Sightsong

自縄自縛日記

『活断層と原発、そして廃炉 アメリカ、ドイツ、日本の選択』

2013-01-31 12:19:32 | 環境・自然

NNNドキュメント'13」枠で放送された『活断層と原発、そして廃炉 アメリカ、ドイツ、日本の選択』(2013/1/27放送)を観る。

活断層が近傍に発見された原子力発電所の事例が、いくつか紹介されている。なぜ活断層が重要かといえば、物理的なずれによって、その上にある設備が「ギロチン破断」を起こしてしまうからだ。典型的には、1基の原発に5万本・延べ100kmもの配管があるという。勿論、それに加え、地震動そのものによる施設のダメージがある。福島第一原発においても、津波が来る前に、既に物理的な衝撃によって機能を停止していたのだという報道がなされた。

ところで、活断層というものはたまたま「見えた」ものに過ぎず、そのため、活断層が「ない」ところでも大地震は起きる。活断層は勿論危険であり、さらに、活断層かどうかに話が矮小化されることは、地震についても、原発についても、危険である。(島村英紀『「地震予知」はウソだらけ』 >> リンク

米国カリフォルニア州・ボデガヘッド原発では、1963年、原子炉を収納しようとして掘っていた穴の底に小さな断層が見つかり、建設が中止された。40万~4万年前に1度だけ、しかもわずか40cmずれただけの小さな断層である。しかし、近くには、巨大なサンアンドレアス断層が走っている。ここでは、1994年のノースフィールド地震など繰り返し大地震が起きている(高速道路が倒壊した写真はまだ記憶に新しい)。

米国カリフォルニア州・フンボルトベイ原発は、1963年に稼働開始した(出力65MWと小さい)。稼働中に断層が発見され、市民団体は稼働停止を求めてヘリウム風船を飛ばしたりしていた。風船の中には切手付きの葉書が封入され、放射性物質の伝播を調べようとしたのだという。それでもしばらくは運用していたが、1979年のスリーマイル島原発事故を契機となった。大規模な耐震補強が迫られ、電力会社PG & Eは、経済的にもたないとして1983年に廃炉を決定した。

米国カリフォルニア州・ディアブローキャニオン原発。やはり電力会社PG & Eが運用する、1,100MW×2と本格的なものである。この近くでも、1972年に断層が発見されたが、対照的に、大規模予算での改修を選んだ。全電源が停止しても問題ないよう冷却水プールを炉心より高台に起き、また、放射性廃棄物の乾式キャスクも高台へと運んだ。

ドイツ・グライフスヴァルト原発は、東西ドイツ統一の直後に、廃炉プロセスを開始した。既に廃炉会社が契約し、「Learning by doing」によって、設備の切断、除染、最終廃棄物化を進めている。除染の様子は凄まじい。放射性レベルの低いものであれば高圧水、それ以上であれば鉄粉を吹きつけて表面を削ったり、電気分解によって表面を溶かしたり。さらに、放射性レベルが高く、また切断に多額の費用を要する圧力容器などは、50年間をめどに、まずは中間貯蔵施設に運び込んで保管している。

これら全6基の廃炉総コストは、約5,000億円ほどだという。一方、日本において唯一廃炉プロセスを完了した原発は、東海村の小規模(12.5MW)の試験炉だけに過ぎない。これとても、250億円・15年間(1981~96年)を要している。また、商用発電を行う日本初の原発・東海第一原発は、現在、廃炉が進められている(>> リンク)。

グライフスヴァルトでは、原発跡地近傍の工業団地にエネルギー産業が集まり、港湾など原発時代のインフラを活かし、例えば巨大な洋上風力の設備生産などを行っているという(北海などでは洋上風力を本格化)。廃炉会社もそのひとつとして位置づけられる。グライフスヴァルトのケーニヒ市長は、廃炉ビジネスのノウハウを輸出可能だとさえ発言しているのである。

日本では、再生可能エネルギー時代はまだ本格化前であり、また、今後、稼働中の原子炉をどのように扱うかによって時期がずれるものの、確実に大規模な廃炉時代が到来する。危険やリスクを強引に乗り越えようとするよりも、再生可能エネルギーや廃炉での産業振興を目指すほうが、現実的な選択肢のはずだという思いを強くする。

