●矢部優子
春の気たつを以て也@成城学園前アトリエ第Q藝術(2024年)
矢部優子+山㟁直人+広瀬淳二@アトリエ第Q藝術(2023年)
りら~雲を吐き、星を喰う homages to Tetsu~@山猫軒(JazzTokyo)(2023年)
古池寿浩+矢部優子+増渕顕史@水道橋Ftarri(2022年)
神田綾子+矢部優子+遠藤ふみ@大泉学園インエフ(2021年)
Dance x Music Session Vol. 01(2021年)
穢れ(JazzTokyo)(2020年)
ヒゴヒロシ+矢部優子、プチマノカリス/山我静+鈴木ちほ+池田陽子@なってるハウス(2019年)
815展でのパフォーマンス(矢部優子、広瀬淳二、池田陽子、渡辺隆雄、遠藤昭)@好文画廊(2019年)
謝明諺+秋山徹次+池田陽子+矢部優子@Ftarri(2019年)
大墻敦『春画と日本人』(2018年)
アイヌの美しき手仕事、アイヌモシリ
アニメ『ゴールデンカムイ』
『アマミアイヌ』、マレウレウ『mikemike nociw』(-2019年)
マレウレウ『cikapuni』、『もっといて、ひっそりね。』(2016年)
MAREWREW, IKABE & OKI@錦糸公園(2015年)
OKI DUB AINU BAND『UTARHYTHM』(2016年)
OKI meets 大城美佐子『北と南』(2012年)
安東ウメ子『Ihunke』(2001年)
『今よみがえるアイヌの言霊~100枚のレコードに込められた思い~」』
新谷行『アイヌ民族抵抗史』
瀬川拓郎『アイヌ学入門』
植民地文化学会・フォーラム「内なる植民地(再び)」
新大久保のアイヌ料理店「ハルコロ」
上原善広『被差別のグルメ』
モンゴルの口琴
日本民藝館の展示『アイヌの美しき手仕事』を観てきた。
刀や煙草入れなんかの造形もそうだけど、幾何学模様のアップリケが施された衣装にすごく惹かれる。角をちょっと鋭角にした迷路のような形も、渦のような丸い形もある。ちょっと立体的。木綿と染色の自然の力もあるのだろうね。アボリジニのエミリー・ウングワレーを思わせるところもあったりして、つまり、生活とか強く内的なところからくる表現はびっくりするほど突き抜けている(って、柳宗悦にしてやられている)。
明後日の23日まで。割と混んでいるので朝早めにどうぞ。
そのまま渋谷のユーロスペースまで歩いて、映画『アイヌモシリ』(福永荘志監督)。
阿寒湖の集落に住むアイヌの少年が自分のルーツを受け入れていく物語。妙にドラマチックだったらイヤだなと思ってもいたのだけど、そんなこともなかった。
アイヌの儀礼イオマンテでは、クマを殺して魂を神々の国に返す。このとき「殺す」とも「屠る」とも言わず「送る」と言う。民族儀礼とは言え復活させなければならない類のもので、これを地域の人たちが話し合いながら自分たちのものとして獲得していくありようが面白かった。そこには無理も不自然も生じる(だから、少年は「ありえないし!」と普通に反発する)。「送る」という意識の共有もまた自分たちにとっての再定義ということ。たとえば沖縄久高島の祭祀イザイホーだって再獲得・再定義というプロセスなしには実現しないよね。
●アイヌ
アニメ『ゴールデンカムイ』
『アマミアイヌ』、マレウレウ『mikemike nociw』(-2019年)
マレウレウ『cikapuni』、『もっといて、ひっそりね。』(2016年)
MAREWREW, IKABE & OKI@錦糸公園(2015年)
OKI DUB AINU BAND『UTARHYTHM』(2016年)
OKI meets 大城美佐子『北と南』(2012年)
安東ウメ子『Ihunke』(2001年)
『今よみがえるアイヌの言霊~100枚のレコードに込められた思い~」』
新谷行『アイヌ民族抵抗史』
瀬川拓郎『アイヌ学入門』
植民地文化学会・フォーラム「内なる植民地(再び)」
新大久保のアイヌ料理店「ハルコロ」
上原善広『被差別のグルメ』
モンゴルの口琴
『アマミアイヌ』、マレウレウ『mikemike nociw』(-2019年)
