Sightsong

自縄自縛日記

オリン・エヴァンスのCaptain Black Big Band @Smoke

2015-03-31 23:52:17 | アヴァンギャルド・ジャズ

アッパーウェストのSmokeに足を運び、Captain Black Big Bandを観る(2015/3/30)。ピアニストのオリン・エヴァンスがリーダー。

Orrin Evans (p)
Anwar Marshall (ds)
Josh Lawrence (tp)
不明 (tp)
Stafford Hunter (tb)
不明 (tb)
Troy Roberts (ts)
Jonathan M. Michel (b)
Sam Dillon (as)

バーに腰かけて待っていると、隣に、昨日Downtown Music Galleryのインストアライヴでも横に座った夫婦がやってきた。顔を見合わせてお互いにビックリ。まあ、そういうことである(笑)。

オリン・エヴァンスが弾くブルースは、シンプルにして力強く、このグループに明確なカラーを付けていた。途中でサム・ディロンのアルトのキーが壊れ、慌ててセロテープで補修するという一幕があったものの、それを含めて自由な雰囲気がこのビッグバンドの持ち味かとも思った。


MOMA PS1の「ゼロ・トレランス」、ワエル・シャウキー、またしてもビョーク

2015-03-31 22:58:57 | アート・映画

ブルックリンのMOMA PS1にさしたる期待もなく行ってみたところ、かなり手ごたえのある展示だった。

■ ゼロ・トレランス

さまざまな地域における、さまざまな対象への異議申し立て。政治活動とアートとが重なり合う部分である。

Lorraine O'Gradyは、1983年に行われたアフリカン・アメリカンのパレードにおいて金の額縁を用意し、歩く人たちにその中に入ってもらうという試み。

Oyvind Fahlstromは、1966年、マンハッタンにおいて、ボブ・ホープと毛沢東の大きな写真を掲げたフェイク・デモンストレーションを行った。ホープはその時期、毎年南ベトナムの慰問に訪れていた。まさにベトナム戦争当時のアメリカ政府を体現していたわけである。それに対し、文化大革命をはじめた毛沢東をぶつけ(きっと文革に対する悪いイメージはまだなかった)、道行く人に話を聞いてみるという映像記録。

Amal Kenawyの映像記録は、カイロにおいて2009年に行われた「Silence of Sheep」というパフォーマンス。路上で、多くの人たちが隷従する羊のように連なって四つん這いで歩く。それを不快とする者たちが、なぜエジプトの誇りを汚すようなことをするのか、とアーティストに食って掛かる。アラブの春につながる先駆けとして見られるべきものか。

Zhao Zhaoは、2008年、北京五輪へのプロテストとして、警官のコスプレをして天安門広場の前でパフォーマンスをしている。またそれに先立つ2007年には、抑圧的政策を示さんとして、石ころに接着剤を付けて、天安門広場に貼り付けてもいる。

オノ・ヨーコとジョン・レノンのBed Peace。

ロシアのVoinaという集団は、なんの予告もなく、女性警官にキスをする(2011年)。警察の腐敗や職権乱用に対するプロテストであった。

Chim↑Pomは、防護服を着て、原発事故直後の福島に入る。さらには赤いスプレーで、白旗に放射性物質の警告を示すマークを描き(当然、観る者は日の丸を思い出す)、原発が見える丘の上でその旗を振る。

■ ワエル・シャウキー(Wael Shawky)

エジプトのアーティストであり、ガラスや粘土で人形を造形する。そして、それらを使って、十字軍の戦争における異文化の衝突を映画化している。ガラスの人形はかなり新鮮であり、瞬きをするたびに硬質なガラスの音がしていた。

■ ストーンミルカー

屋外に大きな白いドームがあって、覗いてみたところ、ビョークの体験型映像作品だった。本館の展示だけではなかったのだ。

天井には海の映像が投影されており、さらに、係員に装置を顔に装着してもらう。すると、海の前で歌い踊る3Dのビョークが現われた。ビョークがひらりひらりと移動するたびに、こちらも追いかけて体を回転させる。彼女が歌うのは、新作『Vulnicura』の1曲目「Stonemilker」である。単語を区切るように囁くはじまりが印象的だった曲だ。

もうこうなると宗教である。かなりやられてしまった。

●参照
MOMA PS1のマリア・ラスニック、コラクリット・アルナノンチャイ、ジェイムス・リー・バイヤース(2014年7月)
MOMAのビョーク展
『なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか』