●参照(原子力)
山本義隆『福島の原発事故をめぐって』
『これでいいのか福島原発事故報道』
開沼博『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』
高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』、脱原発テント
前田哲男『フクシマと沖縄』
原科幸彦『環境アセスメントとは何か』
『科学』と『現代思想』の原発特集
石橋克彦『原発震災―破滅を避けるために』
今井一『「原発」国民投票』
『大江健三郎 大石又七 核をめぐる対話』、新藤兼人『第五福竜丸』
鎌田慧『六ヶ所村の記録』
『核分裂過程』、六ヶ所村関連の講演(菊川慶子、鎌田慧、鎌仲ひとみ)
『原発ゴミは「負の遺産」―最終処分場のゆくえ3』
使用済み核燃料
有馬哲夫『原発・正力・CIA』
黒木和雄『原子力戦争』
福島原発の宣伝映画『黎明』、『福島の原子力』
東海第一原発の宣伝映画『原子力発電の夜明け』
『伊方原発 問われる“安全神話”』
長島と祝島
長島と祝島(2) 練塀の島、祝島
長島と祝島(3) 祝島の高台から原発予定地を視る
長島と祝島(4) 長島の山道を歩く
既視感のある暴力 山口県、上関町
眼を向けると待ち構えている写真集 『中電さん、さようなら―山口県祝島 原発とたたかう島人の記録』
1996年の祝島の神舞 『いつか 心ひとつに』
纐纈あや『祝の島』

●NNNドキュメント
『沖縄からの手紙』(2012年)
『八ッ場 長すぎる翻弄』(2012年)
『鉄条網とアメとムチ』(2011年)、『基地の町に生きて』(2008年)
『風の民、練塀の町』(2010年)
『沖縄・43年目のクラス会』(2010年)
『シリーズ・戦争の記憶(1) 証言 集団自決 語り継ぐ沖縄戦』(2008年)
『音の記憶(2) ヤンバルの森と米軍基地』(2008年)
『ひめゆり戦史・いま問う、国家と教育』(1979年)、『空白の戦史・沖縄住民虐殺35年』(1980年)
『毒ガスは去ったが』(1971年)、『広場の戦争展・ある「在日沖縄人」の痛恨行脚』(1979年)
『沖縄の十八歳』(1966年)、『一幕一場・沖縄人類館』(1978年)、『戦世の六月・「沖縄の十八歳」は今』(1983年)


ブッチ・モリス『Dust to Dust』

2013-01-31 08:10:49 | アヴァンギャルド・ジャズ

ブッチ・モリス(Lawrence D. "Butch" Morris)の訃報。まずは、棚から『Dust to Dust』(New World Records、1991年)を取り出して聴く。

Vickey Bodner (English Horn)
Jean-Paul Bourelly (g)
Brian Carrott (vib)
Andrew Cyrille (ds)
J.A. Deane (tb, electronics)
Marty Ehrlich (cl)
Janet Grice (basoon)
Wayne Horvitz (kb, electronics)
Jason Hwang (vl)
Myra Melford (p)
Zeena Parkins (harp)
John Purcell (ob)
Lawrence D. "Butch" Morris (conductor)

ブッチ・モリスはトランペットの演奏ではなく、グループの音楽全体を統率している。普通の指揮ではなく、いわゆる「コンダクション」。即興音楽家に対して演奏の指令を与える方法であり、ジョン・ゾーンの「コブラ」とも似たようなものだろうか。両方とも実際に観たことはないので、実感はない。渋さ知らズの「ダンドリ」よりもゲーム的であろうとは思うのだが。

方法はともあれ、この音楽から得られる印象は、確かに、ビッグバンドとも、集団即興とも、明らかに異なるものだ。メンバーは一騎当千の即興音楽家ばかり、彼ら・彼女らのソロや伴奏がふわりと受け渡され、現れては消える感覚は奇妙に感じられる。

マイラ・メルフォードのピアノも、ジャン・ポール・ブレリーのギターも、アンドリュー・シリルのドラムスも、マーティ・アーリックのクラも、ブライアン・キャロットのヴァイブも、ジーナ・パーキンスのハープも、耳を澄ましてじっくりと聴くほど、美味しい個性が聴こえてくる。