マレウレウ『cikapuni』、『もっといて、ひっそりね。』(2016年)
MAREWREW, IKABE & OKI@錦糸公園(2015年)
OKI DUB AINU BAND『UTARHYTHM』(2016年)
OKI meets 大城美佐子『北と南』(2012年)
安東ウメ子『Ihunke』(2001年)
『今よみがえるアイヌの言霊~100枚のレコードに込められた思い~」』
新谷行『アイヌ民族抵抗史』
瀬川拓郎『アイヌ学入門』
植民地文化学会・フォーラム「内なる植民地(再び)」
新大久保のアイヌ料理店「ハルコロ」
上原善広『被差別のグルメ』
モンゴルの口琴
『アマミアイヌ』(Chikar Studio/Tuff Beats、-2019年)はなかなか驚きのメンバーである。何しろ奄美の朝崎郁恵、アイヌ音楽からはRekpo(マレウレウのリーダー)、KapiwとApappoの姉妹、トンコリのOKI。さらに2004年に亡くなった安東ウメ子の声のサンプリング。
ヴィブラートなどというものを一万倍も逸脱した朝崎郁恵の外れた声を聴くたびに、脳を揺さぶられるような動揺を覚えるのだが、これがアイヌの曲に入り込み、何人もの独立しつつ手をつなぎつつ立ち上がる声と重なり干渉する。ときにトンコリの音が聴こえると、それはまた別次元のものとして驚く。
沖縄とアイヌということであれば、長く続く中野のチャランケ祭もあるし、OKI meets 大城美佐子『北と南』という素晴らしい成果もあった。だがチャネルはそれにとどまらない。奄美の歌声を、朝崎さんのみならず他の唱者の参加にも拡張したらどうなるだろう。
改めて、同時期にリリースされたマレウレウ『mikemike nociw』(Chikar Studio/Tuff Beats、-2019年)も聴いてみると、常に声と声とのずれを生じさせながら、静寂の中からぬっとおもしろくも奇妙でも懐かしくもある貌をみせるコーラスのおもしろさが、なおさら感じられる。
朝崎郁恵 (vo)
Rekpo (vo)
Kapiw & Apappo (vo)
OKI (tonkori)
安東ウメ子 (vo)
etc.
rekpo, hisae, mayunkiki, rimrim (vo)
●アイヌ
マレウレウ『cikapuni』、『もっといて、ひっそりね。』(2016年)
MAREWREW, IKABE & OKI@錦糸公園(2015年)
OKI DUB AINU BAND『UTARHYTHM』(2016年)
OKI meets 大城美佐子『北と南』(2012年)
安東ウメ子『Ihunke』(2001年)
『今よみがえるアイヌの言霊~100枚のレコードに込められた思い~」』
新谷行『アイヌ民族抵抗史』
瀬川拓郎『アイヌ学入門』
植民地文化学会・フォーラム「内なる植民地(再び)」
新大久保のアイヌ料理店「ハルコロ」
上原善広『被差別のグルメ』
モンゴルの口琴
●参照
朝崎郁恵@錦糸公園(2015年)
西沢善介『エラブの海』 沖永良部島の映像と朝崎郁恵の唄
向井豊昭『BARABARA』(四谷ラウンド、1999年)を読む。
なんとも凄まじい言語の使い手であったことがわかる。ここまで言語を解体し、しかも戦略的に文脈を徹底的に無視し、あるいは文脈を創り上げている。その両者はかれにとっては同義語であったのかもしれないなと思う。そして表題作「BARABARA」では、その解体がすべて引きちぎられた人格となって出現している。
岡和田晃氏によれば(>> 植民地文化学会・フォーラム「内なる植民地(再び)」)、向井は小熊秀雄に魅せられ、アイヌを征服した和人の言語感覚を強く意識していた。構造の一員であることも含めた自己批判と抵抗とが形になったものとして読むことが可能か。
安東ウメ子『Ihunke』(Chikar Studio/Pingipung、2001年)を聴く。再発のレコード2枚組である。
安東ウメ子(ウポポ、ムックリ)
鈴木キヨシ(perc)
OKI(トンコリ、key)
レクポ(ウポポ)