トリオ3@Village Vanguard

2015-03-30 22:19:43 | アヴァンギャルド・ジャズ

The Stoneから30分くらい歩き、Village Vanguardに到着。

Trio 3:
Oliver Lake (as)
Reggie Workman (b)
Andrew Cyrille (ds)

そんなわけで大変期待して臨んだライヴだった。何しろレジェンドが3人である。

しかし、結果から言えば期待外れだった。オリヴァー・レイクのどこかが詰まっているようなアルトは思った通りの音だが、それ以上に内奥を抉るようなものではなかった。レジー・ワークマンのベースも、自身のグループにおいて同時にいろいろの音を出して音楽をドライヴする様子を思わせる瞬間も無くはなかったが、それだけ。最近のトリオ3がピアノを入れていることには理由があった、のである。

アンドリュー・シリルが昨年同様キレキレのドラムスを聴かせてくれたのは嬉しかった。

●参照
トリオ3+ジェイソン・モラン『Refraction - Breakin' Glass』
ビル・マッケンリー+アンドリュー・シリル@Village Vanguard
US FREE 『Fish Stories』(シリル参加)
アンドリュー・シリル『Duology』
アンドリュー・シリル+グレッグ・オズビー『Low Blue Flame』
アンドリュー・シリル『Special People』
ビリー・バング+サン・ラ『A Tribute to Stuff Smith』(シリル参加)
レジー・ワークマン『Summit Conference』、『Cerebral Caverns』
『苦悩の人々』再演(レイク参加)
ワールド・サキソフォン・カルテット『Yes We Can』(レイク参加)


マイラ・メルフォード+マーティ・アーリック@The Stone

2015-03-30 21:35:21 | アヴァンギャルド・ジャズ

前日に続き、The Stone。20分前に着いてみると、寒い中、もう10人くらいが開場を待っている。

Myra Melford (p)
Marty Ehrlich (as, cl)

もう長いこと一緒に演奏しているふたりのデュオである。(ところで、調べてみると、アーリックは今年で60歳になる。ビックリだ)

アーリックのサックスもクラリネットも、意外なほどエアを含んでいる。尖っていてかつ豊かな音の秘密はそれか。ユーモアもある。

メルフォードのピアノはいつも通り透明感があり、アグレッシブで、ときにブルージー。前日の「Snowy Egret」のようなグループでは緊密さを追及し、ピアノトリオでは一体での盛り上がりを求めているように聞こえるが、それに対して、このデュオはよりルーズに、空間を空けているように思えた(前日と同じ曲「Kitchen」でもまさにその感覚)。そして会話を楽しみまくっている。

最後は、アンドリュー・ヒルの曲「Images of Time」で締めた。

これでThe Stoneでの5日間にわたるメルフォードの連続ライヴが終了。全部観たいくらいのラインナップである。ヴィデオ撮影をしていたし、何かの形でリリースしてくれると嬉しい。

2015/3/24 アリソン・ミラーとのデュオ、ニコール・ミッチェル、タイショーン・ソーリーとのトリオ
2015/3/25 ベン・ゴールドバーグとのデュオ、マサオカ・ミヤ、メアリー・ハルヴァーソンとのトリオ
2015/3/26 Crushカルテット、Be Breadセクステット
2015/3/27 Same River Twice
2015/3/28 Snowy Egret
2015/3/29 マーティ・アーリックとのデュオ、マイラ・メルフォード・トリオ

●参照
マイラ・メルフォード Snowy Egret @The Stone
マイラ・メルフォード『Snowy Egret』
マイラ・メルフォード『life carries me this way』
マイラ・メルフォード『Alive in the House of Saints』 HAT HUTのCDはすぐ劣化する?
『苦悩の人々』再演
ブッチ・モリス『Dust to Dust』


アンドリュー・ディアンジェロ@Downtown Music Gallery

2015-03-30 15:36:16 | アヴァンギャルド・ジャズ

マンハッタン橋のたもとにあるDowntown Music Galleryに、アンドリュー・ディアンジェロのインストアライヴを観に足を運んだ(2015/3/29)。

事前にGoogle Mapのストリートビューで確かめようとしたのだが判らず、場所も半信半疑だった。実は地下に降りる階段の脇に看板があるだけだった。

Andrew D'Angelo (as)

ついでにCDを物色しようと思い1時間前に入ったところ、店主のブルース氏が「こっちが新品でこっちが中古・・・ところでそっちを持ち上げてくれ」と、ふたりでライヴ準備のため棚をずらす展開に。次第にどうみても好き者集団が形成されてきた(「ヘンリー・グライムスが・・・」などと、このような場所でしか聞こえない類の会話)。