演る方、観る方ともにどんな感覚だったのだろう。


バール・フィリップス+Bass Ensemble GEN311『Live at Space Who』

2013-01-29 07:35:48 | アヴァンギャルド・ジャズ

バール・フィリップス+Bass Ensemble GEN311『Live at Space Who』(Travessia、2012年)を聴く。恐るべし、齋藤徹さんによる、コントラバスのみのグループ「ベースアンサンブル弦311」に、巨匠バール・フィリップスを迎えた演奏であり、昨年10月の来日時に録音されている。

ライナー裏面のバール・フィリップスのポートレート写真として、わたしが1998年頃に撮ったものを使っていただいたこともあり、早速1枚送られてきた。(ありがとうございます。)

Barre Phillips、齋藤徹、田嶋真佐雄、瀬尾高志、田辺和弘、Pearl Alexander (b)

6本のベースが発する音の集合体は、実に鮮やかでカラフルだ。さまざまな音色が創出されては彼方へ消えてゆき、その残滓の数々が大きなイメージを描いている。

いちどだけ、バール氏抜きの、このベースアンサンブルを聴いたことがある(>> リンク)。そのときは、黒潮のイメージとともに、人間の大きな音楽だと感じたのだった。

瀬尾高志氏のブログによれば、「E♭のスコラダトゥーラ(変則チューニング)、最低音(最低弦を更に低くする)から最高音(バイオリン以上)の音響もあり・・・」とある(>> リンク)。残念ながら、ただのいちどもコントラバスに触ったことがないわたしには、それを実感できる能力がないのだが、各人が工夫を凝らして即興に臨んでいることはわかるような気がする。このライヴに居合わせたかった。

絵でいうなら、イメージの洪水だとしても、今井俊満や白髪一雄のような混沌の奔流ではなく、松井守男のように、ひとつひとつの音が独立して躍っているような感覚か。吸い込まれそうだ。


バール・フィリップス、ナルシス(98年頃?) Pentax MZ-3、FA 28mm/f2.8、プロビア400、ダイレクトプリント

●参照
バール・フィリップス@歌舞伎町ナルシス
バール・フィリップスの映像『Live in Vienna』
齋藤徹+今井和雄『ORBIT ZERO』、バール・フィリップス+今井和雄『プレイエム・アズ・ゼイ・フォール』
リー・コニッツ+今井和雄『無伴奏ライヴ・イン・ヨコハマ』、バール・フィリップス+今井和雄『プレイエム・アズ・ゼイ・フォール』
歌舞伎町ナルシスでのバール・フィリップス
ミッシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+齋藤徹@ポレポレ坐
齋藤徹による「bass ensemble "弦" gamma/ut」
齋藤徹、2009年5月、東中野
齋藤徹「オンバク・ヒタム」(黒潮)
久高島で記録された嘉手苅林昌『沖縄の魂の行方』、イザイホーを利用した池澤夏樹『眠る女』、八重山で演奏された齋藤徹『パナリ』
往来トリオの2作品、『往来』と『雲は行く』
ミッシェル・ドネダと齋藤徹、ペンタックス43mm
ユーラシアン・エコーズ、金石出


万年筆のペンクリニック(2)

2013-01-27 09:34:57 | もろもろ

出かけたついでに、銀座三越で開かれている「ギンザステーショナリーフェスタ」を覗いてみた。

ここぞとばかりに、各社の万年筆を試し書き。なかでも、仙台の「大橋堂」の手作り万年筆には目を奪われた。ほとんどすべてがエボナイトの漆塗り。いやあ渋い。何か達成したときに、自分へのご褒美にしようなどと妄想した。

プラチナのブースでは、職人さんが調整テーブルの前に座っていたので、手持ちの「#3776 センチュリー ブルゴーニュ」のペン先を診てもらった(プラチナだけでなく、ペンクリニックだけのブースもある)。どうも書き出しがいまひとつだったのだが、やはり、インク滓が奥の方に詰まっていたらしい。治具を使って綺麗に清掃していただいて大満足。