いや何という声なのかと震える。嬉しくて怖くて嬉しくて怖い。安東ウメ子さんの声はどこかへと向けて奥深く、どこかで響いている。口腔と頭蓋全体を響かせているのだろうか。
繰り返しと発展。OKIの素晴らしいトンコリ。お茶目なムックリ。
●アイヌ
マレウレウ『cikapuni』、『もっといて、ひっそりね。』(2016年)
MAREWREW, IKABE & OKI@錦糸公園(2015年)
OKI DUB AINU BAND『UTARHYTHM』(2016年)
OKI meets 大城美佐子『北と南』(2012年)
『今よみがえるアイヌの言霊~100枚のレコードに込められた思い~」』
新谷行『アイヌ民族抵抗史』
瀬川拓郎『アイヌ学入門』
植民地文化学会・フォーラム「内なる植民地(再び)」
新大久保のアイヌ料理店「ハルコロ」
上原善広『被差別のグルメ』
モンゴルの口琴
NHKのETV特集として放送された『今よみがえるアイヌの言霊~100枚のレコードに込められた思い~』を観る(2016/12/17放送)。
北の先住民族・アイヌ民族は話し言葉であり、固有の文字を持たなかった。従って研究や伝承というものが重要になる。その一方で、NHKが戦後すぐに行ったアイヌ語の録音レコードが、最近になって発見されたという。確かにこれは大変な事件なのだろう。
聖地・二風谷(ニブタニ)のある平取(ビラトリ)町では、カムイ。人間の力を超える神の存在(それが人間ではこぼしてしまう汁を受けとめる食器であっても)を称える歌である。貝澤アレクアイヌが知里真志保(知里幸恵の弟)・金田一京助というふたりの言語学者をもてなして歌ったものだという。
釧路では、祭り歌たるウポポ。生きてゆくことを、自然からの収奪ではなく、自然との共存として位置づけたものである。手拍子を叩きながらフクロウの声を真似てみたりして、確かに、ウポポを取り入れて伝えているマレウレウのようだ(MAREWREW, IKABE & OKI@錦糸公園、マレウレウ『cikapuni』、『もっといて、ひっそりね。』)。
登別では、叙事詩ユーカラ。ここでは金成(カンナリ)マツという人物が、ユーカラを残さんとして、20年かけてその発音をノートに記録し、レコードに吹きこんでいる。ユーカラは何日もかけて歌うスケールの大きなものであり、大人の娯楽でもあったという。
旭川では、踊りにあわせて即興で歌うシノッチャ。ここでは、尾澤カンシャトクという人が、日本の悪政が戦争と郷土の荒廃をもたらしたのだと歌っている。
白老町では、トラブルが起きたときにお互いに言い分を歌いあうチャランケ。中野で毎年行われているチャランケ祭は、日本においてアイヌ民族、そして沖縄人が祭りを行うことの意味を示唆してのものだろうか。
いずれも歴史的な意義を思い知らされると同時に、残された声の力に感激してしまう。
番組では明治政府の植民地化政策を主に取り上げている(1869年の「北海道」命名、1899年の「旧土人保護法」、それらに基づく鮭・鹿などの狩猟制限と農業の押しつけ、同化政策、日本語の強制)。もっとも、日本政府(松前藩)による侵略は江戸期から顕著になってきており、1669年に蜂起したシャクシャインは騙し討ちにされている(このあたりの経緯については、新谷行『アイヌ民族抵抗史』や瀬川拓郎『アイヌ学入門』に詳しい)。琉球・沖縄とアイヌモシリ・北海道とを対比してみれば、ヤマトンチュ・和人の行為として、1609年の島津藩による琉球侵攻(上里隆史『琉日戦争一六〇九 島津氏の琉球侵攻』に詳しい)と松前藩の侵略とを、また明治政府の第二次琉球処分と開拓の本格化とを並置すべきものだろう。
ちょうどそれは、『帰ってきたウルトラマン』第33話の「怪獣使いと少年」において、アイヌの孤児と在日コリアンの老人を描いた沖縄人・上原正三氏の視線のように(上原正三『金城哲夫 ウルトラマン島唄』)。また、施政権返還前の沖縄に移住し、沖縄の絵を描き、「わが島の土となりしアイヌ兵士に捧ぐ」という作品さえも描いた宮良瑛子氏のように。岡和田晃氏と李恢成氏との応答において紹介される、アイヌ、朝鮮人、和人の関係を見つめた文学にもあたっていきたいと思う(植民地文化学会・フォーラム「内なる植民地(再び)」)。