ディアンジェロは、演奏の合間に、妙に精力的にお喋りをする。

「最近久しぶりにヴァイナル(Vinyl)を出したんだよ。いやヴァイナルって、LPとかレコードとか言えばいいんだけど。回転もいろいろあるだろ、33とか45とか、あと何だっけ」
(客)「78」
「そうそう。回転数を間違えてかける奴とかいるよな」

「知り合いが90歳になってさ。90歳!凄いことだよ。あんたたちの知り合いにいるか?」
(客)「ロイ・ヘインズも90歳だよ!」
「ああそうか、母にも教えとこう。やっぱり健康な生活をしないとな」
(客)「俺の親父はタバコのせいで癌になって亡くなったよ」
「それは誰が言ったのか。医者か?証拠があるのか?」
(客)「うーん、どうかな」
「他に何かネタはないか?あんたは?」

・・・いつ無茶振りをされるかと思ってハラハラした。

ディアンジェロのアルトは、渾身の力で吹き抜くものだ。まるで無理をして自分を鼓舞する者のダンスだ。楽器も聴く者の鼓膜も心臓もビリビリと震える。

やがてディアンジェロの顔は真っ赤になり、汗ばんできた。何というスタイルか。凄絶なものを聴かせてもらった。


サインをいただいた。いや、「Love!」って。

●参照
アンドリュー・ディアンジェロ『Morthana with Pride』


MOMAのビョーク展

2015-03-30 15:04:28 | ポップス

ビョークの展覧会がMOMA(ニューヨーク近代美術館)で開かれている。ちょうど最近ビョークを聴き始めて、ようやく新作にたどり着いたばかりと絶好のタイミング。いそいそと出かけた。

しかし、実は日曜日の午後。やたらと混んでいて、個々の作品についての展示の前に立ち、貸し出されるスマホのような機器で音声を聴くという展示コーナーには入れなかった(時間指定のチケットだけらしい)。

まずは、新作『Vulnicura』に収録されている「Black Lake」の映像。峡谷だか洞窟だか、ぬめぬめした場所で歌いまくるビョーク。さらに、それを抜けた上映室では「Bjork Cinema」として、過去の名曲のヴィデオ・クリップ。ソファーが設置してあって、みんなだらしなく腰かけたり寝っ転がったりして観ている。わたしも疲れていたので横になったらウトウトしてしまった。それでも長く、目を開けると叫び踊るビョークの姿。

強烈でお腹一杯、そのあと他の美術作品を観ようとしたら実につまらなかった。いや、凄いですね。

ところで、『Vulnicura』は随分気に入っているのだ。

●参照
ビョーク『Gling-Glo』、『Debut』
ビョーク『Post』、『Homogenic』
ビョーク『Vespertine』、『Medulla』
ビョーク『Volta』、『Biophilia』


ジョン・エイベア@The Cornelia Street Cafe

2015-03-30 00:45:17 | アヴァンギャルド・ジャズ

The Stoneからしばらく歩き(地下鉄が不便)、さらにThe Cornelia Street Cafeに足を運んだ(2015/3/28)。2nd setまで間があって、1階のバーでしばしハイネケン。

John Hebert (b)
Dayna Stephens (bs, ts)
Michael Attias (bs, as)
Eric McPherson (ds)

演奏は「Without a Song」で始まり、あとはエイベアのオリジナル。エイベアのベースは、残響を効果的に利用するようなスタイルで、ロン・カーターを思わせる(弦がユルいという意味ではなく)。

そして目当てのデイナ・スティーブンス。バリトンもテナーも、その巨体とも関係するのだろうか、非常に懐が深く、悠然と剛速球が繰り出される感じ。かれのソロが始まると、音が脳を直撃して目が醒める。

マイケル・アティアスの音も緊密で良かったのだが、落ちがないソロで、終わってもみんな拍手を出しそびれていたりして。


デイナ・スティーブンス

●参照
デイナ・スティーブンス『Peace』


マイラ・メルフォード Snowy Egret @The Stone

2015-03-30 00:18:15 | アヴァンギャルド・ジャズ

昨年メアリー・ハルヴァーソンらを観たThe Stoneに足を運んだ。目当てはマイラ・メルフォードの新グループ「Snowy Egret」である。

ぎりぎりに到着すると、もう狭い会場は満員で立ち見。ジョン・ゾーンらしき人の姿も見えた。自分が入るとすぐに「Sold Out」と外に貼り出された。フォーなんか食っている場合じゃなかった、あぶないあぶない。