●参照
万年筆のペンクリニック
行定勲『クローズド・ノート』(万年筆映画)
鉄ペン


『けーし風』読者の集い(19) 新しい地平をひらく―「復帰40年」の沖縄から

2013-01-27 09:07:37 | 沖縄

『けーし風』第77号(2012.12、新沖縄フォーラム刊行会議)の読者会に参加した。参加者は12人。

沖縄大学に入りなおしてもう4年生のMさんが、若い学生をふたり連れてきてくれた。その3人の話によると、沖縄の若い人は「本土」同様に新聞を読まなくなっており、沖縄をめぐる政治や社会問題に関する意識も知識も低い傾向がある(話をしていても、「オスプレイって何ですか」という質問が来るとか)。しかし、決定的な特徴は「現場」があることで、そのために、オスプレイ配備の賛否に関する学生アンケートでも、ほとんどはNoという回答をしている。「本土」から沖大に交換留学している学生は、「情報が沖縄にとどまっていいのかな」という印象を強く持っているという。

出席された編集者のKさんは、辺野古基地、ジュゴン、オスプレイの問題に関して、今後の見通しを示してくれた。

オスプレイに関しては、安全か危険かの議論に矮小化されることのあやうさ。低周波が母子胎児に与える影響。

辺野古のアセス補正評価書に関しては、縦覧手続きがこの1月29日に終了し、状況が新たな局面に入るということ。その後の埋立申請、参院選、米国のジュゴン訴訟(既に、米軍活動による影響が、他国の先住民=沖縄の文化財に及ぶことを回避せよとの判決がなされている)、名護市長選挙との関連。

その他に、尖閣諸島と沖縄との関連(『新崎盛暉が説く構造的沖縄差別』(高文研)でも言及されているとのこと)、沖縄の新聞やテレビ放送、米国の世界軍事戦略と現安倍政権、沖縄における日本会議の勢力、金武湾のCTS阻止運動に関連して『琉球弧の住民運動』の復刊が望まれること、などの話題があった。

編集者のSさんから、ご自身が手掛けた、具志堅隆松『ぼくが遺骨を掘る人「ガマフヤー」になったわけ。』(合同出版)(>> リンク)を頂いてしまった。(ありがとうございます。)

終わってから、6人ほどで呑んで帰った。

●けーし
『けーし風』読者の集い(18) 抑圧とたたかう ― ジェンダーの視点から
『けーし風』読者の集い(17) 歴史の書き換えに抗する
けーし風』読者の集い(16) 新自由主義と軍事主義に抗する視点
『けーし風』2011.12 新自由主義と軍事主義に抗する視点
『けーし風』読者の集い(15) 上江田千代さん講演会
『けーし風』読者の集い(14) 放射能汚染時代に向き合う
『けーし風』読者の集い(13) 東アジアをむすぶ・つなぐ
『けーし風』読者の集い(12) 県知事選挙をふりかえる
『けーし風』2010.9 元海兵隊員の言葉から考える
『けーし風』読者の集い(11) 国連勧告をめぐって
『けーし風』読者の集い(10) 名護市民の選択、県民大会
『けーし風』読者の集い(9) 新政権下で<抵抗>を考える
『けーし風』読者の集い(8) 辺野古・環境アセスはいま
『けーし風』2009.3 オバマ政権と沖縄
『けーし風』読者の集い(7) 戦争と軍隊を問う/環境破壊とたたかう人びと、読者の集い
『けーし風』2008.9 歴史を語る磁場
『けーし風』読者の集い(6) 沖縄の18歳、<当事者>のまなざし、依存型経済
『けーし風』2008.6 沖縄の18歳に伝えたいオキナワ
『けーし風』読者の集い(5) 米兵の存在、環境破壊
『けーし風』2008.3 米兵の存在、環境破壊
『けーし風』読者の集い(4) ここからすすめる民主主義
『けーし風』2007.12 ここからすすめる民主主義、佐喜真美術館
『けーし風』読者の集い(3) 沖縄戦特集
『けーし風』2007.9 沖縄戦教育特集
『けーし風』読者の集い(2) 沖縄がつながる
『けーし風』2007.6 特集・沖縄がつながる
『けーし風』読者の集い(1) 検証・SACO 10年の沖縄
『けーし風』2007.3 特集・検証・SACO 10年の沖縄


ジョー・マクフィー+ポール・ニルセン・ラヴ@稲毛Candy

2013-01-26 09:07:24 | アヴァンギャルド・ジャズ


Joe McPhee (ts, as, tp)
Paul Nilsen-Love (ds)