さらには、アイヌ侵略が、一連のアジア侵略に伴う植民政策の事前検討のようになされているということも、重要な視点なのだろう(井上勝生『明治日本の植民地支配』)。竹内渉「知里真志保と創氏改名」によれば、アイヌに対する「創氏改名」政策は、実は朝鮮に対する適用前のトレーニングであった(『けーし風』読者の集い(14) 放射能汚染時代に向き合う)。支配中にも、アイヌに農業を押し付けたように、朝鮮でも東南アジアでも農業を強制し、大変な歪みと被害とをもたらしたのであった。
●参照
新谷行『アイヌ民族抵抗史』
瀬川拓郎『アイヌ学入門』
マレウレウ『cikapuni』、『もっといて、ひっそりね。』(2016年)
MAREWREW, IKABE & OKI@錦糸公園(2015年)
OKI DUB AINU BAND『UTARHYTHM』(2016年)
OKI meets 大城美佐子『北と南』(2012年)
植民地文化学会・フォーラム「内なる植民地(再び)」
新大久保のアイヌ料理店「ハルコロ」
上原善広『被差別のグルメ』
モンゴルの口琴
マレウレウ『cikapuni』(Chikar Studio、2016年)を聴く。
MAREWREW:
Rekpo
Kawamura Hisae
Mayun Kiki
Rim Rim
マレウレウは、アイヌの伝統歌ウポポを歌う女性コーラスグループ。このアルバムは、2010年に出したアルバムの曲を中心に再録したものだということだ。わたしは去年マレウレウの存在を知ったばかりなので、こうして聴くチャンスが増えるのはとても嬉しい。
彼女たちは、自ら同じリズムでの手拍子を取りながら、シンプルでいて複雑なコーラスを聴かせてくれる。ひとりが基底音となりながら、別の者が他の文脈を持ち込んできて、その複層的な歌を展開する。歌詞はまったく解らないながら、朦朧とする。
『もっといて、ひっそりね。』(Chikar Studio、2012年)は、この4人に加え、OKIがトンコリやムックリの演奏も行い、よりカラフルな音楽だった。歌は、舟漕ぎとか、再会とか、雪解けとか、鯨やシャチとか、物語性が具体的で、聴いていると想像が膨らんでいく。
プリミティヴで聴いているとどこかに連れていかれる『cikapuni』と、親しみやすい『もっといて、ひっそりね。』のどちらも好きである。
●参照
MAREWREW, IKABE & OKI@錦糸公園(2015年)
OKI DUB AINU BAND『UTARHYTHM』(2016年)
OKI meets 大城美佐子『北と南』(2012年)
新大久保のアイヌ料理店「ハルコロ」
上原善広『被差別のグルメ』
モンゴルの口琴
OKI DUB AINU BAND『UTARHYTHM』(Chikar Studio、2016年)を聴く。
OKI (vo, tonkori, mukkuri, cacho guitar, DX100, perc)
Futoshi Ikabe 居壁太 (vo, tonkori)
Takashi Numazawa 沼澤尚 (ds)
Takashi "Jo" Nakajo 中條卓 (b)
Hakase Sun (key)
Marcos Suzano (pandeiro, caxixi)
Keiichi Tanaka タナカ慶一 (perc, wind board)
Manaw Kano (perc)
野太く荒々しいOKIの声で、北海道や樺太のアイヌの唄が発せられる。それだけでなく、囁く声も、仲間とハモる声も、また2つの違う唄を同時に歌う曲もある。
これに併行して、弦が共鳴しながら割れてもいるトンコリの音、また、ムックリの音。キーボードもドラムスも非常に効果的で、ときに疾走する。
いま創られ再生されるアイヌの音楽はモダンでもあり、ルーツ的でもあり、新旧の混交ぶりが素晴らしい。待った甲斐があった。
●参照
MAREWREW, IKABE & OKI@錦糸公園(2015年)
OKI meets 大城美佐子『北と南』(2012年)