タイショーン・ソーリーが別のギグに出ていて(ミシェル・ローズウーマンのグループ)、今回のドラムスはテッド・プア。

Myra Melford (p, melodica)
Ron Miles (cor)
Liberty Ellman (g)
Stomu Takeishi (bass g)
Ted Poor (ds)

やや静かに始まったが、やがて、オリエンタルな旋律に乗って、キメキメでドラマチックな演奏へと盛り上がっていく。

メルフォードのピアノも、グループ全体のサウンドも、向こう側を透徹する清冽さが半端でない。ここでは、音楽の物語を語っていく役割は、ロン・マイルスのコルネットとリバティ・エルマンのギターであった。そして、ツトム・タケイシのベースはその流れに擾乱を与えるものだった。あまりにもファンタスティックで、途中で悶絶しそうになることしばしば。

1st setが終わってから、リバティ・エルマンと少し話をした。「日本にはラップ・バンドの一員として行ったよ。」「え?ラップ?」「いや何でか知らないよ!(笑)ギグを設定してよ!」


ツトム・タケイシ、リバティ・エルマン、テッド・プア


ロン・マイルス


メロディカを弾くメルフォード


リバティ・エルマン

●参照
マイラ・メルフォード『Snowy Egret』
マイラ・メルフォード『life carries me this way』
マイラ・メルフォード『Alive in the House of Saints』 HAT HUTのCDはすぐ劣化する?
『苦悩の人々』再演
ブッチ・モリス『Dust to Dust』
ロン・マイルス『Circuit Rider』


ルイス・ブニュエル『黄金時代』

2015-03-29 23:36:11 | アート・映画

アンソロジー・フィルム・アーカイヴズに足を運び、ルイス・ブニュエル『黄金時代』(1930年)を観る。ブニュエルの監督第2作であり、前作『アンダルシアの犬』に続き、脚本をサルバドール・ダリと協力している。

1時間ほどのフィルムは奇怪なプロットで埋め尽くされている。

イカれた男が登場し、泥の中で女といちゃついているところを取り押さえられる。連行される途中、男は偏執狂的に(ダリ的に)、目に入った犬や虫をことごとく殺そうとする。逃れおおせて入ったパーティー会場では、うっかり自分の服にワインをこぼした老婦人に激昂し殴り、庭に逃亡。泥の中から引き離された女とようやく遭うことができ、庭で抱き合うも、ふと目に入った彫像の女の足が気になり、舐め始める。女もうっとりして舐める。

道徳を嘲笑し、倫理には無配慮で応え、倒錯、分裂、フェティシズムといった人間の業をなんのためらいもなくこれ見よがしに提示する映画。ブニュエルもダリも天才だ。公開当時、右翼がスクリーンに爆弾を投げつける事件が起きて、その後50年間公開が封印されたというが、当然かもしれない。

●参照
『夜顔』と『昼顔』、オリヴェイラとブニュエル


ジェームズ・マーシュ『博士と彼女のセオリー』

2015-03-29 15:11:05 | 思想・文学

機内で、ジェームズ・マーシュ『博士と彼女のセオリー』(2014年)も観る。

スティーヴン・ホーキングの自伝『My Brief History』をもとにしたと思われる伝記映画である。ケンブリッジでひときわ目立つ天才だったホーキングが、次第に、筋肉の制御ができなくなる難病に侵されていく。それを知りながらホーキングと結婚した女性は、しかし、重荷に耐えられなくなっていく。結果として、ふたりは離婚し、それぞれ別の再婚相手を見つけることになる。そしてホーキングは時間に関する理論を構築し、世界中から称賛される。

観るまではベタベタのお涙頂戴ものかと決めつけていたのだが、そうでもない。結婚式などの場面を、8mmのホーム・ムーヴィーらしき処理をして見せるところも悪くない。

決定的に面白いのは、自伝を読んでホーキングの口癖だなと思った「・・・だ、but・・・」が、映画でも再現されていることである。

●参照
スティーヴン・ホーキング『My Brief History』


アレハンドロ・G・イニャリトゥ『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』

2015-03-29 14:54:30 | 北米

飛行機のプログラムで、アレハンドロ・G・イニャリトゥ『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』(2014年)を観る。

