしている家族は、屈辱にまみれ、邸宅を去っていく。

さしたるドラマチックな演出がなされるわけではない。しかし、身分社会の観念から離れられない哀れな人たちを淡々と描く手腕は、さすがに老大家のものだと思えた。チェーホフの『櫻の園』をもとにしているためか、室内劇的なカメラワークでもある。

主演の女優は、『ジャングルの村』(1980年)(>> リンク)にも出演していたマーリニ・フォンセーカ。20年以上の時間差があるため、調べてみないと気付かない。


杉本良男編『もっと知りたいスリランカ』(弘文堂)より

ところで、スリランカらしさは、独特の音階を持つバイラなどの音楽に起因している点もあるように感じたがどうだろう。

●参照
スリランカの映像(1) スリランカの自爆テロ
スリランカの映像(2) リゾートの島へ
スリランカの映像(3) テレビ番組いくつか
スリランカの映像(4) 木下恵介『スリランカの愛と別れ』
スリランカの映像(5) プラサンナ・ヴィターナゲー『満月の日の死』
スリランカの映像(6) コンラッド・ルークス『チャパクァ』
スリランカの映像(7) 『インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』、『シーギリヤのカッサパ』
スリランカの映像(8) レスター・ジェームス・ピーリス『ジャングルの村』
スリランカの映像(9) 『Scenes of Ceylon』 100年前のセイロン
スリランカの映像(10) デイヴィッド・リーン『戦場にかける橋』


サタジット・レイ『ナヤック』

2012-03-31 09:57:50 | 南アジア

ドーハからの帰途、カタール航空の機内で、サタジット・レイ『ナヤック』(Nayak、1966年)を観る。

売れっ子映画俳優、アリンダム。傷害事件を起こしてしまい、マスコミから逃げるためもあって、デリーでの表彰式に旅立つ(おそらく西ベンガルから、だろう)。長距離列車のなかではさまざまな人と出逢う。あんたなんて知らんよ、映画なんて『わが谷は緑なりき』以降観ていないよと言う老人。自分のファンだという病気の女の子。俳優という仕事の華やかさに冷や水を浴びせるような、たまたま居合わせた女性記者。

そのうち、アリンダムには、自分の来し方が襲いかかってくる。新米時代、先輩俳優が人前で自分を叱責したが、その後立場が逆転してしまい、仕事のなくなった先輩が訪ねてきたこと。映画に使ってくれと突撃するように懇願してきた若手女優に対し、「自伝に書くから名前を教えてくれ」と言い放ったこと。労働運動に身を投じている長年の友人に、労働者たちの前で発言してくれと頼まれるも、そんなのは絶対にダメだ、リスクがある、と怖れおののき、逃げ出してしまったこと。アリンダムは泥酔し、女性記者に、話を聴いてほしいと頼む。

サタジット・レイ(ショトジット・ライ)は相変わらず映画作りが巧く、複数のプロットも実にすっきりと展開する。映画のテーマは、誰にも心の内奥をさらけ出し、聴いてもらい、時には慰撫してくれる存在が必要なのだということのように思える。極めてシンプルながら、共感しながら観てしまう。

アリンダムにとってのその存在たる女性記者は、しかし、デリー駅で人混みに姿を消す。この潔さもレイならではか。

●参照
サタジット・レイ『見知らぬ人』
サタジット・レイ『チャルラータ』


"カライママニ" カドリ・ゴパルナス『Gem Tones』

2012-02-27 00:57:28 | 南アジア

昨年末、インド・プネーのホテルに置いてあった『DNA India』紙(2011/12/9)に、現地のサックス奏者が紹介されていた。カドリ・ゴパルナス(Kadri Gopalnath)。南インド・カルナータカ音楽の人であるらしく、その彼が、北インド・ヒンドゥスターニー音楽のフルート奏者、ロヌ・マジュムダール(Ronu Majumdar)と共演したコンサートを絶賛するレビュー記事だった。


『DNA India』紙(2011/12/9)

そんなわけで俄然興味を覚え、1枚取り寄せてみた。ふたりの共演盤は見当たらない(南北インドの共演が少ないのかもしれない)ため、ゴバルナスの『Gem Tones』(Ace Records、2000年)。インドではなく英国盤、録音もロンドンである。

Kadri Gopalnath (as)
Ms A Kanyakumari (vl)
M R Sainatha (mridangam)
Bangalore Rajasekar (morsing)

調べてみると、ムリダンガムは南インドの両面太鼓(つまり、タブラとは奏法が異なる)、モルシングはやはり南インドの口琴(名前にバンガロールと入っているから南インドの人である、笑)。インドにも口琴があったのか!

一聴、サックスがこんな風にラーガを演奏するのかと吃驚する。まったく不自然ではないのだ。いかにも滑らかなラーガ音階の演奏である。ヴァイオリンとの掛け合い、ムリダンガムやモルシングのソロも素晴らしい。例によって、曲の最期、同じフレーズを繰り返しながら加速するエクスタシーもある。おそらくは決まりごとと即興とが融合しているのだろう。背後で聴こえる基底音もモルシングだろうか、口琴でずっとこれをやっているとすれば凄い技術と口である。

ちょっと、ジョン・ハンディのインドかぶれサックスと聴きくらべたいところ。耳がカライママニ。

●参照
ラヴィ・シャンカールの映像『Raga』
スリランカの映像(6) コンラッド・ルークス『チャパクァ』(シャンカールがサントラを担当)
チャートリーチャルーム・ユコン『象つかい』(口琴)
ハカス民族の音楽『チャトハンとハイ』(口琴)
酔い醒ましには口琴
宮良瑛子が描いたムックリを弾くアイヌ兵士