アイヌのグループ「MAREWREW, IKABE & OKI」が出演するというので、炎天下の「すみだジャズ」に足を運んだ。場所は錦糸公園のメインステージ。 素晴らしいというか、冗談抜きにカッコいい。
MAREWREW(マレウレウ)は、アイヌの伝統歌ウポポを歌うコーラスグループ。3人は、手をたたきながら、小声でささやくように、祈るように、旋律を愉しむように、各々が違う言葉を発する。輪唱というのだろうか、ユニゾンによるコーラスではない。鳥の歌、舟漕ぎの歌、大事な者を取り戻す歌。まるで森の中や開けた野の上で、響きの円環を聴いているようである。
トンコリを弾くのは、OKIと、IKABE(居壁太)。このアイヌ伝統の六弦楽器も変わった響きを持つ。豊かに胴が響くのではなく、むしろ割れる音を利用しているように聴こえる。繰り返しの旋律、またしても円環とトランス。OKIは野太い声で、「石の斧」という怒りに満ちた歌を歌った。IKABEは、ステージの前で、弓矢を持って勇壮な踊りをみせた。
新大久保に「ハルコロ」というアイヌ伝統料理の店がある。最近、『けーし風』(2015.7)に掲載された2頁の記事(竹内渉「ハルコロとアイヌ料理と『ゴールデンカムイ』」)を読み、俄然興味を覚え、2週続けて食べに行ってしまった。
この記事によれば、「ハルコロ」とはアイヌ語で「食べ物」という意味。かつて「レラ・チセ」(アイヌ語で風の家)というアイヌ料理店が西早稲田にあり、2009年に惜しまれて店を閉じたのだが、そこに携わっていた方が2011年に開いた店が「ハルコロ」であるという。
代表的なアイヌ料理の紹介もある。「ラタシケプ」(「プ」は小さい)は、カボチャ、イキナビの粉、キハダの実などを混ぜたもの。「キトピロ」とは行者ニンニクのことで、ネギの仲間だがニンニクのような臭いがする。有名な「ルイべ」は凍った鮭を溶かしかけたもの。「イモシト」は日本語とアイヌ語が混交した言葉で「イモ団子」のこと。さらにエゾ鹿を使ったいくつもの料理。
実際に味わってみると、「ラタシケプ」は少し苦く、「キトピロ」同様に身体によさそうで、かつ癖になる。エゾ鹿は炙ってポン酢と食べるものも、ハツを炒めたものも、とてもあっさりしていた(残念ながらレバーがなかった)。「メフン」(鮭の腎臓の塩辛)も「ルイべ」も実に久しぶりなので嬉しい。ドリンクは、ハスカップの果汁を混ぜた生ビールやマッコリ。
いやもう大満足。漫画『ゴールデンカムイ』も読んでみなければ。
ルイべ、鹿肉の炙りポン酢
ラタシケプ、キトピロの醤油漬
メフン、こまい
新谷行『アイヌ民族抵抗史 アイヌ共和国への胎動』(角川文庫、原著1972年)を読む。
もとは三一新書として出され、この文庫化(1974年)のあとに、増補版がやはり三一新書から出ている。また、この5月には河出書房が復刊するようだ。(極論が少なくない本でもあり、その点がいかにフォローされるかについても注目したい。)
著者は、日本によるアイヌ民族の土地侵略の前史として、桓武天皇や坂上田村麻呂による蝦夷との戦争を位置付ける。すなわち、日本の正史における非対称な物語であり、そのように語られてきたということだ。
アイヌに対しては、松前藩による収奪から、侵略行為がエスカレートしていく。松前藩=日本は、シャクシャインの蜂起(1669年)を騙し討ちにより制圧するなど、支配の正当性を認めがたい形での政治的・経済的な支配を続けていった。本書に言及はないが、同時期、日本列島の反対側では、島津藩が琉球王国への侵攻を行っている(第一次琉球処分、1609年)。日本の植民地支配の歴史において重要な時期だということになろうか。
日本のアイヌ抑圧は苛烈なものであったようだ。土地を奪い、漁業の権利を奪い、交易の権利を奪い、「奴隷化」していった。知らなかったことだが、国後島でもアイヌの蜂起があり(1789年)、シャクシャイン同様に騙すように制圧したのちは、国後支配をさらに暴力的なものとした。また、1899年に制定された「旧土人保護法」においては、農業に従事しようとする者に土地を無償で払い下げることになっていたが、実際に与えられた土地はまったく農業に適さないひどい場所であった(のちの調査では、耕作可能な土地は半分に過ぎなかったという)。そして日本の敗戦後も、差別と同化政策が続けられたのであった。