ジャズファン的には、アントニオ・サンチェスのドラムスが目玉ということになる。もちろんそれは興奮するほどカッコ良いものなのだが、それは置いておいても面白い。プライドが高く、短期で、やることなすことうまくいかない男(マイケル・キートン)に共感必至。映画に登場する誰もが弱く、ちょっと優しい言葉をもらえただけで救われるということにも、やられてしまう。


山本昭宏『核と日本人』

2015-03-27 23:26:19 | 環境・自然

山本昭宏『核と日本人 ヒロシマ・ゴジラ・フクシマ』(中公新書、2015年)を読む。

戦後、日本では核兵器と原子力発電がどのように受容されてきたのか。本書においては、それを見出す媒体は、漫画や特撮映画といった大衆芸術である。確かに、それらは大衆の欲望や感情を機敏に受け止めて絶えず作りだされる。

1950年代からの「原子力の平和利用」が、多くの者に望ましいものとしてとらえられたことは、今となっては実に奇妙なことだ。その思想的な背景には、「被爆経験があるからこそ、原子力を進めるべきだ」という言説がある。本書によれば、このような一見もっともらしい論理は、対象を変え、正反対の言説がセットとして現われている。すなわち、「被爆経験があるからこそ、原子力を廃絶すべきだ」、「被爆経験があるからこそ、核兵器を廃絶すべきだ」、「被爆経験があるからこそ、核武装する資格を持つ」、「原発事故の経験があるからこそ、原発を廃絶すべきだ」、「原発事故の経験があるからこそ、安全な原発を推進できる」、・・・。

このことは歪ではあるが、市民運動においては一定の力を持っていた。しかし、いまでは、問題を切実にとらえず、他人事のように評論家然としている者が多いという。この理由は、著者のいうように、不条理や矛盾や暴力があまりにも日常の中に入り込んでしまい、過剰に相対化された結果なのかどうか。

●参照
徐京植、高橋哲哉、韓洪九『フクシマ以後の思想をもとめて』
太田昌克『日米<核>同盟』
高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』、脱原発テント
『活断層と原発、そして廃炉 アメリカ、ドイツ、日本の選択』
前田哲男『フクシマと沖縄』
鎌田慧『六ヶ所村の記録』
『核分裂過程』、六ヶ所村関連の講演(菊川慶子、鎌田慧、鎌仲ひとみ)
山本義隆『福島の原発事故をめぐって』
『大江健三郎 大石又七 核をめぐる対話』、新藤兼人『第五福竜丸』
有馬哲夫『原発・正力・CIA』
マルグリット・デュラス『ヒロシマ・モナムール』
アラン・レネ『ヒロシマ・モナムール』


マイラ・メルフォード『Snowy Egret』

2015-03-27 01:02:38 | アヴァンギャルド・ジャズ

マイラ・メルフォードの新作『Snowy Egret』(Enja/Yellow Bird、2013年)を聴く。

Myra Melford (p, melodica)
Ron Miles (cor)
Liberty Ellman (g)
Stomu Takeishi (bass g)
Tyshawn Sorey (ds)

昔から、マイラ・メルフォードの創り出す曲には独特なオリエンタルな響きがあって、好きなのだ。大事に鋭利に砥がれたクリスタルガラスのようで、それでいて同時にアグレッシブに突き進む瞬間が多々現われる。強烈な美意識も見え隠れする。

もっとも、その意味では、本作は新しいマイラではない。いつものメンバー、リバティ・エルマンのギターも、ツトム・タケイシのベースギターも、マイラの美意識重力圏の中で非常にスタイリッシュなソロを取る。新鮮といえば、アメーバのような不定形さを感じさせるタイショーン・ソーリーのドラムスだ。

最終曲は、素晴らしいブルース・ピアノから入り、そのうちに、キメにキメた者たちが、ビカビカと光を反射しながら走り抜ける。

●参照
マイラ・メルフォード『life carries me this way』
マイラ・メルフォード『Alive in the House of Saints』 HAT HUTのCDはすぐ劣化する?
『苦悩の人々』再演
ブッチ・モリス『Dust to Dust』


