アラヴィンド・アディガ『Last Man in Tower』(2011年)を読む。
これが発表された2011年、ニューデリーの「Jain Book Depot」で買ったのだが(値札を見ると6.99ルピー、当時は円高だったから1000円を割るくらい)、そのまま2年間放置していた。400頁を超えるボリュームのうえに、いきなりさまざまな人物が登場する群像劇ゆえわかりにくく、最初の何頁かを読んで後回しにしてしまったのだった。
改めて読んでみると、最初のうちに何人かの名前を頭に入れてしまえば、実は人間関係はそれほど複雑ではないことがわかった。
舞台は、ムンバイのスラム街にある古いアパート。ある日、突然、デベロッパーがやってくる。このアパートを取り壊し、再開発したいというのである。立ち退き料として住民に提示された金額は、相場のざっと2.5倍。それでもモトが取れる、野心的なプロジェクトなのだった。
動揺する住民たち。各々が生活上の困難を抱えており、ほとんどが立ち退くことを決意する。しかし、反対する者が3人。1人は、「バトルシップ」という渾名の女性「コミュニスト」であり、デベロッパーという存在をまったく信用していない。オカネも渡されないに違いないと決めてかかる有様だ。それでも、葛藤の末、折れてしまう(部屋にアルンダティ・ロイのポスターが貼ってあるということが可笑しい)。2人目は、デベロッパーの手先に妻を脅され、恐怖のあまり立ち退きを受け容れる。
そして、「塔の最後の男」。元教師であり、思索を好む。鉄道事故で死んだ娘が残したアパートの絵を大事に持ち、その思い出や、他の住民との生活を壊されたくないために、頑として立ち退こうとしない。しかし、彼が受け容れない限り、同じアパートの住民は立ち退き料を受け取れないのである。たとえば、知能の発達が遅れた子どもを持つ母親は、世話が大変なために別の場所に移りたいのに、彼が邪魔しているようにしか思えない。そんなわけで、子どものウンコを彼の部屋の前にまき散らして、どれだけ大変かわかってみろと怒鳴り散らす。それでも、彼は、この母親が、子どものためではなく自分自身のためにオカネが欲しいのだと決めつける。解り合えないとはこのことだ。
元教師、文字通りの四面楚歌。ついに、何人かの住民たちが、彼を殺す計画を立て、こわごわと実行に移す。
元教師、デベロッパーとその部下、住民たち。それぞれの事情や内面が実に人間的に描かれており、飽きないどころか、読んでいる間はハラハラして次の展開が気になってしかたがない。デベロッパーの弱さにも、「バトルシップ」の脆さにも、生活が大変な人たちにも、頑固で独善的な元教師にも、感情移入してしまうのだ。
作者の文章は面白く、かつ巧みだ。たとえば、元教師が法律事務所を訪れ相談するも、盾となる法律に「MOFA」だの「MHADA」だの「ULCRA」だのといった多くの複雑なものがあると知らされる場面。法律事務所に貼られているアンコール・ワットの写真を、まるで法律の牙城たるゴシック様式のように見ていた元教師は、パニックに陥る。
「Now this High Court and its high roof shuddered and its solid Gothic arches become shredded paper fluttering down on Masterji's shoulders. Mofa. MHADA. ULCRA. MSCA. ULFA. Mohamaulfacramrdama-ma-ma-abracadabra, soft, soft, it fell on him, the futile law of India.」
さすが、30代にしてデビュー作でブッカー賞を受賞した才人。他の作品も読んでみたいところ。
それから、くだらないことだが、インドにも「5秒ルール」があるのだということには笑ってしまった。食べ物を下に落としても、5秒以内に拾えば、バイ菌は付かないのである。
●参照
○2010年9月、ムンバイ、デリー
○アショーカ・K・バンカー『Gods of War』(ムンバイの作家)
○ロベルト・ロッセリーニ『インディア』(ムンバイが舞台)
○ダニー・ボイル『スラムドッグ$ミリオネア』(ムンバイが舞台)