ジョー・マクフィー待望の来日。強引に都合を付けて、稲毛のCandyまで足を運んだ(2012/1/25)。

千葉県民でありながらCandyに行くのは初めてだったのだが、中にはハン・ベニンク、ジョン・ヒックス、リチャード・デイヴィス、スティーヴ・レイシー、ジョン・ブッチャー、ペーター・ブロッツマンらのサインが溢れており、実に良い印象。

マクフィーとニルセン・ラヴはちょっと遅れて食事から戻ってきて、20時20分ころからの演奏開始となった。

まずはニルセン・ラヴのドラムソロ。この人はパワープレイだけでなく実に引き出しが多い。

そして、かなり年下のニルセン・ラヴを天才だと紹介しつつ、マクフィーのトランペットソロがはじまった。繊細な擦音、ペラペラのプラカップをミュートのように使う異音、轟高音。そしてスムーズにテナーサックスに持ち替えたのだが、この音の味には痺れてしまった。やはり擦音から入り、管を素晴らしい音で共鳴させ、時には吹きながら叫ぶ。循環呼吸奏法も見せた。

ニルセン・ラヴとのデュオでは、主にアルトサックスを使った。テナーと随分異なり、アルト独特のキュッキュッというマウスピースで発生するノイズをうまくコントロールしつつ、中高音で鳴らしきる感じである。マクフィーのテナーはブルース、アルトは攻撃である。アルトのマウスピースは真っ赤なもので、演奏後に、はじめて見たけど、と訊ねてみると、友人がプラスチックから削りだして作ってくれたものだということだった。

ニルセン・ラヴはというと、演奏が進むにつれますます多くの引き出しを開陳し、お待ちかねの超はやいパワープレイを見せつけてくれた。

ところで、演奏中に、マクフィーのデイパックから携帯の着信音が二度ほど鳴り響き、そのたびに、ん?と中断し、デイパックをトイレに閉じ込めてまた吹きはじめるという展開もあった。ハプニングをパフォーマンスにしてしまう余裕か。

素晴らしいライヴだった。行ってよかった。


マクフィーにもサインを頂いた

●参照
ジョー・マクフィーとポール・ニルセン・ラヴとのデュオ、『明日が今日来た』
ウィリアム・パーカー+オルイェミ・トーマス+リサ・ソコロフ+ジョー・マクフィー+ジェフ・シュランガー『Spiritworld』
ジョー・マクフィーの映像『列車と河:音楽の旅』
ポール・ニルセン・ラヴ+ケン・ヴァンダーマーク@新宿ピットイン
ペーター・ブロッツマン@新宿ピットイン(ニルセン・ラヴ参加)
4 Corners『Alive in Lisbon』(ニルセン・ラヴ参加)
スクール・デイズ『In Our Times』(ニルセン・ラヴ参加)


なんばの「千とせ」のカップ、その2

2013-01-26 01:11:40 | 関西

2年ほど前に、大阪なんばにある「千とせ」の名物「肉吸」のカップを発見したことがあるが、今度は、日清食品が、ここのカップ肉うどんを出している。

早速食べてみたが、普通のカップうどんである。何なんだ。


肉うどんカップ


「肉吸」のカップ


「肉吸」のオリジナル(2009年2月)

●参照
なんばの、「千とせ」の、「肉吸」の、カップ


2013年1月、ハノイ

2013-01-25 07:17:35 | 東南アジア

今年になって最初のベトナム。

自分がその街に親しみを持てるかどうかは、歩いていて愉しいかどうかによる。

その意味では、生活が道に張り出していて、空気が濡れていて、リラックスできるハノイは好きな街である。一方、クルマ社会で点から点への移動しかできないジャカルタには、まだ、親しみを持つことができないでいる。


家貌


散髪屋


空港

※写真はすべて Minolta TC-1、Fuji Superia 400

●参照
ハノイの文廟と美術館
ハノイの街
2012年6月、ハノイ
2012年8月、ハノイ
2012年6月、サパ
2012年6月、ラオカイ
2012年8月、ベトナム・イェンバイ省のとある町
ハノイのレーニン像とあの世の紙幣
2012年6月、ハノイ
ハノイのMaiギャラリー
牛と茶畑