すなわち、侵略と収奪の歴史を抜きにしてアイヌ民族について語ることは野蛮に他ならない。
●参照
瀬川拓郎『アイヌ学入門』
姫田光義編『北・東北アジア地域交流史』
井上勝生『明治日本の植民地支配』(アジア侵略に先だってなされたアイヌ民族の支配)
伊佐眞一『伊波普猷批判序説』(伊波はアイヌをネーションを持たぬとして低く評価した)
石川直樹+奈良美智『ここより北へ』@ワタリウム
OKI meets 大城美佐子『北と南』(OKIはアイヌの弦楽器トンコリの使い手)
上里隆史『琉日戦争一六〇九 島津氏の琉球侵攻』
久しぶりにワタリウムに足を運び、石川直樹(写真)と奈良美智(絵、写真)とのコラボレーションによる展示『ここより北へ』を観る。
きっかけは、北海道と東北とにいくつもの同じ地名があったことだという。かつてアイヌは、和人との交易をなし、また東北に移ってきたこともあった。そこから、さらにサハリンへと向かうふたりの旅がはじまっている。
サハリンもアイヌの活動・生活範囲であった。日本統治の時代があり、敗戦によりソ連=ロシアの支配に移り、それでも地名も文化も風土も残る。残留コリアンの血をひくのではないかと思われる人の写真もあった。
現在でも、普通にサハリンを旅することはそんなに簡単でもないようだ。そのことと、日本統治時代の廃墟(王子製紙の工場)、山や原野の風景があいまって、猛烈な旅情を掻き立てる。いつか必ず行こう。
奈良さんの蔵書の展示がまた楽しい。エドワード・サイード、宮本常一、ミシェル・レリス、エリック・ホッファー、山口昌男、なぜか根本敬、アントン・チェーホフ、南方熊楠、数多くのアイヌ関係の書物。あれれ、師匠筋のA.R.ペンクの画集がない。
●参照
瀬川拓郎『アイヌ学入門』
姫田光義編『北・東北アジア地域交流史』
井上勝生『明治日本の植民地支配』(アジア侵略に先だってなされたアイヌ民族の支配)
伊佐眞一『伊波普猷批判序説』(伊波はアイヌをネーションを持たぬとして低く評価した)
OKI meets 大城美佐子『北と南』(OKIはアイヌの弦楽器トンコリの使い手)
瀬川拓郎『アイヌ学入門』(講談社現代新書、2015年)を読む。
本書によれば、アイヌとは、歴史的には「自然のなかに生きる孤立した人々」などではなく、絶えざる交易活動により生活を成り立たせ、文化を発展させてきた人々である。サハリンのオホーツク人との勢力争いがあり、江戸末期以降の和人による封じ込めより前にも和人との交流があり、北千島さえも活動範囲であった。コロポックルは北千島のアイヌであるという。
交易に用いられるものは、たとえば、北千島で獲れるラッコの毛皮であった。姫田光義編『北・東北アジア地域交流史』には、オコジョの毛皮をもって、サハリンを介してモンゴル帝国(元)との交易をしていたとあり、それはクビライが身にまとってもいる(杉山正明『クビライの挑戦』の表紙画)。 また、モンゴル帝国は日本との海戦と同時期に、アイヌとも戦っている。北海道で採れる金は、やはり交易の対象となり、その過程でアイヌ、和人、朝鮮半島からの渡来人との交流があった可能性さえあるという。すなわち、そのようなダイナミズムを抜きにしては、アイヌの歴史を理解できないということになる。
近現代のアイヌに対する差別政策についても言及されている。たとえば、旭川の事例がある。和人の入植者が急増した一方、道庁は、給与地を設定し、アイヌを集めて各戸に割り渡した。しかし、その土地は川べりのしばしば氾濫をともなう湿地帯であり、他のひどい扱いも相まって、アイヌの人々は大変な苦難を強いられた、とある。誰だ、教科書に「土地を与えた」などと書かせようとする者は。
●参照
姫田光義編『北・東北アジア地域交流史』
井上勝生『明治日本の植民地支配』(アジア侵略に先だってなされたアイヌ民族の支配)
伊佐眞一『伊波普猷批判序説』(伊波はアイヌをネーションを持たぬとして低く評価した)
OKI meets 大城美佐子『北と南』(OKIはアイヌの弦楽器トンコリの使い手)