最相葉月『ナグネ 中国朝鮮族の友と日本』

2015-03-26 06:53:42 | 韓国・朝鮮

最相葉月『ナグネ 中国朝鮮族の友と日本』(岩波新書、2015年)を読む。

中国の東北三省(遼寧省、吉林省、黒竜江省)には朝鮮族が多い。吉林省には延辺朝鮮族自治州もある。かつての満州国と重なる地域でもある。

この大きな理由のひとつとして、日本による朝鮮半島の統治があった。また、朝鮮と満州との国境に、両国への電力供給を目的として巨大な「水豊ダム」が建設され、少ない補償金で7万人もの住民が立ち退かされたことも理由として挙げられる。文化的にも、民族的にも、また心情的にも、朝鮮とつながった地域なのである。わたしの聞いた話では、朝鮮戦争のときに中国からの義勇軍に自ら参加した者や、脱北者を保護した者もあった。

すなわち、日本から朝鮮半島、日本から満州への移民と同様に、朝鮮から中国への移民も「民族大移動」としてとらえることができる。本書によれば、敗戦時、約110万人の朝鮮人が満州国に居住していた。その多くが日本統治の影響での移動であった。

皇民化教育によって日本語の使用を強いられた中国朝鮮族は、戦後も、「朝鮮族コミュニティと朝鮮族の民族文化を守るための道具として」、日本語の教育を続けた。すなわち、多くの人が、韓国語(朝鮮語)、中国語、日本語を自在に使うことができるわけである。それに加え(あるいは日本語にかわり)、最近では、英語を身に着ける人が増えている。わたしの知る限りでも、この3か国語または4か国語を不自由なく使うことができる人は少なくない。

このようなバックグラウンドを持ち、戦後は日本へ、そして中韓国交回復後には「同胞」のいる韓国へ、また中国沿岸部への韓国企業・日本企業の進出に伴い同地へ。東北三省の朝鮮族は、敗戦時に約110万人、2010年に約177万人、2012年に約160万人。最近の激減ぶりがわかる。一方で、2005年には、北京・上海など都市部に約4.5万人、山東地域に約6万人、華南地域に約2.5万人、日本に約5.3万人の朝鮮族が居住しているという。最近ではもっと増えていることだろう。まさに本書のいうように「第二の民族大移動」である。

「ナグネ」とは旅人を意味する。と言えば聞こえはいいが、大きな力によって移動を余儀なくされ、大変な苦労を背負ってきた「ディアスポラ」でもあるだろう。もちろん、在日コリアンや、ソ連の極東地域から中央アジアに強制移動させられた「コレサラム」も無縁ではない。

●参照
朴三石『海外コリアン』、ラウレンティー・ソン『フルンゼ実験農場』『コレサラム』
朝鮮族の交流会
中国延辺朝鮮族自治州料理の店 浅草の和龍園
姫田光義編『北・東北アジア地域交流史』
李恢成『流域へ』
野村進『コリアン世界の旅』
徐京植『ディアスポラ紀行』
詩人尹東柱とともに・2015
尹東柱『空と風と星と詩』


ロン・マイルス『Circuit Rider』

2015-03-25 07:05:05 | アヴァンギャルド・ジャズ

ロン・マイルス『Circuit Rider』(Enja/Yellow Bird、2013年)を聴く。

Ron Miles (cor)
Bill Frisell (g)
Brian Blade (ds)

ちょっと風変わりなトリオによってどのようなスパークが発せられるのかと思いきや、ここに収められている音楽は、表通りでの格闘などではなく、アメリカン・フォーク・ミュージックだった。チャールス・ミンガスの曲もこの文脈で換骨奪胎されている。

この世界の個人的な記憶は、わたしにとっては、せいぜい、ヴィム・ヴェンダースの映画に出てくる「アメリカ」のような二次的なものに過ぎない。しかし、それでも、強烈なノスタルジアをかき立てられてしまう。ヴェンダースのそれも、もとより二次的な記憶の再現だった。ノスタルジアには、個人の記憶がなんであれたどり着くことができるものかもしれない。

気持ちよさそうにコルネットを吹いているロン・マイルスのことは置いておくとして、この世界の現出に貢献しているのはビル・フリゼールのギターだろう。はじまりも終わりも不明瞭にしてたゆたうような音の時空間を創り上げるスタイルは、ノスタルジアと分かちがたく結びついている。それゆえ、バスター・キートンをモチーフにした作品を吹き込み、また、日本のサイレント映画にライヴで音を付けていくという試みも行ったということもできるのだろう(斎藤寅次郎の『爆弾花嫁』をバックにしたライヴは、しかし、個人的には面白くなかった)。

フリゼールと、その後に登場してきたウォルフガング・ムースピールやベン・モンダーといったギタリストには影響関係がありそうなものだが、だれかうまくそのあたりを論じていないだろうか。