2013年1月、ハロン湾

2013-01-24 23:05:20 | 東南アジア

ベトナム・ハノイから自動車で3時間半。ユネスコ世界遺産にも登録されているハロン湾は、トンキン湾北西部にある。

案内してくれた仕事仲間のベトナム人は、やはり、真っ先に、トンキン湾事件のことを口にした。1964年、トンキン湾において、米海軍艇が北ベトナム軍の攻撃を受けた。しかしこれは、関東軍による柳条湖事件、米国によるイラクの大量破壊兵器保有説などと同様、武力介入のための、米国による捏造であった。

残念ながら、この日は曇天。しかし、船に乗って湾内を周遊すると、次々に石灰岩の奇岩が現れた。ある岩の島に接岸し、なかの鍾乳洞を見学した。ベトナムの彼は、わたしの故郷・山口県にある秋芳洞に行ったことがあるとのことだった。自然の不思議。

沖縄の本部半島にも、同じような琉球石灰岩の熱帯カルストがある(>> リンク)。そこでは琉球セメントが石灰岩を採掘しているよ、というような話をしていたら、この近くの道沿いにもセメント・コンクリート製品が沢山あった。それはそうだ。

オーストラリア南西部のピナクルズには、もっと小さい石灰岩が砂の上ににょきにょきと立っている(>> リンク)。

ところで、昨年末に3年ぶりに本を上梓した自分へのご褒美として、ミノルタTC-1を入手し、はじめて使った。フィルム2本のうち、2コマに指先が写っていた(笑)。


もぎり


奇岩群



船と野菜


船と下着



鍾乳洞


看板

※写真はすべて Minolta TC-1、Fuji Superia 400

●石灰岩
本部半島のカンヒザクラ(寒緋桜)と熱帯カルスト
ピナクルズの奇岩群

●ベトナムの写真
ハノイの文廟と美術館
ハノイの街
2012年6月、ハノイ
2012年8月、ハノイ
2012年6月、サパ
2012年6月、ラオカイ
2012年8月、ベトナム・イェンバイ省のとある町
牛と茶畑


ダニエル・ヤーギン『探求』

2013-01-23 23:50:12 | 環境・自然

ダニエル・ヤーギン『探求』(日本経済新聞出版社、原著2011年)。ゆっくりと読み進めていたが、ハノイでようやく読了した。

言ってみれば、化石燃料、再生可能エネルギー、電気、CO2などについての開発と変転の歴史書である。これが滅法面白く、とても読み飛ばすわけにはいかない。 新しい本だけあって、例えば東日本大震災と原発事故、中国の省エネ規制、シェールガスの勃興、再生可能エネルギーの技術・市場変動など、最近の動向まで追ったものとなっている。邦訳は上下巻で千ページにもなる大部の書だが、じっくりと読む価値は大きい。

CO2に関しては、第4部に記述されている。確かに、19世紀からの長い研究の積み重ねがあることがよくわかる。贔屓の引き倒しではない。IPCCの提示したものが確固たる結論ではないことも、クライメートゲート事件についても、しっかりと踏まえてのことだ。確かに、最近の日本においては、温暖化対策が原子力推進策とセットになって進められてきた。しかし、この構造を疑うあまりに陰謀論に走るのは、あまりにも浅はかだと言わざるを得ないだろう。

それにしても、政治と科学とビジネスとをうまく織り交ぜた語り口は見事である。読みながら、自分もこんなものを書かなければいけなかったのだなと反省してしまった(>> こんな本とか、こんな本とか)。もっとも、相手はピューリッツァー賞を受賞した専門家であるが・・・。

エネルギー問題についても、開発史、技術、将来予測、市場、エネルギーセキュリティなど、まったく一筋縄ではいかない。つい最近の常識さえもリアルタイムでどんどん変貌していく。

つまり、原子力を考える上でも、再生可能エネルギーの可能性を見る上でも、それから国家間の関係や貿易を広く考える上でも、エネルギー問題のさまざまな要素をじっくり見極めなければ話にならないということだ。「巨悪」の存在を前提としたり、知識なく陰謀論に加担することは、誰のためにもならない。

大推薦。


松村美香『利権鉱脈 小説ODA』

2013-01-23 11:08:57 | 北アジア・中央アジア

松村美香『利権鉱脈 小説ODA』(角川書店、2012年)を読む。

モンゴルでのODA調査をネタとした小説である。産業小説ゆえ、たとえば黒木亮『排出権商人』(>> リンク)と同様に、解説的・説明的であり、さまざまな要素を詰め込もうとしすぎたきらいはある。

しかし、相当に面白い。もちろん、わたし自身が身を置く業界と近い世界だからでもある。ハノイに居る間に一気に読んでしまった。

著者は、かつて国際開発コンサルタントであった経歴を持つようだ。おそらくJICAの業務経験もあるのだろう(小説では、JIDOという微妙な名前になっている)。それゆえ、内情の描写には厚みがある。それぞれの省庁のキャラだとか、ODAが辿って来た紆余曲折だとか、モンゴルでの鉱山開発や省庁再編だとか。これらを、モンゴルでのウラン開発や放射性廃棄物の最終処分問題と結び付ける展開は、なかなかの手腕である。

もっとも、コンサルタントを兵隊、省庁を大本営のように言われたり、産業の海外展開を戦争であるかのように言われたりすると、それは古い時代への回帰願望ではないかと思ってしまうのではあるが。ちょっと、「プロジェクトX」的。

それは置いておいても、模索しながら奮闘する人たちへのエールとして、広く読まれていい本だと思う。大企業がどうのグローバル企業がどうのという悪口だけ言い放つよりは遥かに人間的である。


本田竹広『BOOGIE-BOGA-BOO』

2013-01-15 08:01:40 | アヴァンギャルド・ジャズ

最近、就寝前にやたらと本田竹広『BOOGIE-BOGA-BOO』(Fun House、1995年)を聴いている。

本田竹広(fender rhodes)
Paul Jackson(b)
日野元彦(ds)
五十嵐一生(tp)
臼庭潤(ts)
今出宏(blues harp)

もう最初から最後までフェンダーローズが格好良い。管のアンサンブルの中で、管と同じ存在感でぶりぶりと音空間を切り拓いたり、微妙に震える電子音を基底音として音空間を支えたり。

本田竹広といえば、剛の者による優しいブルースという印象がある。いつだったかに観た、ケイコ・リーの歌伴はすばらしかった。

ここでもブルース魂が溢れてくる。特に、最後の「Water under the Bridge」での、ブルースハープとの共演は、お休み前にはちょっと感情過多で、何かいろいろと記憶の残滓が攻めてきて眠れなくなるのだった。(結局、そのまま意識を失うのではあるが・・・。)

このような、本田竹広のジャズファンク路線を聴くには、他に何がいいのかな。


ジャン・ルノワール『自由への闘い』

2013-01-14 22:16:39 | ヨーロッパ

ジャン・ルノワール『自由への闘い』(1943年)は、ルノワールが米国に亡命していたときの作品のひとつである。

ヨーロッパのとある国。ナチス・ドイツに占領され、為政者はドイツにおもねり、協力者のみが生き延びていける状況。息苦しい、密告社会である。その理屈は、抵抗するよりも、支配権力に寄り添って、自らの安全や社会の安定を得たほうが現実的だというものだった。しかし、抵抗する者はいた。抵抗が人間の権利だとして。

明らかに、ルノワールは、ナチス・ドイツに協力した母国フランスのヴィシー政権を意識したのだろう。ヴィシー政権下ではユダヤ人が抑圧されたが、映画でも、小学校でユダヤ人の少年をみんなで寄ってたかって虐めるシーンがある。まさに、映画でのハイライトたるチャールズ・ロートンの演説にあるように、「敵は各自の心にある」のであった。

プロパガンダ映画だとも言うことができるかもしれないが、組織的なアピールではなく、異国にあってルノワールが希求する祖国奪還を直接的に訴えた映画なのだと考えるべきなのだろう。

それにしても、チャールズ・ロートンは癖があって良い俳優である。ビリー・ワイルダー『情婦』では、法を武器として闘う弁護士を演じたのだったが、ここでは、逆に、法の精神のもと弁論を許された被告を演じているのが興味深い。

●参照
ジャン・ルノワール『浜辺の女』


ジュリアン・バーンズ『終わりの感覚』

2013-01-14 15:48:10 | ヨーロッパ

ジュリアン・バーンズ『終わりの感覚』(新潮社、原著2011年)を読む。

バーンズ最新の長編小説。『Pulse』は同時期の短編集である(>> リンク)。

老人の歳に達した主人公は、若いころからの人生を振り返る。青春時代。仲間たち。性の抑圧。とびきり優秀な転校生。恋人との出逢いと別れ。裏切り。その後の結婚と離婚。

記憶は、自然の摂理により、改変され、どこかに引き込み、再編集される。記憶を語る者も、膨大で、かつ不確かで、姿を変え続ける怪物的な存在と一緒に生きていかなければならない。それはあまりにも哀しい。そして、バーンズの語りは、哲学的であったり、警句的であったり、諦念的であったり、出鱈目であったりする。

わたしはまだ老年でも何でもないが、この差し迫る迫力にはたじろいでしまう。よほどの若者でない限り、この本を読む者は、自らを主人公に投影してしまうのではないか。

紛れもなく傑作。それゆえに、立ち止まって自らの記憶のために身動きが取れなくなるような時間が欲しくない人は、読まない方がよい。(本当である。現にわたしも絶望感に近い気持ちで動けなくなった。)

ところで、テムズ川のテート・モダンの前に架けられた歩道橋は、新設当時、すぐに揺れてしまい、「ぐらぐら橋」と呼ばれたのだという。よく覚えているが、わたしが歩いたときには揺れた記憶などない。調べてみると、この正式には「Millennium Bridge」という橋は、確かに、2000年に開通し、「Wobbly Bridge」とのニックネームが付けられ、すぐに閉鎖、2002年に再開通したらしい。今度、ロンドン帰りの人にでも試しに訊いてみるか。

●参照
ジュリアン・バーンズ『Pulse』


武重邦夫・近藤正典『父をめぐる旅 異才の日本画家・中村正義の生涯』

2013-01-14 10:01:41 | アート・映画

記者のDさんに誘われ、東京都写真美術館で、武重邦夫・近藤正典『父をめぐる旅 異才の日本画家・中村正義の生涯』(2012年)を観る。

反逆と破天荒の日本画家・中村正義が生きた足跡を、娘の倫子さんが追ったドキュメンタリーである。

正義は、豊橋市のこんにゃく問屋に生まれた病弱な少年。絵を好み、絵の学校に入ろうとするが、中卒資格がないため断念する。戦後まもなく、中村岳陵に師事し、めきめきと頭角をあらわす。若くして日展で入賞、日展審査員も務めるが、あまりにも封建的な日本画会に見切りをつけて脱会。当時のアート界を揺るがす事件であった。その後の正義は、岳陵ら日本画界から活動の場を制限されつつも、日本画の枠を大きく超えた作品を創り続けた。

わたしが知る正義は、小林正樹『怪談』(>> リンク)に使われた「源平合戦絵巻」(東京都近代美術館蔵)であり、その映画も戸田重昌の担当した美術のひとつの材料としてみていた程度だ。ところが、これは正義が世に出したアートのひとつの通過点に過ぎないものだった。

日展に入選しはじめた初期の作品は、繊細な線と淡い色を使ったものだった。日本画の伝統を引き継いでいるとも言える。洋画家・松本竣介の世界にも共通するような、弱く抒情的な作品世界であった。

しかし、殻を力ずくで剥ぎ取って以降の正義の作品は凄まじい。どぎつい原色も多用し、さまざまなマチエールを前面に押し出したそれらは、土俗的でもあり、同時にモダンでもあった。もはや誰にも似ていないという意味では、天才の所業である。

映画の中で、水上勉が正義に寄せた文章が紹介される。「あの澄んだ眼は尋常ではない」と。「魔の岸」を視ているに違いない、と。まさに彼岸も、「魔の岸」も、地の底も、人の心の奥底も、透徹した眼で見抜いたうえで創りだされた作品群であったのだと思わされる。

既成の日本画界に闘いを挑み、日展に「東京展」をぶつけ、また締めだされていたはずの百貨店においても個展を開いてみせる。三越銀座店で展示された作品の数々には驚かされる。それは、彼岸も此岸も重なっているような、あまりにもクリアな風景画だった。どきりとさせられる世界の転換だった。

すばらしいドキュメンタリーである。川崎の美術館にも足を運んでみたい。

終わってから、Dさんたち数人と、恵比寿の鳥料理の店「N.Park」(>> リンク)で夕食。シンプルなから揚げも、凝ったおつまみもあって、いい店だった。話が楽しすぎて、東西線の終電に乗り遅れてしまった。

●参照
小林正樹『切腹』、『怪談』